時事評論(1) れんだいこの最初の投稿文(一部字句修正)


宮顕総括には日本左翼の能力が問われている。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月 8日(木)16時36分45秒

 羽派さん、ちわぁです。戸田掲示板をとぼとぼと歩いている私の身にもなって下さいよ。レスでも新ツリーでもにぎわかしを頼みます。我々の了見をいかにひろげるかが、社会運動の前に問われているような気分ですね。好奇心と素直さ、これが一番大事でしょう。私も自戒しつつ只今人格改造中です。こう云う風にはっきりと物言う言い方は性分でして、直す気も直しようもないと、この面は居直っております。

 田中角栄論は川端治もすこし展開しています.

 興味があります。全文もしくは文意だけでも教えてくだされば助かります。

 私は「宮本スパイ説」には懐疑的ですが,彼の6全協から7・8大会にかけての言動はもっと明るみに出されねば,と思います.

 「宮本スパイ説」には根拠十分と見ております。もっとも、この観点を人様に押し付けるつもりは有りません。しかし、調べれば調べるほどその線が強まってきますね。まっおおごとですからね、慎重にしたいとは思っています。一応私の意見は晒しておりますので、そこは違うということがあれば教えてください。私も勉強になります。

 戦前の小畑死亡事件における宮顕の弁明は、無茶苦茶であることは疑いありません。恐らく、各被告の調書がこの世に出ないともくろんでいたのでしょう、黒を白と言い含めたものになっています。「公判記録」の嘘八百はひどい居直り論理で一から十まで貫かれています。

 しかし、世の摩訶不思議で袴田、逸見、秋笹、大泉らのそれが漏洩されることになりました。熊沢、木島らのそれは一部しか出ていませんが。これを突き合わす限り、宮本は以降の左派運動に謹慎するのが筋でしょう。ところがどうなったか。史実は、黒を白と居直り、執拗な反徳球運動でとうとう党中央を簒奪し、今に至るもその系譜で押さえ込み、変調論理を吹聴し続けています。これって悪意無しにできることでしょうか。

 このからくりに気づかぬまま党に団結し、それを是とする態度は、思考を途中から放棄しているからだと思っています。いわゆる反党派、トロ化した人たちの中には、そういう虚構に生理的に反発してきた人士たちがいるのではないでしょうか。但し、どちらからも検証はしていない。罵詈雑言しあって今日まで経過しているように思えます。

 これを不毛だと思うから私の作業が始まりました。しかし、左派とは奇態な連中ですね、結構無視し続けてくれるでは有りませんか。別に構いはしませんけど、そんな性癖の連中に権力取る運動なぞできるわけがない、大衆がついていく訳が無いとか考えています。宮顕総括は彼が生存中にしておかねば、日本左翼の失態でしょう。こういう最肝要な点をほっておいて、インテリ化粧する輩を私は信用しない。とか云い始めると次第にきつくなったのでこれぐらいで止めとこ。



私が宮顕に拘る理由について 投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月 9日(金)20時16分57秒

 宮本は現在引退の身ですから宮顕個人を誹謗して見ても何の意味もありません。宮顕に拘る理由は、六全協、7回党大会、8回党大会の路線を敷いたのが彼であり、現状はこの総路線を基本にしつつ、その延長線上で右化しつつあると見なせます。これを推進しているのが上田・不破・志位の茶坊主ラインでしょう。

 なぜ宮顕に戻るかというと、今もお題目にされている「二つの敵論」、「民主集中制」という美名での統制組織づくり、自主独立路線という美名での排外主義的民族主義路線、人民的議会主義という美名での没労働闘争路線が宮顕指令の総路線であり、現下党運動はここより一歩も出ていないからです。

 この路線を是とするならば宮顕に立ち戻る必要は無いでしょう。この路線を非とするならば当然その主たる策定者批判に向かわねばなりません。非派の私が宮顕論に立ち向かわざるをえない所以です。

 どちらの見解が正しかったとかを後になって確認してもあまり意味が無いでしょう。渦中で真偽を解き明かし、実践の指針にしてこそ意味があると思います。私が非派である理由は、宮顕的指導によって共産党の運動が大きく捻じ曲げられている、というより似ても似つかぬ運動に変質させられていると思うからです。しかし、それでさえ、そう思わないという連中にはれんだいこ節は意味がありませんね。

 しかし、ここになるほどそうかも知れんなと思う人がいたとしたら、その人にとっては意味があることでしょう。そういう人が誰一人いなかったとしたら、余程私の主張が異邦人的なのか、あるいは私が先走りしすぎているのかでしょう。それは私当人には決められません。

 補足しておきたいことは、袴田失脚過程も滅茶苦茶であったし、野坂のそれはええ加減なものでした。何も遠い昔の「党中央内リンチ事件・小畑致死事件」を引き合いに出すまでもなく、宮顕の指導者としての資質を疑わせるに十分なことが身近にあります。この事件の一連の過程に接しても、何も疑問を抱かないという共産党員又は支持者が大勢のようではありますが、嘆息させられます。一体何がどうなったら疑問を持つようになるのか、社会生態的な観察興味さえ湧きます。

 この掲示板を私が利用しようと思うのは、主催者ご両名が現下党運動に対して何らかの疑問を発信しているからです。もっとも私の質のそれとは違うものであることは承知しています。気づきの違いは当たり前でそのことは一向に問題ではない。すり合わせし得る意欲と能力を相互に持っているのかどうかが問われているのだろうと思っています。今後どう進展していくのか、不燃のまま終わるのかそれは分かりません。暫くはお付き合いして見ようと思っています。という訳でよろしければ宜しく。



私が宮顕に拘る理由について  投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月10日(土)15時34分12秒

 どん底さんにも、ちわぁです。これからどんどんよろしくね。

 さて、本題に入ります。「というのが私には今ひとつ飲み込めません。批判対象がなぜ『個人』に立ち戻ってしまうのでしょうか?」とのことですが、これは指導者論の範疇で理解していただけたらよいのですけど。

 党運動であろうが、事業であろうが、誰が指導しようとも同じではなく、徳田は徳田の、宮本は宮本のレールを敷きます。春日(庄)ならそれ、志賀ならそれというそれぞれ似つかわしいものを作り上げると思います。現下党運動の骨格は宮顕が作り、不破・上田らが肉付けしてきています。不破・上田らをいくら批判してみても、宮顕の真似事しているとしたら、やはり本丸に向かうのが筋だろうと思っています。

 「諸悪の根源はスターリン」という場合、清算主義的なスターリン批判は良くないのは自明ですが、スターリンに凝縮した「非」なものをスターリンの徹底解析から解いていくのは意味ある手法です。本来弁証法的思考というものは、こういうことをよくし得るのに役立つものとして使われるべきだと思っています。しかし、やりきることに能力が要るのも自明です。

 さて、れんだいこ観点は「宮顕偏重」だろうか、否、核心を衝いているのではなかろうか。てなことを私の口からは申し上げられません。皆さんで俎上に乗せてください。構いませんから。ただ、ここは理解して欲しい。もし私が労作を書き上げていなかったら、宮顕批判はこれまでのように空回りな議論を続けることしか出来ない、そういうものは聞き飽きているでしょう、とは云えるのではないでしょうか。

 私の場合、文章に責任持つという姿勢で、手前味噌ですが実証的に考究しています。今後とも工夫してもっとズバリ、分かりやすく仕上げて行き直そうと思っています。今は書き付けているだけで、資料収集中です。だって、時間と資料そのものがなさ過ぎる、大事な資料が隠されているから一歩一歩しか進めないですよ。

 どん底さんが、全体の観点からでも、個所個所の疑問点についてでも、どちらからでも指摘してくださっても結構です。字句の間違いは読み直し時の気づき次第に措置しています。まだまだ残っていると思いますが、半年ごとに点検いただけたらスッキリしたものになっていると気づかれるように工夫しようと思います。というようなことで、また。



戦後民主主義論のこと。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月13日(火)21時13分18秒

 誰も投稿しないので私がすると目立つことになる。決して本意ではありませんが投稿しとこ。民主主義論についてですが、私は一つ仮説を持っています。既にどなたかが指摘しているとも思いますが、私どもの意識の中にメジャーになっていない気がしますので一応仮説としておきます。

 なぁにたいしたことではないのです。民主主義論をルネサンス運動との絡みで認識したいということなのです。恐らく西欧民主主義はそうなっていると思う。中世的教会権力からの自立にルネサンス運動の果たした役割は大きい。その延長線上で近代民主主義が開花したのではないかと思う。普通、民主主義のルーツは、世俗権力・王権との絡みで記述されていますが、片手落ちではないかと思う。

 なぜ、この指摘が大事かというと、我々の戦後民主主義は、どうも権利ー義務関係のセンテンスでしか民主主義を理解しておらず、精神的権力からの自立について無防備過ぎると考えるからです。このことは共産党及び党員を分析して見えてくることです。徳球は割合とええがなええがなと民主主義の何たるかを意識していたと思うが、宮顕となるとさっぱりここが通じない。あたかも戦前の天皇制権威をそのまま共産党権威に横滑りさせており、党員が唯々諾々させられ、これに抵抗する術を党員自身が持っていない。むしろ、党員同士が争って恭順化による忠誠を競う、それを良しとする。

 なぜ、かようなことになるのかと考えたとき、そうか、日本の場合GHQによりもたらされた移入型の民主主義であったから、西欧のそれが踏まえていた精神のルネサンスを経過していないのだ、ということに気付かされた訳です。日本にもたらされた戦後民主主義は、様々の事情から、本国アメリカのそれよりも、西欧のそれよりも、かってのソ連の憲法よりも進んだものになっています。その意味で目が眩み、護憲運動することに十分な根拠がある訳ですが、これを護持しようとする運動体に民主主義が根限り無くても違和感が無いと言う変なことになっています。

 これはどこかオカシイ。ということを考えたとき、ルネサンス運動を一度培養し経過させなくては、本物の民主主義が育たないと言うことに思いが行く訳です。とすれば、我が社会にルネサンス運動を起こさないといけない。天動説に対する地動説を生み出さなければならない。全てはここからでないと始まらない。そこから何らかの日本的バージョンでの民主主義が新たに醸成されることになるだろうとか考えるれんだいこであります。



エトセトラ 投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月15日(木)01時39分07秒

 KM生さん、はじめまして。私の戦後民主主義論興味深く拝見していただいとのことありがとうございます。今後とも責任持っての云いたい放題空間拡張員として誼を通じさせていただけたらうれしいですね。確か戦後間もない頃の新日本文学会内で「主体性論争」というのがあった筈ですという情報からすると、かなりシニアな方とお見受けいたします。私も年になりつつあるせいか、スナックで歌を歌っても同年配の人の歌を聴くと落ち着きます。これって致し方ない、恐らく20歳代に身に付けたものの刻印が一番印象が強いのだろうと思います。

 我々のあの頃には巨万の隊列が街頭にうねっていた。不幸にして私は民青系にいましたので、ジグザグデモの経験が少ない。機動隊とぶつかった経験が無い。どっちでも良いようにも思うが、なんか肩透かしの運動側にいたことを悔やむ気持ちもあります。個々の機動隊員の方には申し訳ないが、体制に対する怒りをストレートにぶつけたかったという思いがあります。しかし、私のこの気持ちと反対のことを思う方もおられるだろうから、コミュニケーションは案外と難しい。

 それはそうと、「主体性論争」についてはさらりと読みっぱなしにしたので記憶が弱いのですが、確か従来の歴史的必然論としての社会主義・共産主義的社会到来論に対して、そういう歴史法則があるのなら個人的営為の意味はどうなるんだ、もっと指導に対する吟味もせねばならぬのではないのかというような観点から、主体性の意義を捉えなおそうとしていたように理解しています。そこには、党中央の教説に対して、素直に言うことをきこうとしない見地がありますから、私のルネサンス運動必要論と通底することになります。

 結局論争には決着がつかないまま尻切れとんぼになっていますが、今半世紀を経て「主体性論争」を再開することは十分に価値のあることだと、私も思いますが、好んで党中央に恭順していこうとするもう一つの性癖に対してはどう立ち向かっていけばよいのでしょうね。同じマルクス主義をかざしながら、こうも視点が反すると会話も通じなくなります。

 まぁもっとも私の場合は、宮顕的指導に擦り寄っていく性癖に激しく痙攣している訳で、せめて徳球的あるいは今後期待できそうな党中央が出来た場合には断固擁護していくかも知れませんので、一筋縄では行かない。しかし、その場合でも、個の確立と云うかまっとうな手続きと議論と得心を得ない限りついて行かないと思うから、やはりルネサンスの洗礼は受けておく必要があるとは思います。というようなことでまた。



私の調査によると(硬派調) 投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月16日(金)12時56分36秒

 羽派さん、ここですがね、60安保闘争時の共産党側のエポックとして「ハガチー闘争」が云われ、溜飲を下げるというのが普通の見方として定着していますが、私の調査によると違うんだな。そもそもハガチ−事件には、わざわざコースを変更して日共系デモ隊の待ち受けている方面へ向かった胡散臭さもある。それは問わないとしても、津金の弁も精査せねばいかん。この時のデモ隊の主力は後に構造改革派あるいは中国派として飛び出していっており、現下党中央もこの時は闘ったという根拠にするには問題がある。

 見えてくることは次のことです。既にこの頃の党中央に君臨していた宮顕・袴田ラインは、安保闘争の盛り上がりに一貫して敵対しています(安東仁兵衛はこのことを認識したことから訣別しています)。当時のブント系運動の盛り上がりに対して徹底して押さえにかかっており、その意味では社会党の方が幾分か戦闘的でさえあります。社会党は右になったり左になったりしますが、それが社会党の良きところかも知れません。宮顕系党中央は、共産党という名前の威力を使って、「左」から、常に冷や水を浴びせ掛ける連中であるという認識をしないと実際に照合しない。運動の平時にはたまにはいいことも言うが、ここ一番になると必ずその素性を露にしています。1964年の「4.17スト」の対応も然りです。

 その他その他が澱のように溜まって、70年闘争に向けて新左翼系運動の方が盛り上がっていったような気がしています。しかし、この連中も、宮顕系運動を美化してきたという間違いがある。口を極めて批判してはいるが、その論理を見るや正統共産党運動=スターリニズムとみなしている。私は、そこが間違っていると指摘しています。いやひょっとして意識的にやっているのかも知れん。そんなことを考え出すと怖いですねぇ。私は、宮顕運動はスターリニズムにさえ劣る悪質異筋の運動体でありはしないかという観点から、その例証を我がサイトでぼつりぼつりと続けています。

 だから、こういう党中央とは徹底して闘うのが本来のマルキストの立場であり、恭順を説かれて自ら擦り寄っていくなどとは本末転倒甚だしいと考えています。国忠さんのたびたびの提言をいただいておりますが、かく認識すべきと考えていますので、そういう私の観点からすると、むしろぼかされてしまう危惧を感じます。私も宮顕運動の限界を歴史性において見たいとも思うが、この御仁はそういうレベルではありません。そのことに気付くほうが大事ではないかと思っています。

 こうした党中央の変調さから現場がチグハグし、腐敗が蔓延していると見なしています。宮顕秘書団、不破・上田−志位運動は、宮顕純粋系のさらなるセクト化であって、その本質にある反共論理は度を越しています。そういう状況下にあって、「党中央の云うことはその通り」の、悪しき民主集中制が機能している。調査問責と言おうが査問と言おうが、実態は同志愛的なものは微塵も無い。かっての特高論理と手法そのもので、意欲的活動家(今は戦闘的人士もいなくなったのでこう云っておきます)がイジメられている。イジメ、冷や飯にあわない者はロボトミー型忠勤派であるからで、それは少しも自慢にならない。

 ならば、今我々はどこから始めるべきか。ルネサンス運動をその端緒にせねばならない、というのが私のスタンスかな。これは一刻も急ぐ。でないと、この連中がトップに鎮座する限り、党運動に幻滅させられ、次から次へと反共人士が生み出されていっているから。宮顕−不破−志位ラインの真の狙いはここにあるのかも知れん。



これは手厳しいが 投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月16日(金)16時03分37秒

 そうか、「貴方の問題意識などは貴兄のHPを読めばもう知ってます」のであれば、繰り返すのはよそうか。しかし、相変わらずかような党中央に対する忠勤ぶりをすすめるような論議が横行しているとしたら、変ではあるが。戦前に天皇制教育に忠勤励んでいた教員が、一夜明けたら民主主義を言い始めたその変わりざまに興ざめしたと言う話を我々は聞かされてきたので、そういうことにならなければ良いと思うが。

 勉強不足のJCP党員さんにもう一つお尋ねしたいことがある。私はなるほど預言者であったり、英雄陶酔したり、社会不適応者であったりするけれども、事実を踏まえ根ざした意見発表している訳で、オカルトとは違うし、英雄ではないし、社会不適応者であると云われたらどう応えたらよいのか分かりませんね。団塊年代に多い傾向と言うのであれば、これはただでは済みません、そうなったら団塊年代者も黙ってはいないでしょう。かなり乱暴なことをいう方だなとか思う訳です。せめて、あなたは社会不適応者だと決め付けてくれないと、これは差別意識につながる危険な発想ですね。

 それとですね、(貴方が真理を知っていても他人には毒にも薬にもならない無力で終わりますが満足ですか?)とありますが、社会事象に対して「真理」を持ち出す癖は宮顕の発想そのものですよ。社会認識に哲学的な「真理」を持ち出す必要はありませんね。そんなことを許せば、これが「真理」だから従えてきな独善と如意棒が振り回されることになるのに紙一重です。事実そういう党員の「真理」認識が唯々諾々を許してきたのではなかろうか。それは聖書世界の宗教的な教説であって、マルクス主義哲学はそういう「真理」観を不要としている筈です、認識の精度は争うけどね。

 最後に。「ロマンだけに浸る事だけが目的ならば何も申しません」ということですが、私の場合ロマンではありませんね。今日の社会事象と社会変革に思いをはせるとき、どうしてもここから始めないとうまく行かないだろうという極めて実践的な提言として行っています。従いまして、私の論調がコミュニケーションを閉ざすことにはなりません。これはこれで、論者に恵まれれば結構コミュニケーションになるはずですが、なりにくいという情況にはあるようです。これは私の自助努力だけではどうにもならないでしょう。



近頃の共産党員の性格の悪さ 投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月16日(金)20時05分39秒

 勉強不足をどういう意味で使っているのか知らないが、性格の悪さを感じますな。類は類を呼ぶとしか考えられませんね。「ミヤケンをはるかに超えた孤高(苦笑)」そのものと(苦笑)をつける底意地の悪さ、「社会的な結果で示していただける遠い日?」という現在権力持ってることに依拠しようとする権威主義、「ヒゲー戸田氏の掲示板ですらアノ現状ですから」という他に累を与ぼそうとする低劣さ、「犬は吠える…」という表現自体に品の無さを感じていない感性の貧困さ、(貴殿のHPも貴殿の努力の成果で御客様も多いようですし)というあてつけか何か知らぬが嫌味、こういった心情こそ丁寧会話以前に変革せねばならない当のものとして考えられますね。

 「勝てば官軍」的にのたまうのも良いけれど、いやぁ実は私もそう思っていましたとか、その日がきたときにご変化しないようにしてよね。私も楽しみにしながら頑張ってみようと思いますから。



一件落着を願ってお詫び申し上げます。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月18日(日)01時17分14秒

 白井さんにお気遣いさせ、このたびは勉強不足のJCP党員さんからのすいません文も読ませていただき、当掲示板ご利用者の皆様に一服感を与えているやを思い、今後のこの掲示板の発展の立場から一言発言したほうがよいことを悟り、私も只今より一文申し上げます。

 私の表現がきついことにつき、同じ視点からの執拗な主張に付き、辟易気味であるとのたびたびのご忠言いただいており、工夫をせねばならぬかなと反省しております。この点につき今後自制するべく努力したいと思います。以上言上申し上げ、この間のお騒がせに対する私のお詫びと致したく存じます。

 さて、云わぬほうが賢明かなとも思いつつ性格の為せる業にて以下述べさせていただきます。日頃コミュニケーションの必要を説く私の議論姿勢がそれを閉ざす文調になっていることにつき思案しておりますが、さてこの種の改造ができるものだろうかと自問もしています。私はあえて言うなら、はっきりした物言いを好んでおり、ある事象に対する見解の摺り合わせをバトル風に為していくことを好んでおります。これは私の性癖だろうと思います。私がこの手法を是認する限りにおいて、私自身にあっては今回の遣り取り程度に対してはまだまだウォーミングアップ程度の感覚でおります。

 しかし、今回は多少ムッとしたこともあり、感情移入させたのも事実です。特に、最後の「いやぁ実は私もそう思っていましたとか、その日がきたときにご変化しないようにしてよね。私も楽しみにしながら頑張ってみようと思いますから」は、人様をたまげさせたかも知れない。れっきとした捨てゼリフ調で何とか抑制すべきだった。

 いろいろそういうことを考えてみた時、ここは私がお客様で立ち寄っている掲示板でして、私の流儀を通そうとするのではなく、よそ様の敷居を潜るとき当然要求されている雰囲気を踏まえねばならない、それが大人のマナーなんだなと気付くべきか。その点で、軽率であったと今後の教訓にしたいと思います。政治の話を「和をもって貴し」としつつ、相手の考えを尊重しつつ優しく会話する能力の獲得に向けて努力をせねばならない。できるのかなという自信の無さもありますが、これが私の人としての円熟を増す道だと言い聞かせ、せっかくのご交流の流れに寄与できるよう精進したく存じます。



このあたりとても興味あります。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月21日(水)19時04分45秒

 羽派さん、興味深いところの投稿読んでいます。いずれレスします。今、麦うがいしてまして少々心もとないから文章になりません。それはそうと今日図書館へ行って(最近通うようになりました)数冊借りてきました。まだまだ知らないことがありすぎて肉付けせねばなりませんので、最近になって勉強し直しています。その成果も後日発表します。

 それから、島・生田さんらのブント論はとても大事ですね。僕はそう思う。しかし、遮断されていて、何とブント系諸派にあってもほとんど無関係ですね。島さんの訃報に対する反応で知らされました。私は個人的には生田氏に興味を覚えています。彼の記録を誰かがせねばいかんのにと残念な気がしています。

 というようなことでまた。ええとそれから、管理人さん、図書館行った時にルネサンス関係のも一冊借りました。しかし読み終わるのが大変そうで一ヶ月はかかりますから、その間ユニーク系の私論を投稿する予定です。ついでに、ルネサンス研究のページを設けよう、次のテーマはこれにすることにしました。ここでのやり取りも取りこむつもりですのでよろしく。



安東仁兵衛について。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月22日(木)14時10分38秒

 安東氏の離党が、羽派さんの云うように「『現代の理論』廃刊で嫌気がさしていたところに止めを刺されたんでしょう? 春日(庄・)内藤らとの関係もあるし安仁の離党は単純な理由ではないと思いますが」という見解はもっともだと思います。まさに60年安保闘争における宮本・袴田党中央の指導に「止めを刺され」離党に至ったことが本人自身の弁で明らかにされています。

 私が興味を覚えているのは次のことです。50年分裂前の全学連は、武井昭や安仁ら国際派系が指導部を握っていました。国際派の頭目は宮顕ですから当然その指導を仰いでいたということになります。この時期宮本は「不屈の12年神話」の闘士であり、左派系論調にシフトしていましたから、武井らが師と仰いだこともゆえなくはありません。ちなみに、当時の全学連と新日本文学が宮顕系の主要な支持団体になっていたと思われます。これは50年分裂時点の構図です。

 ところが、それ以降から55年の6全協に至るまでの経過で、上田・不破が宮顕お気に入りとなり、これに応じて武井昭は用済みにされていきます。そういう風向きもあってか武井は決定的に宮顕と対立し始めます。本質が右派系というか場違い人士であることに気付いたようです。安仁は武井ほどこういう認識に至らず、上田・不破とも懇意という中間的立場に位置することになり、この観点は終生続くように思います。

 安仁は、『現代の理論』廃刊経過で、宮顕とサシで話をして批判する等していますが、それでも一定の尊敬を保ちます。このもやもやを引きずりながら60年安保闘争に立会い、そこで見た宮顕指導にすっかり幻滅し、離党化に向かいます。しかし、安仁のおめでたいところは、宮顕との未練の誼をまだ引きずっているところです。武井・安仁らに代わって上田・不破が登竜期に入っていきます。

 以上、私の観点は、東大細胞内の指導権争いを武井から不破へ至る経過としてこの内紛をみようとしております。既にご承知と思われますが、私は徳田系運動を高く評価しております。この観点から見れば、武井から不破へ至る過程は、徳田系がやられっぱなしの経過でしかありません。武井の左派性はやや評価できるものの、宮顕と組んだこと自体がそもそもボタンの掛け違いだったと思っています。不破に至っては、この時点から既に右派系理論家としてのみ振舞っており、リンチ査問された経過も未だに真偽不明で、嫌疑が何で、冤罪であったのか根拠があったのかも未解明ですね。

 次に出てくる問題は、島・生田・青木らのブント運動です。概ね国際派の戦闘的活動家が結集していましたが、生田はれっきとした所感派(徳球派)の学生党員指導者で異色です。この時の生田の胸に去来していた思いに私は興味があります。この生田と島は妙に気が合ったらしく、生田がアメリカで不慮の死を遂げるまで気脈通わせております。58年から60年の安保闘争に至る経過では、このブント運動が学生運動を全線指揮しています。つまり、上田・不破らの出る幕は無かったということになります。しかし、安保闘争挫折後島・生田・青木ら指導部は燃え尽きてしまい、その後ぷっつりと引退してしまう。

 その後の経過は割合と知られている通りです。付言すれば、島氏は、昨年突然亡くなってしまいましたが、この間の沈黙は間違いだったと俄かに再活動し始めようとしていた矢先でした。聞きたいことがいっぱいあっただけに残念のきわみと私は受け止めています。いうなれば、島さんらの運動は、今の不破運動と全く正反対に、あれもやりなはれ、これもやりなはれ、私らが率先手本見せましょうというそれでした。この思いは私が目下向かいつつあるルネサンス論、カオス論に通底しています。

 本来、我々の運動はこれでよろしいのではないでしょうか。何も気難しく統制理論振り回してみても、やってることみたらたいしたことやってないのですし、この程度のことやるのに統制理論が使われるなどということ自体、これは無茶だと思うから。




生田浩二情報知りたいです。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月24日(土)12時11分14秒

 羽派さん、ありがとうね。早速ですが「情況3月号」ということは今年のですね。今なら間に合うのかなぁ、早速本屋へ駆けつけます。もしなかったらどうすれば手に入るのでしょう。佐伯秀光が書いた「旅行者の思想・追悼生田浩二」とは、なかなか面白そうですね。確か追悼集が出ているはずなんだけど限定本のような気がしています。手元にありません。唐牛さんの追悼集は島さんの葬儀に出向いた際に手に入れています。

 佐伯氏は,まだご健在のようですから,生田論文集などの出版を試みていただけるといいですね、についてですが、ホントどんどん明らかにして欲しいと思います。ティーチ・インがあるのならこそっとお邪魔したい気持ちがあります。こそっとでなくていいのか。

 武井昭夫さんについても同様です。氏自身について私は何も知りません。いろいろ聞きたいことがあるばかりです。80年代初期に武井が出した本(今手元にない)でも触れてあったように思います、ということであれば内容を確認してみたいです。

 今私は袴田の「昨日の同志宮本顕治へ」を読みすすめています。いろいろな重要なことが書かれていますが、党員の皆様は袴田本の衝撃についてどのように受け止めたのでしょうかねぇ、かような本が何ら影響を与えないとしたら、私にはそのこと自体が信じられないですね。こんなこと言い出したらきりが無いのでやめますが、黙々と党運動やっている連中のその組織及び精神構造に卒倒させられるというのが私の気持ちですね。



KM生さんにエールを送ります。   投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月24日(土)19時33分16秒

 袴田の「昨日の同志へ」を読みすすめてみて、吐き気無しには読めません。党中央の実態は袴田でなくては正確を期し難い。なぜなら、長年常に宮本と行動を共にし、片腕として重用されてきたからこそ見えてきた知った世界がある、その露見だから。その彼が晩年「もはや黙っておれない」との激情で書き上げたのが本書であると思われます。

 しかし、この書も触れたくない者、読もうとしない者には伝わりませんね。それは納得です。そういう手合いが多すぎるということなんでしょう。しかし、私が思うことは、党中央のこれだけの腐敗まみれの中にあって、上田・不破・志位たちは、よくぞ平然と自民党悪い運動をやってこれたですねぇ、それに辟易させられます。こういう連中には何を言っても通用しないとも思う。なぜなら、意図的にやっているのだから、通じさせようがない。

 どちらが正常、異常か論になりますが、KM生さんが「宮顕の御蔭で抜擢され、全党を宮顕擁護に走らせてきた彼等の責任を追及していく決意です」に対して、エールを送ります。同時代の我らがこったら腐敗を看過させたら、それは我々自身の無能を証左していることになりましょう。宮顕生存中に、この一派を駆逐せねばならない。お追従派とも断固闘うべしと考えます。なぜなら、世の中の変革を願う者が最も身近な党内の変革さえ出来ないようなら、さような運動はたかが知れてるから。

 その後に来るものは、党内での喧喧諤諤運動でしょうね、反対派の見解の中身も互いに相違しているはずだから。しかしそれで良いのではないでしょうか。互いがいろんな観方が有るということを知り合って自説を補強していくのがルネサンスの精神だと思うから。暴力を介在させずにこういう運動が出来たら、政治が面白くなって、若者も寄って来るのではないでしょうか。それを思えば、逆のことばかりしてきているのが党中央ではございませんか。



お待たせ、私のルネサンス論 投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月26日(月)19時39分31秒

(1)「ルネサンス」の定義とはなにか。百科事典等を引き、御自分の見解をどうぞ。

 遅まきながら私見を述べてみます。なかなかまとまらないのですが、漸く私の言いたいことが見えてまいりました。「ルネサンス」の史的経過はその道の史書にあると思いますのでお任せするとして、私にとっての「ルネサンスの本質的意義」について提言申し上げます。

 当時のイタリ−人が「ギリシャ・ローマに帰れ」的に復興運動に向かったのは、当時の統制社会に対する反発が底流にあった。この当時の統制とは、世俗の王権、共和制のそれよりも、キリスト教教会側のイデオロギーの方がより強く作用していた。聖書として分厚く語られている内容は、分量と内容において個々の人生を費消させるのに充分なそれであった。この教説に足を踏み入れるならば、その一大体系にひれ伏して、民主集中制的恭順とより純な熱情を掻き立てるばかりのレールしか敷かれてなくて、当時の人々はこのレールに則って闇雲に生計と心情を沿わせ、競うばかりであった。

 しかし、この完結論理は大いなる停滞しかもたらさなかった。異分子は異端訊問と魔女狩りの刑に附され、新規な企てを為す者が排除されたからであったか。社会全体が安定を旨としており、世代交代も身分と階級の牢とした秩序の循環の中に埋没させられていたからであったか。キリスト教国として存立していた時代のヨーロッパは、概ねこの坩堝の中に入り込んでおり、抜け出すことが出来なかった。

 我が江戸時代の太平の眠りを覚ましたのは黒船の来航であった。この当時のイタリーの眠りを覚まさせたのは十字軍の数次にわたる遠征であったようである。但しそれは主要因としてであり、様々の内部的地殻変動が既に始まっていたと考えるのが至当であろうが、この方面の知識が乏しく、分かりやすくそう考えることにしたい。

 こうして、キリスト教的教説の一大プレッシャーに抗する必要が感ぜられ始めた人々が向かったのが、「ギリシャ・ローマ時代の見直し」運動ではなかっただろうか。ギリシャ・ローマ時代とは、小難しい統制理屈よりも、各自の思うがままに各自が弁論し、芸術創造し、それが認められていた社会であった。この社会のよすがを偲び、当時のイタリーに再現することは、キリスト教的支配に反しない限り許された。「奴隷の言葉」でもって語らねばならなかったが、メディチ家に代表されるパトロンたちは用意周到にこれを推し進めた、等々。

 れんだいこが何を云おうとしているのか既に察せられると思われますが、ルネサンスは本質的に権力の統制から逃れ、新しい時代の価値観創造を意欲して生まれた運動であったということ、この精神の延長線上に近代民主主義国家が生まれたのではなかろうかということ、しかしてその不可侵の精神として異端と少数派の擁護があるということ、案外とアングロ・サクソンの今日的隆盛の背後にこの機能があるゆえではないのかということ、この流れの再考察こそ、ルネサンスの見直しをせねばならないと私が主張する所以である。そしてまさに今タイムリーであるとも思っている。

 (以下、れんだいこ流蛇足とオチ)ルネサンスの知識を増してこの精神を継承しないとならば、それは絵に書いた餅というより、画竜点晴を欠くというより、豚に真珠というより、漬ける薬が無いということになる。



諸々の思い 投稿者:れんだいこ  投稿日: 3月29日(木)13時43分53秒

 考えてみれば勉強不足さんに厳しくあたったかも知れない、恐らく、その論理の中に、宮本−不破の影響を認め、そこを摘出して批判する意図であったのだが、批判そのものが勉強不足さん自身に向かったかも知れない。それは私の力量と器量不足としてお許しあれ。

 この間の一連の遣り取りによってルネサンス論の研究を思いつきました。これは感謝せねばなりません。御礼申し上げます。なかなか進みませんが、この学習を通じて、ゆっくりでもメッセージを入れていこうと思っています。全く無知なるままに突入しましたので、どんなことでも参考になりそうなことを教えてください。

 勉強不足さんの「田沼見直し論」には同意です。「国民の歴史」(確かこういう名前だったか)をまだ読んでいませんが、どういう記述になっているんでしょう、興味があります。だいたい、既成の権力者史観とは別個の視点から歴史書を再見直しして、「表現の自由」、「出版の自由」がある時に、世に問う作業が要るのだと思うのだけども、こういう仕事をする学者というか勢力が居ない。変なことだと思っております。

 戦後の大正デモクラシーについては、あの当時のデカダンスがルネサンス論と結びついておればもっと良かったのにとか考えています。デモクラシーの観点からのみのそれであったとしたら、「惜しむらくは」という感慨を覚えます。でも、大正デモクラシーさえ見直しされていない現状は、もっと寒いということになります。

 そういえば、「大塩平八郎の乱」もそうですね。なかなか視点が噛み合ってきています。
田沼見直し論を田中角栄見直し論にまで広げていただけたら、もっと噛み合うようになりますが、これはどうなんでしょうね。「個人的には一言居士・林子平の不屈の生涯に敬意を持ってます」とありますが、私は知らないので便でいつか読んでみようと思います。

 (何故?創価学会系の潮出版でああいう本が出せて、我が新日本出版社はできんのだ?…苦笑)とありますが、これをいい始めるとまた食い違ってきますが、今や共産党系組織は全般にわたって権力史観と同化しており、民衆運動の発展の観点から既成のものを覆すという精神は弱いように思う。

 その理由も考えて見ました。下手に育成すれば、それが党中央を権力に見立てて批判に向かうから出来ない。自民党−官僚批判も下手に煽ると代々木官僚批判に向かうから出来ない。その他諸々同様で、こうした結果から批判の舌鋒を萎えさせる方向にしか指導できていない、批判する場合も党中央の敷いたレールの上でのみ許されるとか変調にさせている、とか考えています。

 居酒屋BBSに遠慮は要りません。私も寿命がある身ですので、同時代の同伴者として「御手合わせ」は結構なことだと思います。要は、生きていく上でのパワーを生み出したら正解で、逆になったら意味が無い、見解が合う合わないはあんまり関係ない、当人がそう思っているならそれで結構で、但し見解は時節に応じて変わっていくものだと考えています。

 参考までに。私が学生時代に帰省から上京に向かった鈍行列車内で、毛沢東派東方書店の社員さんと乗り合わせたことがあります。東京駅につくまでいろいろ見解の遣り取りをしましたが、いつも宮顕評価のところで食い違ってしまいました。私はその頃宮顕神話の盲信者でしたから、その観点からその方をやり込めるスタンスも取りました。その私が今やこうだから、人の見解は変わるという例証です。



ルネッサンスへの視角(1) 投稿者:羽派  投稿日: 4月 5日(木)16時30分34秒

れんだいこさん,HPでの精力的なルネッサンス研究ご苦労様.蛇足ながら,「ヨーロッパの歴史」アンリ・ピレンヌ(佐々木克巳訳,創文社)から,抜書き(一分改変)してみました。1939に書かれた古い本ですが,「歴史におけるものの見方」を作る上で,その基礎として役立ちそうな本です.


ルネッサンスと宗教改革
「ルネッサンスは反宗教的ではない.ルネッサンスの最も熱狂的な推進者の中には何人かの教皇がいたではないか。けれども,ルネッサンスが反聖職者主義的であるというのは極めて正しい.」
「宗教改革はルネッサンスの反対物である.宗教改革は人間の代わりに再びキリスト教徒を登場させる,それは,教条主義を拒絶し非難しているにしても,理性を冷やかし侮辱する.ルターは彼の同時代人である人文主義者達よりもはるかによく中世の神秘主義者達に似ている.彼は大多数の人文主義者達に嫌悪感を抱かせさえした.」
「ルネッサンスの勝利並びに宗教改革の勝利は,14世紀の初め以降絶え間なく深刻化していくカトリック教会の衰退を不可欠の条件としていた.」

ルネッサンスの条件
「社会生活及び知的生活の両方を支配していた伝統的権威が,イタリアではずっとはやく弱くなる,あるいは消滅する。そしてこのことは大部分,都市生活の異常な発達の結果である.貴族(騎士身分)は14世紀中に軍事的職務を離れ軍隊は傭兵化する.経済組織の進歩,商事会社の発達,信用手段の改良は銀行家や実業家の知的育成を要求する.彼らは実務に従事しながら余暇を確保し,知的な気晴らしに熱中し,自分の住居を芸術品で飾り,優雅を身につける.貴族層と市民層を構成要素として生活様式,教育,趣味,楽しみによって結びついた人々全員の間に一種の現世的貴族層が形成される.この種の貴族層はどこの国にもない.旧社会は崩壊する.新しい諸集団−親和性によって自由に成立し,人間性の精神が階層の精神に取って代わっている−が形成される.」

政治の伝統との断絶
「フィレンツェはアテーナイに較べる事のできる唯一のヨーロッパ都市であり,国家である.2人の政治理論家マキャベリとグィッチャルディーニの場合,いかなる教義的なものも政治判断に影響を及ぼしていない.二人は,神学的観念からも法的構築物からも独立している.都市生活は中世の狭い枠を越してあふれ出,公民生活になる.」
「イタリアの君主達の原則は国家理由である.彼らは一切の伝統の外にある.宗主権によっても,宣誓証書によっても,慣習によっても,何らかの特権によっても,いわんや宗教思想または法思想によっても縛られていない.」
「マキャベリがひどく残念がっているイタリアにおける政治的統一の欠如が,疑いもなく,イタリアが過去と絶縁したことの条件であった.」

道徳の問題
「社会及び政治上の伝統の動揺に歩調を揃えて風俗と道徳の退廃が進行する.中世の道徳は本質的に禁欲主義的であった.禁欲主義は中世キリスト教の根底にある悲観主義的人生観と極めて密接に結びついていて,両者を切り離すことはできない。」
「生活はあまりに魅力的であり,あまりに心をぼーっとさせ,あまりに面白いので,最も高貴な精神の持ち主でさえが,生活を非難する考え方の中では安らぎを覚えることができない。その他の人々は,生活にのめりこんでいく.聖職者層の大半が範を垂れるのであるからそれだけ一層生活にのめりこんでいく。教皇庁は最もぎらぎらした贅沢をこれ見よがしに示す.そして在俗司祭の言動ほど為にならないものはない.修道士が信仰の冷却に最も貢献する.(デカメロン!)」
「ルネッサンスは中世の禁欲主義的道徳から自己を解放したが,それに代わる他のいかなる道徳をも樹立することをしなかった。最も高貴な,最も強い精神の持ち主は力と名誉という理想を掲げた.それ以外の者には名声が支配的な動機であった.しかし大多数の者には個人的利益以外の規範に服していたようには見えない。あるいは,自分の好み,情念に流されるままだった.夫婦の結びつきの緩み,暗殺,毒殺の頻発,あらゆる社会層にみられる裏切り行為.にもかかわらず,この混乱のただ中にあって,個人の自由の感情,人間の尊厳の感情,活力の美しさの感情,自分自身の良心に対する各人の責任の感情が芽生えてきているのである.道徳は戒律集だけにあるものではないこと,道徳が完全であるためには人格の自由な同意が必要であること.確かにこれは貴族主義的道徳観である.しかしルネッサンスの成果はその全体が貴族主義的でなないか? ルネッサンスは何よりもまず知的エリートの育成によって特徴付けられ,その点で聖職者カーストが教育と学問の独占権を持っていた中世とは完全に異なっている.ルネッサンスがその最も明瞭な特色−古典古代への回帰をおうているのはこの知的エリートに対してではないだろうか。」



羽派さん、ありがとうね。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 4月 5日(木)20時44分20秒
 今読ませて戴いて、使えそうです。どこにどう取り入れるか早速思案しています。そのためには咀嚼していないとできないから、大変です。(1)とあるからどんどん頼みます。インターネットっていいですねぇ。

 ところで、私は今、遅まきながら増山太助氏の「戦後期左翼人士群像」読んでいます。ルネサンス論も途中なのに気が多くて困ります。それはともかく、増山氏のこの本も読んで面白いです。当時の党運動の膨大なエネルギーと人間模様を知ることができます。この種のものは私もそこそこは読んできているのですが、どうしても権力者中心のもしくは党理論の羅列的なものが多くて、人間臭い絵模様の語りは斬新ですね。

 適当な時期に為になるというか興味深いところを投稿してみようと思います。ということでまた(画面が代わってホッとしましたです)。



(2)「ルネサンス」を可能にした西欧の歴史的条件と、戦後日本社会との落差について。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 4月13日(金)20時53分00秒

 白井さんから出されている課題について何とか答えようと既に(1)を発表しましたので、今度はタイトル通りです。

 「ルネサンスを可能にした西欧の歴史的条件」とは、次のようなものではなかったか。ローマ帝国滅亡後のヨーロッパは、各地各国によって王権は違えども教権はキリスト教によって全一支配された。なぜキリスト教がその栄誉を得たかというと、今日のマルクス主義的教条よりもはるかに精緻に宇宙と世の中と我々個々の生活まで律する理論体系を持ち得ていたからであると考えます。ひとたびこの論理を受け入れるや、我々の人生はいくらあっても足りないくらいに費消させてくれるに十分な奥行きを持っていた。何しろ党中央への恭順を競うが如くに教皇への至誠を競い始め、この道は仏陀の悟り修行にも似て限度が無かった。

 問題は、それぞれ当代の頭脳が幾世紀にもわたって格闘してみても出口が無かったことにある。この間社会秩序に対しても王権と教権により按配よく制御されており、当代の頭脳のエネルギーが専ら精神界の練磨に向かわせられたことになり、世俗社会は安定した。結果的には、まったくあらぬところに人生を費消させ続けるトリックともなった。おかげでこの当時の西欧社会は停滞した。世代が代わっても、昨日も今日も明日も同じ社会が現出していたということである。注意すべきは、これはこれでモルヒネの如く人々にとって住みよい社会であったかも知れぬことにある。詳しくは分からないが、きつい労働の後に教会へ行けば、なじみの神父と友がおり、何やら気が晴れた人生となっていたかも知れぬ。

 この呪縛からどのようにして脱出し得たか。これがルネサンス論の真のテーマであるように思われる。次第次第の商品経済の発展とともに新興ブルジョアジーが台頭し始めたとき、歴史の偶然か必然か、そこへ東方文明が闖入してきた。ビザンチン、十字軍、イスラム・トルコ等々様々な要因のバイアスがかかってきたのが12世紀から14世紀にかけての頃のようである。私が思うに、その最大の財産は、人々の頭脳をキリスト教的迷路から解放したことにあったのではなかろうか。

 その詳細は省く。以上のテーマさえ見出せば後は各自がそれなりの回答を見出せばよいから。

 戦後日本社会もまた、敗戦によって旧支配層が急速に萎縮させられた結果、アメリカン民主主義が急激になだれこんだ結果、ロシア共産主義もまた流入してきた結果、我が社会は史上まれなる価値転換の時代を迎えた。事の本質から云えば、ルネサンスの息吹が芽生えたように思われる。問題は、本質上はルネサンスであるからして、その良さを味わえばよかったと思われるが、これをそのように受け止めたのは広汎な大衆であり、新支配層と知識人、マスコミはそのようには知覚出来なかったことにあるように思われる。

 天皇制皇国思想とアメリカン主義とロシアン主義の「三者鼎立」の中で、どれが良いとか優れているとかを喧喧諤諤することに費消させてしまった。50年代から60年に至る過程でルネサンスの芽はつぶされてしまった。我等がインテリは役に立たないことの例証となるであろう。

 そして気付いたことがある。政治家でこの文明史的意義と価値をしっていた人物を挙げよといわれたら、私は田中角栄を選ぶ。氏こそ、戦後のあだ花ルネサンスに開いたメディチ家であったと思える。その功罪は、メディチ家を考究しても良いし、角栄その人を捉え直しても良い。ほぼ等値であるように思われる。

 というようなことで、回答になったかならぬか分かりませんが、一応職責果たさせていただきました、つもりです。


面白そうですね。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 4月17日(火)12時56分29秒
 どん底さんちわぁです。ご紹介の塩野さんに興味がありますが、私はまだ読んだことが無いのでこれを機会に読ませてもらおうっと。確かローマ帝国の滅亡を検証する著作が最近出されていたように新聞広告で見ています。面白そうだなぁとか思っていたのですが、しんどそうやなぁとかも思いまだ買っていません。

 しかし、このところルネサンス関係の本が出回るようになりましたねぇ。私もその影響受けているのかも知れません。でも、我が社会にルネサンスの息吹を根付かせることはとても大事だと思うので、流行で終わらせる訳には参りません。

 結局、宮本−不破系の排他的統制論理の対極にあるのがルネサンスであり、そういうことからしてここ数十年「左」からルネサンスが掣肘されてきた、今では仮死状態にあると考えています。でも歴史の弁証法の面白いところで、あまり抑圧されると倍になって跳ね返ることになり、恐らくルネサンスが小川の清水の如くなきらめきで今後見直されていくことになると思います。

 ここの掲示板の一翼でこの論議がカジュアル的に深められれば良いのにね。管理人さんがもう少し采配してくれんとなぁ、迷惑がられているのかなぁとか、ひょっとして今仕込み中なんかいなぁとか思うよ。



短絡的というより直感的というのかな。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 4月18日(水)12時40分48秒
> れんだいこさんのルネサンス論から宮顕批判への筆の運びには短絡的なものを感じるし・・・

 どん底さんちわぁです。確かにね、ルネサンスはそれとして学べば良いことで、何も宮顕論とだけ結びつける必要はないということなら私も分かる。そう言う意味では特殊私の関心の持ち方です。皆さんに押し付ける気持ちは有りません。ではなぜ敢えて書くのかというと、こういう視点から考え直して行かないと、現下共産党中央の再生が難しいと考えるからです。問題提起ということになりますが、当然無視されてもそれはそれで良いのです。但しこうは言える。誰か一人でもハタと膝をたたいてくれた人が生まれたら、私の評論にも意味があったと。コミュニケーションというのはそんなもんで、みんながみんな共鳴しあうことは滅多にないとか思うのです。

 当然ながら、逆に私もこうした掲示板の中から学ぼうとしています。人によって関心の持ち方とか感じ方とか微妙に違うので、それが為になるのです。とはいえ、私の円熟しきれない性癖でイエローカードだされたばかりですが、まっこれはレッドカード出されるまでは良いという意味もあるのではないのかと思い直し、この辺りは考え出すと頭痛くなるから打ち切って、その時間内のドサクサに種を蒔いておこうなんて考えていて、そういう私は不遜かなぁ。



塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』が面白いです。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 4月20日(金)19時42分33秒
 塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』を私も手に入れ、読み進めています。どん底さん、ご紹介いただいてありがとうね、めちゃ面白いです。夕方になるとアルちゃんの誘惑が始まり、これと仲良くしながらですからボチボチしか進まないのが悩みのタネですが。ところで、七生はどう読むのですか。教えてくだされば助かります。



ばいきん仙人さん、ちわぁです。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 5月 5日(土)08時59分47秒
 暫らく様子見しておこうと思っていたのですが、レスがないのがさみしい気分も分かり、のこのこ出てまいりました。これからもよろしくね。

> なぜそんなことを言いだすかというと、鹿児島事件の悪役もそうですけど、共産党系の悪さする連中は幼稚すぎるというか、攻めやすいことしかやらないんですよね。

 これについて、私は次のように思うようになりました。共産党中央の場合、行動が幼稚なだけでなく、その理論も幼稚というより子供だましの類で全編貫かれているのではないでしょうか。この私の指摘に対して反発を覚えた方がおられましたら、党史なぞをテキストに質問してみてください。恐らく答えられると思います。

 考えてみれば、この合法時代に基礎文献としてのマルクス、エンゲルス以下誰それの原典読書に力を入れず、何の腹の足しにならない宮顕、不破、上田本を読ませられてそこでへとへとになっているとしたら、愚かなことです。戦前は墨で塗られたり発禁されたりして庶民大衆の目から遠ざけられました。今は、間違って解釈されるとの理由でか、訳語も穏和に、指定文献してはいるけど赤旗で解説連載する訳でもなく、恐ろしく低レベル党員が培養されているやに見うけられます。

 良く似た組織を捜せばありました。銀行が近い。本店決済ー支店自治に似ていますが、銀行経営の方がやっぱ上だわ。ズバリは警察組織です。トップの高級官僚ー都道府県単位の下級官僚ー現場の構造と、上級権限集中制組織構造がうりふたつですね。なんでこうなったのかは、おのれの甲羅に似せてつくったからと考えられます。しかしおめでたい人もいるもんで、いまだに同志同志と呼び合って何か悦楽しているようですが、何の同志かいなと聞いてやりたくもなります。

 少し辛口だったかな。



国忠さん、情報ありがとうね。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 5月 8日(火)11時19分52秒
 なるほど推理小説、スパイ小説の効用というのがそういうところにあるわけですね。物事を一面化した敵味方の二元思考では現実に追いつかない。フィクションかノンフィクションかは別にして複合思考を養成するには推理小説、スパイ小説が恰好なわけですね、うんなるほど御意です。

 佐々木敏氏の「週刊アカシックレコード」というサイトの関連部分ざっと読ませていただきました。戦後民主主義とか非武装中立論を廻っての考え方に私と相当食い違いがありますが、戦国時代の歴史エピソードとか、アメリカの対日戦略の下りはとても面白かったし為になりますね。

 宮顕の胡散臭さを感じているところも面白いです。史実と少しずれているところが気になりますが、私のサイトでの考証を踏まえないと、どうしても巷のあやふやな情報にのっかかってしまうことになります。ホント宮顕ぐらい何から何まで史実をぼかす人を他には知りません。

 一つ重要なことをお伝えすれば次のことがあります。戦後獄中党員が釈放されるにあたり、重要幹部はことごとくGHQ要員により面談され調書を取られています。徳田、志賀、中西、神山その他その他。宙で書いていますのでこれぐらいに止めておきますが資料としても残されています。当然、宮顕にもコンタクトがあったはずですが、「消されて」います。何も隠し立てする必要は無いと思われますのに不自然なことです。彼の場合、単純治安維持法違反ではなく刑事犯の身でもあり、釈放を廻って問題が多かった。ところが他の者より一日早い10.9日の釈放になっています。ここも不自然なところです。国立の自立会へやってくる間にも10数日ほどの間延びがあります。他の獄中党員は一目散に結集して赤旗一号、二号を配布することで熱気を帯びていました。それが自然だろうと思いますが、宮顕には謎の空白があります。

 これ以上は推理の世界です。資料が無ければ推定が許されないというのも変でしょうが、推断が強すぎるのも趣味ではないので単に疑問としておきます。というようなことを書き始めたら、この御仁についてはきりがありません。ところがそういう御仁に真理の如意棒を振り回させ、うん十年トップで君臨させてきた経過の果てにあるのが今日の共産党です。こういう面からの考察は全然為されていませんが、この虚構を突き破らなければ明日が見えないというのが私のスタンスです。というようなことでまたよろしくね。



「塩野ルネサンス論」を読み終えて。 投稿者:れんだいこ  投稿日: 5月13日(日)20時15分46秒
 こちらの掲示板で紹介を受け、読み終えました。非常に為になりました、まずは御礼まで。やはり世間は広くしておくほうが賢明だなとつくづく思う次第です。

 一番印象深く思ったのは、従来ルネサンスとルターらの宗教改革が同じ側の近代化運動として捉えられていたのに対し、塩野氏も「そうではない」としている視点かな。この観点は、羽派さんの投稿文「ルネッサンスへの視角(1)」記載の「ヨーロッパの歴史」アンリ・ピレンヌ(佐々木克巳訳,創文社)の「ルネッサンスと宗教改革」の視点と底通しています。

 曰く、「宗教改革はルネッサンスの反対物である.宗教改革は人間の代わりに再びキリスト教徒を登場させる,それは,教条主義を拒絶し非難しているにしても,理性を冷やかし侮辱する.ルターは彼の同時代人である人文主義者達よりもはるかによく中世の神秘主義者達に似ている.彼は大多数の人文主義者達に嫌悪感を抱かせさえした.」、「ルネッサンスの勝利並びに宗教改革の勝利は,14世紀の初め以降絶え間なく深刻化していくカトリック教会の衰退を不可欠の条件としていた.」

 塩野さんの見解もほぼ同じかな。違っていたら、どなたか解説してください。そこで疑問が湧いてきます。これが書きたかった訳です。従来、マックス・ウェーバーの「資本主義とプロテスタンティシズム」(こういう題名だったっけ、恥ずかしながら読んでいないのです)が、その後の資本主義の勃興と隆盛にルター、カルビンらの宗教改革の動きとの関連性を考察しているとしたら、それはそれで良いのでしょうが、まだ足らないのではないでしょうか。

 「資本主義とルネサンス精神」の絡みの解明こそ本筋のような気がしています。この観点からの研究は為されているのでしょうか。これで卒論書いたらいいのができると思いますがねぇ、現役学生さん挑戦されて見たらいかがでしょうか。

 そして私は「社会主義とルネサンス精神」の考察に向かいたいです。従来、「社会主義と民主主義」の考察はされてきたのでしょうが、そういうどちらも政治用語の組み合わせは別の政治用語で台無しにされる恐れがあります。従って、「社会主義とルネサンス精神」の考察でなければなりません。これって面白いワクワクするような視点ですねぇ。どなたかお取り組みどうぞ、勉強させていただきます。私はご承知かどうか既に手を広げすぎていっぱいなのです。





(私論.私見)