時事評論(2) |
7473 | 返信 | Re:戦争観が定まっていない | URL | れんだいこ | 2001/07/26 21:37 |
小林さん、ちわぁです。
>日韓、日中合同の戦史調査を精力的にすべきなのです。というのは難しいように思います。それは日本側に戦争観(歴史認識)が定まっていないからです。(疑問:日韓間に戦争は無かったと思うのですが?) 「日本側に戦争観(歴史認識)が定まっていない」ことが、日韓、日中合同の戦史調査が出来ないのではなく、それぞれの政府がやる気が無いしやりたくない事情があって出来ないのではないかと思いますねぇ。(疑問:日韓間に戦争は無かったと思うのですが?)については、それは戦局の帰趨がワンサイドになったからで、韓国の国粋主義者からははらわたが煮え繰り返ることだったと思えますけどね。 > 戦争観が定まっていない事について、南京事件を例に、れんだいこさんの意見を聞きたいと思います。それは松井大将の東京裁判判決についてです。(以下略) これについては、極東国際軍事法廷任せにしたまま今日まで無為に経過していることがどだいおかしいと考えます。松井大将にせよ、広田弘毅にせよ、この二人がA級戦犯になるのならもっと相応しい人物がたくさんいたと思われますね。 戦後の混乱期ならいざしらず、その後五十年の間には我々の手で検証し直そうという動きがあってもおかしくなかったと考えます。社共が健在の頃、学者も含めてそういう運動を組織しなかったのが変調ではないでしょうか。指導者の能力不足か性格が悪かったのかのどちらかが理由として考えられます。それほどひどいという意味です。 > 以上の例でいいたかった事は、日本の側でやるべき事をやっていない現状こそ問題だという事です。 同感です。 筆が余って書き加えますと、靖国問題で、A級戦犯が合祀だからいけない論はナンセンスではないでしょうか。この論は、A級戦犯が合祀されていなければ靖国参拝は問題ないということになる上に、A級戦犯を引き続きスケープゴートにして政治利用しようという悪辣な手法だと思われます。墓苑建設論が出ていますが、それは一つの便宜的な解決法ではあるが、根本的には事態を何ら解決しない。目下の先送り経済政策と軌を一にしているような案だと思えます。 私なら靖国神社の解体から再建という手法でウヨもサヨも参拝できるようにしようと思います。それでもサヨが参らないというのは勝手にしなさいです。なぜなら、靖国には既に一定の歴史の積み重ねがある訳だし、靖国の桜の下で会おうと云って散った人たちの重みがあるからです。戦争加害者も被害者もその時代の中で翻弄された者達ばかりだとも思うからです。そういう意味で、皇室賛美調の護国神社としての現下靖国神社を、戦後憲法精神に基づいた神社性格に改変し参拝した方が辻褄が合うように思われます。 小泉首相は、必要なこうした改変化抜きに参拝を強行しようとしていますが、当然責められるでしょう。責めを負うべきだと考えます。中曽根は話になりませんが小泉は聞き分けせねばならない。靖国神社をそういう神社に切り替えるよう尽力するから参拝させてくれ(これこそまともに『聖域無き』構造改革だわな)と云うのであれば、窮余の一策としてれんだいことしては片目をつぶります。このれんだいこ見解にノーコメントで参拝強行するのなら、逝って良しと思います。 |
8943 | 返信 | 南京事件でそろそろ虐殺数の見解をば確認致したく。 | URL | れんだいこ | 2001/08/23 08:11 | ![]() |
いろいろ有益な遣り取りになりそうで新しいスレッドを起こします。既にレスいただいておりますが、こちらにてお返ししようと思います。皆さん宜しく御願いします。(>の文章は、渡辺さんからいただいたものです)
渡辺さん、少しロム専にしておりますれんだいこです。昨日笠原氏の「南京事件」を手にしたところです。読んで見てその成果を報告させていただこうと思っています。私との遣り取りの個所をリンク表示されましたので、丁度RE投稿しやすくなりました。かのレス投稿に対する私の意見を述べて見ます。 れんだいこさん: >まずご指摘しておきたいのは「虐殺実数が真実三十万人」かどうかなど、昔はほとんど問題になっていなかったという事実です。 このようにご教示いただいておりますが、渡辺さんの意見はどうなんでしょうか。この文面から私は、渡辺さんは「虐殺実数が真実三十万人」説をナンセンスとされておられるように受け止めることが出来るのですが、読み取り違いでしょうか。私の知る限り渡辺さんは、大虐殺の様子を資料的にこんこんと実証されておられるので、「虐殺実数が真実三十万人」説の立場で発言されているものと思っているのですが、そうではないのですか、この辺りで渡辺さんの見解はどうなのかお伝え願えますか。 >私が「南京大虐殺」について書かれた本を読んだのは、実はこの本が最初です。ところが、内容は「大虐殺」ではなく、写真や「百人斬り」否定で変な本だと感じましたので、秦郁彦「南京事件」(中公新書)を読んで当時は納得しました。その頃、再び教科書に「南京大虐殺」が掲載されるようになり、家永教科書裁判などがありました。 ここで「百人斬り」のことを書かれていますが、先だって産経新聞で当時の記者の捏造の実態が記事にされていました。渡辺さんはどのように判断されておられるのでしょうか、お聞かせ願えますか。 >以上のように、当初は国際的には「南京大虐殺」の被害者数など中国でもほとんど問題にされていなかったのです。(これは抗日戦争を戦ったのが国民党ではなく、中国共産党であるとしてきた中国の国内事情もあるように思います。)これが国際的に関心を呼んだのは、日本国内の事情が発端なのです。それを今になって何か国際的陰謀があるかのように藤岡信勝らが言っているのです。 この下りを読んでも、渡辺さんご自身が大虐殺人数をいかほどの規模で考えておられるのか一向にはっきりしません。分かりやすくいえば、諸説を解説いただいただけです。それとも、人数の確定にはさほど意味が無いとの立場なのでしょうか。その場合でも、ご自身としてはこう考えると言うのでなければ本当は議論し合えないのではないかと思う訳です。 なぜ拘るのかというと、南京事件をめぐっての諸論争の中で、この人数の概算確定は要になっていると思うからです。いわゆる「まぼろし派」は、風潮的に云われているような大虐殺はなかったとして、小虐殺は認める立場から限りなく無虐殺派までが包含されているように思われます。これに対し、何を言うかと批判するならば、当然推定虐殺数を明示しなければおかしいと考えます。他方で、「虐殺実数が真実三十万人説」派は、この数字以下の説を唱える者は「まぼろし派」と誼を通じており事件の真相を理解していないと主張しています。というようなことから、渡辺さんの考えをそろそろ聞かせてもらえたらと思います。 >すでに投稿しましたように、捕虜を組織的に殺害したことは明白であると思います。また、元兵士とされた市民も「捕虜」として殺害されました。南京だけを見ていると一般市民の殺害は不思議に思われるかも知れませんが、上海から南京まで、日本軍によって何が行われたかを見れば理解できる思います。 ここについてですが、「まぼろし派」は「捕虜を組織的に殺害した」ことを否定はしていません。云われるような無原則な殺戮は無かったと指摘しております。これを否定するのであれば、無原則かアナ-キーかの方法で殺戮が為されたことを証明せねばならないと考えます。そこで、中国人、日本兵、国際委員会の人達の証言が出てくるのですが、ほぼ伝聞証言になっているように思えます。その人自身が見た、やった、それが他の人の証言によっても裏付けられるもので且つ「大虐殺証言」でないと話が噛み合わないと思います。そういう一級資料をできるだけ採録したいと思っております。 今まで私が読んできたものはほぼ小人数に関しての虐殺証言で、肝心なところが推定になっていたり伝聞になっています。南京事件六十ヵ年全国連の元兵士の証言なぞは大虐殺のそれではなく「まぼろし派」に使えそうなものでしかありません。なんじゃこりゃという感じです。私にはそういう不満が堆積されていっております。この点、渡辺さんから一級資料を呈示していただけたら幸いです。 >それまでどういう歴史が「内地」であったかは関係ないと思います。「支那事変」そのものが、すべての人にとって初めての経験なのですから。DNAという言葉をそんなところに使うと専門家に叱られてしまいます。 ちなみに専門家にどのように叱られるのでしょう興味があります。 >実態は当時書かれた文書や、回想などによって明らかにするしかありません。民族性は関係ないと思います。中国で残虐行為をした中には日本軍の中には朝鮮人、台湾人兵士もいます。 「中国で残虐行為をした中には日本軍の中には朝鮮人、台湾人兵士もいます。」 これはそれこそどういう意味なんでしょう。 >憲兵隊について誤解があるように思います。これは軍事警察のことで、処刑は軍法会議、占領地では軍律会議によります。警察が市民の見方になることもあれば抑圧者となることもあるように、憲兵隊が市民、占領地住民の保護者になることもあれば、拷問する側にもなりえます。 これは私の意見に対するご返答にはなっていません。憲兵隊の話をしたのではないのです。 > 事件の有無は史観に左右されるものではありません。「被虐的史観」云々はすでに述べましたように、1970年代頃から加害者としての日本という面が強調されたことを捕らえて言ったものだと思います。 「事件の有無は史観に左右されるものではありません」も変なご返事ですね。 > 今思い起こしますとなるほどと思います。南京事件の中心であった第一六師団は、レイテにおいて残虐行為を行い、住民、ゲリラの襲撃を受け、最後は米軍の攻撃で凄惨な最後を遂げたのです。もちろん、当時の師団長は中島今朝吾ではなく、兵士も多くが補充されていたとは思います。 これは良いご教示でした。南京事件の部隊のその後は追跡されねばならない、そのことにより見えてくるものもあると思われます。 >「アジア太平洋戦争の研究レベルや戦争観から言えば、アジア太平洋戦争を侵略戦争と明確に規定し、また多くの日本人が、侵略戦争あるいはきわめて侵略性の高い戦争との認識を抱いていることは間違いない。だが、それにも拘らず、それが同時的に戦争責任や加害責任の問題にまで意識化されている現状はないことも確かである。つまり、日本人の戦争意識が依然として確立されていないということだ。それが侵略戦争否定論者たちの格好の狙い目とされているのである。」(P010) 「歴史修正主義者たちは、実証的な歴史研究を専門的職業とする歴史家たちではなく、その限りでは学問上の論争の相手ではないにしても、その社会的な影響力は無視できるものでは決してない。」(P011) これは一見良い指摘をされているように聞こえますが、かなり高慢な云い方がして臭いです。 |
8945 | 返信 | Re:とほほさん、そうかっかせんでもえんとちゃうかなぁ。 | URL | れんだいこ | 2001/08/23 08:38 | ![]() |
とほほ 2001/08/23 05:49さんのレスを移し変えておきます。
よこ入り失礼 > このようにご教示いただいておりますが、渡辺さんの意見はどうなんでしょうか。この文面から私は、渡辺さんは「虐殺実数が真実三十万人」説をナンセンスとされておられるように受け止めることが出来るのですが、読み取り違いでしょうか。 読み違えです、30万人を否定できないが、現状において確認できる規模を提示しているんです。れんだいこさんはなぜそこまで30万人を否定したいのですか? そうした、行為にはどう言う意味があるのですか? > 私の知る限り渡辺さんは、大虐殺の様子を資料的にこんこんと実証されておられるので、「虐殺実数が真実三十万人」説の立場で発言されているものと思っているのですが、そうではないのですか、この辺りで渡辺さんの見解はどうなのかお伝え願えますか。 議論の誘導は結構ですが、誘導するためには上記の疑問対して論理的な説明が必要です。 > ここで「百人斬り」のことを書かれていますが、先だって産経新聞で当時の記者の捏造の実態が記事にされていました。渡辺さんはどのように判断されておられるのでしょうか、お聞かせ願えますか。 「百人斬り」に関しては、その数が百人であったかなかったかなど無意味な議論なのです。そうした風潮の中で捕虜虐殺住民虐殺が日本軍の中で一般的になされてきた、と言う事実の傍証であるのが、百人斬り競争、なのですよ。 実際には、百人斬り競争、とは捕虜やゲリラもしくはその協力者とみなされ手続きも無く処刑された事象の、捏造的報道ですよね?<この辺逃げるなよ。 > >以上のように、当初は国際的には「南京大虐殺」の被害者数など中国でもほとんど問題にされていなかったのです。 馬鹿な事言うなよ(怒り) 何を根拠にしてるんだ? とほほさん、始めまして。うーーんどうお答えすれば良いのやら暫らく様子見致します。 |
8994 | 返信 | Re:とほほさん、そうかっかせんでもえんとちゃうかなぁ。 | URL | とほほ | 2001/08/24 12:15 | ![]() |
>
とほほさん、始めまして。うーーんどうお答えすれば良いのやら暫らく様子見致します。 様子を見るではなく、ちゃんと考えなさい(^^; これは私の読み違い。 渡辺氏の論説を引用したものですね。渡辺氏がここで言っている事は 南京虐殺事件の問題点とは数の問題ではない、と言う言質が基調になっており、南京事件「論争史」に対する見解であり南京事件そのものに関する論説ではない、と言う事です。>ですよね?(^^; その引用の仕方が私には「中国でも当初は南京事件の事など誰も問題にしてなかった」と読めてしまったのです。以降、れんだいこさんの書き込みはよく読んでレスすることにしますm(__)m <否定論者の書き込みは大抵同じくだらん事を書いているので本当はちゃんと読んでない(^^; に、しても、人の文章全文引用で、コメント一行ですか? 揚げ足取りではなく、ちゃんと反論すべき所に反論したら? 自分のサイトではそう言う風に言ってるよね?>れんだいこさん |
Re:とほほさん、やっぱなんと申しますか。 | URL | れんだいこ | 2001/08/24 12:38 | ![]() |
> 様子を見るではなく、ちゃんと考えなさい(^^;
応えはいつでも出来ますが、渡辺さんのレスをお待ちしておるところです。その方が生産的でしょ。 > その引用の仕方が私には「中国でも当初は南京事件の事など誰も問題にしてなかった」と読めてしまったのです。以降、れんだいこさんの書き込みはよく読んでレスすることにしますm(__)m 否定論者の書き込みは大抵同じくだらん事を書いているので本当はちゃんと読んでない(^^; それがあかんというのです。「まぼろし」派の意見は、「火の無いところに煙は立たず」の例で、言い分としての根拠はあると思いますよ。れんだいこは、その史実を皇国史観と聖戦イデオロギーにもって行かすのではなく、南京事件の経過に垣間見られる当時の軍上層部あるいは政府あるいは天皇あるいはマスコミらの一蓮托生組の、こういってよければ既に二級でしかない統治能力に注目していきたいのです。 クロかシロか、クロなら味方でシロなら見向きもしないというのが、当節はやりの左派人士の精神の貧困であって、そういう按配だから世の中ますます保守化していっているのではないかなぁとかつくづく思うよ。 > に、しても、人の文章全文引用で、コメント一行ですか? 揚げ足取りではなく、ちゃんと反論すべき所に反論したら? 自分のサイトではそう言う風に言ってるよね?>れんだいこさん とほほさんはほんとにトホホだなぁ。直近の渡辺さんのレスを見れば、また冒頭でお詫びせんといかんことになるよ。 |
9046 | 返信 | Re:南京事件でそろそろ虐殺数の見解をば確認致したく。 | URL | ナミ | 2001/08/25 13:14 |
>ナミさん、おはようございます。いいお天気ですね。
そうですね。久しぶりに暑くなってきました。 >わたしはヤフーの検索で調べたのですが、とりあえず、5件出てきました。 私は11件出てきました。その中に興味深いものを一つ発見しまして、タイトルだけを引用しますと、「南京虐殺をでっちあげたサヨクの手口」というページに左翼が引用する資料として提示されていました。この点から推測すると、まぼろし派にとってこれはむしろ無視したい資料なのでは? >田中正明さんについて、わたしは名前しか知りません。ナミさんは、どんな調べ方で、田中さんが「平気で資料を捏造する人物」だということを、お知りになったのですか? わたしは名前しか知りませんって、中帰連に紹介されていたと言ったのはあなたでは? むしろこの人についてはあなたの方が詳しいと思ったのですが(^^;。 この人については私も初耳だったので調べてみると ・歴史修正主義者で南京大虐殺まぼろし派 ・イオンド大学の教授(http://www.iond-univ.org/professor/index.html) ・松井日記改ざん事件を起こした(最後に引用) ・「南京事件の総括 虐殺否定15の論拠」という本を書いている 等のことが分かりました。 >【ルイス・S・C・スミス(スマイス)博士】に対する検索を通じて、「国際日本人養成講座」が登場したのであって、その逆ではないのですよ。現在、そのサイトに博士の引用がないとすれば、サイトサイドの個々の事情によって、なくなってしまったのでは? まぁ何かの理由で掲載していたのでしょうね。あの資料を見る限り「なかった」派が使えるとは思えませんが・・・捏造すれば可か? まぁそういうわけで、検索に引っかかったからといって必ずしも関係があるとは限らないということです。 2chについては板によってぜんぜん論調が違いますから。 「ハングル板」が極右で「政治思想板」「軍事版」は中庸でしょうか。 中にはかなり確かな情報もあるので(もちろん検証して)、使いようだと思います。 秦郁彦『昭和史の謎を追う[上]』 田中正明の松井日記改ざん事件 一九八五年十一月二十四日付の朝日新聞は、翌日付で発表される雑誌『歴史と人物』(一九八五年冬号)に板倉由明が執筆した「松井石根大将『陣中日誌』改竄の怪」(上の写真)の要点を報道した。 陣中日誌の原本は、南京攻略戦の最高指揮官松井大将が記したもので、自衛隊板妻駐屯地資料館に保管されていたのを田中正明が借り出し、走り書きの日記を判読して出版したばかりのところだった。 雑誌の編集部は、専門の読解者に手助けしてもらい、同じ原本と対照したうえ、解説を板倉に依頼したものだが、南京虐殺を否定する方向で九百か所以上の削除、加筆、誤記、文章の移動などが行われていることが明らかにされた。 板倉は同じ紙面で「誤読、脱落はありえても、もとの日記に書いていないことを付け加え、それに注釈までしているのではどうしようもない」と評し、田中は「言い逃れになるかも知れないが、体調などの悪条件が重なりミスしたもので、決して虐殺は虚構だという自分の主張に合わせて加筆や削除したのではない。申し訳ない」と釈明した。 本多は、さっそく翌日の紙面で「松井大将が生きていれば、さぞ改ざんを怒り嘆くだろう」と追い討ちをかけ、(あなたの投稿は消されていましたね)洞富雄も『赤旗』紙上で「このエセ研究家にあえて一撃を加えた見識に……敬意を表したい」と述べた。さすがの田中も再起不能におちこんだか、と噂されたが、支援者たちに励まされてか再起の日は意外に早かった。 一年半後に、(過去ログの場所を紹介しましょうか)田中は『南京事件の総括』(謙光社)を刊行、虐殺派、中間派のライターたちを威勢よくなで切りにしたあと「あとがき」で改ざん事件に言及した。すなわち「そのほとんどは、私の筆耕の誤記や誤植、脱落、あるいは注記すべきところをしなかった等の不注意によるものであります」と弁解しつつ「字句に多少のズレはあっても、松井大将の真意を曲げることなく、その目的は完全に果し得た」と自賛した。その心臓ぶりには脱帽のほかないが、シロウトばかりでなく学者のなかにも彼を全面支援する人がいるから不思議だ。 |
9047 | 返信 | Re:南京事件でそろそろ虐殺数の見解をば確認致したく。 | URL | れんだいこ | 2001/08/25 13:28 | ![]() |
これは、渡辺さんの「9023 返信
南京事件でそろそろ虐殺数の見解をば確認致したく。」に対する返信です。全文レスは長くなりますので私が論議したいところに限り書き込んで見ました。
渡辺さんにまず御礼述べさせていただきます。笠原氏の「南京事件」読んでみました。秦氏の「南京事件」も手に入れましたがこちらはこれからです。読んでみて思ったことは良書であるという思いです。資料的に貴重な情報が豊富ですね。インターネット上での情報取りだけでは不十分だということが分かりました。骨が折れますが、私のサイトに取り込む箇所がかなり多く、いっそのこと模様替えせねばならんと気づきました、一言御礼申し上げておきます。 さて、このたびの渡辺さんのご教示により虐殺総数が分かりました。戦闘死亡者については書かれていませんが、それに捕虜の殺害8万5000人、一般市民10万人前後と見なして加えた場合、ほぼ30万人説になるでしょう。この観点だと云うことが分かりました、ですよね。 渡辺投稿> (「百人斬り」事件とこのたびの産経新聞報道にどう思われますかという質問に対して) >「先だって産経新聞で当時の記者の捏造の実態」というのはどういう内容か知りませんが、「南京大虐殺」の主要部分とはほとんど関係がありません。 これについては、れんだいこは次のように考えています。確かに、「百人斬り」事件が「南京大虐殺」の主要部分とは関係なくとも、その他不実写真掲載の例もあり、資料集における各証言を付き合わせてみると、それぞれ虐殺の様子が大きく齟齬している面もあるという按配で、一言でいって杜撰な訳です。 これは何を意味しているかというと、南京大虐殺論者間では結論よければ全て良しという風潮に侵されているのではないのか、という推定が成り立つのではないでしょうか。実に、この部分が「まぼろし派」に突かれているのですから、常識では反証していくのがマナーだと思われますが、そういう分析的な論議は為されてきたのでしょうか。「大局的には云々」論法による暗黒史観で、この辺りの考察がなおざりにされているとしたらとても残念なことです。 渡辺投稿 >すでに、投稿しましたように「まぼろし派」なるものは問題外と考えています。下記にその部分を引用いたします。「三つの学派」は存在しません。下記の部分を含めて言及された中で、歴史の研究者といえるのは、洞、藤原、秦の各氏だけです。あえて加えれば板倉氏が「南京戦史」の資料収集において功績があります。「虐殺=謝罪派」というのも理解に苦しみます。歴史学では、謝罪するとかしないとかを問題にしているのではなく、事件の事実のみを問題とします。ただ、偕行社は、たしかに当事者も会員にいるわけですから、当事者として「謝罪」したということは間違いではないと思います。なお、「虚構まぼろし=居直り派」は学問的には成り立ちえませんので問題外です。 これについては、れんだいこは次のように考えています。わたしが「三つの『学』派」としたから、上述のような返答をいただいたのでしたら次のように訂正します。南京事件をめぐっては、大虐殺派と中虐殺派と小虐殺ないし無虐殺派までの三派が存在する。問題は、「『虚構まぼろし=居直り派』は学問的には成り立ちえませんので問題外です。」とまで云えるのかということだろうと思います。私は、「火の無いところには煙は立たない」と考えており、連中が拘るにはそれなりの根拠があると見なしています。これについては、このレスでは長くなりますのでおいおい私見を述べてみようとも思っています。 渡辺投稿 >もともと捕虜はとらない方針ですから、少人数の場合はその場で適宜処刑されたと考えられます。たとえば、三十三連隊では戦闘詳報に紫金山にて捕虜約3千人があり、かつ「俘虜ハ処断ス」とし、揚子江上に浮遊する「敗残兵」2千人以上を加え、13日の「死体(概数)」を5、500人としています。[偕行社「南京戦史資料集T」P495,499] 幕府山」の捕虜殺害では明瞭な命令が出ていたものと考えられます。 ここですが、「もともと捕虜はとらない方針」であったことは疑いないです。問題は、その方針に基づいて実際に『大量』虐殺を見た、為した、それが他の人の証言でも裏付けられる証言資料が決めてになります。ところが、私の知る限りこの決め手の部分が伝聞ないしは推定になっているように思われます。そうではない一級資料があればご呈示していただけたらと思っています。 フィッチ、ヴォートリン、ラーべなどの日記、ローゼンらのドイツ外交官、スミス報告、その他外電記者の記事等々資料はかなりありますが、ここでも問題はとてもまちまちな虐殺証言であり、精査していくと相互に齟齬をきたしているのではないでしょうか。この辺りを大虐殺あった論者はなぜ精査していかないのでしょう。それこそ非学問的態度であるとさえ思います。 渡辺投稿 (南京大虐殺六十ヵ年全国連の元兵士の加害証言の大虐殺証言としての杜撰さの指摘に対して) >「南京事件六十ヵ年全国連の元兵士の証言」とは、どういものでしょうか? それから「一級資料」とはどういうものを言うのでしょうか? わたしにとっては、どのような資料も比較検討するためには貴重なものです。たとえば「南京戦史資料集T」に掲載された角証言(同書P652-)のような、明らかに間違いを含む回想であっても、他の資料と突き合わせるのに貴重なものです。 私が指摘したサイトは 「南京大虐殺60ヵ年全国連サイトの元兵士の加害証言」(http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/kagai.html) です。是非4兵士の証言を突き合わせて比べてみてください。いろんなところで食い違っており、中にはむしろ大虐殺なぞありえなかったともとれる証言内容の者もあります。 「一級資料」についてのお尋ねですが、内容が正確無比と裏付けられる資料のことで良いのではないでしょうか。それに至らぬもので貴重な資料を参考資料として考えています。 渡辺投稿 >歴史の研究者が「実証的な歴史研究を専門的職業とする歴史家たち」でない人たちと議論をするのにためらいを感じるのは当然と考えます。研究者はお互いに意見を異にするとはいえ、研究者として同じ土俵の上で議論をしています。しかし、「歴史修正主義者」は問題を「政治問題」にすりかえたり、研究者としての土俵をわきまえていません。板倉氏が或る程度研究者に認知されているのは、田中正明、藤岡、渡部らと違い、この土俵をわきまえているからだと思います。「松井日記」を意図的に改変して出版した田中正明など論外です。(以下略) これについては、どっちもどっちという思いが拭えません。ここのサイトでは、「『歴史修正主義者』は問題を『政治問題』にすりかえたり、研究者としての土俵をわきまえていません」が共通認識になると思いますが、『歴史修正主義者』のサイトへ行ってみて下さい。「『被虐史観者』は問題を『政治問題』にすりかえたり、研究者としての土俵をわきまえていません」と同様の批判がこぼされています。 これについて私見を述べますと、南京事件の大虐殺論は、戦後の国際世論もっと云ってよければ極東軍事裁判での論理でも有り、もっと言えば戦勝国アメリカの利益にも叶う見方でもあります。そういう意味では、大虐殺論の方がメジャーであり、この論に立つことでもって即、不戦の誓いを始めとする民主主義の精神を証明することにはなりません。このことはマスコミの対応を見ればもっとはっきりするのですが、事大主義的な対応でも可能な訳です。ところが我が国内ではこの関係がねじれており、与党自民党がメジャーであり、『歴史修正主義者』はこちらに近いところにいるにも関わらず、いわばマイナーな歴史観を述べております。そういう意味では抵抗派な訳です。 かくて、南京大虐殺をめぐってはウヨが抵抗精神を称揚し、サヨが事大主義精神に浸かっていると見たてることも可能です。という複雑な逆転現象を呈しています。もしこういう見立てに不満があれば、大虐殺論者は事大主義的精神によってではなく歴史実証的精神によって南京大虐殺論を証明すべきではないでしょうか。それにしては杜撰すぎるというのがれんだいこの受け取り方です。 |
9052 | 返信 | Re:南京事件でそろそろ虐殺数の見解をば確認致したく。 | URL | 五番街 | 2001/08/25 14:56 | |
>ここですが、「もともと捕虜はとらない方針」であったことは疑いないです。
>問題は、その方針に基づいて実際に『大量』虐殺を見た、為した、それが他の人の証言でも裏付けられる証言資料が決めてになります。ところが、 私の知る限りこの決め手の部分が伝聞ないしは推定になっているように思 われます。そうではない一級資料があればご呈示していただけたらと思っ ています。 ご存じではないかも知れませんが、「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第13師団山田支隊兵士の陣中日記」(小野健二他編 大月書店)というのがありますね。これは、れんだいこさんの定義では「一級資料」となるかどうかは分かりませんが、信憑性がきわめて高いもの、というのが一般的な評価だろうと思います。これを読めば、一定の方針にもとづき組織的に捕虜の虐殺が行われたことを理解されると思います。 |
9058 | 返信 | Re:南京事件でそろそろ虐殺数の見解をば確認致したく。 | URL | れんだいこ | 2001/08/25 19:36 |
五番街さんご教示有難うございます。 > ご存じではないかも知れませんが、「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち 第13師団山田支隊兵士の陣中日記」(小野健二他編 大月書店)というのがありますね。これは、れんだいこさんの定義では「一級資料」となるかどうかは分かりませんが、信憑性がきわめて高いもの、というのが一般的な評価だろうと思います。これを読めば、一定の方針にもとづき組織的に捕虜の虐殺が行われたことを理解されると思います。 ご紹介により捜しましたところ「南京事件資料集」http://www.geocities.co.jp/CollegeLife-Labo/8596/ に山田支隊の証言集がありました。これでしょうか。 目下一読しておりますが、「これを読めば、一定の方針にもとづき組織的に捕虜の虐殺が行われたことを理解されると思います」もさることながら、「十七日に逃げ残りの捕虜全員を幕府山北側の揚子江南岸に集合せしめ、夜陰に乗じて舟にて北岸に送り、解放せよ。これがため付近の村落にて舟を集め、また支那人の漕ぎ手を準備せよ」の下りとか、「大部分は陸地方面に逃亡、一部は揚子江に飛び込み、我が銃火により倒れたる者は、翌朝私も見たのだが、僅少の数に止まっていた。すべて、これで終わりである。あっけないといえばあっけないが、これが真実である。表面に出たことは宣伝、誇張が多過ぎる。処置後、ありのままを山田少将に報告をしたところ、少将もようやく安堵の胸をなでおろされ、さも『我が意を得たり』の顔をしていた」の方に注目しています。他にもありますが煩雑を避ける為に略します。 問題は、「組織的に捕虜の虐殺が行われた」という確認はそれで良いとして、極東軍事裁判判決での無原則アナーキーな大量虐殺観との兼ね合いはどう調整すれば良いのでしょう。以下判決文を記します。 概要「1937.12.13日の朝、日本兵は市内に群がって様々な残虐行為を犯した。目撃者の一人によると、日本兵は同市を荒らし汚すために、まるで野蛮人の一団のように放たれたのであった。兵隊は個々に、又は二、三人の小さい集団で、全市内を歩き回り、殺人・強姦・掠奪・放火を行った。そこには、なんの規律も無かった。多くの兵は酔っていた。それらしい挑発も口実もないのに、中国人の男女子供を無差別に殺しながら、兵は街を歩き回り、遂には所によって大通りに被害者の死体が散乱したほどであった。他の一人の証言によると、中国人は兎のように狩り立てられ、動くところを見られたものは誰でも射撃された。これらの無差別の殺人によって、日本側が市を占領した最初の二、三日の間に、少なくとも1万2000人の非戦闘員である中国人男女子供が死亡した。 多くの強姦事件があった。犠牲者なり、それを護ろうとした家族なりが少しでも反抗すると、その罰としてしばしば殺されてしまった。多数の婦女は、強姦された後に殺され、その死体は切断された。占領後の最初の1ヶ月に、約2万の強姦事件が市内に発生した。後日の見積もりに拠れば、日本軍が占領してから最初の6週間に、南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であったことが示されている。これらの見積もりが誇張でないことは、埋葬隊とその他の団体が埋葬した死骸が15万5000に及んだ事実によって証明されている」(南京事件東京裁判資料)。 どう思われますか。というより、南京大虐殺を軍の組織的犯行として捉えますか、軍の統制から離れたところの蛮行と捉えますか。こういったところも確定しておかなければならないのではないでしょうか。 |
9087 | 返信 | Re:南京事件で・・・(兵士の犯罪と組織の犯罪) | URL | 五番街 | 2001/08/26 15:27 |
>南京大虐殺を軍の組織的犯行として捉えますか、軍の統制から離れたところの蛮行と捉えますか。こういったところも確定しておかなければならないのではないでしょうか。
特に南京大虐殺を、そのどちらかに特定しなければならない理由はないと思います。たとえば捕虜の大量虐殺や便衣兵狩りは組織的犯罪行為であり、強姦、強奪あるいは民間人や捕虜の殺害などは個々あるいは数人の兵士によって行われた犯罪です。南京大虐殺は、この2種類の犯罪が複合したものと考えます。 後者のケースにおいて犯人の兵士が特定できる場合には、BC級戦犯として処罰されていますね。さらにこうした犯罪行為については、ハーグ条約によって国に責任があることが明示されています。 ところで、あるいは些細なコトバの表現の問題になるかも知れませんが、【軍の統制から離れたところの蛮行】は、軍とは無関係な犯罪、あるいは、軍の目の届かなかった場所での兵士による犯罪という意味かもしれないと思います。 しかし、南京城内外での日本軍兵士の蛮行を、軍とは無関係な個人の犯罪と理解することはできないと考えます。なぜなら、兵士は、通常の意味での民間人や個人ではなく、あくまで特定の軍に所属する者であり、軍の無言の「力」や武器を使用して蛮行を行います。したがって、軍は、兵士の犯罪を成立させるために必要なツールを供給していることになり、つまり、間接的であるにしても、兵士の犯罪には軍が加担していることになります。 さらに、軍は兵士がそのツールを必要な軍事目的以外に使用することにより、民間人あるいは捕虜などを対象に犯罪を為す可能性を認識しています。したがって、軍は兵士による犯罪の可能性を最小限にとどめ、犠牲者となる可能性がある者(民間人および捕虜など)を保護する義務があります。この義務は、「成るべく戦争の惨害を減殺すべき制限を設くるを目的」とするハーグ条約の主旨からしても、また、ごく常識的な人道上の見地からも軍に課せられているものと考えられます。 ひるがえって考えてみれば、南京城内外での兵士の蛮行は、その規模や期間からして、軍の命令権者あるいは個々の兵士に対する上級兵士の目にとまらなかった、と考えることは出来ません。そして、命令権を有する上層部は、こうした兵士による蛮行について、未然に防止するための努力もなければ、犯罪をなした兵士を処罰するなどして蛮行の拡大を阻止するための努力も行わなかったのが実情です。そのため、こうした蛮行は軍によって黙認、許容されたものとなり、そのため被害はいっそう拡大したと考えられます。・・・・これは、個々の兵士による蛮行のみならず、組織的犯罪行為に関しても同様に言い得ることです。 したがって、軍が兵士の蛮行を不問に付し、その結果、蛮行を黙認したことに関して、その蛮行の防止あるいは拡大の阻止のために命令権を行使できた軍司令官による「不作為」を罪とする考え方は合理的なものと考えます。 |
9089 | 返信 | Re:南京事件で・・・(兵士の犯罪と組織の犯罪) | URL | れんだいこ | 2001/08/26 17:42 | |
五番街さん、ちわぁです。私の「南京大虐殺を軍の組織的犯行として捉えますか、軍の統制から離れたところの蛮行と捉えますか」の問いかけに、真摯なお答え有難うございます。
> > 特に南京大虐殺を、そのどちらかに特定しなければならない理由はないと思います。たとえば捕虜の大量虐殺や便衣兵狩りは組織的犯罪行為であり、強姦、強奪あるいは民間人や捕虜の殺害などは個々あるいは数人の兵士によって行われた犯罪です。南京大虐殺は、この2種類の犯罪が複合したものと考えます。 このようにお答えいただきましたが、「南京大虐殺を、そのどちらかに特定しなければならない理由はない」との判断は違うと考えます。足して2で割ればよいというものではないと思います。いわゆる南京大虐殺事件は、戦闘行為に纏わるワンサイドな大虐殺であったとして非難されているのではなく、(これを罰するのは大変でしょう。戦勝国アメリカの後半の戦闘行為は全て罰せられることになるでしょう)、極東軍事裁判判決で明瞭なように、いわば戦局の帰趨とは関係の無い不必要な市民大虐殺であったところが特に指弾されているのではないでしょうか。 従って、「南京大虐殺を、そのどちらかに特定しなければならない理由」が大いにあるというのがまず第一の判断になるべきではないでしょうか。第二の判断として、戦争という戦闘行為であっても、遵守または準拠されねばならない決まりごとに対して、いかほど脱法されていた大虐殺であったのかが問われねばならないのではないでしょうか。ありていに言えば、戦争だからという理由で何でも許されるのではなく、変な話ですが戦争にもマナーが要請されているという近代戦のレベルからの逸脱度の判定も要るということです。 他にも問われている判断基準があるとは思いますがはしょります。それらの延長上にどうしても大虐殺人数の確定が必要になっているという関係にあるのだと思います。これらの分析をしないままの南京事件批判は、何をどう受け止め教訓とするのかつかみ所の無いところでの、誰でも戦争は嫌でしょうから、戦争反対という一般論でしか南京事件批判が為しえない、それはあまり役に立たないというか無意味な事件考察になるのではないでしょうか。と考えますがいかがでしょう。 > 後者のケースにおいて犯人の兵士が特定できる場合には、BC級戦犯として処罰されていますね。さらにこうした犯罪行為については、ハーグ条約によって国に責任があることが明示されています。 「BC級戦犯として処罰」>で、南京事件の場合何名がそのように処罰されているのか教えてくださいますか。虐殺数30万人からすれば、少なくともかなりの下手人がその責を問われねばなりませんよね。従って、処罰された人の人数とそのさいの罪状(処罰されなかった人の罪状との違い)に関心が高まります。私はこの面での情報を欲しています。 笠原氏の「南京事件」では、東京裁判では松根大将、南京裁判では確か4名か5名が絞首刑されたと書かれています。こうなると死刑にされず罰せられた人たちの人数が知りたいです。その際、死刑になった人とならなかった人との罪状がどこで区分されたのかにも関心があります。南京事件の生き残り兵士に聞いてみないと分かりませんが、そんな馬鹿なというのが私の思いです。まっ、一罰百戒のスケープゴートにされたと思えば納得できますが、それにしてもおかしな話ですよ。 以下、軍の組織的犯行と兵士の蛮行との厳密な区分にはあまり意味が無いとの観点をご教示していただいておりますが、それは突き詰めればそうなります。別に異存ありません。但し、「成るべく戦争の惨害を減殺すべき制限を設くるを目的」とするハーグ条約の主旨から検討する際には、上記述べましたような認識区分しつつでないと条約の趣旨が生かされないと思います。 > したがって、軍が兵士の蛮行を不問に付し、その結果、蛮行を黙認したことに関して、その蛮行の防止あるいは拡大の阻止のために命令権を行使できた軍司令官による「不作為」を罪とする考え方は合理的なものと考えます。 この「不作為罪」は、典型的な戦勝国の得手勝手論理であって、基準がどこにあるのでしょうか、さじ加減でどうにでもなりますよね。従って、これを合理的などとみなしてはいけないと思います。なぜなら、際限の無い世界にたどり着きます。それに昭和天皇がなぜ免責されたのかいよいよ分からなくなります。 |
9113 | 返信 | Re:南京事件で・・・(兵士の犯罪と組織の犯罪-2) | URL | 五番街 | 2001/08/27 08:56 |
れんだいこさん、レスを読ませて頂いたのですが、全体的にどうもうまく理解することができません。
>このようにお答えいただきましたが、「南京大虐殺を、そのどちらかに特定しなければならない理由はない」との判断は違うと考えます。足して2で割ればよいというものではないと思います。 私の書いたことは、組織的犯罪と兵士による犯罪との2種類がある、ということで、「足して2で割」ったものではありません。あるケースは組織的犯罪であり、別のケースでは兵士の犯罪である、と述べているのであって、れんだいこさんの言い方を借りれば、これらを足したものだ、ということになるでしょう。 >極東軍事裁判判決で明瞭なように、いわば戦局の帰趨とは関係の無い不必要な市民大虐殺であったところが特に指弾されているのではないでしょうか。 いえ、そんなことはないでしょう。れんだいこさんが引用した「東京裁判南京事件資料」では、市民の虐殺が強調されているように思えますが、それでも、「南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であったことが示されている。」と市民の虐殺とともに捕虜の虐殺があったことが指摘されていますね。 一般的に、南京大虐殺について、日本軍による南京城内における市民の虐殺、強姦あるいは略奪などを意味するという見方があるとすれば、それは間違いです。まず南京大虐殺の範囲は、南京城内外であり、市民に対する蛮行のほかに、大量の捕虜の虐殺も行われているのです。 >従って、「南京大虐殺を、そのどちらかに特定しなければならない理由」が大いにあるというのがまず第一の判断になるべきではないでしょうか。 この考え方は、全く理解できません。なぜなら、組織的犯罪と兵士による犯罪があったことは歴然たる事実であって、この一つを捨象することはできず、また、二者択一の必然性はありません。もし、この必然性があるとお考えなら、その考えが成立する十分な理由を述べて下さい。 >第二の判断として、戦争という戦闘行為であっても、遵守または準拠されねばならない決まりごとに対して、いかほど脱法されていた大虐殺であったのかが問われねばならないのではないでしょうか。ありていに言えば、戦争だからという理由で何でも許されるのではなく、変な話ですが戦争にもマナーが要請されているという近代戦のレベルからの逸脱度の判定も要るということです。 特にこの考え方に異論はありませんが、しかし、これを「どちらかに特定されなければならない理由」の一つとして挙げていることが理解できません。 >他にも問われている(以下略) 申し訳ありませんが、何が言いたいのか理解できません。 >この「不作為罪」は、典型的な戦勝国の得手勝手論理であって、基準がどこにあるのでしょうか、さじ加減でどうにでもなりますよね。 私は、軍には、兵士の蛮行を防止、阻止する義務があると説明しましたが、このことについて、ご理解いただけたのでしょうか。ご理解いただけたと考えて、私の考えを述べますが、客観的に見ても、大虐殺は、南京戦での日本軍上層部が、兵士および組織の蛮行を防止、阻止するための効果的な策を実施しなかったために発生したものです。つまり、日本軍がこの義務を果たさなかったことは客観的な事実であって、議論の余地はないと思います。 |
9115 | 返信 | Re:南京事件で・・・(兵士の犯罪と組織の犯罪-2) | URL | れんだいこ | 2001/08/27 09:34 |
>
私の書いたことは、組織的犯罪と兵士による犯罪との2種類がある、ということで、「足して2で割」ったものではありません。あるケースは組織的犯罪であり、別のケースでは兵士の犯罪である、と述べているのであって、れんだいこさんの言い方を借りれば、これらを足したものだ、ということになるでしょう。
五番街さん、ちわぁ。この「足して2で割る」については、それぞれの虐殺実数あるいは虐殺事実を認識上確定させている方からすれば変な表現かも知れません。れんだいこは、全体的に曖昧模糊の部分が多すぎると受け止めていますので、そういう私からすれば虐殺論者は「足して2で割る」的捉え方でいずれにせよ大虐殺が為されたのには違いないとしているのだろうと見なしており、そういう表現になりました。 (れんだいこ文)極東軍事裁判判決で明瞭なように、いわば戦局の帰趨とは関係の無い不必要な市民大虐殺であったところが特に指弾されているのではないでしょうか。 > いえ、そんなことはないでしょう。れんだいこさんが引用した「東京裁判南京事件資料」では、市民の虐殺が強調されているように思えますが、それでも、「南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であったことが示されている。」と市民の虐殺とともに捕虜の虐殺があったことが指摘されていますね。 「南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であったことが示されている。」も曖昧表現ではないでしょうか。本来であれば、一般人虐殺凡そ何名、捕虜虐殺凡そ何名、合わせて推定何名の虐殺と書かれていなければならないところだと思います。「一般人と捕虜の総数は、20万以上」という書き方は、互いの識別をしていませんから都合によりどちらでも受け取れる卑怯な書き方だと思われます。実に、20万説も10万になったり数万になったりで諸説産んでいますし。 (れんだいこ文)従って、「南京大虐殺を、そのどちらかに特定しなければならない理由」が大いにあるというのがまず第一の判断になるべきではないでしょうか。 > この考え方は、全く理解できません。なぜなら、組織的犯罪と兵士による犯罪があったことは歴然たる事実であって、この一つを捨象することはできず、また、二者択一の必然性はありません。もし、この必然性があるとお考えなら、その考えが成立する十分な理由を述べて下さい。 それぞれの虐殺に対して、実数推定、証言取りをもう少し精密にしたほうが良いのではないのかという主張をしておりますが、ご不審でしょうか。 > 私は、軍には、兵士の蛮行を防止、阻止する義務があると説明しましたが、このことについて、ご理解いただけたのでしょうか。ご理解いただけたと考えて、私の考えを述べますが、客観的に見ても、大虐殺は、南京戦での日本軍上層部が、兵士および組織の蛮行を防止、阻止するための効果的な策を実施しなかったために発生したものです。つまり、日本軍がこの義務を果たさなかったことは客観的な事実であって、議論の余地はないと思います。 (れんだいこ文)「日本軍がこの義務を果たさなかったことは客観的な事実であって、議論の余地はないと思います」ではなく、議論の余地が大いにあると考えている訳です。特に、史上の戦争で「不作為論」で見てこれは模範だというような戦争があるのでしたら教えてください。これは戦勝国が敗戦国の見せしめに対して作り出した得手勝手な論法での戦犯裁き論でしかないと考えています。 |
9140 | 返信 | Re:南京事件でそろそろ虐殺数の見解をば確認致したく。 | URL | 渡辺 | 2001/08/28 02:14 |
これは、れんだいこさんの「9047
Re:南京事件でそろそろ虐殺数の見解をば確認致したく。」2001/08/25 に対する返信です。 れんだいこさん:> > さて、このたびの渡辺さんのご教示により虐殺総数が分かりました。戦闘死亡者については書かれていませんが、それに捕虜の殺害8万5000人、一般市民10万人前後と見なして加えた場合、ほぼ30万人説になるでしょう。この観点だと云うことが分かりました、ですよね。 それでは、30万人にはなりませんよ... 崩壊しなかった戸から失われた人数が約10万人という意味です。これは、正確な人数を求めるためではなく、南京戦でどれくらいの桁の市民の死者がでたかを人口統計から推計するものです。 また、私の推計の地理的範囲は、笠原氏の定義する範囲「南京城区とその近郊の六県を合わせた行政区としての南京市特別市全域」(「南京事件」P214-215)ではなく、南京城内、下関、浦口、燕子磯区、孝陵区、上新河区のみです。これは、入手できる統計の範囲がそうなっているからです。 http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=8384&range=1 > 渡辺投稿> > (「百人斬り」事件とこのたびの産経新聞報道にどう思われますかという質問に対して) > >「先だって産経新聞で当時の記者の捏造の実態」というのはどういう内容か知りませんが、「南京大虐殺」の主要部分とはほとんど関係がありません。 れんだいこさん:> > これについては、れんだいこは次のように考えています。確かに、「百人斬り」事件が「南京大虐殺」の主要部分とは関係なくとも、その他不実写真掲載の例もあり、資料集における各証言を付き合わせてみると、それぞれ虐殺の様子が大きく齟齬している面もあるという按配で、一言でいって杜撰な訳です。 > これは何を意味しているかというと、南京大虐殺論者間では結論よければ全て良しという風潮に侵されているのではないのか、という推定が成り立つのではないでしょうか。実に、この部分が「まぼろし派」に突かれているのですから、常識では反証していくのがマナーだと思われますが、そういう分析的な論議は為されてきたのでしょうか。「大局的には云々」論法による暗黒史観で、この辺りの考察がなおざりにされているとしたらとても残念なことです。 「南京大虐殺」の主要部分とはほとんど関係がないのは事実ではありませんか?紫金山山麓で捕虜あるいは市民を100人斬ったことと、事件の全体の規模とは比較になりません。三三連隊の戦闘詳報によれば、同地区で約3千人の捕虜を殺害しているんですよ。 それから、前回こう投稿いたしました。 ----- 「百人斬り」を含め南京での軍事裁判について投稿する予定ではいますが、まだ確認したい部分がありますので調べています。 ----- なにか、マナーに問題がありましたか? > 渡辺投稿 > >すでに、投稿しましたように「まぼろし派」なるものは問題外と考えています。下記にその部分を引用いたします。「三つの学派」は存在しません。下記の部分を含めて言及された中で、歴史の研究者といえるのは、洞、藤原、秦の各氏だけです。あえて加えれば板倉氏が「南京戦史」の資料収集において功績があります。「虐殺=謝罪派」というのも理解に苦しみます。歴史学では、謝罪するとかしないとかを問題にしているのではなく、事件の事実のみを問題とします。ただ、偕行社は、たしかに当事者も会員にいるわけですから、当事者として「謝罪」したということは間違いではないと思います。なお、「虚構まぼろし=居直り派」は学問的には成り立ちえませんので問題外です。 れんだいこさん:> > これについては、れんだいこは次のように考えています。わたしが「三つの『学』派」としたから、上述のような返答をいただいたのでしたら次のように訂正します。南京事件をめぐっては、大虐殺派と中虐殺派と小虐殺ないし無虐殺派までの三派が存在する。問題は、「『虚構まぼろし=居直り派』は学問的には成り立ちえませんので問題外です。」とまで云えるのかということだろうと思います。私は、「火の無いところには煙は立たない」と考えており、連中が拘るにはそれなりの根拠があると見なしています。これについては、このレスでは長くなりますのでおいおい私見を述べてみようとも思っています。 日中戦争の事件の中でも、「南京事件」ほど多数の証拠があるものはありません。日米新聞記者、ドイツ外交官、残留したベイツなどの外国人、日本軍元兵士の証言や日記、戦闘詳報など多数の証拠があります。また、中国で敗戦処理をすることになった岡村寧次元大将も、戦前、中国へ発つ前に東京で南京事件のことを聞き、調べさせたところ南京で「大暴行」があったことは事実と認めています。[稲葉正夫「岡村寧次大将資料(上)」(原書房,昭和45年)「第四編 武漢攻略前後 三 戦場軍、風紀今昔の感と私の覚悟」P290-291] それぞれ、事件を見た場所や立場などが違うために、見たことや、得た情報に違いがあるのです。「火の無いところには煙は立たない」とは、まさにこのことです。事件(火)があったからこそ、うわさはもとより、新聞記事、日記、証言という煙がもうもうとしているのです。『虚構まぼろし=居直り派』が学問的に成り立つと言っている歴史学の研究者がいたら、ぜひご紹介ください。 > 渡辺投稿 > >もともと捕虜はとらない方針ですから、少人数の場合はその場で適宜処刑されたと考えられます。たとえば、三十三連隊では戦闘詳報に紫金山にて捕虜約3千人があり、かつ「俘虜ハ処断ス」とし、揚子江上に浮遊する「敗残兵」2千人以上を加え、13日の「死体(概数)」を5、500人としています。[偕行社「南京戦史資料集T」P495,499] 幕府山」の捕虜殺害では明瞭な命令が出ていたものと考えられます。 れんだいこさん:> > ここですが、「もともと捕虜はとらない方針」であったことは疑いないです。問題は、その方針に基づいて実際に『大量』虐殺を見た、為した、それが他の人の証言でも裏付けられる証言資料が決めてになります。ところが、私の知る限りこの決め手の部分が伝聞ないしは推定になっているように思われます。そうではない一級資料があればご呈示していただけたらと思っています。 戦闘詳報、兵士の日記ではだめなんですか? 「幕府山の捕虜」の殺害については、小野賢二氏が苦労して収集した、当事者の従軍日記の収録である「南京大虐殺を記録した皇軍兵士たち」(大月書店)だけでも十分であると思います。 れんだいこさん:> > フィッチ、ヴォートリン、ラーべなどの日記、ローゼンらのドイツ外交官、スミス報告、その他外電記者の記事等々資料はかなりありますが、ここでも問題はとてもまちまちな虐殺証言であり、精査していくと相互に齟齬をきたしているのではないでしょうか。この辺りを大虐殺あった論者はなぜ精査していかないのでしょう。それこそ非学問的態度であるとさえ思います。 「精査していくと相互に齟齬をきたしている」のではないか、とのことですが、いくつかの実例で、どこが「相互に齟齬をきたしている」のか教えていただけますか? > 渡辺投稿 > (南京大虐殺六十ヵ年全国連の元兵士の加害証言の大虐殺証言としての杜撰さの指摘に対して) > >「南京事件六十ヵ年全国連の元兵士の証言」とは、どういものでしょうか? それから「一級資料」とはどういうものを言うのでしょうか? わたしにとっては、どのような資料も比較検討するためには貴重なものです。たとえば「南京戦史資料集T」に掲載された角証言(同書P652-)のような、明らかに間違いを含む回想であっても、他の資料と突き合わせるのに貴重なものです。 れんだいこさん:> > 私が指摘したサイトは > 「南京大虐殺60ヵ年全国連サイトの元兵士の加害証言」(http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/kagai.html) > です。是非4兵士の証言を突き合わせて比べてみてください。いろんなところで食い違っており、中にはむしろ大虐殺なぞありえなかったともとれる証言内容の者もあります。 そのサイトなら見たことがあります。特に、海軍関係者の証言は少ないので貴重であると思いますが、オンラインで公開されたものは、典拠が示しにくいので資料として使いずらい面があります。 ところで、そのサイトの証言のどこが「食い違って」いますか?それぞれ、いた場所や時期が違うのですから、人それぞれに知っていることも違うはずです。だから、他の資料と突き合わせて検証するんです。 れんだいこさん:> > 「一級資料」についてのお尋ねですが、内容が正確無比と裏付けられる資料のことで良いのではないでしょうか。それに至らぬもので貴重な資料を参考資料として考えています。 「内容が正確無比と裏付けられる」というのは、どのようにして裏付けするのでしょうか、お教えください。また、れんだいこさんが「一級資料」とされる資料はどの資料か具体的にお教えください。 > 渡辺投稿 > >歴史の研究者が「実証的な歴史研究を専門的職業とする歴史家たち」でない人たちと議論をするのにためらいを感じるのは当然と考えます。研究者はお互いに意見を異にするとはいえ、研究者として同じ土俵の上で議論をしています。しかし、「歴史修正主義者」は問題を「政治問題」にすりかえたり、研究者としての土俵をわきまえていません。板倉氏が或る程度研究者に認知されているのは、田中正明、藤岡、渡部らと違い、この土俵をわきまえているからだと思います。「松井日記」を意図的に改変して出版した田中正明など論外です。(以下略) れんだいこさん:> > これについては、どっちもどっちという思いが拭えません。ここのサイトでは、「『歴史修正主義者』は問題を『政治問題』にすりかえたり、研究者としての土俵をわきまえていません」が共通認識になると思いますが、『歴史修正主義者』のサイトへ行ってみて下さい。「『被虐史観者』は問題を『政治問題』にすりかえたり、研究者としての土俵をわきまえていません」と同様の批判がこぼされています。 歴史学にはその分野なりの研究の手法というものがあります。また、どのような研究分野でも、お互いに研究者として認め、共通の議論のしかたというものがあります。どこかの国の陰謀だとか言ったり、ましてや資料を意図的に改変して出版するなど論外です。こういうことを「土俵」をわきまえていないと言うのです。 れんだいこさん:> > これについて私見を述べますと、南京事件の大虐殺論は、戦後の国際世論もっと云ってよければ極東軍事裁判での論理でも有り、もっと言えば戦勝国アメリカの利益にも叶う見方でもあります。そういう意味では、大虐殺論の方がメジャーであり、この論に立つことでもって即、不戦の誓いを始めとする民主主義の精神を証明することにはなりません。このことはマスコミの対応を見ればもっとはっきりするのですが、事大主義的な対応でも可能な訳です。ところが我が国内ではこの関係がねじれており、与党自民党がメジャーであり、『歴史修正主義者』はこちらに近いところにいるにも関わらず、いわばマイナーな歴史観を述べております。そういう意味では抵抗派な訳です。 すでに「論争」の歴史については、投稿をいたしました。 http://bbs2.otd.co.jp/mondou/bbs_plain?base=7248&range=1 「極東軍事裁判での論理」とはどういう理論か知りませんが、「南京事件」という事実に対し責任者が被告になったというにすぎません。裁判の証言や、そこでのやり取りは資料として使えますが、現在では、当時は知られていなかった資料が多数発見されていますので、「極東軍事裁判」に頼る必要はありません。 れんだいこさん:> >かくて、南京大虐殺をめぐってはウヨが抵抗精神を称揚し、サヨが事大主義精神に浸かっていると見たてることも可能です。という複雑な逆転現象を呈しています。もしこういう見立てに不満があれば、大虐殺論者は事大主義的精神によってではなく歴史実証的精神によって南京大虐殺論を証明すべきではないでしょうか。それにしては杜撰すぎるというのがれんだいこの受け取り方です。 歴史を専門とする研究者の(実証的な)先行研究が複数あるのに 、いまさら「歴史実証的精神によって南京大虐殺論を証明すべきではないでしょうか」というのは理解に苦しみます。私がやっていることも実証的です。それ以外に事件の全容を明らかにする方法はありません。 |
9146 | 返信 | Re:南京事件でそろそろ虐殺数の見解をば確認致したく。 | URL | れんだいこ | 2001/08/28 08:25 |
これは、渡辺さんの「9140
Re:南京事件でそろそろ虐殺数の見解をば確認致したく。 2001/08/28 02:14に対するRe投稿です。 れんだいこ: >さて、このたびの渡辺さんのご教示により虐殺総数が分かりました。戦闘死亡者については書かれていませんが、それに捕虜の殺害8万5000人、一般市民10万人前後と見なして加えた場合、ほぼ信 Re:30万人説になるでしょう。この観点だと云うことが分かりました、ですよね。 > 渡辺さん: > それでは、30万人にはなりませんよ...崩壊しなかった戸から失われた人数が約10万人という意味です。これは、正確な人数を求めるためではなく、南京戦でどれくらいの桁の市民の死者がでたかを人口統計から推計するものです。また、私の推計の地理的範囲は、笠原氏の定義する範囲「南京城区とその近郊の六県を合わせた行政区としての南京市特別市全域」(「南京事件」P214-215)ではなく、南京城内、下関、浦口、燕子磯区、孝陵区、上新河区のみです。これは、入手できる統計の範囲がそうなっているからです。 「それでは、30万人にはなりませんよ...」という意味が分かりかねますが、渡辺さんはとりあえず中国の兵士の戦闘死亡者を何名辺りと推定されているのでしょうか、教えてくださいますか。加算の必要上気になります。次に、このたびのご教示によりますと、「崩壊しなかった戸から失われた人数が約10万人」ということからすれば、「崩壊した戸の人数」が未計上ということですよね。それと、「南京城内、下関、浦口、燕子磯区、孝陵区、上新河区のみ」で10万人ということのようですから、「行政区としての南京市特別市全域」ではもっと人数が増えると云うことになるのでしょうか。すると、市民虐殺人数を、渡辺さんはどのくらいのところに推定されていることになるのでしょうか、統計的な推定で構いませんから教えていただけますか。 いわゆる「百人斬り事件問題」について渡辺さんにお尋ねしましたところ、「先だって産経新聞で当時の記者の捏造の実態というのはどういう内容か知りませんが、南京大虐殺の主要部分とはほとんど関係がありません」とのご返答が為され、これに対しれんだいこが、「一言でいって杜撰な訳です。これは何を意味しているかというと、南京大虐殺論者間では結論よければ全て良しという風潮に侵されているのではないのか、という推定が成り立つのではないでしょうか。実に、この部分が『まぼろし派』に突かれているのですから、常識では反証していくのがマナーだと思われますが、そういう分析的な論議は為されてきたのでしょうか」と重ねてお尋ねしました。その返答として、このたび >「南京大虐殺」の主要部分とはほとんど関係がないのは事実ではありませんか?紫金山山麓で捕虜あるいは市民を100人斬ったことと、事件の全体の規模とは比較になりません。三三連隊の戦闘詳報によれば、同地区で約3千人の捕虜を殺害しているんですよ。 これはいただけないご返答です。仮に「同地区で約3千人の捕虜を殺害しているんですよ」であろうとも、「100人斬り事件問題」に対する見解を聞こうとしているれんだいこの質問に何も答えておられないすり替え答弁ではないですか。 > それから、前回こう投稿いたしました。「百人斬り」を含め南京での軍事裁判について投稿する予定ではいますが、まだ確認したい部分がありますので調べています。 とありますから、お待ち致します。 > なにか、マナーに問題がありましたか? あのぅですね、渡辺さんのマナー問題を直に指摘しているのではなく、大虐殺存在派の方の姿勢一般として「実に、この部分が『まぼろし派』に突かれているのですから、常識では反証していくのがマナーだと思われますが、そういう分析的な論議は為されてきたのでしょうか」とお尋ねしているつもりです。普通に考えて、このたびの産経新聞の記事は、「百人斬り事件」を虐殺蛮行の一例として挙げてこられた大虐殺存在派の方にとっては不都合な内容でしょう。この記事にどう対応されるのか、南京事件に関心のある者は気にされていると思います。それをたまたま渡辺さんにお尋ねしている訳です。「なにか、マナーに問題がありましたか?」と気にされるのではなく、産経記事にはこう思うとご教示賜れば幸いです。 渡辺さん: > 日中戦争の事件の中でも、「南京事件」ほど多数の証拠があるものはありません。日米新聞記者、ドイツ外交官、残留したベイツなどの外国人、日本軍元兵士の証言や日記、戦闘詳報など多数の証拠があります。また、中国で敗戦処理をすることになった岡村寧次元大将も、戦前、中国へ発つ前に東京で南京事件のことを聞き、調べさせたところ南京で「大暴行」があったことは事実と認めています。[稲葉正夫「岡村寧次大将資料(上)」(原書房,昭和45年)「第四編 武漢攻略前後 三 戦場軍、風紀今昔の感と私の覚悟」P290-291] それぞれ、事件を見た場所や立場などが違うために、見たことや、得た情報に違いがあるのです。 これについては次のように思っています。各資料で「大暴行」が裏付けられていることは承知しています。但し、各資料間を付き合わせると齟齬み見られるというれんだいこの指摘に対して、「それぞれ、事件を見た場所や立場などが違うために、見たことや、得た情報に違いがあるのです」とのことですが、当然そういう面もあると思います。但し、そういうレベルの問題ではないということをおいおい指摘していこうと思っています。 渡辺さん: > 「火の無いところには煙は立たない」とは、まさにこのことです。事件(火)があったからこそ、うわさはもとより、新聞記事、日記、証言という煙がもうもうとしているのです。『虚構まぼろし=居直り派』が学問的に成り立つと言っている歴史学の研究者がいたら、ぜひご紹介ください。 歴史学の研究者というのがそんなに孤高なのかどうか、私はそうは見ませんけど、『虚構まぼろし=居直り派』の中には世間で言うインテリもかなり居られるではないですか。専門外の者が水準の低い論を述べているに過ぎないなどというのは、我々からすればそういうことを云う方こそ解しかねます。私も含めて誰でも一定の知識があればコメントできるでしょうし、専門家であろうとお畑違いであろうと素人説であろうと、論の内容によって聞き分けされるべきではないでしょうか。 以降のレスに付きましては長くなりましたので別投稿とします。 |
9169 | 返信 | Re:南京事件でそろそろ虐殺数の見解をば確認致したく。 | URL | れんだいこ | 2001/08/29 12:01 |
これは、渡辺さんの「9140
Re:南京事件でそろそろ虐殺数の見解をば確認致したく。」2001/08/28 に対する返信です。
私が、南京事件大虐殺資料の中には「互いに齟齬をきたしているものがママ多すぎる」と指摘したのに対し、渡辺さんから「どこが相互に齟齬をきたしているのか教えていただけますか?」とレスが為され、「南京大虐殺六十ヵ年全国連の元兵士の加害証言の大虐殺証言」 (http://www.mmjp.or.jp/nankin1937/kagai.html)を例に挙げたところ、 渡辺 > そのサイトなら見たことがあります。ところで、そのサイトの証言のどこが「食い違って」いますか?それぞれ、いた場所や時期が違うのですから、人それぞれに知っていることも違うはずです。 以上の遣り取りを受けて、全国連ホームページの「元日本軍兵士の証言」に逐次コメント付けていって見ます。願わくはどうぞ著作権違反になりませんように。 このサイトの「元日本軍兵士の証言」であるからには、かくも無残な大虐殺が為されたのだとの証言であると思いきや、かくなるトホホな内容であるということに、なしてれんだいこがわざわざ指摘せねばならぬのか、他にも読まれた方は大勢でありましょうに。国語力の乏しいとお墨付きいただいておりますれんだいこが憐れにも解析に向かうけな気さを思いやってくださいませ。 (かなりカットしていますが、それでも長文が避けられませんでした。これ以上は文意を損ないますので仕方有りません。原文は上記サイトで確認してください) 海軍第3艦隊、第11戦隊・1997年12月13日 めもりある南京1937inおおさかにて (司会:松岡環) 司会者 12月13日に南京にお入りになったと聞いておりますが… 元兵士 朝から南京は今日陥ちるという情報がありました云々。ごく正確で威力があったですからあまり時間がかからなくて砲台は沈黙しました。その後、砲撃戦とか戦闘状態は終わっていたのですが、 ※上流から中国人らしい死体を整然と積んだ筏が三個か五個流れて来ました。 死体の積み方があまりにも整然としていたので怪しいと言う事で、中になにか変造物があって何かが隠されて、流されているという予測のもとに全員が小銃で、目標は目前ですから腰だめで撃って撃って撃ちまくったような状態がしばらく続きました。 (れんだいこ)「上流から中国人らしい死体を整然と積んだ筏が三個か五個流れて来ました」とある死体は、これを事実として認めても日本軍の仕業だろうか疑問がある。中国軍同志の内戦による死者と考えられるのではなかろうか。笠原氏の「南京事件」によってでも、内戦時の死者がかなりあったと記されている。史実は、「南京城にたいする攻撃は、12月10日から開始され、13日には日本軍の手中におちた。そしてその日から、日本兵は捕虜の虐殺をはじめた」とあり、この時点で死体の片づけが始まるには早過ぎる。元兵士のこの証言は12月13日のようであるが、これが虐殺証言だとすれば日程的に早すぎる気がするので、これは単に目撃証言以上の意味は無いものとして受け取るべきだろう。それともこの解釈に間違いあるのだろうか。 司会者 先ほど死体が整然ととおっしゃいましたが、どのくらいの高さで? 元兵士 それはね、やはり1メートル半か2メートルくらいの高さであったと思います。あまりにも整然と積まれているということが腑に落ちない。何故そんなに絵に描いたようにがっちりといわゆる幾何学的に積み上げられたかということで、その中になにか隠されているという予測をもって射撃したのです。 司会者 南京市内には、城内にはお入りになりましたか? 元兵士 ちょうど南京が陥落したと同時に中山埠頭の沖合へ停泊して、17日南京の入場式があるということで上陸したわけですが、それから先は徒歩で中山北路を歩きながら湍江門の厳重に積み上げられた土嚢のほんの一部からくぐりぬけて中に入ったわけです。 司会者 土嚢を積み上げてるということはそれは戦闘に際して日本軍の侵入を防ぐというためのものですか? 元兵士 とてつもない大きな城門の開口部があるのですが、ほとんどそれは土嚢が積み上げられていて中にはいることはできないけれども、わずかに人間が通れる隙間が片方、城外から見て右側の方に出入りができる程度の開口部が残されていました。そこから入って入場式の閲兵がある場所にさらに何百メートルかわからないでそこへいって待機した。その間にあたり近所の小公園、ちょっとした広場、あるいはテニスコートだったかもしれませんが、 ※そこに必ずと言っていいほど山のように積まれた遺体がありました。 その人々は中国兵かあるいは市民の方かだれかさっぱりわかりませんが、裸で殺されている人、あるいは数珠つなぎの人、縄でつながれて数人ずつつなぎ合わせたものを射殺、あるいは銃剣で刺したあとが物々しく残っておりました。また積み上げられた中には裸で死んでいる。裸の死体はどうしてできたのかと思うんですが、たくさんありました。 (れんだいこ)12.17日に南京入場した時点で、「そこに必ずと言っていいほど山のように積まれた遺体がありました」とあり、これを日本軍の仕業とみなしているが、それほど早く死体の処理に当たっていたのであろうか。それと、この証言に拠れば市民の目に触れるような公開であちこちに死体が晒されていたということになる。「山のように積む」理由も良く分からない。統治上得策と思えないこういうやり方をするであろうか。なお、この時点の死体は中国兵に限られているのだろうか、市民虐殺もこの時既に行われており、かように放置されていたということなのだろうか。あちこちに公開されていたのなら、「国際委員会」メンバーの日記に記されているのだろうか。 司会者 (17日の入場式が終わった時点で船にもどったという遣り取りを受けて)艦に戻られてからどうされましたか? 元兵士 17日のうちに鑑(艦?)に戻って、その翌日あたりから ※毎日毎日トラックで捕虜とも中国人ともつかない人々を運んで来ては、中山埠頭から川のなかへ追い落とす。それを機関銃でもって射殺するということが朝から晩まで繰り返し繰り返し、トラックで積んで来る度にそういうことがおこっていました。 (れんだいこ)「トラックで捕虜とも中国人ともつかない人々を運んで来ては、中山埠頭から川のなかへ追い落とす。それを機関銃でもって射殺する」ようなことが為されたことは他にもあるが、この証言は故意かどうか、極力野蛮な虐殺の仕方を脚色しているように見うけられる。どうやって川の中へ追い落としたのだろうか。あまりにも馬鹿げているように思えるが、私の理解がおかしいのだろうか。 司会者 肉眼で見えたのですか? 元兵士 そうです。肉眼でも数百メートルしかないのでよく見えるが、私たちは見張りについていたので見張り用の望遠鏡で手に取るようにそれは見えました。 司会者 その御覧になった様子をくわしく話していただけますか? 元兵士 そうですね。なんといいますかね。運んで来た人を川に追い落としてそれを銃撃する。機関銃を撃ちまくるのだけれどもやはり川に潜って逃げようとするのですが、やがて息が詰まって浮き上がって来る、又それを撃たれるという状態が続いて行くし、撃たれた人はその場で沈むかあるいは川の流れにのって下流に向かって流されていくというような状態が続いていました。 (れんだいこ)「運んで来た人を川に追い落としてそれを銃撃する」、「川に潜って逃げようとするのですが、やがて息が詰まって浮き上がって来る、又それを撃たれるという状態が続いて行く」とは、小説じみており却って信用置けない。当時の日本軍がかような稚拙な虐殺を果たしてしたのだろうか。 司会者 さきほど中国の市民の方か兵隊の方かわからないとおっしゃったけれど服装とか色とかわかりますか? 元兵士 それは白い服だったり黒っぽい服だったり、服装でもって前に兵隊であったかどうかは見分けられないようでした。 司会者 トラックに積まれて来たおよその人数は?ずっと見てられたとおっしゃっていましたが。 元兵士 人数はまああの頃のトラックですから、 ※トラックに積んだ状態を数えたわけではないですが二十人とか三十人とかあったと思います。 一番疑問に思うのは、なぜトラックに運ばれて殺される所まで来たのかということ。私が思うにはなんらかの作業を命じられたか、何らかの使役に使う人々をどこかに連れて行くということしか想像できないのですが。そうでなければ途中でトラックから逃げるなり、あるいはそこまで来て殺されなくてももっと他にも殺される場所はあったと思いますけどね。何らかのそういった状態でだまされて連れてこられたとしか思えません。またそういったことが毎日のように続いていたのですが、 ※たまには夜になると何かうごめくように叫ぶようにわいわいと炎が揺れて、やはりよく見れば人間が焼き殺されているという状態も見ました。 これはまた翌日火事場の焼け跡のように焼けぼっくりのように人間らしい人々が黒こげになって倒れているのが望遠鏡ではよく見えました。 (れんだいこ)概要「トラックに収容された人数が二十人とか三十人」とは少なすぎる気がする。「そういったことが毎日のように続いていたのですが、たまには夜になると何かうごめくように叫ぶようにわいわいと炎が揺れて、やはりよく見れば人間が焼き殺されているという状態も見ました」、これもまさに小説的云いまわし発言である。夜になって生きたままらしい中国人が焼殺されているということになるが、話が出来すぎていやしないか。 司会者 それは人間の形をした焼きこげたあれですか?はっきりと見えましたか? 元兵士 そうですね。人間の形としか思えない。そんなとこに他のものがあろうはずはないのですが。それにまた揚子江という川は毎日毎日水か減ってきます。減水期なので、前に殺された人々が水が減ってくると共に岸辺に人間の形が泥をかぶってあらわれてくるという、そのようなことがありました。 司会者 それは岸辺にいっぱいあるのですか? 元兵士 岸辺に折り重なってそういう状態がある。水が減ってくるとそういう状態があらわれてきた。それをまた片付けている中国の人々も目撃できました。 司会者 片付けていると言いますと、死体を押し流すのですか?それとも引き上げるのですか? 元兵士 なんか穴を掘って引っ張って行くかな…首に縄をつけられたかどこにつけられたかよく分かりませんが、くぽみを作ってそこに引きずり込んで行く。そういうことが見えました。 (れんだいこ)後で出てくるが、元兵士は12.25日までしか南京にいない。12.17日以降の出来事とも語っている。中国人は、それほど手早く、揚子江に沈められた遺体の埋葬作業に着手し得たのだろうか、疑問を禁じえない。 司会者 死体の作業をしている人達は何人くらいだったのでしょう? 元兵士 何人くらいでしょうかねえ。そんなもの七、八人くらいでやっていたと思いますけど。 (れんだいこ)何と、死体の引き上げから埋葬を僅か「七、八人くらいでやっていた」と「思う」と云う。常識的には相当の人数を要するように思えるがどうなんだろう。 司会者 それを御覧になったのは? 元兵士 だいたい17日の後ですね。それ以前入城までに目撃されなかったと記憶しています。私の見た南京大虐殺とは17日から後のことです。 司会者 それで連日日本兵が銃殺するのを目撃されたのですか?何日ぐらい続いたのですか? 元兵士 私が25日ごろまでそこにおったのだからね。その間は続いていたと思います。27日ごろを最後に佐世保に帰ったことになります。 (れんだいこ)概要「連日、日本兵が銃殺されるのを目撃」という重要な決定的な証言が為されているが、何日ぐらい続いたのですか?の問いに、「25日ごろまでそこにおったのだからね。その間は続いていたと思います」となる。末尾が「思います」では一級資料にならない。最も大事な証言箇所なのだから、極力正確精緻に「間違い有りません」と答える必要があるのではないのか。そしてそれが裏付けられれば一級資料になる。 司会者 そしたら見張りについていらっしゃるのが毎日でしたか? 元兵士 それはだいたい一日に二時間くらいです。翌日また時間がかわった形で毎日そのように見張りについていました。見張りというのは、機関兵とか他の兵士は上がって来ない。水兵とかいわゆる兵科に属する兵隊が見張りに立つわけです。だから必ず一日に一回、時には二回はまわってくるわけですね。 司会者 その間見張りについているときにずっと虐殺を目撃されたわけですか? 元兵士 そうですね。だいたいそれは毎日続いていました。まあ最初のトラックがついてどんどんと次々と送られてくるわけではないですが、だいたい一日中そのように時間をおいてはそういう銃撃のような殺人行為、大虐殺は続いていました。 (れんだいこ)ここで、艦の上からの「見張り」の際の目撃証言であるということが明かされている。概要「だいたいそれは毎日続いていました。銃撃のような殺人行為、大虐殺は続いていました」もどうりで頼りない。これでは一級資料になり得ない。 司会者 他の同僚が見張りについている間も中国の捕虜、民衆・市民の虐殺があったとお聞きなりましたか? 元兵士 そうです。見張りに立つのが私どもだからよその科の兵隊も「どらどらおれにも見せろ」と見に来るわけです。そう簡単にだれでも見れるという状況でないので、好奇心が手伝って見に来たと思います。 司会者 当時そのような光景をごらんになって、又ご自分でも銃を握られて中国の民衆又兵士、中国人に対してどのような気持ちを持っていらっしゃいましたか? 元兵士 当時はね、私どもは、日本人はほとんどですが、天皇のために死ぬということ、天皇に命を捧げることを最高の道徳として生きて来たわけです。そのような教育をこどもの頃からされて、私も18,9歳若い頃すでに軍国少年となってしまったわけですね。だから徴兵検査まで待とうと待つまいと男と生まれれば必ず兵隊に行くとということになっていましたから、ならば自分で選べる間に行きたいと、そういうことで海軍を志願したわけです。 司会者 そうして60年目の今、南京大虐殺の日にあたります今日証言していただいたその思いですね、お考えを教えて下さい。 元兵士 60年ぶりにこうしてここにチャンスをいただけて大変感謝しているのですが。これまでにこういうチャンスに私はなかなか巡り合わなかったということです。常にね、このような事件があったこと、このようなことについては日本人として深く反省しているわけです。しかし今日、南京大虐殺はなかった。あるいは従軍慰安婦はなかったと言う人々はどういう人かということです。つまり日本国憲法をなしくずしに解釈を変えて、今日までに大きな軍隊を作り上げて、再軍備はすでに出来上がったということです。 ※しかも、それがアメリカの目下の同盟者としてアメリカにくみする戦争の用意が着々と進んでいると言う事。新しい安保条約・新ガイドラインの下にアメリカが起こす戦争には自動的に日本が引っ張り込まれると言う事。 こういう状態があれば、またしても南京大虐殺に似たようなことがおこるのではと考えられます。歴史の真実を明らかにして、これをちゃんと自分で確認できる状態の中でなければ、新しい反省の下に平和な世界、我々の家庭自身も築きあげることは出来ない。そういう意味から本日ここに証言に立たせていただきました。 (れんだいこ)元兵士は、いつでも証言できただろうに「これまでにこういうチャンスに私はなかなか巡り合わなかったということです」と云うが、 1997年12月13日の、めもりある南京1937inおおさかにて初めて為されねばならないほど、それほどこの証言を為す事に困難があっただろうか。 よく聞いてみると、「アメリカの目下の同盟者としてアメリカにくみする戦争の用意が着々と進んでいる」という観点を披瀝している。これは、語るに落ちる話で、共産党独特のそれである。これでは、不戦の誓いと謝罪による歴史的責任を果たさんとする立場からの史実証言というより、ある種のプロパガンダ狙いの政治的発言に過ぎないとみなされても仕方なかろう。 第16師団38聯隊6中隊(82歳)・1997年10月10日〜12日南京大虐殺情報ホットライン・大阪にて B元兵士 (前略)それから南京城入城です。これは12月14日。南京に入ったのは、この記録では12月15日になっているが、旗が立ててあったのを憶えているから12月14日。南京の東北の城門やったと思うけど、大大砲でぼんぼん撃って、そして、私らが足場をつくってかけ登った。城門の横を撃ったのは見ててわかった。 ※日本軍が入った折りは、一人ぐらいしっか居てなかった。城門に入った時、中国人の兵隊の死体を14から15人見た。それは城門の外で、内は10人もいたなかった。 (れんだいこ)この兵士をBとして先の元兵士をAとするならば、証言が大きく齟齬していることになる。A元兵士は、12.17日に南京入場した時点で、「そこに必ずと言っていいほど山のように積まれた遺体がありました」と証言しているが、B兵士は12.14日付ではあるが、「城門に入った時、中国人の兵隊の死体を14から15人見た。それは城門の外で、内は10人もいたなかった」と云う。この両証言をどちらとも真実とすると、12.14日以降から12.17日までの間に「そこに必ずと言っていいほど山のように積まれた遺体がありました」とあるような事態が現出したことになるが、戦闘は日本軍の完全勝利で既に終わっているのであり、日本軍は勝利後に左様な大量虐殺を本当に為したのであろうか。 B元兵士 城門の名前は(あの折りは憶えていたのだが今は、)憶えていないが、とにかく紫金山の山裾で、門に入るときは民家はなかった。南京に入ってすぐ西を向いてか、南か、どの方向に行ったのかちょっと記憶にない。 ※この町中を歩く折りに、中国兵は五十や百名ではない、ものすごい数でした。おそらく千名位の人間が倒れていた。折り重なる程でもないけど、死体を右、左とよけながら歩いた。 (れんだいこ)B兵士は、今度は一転して、場所を定かでないと特定せぬままおびただしい死者(といっても千名ぐらいと云う、万余ではないのはどうしたことだろう)が倒れていたと証言しているが、問題が無い訳ではない。先のA元兵士は、「そこに必ずと言っていいほど山のように積まれた遺体がありました」と云っているのに、B証言は「折り重なる程でもないけど」と云う。これは明らかに内容が違うが、その双方の場合があったとして済ませられることであろうか。どちらかの証言が相違しており、あるいは双方とも不正な証言であると考える余地があるのではなかろうか。 B元兵士 道路の広さは、おそらく10〜15メートルくらいの広い道でした。二百から三百メートルの距離。 ※兵隊同士では、血が出ていなかったから、毒ガスちゃうかと話していた。誰もいなかったのに、目の前でざーっと死んでいて驚いた。おそらく千名くらいと思っています。 その死体は氷のように冷たかったのを憶えています。だから2,3日前の爆撃かと思う。南京を爆撃したというようなことも聞いていた。人によっては、内輪でもめて、中国兵が毒ガスをまいたんちゃうかという話があったけれどもそこのところは証拠もない。いまだに不思議。でも、日本の飛行機かなあと思う。しかし、毒ガスとしたら、自分たちが通った時に被害を受けるはずです。毒ガスでもきつくなったのかどうかいまだにわからない。 (れんだいこ)B兵士のこの下りの証言は、むしろ虐殺なかった論でさえあろう。「兵隊同士では、血が出ていなかったから、毒ガスちゃうかと話していた」とある。「人によっては、内輪でもめて、中国兵が毒ガスをまいたんちゃうかという話があったけれどもそこのところは証拠もない」とも云う。日本軍と中国軍の戦闘による死者数がそれほどでもなかったということを「内輪もめか、毒ガスか、南京爆撃による死者」ではないかと云う。 してみれば、B兵士のこの証言は、むしろ「虐殺無かった論」の側が採用すべき証言ではなかろうかということにさえなる。 B元兵士 その晩は南京の北の方で泊まった。こういうことが書いてある。12月16日、南京東地区掃蕩戦参加。この南京の城内が済んだんで、その東地区の掃蕩戦参加と書いてあるけど、これは私の中隊やなしに他の中隊やと思う。今に見ているのは「軍歴簿」で、聯隊本部からの指示などが書いてあると思います。 ※食料は続かん場合が多かったから、みんな適当にその付近にある豚とか鶏とか、中国の人が飼っていたものを食べた記憶がある。中国の人は逃げた後で一人も残っていなかった。 (れんだいこ)B兵士のこの下りの証言もむしろ「虐殺無かった論」を云っているに等しい。「食料は続かん場合が多かったから、みんな適当にその付近にある豚とか鶏とか、中国の人が飼っていたものを食べた記憶がある。中国の人は逃げた後で一人も残っていなかった」と云う。案外これが実際であったのではなかろうか。付近にある食糧を調達したのであり、逃げた後の中国人の家屋から調達したとも云う。ここには婦女の残忍な暴行シーンも掠奪の様子もない。「南京虐殺60ヵ年全国連ホームページ」の「元日本軍兵士の証言」巻頭二番目の証言としては異筋な話ではなかろうか。 国崎支隊(歩兵第9旅団司令部)(83歳)・1997年10月10日〜12日南京大虐殺情報ホットライン・大阪にて C元兵士 (前略)“北支長城作戦"に参加。その後、国崎支隊に配属されて南京攻略戦に参加しました。私は当時歩兵の軍曹で、分隊長でした。蒋介石軍の退路遮断を行いました。南京が落城したのは12月13日、それで、17日に“入城式”をやったわけですが、国崎支隊はそのとき南京へ入って、その年の12月30日に南京の下関を出るまでの12月13日~12月30日の間、南京に居ったのです。私たちの分隊は中山路の難民区の近くに駐留しておりました。そこで“占領掃除"といって死体の整理や壕を埋めたり、交通路を整理する作業にあたりました。 ※私たち殺したり、或いは殺されている現場を見たりしたことはありません。しかし、死体はたくさんありました。 城内で死んでるのは、大部分は飛行機による爆撃または砲撃による死者でした。一般住民も死んどりましたし、蒋介石軍の兵隊もあったし、なかには、日本軍の兵士の死体もありました。死体は壕に埋めて、道を整理しました。 (れんだいこ)この兵士をCとすると、C兵士は、12.17日に南京に入城するまで「私たち殺したり、或いは殺されている現場を見たりしたことはありません」と云い、入城後に概要「一般住民、中国兵の死体がたくさんありました」と証言しているものの「南京爆撃または砲撃による死者」と推定している。これでは「南京大虐殺」の証言にはなり得ない。 C元兵士 隊員数から限度がありますから、私たちの分隊では数十人位、整理したでしょうか。そりゃ、南京には五個師団もおりましたし、駐留している区域も決まってましたから、全体からみたら、死人は相当な数になると思いますよ。全体からみたら何万人にもなるでしょう。戦さですから、爆撃とかやむを得ないです。そう言うことがあったのは事実と思います。 ※しかし30万ということは絶対にない。どういう証拠があるんですか? 30万も死体があれば整理するのに大変なことなんですわ。私ら処理した体験から30万は絶対ない。 (れんだいこ)「全体からみたら、死人は相当な数になると思いますよ。全体からみたら何万人にもなるでしょう」は伝聞推測であるから一級証言にはならない。むしろ、この証言を読めば「しかし30万ということは絶対にない。どういう証拠があるんですか? 30万も死体があれば整理するのに大変なことなんですわ。私ら処理した体験から30万は絶対ない」の方に力点が置かれていることが分かる。「南京虐殺60ヵ年全国連ホームページ」は、「元日本軍兵士の証言」を採録するに当たり、自ら不都合な証言を選択しているという不思議さが又も見える。 C元兵士 私たちが駐留しておった中山路の近くに難民区がありまして、20万の住民を収容して糧食を与えて保護しとりましたよ。憲兵隊が、軍人、軍属の出入りを厳重に警戒しておりました。こいうことも、堂々と言ってもらいたいですね。かっての日本軍は武士道の精神を持っとったんです。 (れんだいこ)ここも同様であり、C兵士は、概要「難民区保護に当たっては、憲兵隊が軍人、軍属の出入りを厳重に警戒しており」、「日本軍は武士道の精神を持って20万の住民を収容して糧食を与えて保護しとりましたよ」という文意になる。これのどこが気に入られて、「南京虐殺60ヵ年全国連ホームページ」では「元日本軍兵士の証言」として採用しているのだろう。 第16師団京都歩兵9連隊第7中隊(80歳)・1997年10月10日〜12日南京大虐殺情報ホットライン・大阪にて D元兵士 (前略)中国へ行った頃は上等兵でした。最初に上陸したのは天津で、そこらで銃砲が聞こえてました。真暗で、水を汲みにいくのも難儀しました。天津で初めて斥候に行き、20歳くらいの兵隊をつかまえてきて調べました。つかまえてきた者が殺せというので、いやだと思っても鉄砲の先に剣付けて突きました。なかなか突けないでいると、皆がまわりで見てて、そんなもん、どうして突けん、と言う。ええい、何くそ、と思って腹から力まかせに突くと、剣(先)が後(背中)から出まして、突かれた者が、ひゆっと後を見ました。その見た顔が何ともいえない顔で、こんなこと、もうかなわんなと思いました。 (れんだいこ)この兵士をDとすると、D兵士は貴重な虐殺シーンを証言している。天津で掴まえた中国兵を突いて殺したと証言している。但し、これは南京ではないということと大虐殺シーンではないということと「こんなこと、もうかなわんなと思いました」と述べているところからすれば、むしろ好んで殺戮におよぶようなことはなかったということを証言していることになる。 D元兵士 天津から済南へ行き、南京までずっと歩いていきました。1日15、6里くらい歩き、毎日歩きながら戦闘していました。南京へは中山門から入りました。 ※中山門の外の堀にはたくさんの死体がありました。想像ですが、門から出て逃げるところを撃たれたのでしょう。 門の外から100〜150メートルほど離れたとこに陣地を張って、軽機関銃とかを持って伏せ、門から出てくるところをめがけ撃つんです。中山門から兵や民間人が逃げるのも見ました。中山門までは私らが先だったのが、そこで交替になり、福知山20連隊の後かち南京へ入りました。南京城内では、何かないか調べて討伐してました。便衣隊が隠れてないか、そこらの銀行や店を一軒一軒調べたんです。小隊で行って、分隊に分かれました。 (れんだいこ)D兵士の南京入城時の証言は、「中山門の外の堀にはたくさんの死体がありました」とあるものの、むしろ日本軍の重砲攻撃による死者ないしは軽機関銃によるものと推測している。続いて「中山門から兵や民間人が逃げるのも見ました」とあるこの表現は、D兵士の部隊では、逃げる中国兵や民間人を見過ごしていたとも受け取ることが出来る。入城後は便衣隊の摘発に向かったと云う。 D元兵士 一小隊4分隊(一分隊に12、3人)です。あやしい素振りを見せた中国人はつかまえてきて、中隊長とか、上の人にわたしていろいろきくんです。よっぽど調べんなん者は連隊にもっていったりね。(あやしい人は)ひとりか二人見ただけです。他の部隊が他の門から入ってるから、私らは城内の東部の南角4分の1くらいの範囲を調べました。中隊本部が城内のどこにあったかはわかりません。 (れんだいこ)ここで便衣兵を摘発した際の様子が述べられているが、「あやしい素振りを見せた中国人はつかまえてきて、中隊長とか、上の人にわたしていろいろきくんです。よっぽど調べんなん者は連隊にもっていったりね。(あやしい人は)ひとりか二人見ただけです」とあるこの証言は、極めて秩序正しく摘発が為されたことを伝えており、とても大虐殺シーンを証言するものではない。 D元兵士 南京ではそんなにたいしたことはなく、4、5日居ただけで裕渓口へ下がり、そこで正月をしました。南京から1里ほどで、あたりはクリークばかりで、道らしい道はありません。となりの部落まで1里か半里歩かないといけない。細いクリークで、百姓が舟で物を運んだりしてました。港はなく、内陸でした。ここでは夜でもうっかり寝ていられませんでした。子どもでも老婆でも、抗日排日の教育で、手榴弾を持って、寝ているところを襲うんです。そんなことが再々あって、 ※子どもでも年寄でも、中国人は皆殺せと、連隊長の命令が出ました。 鉄砲の弾一発で始末せえ、と。つかまえたち撃つことはしないで、試し斬りするんです。将校は軍刀持ってますから。兵隊は銃剣で突くんです。2、3人つかまえてきて、地形とか、そこらに兵隊がいないか聞き、調べるだけ調べてから、川のふちに並べて座らせ、斬るわけです。尋ねるときは穏やかにし、中国人も観念していて口をききます。 ※首斬りはしょっちゅうはなく、1カ月かそこらでおさまり、後は治安維持といって子どもに体操させたりしてました。 (れんだいこ)ここで初めて大虐殺シーンが証言されている。「子どもでも年寄でも、中国人は皆殺せと、連隊長の命令が出ました」とある。「試し斬り」が為されたとも証言している。しかし、どう読んで見てもアナーキーな状態での大虐殺シーンの証言ではない。むしろ、「首斬りはしょっちゅうはなく、1カ月かそこらでおさまり、後は治安維持といって子どもに体操させたりしてました」とあることからすれば、危険を避ける為に戦闘状況下での最小限行為として抵抗者を粛清したことの証言であって、恣意的に為されたものではないことが逆に判明する。 D元兵士 (前略)(戦争というのは)人間対人間やから、何もないのに殺すのはね、命令だから、仕方が無い。殺すときは気がたっているが、一日か二日、一服すると、なかなか人は殺せんもんです。当時は教育方針がそういうもんで、侵略戦争だから、行けというからしゃあないから行ったんです。 (れんだいこ)D兵士の「(戦争というのは)人間対人間やから、何もないのに殺すのはね、命令だから、仕方が無い。殺すときは気がたっているが、一日か二日、一服すると、なかなか人は殺せんもんです」も、むしろ虐殺シーンは有り得なかった側が採用しても良い証言である。 以上、ABCD4名の元兵士の証言を見てきたが、おかしなことにそのどの兵士も南京大虐殺事件を証言していない。ところで、「南京虐殺60ヵ年全国連ホームページ」と云えば、その種の喧伝サイトなのではなかろうか。そこにこの種の証言が掲載されていると言う真意は奈辺にあるのだろうか、むしろこのことの方が気にかかる。今も考えているが不自然過ぎて解せない。 |
9170 | 返信 | Re:南京事件で・・・(兵士の犯罪と組織の犯罪-3) | URL | 五番街 | 2001/08/29 13:22 | |
>そういう私からすれば虐殺論者は「足して2で割る」的捉え方でいずれにせよ
大虐殺が為されたのには違いないとしているのだろうと見なしており、そういう表現になりました。
この文章も文意が理解しにくいのですが、れんだいこさんは、いわゆる大虐殺論者は、組織的犯罪と兵士の犯罪とを区別していない、という認識をもっているということでしょうか?しかし、大虐殺論者にかぎらず、たとえば、秦郁彦さんのような中間派も、この点はきちっと区別し分類して虐殺数をカウントし、その総和を南京大虐殺数と推定しています。れんだいこさんの認識は間違っているのではないでしょうか。 >「南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であったことが示されている。」も曖昧表現ではないでしょうか。本来であれば、一般人虐殺凡そ何名、捕虜虐殺凡そ何名、合わせて推定何名の虐殺と書かれていなければならないところだと思います。「一般人と捕虜の総数は、20万以上」 という書き方は、互いの識別をしていませんから都合によりどちらでも受け取れる卑怯な書き方だと思われます。実に、20万説も10万になったり数万になったりで諸説産んでいますし。 まず第一に、このレスは、「東京裁判では市民および捕虜の2種類の虐殺ともに指摘されている」という私の主張に対するものとしては、焦点が横にずれていますね。このように論点をずらした主張を行うのであれば生産的な議論を行うことは難しいと思います。 さて、東京裁判の記録などを再び読み直さずに、れんだいこさんの引用のみにもとづいて、私の考えを述べることにします。たしかに、虐殺数20万人について、「一般人虐殺凡そ何名、捕虜虐殺凡そ何名、合わせて推定何名の虐殺と」より具体的に書くことは好ましいと思います。こうした分類は、犠牲者の服装などから容易に行うことが可能であり、そのため、この証言のベースとなる中国側の調査では、分類は行われていたと推測され、その結果として20万人という総数が算出されたものと考えられます。 しかしながら、こうした書き方によって、「一般人の虐殺数20万人」とか、「捕虜の虐殺数20万人」というように、「どちらでも受け取れる」というれんだいこさんの考えが理解できません。また、総数のみを書くことが「卑怯な書き方」とも思いません。証言者は、分類による虐殺数を述べることが不可欠とは考えず、また、裁判所あるいは検事、弁護士も同様に考えていたのだろうと思いますし、不可欠であったのは、その総数を明示することであったと考えられます。また、虐殺数ついて諸説がある理由は、この証言で分類が行われなかったから、というれんだいこさんの考え方も理解できません。 >従って、「南京大虐殺を、そのどちらかに特定しなければならない理由」が大いにあるというのがまず第一の判断になるべきではないでしょうか。 (れんだいこさん) >それぞれの虐殺に対して、実数推定、証言取りをもう少し精密にしたほうが良いのではないのかという主張をしておりますが、ご不審でしょうか。(れんだいこさん) もとのれんだいこさんの主張を、下のように解釈することはできません。これらの二つの主張が異質なものであることは、わざわざ比較検討する必要はありません。私は、「不審」である以上に、れんだいこさんは論理的思考ができないのではないか、と考えています。 >「日本軍がこの義務を果たさなかったことは客観的な事実であって、議論の余地はないと思います」ではなく、議論の余地が大いにあると考えている訳です。 むろん、どのように考えようとも、れんだいこさんのご自由ですが、「議論の余地」があるなら、その疑問点を述べて下さい。 >特に、史上の戦争で「不作為論」で見てこれは模範だというような戦争があるので したら教えてください。これは戦勝国が敗戦国の見せしめに対して作り出した得手勝手な論法での戦犯裁き論でしかないと考えています。 私は知りませんが、そのことと、「不作為の罪」が成立するという私の考えとは何の関係もありません。さらに、最後の文章のような結論が導かれる理由も理解できません。 |
五番街さんのレスにお答えいたます。
私の述べた「私からすれば虐殺論者は、足して2で割る的捉え方でいずれにせよ大虐殺が為されたのには違いないとしているのだろうと見なしており、そういう表現になりました」は、いわゆる大虐殺存在派の皆様の様々な論を学んで見て、最大30万人以上説から数万説が雑居しており、その内部で理論検証なきままに概ね為されたことは相違なかろうとしてその中間辺りに概算推定して足りていることに対して「足して2で割る説」と表現しました。この表現が適切でないのであれば、五番街さんからどのように表現すべしか教えていただけませんか。「最大30万人以上説から数万説が雑居して互いに検証しあっていない」という事態について見方が違われるのでしょうか。とすれば、どのように捉えておられるのでしょうか、お伝え願えますか。 > この文章も文意が理解しにくいのですが、れんだいこさんは、いわゆる大虐殺論者は、組織的犯罪と兵士の犯罪とを区別していない、という認識をもっているということでしょうか?しかし、大虐殺論者にかぎらず、たとえば、秦郁彦さんのような中間派も、この点はきちっと区別し分類して虐殺数をカウントし、その総和を南京大虐殺数と推定しています。れんだいこさんの認識は間違っているのではないでしょうか。 そうですか。ここでもお尋ねしますが、では五番街さんの制服兵士の戦闘による死亡者数、便衣兵のそれ、一般市民のそれ、婦女凌辱数の概算と総虐殺数の概算見たてを教えていただけませんか。ここが分からないままに議論して行くのはとてもやりにくいです。 > > まず第一に、このレスは、「東京裁判では市民および捕虜の2種類の虐殺ともに指摘されている」という私の主張に対するものとしては、焦点が横にずれていますね。このように論点をずらした主張を行うのであれば生産的な議論を行うことは難しいと思います。 「焦点が横にずれていますね。このように論点をずらした主張を行うのであれば生産的な議論を行うことは難しいと思います」をお互いに言い合うとみっともなくなります。多少は認め合わないとね。議論の中で云いたいことがはっきりしてくるという場合もあります。れんだいこが意識的に論点ずらすことはありません。 > > さて、東京裁判の記録などを再び読み直さずに、れんだいこさんの引用のみにもとづいて、私の考えを述べることにします。たしかに、虐殺数20万人について、「一般人虐殺凡そ何名、捕虜虐殺凡そ何名、合わせて推定何名の虐殺と」より具体的に書くことは好ましいと思います。こうした分類は、犠牲者の服装などから容易に行うことが可能であり、そのため、この証言のベースとなる中国側の調査では、分類は行われていたと推測され、その結果として20万人という総数が算出されたものと考えられます。 「中国側の調査では、分類は行われていたと推測される」というのは、東京裁判の時点でという意味でしょうか。文意からするとそうなりますが、正確に分類されていたとお考えですか、単に分類されていたと言う意味ですか。 > しかしながら、こうした書き方によって、「一般人の虐殺数20万人」とか、「捕虜の虐殺数20万人」というように、「どちらでも受け取れる」というれんだいこさんの考えが理解できません。また、総数のみを書くことが「卑怯な書き方」とも思いません。証言者は、分類による虐殺数を述べることが不可欠とは考えず、また、裁判所あるいは検事、弁護士も同様に考えていたのだろうと思いますし、不可欠であったのは、その総数を明示することであったと考えられます。また、虐殺数ついて諸説がある理由は、この証言で分類が行われなかったから、というれんだいこさんの考え方も理解できません。 ことは松井大将を絞首刑に付するべきかどうかという、とても大事な見極めがいるところですから、れんだいこが問題にするのは根拠があると考えます。れんだいこには現地で指揮されていた宮様の方がよほどひどいと考えていますしね。 >もとのれんだいこさんの主張を、下のように解釈することはできません。これらの二つの主張が異質なものであることは、わざわざ比較検討する必要はありません。私は、「不審」である以上に、れんだいこさんは論理的思考ができないのではないか、と考えています。 後生ですから、「れんだいこさんは論理的思考ができないのではないか、と考えています」という云い方は控えましょう。お互いにかえってくることになります。 > > むろん、どのように考えようとも、れんだいこさんのご自由ですが、「議論の余地」があるなら、その疑問点を述べて下さい。 ここも同じです。れんだいこは割合とはっきりと表現しているつもりです。五番街さん自身の考えが見えてこないので困っている訳です。 > >(れんだいこ)特に、史上の戦争で「不作為論」で見てこれは模範だというような戦争があるのでしたら教えてください。これは戦勝国が敗戦国の見せしめに対して作り出した得手勝手な論法での戦犯裁き論でしかないと考えています。 > >(五番街さん)私は知りませんが、そのことと、「不作為の罪」が成立するという私の考えとは何の関係もありません。さらに、最後の文章のような結論が導かれる理由も理解できません。 > ここはひどいです。「私は知りませんが」というような云い方で、史上例を見ない不作為罪を安易に肯定してはいけません。そういう世の中が理想だとは思いますが、これを成立させるには、よほどの論拠がいると思います。例えて云えば、平和の罪国際会議を現下のパレスチナでやったとして、アンネの日記とヒトラーのユダヤ人虐殺ばかり論議しているようなものです。 |
>最大30万人以上説から数万説が雑居しており、その内部で理論検証なきままに概ね為され
たことは相違なかろうとしてその中間辺りに概算推定して足りていることに対して「足して2で割る説」と表現しました。
横からお邪魔しますが、上にのべられているれんだいこさんの主張(というか印象批評)は、南京事件についてこれまで行われてきた議論の事実と異なります。 研究者は、笠原氏から、秦幾彦氏、故板倉氏まで、それぞれ事実関係の調査を元に虐殺数を計算しているのであって、お互いに批判も行っています。「理論検証なきまま」というれんだいこさんの認識は誤りです。 第二に、研究者ごとに数値が異なるのは、それぞれ (1)虐殺の範囲(捕虜の殺害を合法とするか) (2)虐殺の期間(南京攻略以後か、上海戦以後か) (3)虐殺の地理的範囲(南京場内に限るのか、城外の近辺を含むか、南京行政区まで含むか) というように対象の範囲が異なっているからにすぎません。 例えば、秦幾彦氏の4万人説と板倉氏の1万人説では捕虜の殺害を合法とするかどうかの違いで、殺害総数に関しては大体同じ数値です。 れんだいこさんの主張するような「足して2で割った研究」というのは、私の知る限りありません。 |
9184 | 返信 | Re:南京事件の虐殺数 | URL | れんだいこ | 2001/08/29 19:41 |
JOHN_VOIDさん、ちわぁです。おっしゃっておられる意味は分かるのですが、次のような疑問が抑えられません。 > 第二に、研究者ごとに数値が異なるのは、それぞれ > (1)虐殺の範囲(捕虜の殺害を合法とするか) > (2)虐殺の期間(南京攻略以後か、上海戦以後か) > (3)虐殺の地理的範囲(南京場内に限るのか、城外の近辺を含むか、南京行政区まで含むかというように対象の範囲が異なっているからにすぎません。例えば、秦幾彦氏の4万人説と板倉氏の1万人説では捕虜の殺害を合法とするかどうかの違いで、殺害総数に関しては大体同じ数値です。 > >れんだいこさんの主張するような「足して2で割った研究」というのは、私の知る限りありません。 秦幾彦氏の4万人説と板倉氏の1万人説ではほぼ同じということのようですが、その違いを具体的に教えていただけたら助かります。 で、笠原説、中国説との絡みはどうなんでしょうか。4万と1万の差が同じと云われればそういう基準の差かと思いますが(それにしてもひどい差のように思われます)、30万人あるいは今後の解明によってはそれ以上との説との差はどのような基準で整合されるのですか。この差は尋常ではありませんよね。数学の得意な方に説明してもらいたいところです。 「対象の範囲が異なっているからにすぎません」という対象の範囲がどのように変わるのか興味がありますので、具体的にご教示いただけますか。 |
9193 | 返信 | 虐殺数の差 | URL | JOHN_VOID | 2001/08/30 08:54 | ![]() |
>秦幾彦氏の4万人説と板倉氏の1万人説ではほぼ同じということのようですが、その違いを具体的に教えていただけたら助かります。
すでに述べたように、捕虜の殺害を違法と見るか、合法と見るかの違いです。秦郁彦氏は違法と見ています。私も撃滅処断を合法と見る板倉氏の論理には無理があると思います。 >で、笠原説、中国説との絡みはどうなんでしょうか。 中国説は30万で、笠原氏は東京裁判とほぼ同じ20万であったはずですので、両者は異なったものであると言えるでしょう。 >4万と1万の差が同じと云われればそういう基準の差かと思いますが(それにしてもひどい差のように思われます)、 対象範囲が異なれば結果として得られる数値が異なるの当たり前です。別にひどくも何ともありません。 差がでなければそのほうがよほど変です。 >30万人あるいは今後の解明によってはそれ以上との説との差はどのような基準で整合されるのですか。この差は尋常ではありませんよね。 尋常です。対象範囲を時間的、空間的に広く取るか、狭くとるるかの違いでしかありません。 「基準で整合する」という言葉の意味が不明です。 >数学の得意な方に説明してもらいたいところです。 集合演算の問題です。 A and B and C and D か A or B or C or D の違いです。 >「対象の範囲が異なっているからにすぎません」という対象の範囲がどのように変わるのか興味がありますので、具体的にご教示いただけますか。 すでに以下のように具体的に述べています。 (1)虐殺の範囲(捕虜の殺害を合法とするか、違法とするか) (2)虐殺の期間(南京攻略以後か、上海戦以後か) (3)虐殺の地理的範囲(南京場内に限るのか、城外の近辺を含むか、南京行政区まで含むかというように対象の範囲が異 |
9207 | 返信 | Re:南京事件で・・・(兵士の犯罪と組織の犯罪-4) | URL | 五番街 | 2001/08/30 16:48 | ![]() |
>いわゆる大虐殺存在派の皆様の様々な論を学んで見て、最大30万人以上説から数万説が雑居しており、その内部で理論検証なきままに概ね為されたことは相違なかろうとしてその中間辺りに概算推定して足りていることに対して「足して2で割る説」と表現しました。
と、れんだいこさんは書かれているのですが、「足して2で割る」という表現をれんだいこさんが初めて用いたのは投稿#9089ですね。この投稿では、私の文章を引用して次のように書かれています。 >特に南京大虐殺を、そのどちらか(組織的犯罪と兵士個人の犯罪・・五番街注) に特定しなければならない理由はないと思います。(中略)南京大虐殺は、こ の2種類の犯罪が複合したものと考えます。 (五番街) >このようにお答えいただきましたが、「南京大虐殺を、そのどちらかに特定しなければならない理由はない」との判断は違うと考えます。足して2で割ればよいとい うものではないと思います。(れんだいこさん) お分かりのように、この「足して2で割ればよいというものではない」という批判は、「南京大虐殺は、この2種類の犯罪が複合したもの」という私の考え方に向けられたものですね。そして、この批判が的を得たものではないことを、いままでに論証いたしました。 ところが今回の投稿では、「足して2で割る説」は、虐殺の種類に関するものではなく、虐殺数を「その中間あたりに概算推定」する主張を意味する、と書いているのですから、大きく意味が変化している(あるいは、意味を変化させている)のです。一体これは何だろうと考えてしまいます。 さて、この引用部分を独立したものとみなして考えた場合、これも奇妙な見方だと思います。なぜなら、第一、「その内部で理論検証なきままに概ね為されたことは相違なかろう」という部分は、あくまでれんだいこさんの想像の産物ですね。実際には、虐殺数をめぐって多くの議論が戦わされています。ただ、私はこの論争を詳細に関する知識はあまりありませんが、たとえば、最近では、便衣兵容疑者の殺害に関する秦郁彦さんと東中野修道さんの論争があります。この議論は、便衣兵容疑者の殺害全体を虐殺とする秦郁彦さんに理があると考えます(しかし、秦郁彦さんは、「南京事件」(中公新書)では、民間人の便衣兵容疑者の殺害を虐殺にカウントし、中国兵の便衣兵容疑者の殺害はカウントしていないのですが、いつ、どんな理由で自説を放棄したのでしょうかねぇ)。 さらに第二の疑問は、「中間辺りに概算推定して足りている」という主張に関するものです。私はこのような説を唱えている学者あるいは論者はいないと思うのですが、具体的に誰の主張であるかを指摘してください。さらにそれが、一般的な見方、あるいは多くの支持を得ている見方であると言わんばかりの書きっぷりですが、そのように考える理由をお知らせ下さい。私は、れんだいこさんの想像の産物にしか過ぎないと思うのですが。 したがって、「五番街さんからどのように表現すべしか教えていただけませんか」と言われましても、まず最初の意味から大きく逸脱しており、そのため、回答は不能です、としか言えません。 >では五番街さんの制服兵士の戦闘による死亡者数、便衣兵のそれ、一般市民のそれ、婦女凌辱数の概算と総虐殺数の概算見たてを教えていただけませんか。 これについては、現時点では自信をもってお答えすることが出来ませんので、回答は保留致します。ただし、ことわって置きますが、今回の議論に加わった理由は、正確な虐殺数などを推定することが目的ではなく、れんだいこさんの次の疑問に答えるためです。 >ここですが、「もともと捕虜はとらない方針」であったことは疑いないです。問題は、その方針に基づいて実際に『大量』虐殺を見た、為した、それが他の人の証言でも 裏付けられる証言資料が決めてになります。ところが、私の知る限りこの決め手の部分が伝聞ないしは推定になっているように思われます。そうではない一級資料があればご呈示していただけたらと思っています。 そして、れんだいこさんとの議論は、この疑問に対する私の資料の提示から派生したものであって、虐殺数などを推定することがテーマではありません。なお、自信はないものの、虐殺数は漠然と20万人程度と考えていますが、この点を議論のテーマとはしませんので、悪しからずご了承ください。 >「中国側の調査では、分類は行われていたと推測される」というのは、東京裁判の時点でという意味でしょうか。文意からするとそうなりますが、正確に分類されていたとお考えですか、単に分類されていたと言う意味ですか。 これはあくまで東京裁判の時点での虐殺数の提示に関する私の推測であり、明確にその証拠となるものはありません。 >ことは松井大将を絞首刑に付するべきかどうかという、とても大事な見極めがいるところですから、れんだいこが問題にするのは根拠があると考えます。れんだいこには現地で指揮されていた宮様の方がよほどひどいと考えていますしね。 これも、私の主張に対するレスとしては不適切ですね。私が主張しているのは、「南京とその周辺で殺害された一般人と捕虜の総数は、20万以上であったことが示されている。」という文章を『「一般人の虐殺数20万人」とか、「捕虜の虐殺数20万人」というように、「どちらでも受け取れる」というれんだいこさんの考えが理解でき』ないということであり、さらに、この文章を「卑怯な書き方」と考えることもできない、ということです。 >ここも同じです。れんだいこは割合とはっきりと表現しているつもりです。五番街さん自身の考えが見えてこないので困っている訳です。 れんだいこさんが、「この「不作為罪」は、典型的な戦勝国の得手勝手論理であって」などと書いていることは承知しておりますが、そのように考える理由あるいは、この結論に至るまでの思考のプロセスが不明であるので、その点を明確にしてください、と述べているのです。私は、れんだいこさんがこのように考える理由が分かりません。 私の考えはすでに述べましたが、「不作為の罪」を別な言い方をすれば、「注意義務違反」と言ってもよいと思います。これは、以前の戦争では適用されなかった罪状かもしれませんが、一般社会では多くの適用例があり、とりたて、例外的な罪ではありません。松井大将は、兵士による蛮行に対して怒りをあらわにしたといっても、犯罪を行った兵士の処罰を含む、蛮行の拡大あるいは再現を阻止・防止する策を実施しなかったのですから、「成るべく戦争の惨害を減殺すべき制限を設くるを目的」とするハーグ条約の主旨を踏みにじる行為でもあります。 なお、松井大将が最高刑に処せられたことについても、それが適当であるかどうかの見解は持ち合わせていません。しかし、一方では、松井大将は、戦争の惨害を最小限に止めるための注意義務に違反しており、有罪は免れないと考えています。 |
9211 | 返信 | Re:南京事件で・・・(兵士の犯罪と組織の犯罪-4) | URL | れんだいこ | 2001/08/30 19:48 | ![]() |
五番街さん、ちわぁです。なるほど「足して2で割る説」について、五番街さんとJOHN_VOID
さんとのやり取りがごっちゃになっていました。後で気づいたのですが、まぁいいやとそのままにしております。五番街さんとの場合は「軍の組織犯罪としての指令に基づく虐殺と兵士のアナーキー的な虐殺」に対して明確でない様を「足して2で割る説」で表現しました。JOHN_VOID
さんとの場合には総虐殺数の杜撰さをそのように表現しました。このどちらを表現しているのかの疑問が起っても仕方ありません。ここで次のように言い直させてください。虐殺の種類においても、総虐殺数においても、どちらの場合においても虐殺の実態が精査されておらず、あたかも「足して2で割る」ような杜撰さの中で虐殺論が肯定されている向きがある、かように説明させていただきます。ご両名様が同一人物であろうとなかろうとこの場でそのように整合的に説明し直させていただきます。
> 実際には、虐殺数をめぐって多くの議論が戦わされています。ただ、私はこの論争を詳細に関する知識はあまりありませんが、たとえば、最近では、便衣兵容疑者の殺害に関する秦郁彦さんと東中野修道さんの論争があります。この議論は、便衣兵容疑者の殺害全体を虐殺とする秦郁彦さんに理があると考えます(しかし、秦郁彦さんは、「南京事件」(中公新書)では、民間人の便衣兵容疑者の殺害を虐殺にカウントし、中国兵の便衣兵容疑者の殺害はカウントしていないのですが、いつ、どんな理由で自説を放棄したのでしょうかねぇ)。 「私はこの論争を詳細に関する知識はあまりありません」と云わずに概要でも説明してくだされば助かります。なお、()文中の、「民間人の便衣兵容疑者の殺害」と「中国兵の便衣兵容疑者の殺害」のカウントを区別されておるようですが、五番街さんは「民間人の便衣兵」と「中国兵の便衣兵」をどのように区別されておられるのですか、ご説明願えますか。 > さらに第二の疑問は、「中間辺りに概算推定して足りている」という主張に関するものです。私はこのような説を唱えている学者あるいは論者はいないと思うのですが、具体的に誰の主張であるかを指摘してください。さらにそれが、一般的な見方、あるいは多くの支持を得ている見方であると言わんばかりの書きっぷりですが、そのように考える理由をお知らせ下さい。私は、れんだいこさんの想像の産物にしか過ぎないと思うのですが。 はい、済みません。れんだいこのオリジナルな見方ですが、学者と云われる方が言われたものでないと納得してもらえないのでしょうか。「さらにそれが、一般的な見方、あるいは多くの支持を得ている見方であると言わんばかりの書きっぷりですが」とありますが、そのように表現したつもりは有りません。れんだいこはそう思うということです。 > > したがって、「五番街さんからどのように表現すべしか教えていただけませんか」と言われましても、まず最初の意味から大きく逸脱しており、そのため、回答は不能です、としか言えません。 > そうですか。こうなったら、どこぞにれんだいこの見解は面白いというて追認してくださる学者様がいてくださらないかなぁ。 >(れんだいこ)では五番街さんの制服兵士の戦闘による死亡者数、便衣兵のそれ、一般市民のそれ、婦女凌辱数の概算と総虐殺数の概算見たてを教えていただけませんか。 > > (五番街)これについては、現時点では自信をもってお答えすることが出来ませんので、回答は保留致します。 ここが始まりであり帰結の肝要のところなんですがね。さすがに渡辺さんは概算ご説明して下さりました。議論の前提として私はこう見立てしているというのがないと議論のしようが無い訳です。申し訳ないですが、「現時点では自信をもってお答えすることが出来ませんので、回答は保留致します」のであれば、私と渡辺さんの遣り取りを見守ってください。持論なき人と遣り取りするのはぬるぬるして気持ちが悪いです。 > そして、れんだいこさんとの議論は、この疑問に対する私の資料の提示から派生したものであって、虐殺数などを推定することがテーマではありません。なお、自信はないものの、虐殺数は漠然と20万人程度と考えていますが、この点を議論のテーマとはしませんので、悪しからずご了承ください。 「なお、自信はないものの、虐殺数は漠然と20万人程度と考えています」は、とても正気の沙汰ではありません。五番街さんはそう思われないですか。「自信が無いのに20万人ぐらいを検討としている」という傾向に対して、れんだいこは「足して2で割る考え方」と表現しています。まるでびったりではありませんか。それでもれんだいこの言い回しを批判するという御仁と会話を通じ合わすには、耐えがたきを耐える以外に方法がありません。 >(れんだいこ)「中国側の調査では、分類は行われていたと推測される」というのは、東京裁判の時点でという意味でしょうか。文意からするとそうなりますが、正確に分類されていたとお考えですか、単に分類されていたと言う意味ですか。 > >(五番街)「 これはあくまで東京裁判の時点での虐殺数の提示に関する私の推測であり、明確にその証拠となるものはありません。 「私の推測であり、明確にその証拠となるものはありません」 というようなことで、不作為罪の適用や松井大将の死刑に対して是認見解が披瀝できるとはこれいかに。五番街さんはなして罪作りがお好きなのですか。何がうれしくてそのような論を張られるのですか。 > > 私の考えはすでに述べましたが、「不作為の罪」を別な言い方をすれば、「注意義務違反」と言ってもよいと思います。これは、以前の戦争では適用されなかった罪状かもしれませんが、一般社会では多くの適用例があり、とりたて、例外的な罪ではありません。松井大将は、兵士による蛮行に対して怒りをあらわにしたといっても、犯罪を行った兵士の処罰を含む、蛮行の拡大あるいは再現を阻止・防止する策を実施しなかったのですから、「成るべく戦争の惨害を減殺すべき制限を設くるを目的」とするハーグ条約の主旨を踏みにじる行為でもあります。 「不作為の罪」を別な言い方をすれば「注意義務違反」とありますが、五番街さんは無茶苦茶を言われますね。どこの世界に「注意義務違反」で死刑を宣告されねばならないことがありますか。なしてあなたはさほどに罪刑フェチなのですか。 「成るべく戦争の惨害を減殺すべき制限を設くるを目的」とするーグ条約の主旨を踏みにじる行為を罪に問う論理を拡大解釈していけば、戦争に従事した者はほぼ全員戦争すべきでなかったということになり、ならば戦争なぞしなければ良かったのに。 > > なお、松井大将が最高刑に処せられたことについても、それが適当であるかどうかの見解は持ち合わせていません。しかし、一方では、松井大将は、戦争の惨害を最小限に止めるための注意義務に違反しており、有罪は免れないと考えています。 > これも何を云っているのか分かりません。見解を持ち合わせていないのに、有罪は免れないと思うというのはどういうことでしょうか。これまで遣り取りしてみて、五番街さんの罪刑意定主義ぶりのからくりを改めて聞いてみたくなりました。もし、五番街さんが自分自身を、左派的な立場とまでは思わなくとも民主主義を護れ的な立場で賛助しているとお考えなら、悪いことは言わない、全く無縁な御仁だとお悟りください。 |
9231 | 返信 | Re:虐殺数の研究 | URL | 朱夏 | 2001/08/31 00:11 | ![]() |
>
>虐殺の種類においても、総虐殺数においても、どちらの場合においても虐殺の実態が精査されておらず、 > > 精査されています。 秦郁彦氏の論文や、板倉氏の論文を読んでください。 > > >あたかも「足して2で割る」ような杜撰さの中で虐殺論が肯定されている向きがある、 > > そのような向きはありません。足して2で割るような杜撰な研究は、私の知る限りありません。 > > >かように説明させていただきます。ご両名様が同一人物であろうとなかろうとこの場でそのように整合的に説明し直させていただきます。 > > 5番街さんと私は別人です。 南京攻略で、何人の戦死者が出たかは、問題ではありません。それが、30万人であろうが、1万人であろうが、100人であろうが・・あの局地戦で日本は勝利をしたけど、最終的に全体として無理をした戦争には敗退してしまった。しかし、大東亜戦争はいかに愚かしい戦いではあっても、現在の日本が生まれるについての、必然であった。 あの戦争がなければ、巨大な軍隊を持っていた旧日本はどこかで、矛盾を抱えていずれは、同じような道を辿ったにちがいないのだから。 現在の、私たちの祖父、父が築いてきた日本に対して、すでに過ぎ去り、清算の終わった戦いをネタに、言葉は悪いのですが、「強請ってくる人たち」がいることに問題はあるのです。そして、国内的には、その「強請り」に対して迎合をする人々がいることが問題なのです。 戦死者の数を確定して、それが何になりますか? かっての日本の「悪行」を指摘して、それが何になりますか?責任を確認することは、何の為に?何を目的に・・・ いかに日本人が悪かったかを確認したら、気持ちがいいですか? 確認した後、あなたたちは、その日本人の末裔として何をしたいのですか? 誰か、どこかにいる、「責任者」を追及してどうするつもりですか? そこに、自分はどう関わっていくつもりですか? 戦争体験を語り継いで、責任を語り継いで、あなたはそれで、何をしたいのですか? 自分を棚に上げての、議論にはまったく価値を持ちえません。ただ、議論のための議論、満足のための議論。恥ずかしくなりませんか?・・・そんな議論は そんなことより、現在平和な安全な社会を築いている日本に、不法入国をして、ピッキングを繰り返している存在から日本を守ることのほうが喫緊の課題なのです。 うさぎの国に狼が紛れ込んでるのと同じ状態が起きています。 |
9237 | 返信 | Re:虐殺数の研究、朱夏殿へ。 | URL | れんだいこ | 2001/08/31 01:05 | ![]() |
恐れ入りましたのでレスは見合わせさせていただきます。同様の文面をいただきました場合同様とさせていただきます、かしこ。 |
(私論.私見)