ヒゲ虎時事評論17

戸田の調査と分析判断;情報も求む! 投稿者:ヒゲ-戸田 <HOME> ( 04/09 10:15:07 )

@こういう誹謗中傷と「市の勝手な支払いの穴埋めを議員に求める」筋違いの「住民署名」を昨年から2000人以上分も集めて、議会事務局に見せています。
 (要望書は3/26に議員ファイルに配布され、戸田が知ったのはもっと後)署名簿は持ち帰ったので詳しいことは不明ですが、地域の顔役や会社を通じてある程 度「密かに」集めていた模様。現在も進行中でしょう。
 (創価学会密集地域ゆえ、2万3万集めても不思議じゃないですが・・)
 ただ、こららの人達は戸田本人には今まで何も言ってきていません。こんなに重大な問題なのに、戸田に問い合わせも事実の照らし合わせもしないで突っ走っています。

@面談・電話で戸田が話を聞いてみたが、リーダー格らしい田中氏・鎌田氏(この人のみ公明党ポスターを貼っている)は戸田との対話拒否姿勢が露骨。
 「戸田非難の根拠事実を示して下さい」と聞いても誰も答えない。
@「門真市を考える市民の会」は昨年作られたということだが、戸田が聞いても代表者も連絡先も不明のまま、という実に無責任不誠実な対応。

@3/23に田中氏から市役所ロビーに呼び出されて文書にサインしただけで、「署名運動」には関与していない人もいるが、これらの人も「信頼している人から言われたのでサインしたが、今でも正当だと思っている」、と言い張る。(戸田から資料を渡して説明説得したが考えを変えず。意志一致したのでしょう)
 
@「自治会長」に肩書きをズラリと並べて重みを演出しているが、こんなことは自治会 と無関係なのは言うまでもない。自治会長肩書きの濫用として咎められるべきである。

@筆頭の田中氏は「私らは市民だから何を言おうが自由だ」と断言するが、実はこの人、会社は門真で継続しているものの、今は門真市の住民ではない!
 門真市民でもない人が門真で「自治会長」を続け、「門真市を考える市民の会」の筆頭格というのも新たな「門真のミステリー」である。

@「不当な出席手当の市への返上」さえ、「公職選挙法違反の寄付行為」となってできないというのに、「市の弁護士費用を戸田が払え」というのは違法行為の強要も甚だしい。こういう明らかに違法な要求を煽り立てている議員らがいるというのも呆れたモンだ。
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★この戸田攻撃署名運動について何かご存じの方、ぜひ情報を寄せて下さい。
 戸田宛の個人メールかFAX・郵便・電話にてでも結構です。

★さて、こういうあからさまな誹謗中傷攻撃にどう反撃していくか。いろいろ考えを浮かべていますが、皆さんからのアイディアも大募集しますのでよろしく!



Re:新村八分運動を阻止し、推進者のエセ市民論理を迫撃せよ! 投稿者:れんだいこ ( 04/10 15:35:52 )

タイトル通り、戸田攻撃署名運動は現代の村八分運動であると私は考える。門真で繰り広げられる言葉だけ市民論理の、内実救い難い保守的なそれをさらけ出させ、撃たねばならない。創価学会−公明党勢力が表から、共産党が裏から、町内会長まで巻き込んで何やら得体の知れぬ大政翼賛会運動が展開されている様子である。始末の悪いことは、推進者側に「非」の意識がなさそうなことである。

 社会に異端と異論と異分子を許容すること、これこそが民主主義精神の始まりである。それを踏まえないエセ民主主義論者とは公開で対決する必要があると考える。一体何を護ろう育てようとして「民主主義」を口にするのか、案外と大事なことであるよう思う。

 我々は宗教者の受難を見てきた。百姓一揆における義民的義挙とそれらに対する苛酷な処罰の歴史も見てきた。社会主義者に対する抹殺的弾圧も見てきた。戦後、これらの手痛い教訓を象徴的に、何がしかの基本的権利が国民に与えられた。それをうまく生かすも殺すも我々の能力に負っていると思われる。

 戸田議員の異色性は確かにある。しかしそれは大政翼賛会化された社会から見ての異色性ではなかろうか。戦後直後の左派運動を指導した徳球型運動から戸田氏の活動を見れば、ごく普通なむしろ誠実丁寧なそれである。残念ながら、徳球型運動は右派から「左派」からよってたかって我が社会から解体し尽くされ、放逐された。しかるに徳球型運動的な残滓を持つ戸田議員が門真に登場した。戸田問題の本質はここにあると、れんだいこは考えている。

 現下の戸田議員排斥は、大政翼賛型棲み分け社会からの異端追放、村八分運動として推進されようとしているように思える。してみれば、戸田氏に覆う風雨は強い、当人がこのことをどこまで自覚しているか、それは分からない。私には、風雷雨吹きすさぶ中歩みつづける木枯紋二郎に見える。支持者は彼が訪れた時囲炉裏に寄せて暖を取らせてあげればならない。この貴重人士を護りきれるかどうか、これは明日の我が身であるからしてひとごとではない。

 戸田攻撃署名運動に忠勤するエセ主義者、宗教者、地元の頑迷なる古狸に告ぐ。そういう仲良しクラブの仲良し性が我が社会の停滞と腐敗を生む温床になっていないか。今や我が社会は未曾有の国難に突入している。これを打開する能力が仲良くクラブの中におありだろうか、それなら政治がもっと良くなっていなければオカシイ。私は、この国難打開策は、異能、異端の系列の中から生み出されてくることを確信している。それはいわば歴史の法則でもある。そういう意味で、戸田議員は大事にされねばならない、いくら君達のエセ性が暴かれるとしても、明日の社会づくりの大義の前に悪戯はよしこにしてもらわねば困る。


あれれ?共産党は良心的にがんばってくれてるんですよ 投稿者:ヒゲ-戸田 ( 04/11 02:29:10 )

>創価学会−公明党勢力が表から、共産党が裏から、町内会長まで巻き込んで何やら得体の知
>れぬ大政翼賛会運動が展開されている様子である。


 れんだいこさん、「創価学会−公明党勢力が表から、共産党が裏から、」、というのは全くの間違い・読み違いであります。
 公明党の卑劣な所は「日本赤軍・重信房子関連の不当捜索事件」をことさらに持ち出して、「そういう戸田を弁護しているのが共産党議員だ!」という扇情的な攻撃をして(公明党FAXニュース)門真市に残っている遅れた「アカ嫌悪意識」を掻き立てて共産党に腰を引かせようとしている所です。
 しかし門真の共産党は議会制民主主義と人権擁護の原則的な立場で公明党らの不当な攻撃に強く反対していますので、その点はお間違いなく。

@「徳球型」という例えには返事に窮しますが、木枯らし紋次郎はうれしいですね。
 ちなみに戸田はテレビ木枯らし紋次郎のナレーションせりふは今でも全部言えます。
 「木枯らし紋次郎、上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれ、10才の時に国を捨て、その後一家は離散したと伝えられる。天涯孤独な紋次郎がどういう経路で無宿渡世の世界に入ったかは、定かでない・・・」・・・音楽イントロ・・歌「ど〜こかで〜誰かが〜・・」 しかし名作だったですね・・


Re:そうか?共産党は戦闘的にがんばってくれてますか。 投稿者:れんだいこ ( 04/11 10:42:36 )
 この微妙な時に、共産党の支援活動に水を差したかな。

>  れんだいこさん、「創価学会−公明党勢力が表から、共産党が裏から、」、というのは全くの間違い・読み違いであります。

 どうやら私の認識に間違いがあるようですので、陳謝します。門真の共産党議員団さん、私の上述の規定は少々現場の動きに無知でありすぎました。党中央の一元的支配から安易に推定してしまい、地方の個々の動きに対して盲目でありました。発言上責任も出てきましたので、これを
機会に暫らくウオッチさせていただきます。どうぞ抗・新村八分運動に大断固として取り組み、公明勢力の陰険運動を鎧袖一触粉砕してください。かようなタワケ公安運動を許して良いわけがない。

>  しかし門真の共産党は議会制民主主義と人権擁護の原則的な立場で公明党らの不当な攻撃に強く反対していますので、その点はお間違いなく。

 了解です。

> @「徳球型」という例えには返事に窮しますが、

 いやぁ、ぜひ徳球オヤジ運動を見直しましょう。調べれば調べるほど面白い人物ですねぇ、多少の欠点は仕方ありませんが、スカッ胸しますねぇ、宮顕運動とは何から何まで反対ですわ。

> 木枯らし紋次郎はうれしいですね。「木枯らし紋次郎、上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれ、10才の時に国を捨て、その後一家は離散したと伝えられる。天涯孤独な紋次郎がどういう経路で無宿渡世の世界に入ったかは、定かでない・・・」・・・音楽イントロ・・歌「ど〜こかで〜誰かが〜・・」

 なんかなつかしいですねぇ、麦穂か長楊枝かくわえたジロチョ‐旅姿が思わず浮かんできました。それにしても最近のテレビは刑事もんと大岡裁きものばかりなようで、連日連夜垂れ流されたらこれも一種の公害だとか思いますねぇ


あなうれしや、紋次郎とな・・・ 投稿者:紋次郎 <HOME> ( 04/15 07:19:22 )
>  ちなみに戸田はテレビ木枯らし紋次郎のナレーションせりふは今でも全部言えます。 「木枯らし紋次郎、上州新田郡三日月村の貧しい農家に生まれ、10才の時に国を捨て、その後一家は離散したと伝えられる。天涯孤独な紋次郎がどういう経路で無宿渡世の世界に入ったかは、定かでない・・・」・・・音楽イントロ・・歌「ど〜こかで〜誰かが〜・・」 しかし名作だったですね・・

れんだいこ様、戸田様。
わたくし「別の世界」では【紋次郎】とゆう名前で売り出し中のモンです。これから、ここでもこの名前でやらせていただきますのでよろしっく!

【紋次郎】


Re:これははじめまして紋次郎どの。 投稿者:れんだいこ ( 04/15 19:38:42 )
 そうですか、世の中から紋次郎タイプが隠れてしまったと思っていたら、やっぱ愛惜の士がおられるのですね。少し覗いて見たら株の指南役のようですが、あれってお金持ちでないとなぁ、というようなことで、政界指南役の方でご交流いただけることになりそうですね。こちらこそよろしくね。

れんだいこさんに若干の進言させていただきます。 投稿者:ヒゲ-戸田 <HOME> ( 04/21 13:14:19 )
 いつも精力的な書き込みありがとうございます。
 ただ、この間しばらくれんだいこさんの書き込みを読ませてもらっているうちに、いろいろ
思うところが多くなってきましたので、当方の考えを若干述べさせていただくことにします。
失礼の段がありましたらご容赦下さい。
  =================================== 
 この掲示板は思想的立場がなんであれ自由にしゃべって下さい、ということを基本にしてい
ますから、「共産党大嫌い」という立場からの言論が続いても構わないのではありますが、戸田
の理解するところでは、れんだいこさんは「元共産党活動家で」、「(宮顕路線の下での)共産
党の右傾化に反対し」、「革命的左翼の復権・民衆革命推進の立場から」、日本の左翼運動の歴
史を検証し、「宮顕・不破路線の日本共産党の実態を批判する」、というスタンスの方であると
思ってきました。(れんだいこさんのHP 
 実際、れんだいこさんの戦前前後の共産党研究や戦後新左翼運動の研究の労作は、非常にレ
ベルの高いものだと敬服いたしております。

 しかしこの間の共産党非難のパターンについては、若干の違和感を覚えるものであります。
 節目節目で共産党の実態を分析し批判することは意味があるでしょうが、毎日の時事ネタで、
それこそ「ハシの上げ下ろしにまで文句をつける」ような非難の仕方はいかがなものでしょう
か?
 共産党が60年代からとっくに「前衛でもなければ革命政党でもない」「後戻りできないほど
議会主義偏重体質の」「国民主義的左派政党に転落した」というような認識に立つとして、そ
れが「斯くの如くケシカラン」と言うだけであれば、それこそ共産党が存続する限りはいつま
でも、いくらでも言えるわけで、そういう物言いは、見方を変えれば共産党の存在に依存した
言論にすぎないのではないか、と思えるのです。

 もうひとつ気になるのは、れんだいこさんが共産党憎しのあまりか、公明党などに異様に甘い
評価を続けていることです。「非民主主義的体質」「宣伝文句と実態の乖離」「ご都合主義」
などということで言えば、公明党の悪さは、共産党のそれよりもはるかはるかに酷いし、危険性
もはるかに高いものであることは、現実を見れば容易に理解できるものであるはずです。
 戸田としては、昔々に左翼世界で横行した「宗教アヘン論」の通俗に組みするつもりはあり
ませんし、下層大衆を組織していった創価学会・公明党の当初の日蓮宗的庶民革命の凄さに思
いを至らせることのできない「革新思想」の薄っぺらさに同調するつもりもありません。
 しかし、政権にすり寄りついにその中に入った創価学会・公明党は、今や「宗教草の根ファ
シズム勢力」に自己を完成させた、と戸田は考えます。
 今の共産党のような「ヤワな組織」とはとても比べ物になりません。
 なにも門真公明党の低レベルな戸田攻撃が公明党全ての実態だ、というのではありませんが、
「自分の頭でモノを考えない上意下達」「他者との対話ができない」「数とデマの力にモノを言
わす」、という本質において、公明党の実態と危険性を実によく示していると思います。
 (地方によっては少数ながらケナゲに良心的にがんばっている公明党が存在することまでは
  否定しませんが)
 創価学会・公明党の特色は日本の現実としての搾取社会への怨念を、搾取社会の解体・作り
かえに向けることなく、個別的立身出世と、他宗教・左翼・革新勢力への憎悪に振り向け、強
大な財政と官僚組織を有して激烈な選挙戦争にファナティックに人々を駆り立て続けることです

 もはやそこには本当の意味での宗教心も政治理念もありません。自己勢力肥大化のあくなき
追求と、そのための権謀術数があるのみだと思います。
 (れんだいこさんはいかがお考えでしょうか?)

 れんだいこさんの本来のスタンスからしたら、共産党への批判は「真の民衆革命のために一歩
でも二歩でも寄与するもの」の一環としてなされるべきではないでしょうか? 
 さすれば、各政治勢力に対して階級的革命的分析視点を溶解させることなく、また共産党が国
民的議会主義左派政党として存在している現実をどう活用していくのか、「緊張ある主体的な対
話と共同をどう進めていくか」を明示しながら、民衆の「ヤル気」を引き出す論議を提供してい
くべきではないでしょうか?
 共産党批判のみを繰り返すだけなら、たとえその内容が正しいとしても、民衆に対しては「左
翼嫌い・政治嫌い」のゲンナリ感をもたらすだけではないか、と危惧いたします。(公明党への
超甘評価についてはさらに)
 
 当初想定していた(と、戸田には思える)「共産党以外の左翼や多様な変革勢力の分析・紹介
をも進めながら、真の民衆革命の道筋を構想していく」、というところから最近のれんだいこさ
んはなぜか離れてしまって、「勝手知ったる・オハコの・共産党が存在する限りは永遠にネタ切
れのない・自己の模索や切開が必要ない(失礼!)」共産党批判にだけ縮こまってしまったよう
に、戸田としては感じておりまして、その点大変残念に思っています。
 面妖な寄り合い所帯の民主党、市民派の躍進の一方で「4党合意」を維持する社民党、風前
の灯火か再生かの新社会党、何がどうなの日本赤軍・人民革命党、MPDの衣替えか「市民の
党」、日本でできるか「緑の党」、これからどうする労働運動などなど、そして「真の民衆革命
を進めるための、物事の判断や、地域地域での運動や選挙をどのように行なっていくか」、を提
示しあっていく、語り合っていくこと・・・・・・などで、れんだいこさんの思索と分析に戸
田としては大いに期待しています。

 長文渡り、突然一方的にいろいろ書きました。当方必ずしも適宜の応答ができない点はご容
赦下さい。それでは。


Re:とりあえず私の思いを。 投稿者:れんだいこ ( 04/21 16:19:34 )

 戸田さん、このたびは真摯なレスありがとうございます。私の共産党批判が特に門真の現状に
合わない面もあり、戸田さんはじめ少し食傷気味になっているのかなと思います。私も日課のよ
うに共産党批判していますが、むなしい気持ちもしており、どうでもいいやと思いながらインタ
ーネット版赤旗読んでは一言発言せざるを得ないという条件反射的にあります。

 それはともかく、創価学会−公明党に対する「大甘」についての私の考えを記します。創価学
会が、歴史的に見てある種反共的に下層大衆の取り込みを図り、その限りにおいて当局から容認
されてきた面を私は無視してはいません。但し、私が思うのに、池田大作氏の手腕以降、我が赤
化勢力は運動的競り合いで負けているのではないかという認識に立っています。ここを見ずに、
反共的宗教勢力として毛嫌い的に原理的に拒否しようとする独善に私は与していません。

 むしろ、池田氏を宗教家としてではなく大衆運動の指導者としてみれば、恐らく戦後の第一人
者であると見ており、学ぶところ多しと思っています。創価学会ないし員の得手勝手性が問題に
なることがありますが、過去のあれこれは別にして今や法治国家としての作法に則り次第に威風
堂々化してきているように思えます。私の身近の創価学会のおばさんに、大作はエライ、創価文
化会館を全国に敷設していったのが特にエライと褒めると、とても喜びます。戦後50年、左派
は一体何をしてきたのでしょう。けなし合い、潰しあい、足を引っ張り合い、難しい理論や長た
らしい理論で明け暮れ、次世代に何も残していない。今日の青年運動の壊滅的事態、オームが一
斉風靡した事態に対する左派的な対応が何も出来ていません。それもそのはずで値打ちが既に無
いのではないでしょうか。

 そういう現実から照射すると、大作氏は組織の長としてこうであらねばならんと思えるほど非
常に有益なことをしていると思っています。これは好きとか嫌いではなく、互いの長所を学ぶと
云う同時代の同伴者の眼として必要な観点ではないでしょうか。私の場合、その延長線上に角栄
論もあります。角栄もまた百年一人の人物であったことは疑いありませんが、右から左から検事
からマスコミからよってたかって葬られてしまいました。国家的大損失であったと思っています


 もっとも、公明党も目下危険な綱渡りをしており、相当に困難な局面を迎えていると思ってい
ます。既に政権与党に辿り付いている訳ですから、一党一派の利益から国家全体の利益へのシフ
ト替えを迫られており、かの党の性癖でうまく乗り切れるかどうか注目しています。他の宗教勢
力も非力とはいえ黙ってはいないでしょう。左派には左派の、宗教団体には宗教団体の悩みがあ
ります。しかし、創価学会−公明党はトップの作風を受けて、課題を正面から引き受けるから、
求心力を保ちながら言い訳せずに困難を打開していくでしょう。それだけの地力を獲得してきて
いるともみなしています。

 公明党は今や上げ潮局面にあることが各地の選挙データ等々から分かります。しかし、それを
そうと見ない「科学的社会主義」屋が、自分のところの低落を口ぬぐいしたまま公明党を「落ち
目の反動派」呼ばわりしています。目下インターネット版赤旗に載ってるところです。こんな指
導者では勝負にならないというのが私の根本の考えにあります。

 公明党がファッショ勢力になる危険性があるというセンテンスでは左派勢力も同じです。この
同じ穴のむじなは、むしろ運動的競り合いで堂々と理論闘争、大衆闘争、労農運動、選挙闘争を
やるべきではないでしょうか。そういう熱気の中で相互に鍛えられるのであり、相手を知らずな
キョトンとした目のまま団地へ行って拡声器で「ハイエナ」論を繰り返すなどということは、無
用なことであり、そういう指導をしている党中央の首を据え替えない限り消耗戦に明け暮れさせ
られ益するところがないと考えます。

 戸田さんのとこで云わせて貰えば、戸田さん擁護の為に戸田さん以上に渡り合うのが共産党の
、左派勢力の本来の姿でしょう。私が見るところアリバイ的に応援している程度にしか見えない
。本来であれば、我がことのように考え、党中央がじきじきの調査団を送り込んできても何ら不
思議は無い。闘いとはそういう風にやっていくものでしょう。公明党が陰険邪悪なことをしてい
るのなら好都合で、逆に大衆運動起こせばよいのです。姑息な署名運動のことではありません。
大々的に集会とデモして気勢を挙げれば良いのです。そういう流れを作り出さないような品の良
い支持なぞかえって邪道ではないでしょうか。そういう風に闘うことなくして、戸田さんが単騎
にさせられている現実が、そしてその程度の友を友として依拠せざるをえない現実が哀しいです


 そういうことを踏まえてどうすれば良いのかというと、この党中央はひどすぎる。従って、批
判せざるを得ないという認識から、やはり私は党中央執行部の交替の流れをつくっていくのが正
道で、回り道でも早いと思っています。下部党員も五十年来こんな訳の分からない党運動をさせ
られており、気の毒もんではないかなとか考える訳ですが、余計な世話なんでしょうか、聞いて
みたいところです。

 北方領土問題での全千島列島返せ論にしても、根拠も無茶苦茶な右翼顔負け論を述べています
。日中友好条約にしても、表面の声明とは別にこの党こそが運動の進展に棹差したのも史実です
。目下の連中の公事業観もメチャクチャだと思えます。亀井は歯に衣着せぬから、リストラでも
反対の声が挙がっていないではないかと揶揄され続けです。国労闘争でも、へんちくりんな対応
していることは今現在の進行形の話です。このあたり幻想を一刻も早く解かないと闘えないので
はないのかというのが本当のところではないでしょうか。

 というようなことでとりあえず返信させていただきました。急遽思いつくままに書きました。
どんどん通信しあって、他の皆様からもご注進いただければ私も勉強になります。


Re:とりあえず私の思いを。 投稿者:羽派 ( 04/24 19:07:32 )
こちらでははじめまして.都合で,各所でしばらくROM していましたが,この問題は少し気になったので,レスします.端的にいって,共産党に対する徹底的な批判は必要だが,「共産党主要打撃論」は疑問だ,ということです.また,公明党,創価学会は別途厳しく監視されなければいけないでしょうね。

共産党に対しては,体質に関しても,運動論や政策に関しても,認識論などの哲学的な問題についても,十分に批判しきる必要はある。このことには賛成です.それは,批判の徹底によって,この党が(も)戦後の現実政治において担ってきた様々な価値を本格的に発展させていく為にこそ必要になるのです。共産党が歴史的に持つその核心的な思想の中にこそ,実はそのような価値(たとえば民主主義,個人の人権の尊重,平和な国際関係の樹立,自然・人間の共生など)と絶対に相容れないものが存在している−こういう厄介な構造を打破することなくして,次のステッ
プに人々が進むことは難しい.だからこそ,徹底した批判が必要なのです.

しかし批判は破壊とは違う.彼ら(共産党,特に中央)自身の中に,あるいは批判をまともに受け止めていく可能性を何ら認めないのであれば,批判を行う意味もない.見捨てれば良い.宮本時代後期,いわゆる「逆路線」の時代なら,外部からの批判もあまり意味のないものだったでしょう.でも現在は,それなりの可能性を持たないではない,と私は評価しています。だからこそ批判を行うことの意味を見出しているのです.ま、あまり現実性のある話ではない・・・誠にかそけき「可能性」とは思いますが.

さて共産党の核心には,非常な問題が含まれている.しかしこのことは,彼らが直ちに消え去るべき存在・打破されるべき存在だとか,人々にとって主要な「敵」だとか,そういうことは意味していません.全体としての彼ら自身のなかに,非常な矛盾が存在している,その矛盾を彼らの意識における改革・組織における構造改革によって解消する必要がある,ということなのです。その改革によって,徹底した民主主義の社会,待子さん(さざ波)流にいうなら「愛」を原理とする構造をもった社会への接近に役立つようになること.そういった社会への接近のための批判であること.その接近の為の努力の一つなのだということ.これは忘れることができないと思います.

公明党・創価学会についてはいろんな意見があるでしょうが,かれらが「敵」と見なしたものに対して行う攻撃には,時として常軌を脱したものがある.民主主義も法の理念も踏み越えて宗教的情熱(しかも自分のための現世利益という宗教目的!)に基づいて行う攻撃です.しかも最近ではこれが国家権力の一部と結びつきを持ち始めている可能性を否定し切れません.個々の政策の是非でなく,共産党をもはるかにしのぐ批判拒否体質を元来持っている集団だと見ていますが,どうでしょうか? 対共産党でない事件をいくつも起こしている.そういう集団が・・・.

そうだとすると,かなりの危険性がある.政党の体質の非民主制は,現在の政策がどうあれ,将来取ることになる政策に大きな影響をあたえるでしょう。有力な批判者をつぶし,勢力ある批判者を解体し,さて国家権力の一部としてどう機能するか.

もちろん,こういった認識のもとで,例えばインターネットの空間で,個々人がどういった言説を行っていくか−これはそれぞれに判断されることで,お互いにどうこういう事でないでしょう.(その基礎となる認識については,類似した目的をもつ者達の間で突っ込んで討論するとしても.)
ただ,政治には現場の皮膚感覚が何より大事なところがある.現場の第一線にいらっしゃる信頼できる見識の持ち主(戸田さんなどのこと)の判断は尊重したほうが賢明かな,とは思います.

Re:ここは少し皆さんの意見を聞いて見たい。 投稿者:れんだいこ ( 04/24 21:12:21 )
 羽派さん、こちらも真摯なレスありがとうね。私の観点はほぼ出し尽くしており(ほぼですよ)、これ以上やっても一層揶揄化するばかりです。時にはいいとしても、やってる本人にとっては少しも生産的でありません。そういう意味で、しゃべり疲れのれんだいこはここで様子見して、他の皆様方の考えは本当のところどうなんだと聞いてみたいと思います。

 ただ、ここの点は明らかにしておきたいです。目下共産党と公明党が「戦争」状態に入りましたが、共産党が仕掛けたのか仕掛けられたのかというと、私にはですよ、共産党が仕掛けたように見える。現場では私の若い頃の70年代から常にありましたから、今でも続いていると思います。その間「創共協定」もありましたが、こうなってみると全く徒労だったことになります。

 共産党が仕掛けたとみなす理由は、一年か半年前辺りの頃赤旗特捜班による創価学会−公明党批判のあることあること記事シリーズです。当時公明党の側がこれに応戦していたようには思いません。私のように共産党がすねに傷持つ身であることを知る者から見れば、必ずしっぺ返しが始まる無謀な連載であったように思いました。これで双方が罵詈あって共倒れする漁夫の利狙いの背景が無いとは云えません。今はただ賢く振舞える器量が創価学会−公明党指導部にありやなしやの問題になっていると思いますが、下半身ビラなぞでの反撃を見るととうとう乗せられたかと危惧しています。

 申し訳ありませんが、私は共産党中央を根っから信じていませんのでかような見かたになります。願うらくは、左派が本来持っている潜在的能力を満開させて欲しい。さすれば、創価学会ー公明党なにするものぞの競り合いで勝てると思います。そういう政治局面が見たいのです。しかし今は全く暗い。なぜなら、ここ数十年メチャクチャな指導で自分の頭で考え論駁できる党員がいなくなってしまっていると考えられるからです(ほぼ、と訂正しておきます)。

 この遅れを取り返すのに何年かかるのか、ここら辺りにれんだいこの関心があります。また持論を書いてしまいました。そういう訳で、暫く「万機公論」を聞き分けしてみたいと思います。


Re:一つ気がかりなこと。 投稿者:れんだいこ ( 04/26 11:36:48 )
 れんだいこの「共産党中央主要打撃論」の功罪はどうなんでしょう。私はここから突破口が開かれる見ており、私の読み取り間違いでなければ、羽派さん、戸田さんは得策でないとしているように見受けられます。ここの点実際はどうなんでしょう。

 私が思うに、今日の左派程度の運動なら何も社会党、共産党に依拠しなくても、憲法原理を護持する市民運動でやっていけるし、却ってそのほうが活性化するのではないかとか考えたりしています。むしろ、左派に基盤を置いていると称して右派系運動を指針させている既政党の重石を取り除いたほうが良いのではないかとか考えており、その分気兼ねなく論評しています。

 しかし、この観点が間違っているないし配慮が足りないとしたら、私も少しは政治的配慮をせねばならない。この辺りどうなのかということに耳を傾けてみたい。私がこれ以上持論をぶってみても、鏡に向かって語りかけているようなもので一人芝居になってしまう。認識には真理なぞは無い、私はこう思うの摺り合せと、究極時代の空気のようなものに合わせて進むしかないと考えていますので、暫く聞き役に廻りたいですね。


れんさんにメモ的にでも意見を出していきたいですが。 投稿者:ヒゲ-戸田 ( 05/03 00:00:48 )
 あまりちゃんとした文章としては書く時間を取れませんが、メモ的にでもれんさんに対する戸田の意見を表明していきたいと思っています。ずっと気にはなっているのですが今夜は書けませんので、とりあえず予告編的意思表示まで。

Re:寺舎九(じしゃく) さん、ちわぁです。 投稿者:れんだいこ ( 05/07 18:54:34 )
 確かに寺舎九(じしゃく)さんのキャラは面白いですね、これからもよろしくね。

> 現実解が求められている問題に付いて、れんだいこ さん、ひまた さんの意見が聞いてみたい。

 そうですねぇ、何せれんだいこは体張って物言うからね。云っていることの中身は当たっているのか、外れているのか自分では良く分かりません。良かった時には、うんだうんだ、違っているときにはご指摘ください。議論の弁証法的発展とはそういう風にして獲得しえるものと思います。

 私のサイトにも書きましたが、ヒラメの目使いからは何も生まれないと思います。ところが、我らが党中央は、党中央の敷いたレールの中で自治を与えるから、その中で議論しなさい、それが党の明文律だという。そんな型はめ議論は議論にならないっちゅうのに、党内はそやそやと納得しているみたいですね。あっ、またここに落ちてしまった、いけねぇ。


Re:あんまり難しく考えないことにしているんだ。 投稿者:れんだいこ ( 05/07 23:32:01 )
 寺舎九さん、タイトル通りでね、戸田さんの懐の深さにあやかって云いたいこと云いつづけようと思うんだ。私一人では寂しいし、私の発言がみんなのそれを遠ざけているとしたら気になるけど、これって私の責任なんかいなぁとか思うのよ。

 だって、そんなに参加者の皆様を誹謗している訳ではないし、まっ共産党中央批判に対してはこれぐらいいってやらないと、みんなの目が醒めないと思っているから仕方ないのよ。こんなに過去から今も日々材料が出揃っていて、各地の選挙でも後退現象が見られているというのに、自民党はかなり危機感もって対応しているというのに、相も変らぬ大本営発表で傷口なめあっている姿のどこが「科学的社会主義」なんかいなと揶揄して見たくなるのさね。

 私はそういうのが全く我慢できない質なので、うれしいときには喜び、困ったときには悩むというスタイルになる。何で言い訳したり、すりかえたり、正論ぶつ人間を調査問責せねばならぬのか、どうしても突っ込みしたくなる。そうしない円満な質の方とは波調が合わない。そうこうしているうちに年取って足腰立たぬようになり、そんな頃になってフニャフニャ言いたくないのです。

> ウン、寺舎九(じしゃく)も行動がしたいけど方法がよくわからんで、行動を思案中です。

 いやぁ、僕も行動なんて何もない。でも、こういう議論もその一種で、議論の筋道に得心いったら、行動が自然に出てくることもあるしね、あんまり気にしないようにしようよ。人が読みもしない、読んで見てもたいしたこと書いていないビラを配って行動していると言われても、それはそれで結構でしょうが、お前等は何もしていないとは云われたくないし、言わしたくも無い。

> 町の揉め事を仕切るのは、どんな人(団体)が適正なんでしょうか?
> 落語なら、坊主、家主、町役、棟梁が仕切ってましたが
> 現在は?法治国家で警察(やだ)、弁護士(油断できない)、役人(応用利かない)
> 宗教(怖いのも一緒くた)。誰もおらんやん、任(まか)して安心が


 そりゃやっぱ、下積みの苦労して人情の分かるなおかつ見識のある人でしょう、そういう人がいなければ、つくるのさ。以外にいたりしてね。とかなんとかでまたねぇ。


まきこ問題は、小泉構造改革論の最初の試金石である。  投稿者:れんだいこ ( 05/13 01:31:12 )

 田中外相と外務省トップ官僚がエンストしている。この問題の本質に野党とマスコミがダンマリ決め込むとしたら、死んだサバの目になっていることを証左していることになる。管よ、小沢よ動かんかい。小泉首相が我関せず、福田官房長官が外相を叱り、山崎幹事長が事態を傍観するとなるなら、この政権の構造改革論のエセ性が暴露されたに等しい。

 田中外相と外務省の衝突は、本質的には政界と官界の対立であり、現象的には大臣指揮に官僚が従うのかサボタージュするのか、抵抗するのか嫌がらせしてよいのかの問題としてあるように思われる。最近こうした対立が発生しないのは、大臣がことごとく官僚のいいなりになってきたからである。官に対する政の優位を信ずる政治家が出現したらどうなるのか、それがただ今の真紀子問題である。

 ここで小泉首相に問いたい。あなたはしきりに国民にがまんの哲学を教えようとしている。社会保障負担費の増税とリストラと企業倒産を覚悟させ、これから先国民が懸命に遊泳するよう説こうとしている。この場合、我々国民はがまんさせられるとして、張り巡らされた官僚の利権構造、天下り構造にはアンタッチャブルでいこうとしているのか。そういう式の構造改革論であるのかお答えいただきたい。

 ただ今の外務省騒動のキーワードの一つに外務省の機密費問題がある。田中外相はこれの今後のあるべき姿に手をつけようとして異様な反発を招いている。その他の理由もあるであろうが、事の是非論議以前の陰湿且つふざけた嫌がらせをお見舞いされている。小泉内閣が田中外相を孤立させるとするならば、小泉構造改革論が単なる選挙向けのマヌーバー政策であることを暴露したに等しい。

 小泉首相よ、首相演説したばかりのこの時点で早くも馬脚をあらわすとはちと情けない。小泉構造改革論ラッパの忠実な実践に誰よりはやく乗り出した田中外相を見殺しにするようなら、悪いことは言わん、やめなはれ。居座るなら、指導力を発揮してこの最初の試金石を見事にクリヤーしてみなはれ。人の忠言は聞くが良い。


真紀子問題についてフリートーキング。 投稿者:れんだいこ ( 06/04 21:37:56 )
 れんだいこは、田中角栄のファンであります。この点でそもそも意見を異にする人も多いでし
ょう。オヤジ憎けりゃその子も同罪的な雰囲気がありますが、あたしは丁度その反対な気分であ
ります。何やかや真紀子が虐められているのを見るとどうしても声援したくなります。自分でタ
ネをまいている向きもあるようですが、私はマスコミ情報は参考にするだけで少しも信用しませ
んから、事実確認してから判断したいと思っています。

 それにしても、熱しやすく醒めやすい我々は、いつのまにか機密費問題の処理追跡を忘れてし
まった観があります。庶民大衆の我々は、あちらの卵が安いと聞けば電車に乗ってでも出かけて
いるというのに、もういつまでも政府は面倒見ないぞと言い聞かされてリストラ覚悟させられて
いるというのに、上のほうの冗費はそのままというのではあんまりではないでしょうか。

 官僚がお国のために下働きで汗を流してくれてるのならがまんもするけど、公金横領をする官
僚は万事我が身優先、我が省、権益優先することに奔走する質の者であると見るのが辻褄あって
いる気もするし、それに立ち向かった真紀子が辞めさせられるというのをパチパチする方を各種
掲示板で見受けますが、そんな馬鹿なと思うれんだいこの方が間違っているのでしょうか。これ
いかに。


Re:真紀子問題についてフリートーキング。 投稿者:たけし ( 06/06 04:59:37 )
>  それにしても、熱しやすく醒めやすい我々は、>
>  官僚がお国のために下働きで汗を流してくれてるのならがまんもするけど、公金横領をする官
> 僚は万事我が身優先、我が省、権益優先することに奔走する質の者であると見るのが辻褄あって
> いる気もするし、それに立ち向かった真紀子が辞めさせられるというのをパチパチする方を各種
> 掲示板で見受けますが、そんな馬鹿なと思うれんだいこの方が間違っているのでしょうか。これ
> いかに。


森があまりにもノータリン首相で、小泉・真紀子があまりにも明解だった為に一気に支持率ア
ップしておりますが、小泉と真紀子はどうやら違う政治スタンスを持っているようです。タカ派
のような小泉ですが、案外小心者であり、真紀子はハト派のようで大胆に官僚組織に挑んでいる

 官僚は大臣の僕であります。よって真紀子はとことん世間のおばちゃん感覚で突き進むべし。
脇の甘さについては片目をつぶる所存です。
 真紀子は親父の血を受け継ぎ「民族自決主義者」でいくつもりか。ならばあたしも日本民族の
ひとりとして応援するしかないやんけ。
 アメリカ絶対主義に理をもって対抗できるのは日本しかないし、そのような日本にしたい。


Re:真紀子問題についてフリートーキング。 投稿者:れんだいこ ( 06/07 09:17:24 )
 たけしさん、ちわぁです。誰もレスつけないからやっぱ私がつけます。思うに、真紀子発言の
全体としての流れがつかめないけども、漏れ伝わる片言隻句からでもかなり外交しているなぁと
いう気がします。時代を見つめる眼を感じます。恐らく、各国外相間でのトークは有益なやり取
りが為されていたものと感じます。臆することなく自身の見解も交えて、英語を堪能にあやつり
頷き聞かせ、かなりの異能の片鱗を見せていたと思われます。

 残念ながら、こういうお仕事をすると、我が社会では袋たたきされるのですね。しかも、イン
テリ自認系から。あたかもおのれが出来ないことを誰かがやると嫉妬するかの心情さえ窺えます
。共同声明とかその他公的な取り決めで、「新しい」打ち合せを真紀子が独断で為したというの
なら、それは責任問題に発展する根拠もあると思いますが、今回そのような質のものだったので
しょうか。

 田中外相批判の連中の意見を見ていると、アメリカさんには奴隷の言葉で語り続けて行くのが
決まりだとか、あり得そうにもない「あらかじめ内閣での見解一致を取りつけ」るべきであり、
官僚作文の範囲内から出てはいけないとか、要するに旧態依然の墨守が一番という論調です。

 こうなったら、そういう意見の士に聞いてみたいのだけど、ではここ二、三十年間の外交でど
なたの外交が模範なのでしょう、ぜひ聞かせて欲しいところです。これほど非難轟々するからに
は、誰かの外交と比較してけしからんと云うのでなければ「為にする批判」でしかありません。
さて、そういう外交の士がいましたっけ。

 それにしても、マスコミがかように悪乗りするとは久しぶりの喧騒です。興味深いことは、又
もや各社論調ほぼ同じです。こんなことありかなぁとか思います。

> 小泉と真紀子はどうやら違う政治スタンスを持っているようです。タカ派のような小泉ですが、案外小心者であり、真紀子はハト派のようで大胆に官僚組織に挑んでいる。

 今のところギアが噛み合っていて良いですね。

>  官僚は大臣の僕であります。よって真紀子はとことん世間のおばちゃん感覚で突き進むべし。
> 脇の甘さについては片目をつぶる所存です。


 そうそう、新任ほやほやの時は暫らく見守るのが礼儀ではないかと思います。

> 真紀子は親父の血を受け継ぎ「民族自決主義者」でいくつもりか。ならばあたしも日本民族の
> ひとりとして応援するしかないやんけ。アメリカ絶対主義に理をもって対抗できるのは日本しかないし、そのような日本にしたい。


 そうですよね、アメリカの懐の深さは、議論の遣り取りを吸収できるところにあると思います
。我らが勝手に「ものいえば唇寂し」でお追従笑いしかしてはいけないなどと自己規制する必要
はないと思いますが、これ如何に。


れんさんへの意見メモ(ゴメン。当分これだけ) 投稿者:ヒゲ-戸田 <HOME> ( 05/09 09:13:21 )
 こちらも気になりながら遅れていました。
 丁寧な説明・論証まで行なう余裕がないため、順不同のメモ書き程度のものにならざるを得
ず、その分ぶっきらぼうで失礼な物言いになってしまう所が多々あると思いますが、どうか気
を悪くなされずに意のあるところを汲んで下さるようお願いします。
 また、当方にせっぱ詰まった課題が種々あるために(並びに「気軽に書き込めない戸田の性
格」上)、討論的書き込みをここしばらくは戸田の方からはできないことをご了承下さい。)
 それでは、以下に乱暴ながら意見を順不同メモ的に述べていきます。
========================================
1;公明党勢力への異様な甘さ〜地域大衆の前で左翼を実践していない限界

 @「体を張った言論」というれんさんの自負、半分は正しく半分は自分の主観のみ。
  たとえ「左翼度20%」しかない内容であっても、地域の大衆の前で素顔を晒してあれこれ
  の活動をしている人(共産党員)と、「左翼度100%」だとしても大衆の前で革命的左翼と
  しての言論活動実践をしてはいなくて、別の分野での言論活動している人との比較。
  権力・自民党・保守・創価学会公明党・俗物等々諸勢力の監視の前で「素顔を晒して」左
  翼としての実践をする事による現実の圧迫・緊張・あつれきと向きあっての言論であるか
  どうか。
 @れんさんが「創価学会のおばちゃんと談笑できる」のは、地域の創価学会公明党から見て
  れんさんは「革命的左翼」ではなく、単に「共産党にいつも文句言っている人」でしかな
  いからではないか。
   地域の創価学会公明党の目に見える形で左翼としての言論・実践、とりわけ地域大衆へ
  の働きかけ・組織化・運動展開をれんさんが行なっていたら、とても今のような地域の公
  明党勢力との「平和的関係」はできていないはず。
 @言論活動や思索もひとつの「実践」だとは思うし、それのみでも左翼として鋭い分析判断
  をなし得る(「実践」能力の多少とは別に)人もいるけれども、れんさんの場合必ずしもそ
  のようにはなっていないと思う。
 @「昨日まで友好的に対話できていた人」が、ひとたび「組織からの指示伝達」があった時
  にはコロッと態度を変えて相手の悪口デマを言いふらすまでになるのが創価学会公明党の
  実相。(共産党がやるよりはるかに低劣で品性に欠けるやりかた)
  れんさんはこれを体験していないから判っていないだけでなく、そういう情報はいくらで
  もあるのに、共産党憎しに捕らわれすぎてそれを見ようとしていないと思える。
 @公明党への判断根拠は近所の学会庶民との(左翼実践抜きの・緊張なしの)浅いつきあい
  (だと戸田は判断していますが・・)と公明党新聞や一般報道のみ。「言うだけならなんと
  でも言える」ことへの批判的観点なし。
  盗聴法へのすりより一つ見ても、どこが「堂々たる態度・風格」なのか?「公明党が賛成
  しなければ成立しなかった」悪法の数々を見据えるべき。
 @共産党の言い訳は見苦しいにしても、例の「謀略ビラ」等々へのきちんとした批判を持つ
  べきなのに、共産党憎しのあまりそれを忘れている。電脳キツネ目組HPの愛読を勧めま
  す。
 (公明党を引き合いに出したのは一例であって、国家権力・自民党勢力その他を軽視している
  わけではありません。)

2;共産党への過剰なこだわりと過大な評価

 @戸田は「共産党とは『異文化共生』、社会を良くすると言う点で共同できる所で共同すれば
  いい」、と割り切っています。
  例えば「解放の神学」と共闘しようという革命左翼が相手に宗教論争をふっかけたり、歴
  史論争をふっかけたりはしません。
  また、平和運動や盗聴法反対に参加している仏教のお坊さんに、宗教論争や歴史論争をふ
  っかけたりする左翼はいません。それと同じです。
 (不当懲罰に反対して共同してくれる共産党議員も見ているので若干言いにくいけれども)
 @新しい運動・新しい社会学・新しい哲学・新しい文学・新しい音楽・新しい表現・新しい
  芸術・・・・・が日本共産党勢力の中から生まれてくることは決してない。現に70年代
  からそうだし、現在も、今後もそうであることは、あそこの体質からして当然。
   従って社会を深部から揺り動かす力などないし、革命の中心勢力でもありえない。あり
  えない所に「中心勢力としての責任を求める」立場からあれこれ注文をつけてもしかたな
  いこと。(共産党当人の中心勢力としての自意識過剰は鼻につくとしても)
 (問題は「共産党を乗り越える」とか「真の革命勢力を・真の変革を」とか言って輩出した
  新左翼初め市民運動など様々な新興勢力がどれひとつとして成功してこなかった、共産党
  勢力の20分の1にもなっていないこと) 
 @斬新さはひとつもないけれども、ある意味で「愚直でガンコ」なのが共産党のいいところ。
  それが宮顕・不破体制の多大な問題を抱えてのことだとしても、4000人もの地方議会議員
  を輩出していること、反米帝反米軍意識の堅持、「共産党」という名称の堅持は日本での左
  翼革新陣営にとって大きなプラス。
  (左翼的流動化には全く役に立たずに敵対するけれども)少しでも右にブレた時には社
  会の右傾化にグンと弾みをつけてしまう存在、というのが共産党の特徴。(日の丸・君が代
  問題、自衛隊活用論問題に典型)
 @「自前の実践運動」なしに、100万遍共産党中央批判の言論を発しても現実を変える効果
  はない。言論で変えるとすれば一貫した革命思想・革命的社会観・哲学・組織論の提示が
  最低限不可欠であって、少なくとも「公明党にめちゃ甘」のような(何度も引き合いに出
  して済みませんが)ヤワな言論では革命左翼の立場で共産党を変革する方向で党員を動か
  す原動力にはなり得ない。
  (日本共産党に長らく在籍してきた人に「革命左翼の立場」を説いても無効、という面も
    一方で存在するけれども・・・・)
 @共産党とは「侵さず・侵されず」の割り切った関係でいくのがいいと思う。批判は具体的
  課題で対立した時や、節目節目の重要課題でしておけば十分。のべつまくなしの自前運動
  なしの批判は、だれの心も動かさないエネルギーの浪費だと思う。
 @「言うだけならなんとでも言える」は、れんさんにも当てはまるのであって、例えば日の
  丸・君が代問題で、れんさんは地域でどのように左翼としての有効な(共産党を凌駕する
  ような)実践ができるのか? それをやった上での批判なら実り多いものになるだろう。
 @左翼としての批判的言論活動を行なうならば、「オハコの」共産党批判の繰り返しではなく
  て、もっと対象を広げて(戸田からも要望を出してきましたが)思索をおこなうべき。
  「勝手知ったる所」ばかりを批判し続けるだけならば、ある種の知の退廃ではなかろうか?

3;自前で実践し変革勢力を造っていくことこそ重要。それとネット言論の関係
 (だいぶ手間取ってしまいました。もう時間がないのではしょります。〜以下は後日)


Re:読ませていただきました。 投稿者:れんだいこ ( 05/09 18:58:14 )
 忙しい中、戸田さんのまま思い切ったご意見ありがとうございます。私の意見をつければ少し論争になるところがありますが、いまは控えてむしろ他の方かられんだいこを叱責していただけたらとか思います。

 私としては恐らく暫く私のポーズは代わらない、変えようが難しいと思うので、この与えられた状況の中で生産的なこと(と私が考えているだけかも知れませんが、意味ありそうな)をしていきたいとか考えています。とりあえず簡略レスです。みなさま、ひょっとして固唾を飲んで見守ろうというのではないでしょうねぇ、それはあかんよ。


いでよ人材! 投稿者:ひまた ( 05/09 19:31:45 )
ひらかれた言論というのはとても良いものなのだけれども、この掲示板ではかなめの役者が何人か不足しているような気がする。

まだ見ぬ役者のひとりは公明党創価学会の論客でありもうひとりは筋金入りの日本共産党員。

ほぅ、両組織ともに全国に数千人の地方議員を抱える大所帯なのか。ぎょうさん議員さんがおられるのではないか、そのブレイン・スタッフを含めてとなるとこれは論客の数は総計ン万人ではきかないのではないか?ま〜さか人材不足とゆうことはあるまい。

ならば門真から・・・とは言わない大阪でも全国どこからでもかまわないそれから匿名でもかまわない。(ですよね?)ここでいっちょう戸田ひさよしあるいはれんだいこを言論をもってぶったぎってやろうというこころざしたかき人材はおらぬものか・・・と、私は言いたい。

ほんまにマジで一人もおらんのか?

すくなくとも、「あんたは言い過ぎ、無責任」云々のともすれば市民参加&ひらかれた論議に水を差すような、そういう発想はちょっと残念だなぁ、と私は思いますです。はい。

れんだいこ翁の最大の「欠点」は議論する相手が見つからないことなのよ。

怒れ、真摯なる若き共産党員!いでよ、公明党創価学会の隠れたる人材!
(なんなら私が匿名でいっぱつやってやろうか?<笑>)



Re:理論の重要性について 。 投稿者:れんだいこ ( 05/22 21:18:32 )
 戸田さんの本音での私に対する疑問に対して、私も本音でお答えいたします。私の云いたいことがようやく見えて参りました。戸田さんと私の間には、理論についての格別の重要性の認識で違いがあるように思われます。私の一連の共産党批判を、「憎しなあまりの共産党へのストーカ
ー的行為」から為せるものと認識しておられるようですが、違う。

 共産党がその名の示す通り、左バネからの体制批判(理念的)と個々の政策批判(具体的)を行うことで、その社会の歴史的進歩に寄与する政党としての意義が認められているとするならば、共産党はその識見を失ってはならない、そこがかの党の生命線ではないかなと思う。

 これを逆から云えば、批判に終始する立場にあるこの党の「批判の刃」が錆び付いているのなら、この党はただの無駄飯食いに過ぎない。なぜなら「責任と実行」の任に就いていないから。批判者の置かれている立場はそれほどに無用と有用の谷間にいるのであり、厳しい責任が問われている。いわゆる評論家の存在意義と同じで、原典ないしその執筆者を批評する眼がうざい評論家は存在するに足らない。左様な評論はなくても一向に構わぬ、つべこべ言わずに原典読んだ方が為になるから。

 そういう風に考えるから、私の共産党に対するウオッチはエエカゲンなところで手打ちできない。批判政党足りえているかを凝視することになる。漠然と社会の方向性での共感とかたまたまの政策での一致だとか何でもかんでも「民主的」と冠つければ事足りるとかいう風にはならない。ここらあたりを曖昧にしたままとにかく目に見える形での実践が大事というのはオカシイとさえ思う。それは単に理論軽視であり、そういう弱視運動で事が首尾よく運ぶことはないとさえ思う。むしろ、今日の体たらくは、明日に繋がらないその場限りの実践でお茶を濁し、誰も運動成果に対して責任を取ろうとしてこなかった単なるアリバイ運動の結果ではないかと見ている。付言すれば、意識的にこの方向へ運動が流されてきていると見る。

 闘いには「錦の御旗」がいる。これを証する古今東西の例には事欠かない。なぜそうなのかと考えると、人間の頭脳というものがそういうものを欲求するレベルになっており、「錦の御旗」無くしては更なる実践に踏み出せないという事実があり、この事実をそのまま受け入れた方が賢明と思う。これなくしてはエネルギーが沸いてこない、逆から云えば、これがあれば自ずと創意工夫と戦闘性が生まれる。我々の頭脳はそういう仕掛けになっており、これをなぜと問うのはその道の専門家に任せて、我々はその事実を単に踏まえて出発すれば良いと思う。

 私が現共産党中央を批判し続けるのは、真っ当な「錦の御旗」を持ち合わせておらず、否むしろきわめて「変調な旗」を「錦の御旗」に見せかけてエセ運動していると考えるからである。例えて云えばメッキである。ホンモノではないということである。今や、メッキでない「錦の御旗」の再構築の時機ではないかと思う。右派系論調を検閲思想で退けようとするのではなく、切磋琢磨で切り結びあわねばならない。当然のことながら左派間論争しかり、党内反対派の許容と論争も然りです。今、我々に欠けているのはこの態度であり、この状態でいくら「らしき運動」を続けても良い実は結ばれない。付言すれば、ここも意識的に逆方向へ運動が流されてきていると見る。

 こうした認識を獲得するのも実践であり、あるいはそれを暴いて世間に問うことも、それ自体きわめて実践的であると私は思う。なぜなら、今ここが大きく失われており、最大の障害になっているにも関わらず大衆的合意が得られていない点であるから。この認識へ替えるだけで、下手な運動のあれこれよりも数十倍、百倍の成果がもたらされると考える。

 だが、大勢の見方は、即物的な実践活動をして実践と云い為し、理論的な活動に対してはそれとしての意義を見出していないようだ。私に言わせれば、人間というものの正体を知らなさ過ぎる。理論の軽視は、機械論的な唯物論見地であって、弁証法的な認識ではない。対外行動と組織
変革とそれぞれの脳内検証はいずれも実践であり、常に三位一体ではなかろうか。

 以上から導き出される結論は、れんだいこは非生産的な「共産党へのストーカー的批評」を繰り返しているのではなく、きわめて有意義な実践活動をしているということになる。未だ理論活動の下地の地ならしではあるが、その意義は高い。

 こういうことを私の口から弁明して自己提灯するよりも、本来誰かが私に代わってこう述べて欲しいところでもある。誰も云ってくれないから自分で云わねばならないことになった。しかしなんだかまるでタコが自分の足を食っているような気がする。


れんさん意見への戸田の感想と意見 投稿者:ヒゲ-戸田 ( 05/27 09:26:26 )
 例によっての亀レスです。
>私の一連の共産党批判を、「憎しなあまりの共産党へのストーカー的行為」から為せるものと>認識しておられるようですが、違う。
・この点は戸田の認識がズレていたようです。れんさんの意見を読んでよく分かりました。

>戸田さんと私の間には、理論についての格別の重要性の認識で違いがあるように思われます。

◎これは「まさに然り」でありますが、同時に単純ではない問題も含んでいます。
 「革命理論なくして革命運動なし」、「理論と実践の相互関係」・・・はある種「永遠の論争 テーマ」でもあると思います。 「理論の正しさは何によって検証されるのか」、「革命希求集団の量と質の関係」などなど ・・「理論軽視が日本の左翼の弱点」、という指摘も基本的にはその通りだと思いますが、 同時に、「理論」を振りかざして自己正当化・他者攻撃を図ってきた歴史の総括も必要だと感じます。

  戸田が「革命的理論」を述べる人物や組織を判断する材料は、「どういう実践行動を行な っているか」と「どこからカネを得ているか」、そして「革命的感性としてどうであるか」 です。  「言論・思索」も「実践」のひとつであることを断固として認めつつ、「実践行動」による 裏打ち、検証が不可欠であると考えます。(「革命的感性」については話がややこしくなりそうなのでここでは省略。)

◎戸田と同様、れんさんも少しづつ持論の整理と書き込みをされるので、そのうち明らかにして もらえることだと思って気長に待ちますが、戸田が問題提起したものとしては、
@;「地域大衆に顔をさらさない、実践行動なき左翼理論家」としての限界が、公明党・創価学 会勢力への見方の甘さ(=現実社会への批判理論としての不十分性)につながっているのでは ないか。
A;れんさんは現在の公明党・創価学会勢力をどのようなものとして認識しているのか。(当初は共産党への批判的揶揄として「公明党の方がずっとましだ」と言っているものと思っていましたが、どうもそうではなくて本気で「堂々たる風格」の勢力と評価されているようなので驚いた次第です。戸田の同勢力についての評価はすでに述べています。通俗小市民的な「反学会感情」で言っているのではないことはお分かりいただけると思います。)
B;「現実社会変革のための批判理論」の展開にあたって、なぜ「日本共産党批判への圧倒的力 量集中」の形を取るのか? それほど共産党を「社会変革の重心」と捉えるにも等しい方法論に妥当性と有効性はあるか? あるとすればその理由はなにか?

  ・・・・・・・・というような所です。
@戸田としては「極小なりといえども自前の運動展開」を行ないつつ、広く「変革指向の諸勢力 (当然共産党もその一部として含む)」の協同(理論闘争や論争も含みますが)を進めていく ことが何よりも必要なことだと考えており、共産党批判を継続することで何かが変わるとは考えていません。
 
@日本共産党については、「国民主義的・議会主義的左翼勢力」として大変有意義で貴重な勢力だと評価しています。現在の国民の成熟度合いからして「共産党が伸びて=日本が良くなる」という図式は通用しないと思いますが、共産党に変わるこれというしっかりとした左翼勢力が 存在しない以上、「共産党が減れば(減るだけでは)日本の政治は確実に悪くなる」と考えます。まあ、「革命的感性」からは最も遠いところにある人達の集団でもあり、革命的激動を促進することは決してあり得ないけれども、改革・改良のためには大切な政治勢力だと思います。(関係者には失礼しますが・・)
        とりあえず以上です。この話題での次の書き込みは6月中旬以降でしょう。


Re:まだ煮詰まらないので私も少し間をとります。 投稿者:れんだいこ ( 05/27 10:41:21 )
 戸田さん、忙しい中ご苦労さんです。かなり即答ではいけないような中身になっていますので少し間を取ります。できれば、本掲示板立ち入り者の皆さんの多様な意見を聞かせてもらいたいです。これは今時代の渦中にある議論でして意味があると思います。後付けならいくらでも誰でも出来ます。そういう習性を打破したいと思います。杳として分からないからこそ意義があると考えています。左派の退潮傾向の総括と打開へ向けての認識のすり合わせというのがテーマになっているように思います。確かに現役の共産党員、公明党員さん、市民派の皆さんの意見も聞いてみたいところです。議論になるのか罵倒になるのか分かりませんが、面白いというか興趣があります。覚束ないながら、れんだいこも参戦します。あれっ既に当事者なんかいな。

「さざ波通信」の見解にはれんさんとの共通部分ありますが・・ 投稿者:ヒゲ-戸田 ( 05/29 17:26:46 )
 「さざ波通信」編集部の見解を紹介します。
http://www.linkclub.or.jp/~sazan-tu/
2,今の共産党の一番良いところは何ですか。また、悪いところはなんですか。

 現在、議会に議席を持っている政党の中では、共産党は一番まともであり、資本から財政的に独立し、その綱領の中で、不十分ながら革命的路線を維持しています。また、共産党は、強力な大衆的基盤を保持しており、一握りのセクト集団ではありません。綱領で革命をうたいつつ、なお数百万票を獲得する大衆政党でありつづけているということは、歴史的な財産であり、この財産を無視して、あるいは、これの打倒や解体を目指して、日本社会を進歩的な方向で変革しようとすることは、反動的ユートピアです。

 しかしながら、現在の共産党は、長年にわたる指導部の半独裁的統治、指導部に対する無批判的崇拝のせいで、末端党員の民主主義的権利や民主主義的統治能力は最低限に押さえられています。

 昨年の第22回党大会で、ただでさえほとんど権利の保障されていなかった規約がさらに改悪され、権利はいっそう切り縮められました。21世紀という新しい世紀において、19世紀の社会主義政党よりも貧困な党内民主主義しか持たない政党が、社会の新しい流れをつくりだすことはできないでしょう。どんな貴重で豊かな財産でも、愚かな管理人のせいで散財され、腐らされることはあります。それを許さないことこそが、すべての党員の責務です。
    (前後略)
 ======================================
 れんさんとの共通点が多いと思います。戸田としては、共産党への評価のかなりの部分には同意しつつも、「今の共産党を正しく批判して立て直せば、共産党は日本革命の中核部分足り得るはず」という期待を持つか持たないかが、決定的に違う所です。まあ、「それなりに頼りになる部分もある友人」と「生涯を共にする伴侶に値する人」との評価の違いみたいなものかもしれません。


Re:戸田さんの例えはうまいですねぇ。 投稿者:れんだいこ ( 05/29 21:06:12 )

 そういえば、さざなみ通信にはぶさたしています。またちょこっと顔出そうかとかなつかしくなりました。でも、れんだいこが引いてて却って良かった、あれから赤旗との一騒動がありましたが、私の論調では余計迷惑かけたかもしれんとか、いやそんなことはないとか考えたりします。それはこちらの掲示板にも同じな気分になることもあるので困ります。みなさん、もっと自由に使ってよね。

 考えてみれば、みんなちょこっとづつ立場が違いますねぇ。そこが面白いといってはなんですがやはり面白いところです。しかし、左派はこの違いを認めてなんで統一戦線化できないのかなぁとか、そりゃぁ私も考えるのですよ。その前にここは譲れないとか云いだしたらお定まりの分裂罵詈コースになる訳で、かといって譲れない線もある訳で、なんて考え始めたら堂堂巡りになってしまいますね。てなことでまた。






(私論.私見)