ヒゲ虎時事評論10 |
リプライその2 投稿者:いずみ <HOME> ( 11/18 23:08:42 ) |
(5)進化とは、種総体としての環境適応性の過程に過ぎず、その「例外」は次世代への進化の原動力である。 さて、(4)での考察は、れんだいこさんの >例外があるという風に認識するのが正確かと思われる。 という主張とはもちろん矛盾しません。 ただし、れんだいこさんの「進化」というものの理解は、「最新の生物学」が得てきた果実とは、かなり異なるようです。 「最新の生物学」的に言うのであれば、♂は♀の突然変異として誕生し、たまたまそれが種の維持に相対的には具合がよかったので残った、ということになります。それ以上でもそれ以下でもありません。今後、もしかするとこれよりもさらに都合のよいパターンが登場しそちらが残る可能性だってあり得ますし、性別に(4)のような「あいまいさ」が残っていることこそが、それこそ、進化の可能性が「自然の摂理として」準備されているのかも知れません。(ただしそういうのが起こるのは10万年以上のスパン。逆にそのスパンでは、必ずどこかしらに何かは起こる、というのが「最新の分子生物学」の果実。) 「例外」が存在すること、そしてその誕生の必然性、これらはまさに「自然の摂理」として存在することであって、これがなければ生物は種を維持できません。 ところが、れんだいこさんはその「例外」について >自然の摂理は先天的ないし後天的資質あるいは欠陥、機能不全をも生み出してもいる などと主張しています。れんだいこさんが盛んに使われている「自然の摂理」という言葉ですが、文章の中では比較的一貫して「種の保存」という観点から使われていると読めます。しかし、その観点からは、少なくとも「先天的」、つまり遺伝子的な「異常」は、「例外」である、というだけであり、欠陥とか、機能不全とかいう概念にはつながらないはずです。 (7)「優秀な精子の選別」などということは行われていない >子宮まで引き込むことが本能とも云うべき必然性で摂理されているようである。興味深いことは、「優秀な精子の選別」における「優秀さ」の認定は、我々の薄っぺらな思慮をはるかに超えているようである。 「優秀な精子の選別」ということが行われている、というのは初耳です。ぜひ、その説を示すリソースをご教示ください。いずみは、受精が起こるのは純粋に確率の問題が大きいように認識していました。ただ、複数の♂個体の精液の間には、相手より自分の方を遊離にしようとする作用があるようですが。 (8)♂と♀の役割が同じ機能面として語られていないのはなぜか >雄は「勃起力」を利用して勢いをつけて射精することが本能とも云うべき必然性で摂理されている。雌は、このうちの恐らく生物学的に見て継承されるに値する優秀な精子を選別し、子宮まで引き込むことが本能とも云うべき必然性で摂理されているようである。 この部分では、「種の保存」について、♂については能動的な機能として「役割」が語られていますが、♀については能動性がまったくなく、単なる確率の問題として語られています。 (9)「試験管ベビー」は「自然の摂理」に反していない 「試験管ベビー」とはまた古い言葉を持ち出されていますが(今はもっと一般的に「体外受精」って言いますよねぇ(^o^))、「自然の摂理」に反していないからこそ、ちゃんと子供が誕生するのだと思いますが… そのような受精形態は自然界に存在しない、ということをもって「自然の摂理に反する」というのであれば、農業も工業もすべて自然の摂理に反しているし(特に最近の農業・畜産などでは、単位生殖や遺伝子操作など既にあたりまえのように行われていますが、そうでなく、そもそも種を蒔いて収穫する、という作業自体が、確実に「あるがままの自然」を壊します)、そういう生産によって得られた果実である現代医学を人間に作用させること自体が自然の摂理に反しているということになってしまいます。 なお、これはいずみの杞憂だとよいのですが、れんだいこさんは、体外受精一般と、代理母や生殖細胞提供などの問題を混同されていませんか? (10)クローニング問題は倫理問題でしかない クローニングも、もちろんそれでとりあえずドリー君が産まれたので(笑)、やはり「自然の摂理」には反してはいません。単なる倫理の問題でしょう。 >現在「倫理」問題として争われている。 そうではなく、倫理問題以外では争いようがないからです。 倫理問題をどう捉えるべきか、それはまた別の機会にでも。 (11)「オカマ」とは、「性的」にマジョリティーでないすべての生物学的男性をひとくくりにした、およそ「非科学的」な語であり、また対象者を不愉快にする要素を多く孕んだ語である ということでやっと本題ですね(笑)。 >まず、オカマ行為の是非論について考察する。オカマ行為とは、男一の道具を、女性一の道具の替わりに菊門を利用する行為を言うのだろう。これを特別にオカマというからには、専らこちらのほうを利用する性癖のことを云うのであろう。 これほどまでに、性をめぐる様々な問題について、そのほとんどすべてに渡ってメチャクチャな意見を見たのは、まじめな話、生まれてはじめてです。 ここでは、通常「AF」と呼ばれているところの性行為のことがまず「オカマ行為」と定義され、「それを性癖とする人」が「オカマ」であるとされています。 歴史的経緯から見れば、これはまったくもって転倒した理解です。「オカマ」と言われる人も(「も」です!「は」ではありません!)行う、ある種の性行為が「オカマ行為」のように錯誤された、というのが順序というものです。 そもそも上記の理解では、現在、新宿や渋谷や池袋や、その他腐るほど存在する「AFアリな風俗店」のお客さんが、みんな「オカマ」ということになってしまいます(笑)。いくらなんでも、そんなはずは絶対にあり得ないですよね。 この歴史については(12)で、行為については(14)で詳しく延べます。 ということで、まず、現代における、一般的な「オカマ」の使われ方に基づいた分析を説明しておきましょう。 まず、おそらくは「オカマ」とカテゴライズされるであろう、有名人を何人か挙げてみます。あといずみもね(笑)。本当は「春菜愛」とか行きたいのですが(^o^)、れんだいこさんの世代にもわかるような例です。 (a)おすぎとピーコ(映画&服飾評論家) (b)東郷健(雑民党) (c)ピーター(俳優) (d)いずみ(笑) これらの人を、その様態(というのも変ですが)から分類してみると、 男性の服装をする…(a)/化粧をしたり女性の服装をする…(b)(c)(d) 恋愛対象が男性…(a)(d)/男女両方…(b)(c) 自分は男である…(a)(b)/女である…(c)(d) オネエ言葉を使う…(a)(b)/使わない…(c)(d) 「奥さん」・子供がいる…(b)/いない…(a)(c)(d) ということで、みなさんの傾向はバラバラであることが現象的に把握できます。そして、これらの傾向について、現在の社会学や精神医学は以下のような理解をしています。 <1>恋愛対象の性別(sexual orientation) …異性であれば heterosexual 同性であれば homosexual 両方であれば bisexual 恋愛感情が存在しないと asexual <2>性自認(gender identity) 自分が何性であるのか?という自覚と確信。 性同一性障害(gender identity disorder)は、この自覚が一貫して、 かつ持続的に自らの生物学的性別(sex)と不一致を起こしている状態。 <3>性役割(gender role) 自分が何性か、ということを他人・社会に対して示すための言動、行動 などの営為。 これらは、互いに独立した概念です。ですから、とりあえず生物学的に男性であるとして、 (A)自分は男性だから男性として振るまうし、好きになるのは女性である。 (B)自分は男性だから男性として振るまうが、好きになるのは男性である。 (C)自分は男性だから男性として振るまうが、好きになるのは両性である。 (D)自分は女性なので女性として振るまうし、好きになるのは男性である。 (E)自分は女性なので女性として振るまうが、好きになるのは女性である。 (F)自分は女性なので女性として振るまうが、好きになるのは両性である。 (G)自分は女性だが、諸事情で男性として振るまっている。 等々の様々なパターンが現実に存在しています。上の例では、(a)は(B)、(b)はたぶん(C)、(c)は(F)、(d)は(D)ということになるわけです。(これに関連した統計データを(13)で紹介してあります) そして、性同一性障害((D)〜(G))の場合は、いわゆる「同性愛」「両性愛」とされる(A)〜(C)とは全く違った立場ということになるわけです。(男→女の)性同一性障害とは「自分が女である」という確信が根本にあり、それと体が不一致である、という、個人の問題でまず何よりも苦しむわけです。 それに対し同性愛は、そういう面での問題はなく、自分の存在が社会的に認められない、結婚が制度的に認められない、などの社会的問題、差別の問題が課題となるわけです。 なお、性役割という面で、「男である」と自認する人が「オネエ言葉」を使い、逆に「女である」と自認する人が使わないのは、文化的歴史的事情によります。当然ながら普通の女性はああいう言葉遣いはしません(笑)。ですから、「自分は女である」という人は、そういう言葉遣いをしないわけです。 それに対して、日本のゲイ文化では、「ゲイはオネエ言葉をしゃべる」という伝統があった(これの理由は諸説あるようですが)から、それをアピールするとか、自己を確認するというする意味でそういう語を使うわけです。(なお、職業としてのニューハーフについて非常に事情が複雑で、今別の掲示板などでもまとめつつあるところなので、ここでは割愛します) さらに言えば、「オカマ」という語は、明治以降に政治的意図をもって差別的な意味を付与されましたが(詳細は(12))、その当時の語感は現代においてはほぼ消滅しています。しかし、そこで形成されたネガティヴなイメージは、現代に至るも残っていますし、何よりも次のポイントを押さえる必要があります。それは、「オカマ」が、「生物学的男性」の中にある多様な「性」の形態のうちの、マジョリティ以外をすべてひっくるめた語である、ということは、すなわちこの語には「こいつは男である」という大前提が込められている、ということです。 「オカマ」と言われることに、言われた方が反発する理由は、当然その人の「性」に関する事情で異なってきます。ゲイの立場からすれば、自分は普通の男性で、たまたま好きになったのが同性だったというだけ、それ以外は普通なのに、「おまえはオカマだ!」と言われることは、「おまえは普通のオトコじゃない!」と言われていることになります。 対するに、性同一性障害者からすれば、「自分は女である」という自認が、その一言ですべて否定されてしまうわけです。「おまえはオカマだ!」と言われることは、「おまえはオトコだ!」と言われていることに等しいのです。 |
Re:リプライその2について 投稿者:れんだいこ ( 11/20 19:15:36 ) |
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(5)進化とは、種総体としての環境適応性の過程に過ぎず、その「例外」は次世代への進化の原動力である。 > さて、(4)での考察は、れんだいこさんの例外があるという風に認識するのが正確かと思われる、という主張とはもちろん矛盾しません。ただし、れんだいこさんの「進化」というものの理解は、「最新の生物学」が得てきた果実とは、かなり異なるようです。「最新の生物学」的に言うのであれば、♂は♀の突然変異として誕生し、たまたまそれが種の維持に相対的には具合がよかったので残った、ということになります。それ以上でもそれ以下でもありません。今後、もしかするとこれよりもさらに都合のよいパターンが登場しそちらが残る可能性だってあり得ますし、性別に(4)のような「あいまいさ」が残っていることこそが、それこそ、進化の可能性が「自然の摂理として」準備されているのかも知れ ません。(ただしそういうのが起こるのは10万年以上のスパン。逆にそのスパンでは、必ずどこかしらに何かは起こる、というのが「最新の分子生物学」の果実。) (答え)ここは私といずみさんの間にはさほど違いがないみたいですね。 > 「例外」が存在すること、そしてその誕生の必然性、これらはまさに「自然の摂理」として存在することであって、これがなければ生物は種を維持できません。ところが、れんだいこさんはその「例外」について自然の摂理は先天的ないし後天的資質あるいは欠陥、機能不全をも生み出してもいる。などと主張しています。れんだいこさんが盛んに使われている「自然の摂理」という言葉ですが、文章の中では比較的一貫して「種の保存」とい う観点から使われていると読めます。しかし、その観点からは、少なくとも「先天的」、つまり遺伝子的な「異常」は、「例外」である、というだけであり、欠陥とか、機能不全とかいう概念にはつながらないはずです。 (答え)「自然の摂理」には、メジャーとしての機能正常と例外的な非正常がどちらとも混在しているという認識に立っており、先天的なものも後天的に現れるものもあると考えています。但し、一人の個体として見た場合、片やオール正常こなた非正常という風にはなっていない。みんなあざなえる縄の如く入り組んでおり、たまたま目に付きやすいところ、痛みを伴うところでの非正常者として在る者は不幸だと思う。しかし、時にはそういう者はそれをカバーしようとして他の能力を格段に発達させる者も居り、そういう意味からも差別は良くないというスタンスですね、私は。それとあらゆる難関を通り抜けてこの世に生命を受けた者は生きる権利があるし、その生命を充足させるべき請求権があると考えています。 > (7)「優秀な精子の選別」などということは行われていない。 > 子宮まで引き込むことが本能とも云うべき必然性で摂理されているようである。興味深いことは、「優秀な精子の選別」における「優秀さ」の認定は、我々の薄っぺらな思慮をはるかに超えているようである。 > 「優秀な精子の選別」ということが行われている、というのは初耳です。ぜひ、その説を示すリソースをご教示ください。いずみは、受精が起こるのは純粋に確率の問題が大きいように認識していました。ただ、複数の♂個体の精液の間には、相手より自分の方を遊離にしようとする作用があるようですが。 (答え)これは、例えばNHKスペシャルの「生命の不思議」(正確な題名は覚えていません、確かビデオにもなって市販されているように思います)でも取り上げていたと思う。多少私が意訳している気もするが。 > (8)♂と♀の役割が同じ機能面として語られていないのはなぜか。 > 雄は「勃起力」を利用して勢いをつけて射精することが本能とも云うべき必然性で摂理されている。雌は、このうちの恐らく生物学的に見て継承されるに値する優秀な精子を選別し、子宮まで引き込むことが本能とも云うべき必然性で摂理されているようである。 > この部分では、「種の保存」について、♂については能動的な機能として「役割」が語られていますが、♀については能動性がまったくなく、単なる確率の問題として語られています。 (答え)いずみさんほどの者がそう誤意訳すべきではない。「子宮まで引き込むことが本能とも云うべき必然性」という文章には、メスの能動性も表現していますね。性交合から受精の過程はまさにオス・メス共同・助け合い、対等・働き分担の世界ですよ、と理解しようとしています。 > (9)「試験管ベビー」は「自然の摂理」に反していない。 > 「試験管ベビー」とはまた古い言葉を持ち出されていますが(今はもっと一般的に「体外受精」って言いますよねぇ(^o^))、「自然の摂理」に反していないからこそ、ちゃん と子供が誕生するのだと思いますが…。 そのような受精形態は自然界に存在しない、と いうことをもって「自然の摂理に反する」というのであれば、農業も工業もすべて自然の 摂理に反しているし(特に最近の農業・畜産などでは、単位生殖や遺伝子操作など既にあ たりまえのように行われていますが、そうでなく、そもそも種を蒔いて収穫する、という 作業自体が、確実に「あるがままの自然」を壊します)、そういう生産によって得られた 果実である現代医学を人間に作用させること自体が自然の摂理に反しているということに なってしまいます。 (答え)ここは暴論ですよ。だから逐条解説したくないんだな。農業も工業も確かに加工しますが、むしろ自然の摂理をうまく引き出している方向で加工しているように思います。但し、化学-科学の凄まじい発展は、こうした自然の摂理以上のことをしつつある、これをどう了解していくのかが今現在問われつつあるのであって、慎重に利用操作せねばならない段階にあるというのが正式の見方でしょう。いずみさんの捉え方は、どこか変調だなと思う。 > なお、これはいずみの杞憂だとよいのですが、れんだいこさんは、体外受精一般と、代理母や生殖細胞提供などの問題を混同されていませんか? (答え)うーーん、そう云われると困る。体外受精の範囲について定かには知らない。代理母は見当がつく。生殖細胞提供の提供と云われるとさて何だっけということになる。クローンのこととはまた違うのかいなぁ。 > (11)「オカマ」とは、「性的」にマジョリティーでないすべての生物学的男性 をひとくくりにした、およそ「非科学的」な語であり、また対象者を不愉快にする要素を多く孕んだ語である。ということでやっと本題ですね(笑)。これほどまでに、性をめぐる様々な問題について、そのほとんどすべてに渡ってメチャクチャな意見を見たのは、まじめな話、生まれてはじめてです。 (答え)あらまっ > ここでは、通常「AF」と呼ばれているところの性行為のことがまず「オカマ行為」と 定義され、「それを性癖とする人」が「オカマ」であるとされています。歴史的経緯から 見れば、これはまったくもって転倒した理解です。「オカマ」と言われる人も(「も」で す!「は」ではありません!)行う、ある種の性行為が「オカマ行為」のように錯誤され た、というのが順序というものです。そもそも上記の理解では、現在、新宿や渋谷や池袋 や、その他腐るほど存在する「AFアリな風俗店」のお客さんが、みんな「オカマ」とい うことになってしまいます(笑)。いくらなんでも、そんなはずは絶対にあり得ないですよ ね。この歴史については(12)で、行為については(14)で詳しく延べます。ということで、 まず、現代における、一般的な「オカマ」の使われ方に基づいた分析を説明しておきまし ょう。以下長いので略。 (答え)ここで分かったことは、「オカマ」という表現に対して、いずみさんは、もっぱら属人的にイメージしており、私は菊門折衝行為の方をイメージしているという違いですね。で、以下いずみさんの名解説によりなるほどなるほどと勉強になりました。ここは私のサイトにとっておきたい部分ですね。 で、私の受け取りようがおかしいのかというと、普通はですね、われわれの世代は、「オカマ」とは行為のほうで捉えているように思うんだがなぁ。で、私が共産党批判に使ったのもこのセンテンスでだったと思うわけです。しかし、属人的に理解されているのなら、これほど広い仮面男・仮面女の世界に対して、不用意には使ってはいけないということにはなるわなぁ。触らぬ神にたたりなしかなぁ。よぉと分かりました。 |
Re:リプライその2について 投稿者:いずみ <HOME> ( 11/21 02:15:06 ) |
(3-10)「正常」と「非正常」の差異に価値を見いだすのは自然科学の立場ではない ここも論旨が混乱しているパラグラフです… > 「自然の摂理」には、メジャーとしての機能正常と例外的な非正常がどちらとも混在しているという認識に立っており メジャーと正常・非正常には関係がありませんよね。高校の教科書に出ているレベルでも、例えば、メンデルの法則(笑)の「優性」「劣性」と、形質上の有利・不利が一致していないケースはザラにあります。「優性」というのは、それこそ、れんだいこさんが言う意味においてすら「遺伝子として相対的に強い」モノだからこそ、それが形質としてマジョリティになるわけです。ただそれだけです。正常もなにもありません。 で、たぶん、このあたりの齟齬はいろいろあるのでしょうが、根本の部分で1つあるのは、「自然の摂理」というものを、自然科学の領域で捉えるいずみと、もっとアバウトな感覚でとらえるれんだいこさんとの差異でしょう。いずみにとって、「自然の摂理」とは、森羅万象、古今東西、全宇宙においてビックバン以来常に普遍なモノです。じゃなきゃ「自然」じゃないわい。それに対し、人間の社会性は、そういう枠でくくれない。だからこそ、いろんな思想家がここを埋めよう、あるいは別個に何か建設しよう、と苦闘してきたはずなのだ、といずみは理解しています。 ところが、そういう、自然科学がカバー仕切れない部分(そしてこれが本当の意味で永久にカバー仕切れないのじゃないか?、という疑義が、ここ100年の自然科学の最大の果実の1つかも知れません)までも、れんだいこさんはすべて「自然の摂理」で説明しようとする。 自然の摂理を追求すればするほど、確率が支配する世界の方が目につき、だからこそその矛盾をどう捉えるかで腐心してきた先達を思うと、やっぱりれんだいこさんはちょっと傲慢にみえてしまうですよ。うーむ。 (3-11)「優秀な精子の選別」はこちらでも調べてみます。 いずみが記憶しているのは、前にも書いたとおり、1匹の♀に対する複数の♂の間の競争で、互いの精子を不利にする働きが自前の精液にある、みたいなことです。 (3-12)物理的作用と精神的作用とをシームレスに語らないでください > (答え)いずみさんほどの者がそう誤意訳すべきではない。「子宮まで引き込むことが本能と も云うべき必然性」という文章には、メスの能動性も表現していますね。性交合から受精の過程 はまさにオス・メス共同・助け合い、対等・働き分担の世界ですよ、と理解しようとしています > 。 それは精神的なレベルの話じゃないですか。>「対等・働き分担」そもそも「自然の摂理」によって考えれば(笑)、性交渉における男性と女性の快楽の得方は、時間軸においても度合いにおいてもズレがありますよね。そこを精神面でカバーする、というのが「助け合い」なのだと思いますが、だがしかし、そのようなことを少しでも考えるのは、「人間だけです」(たぶん) 性に神秘主義を持ち込んじゃいかんです。助け合いというのは、高度に人間的な作業。 ♂が勢いよく精液を出すのは、物理的に必要なことでしょう。人間以外の場合は。(笑)(人間には体外受精がありますから、そんな必要もないのです。近代科学万歳!(笑)) そして、そこでは対等な関係もへったくれもあったもんじゃないです。そもそも、動物においては、♂が偉い種もいれば♀が偉い種もいる。そんなのいろいろです。 あと、「自然の摂理」を云々するのであれば、まさに「瞬発的筋力が大きい」♂が、♀を「レイプする」という行為は「自然の摂理」的には「自然」にならないのですか? 哺乳類では普通に見られますよね? レイプ、動物学的にはただの"mounting"。(^^;;) で、これだけだといちゃもんつけみたいなので、根本に指摘しときます。つまり、いずみは、そもそも男女の性交が対等だとか、おたがいの役割に何か理由があるとか、そういうの自体がナンセンスだと思うのですね。人権が人間にしか認識できないのと同様に、そもそもsexなんか「動物的な役割から分析したところで」対等になんか見えっこないのです。 (3-13)結局、れんだいこさんの言う「自然の摂理」は形而上でしかない > (答え)ここは暴論ですよ。だから逐条解説したくないんだな。農業も工業も確かに加工しますが、むしろ自然の摂理をうまく引き出している方向で加工しているように思います。但し、化 学-科学の凄まじい発展は、こうした自然の摂理以上のことをしつつある、これをどう了解して いくのかが今現在問われつつあるのであって、慎重に利用操作せねばならない段階にあるという のが正式の見方でしょう。いずみさんの捉え方は、どこか変調だなと思う。 それは形而上です。何も語っていません。「自然の摂理」が、れんだいこさんの主観を越えた普遍性を持っていることが全く示されていません。「自分にとってはそれが自然だ。だからそうなんだ」はまさに形而上。 (3-14)遺伝子交換という現象の重みへの無理解 >> なお、これはいずみの杞憂だとよいのですが、れんだいこさんは、体外受精一般と、代理母や生殖細胞提供などの問題を混同されていませんか? > > (答え)うーーん、そう云われると困る。体外受精の範囲について定かには知らない。代理母は 見当がつく。生殖細胞提供の提供と云われるとさて何だっけということになる。クローンのこと とはまた違うのかいなぁ。 ……… あのですね、クローニングがなぜ特別に問題視されるかと言えば、それが、自然界では、それこそ「いずみが次の瞬間にれんだいこさんの隣にテレポテーションする」というのと似た確率でしか起こり得ないことだからですよ… クローニングて、単為生殖っすよ!単為!! 単為生殖が、遺伝子の「劣化」防止のために不利なことは科学的に示されています。そして、だからこそ単為生殖は少数派になっています。(でも、蜂とか蟻とか、極度の階級社会(笑)になってる奴はコレが多いのよね(笑)) 「不妊」なんか、いくらでも自然界で起こり得ることです。だから、同性愛だろうが性器切り落とそうが、そんなことは自然界で想定される範囲内の「確率」です。「例外」なんだから今のところは(笑)。 でも、哺乳類で単為生殖ってのは、ちょっとビビりますよさすがに^^;; 代理母は、単に子供と母親の遺伝子に連関がない、ってだけの、生物学的にはまったくどーってことない問題でしょう。(でも倫理上は大問題だから問題視されるだけ) (3-15)まさに「差別的歴史」の傍証がここに!! > (答え)ここで分かったことは、「オカマ」という表現に対して、いずみさんは、もっぱら属人 的にイメージしており、私は菊門折衝行為の方をイメージしているという違いですね。で、以下 いずみさんの名解説によりなるほどなるほどと勉強になりました。ここは私のサイトにとってお きたい部分ですね。 なぜそういう理解にれんだいこさんが到っていたのか?ということが最大の焦点でしょう。 江戸時代だと、膣性交と肛門性交は、「天悦」と「大悦」という、まぁ似たような語で現される二項概念に過ぎなかったわけです。(ちなみにそれぞれの論理を「近代」にあてはめれば、明らかに後者は差別的なのですが(^^;;)、しかし当時はそんなことはないです) しかも、語源的には「陰間茶屋」という商業形態(^^;;)が元。陰間がいる茶屋だからそういうワケであって、行為のことを指してたのではありません。そして、「おかま」つーのは、れんだいこさんより少し上の、都市部の人間にとってはソッコーで「男娼」を意味するのです。だからこそ、いずみの母親は、この語を極端に嫌います。ニューハーフの方がまだまし、と言ってます(笑)。 れんだいこさんが、どこでその語に対するそのようなイメージを膨らませていかれたのかはわかりませんが、少なくとも、およそ性について、ある程度の歴史または事実を踏まえるならば、そのような発想は出てきません。 …などと考えるとまた「考えすぎ」と言われそうなので、やめときましょう。 ズバリ言いましょう。 れんだいこさんは「性」についてあまりに保守的に育ってきた。 だから拒絶反応がある。 実はそれだけだったりして。(爆) |
Re:リプライその2について 投稿者:noiz ( 11/23 03:40:33 ) |
質問しっぱなしでばっくれててすいません.しかも,以下,部分的な反応です. >> ここでは、通常「AF」と呼ばれているところの性行為のことがまず「オカマ行為」と 定義され、「それを性癖とする人」が「オカマ」であるとされています。歴史的経緯から 見れば、これはまったくもって転倒した理解です。「オカマ」と言われる人も(「も」で す!「は」ではありません!)行う、ある種の性行為が「オカマ行為」のように錯誤され た、というのが順序というものです。そもそも上記の理解では、現在、新宿や渋谷や池袋 や、その他腐るほど存在する「AFアリな風俗店」のお客さんが、みんな「オカマ」とい うことになってしまいます(笑)。いくらなんでも、そんなはずは絶対にあり得ないですよ ね。この歴史については(12)で、行為については(14)で詳しく延べます。ということで、 まず、現代における、一般的な「オカマ」の使われ方に基づいた分析を説明しておきまし ょう。以下長いので略。 > > (答え)ここで分かったことは、「オカマ」という表現に対して、いずみさんは、もっぱら属人> 的にイメージしており、私は菊門折衝行為の方をイメージしているという違いですね。で、以下 いずみさんの名解説によりなるほどなるほどと勉強になりました。ここは私のサイトにとってお きたい部分ですね。 > > で、私の受け取りようがおかしいのかというと、普通はですね、われわれの世代は、「オカマ 」とは行為のほうで捉えているように思うんだがなぁ。で、私が共産党批判に使ったのもこのセ ンテンスでだったと思うわけです。しかし、属人的に理解されているのなら、これほど広い仮面 男・仮面女の世界に対して、不用意には使ってはいけないということにはなるわなぁ。触らぬ神 にたたりなしかなぁ。よぉと分かりました。 参考までに.ぼく20代後半♂ですが,一義的に「オカマ」=「菊門折衝行為」とはイメージしません.ぼく自身はむしろいずみさんのおっしゃることの方がすぐに合点がいきます.ぼくが属する世代がどうかということは分かりません.もちろん統計的な傍証資料を持ち合わせていないので,世代論を軽はずみにぶつつもりもまったくありません. れんだいこさんの「普通はですね」「われわれの世代は」という言葉がどこからやって来るのかまったく分かりません.傍証なしのそれらの言葉に何か意味があるとお思いでせうか. # ちなみにいずみさんが紹介された「かげま (=男娼)」という言葉ですが, 卑近なところでは,ご指摘そのままの用例で,カムイ伝第二部で出てきます. で,ぼくは,れんだいこさんのイメージするところが読めずにああいう質問をしたのです.しかし,今までの議論 (になっているのかはともかくとして) で,ぼくが質問したことに関して,れんだいこさんの言わんとするところは分かりました.でもそのことに関してはまったく関心がありません.ごめんなさい.ぼくは日本共産党のことはどうでもよいのです.具体的な利害の衝突があれば別ですが. カバラ公爵さんがご指摘されたように,ぼくは,言葉の使い方にかみついただけで,スレッドの本論とは外れた話題の振り方をしました.しかし質問してよかったと思います.いずみさんが分かりやすく,「性」の認識についての交通整理をしてくださったからです.掲示板でこんなにジェンダーの問題に関しての主張が「分かりやすく」(ぼくの主観) 展開されたのに遭遇したのは初めてです.圧倒されてず〜っと黙ってましたけど :D 触らぬ神に祟りなしとは残念ですね.怒られるからしゃべらないんじゃぼくなんか何もしゃべれなくなりそうです.でも実際はしゃべりまくりですが ;-) |
(私論.私見)