ヒゲ虎時事評論16 |
科学的を重んじる党の分析と公明党のそれについて 投稿者:れんだいこ ( 03/05 22:03:10 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)
2001年3月5日(月)「しんぶん赤旗」は、都城市で3氏全員当選 地方選前回比2議席
増の見出しで以下、次のように記事している。
四日投・開票された中間地方議員選挙で、日本共産党から立候補した二市三町の八氏(現五、
前一、新二)のうち五市町の七氏が当選しました。今週は、沖縄県具志川村の無投票当選をふく
め前回比、改選時比ともに二増でした。宮崎県都城市では、現職二人と新人の計三氏が当選、現
有三議席を確保しました。熊本県菊池市(定数二減)では、現職が五期目の当選を果たしました
。沖縄県本部町では、前職が当選、議席を回復しました。以下、云々。
日本共産党の当落は次のとおり。(当落とあるから当選、落選を印すのかと思うと以下の通り
)
◇熊本県菊池市20―24 当 甲斐 健彦71現
◇宮崎県都城市32―39 当 来住 一人55現
当 本田 和夫45現
当 岩切 正一57新
以下、云々。
ところで、資料は違うが、これが公明党になると次のようになる。
2.25日(日)投開票が行われた大分市議選(定数四十八)で、公明は六氏が全員当選、同
じく岐阜県各務原(かかみがはら)市議選(定数三十)でも公明三氏が全員当選を果たした。二
市とも過去最高得票で、いずれも一議席増の大勝利を飾った。
<大分市>
大分市議選で、公明党は現職の藤本速雄(56)、後藤一裕(53)、油布忠(54)、渡部
義美(52)、衛藤三男(51)と、新人の吉岡美智子(47)の六氏が見事、全員当選を果た
し、一議席増の過去最高議席を獲得した。投票率が過去最低だったのにもかかわらず、公明六氏
の得票はこれまでの最高得票を四千七百七十二票も上回った。
公明が初めて六議席に挑んだ同市議選には、有力新人を含む五十五人が出馬。公明は他陣営か
ら激しい切り崩しを受けるなど緊迫した情勢の中、党員・支持者の怒濤(どとう)の攻勢で逆転
・完勝を果たした。公明六氏の得票合計は過去最高の二万七千五百七十一票。前回選挙より八千
七十一票増やした。
一方、共産党は二千六十四票、社民党は千三百六十八票、自民党は一万二千四十八票の得票減
。社民党は改選前議席から二議席減、自民党は推薦を含めて同じく一議席を減らした。
当選者の党派別内訳は、公明六のほか、自民十四、社民九、民主一、共産四、無所属十四(前
回は公明五、自民十七、社民十、共産四、無所属十二)。当日有権者数は三十三万四千八百三十
五人。投票率は六三・八五%。
公明六氏の得票数(小数点以下は切り捨て)と当選順位(○内の数字)は次の通り。
吉岡美智子 四九五一 (8)
衛藤三男 四七三〇 (10)
油布 忠 四六〇六 (14)
渡部義美 四五二一 (16)
後藤一裕 四三九一 (20)
藤本速雄 四三七二 (21)
さて、以上から伺えることは、「科学的」論者の選挙分析が杜撰なもので、科学的論者が観念
論呼ばわりする宗教系政党の分析がかなり精緻に具体的だということである。こうなると、「科
学的」論者に科学のええ加減性について講釈してもらわないと、辻褄が合わない気がするのは私
一人だろうか。
Re:赤旗記事のこの気持ち悪さよ。 投稿者:れんだいこ ( 03/06 20:46:34 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)
2001年3月6日(火)「しんぶん赤旗」が、「軍法会議につなげて」審問委前に不明者の
家族が会見、記事を載せている。どこかで誰かが指摘していたが、この「審問委」というのは一
体なんのこっちゃ。
(前略)米海軍の審問委員会を前に、現地入りしている行方不明者の家族六人が会見し、「百
パーセント真実を明らかにしてほしい」「必ず軍法会議につながるよう希望する」などと、募る
思いを訴えました。軍法会議開催は査問会議の結果を受けた中では、最も重いもので、ここで軍
の刑事裁判手続きが行われます。
これ教えて欲しいのだけど、「米海軍の審問委員会」と「軍法会議開催は査問会議の結果云々
」にある査問会議と違うのですか。同じ事を言い換えているのでしょうか。赤旗は、なぜかよう
な使い分けをされるのでしょうね、意識的にやっていることを思えば気持ちが悪い。
ついでにもう一つ気持ち悪いのを以下記す。全学連大会終わる 討論から 学びたい要求いっ
ぱい でも大学はこたえてくれない、記事が載っている。少しコメントしておく。「学びたい要
求いっぱい でも大学はこたえてくれない」という内容が見出しに載るということは、ここが大
会決議の一番のポイントだったということだろう。
一体全体、全学連大会は、いつからこんな軟弱な運動になったのかいな。勉強できないのは大
学のセイだとはよく言うわ。それもあるだろうが、内省が感じられないし、発想がおかしい。自
己エゴから出発させて、ああして欲しいこうして欲しい、そうしてくれない大学が悪い社会が悪
い論は、こんなのは学生運動の歴史に対する面汚しでしかない。
単純に云ってこう云える。大学の授業料値上げ反対闘争があった。大学当局も心得ていて新入
生から値上げする方針で作成する。自己エゴからいけば、自分達は不利益受けず、当面は関係な
い話でしかない。それでも紛争が起こった。なぜなら、教育の機会均等を奪うものである、我々
だけが良ければよいというのではいけない、歴史に対する責任として値上げに抗議するというの
が闘争派のメンタリティーにあったと思う。そしてそういう人士がたくさんいた。ベトナム戦争
反対運動も然りである。日本は朝鮮戦争に続いて経済特需に潤っていた。でも、当時の学生は義
憤した。アメリカ軍のベトナム民族ジェノサイド攻撃に、我がことのように起ちあがり反米闘争
に向かった。これらのことは、自己エゴとは無縁のところの闘いであり、それが青年運動の学生
運動の良さでもあったのではなかろうか。
それを思えば、この「全学連」の主張は何なんだろう。暫く耳を傾けると、「学び交流したい
」という学生の願いにこたえたさまざまなとりくみの経験が語られました、とある。「自分の生
き方や学び方を考える企画をひろげよう」とよびかけました、とある。「いまの大学は『学びた
い』という学生の思いにこたえていないし、その背景には高学費や就職難、国立大学の独立行政
法人化などの問題があることが見えてきた」と語りました、とある。「学校生活のことや入学の
初心を語り合いたい」という会員の声をもとに「しゃべり場」を開催。そこで出された「学校内
にベンチが少ない」との意見をもとに、ベンチ設置運動をはじめ、学生にベンチのデザインコン
ペへの参加をよびかけています、とある。
一見して、学生は学生としての分際をわきまえて、学生らしい運動の範囲で、学生らしい取り
組みをするよう指導されているのが分かる。もはやお坊ちゃんお嬢ちゃんなぞいないのに、その
種の運動のタガに入れられているのが分かる。一般学生が大衆視され、何も分からない大衆に何
かを教えてやろうとしている気持ちの悪い合いの手が見える。
おらぁこんな町嫌だぁと東京さ出て行った吉幾三の歌が聞こえてきそうな気がするのは私だけ
だろうか。
Re:氷嚢代も高くつくんだわ。 投稿者:れんだいこ ( 03/07 20:06:32 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)2001年3月7日(水)「しんぶん赤旗」は、「国民を欺く『すり替え』」不信任案否決、
公明など与党を批判 マスコミ各紙、なる記事を掲載している。まことに面白い表現を多用して
いるので、これを抽出する。
六日付のマスコミ各紙社説が、自公保与党の“森降ろし”コールと不信任案否決という言動の
矛盾をついて、「国民を欺く『すり替え』だ」、「ご都合主義」だ、「おかしな理屈」、「身勝
手な戦略」、「奇弁をろうした」、「これらの言葉と、不信任案に反対という行動の整合性をど
う説明するのだろうか」、「手前勝手そのものだ」「もっと筋の通った対応をすべきだ」と、批
判したとある。
これらのことから言えることは、党中央は、「欺く」、「すり替え」、「ご都合主義」、「お
かしな理屈」、「身勝手」、「詭弁をろうする」、「整合性」、「手前勝手」、「筋を通す」と
いう意味について自覚していることが窺える。
でもって、常々れんだいこが指摘しているように、党中央の性癖はまさにこれらの言葉が相応
しい悪事を積み重ねてきている。その例証には事欠かない。ということは、党中央は、これらの
悪事を確信犯として行っているということになる。おのれの姿を写し絵にして人を誹謗するとは
、よくある手ではあるが、万一自覚が無ければ病膏肓ということになる。さて、党中央は確信犯
だろうか、病膏肓なのだろうか。
もう一つ、馬鹿馬鹿しい限りの記事を載せている。「共産党が株価支えてくれる感じ」
テレビ東京系番組 志位委員長会見に注目、なる記事を載せている。これにコメントつける。
このところの株価落ちに対して、志位が「危機感をあらわ」にして、「この事態を正面からど
う打開していくかということについて、われわれの対案も示して、おおいに論戦をしていきたい
」と述べた。この会見内容についてアナウンサーが「森総理、現状認識の点では、志位さんの方
がひょっとするとマーケットに近いかもしれません」とコメントされ、テレビ東京解説委員長の
内山敏夫氏は「すごかったですねぇ」「共産党が株価を支えてくれるかっていう感じでしたねぇ
」と感想を語りました、なる記事を得々調で載せている。
あぁまた氷嚢が欲しくなったけれども、こうたびたびだと氷代も高くつくんだわ。リストラ嵐
とか年間自殺者が交通事故死を上回っている事態とか、今や青息吐息の零細事業者の悲鳴とかに
は「危機感をあらわ」にしたことがかってない志位が、株価にご心配って、この人一体どこの人
なんかなぁ。
Re:党中央の逃げ逃げ鉄砲打ち姿勢について。 投稿者:れんだいこ ( 03/08 17:44:10 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)
2001年3月8日(木)「しんぶん赤旗」に、歴史わい曲教科書反対 日本共産党や市民の
活動 韓国のテレビが紹介、なる記事が掲載されている。これにコメントつける。
概要、「新しい歴史教科書をつくる会」の歴史教科書に対して、韓国のテレビ局・文化放送(
MBC)の時事番組「PD手帳」で、日本の侵略戦争や朝鮮への植民地支配を正当化するもので
あると批判した。番組では、仙台市の例から「つくる会」と「日本会議」、自民党議員が「三位
一体」となって、歴史をわい曲した教科書の普及を狙っているとするとともに、町村文部科学相
が国会で現行教科書の“偏向”を公言していることをあげ、政府と自民党の圧力のもとで歴史教
科書のわい曲が進んでいると指摘しました。番組は宣伝物の現物を見せながら請願の狙いを説明
する正木市議の姿を紹介し、「日本会議」が請願を出したものの、野党市議や教員労組、市民団
体らの活発な活動で請願が取り下げられた経緯を紹介しました、とある。
私の学生時代は、家永教科書訴訟があり、これはいわば「左」(というほどのものではないの
だが)からの社会問題であった。あれから30年、今や「右」(というほどのものかどうか分か
らないが)からの社会問題となりつつある。そして、あいも変わらず反対、反対でお茶を濁して
いる党中央の姿勢が見える。
せんだって、あたみぃさんも云っていたと思うが、ならばこういう記述が良いのではないかと
「左」からの模範的歴史教科書つくって叩き台にして見たらどうなんだ。新自由主義者からは提
供されているのに。そして、摺りあわせして見たら良いのではないのか。やる気になればそんな
難しい話でもなかろう。
ところが、そういう自ら体張って試案を出すことをしない。そして、いつも横から後ろから空
鉄砲撃つ。いつのまにか「左」からであつたものが「右」からの攻撃にさらされ、防戦に追われ
ている。
しかしそれを云えば党中央のやり方は一事万事がそうではなかろうか。一番笑わせらられたの
は、確か皇太后の逝去に参列して、君が代斉唱のときに不破は起立唱和しなかったことである。
ここが共産党の他の野党と違うところだと胸を張っていたが、ええ加減にして欲しい。行くなら
歌え、歌いたくないなら行くな、半端なことするな。そういうぬるぬる得々話法が私は気持ち悪
くて仕方ないのだが、みなさんはそうでもないのかな。
最近よく外国通信の共産党評価論を載せるけど、これってどういう意味なんだろうね。何も海
外から評価貰わなくたって、国内ジャーナルのそれから引用すれば良いのにね。そうか、そうい
う記事がめっきり減ってきたということなんかいな。それとも伝統的な箔付けイデオロギーが変
種化して、そういう作法が改まらないのかな。
しかし、こんな馬鹿指導部では闘えないだろう。党員は都議選、参院選に向けて更に鞭打たれ
ているようだが、国民の支持が得られないのは情況に迫っていない党の方針が変調のせいではな
いのかという当然の疑問には向かわせられずに、やれ自民党が必死だとか、公明党はきたないだ
とか、マスコミは民主党を持ち上げすぎているとか、おねだり的な言い訳論理で丸め込まれてい
るようだ。一度どういう条件が揃えば勝てるようになると思っているのか志位に聞いて見たくな
るな。
Re:「惻隠の情」が分からない連中は逝ってよし。 投稿者:れんだいこ ( 03/11 10:58:19 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)
森首相が事実上の退陣表明した。天然愛嬌人士で人柄は良かったと思われるが、所詮一国を預
かる首相の器ではなかったことが一連の失態を生み、かくなったものと拝察する。官房長官・福
田が「辞意表明ではない」と強調したのはいただけない。「職責を全うする」との弁で押し切る
べきだろう。それを受けての公明党の神埼の対応が原則的であり、キレル人だと見た。
さて、野党の対応はというとこれがまた情けない。どの党も社共運動の定型句を新調して声明
していた。よりによって志位が二枚舌論理であるなどと批判していたが馬鹿馬鹿しい限りだ。政
治の世界で、共産党以上の二枚舌論理を弄ぶ連中を私は知らない。そうか、自分達は三枚舌だか
ら、相手の二枚舌がよく見えるということか。
民主党と自由党が政権政党を目指しているのなら、社共論理に引きずられてはいけない。こう
いう場合は、我々日本人のメンタリティーとして「惻隠の情」を見せねばならない。時局に空白
は許されないので早急の後継者が選ばれることを期待するが、密室誕生劇は見たくない、我々は
いつでも政権を担う意思がある。自民党はこのあたりで一度下野していただいたらどうか、と述
べるほうが我々に訴えるものがある。
さて、れんだいこが予見しておくが、いよいよ衆参同時選挙の公算が強いと見る。自民党が総
裁選出劇で民主氏集中制を発揮すれば、さすがに自民党と評価を得、勝算の可能性が大と見る。
民主党は相変わらずフォローの風が吹いているが、この間指をくわえて見ているだけでは失望が
生まれると見る。自由党は今こそコーディネーターにならねば埋もれると見る。
社会党は戦後民主主義の頑固な擁護で訴えれば、支持は多いと見る。なし崩しの現況にあるが
、この線は市民論理で再生されねばならないと考える。これをやり切るならタイムリーと見る。
共産党は党中央の化けの皮がいつはがれるかの時間の問題となった。この連中は要らない。党員
が追い出す能力を持っているのか、新党結成以外に無いのか、そろそろ見極める頃合になってき
た気がする。
れんだいこは、以上のように政局を見ている。話を元に戻して、新総裁、新首相は誰になりそ
うか。小泉か野中か橋本かに絞られつつあるが、小泉は全く未知数でキャリアからしてみても変
調ではある。山崎・加藤・真紀子の線は浮上しないのか、河野・高村は駄目なのか、さてまたと
んでもハツプンがあるのか、なんてたって自民党こそ一番面白い。なぜなら、キレイ事でない政
治の実態がここには露呈されるから
Re:自民党の振り見る前に我が振りを恥じよ。 投稿者:れんだいこ ( 03/12 16:12:19 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)2001年3月11日(日)「しんぶん赤旗」に、“森降ろし”迷走 党略に党略重ね、また
も“密室会談”で乗り切り図る、なる記事が載っている。以下、コメントつける。
森喜朗首相が“辞意表明するのではないか”とマスコミの注目をあびた自民党五役との会談は
、総裁選前倒しで合意したものの、首相は「退陣」を口にしませんでした。外向けには「続投」
ポーズ、与党向けには「退陣」表明――二枚舌の使い分けで、国民の批判をかわそうというこそ
くな手段です。「森降ろし」は迷走を続けています。
あのぅですねぇ、正式にはこういう場合は二枚舌とは云わない。事実上の退陣声明であり、「
惻隠の情」をもって受け取るのが普通の感性なの。外向けに続投ポーズを執るのは、政治の継続
上当たり前なの。なんでもかんでも批判しようとする志位よ、お前の場合はどうなるのか見届け
るから、その時の弁明今から考えておくようにとご忠言申し上げておこ。
森首相がなんらかの「態度表明」をしない限り、十三日の自民党大会は乗り切れない。「退陣
」を迫った自民党執行部にはこんな思惑もありました。国会での表決という「政党、政治家にと
って最も責任ある態度表明」(日本共産党の志位和夫委員長)では、「信任」しておきながら、
その後に党略的な思惑で引き降ろしをはかるとはまったく矛盾した態度で、「党略を国会の上に
おくもの」(同)にほかなりません、とある。
どこが矛盾しているのかな。流れがそうなっただけで、「党略を国会の上におくもの」という
のなら、一体どうせっちゅうじゃ。
とにかく森首相に、「辞意表明」と受け取られるような発言をしてもらって、当座をしのごう
というのが、この日の“密室会談”の真相でした。密室で生まれた森政権の末路もまた国民と無
縁の密室で決められました、とある。
いつか云おうと思っていたが、自民党内の動きを“密室会談”呼ばわりするのなら、お前のと
この動きはどうやっちゅんじゃ。私が付けてあげよう、“奥の院会談”うーーーんというより、
“ダッチロール会談”というより“誰も責任取らない会談”というより、昔は宮顕の一声会談、
今は不破の一声、目下志位のひと声で会談にもならないのに、よそ様のことをよくいえるよなぁ
。
自民総裁選を前倒し 森首相「退陣」は言及せず 党5役と会談、記事も載っている。概要、
森喜朗首相は十日夜、自民党五役と会談し、「九月の総裁選を繰り上げ実施したい。時期、方法
について今後協議したい」と表明しました。与党・公明党の神崎武法代表は「事実上の辞意表明
と受けとめている」とのべました、とある。
この国難時を踏まえ、自らの出馬はないことを言明した上で、後継レースに向かうよう声明し
た態度は、さすがに自民党であって、他の野党にはそれだけの器量も無かろう。それが証拠に、
民主党も自由党も旧社会党も後継争いの真似事さえできないではないか。
志位よ、お前のところはもっとひどい。一体宮顕が何十年、不破もしかりで居座り続けてきた
のか。その選出過程も、人が聞いたら唖然とする専制ぶりではないのか。それを思えばよそ様の
お粗末を指摘する以前の話でしょうが。しかしなんだな、こういう変調がそのままにされてよく
ぞまぁ数十年にわたって政権与党批判がやれてきたことだわ。そのことに唖然、憤然、感嘆する
わ。
Re:森プッツンは森のほうが正しい。 投稿者:れんだいこ ( 03/13 20:38:26 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)さて、自民党は粛々と継投首相選出過程に入った。奇妙なことに水面下から未だ頭が見えてこ
ない。森が死に体というより自民党自体が死に体であるということが分かる。もう一つ奇妙なこ
とは、水面上に浮上するであろう候補者に政策綱領が無きまま選出されそうな様子であることで
ある。これも自民党自体が死に体であるということを物語る。
一つ興味深いことは、自民党の総裁選出選挙の様子である。現行規定要領に対して異議がなさ
れ、平党員の一票の重みをもっと斟酌すべきとの要望が為されているようである。どう決着する
のかは別として、私はこういう遣り取りができるということに関して自民党を評価している。こ
の連中は、サル族の末裔が政治をやっていることを知っており、その限りでむしろ民主主義的な
あり方に拘りを見せている。今、執行部に対して、自民党以外にこれだけのことを云える党があ
るのだろうか。
民主党の場合、せんだって鳩山党首と横路副党首が憲法問題で抜き差しなら無い見解の違いを
見せた。民主党内はその後喧喧諤諤しているだろうか。むしろ、蓋をしたまま党利党略的に押さ
え込んでいるのではなかろうか。私が云いたいことは、執行部の権限と責任の在り方について、
この党も理論的に解明しえていないのではなかろうかに思われるということである。民主党の場
合、寄り合い所帯的な良さと、自民党に代わる受け皿として政権担当能力を持つ政党であること
をアッピールして、自民党が陥っている利権腐敗との訣別から始めることでのみ一致させれば、
国民的期待がもっと集まり、好さが生まれるとも思うが。
自由党の場合、今こそ小沢流日本改革案を呈示して経済再建本命党としてアピールすればよい
のに。実際にやっていることが憲法改正運動だとしたら、こりゃぁあかんわ。辻説法5万回精神
棒でおわえまわしてやろうかとも思う。しかし今この時、小沢が、「救国8策」掲げて踊り出て
くれんと、寂しいですがね。
さてさて頭が痛いのはここ共産党です。最近分かってきたのは、この党は知られるに連れて恥
じ掻きし続けていくのではなかろうか。志位が二枚舌といいなしたことがマスコミ受けしている
ようであるが、これはマスコミがぼんくらだからそうなる。少し考えたら分かりそうなものだが
、森は後継首相をつくらないまま退陣するわけにはいかない。そんなことしてみろ、無責任首相
としてもっと非難され政治史に刻印されるだろう。従って、前倒し要請は極めて正解であり、こ
れを二枚舌などというのなら、もう一度言う一体どうせっちゅうや。
ついでに云っておくと、総理総裁が密室から生み出されていけないのなら、どこから生み出さ
れるべきだろうかとも思う。子供は寝室から、大事な話は鶴首会議から生み出されるというのは
当たり前のことである。問題は、その後の機関決定の仕方であろう。森はしかるべき手続きと手
順を踏んで嫡出子として首相となった。これに批判する党首がいたら、おのれの場合はどうであ
ったか明らかにする義務がある。まさか白紙で臨んで党大会でいきなり選出されたのかよ、そん
なことがあるわけないだろう。特に志位よ、君の場合はどういう風にして選出されたのか、全過
程を明らかにして釈明して見せてくれ。それからマスコミよ、総理総裁はどのようにして生み出
されるべきかあなたがたのオモチャの考えをレクチャーしてくれ。
さぁておしまいの話。青木裁定がどうでるかだ。誰に矢を当てるのだろうね。それから衆参同
日選挙となる。一変に変わるかも知れないし、変わらないかも知れない。しかし、面白くはなっ
てきた。私のお願いは、どうか処方箋政策を立てて争って欲しいということかな。
Re:「きれいな力で日本が変わるかよ」 投稿者:れんだいこ ( 03/15 21:35:24 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)
2001年3月15日(木)「しんぶん赤旗」は、新しい政党ポスターができましたとして、
馬鹿丸出しなものを掲載している。これにコメントする。
標語は「きれいな力が日本を変える」でいくらしい。このところの一連の不祥事から、これな
らいけると踏んだのだろう。国民の怒りと関心にこたえて、「きれいな力」をもつ党の姿を押し
だし、この党が大きな力をもってこそ、日本を変えられることを訴えています。「汚れた政治は
もうごめん」「政治を変えたい」と願う多くの方々に、「そうだ。共産党なら」と実感してもら
えるポスターです、とある。
「きれいな力」は、「清潔な力」でも良いし「正義の力」でも良い。この党が一貫して説いて
聞かせてくれるのはこの種の話法だ。党内的には不倫の防止に力を入れており、こうなると、さ
ぞや日本共産党というのは、キレイで清潔で正義で不倫の無い模範的な政党であるのだろう。
ところがどういう訳かここのところあんまり票が集まらない。これは看板に偽りがあるのか、
国民がそういうものよりもオマンマ系の関心を強めていて評価しないのかのどちらかだろうと思
われる。で、実際はどうなんだろう。驚くなかれ、看板に偽りがあって、なお且つ我々が希求し
ているオマンマ系のことはよく分からんというのが本当のようである。
そんなことはないと言われると困るので根拠を書いておく。公共事業の予算を半額以下にさせ
て、防衛費は従来の線を認めるという主張を見れば一目瞭然ではないか。私は公共事業促進論者
だから余計にそう思う。もっとも、利権がらみでなく本当に必要な事業を創出せんといかんとい
う考えだけれども。
いつか言ったことがあるが、現下党中央の反対の姿勢と方針が正しい。従って、私ならこうい
う標語を掲げる、「恒産無ければ恒心なし」。一連の不祥事にもこう抗議する。いろいろ勝手な
ことしているようだが、この国難打開の仕事をまずせぇ!。仕事をろくにせん奴が私腹を肥やす
。我が党の調査問責をお見舞いするぞぅとかね。言うて分からねばデモ隊で押しかけるぞぅとか
ね。ゼネストぶつぞぅとかね。いやぁ今日はスカッとしたかなぁ。
Re:国家百年の針路と国運責任賭けて、衆参同時選運動を起こそう。 投稿者:れんだいこ ( 03/16 18:18:53 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)
今や、もろもろの徴候からして日本丸は沈没前のタイタニック号である。乗組員総員は、知恵
を出さねばならない。このご時勢で、「今日は天気がよいですね」的な挨拶しかできないようで
は、アメリカさんがあきれるのも無理が無い。私はひがみでもいうのだけれど、失うものを持っ
ていないので雨が降ろうが槍がでてこようがさほど困ることは無い。しかし、抜け駆けで税金使
って私腹肥やす官僚、政治家は許したくないし、利権作って国事よりも私事を優先する連中には
軽蔑しか持たない。
この危機状況を歴史から見れば、以前なら革命かクーデターか内戦だった。しかし今日はみん
な賢くなったのか、そういう野蛮な手法ではなくて、選挙によってある程度民意が反映されるの
でこれで行くのが文明人と聞かされている。私は半信半疑だがもう少し信じてみようと思う。な
らば、タイトル通り、7月の参院選に衆院選も合わせた同時選挙を行い、これから向こう3ヶ月
半喧喧諤諤で、日本の針路と政策を争ってみたらどうだろう。
のらりくらりと党利党略を弄ぶ季節ではないと思う。こういうすってんてん前の情況にこそ正
面から時局を見据え、政策と政局を争うのが必要なのではなかろうか。それが出来なければ、選
挙制度の効用も怪しいものだと思う。という訳で、テルテルボウズテルボウズアシタ衆参同時選
挙になぁれ。
毎日新聞3月16日朝刊によれば、15日夕の4野党党首会談で、共産党を除く野党3党が選Re:公明党について 。 投稿者:れんだいこ ( 03/18 18:40:45 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)
挙管理のための「暫定政権」を目指すことで合意した。この合意は、森首相が事実上の退陣表明
をしながらも、即時退陣には追い込めず、国会共闘の限界をのぞかせるという野党側の事情を示
すものであり、本格的な政権構想を提示できない中での苦肉の策でもある。野党党首会談では、
社民党の土井たか子党首が「森政権を倒せというばかりでなく、政権交代も具体的に求めるべき
だ」と主張し、鳩山由紀夫・民主党代表と小沢一郎・自由党党首が同調した、とある。
野党3党のこの態度は、なんでも反対しつつ傍観するこれまでの対応策に比べて非常に意義が
あるように思われる。自民党の腐敗と自浄能力の無さについては既に耳タコで、我々はまたかよ
という程度にしか反応しない。野党がもう少ししっかりしてくれんとなぁというのが大方の願い
であろう。これについては、90年代初頭より自民党を飛び出したグループが万年野党に混入し
たことにより、新しい血が入ったせいで政権を担うという感覚を植付け、以来野党戦線は自民党
に伍していくことになったように見える。細川政権はそのさきがけとなった。社会党がその重責
を担う能力を持たないことが満天下に晒されたが、社会党は今日痛い教訓として総括しつつある
ように思われる。
さて、このたび再び千載一遇のチャンスを迎えている。一度下野した自民党も村山内閣創出と
いうウルトラCの離れ業で再び政権に付き、以来万年与党の座椅子にぬくもってきた。ところが
、この奢る平家は次第に人材に枯渇しつつあり、加えて党内間の利権争い、底流にある派閥間怨
念も深く、あちら立てればこちらが立たずの総すくみで身動き取れない状態にあるようである。
もはやまともな政策を打ち出す能力さえ持っていない。憲法改正と軍事費利権の創出はできても
、経済政策では、打ち出の小槌の国債発行していくしか能を持っていない。その小槌の振り向け
先も、大企業独占体の救済と言う底なし沼にしか眼中に無いようでもある。
与党3党が一刻も早く受け皿つくりに向かうことは責任政党たらんとするものの理の当然であ
り、悲願である。早い話、利権腐敗からの構造的変革だけでも一致させて政権交代運動に一瀉千
里に向かえば、我々の溜飲が下がるのではなかろうか。後のことについては各党代表の政策審議
会で喧喧諤諤の公開論議すればよいのではなかろうか。そういう流れにすべきが政治であって、
ケチ付け専門のおしゃべり上手運動は見飽きてしまった。
さて、ここからいつもの話に入る。この動きに対し、毎日新聞によれば、「志位和夫・共産党
委員長は難色を示すという展開だった。いくら選挙管理内閣でも、最低限の政策合意はいると構
想に賛成しない理由を述べた」とある。その理由について、赤旗(2001年3月16日付け)
は次のように語っている。「野党4党で暫定的にせよ政権合意は作られておらず、機は熟してい
ない。選挙管理的な暫定政権といっても最低限の政策の一致が必要だが、安保条約の扱い方や当
面の経済政策をとっても、野党間には政策に開きがある」と表明。
これこそ二枚舌といわずして何といえようか。先の党大会で、自衛隊の当面容認に路線変更し
たときの言い分は、政権党を目指して行くことを決意し、大の目的を得るために小の障害を除去
するというような論理ではなかったのか。れんだいこが要約すればそういう理屈であったように
窺っている。ところが、機が熟した今この時持ち出されるのが「機が熟していない」という時期
尚早論、「最低限の政策の一致が必要だが、安保条約の扱い方や当面の経済政策をとっても、野
党間には政策に開きがある」論で冷や水を浴びせる。それを言うなら、ついこの間までの「政権
党目指す論」、「当面の要求一致論」とのからみを整合させねばならない。
この奇妙さの奥にあるものを私は凝視しているが、それは私の捉え方であり一般化するつもり
はない。但し、言葉の字句通りの意味で、二枚舌とはこういう風なことを云うのだろう、という
認識については同意を得たいと思う。
興味深いことは、今や、野党3党に比べて共産党の方が右傾した動きを満天下に晒しているこ
とである。右傾と言うのがぴったりしなければ、秩序安定化と言い換えても良い。何とかして、
政局が流動しないように砂をかけようとしている様が見て取れる。我々が習ってきた常識は、共
産党が一番もっともらしく「左派」であった。ところが、既に昔日の面影は無い。自民党に伍し
て劣らない政局安定論者であることが分かる。このことが今後益々大衆的に確認されていくこと
になるだろう。今後の成り行きとこの党の素体をしっかりと見物させてもらおうかと思う。
2001年3月17日しんぶん赤旗は、“お互いにもっと対話と協力を” 宗教者が不破議長Re:不破の妄執の宗教界への汚染始め。 投稿者:れんだいこ ( 03/19 21:52:07 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.01; Windows NT 5.0)
を囲んで懇談会 京都・知恩院で、の記事を載せている。これにコメント付ける。
不破議長は十六日夜、浄土宗総本山の知恩院で開かれた「宗教者と不破哲三さんとの懇談会」
に出席、仏教各派、キリスト教各派、天理教、大本教、金光教など宗派を超えた宗教者や大学関
係者など約七十人の参加者と熱のこもった対話を行いました。不破氏と宗教者との京都での懇談
会は、昨年六月につづく二度目です、とある。
あいさつにたった不破議長は「私たちと宗教者は哲学は違うが、世界と日本の問題で力を合わ
せて立ち向かわなければならない問題がいっぱいある」と述べ、日本共産党の宗教にたいする態
度について、「党としては無宗教だが、党員の信仰の自由は認めており、宗教者にも党の門戸は
開かれている。私たちは、将来、自由な共同社会をめざしているが、その自由には、当然、信仰
の自由と布教の自由がふくまれている」と説明した、という。
質疑の中で 不破は、「『反宗教』ではなく、『無宗教』といっているところに注目してほし
い」、「世界の宗教紛争を見ても、政治と宗教との関係では、宗教団体が政権を動かす“政教一
致”と、異なる宗教の信仰を認めない“共存の否定”が一番の問題」と一つひとつ丁寧に答えた
ようである。
一見、共産党と宗教界との単なる融和活動のように思えるが、不破の意図はそこにはない。本
意は、対創価学会・公明党封じ込め戦略であろう。その動きは自民党筋の宗政連運動の補完であ
ろう。しかし、残念ながら不破の活動は陽の目を見ないと予見しておく。
それにしても公明党は偉くなったもんだ。私の若い頃の東京での選挙状況は、共産党と公明党
が犬猿の中で拮抗していた。しかしながら、今や完全に水をあけられ、公明党の威風堂々さに比
べて、共産党は引っ掻く程度しか出来ない。せんだっては、共産党中央は赤旗使って創価学会・
公明党の内情暴露にいそしんでいた。ところが、公明党は相手にせずで今日まで反撃を手控えて
いる。私の知識だけでも、その気になればグーの音が出ないほどの痛打を浴びせることができる
のに、自制している。
恐らく、創価学会・公明党は、今後の天下取り戦略において、余程慎重且つ研究をしている風
がある。共産党中央を徒に刺激しないのも公明党中央の合意であるように思われる。取るに足ら
ない相手でむしろ好都合と受け流しているやに思われる。今日、政権党としての責任姿勢と下積
みの汗を流すことによる各界との信頼関係の構築は、この党が最も政党として原則的であるが故
にもたらされていると、私は受け止めている。今日も近くの創価文化会館は朝から車の出入りが
多く、ヤングがきびきびと交通整理していた。たいしたもんだと思う。
こうした公明党の躍進振りは、池田大作氏が偉いのか、その機関がしつかりしているのか、相
補関係にあるだろうけれども、好き嫌いに関わらずもっと注目されるべきだろうと思う。人情の
機微は別にして私が評価している点は、政策はカメレオンの如く左右に揺れるけれども、中道政
治を目指して課題に対して正面から取り組んでいる姿勢である。この正面から取り組むのがホン
ト難しい。
党内議論もかなり活発に行われているように思われる。党幹部が外で勝手にしゃべったことに
ついては、後づけでも党内合意を取り付けている点も素晴らしい。実際には鶴の一声があるのか
も知れないが、既にその域を越して機関運営主義を確立し得ているように思われる。
宗教が政治にくちばしを入れるのは良くないという何やら訳の分かるような分からないヌエ理
論が一般的であるが、本当にそうなのかも含めて確認しておくことは、現代一級の課題であるよ
うに思われる。私はこの種のことに正面から取り組んだ学者の研究を知らない。あれば教えて欲
しい読んでみたいと思う。流布されているのは、受け売りのイケナイ論ばかりである。しかし、
本当にイケナイのだろうか。何事も、疑う精神ときかん気の精神を無くしたら、いいなりの道へ
進むしかない。それは愚かであって、民主主義の精神とは合致しない。という訳で、ここも喧喧
諤諤してみたい。
2001年3月19日「しんぶん赤旗」は、宗教者と不破議長が京都・知恩院で懇談 人間とRe:不破式長征の波止場としての「きれいな政治」論について。 投稿者:れんだいこ ( 03/21 18:22:52 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; MSN 2.5; Windows 98)
命の大事さを 政治と社会の全体に広げよう、記事を昨日に続いて掲載している。不破の講演内
容の目ぼしいところにコメントする。
いきなり、「哲学が違っても、ともに悪い世の中をよくしていくことを共産党と一緒にやれる
勇気がわいた」(参加者の感想)と、おべんちゃら記事から始まっている。どうやら、伊豆での
党員研修講演での追従と区別がついていないらしい。
取材したマスコミ記者にも「共産党が開かれた党であることがわかる。宗教者の方もトップは
変わってきているんですねえ」と反響をよびました、とある。マスコミ記者もゴマ摺り要員をあ
てがったらしい。少し事情通なら、外に向けてはますます無原則とも云える自由化を進行させつ
つあるも、返す刀で党内では、党員がインターネットで自由な発言をすることを調査問責対象に
させていることを知っている。党中央も党員もそれを良しとする蛸壺意識に染まっており、自由
化の許容は党内−党外関係においてかくまで温度差がある。その使い分け落差は、氷嚢無しには
語れない。
不破は、浄土宗信徒の「無宗教とは宗教否定と受け取られないか」という質問に対し、「共産
党は無宗教だが反宗教ではない」と説明したという。このロジックで気になることは、あたみぃ
さんのご指摘通りだと思う。「無宗教が反宗教を意味しない」としても、無宗教理論を是認する
ならば、おっつけ宗教教義とのバトルをせぬばならない余地があるのではないのか。この点に言
及しない「無宗教が反宗教を意味しない」から云々は、不破特有のご都合主義による二枚舌では
ないのか。
もう一つ、不破はぬけぬけと次のように語っている。「私たちは党としては無宗教だが、党員
の信仰の自由は認めているし、宗教者が党に入ることに門戸を開いている。将来の社会の展望で
も、信仰の自由、布教の自由は確固として保障する立場だ」。こうして不破が、党内に世界観の
違う者の入党を公然と認めるのなら、党中央の方針あるいは綱領路線と違う者の存在も又当然に
認めるべきなのではないのか。不破よ、この点三枚舌で説明してみたまえ。
そうか。世界観は違っても良いが、党中央に対するイエスマンで無ければならないということ
なのか。つまり、イエスマンでありさえすれば全てありありルールにしたいということなんだな
。それは一番大事なところが去勢されたルールだからあんまり意味無いよ。不破よ、突如出され
る新方針に対して異論を公言させる者、あるいは綱領路線そのものに疑義を唱える者にどのよう
な仕打ちで臨んで来たのか、今も来ているのか説明してみたまえ。ソフト調に言い換えてみたら
こうなる。「党内でも信仰の自由は認める」のに、なして見解の相違については認められないの
かな。
もう一つ。「宗教者の方々の信仰や信条を尊重することも、党として大事にしていること。み
なさんが身近に接する党員のなかに『反宗教』と誤解される態度があるとしたら、全体としてた
だしてゆく努力をしたい、と思います」と云った様である。後半の「全体としてただしてゆく努
力をしたい」とは、どういうことかな。ただされるのが党員とは限らないぞ。不破がただされる
場合があるとは夢にも思っていないようだが、そういう自分を別格とする物言いと権力振り回し
はいかがなものかな。ええぃウルサイというのなら、それは独裁ちゅぅものですえ。
もう一つ。「同時に政教分離だとそっぽを向いているわけにはいかない時代がきている。政治
を嘆くだけでなく、政治にたいする責任と高い意識をもち、自主性を高めていくのも宗教の仕事
ではないか」と提起されたのに対し、不破さんは、この発言をうけ、「政治のかかわる分野にも
宗教界から発言しないといけないといわれるのはそのとおりだ」と指摘。宗教団体が政権を動か
したり、政権を使って宗教活動をするのを禁じたのが政教分離の原則であって、民衆の側にたっ
て平和や人権の問題にとりくまれるのは当然のことと解明しました、とある。
不破はおかしなことを云う。政教分離は、国家権力を使って、その庇護のもとで特定の信仰、
宗教を押し付けることを否定したものではないのかな。それは戦前に天皇制イデオロギーと重な
って大変な罪過をもたらしたことの教訓から規定されているものだろう。「宗教団体が政権を動
かしたり、政権を使って宗教活動をするのを禁じたのが政教分離の原則」という表現は、不破ら
しいがすり替えであろう。
前半の「宗教団体が政権を動かしたりするのを禁じたのが政教分離の原則」なら、公明党は創
価学会色を直ちに脱色させねばならない。憲法違反で訴追される恐れが出てくるから。しかし、
政教分離の原則が「宗教団体が政権を動かしたりするのを禁じていない」のであれば、慌てるこ
とは無い。こうなると、不破の意図するところ、宗教団体は平和とか人権擁護どまりの主張にと
どまるべきで、政治勢力として向かうものではないということかな。何のことはない。宗教家が
馬鹿にされているだけのことではないのか。
後半の「政権を使って宗教活動をするのを禁じたのが政教分離の原則」表現はどうだろう。詭
弁家不破は、用意周到に「国家権力」を使ってとあるべきところを「政権」と言い換えている。
少し意味が変わってくるが、それが不破の意図的な歪曲なのだろう。なぜなら、この方が公明党
批判に誘導させやすいから。しかし、公明党は馬鹿ではない。何も現に「政権を使って宗教活動
」をしている様子は無い。但し、多少はやりやすくはなっているだろうが、それは政権与党一般
の余得とでも言えるべきものだろう。
この辺りからいよいよ本音を出している。自民党の“影の首脳部”が首相退陣など、いわゆる
政局問題が起こるごとに、特定の宗教団体の首脳部と密室の相談をかわしている現状をあげ、「
宗教団体と政権のこういう関係は、日本の政治にとって危険だし、宗教界にとっても危険だ」と
警告しました、とある。
おかしなことを云う。公明党は何も非合法的に政権与党になったのではなかろう。国民の自由
意志投票による選挙の洗礼と、政権与党自民党執行部との協議の元に今日の地位についたのでは
なかろうか。それが駄目というのなら、駄目なものは駄目というファシズムの論理によって放逐
する以外に無いではないか。自分の無能を棚に上げて、公党を危険呼ばわりすることは、それこ
そ危険ではないか。
後は与太記事なのでコメントするまでもない。見えてくることは、不破がコケの一念で公明党
に一太刀浴びせたいという妄執域に入っているということ。
2001年3月21日「しんぶん赤旗」は、「きれいな力が日本を変える」――21世紀を早Re:「野党の暫定政権構想」について 。 投稿者:れんだいこ ( 03/23 15:09:00 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows NT 5.0)
くそういう時代に 尼崎での演説会 不破議長の訴えから、記事を載せている。これをダイジェ
ストする。
冒頭からして作為的で、「十七人目の今回ほど目も当てられない退陣の仕方はありません。(
拍手)」 と云う。れんだいこはのっけから拍手しない。なぜならそんなことはないから。目も
当てられなかったのは宇野さんの場合で、森の場合はちと違う。後継指名しないので前倒しでや
って下さい、その間職責まっとうして踏ん張りますと云っているのだから、別におかしくはない
。何をくだらんことでいちゃもんつけてるんかいな。云いたい放題の不破よ、お前の退陣の時こ
そ醜態の極みになると思うよ。いずれにせよ、批判するにも情というものがいるだろうに、ホン
にお前は分からんやっちゃね。
不破は、以下漫談調の森首相ないし内閣批判やった後、KSD問題に移り、ここでも次のよう
に語る。KSDという問題があります。これもまったく解決されていません。私、さきほど国会
に出て三十二年目といいましたが、この間には、田中角栄のロッキード事件から、リクルートと
か、佐川急便などなど、さまざまな汚職腐敗がありました。しかし私は、今度のKSD事件くら
い汚い、腹立たしい汚職・腐敗はないと思います。
不破よ、あれほど無茶苦茶な論法、手法でロッキード事件に関わり、今でも得々と手柄話にし
ているというのに、「今度のKSD事件くらい汚い、腹立たしい汚職・腐敗はない」とは、そっ
たらおとろしいKSD事件なのかいなぁ。
で、どこがそうなのかと耳を傾けたら、概要「ところが、こんど汚職に使われたわいろのお金
は、中小企業、業者のみなさんから、共済の掛け金だといって集めたお金、それを政治家を買収
するわいろに使った。労働省など政府の後ろ盾がありますから、百万を超える会員ができる。そ
して、みなさんから掛け金を集める。だいたい年に二百数十億円のお金が集まるそうであります
。そのうち共済の費用には八十億円から九十億円のお金を当てればすみ、掛け捨ての保険ですか
ら、あとは全部、KSDのもうけに残ります。それを使って、あれだけ大規模な政治家と政党の
買収をやったわけです。私は、これは徹底的に究明しなければならない、この中身を徹底的に明
らかにしないと、国民の胸はおさまらない、中小業者の胸はおさまらない、そういう性質の問題
だということをまず訴えたいのです。(拍手)」とある。
不破はおかしなことを言う。この程度以上の腐敗を我々は見続けてきているではないか、規模
も金額においても。それと、中小企業がそのようにして自民党にまとめられていったのを横目で
傍観していたお前らの責任はどうなるんだよ。「政党がまるごと買収されたというのも、これも
かってないことです」というが、業界献金はすべからくそんなものでしょうに、何をおどろしく
言っているのか。
幽霊党員について云々しているが、ホント不破の頭の中身を覗いて見たい。幽霊党員はお宅の
党にたくさんおられる現実があるのに、よくもいけしゃぁしやぁとそったらこと云えるなぁ。従
って、「幽霊党員問題――調べる気などまったくない」といって自民党を批判するのなら、共産
党の幽霊党員問題で党費の立替払いで苦労している下級機関の現場の調査に付いては、いわずも
がなでやっていただけるんでしょうね。こっちの方がもっと悪質だと思いますよ。不破の話によ
れば、志位と筆坂がかなり厳しく森に問い詰めているようである。ということは、この両名には
その責任において自分の党の足もとの調査を御願いせにャならん。報告も頼むぜよ。「あくまで
ほおかむりで通そうというのが、いまの自民党であります」と批判するからには、共産党からは
しっかりした報告いただけそうだな。
「機密費」問題もしかりで、いえばいうほどお前の党の場合はどうなかんだと切り返されるこ
とになる。ここら辺りからして最近になると機密費そのものは認められると論調替えしたけど、
まったく馬鹿にした話だ。長期安定政権になるや腐敗も度しがたく、その意味で政権一新は我々
の願いでもある。しかし、この観点から見れば、宮本共産党こそ最長安定の不倒翁政権であり、
この党の機密費こそ腐敗がさらに激しいことが想像される。そんなことはないというなら、不破
よ、お宅の経理を公開して説明してみたまえ。
最後に、目下不人気急上昇の「きれいな力が日本を変える」に話が及んでいる。昔、書生がこ
ういうことを云って青臭いと笑われたものだが、不破は七十になっているので書生には似合わな
い。二十一世紀の日本では、「きれいな力が政治を動かす」、そういう時代が一日も早く開ける
ように、みなさんのご協力を心からお願いするしだいです、とある。
こういう不破の云いざまは、のんのさんと仏さんに手を合わそう論であるといえるが、「きれ
いな政治」云々だけでは実体が見えなさ過ぎる。これではやっぱ党中央による、これがきれいな
指導、指針、政策だにいちいちうなづくことしか出来ないではないか。
それにしても、はるかその昔から眺めてみれば、社会主義政府論→民主主義政府論→民主連合
政府論→革新三目標一致政府論→当面の政策一致論→きれいな政治論へと辿り着いた長征の旅に
哀れをもよおさずにはおられない。不破講演は(大きな拍手)で締めくくられているので、私も
拍手で長旅ご苦労さんとねぎらいの言葉をかけてあげるのが和の精神であろうが、オラは御免こ
うむるど。
2001年3月23日「しんぶん赤旗」に、志位委員長の会見 (大要)「政権問題についてのRe:共産党中央の領土認識の凄まじさよ 。 投稿者:れんだいこ ( 03/26 22:17:57 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows NT 5.0)
日本共産党の立場」記事が載っている。これについてコメントする。
まず、「民主連合政府が政権目標」と、不破・志位式のものではあるが原則論が聞かされる。
とはいうものの、「同時に、それにいたる以前にも、野党が全体として国会の多数をしめるなど
の条件が生まれたら、わが党は、野党間で政権協議をおこなう用意があるし、自民党政治を変え
る『よりまし』の一致点が確認されれば、野党連立政権(暫定政権)に参加する用意がある」と
、柔軟な姿勢であることが告げられる。
その具体的適用例として、「細川内閣の失敗」が挙げられ、「細川内閣は発足当時には国民の
期待を集めたが、やったことは消費税を七%にひきあげる案を突然もちだして増税の道筋をつけ
たり、小選挙区制や政党助成法など政治改悪を強行したり、あげくは佐川急便事件という金権腐
敗問題で政権を放り投げるということだった。国民に深刻な失望をあたえ、政治をより悪くする
結果に終わった。この二の舞いになってはならない」と云う。
共産党中央のこの見解は果たして本当だろうか。細川内閣を自民党より「右」よりに規定して
、その打倒にいそしんだ過去はかなりな程度犯罪的であったのではないか、という見地にれんだ
いこは立っている。肝心なときに異なげな反応をする共産党中央の変調性の証左の一つではなか
ったかと私は思っている。
話を戻して。次に、「政治の中身の合意ぬきに政権合意をむすぶのは責任ある態度ではない」
と原則論が聞かされ、この観点に照らして、「現状では、野党間に『自民党政治をこう変える』
という政治の中身での合意があるわけではない。たとえば、当面すぐに迫られる経済危機打開の
緊急の対応についても、野党間で、わが党と、他の野党には大きな立場の違いがあることは、事
実だ」から、先日の野党党首会談で提唱された「野党の暫定政権構想」に反対すると云う。「国
民にたいして責任ある政党のとるべき態度ではないし、相手側に攻撃の材料をあたえるだけだか
らだ」そうである。
結論として、「いま大切なことは、各野党が、『自民党政治をこう変える』というそれぞれの
政策の中身をしめすこと、それぞれなりに自民党政治を追いつめ、参議院選挙できびしい審判を
くだすことだ」が正解という。何の事は無い。「野党の暫定政権構想」に反対し、参議院選で共
産党が伸びることが一番正しい道筋だといっているに過ぎない。
「しっかりした根をもった野党協力」が大事であり、わが党は、あらゆる分野で、「自民党政
治をこう変える」という展望を、さししめしている。それを堂々と訴えて、参院選での躍進をめ
ざしたい、で締めくくられている。
こういう話法をどう受け止めればよいのだろう。平時には野党の連合構想を説き、いざ緊急時
のその時勢がくるや原則論で水を指す。ならば、端から原則論で一貫すべきだろうに。あるいは
政策協定の模索に向けて日頃から協議に入っていればよいのに。そういうことをせぬままのこの
たびの党中央の云いざまは、再び反動的な馬脚を露にしていることを確認したい。
従って、私の観点はこうなる。野党はこういう手合いを相手にしない方が良い、かき回される
だけだから。その昔は共産党は一番「左派」的な恰好をしてた。今や諸分野でヌエ理論を振りま
き、顰蹙を買っている。今歴然としつつあることは、共産党は実は安定秩序型志向であり、我が
社会の変革を望むにあたっては妨害物なのではなかろうかということである。
我々は、わずかの希望でもって少しでも世の中が良くなることを期待して野党構想に望みを託
そうとしている。改革であろうとも、我が社会はいったん揺すってみたほうが良いのではなかろ
うかと思われるから。穏和を良しとする風潮にあってはこれしか方法が無いではないか。その望
みに水を差し、火消しに廻ろうとする共産党中央のオタク性に一瞥二瞥かまして断固として推進
しよう。
2001年3月26日「しんぶん赤旗」に、日ロ首脳会談 立脚点示せない政府の領土交渉Re:不破の変調論理の病膏肓性について。 投稿者:れんだいこ ( 03/28 19:19:57 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.0; MSN 2.5; Windows 98)
国際的道理に立ってこそ解決に道、なる記事が載っている。以下コメントつける。
共産党中央は、「日ロの領土問題を解決するためには、日本が何に立脚して領土返還を要求す
るのかを明確に示し、『国際的道理』にたって領土交渉をすすめるという外交姿勢を確立するこ
とが不可欠です」という立場から、今回の森交渉をお話にならないとしている。
共産党中央は、「スターリンによる千島の併合は歴史的な誤り」として、その歴史的不正を許
さないという立場のようである。「五一年のサンフランシスコ平和条約二条C項で千島列島を放
棄したこと」も誤りとする道義的立場を堅持しているようである。これらの誤りに対して、国際
世論に道徳と道義を訴えて、全千島の日本返還を求めるのが「正しい」ということのようである
。
こういう観点から、森首相が今回、「歯舞諸島及び色丹島を日本国に引き渡す」よう交渉した
のは弱腰はなはだしいらしい。なぜなら、「歯舞・色丹は歴史的にも北海道の一部であって」、
ソ連が返還するのは「当然」であるから。
それにしても、共産党中央の言うことは凄まじい。「南千島(択捉、国後)だけでなく、『北
千島を含む全千島列島』が日本の正当な歴史的領土です」と云う。「北方四島限定論」なぞ唾棄
すべき論であることになる。
共産党中央の論を詰めていけば、恐らくこうなる。歴史には間違いがあり、後世の者は、それ
を糾す権利がある。歴史のどこの時点に線引きするのかは不明であるが、任意のどこかを起点に
して、それを国際世論に訴えて修正したいらしい。出切るか出来ないかはあんまり関係ないのか
も知れない、何せ云い得云いたい放題の癖があり、責任は逆に一切取ろうとしない、誰にも咎め
られない便利な党内運営システムを確立しているから許される。
この論でいけば、ロシアはモスクワ周辺の諸国家連合から再生すべきだろう。アメリカは、カ
リフォルニア辺りはメキシコに、シベリアはロシアに返しなさい、ええい面倒だ、いっそのこと
インディアンに大陸ごと返しなさい、ということになる。しかし、共産党中央の道義論に比較す
れば、右翼の北方領土返せ論もスケールが小さく聞こえる。みならって全千島列島の返還を云う
元気がありやなしや、聞いてみたくなった。
Re:意味がわからないのでどなたか解説頼む。 投稿者:れんだいこ ( 03/27 21:20:35 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows NT 5.0)2001年3月27日「しんぶん赤旗」は、「新しい無党派層」との共同が課題 千葉県知事
選に関連して 市田書記局長、の談話を掲載している。
日本共産党の市田忠義書記局長は二十六日の記者会見で、千葉県知事選の結果に関連して「自
民党支持率が極端に減るなかで、ごく最近に自民党支持から離れた『新しい無党派層』が増えて
いる。そのような無党派の方々とどう共同をすすめていくのかが大きな教訓だ」と語りました、
はまぁいいとして、
市田氏は、日本共産党推薦の河野泉候補について「前回から得票は後退したが、『オール与党
対共産党』という前回の対決構図と違う構図のなかでがんばられた」と健闘をたたえました、と
ある。
この、「前回から得票は後退したが、『オール与党対共産党』という前回の対決構図と違う構
図のなかでがんばられた」とは、どういう意味なんかナァ。どなたか解説頼む。
一応私の推理はこうなる。『オール与党対共産党』という構図であれば、負けるにしても得票
数は期待できる。その方が、同じ負けるにしても今回のように票が減るのよりは良い。「前回の
対決構図と違う構図のなかでがんばられた」とは、従来のように自民党対共産党の対決ではなく
て、与党連合対野党連合対共産党という構図の中で、「頑張った」ということか。
ここから次のことが抽出できる。一つ、共産党中央は、選挙は勝ちに行くのではなく、アリバ
イ闘争志向であり、党勢を測るバロメーターとして位置付けている。一つ、今後も与党連合、野
党連合に対決していく。どちらを主敵とするかは定かでない。場合によっては、野党連合に対す
るに、自民党との提携もあり得る。その場合、野党連合が自民党よりも右傾的であるという論証
が必要であろうが、そういう学者を用意すれば理論付けはいつでも可能である。
しかしなんだなぁ、志位がコメントせずに、負け戦とならば市田書記局長に弁させるとは便利
なシステムだなぁ。
2001年3月28日「しんぶん赤旗」に、日本共産党は宗教者とも協力と信頼の関係を広げRe:菅コメントを支持します。 投稿者:れんだいこ ( 03/31 23:11:05 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows NT 5.0) 2001.3.31日付け日経新聞によると、民主党の菅幹事長が公明党批判をしている。近
ている 不破議長、公明党のウソと謀略をきびしく告発“落ち目の反動派のどんな攻撃も打ち破
ろう”とよびかける、記事が掲載されている。以下コメントつける。
冒頭からブーイングするが、「落ち目の反動派」表現とはいかがなもんであろう。不破の方こ
そ歴然と「落ち目」であろうが、我々はそういう品のない表現は使わない。そうして我々が自制
しているのに、当人の方から本来己に被せられるに相応しい言葉を相手に使うというこの変態性
論理よ!、この現場で確認しておこう。しかしなんだな、何はさておきキレイな政治を目指すと
いう者にしては、えらい品の無い言葉を使うもんだな。
不破は次のように云っている。二年前に石原都知事が誕生したとき、“いいものは賛成、悪い
ものは反対”という是々非々主義の立場をとると言明し、この二年間その立場を貫いてきたと。
是認したものとして、銀行税・ディーゼル車規制・首都機能移転・お年寄りの医療費助成の「マ
ル福」やシルバーパスの廃止を挙げている。
ここで不破に尋ねるが、銀行税の導入、首都機能移転反対について党内討議したのか。次後承
認でも良いから了承を受けているのか。「公約を貫いたのは日本共産党だけだった」と自賛する
前に、機関運営主義に立つのか立たないのか、そのことの政治責任も大事だろうよ。
「選挙を前にして、このことに一番うらみをもっているのが公明党」と不破は云うが、私が見
るところ公明党は「うらみ」なぞは持っていない。不破がまともな相手として見られていないだ
けのことではないのか。公明党の三月の都議会での日本共産党攻撃に対して、それを「反共党略
に利用した」と云うのはいかがだろう。公明党は「反共攻撃」したのではなくて、不破・志位党
中央の唯我独尊の得手勝手論に「あきれはて、真偽を糾そうとした」だけではないのか。党中央
に不利益な事を云う者に対して、何でもかんでも「反共攻撃」呼ばわりすることはいただけない
。
石原知事が「そういう政党はハイエナのようなもの」と言語道断の答弁をおこなったと云うが
、石原ははっきりした物言いを好む人士である。この発言に対して、不破は、「知事のハイエナ
発言は『品性に欠ける』と抗議したが、当然だ」と述べているが、『品性に欠ける』と石原を批
判するならば、それを批判する不破には『品性に欠けない』責任が伴うであろう。
不破氏は、「公明党がまじめな政党なら、いま有権者の前でいわなければならないことはたく
さんあるはずだ」として、以下公明党のいい加減さを列挙した後、「どの問題についても、公明
党からは反省の言葉は聞かれない。無反省という点では、国民の批判の的となっている森首相と
何の違いもない」と批判。続けて、「そういうことを無責任に棚上げして、ウソをウソでかため
るやり方で日本共産党攻撃と自民党の悪政の擁護に熱中する、本当の宗教心とは縁もゆかりもな
い勢力の横暴を、この東京で許したら大変だ」と訴えている。
『品性に欠けない』人士である不破にしてはおかしなことを云う。天下の公党を「まじめでな
い政党」とけなし、「ウソをウソでかためるやり方をする政党」、「本当の宗教心とは縁もゆか
りもない勢力」として非難する。これだけ云いたい放題云っておきながら、自分たちが批判され
ると「反共攻撃」と云う。便利が良すぎる話法ではあるが、なしてこんな詭弁が長らく通用して
きたんだろう。
不破は余程公明党が憎いのだろう、何とかしていらまかそうとしている。「それと対照的なの
は京都でお会いした宗教者のみなさんの姿だった」と云う。不破に尋ねるが、「京都でお会いし
た宗教者のみなさんの」のお家の事情に精通しているのかな。皆さんそれぞれ教義と教勢に悩み
を抱えており、保守的な安逸をむさぼっている間に遅れを取った方たちばかりどすえ。「国民が
、いろいろな思想や信仰の違いを超えて力を合わせること、これが日本を変える道。この道をま
じめに進み、二十一世紀に国民のための政治を実現するためにがんばっているのが共産党だ」と
訴えましたとあるが、単なる野合は無茶どすえ。
最後に、不破氏は、戦前、どんな暴圧にも屈しなかった党の歴史にふれ、「落ち目の反動派が
どんな手立てを講じようとも、これを打ち破って勝利しよう」と述べている。ここも問題だわな
。戦前の党の遺産をそのように引き継ぐのなら、戦後直後から七年間指導し続けた徳田書記長時
代も継いでもらわなければ、世間は信用しませんえ。そういうご都合論理で固めるからみんな愛
想尽かし始めているのですえ。
2001年3月31日「しんぶん赤旗」は、日本共産党の躍進で東京の福祉を取り戻そう 港Re:子供の使いではあるまいし‐‐‐。 投稿者:れんだいこ ( 04/03 21:36:01 ) Mozilla/4.0 (compatible; MSIE 5.5; Windows NT 5.0) 2001年4月 3日「しんぶん赤旗」は、緊急経済提言 草の根からの運動を重視 市田書
区で 志位委員長が訴え 700人の熱気、なる記事と、“ウソは転がすほど大きくなる”(ル
ター)公約破り、福祉切り捨ての公明党を きびしく批判 東京・港区で 志位委員長、なる記
事を掲載している。これにコメントつける。
滑稽なのは、何とかして公明党を引っ掻こうとしてか、リターの、“ウソは転がすほど大きく
なる”文句を見出しに掲げていることである。近頃マルクスやレーニンの言説引用しなくなった
と思っていたら、いきなりルターさんには笑ってしまった。しかも、“ウソは転がすほど大きく
なる”とは、これそのまま宮顕−不破ラインの特質ですがね。
それと気になるのは、都知事選の最大争点に「福祉」を挙げて、福祉問題は共産党が本物で、
公明党は贋物呼ばわりしていることである。選挙民から票を得るには、税金問題と福祉問題を云
うに限るとの魂胆が見え見えで、党中央は、そういう争点作りよりもっと先のところまで国民が
心配し始めていることが分からないようである。遅れた大衆をどう覚醒させ、取り込むのかに傾
注努力する前衛意識をよしたというのに、これでは単に前衛表現を止しただけで、意識のほうは
相変わらずとお見受けする。
私は東京都民ではないが、恐らく気持ちはそう変わらないだろう。今日の政治的課題の最大争
点は、国家破産情況がひたひたと伝わってくる実感に対して、政党がどういう打開策を提示して
くれるのかに期待しているのではなかろうか。666などという奇妙な数字の国債累積債務、こ
れに加えて膨大な都道府県地方債債務がある。こうした折柄相次いで明るみに出る官僚腐敗に直
面して、我々はこの国は本当に大丈夫なのか心配している。公共事業を半減させる、消費税を3
%に戻して消費を喚起するなぞという手法で解決する水域を超しているだろう。
共産党が人気を呼ばない理由に、自民党、旧社会党やその他政党のケチつけばかりで、唯我独
尊的に我等こそが清潔・正義・キレイな政治をする党というだけで、自らが批判に耐えうる政策
、政権構想を示さないことにあるように思われる。おまけに、選挙で敗北しようが責任取らずの
胸が悪くなる言い訳ばかりで、そうした上層部の姿勢が下部まで反映し、身の回りの党員見ても
胸が悪くなるような人士が目に付く。こういうことが絡み合って人気を呼ばないのだと思ってい
る。そんなことはない、こんな立派な党員がいるというのなら教えて欲しい。宮顕−不破−志位
に至る50年の間にそういう人士はもはや放逐されたと私は見ている。最も放逐された人士が手
本党員であるという保証も無いが。
で、話を戻して思うことがある。福祉を仮に老人対策として、老人を大切にしようという姿勢
は何ら問題は無い。問題があるのは、それを特別に抽出してそれだけを選挙対策用に煽る姿勢で
ある。考えてみればすぐ分かる。社会にあっては老人を大切にすることも必要だが、現在の働き
手を大切にすることも必要である。同じ意味で時代を担う青少年を大切にすることも必要である
。同じ意味で、これから社会に生まれてくる赤ちゃんを大切にすることも必要である。どの世代
のどれが一番大事というものではなかろう。年寄りも、子供が青年が働き手が生き生きとしてい
る姿を見た方が精神的に満足度が高いであろう。年寄りだけが大事にされる社会が良いなぞとは
考えていないだろう。根は一つで、人がそれなりに大切にされる社会を創っていくのか、自分さ
えあるいは特権階層だけが良ければよいという社会に服従させられていくのかの問題ではなかろ
うか。
従って、赤旗の地文なぞコメント付けるに値しないから無視するが、景気回復策は消費を高め
るために消費税を3%にするのが良いというだけで、3%に戻したら消費が上向くという論証を
何一つしていないこと、消費税を廃止したらどうなるのか、10%にしたらどうなるのかの比較
論さえないままである。科学的社会主義政党にしてはえらい杜撰な「だろう見込み論」ではなか
ろうか。連中の「科学的社会主義」のお里が知れてしまう。もう一つは、聞くに堪えない公明党
批判にうつつを抜かしていることだけが伝わってくる。こういう面にはえらい戦闘的なのはこの
党中央の性癖であるが、人様にあれこれ云うより自身の運動体の戦闘的創出に知恵と汗を流せば
良いのにね。
(私論.私見)