れんだいこ見解 |
(最新見直し2009.2.20日)
(れんだいこのショートメッセージ) |
ここで、「2008.4.18猟奇殺人事件」に対するれんだいこ見解を記しておく。れんだいこによれば、本事件は、「本邦初の衆人環視下の密室完全死体解体処理『神隠し』事件」となっている。これが本当に可能であるのか、ここを検証せねばなるまい。 2009.1.28日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評530 | れんだいこ | 2009/01/27 |
【2008.4.18猟奇殺人事件考】 出勤前の午前のニュースで、裁判員制度の先取り事例として「2008.4.18猟奇殺人事件公判」の模様を採り上げていた。れんだいこには腑に落ちない点が払拭できないので発信しておく。 事件は、2008.4.18日、33歳派遣社員・星島が、2部屋隣に住む23歳女性会社員・東城さんの帰宅直後を狙い、自室に連れ込んで殺害。遺体を細かく切断し、トイレなどに捨てた。5.25日、住居侵入容疑で逮捕され、犯行を認めた事件である。2009.1.13日に初公判が開かれ、星島被告は「その通りです。違っていることはありません」と起訴事実を認めた。審理は集中開廷し、1.26日の第6回公判で検察側の論告求刑、弁護側の最終弁論を経て結審。2.10日に判決が言い渡される予定のところ18日に変更された。 この事件に関して、れんだいこが合点できないのは次の諸点である。星島被告は、事件当初よりマークされており、マスコミ、警察によりいわば監視されていた。その環境下で猟奇殺人と死体遺棄が粛然と進行したことになる。警察が数度立ち入り調査しているが異変を把握ミスしている。 それはともかく、東条さんの遺体処理につき、星島被告の云うが如くな方法で遂行できたのだろうか。肉片をすり潰しトイレ、風呂の排水溝に流したというが、詰まらなかったのはなぜか。当該マンションの配管口径が気になる。そもそも遺体処理を何時間で為し得たのか。どうやって階下の住人に物音も聞かさず為し得たのか。近隣に汚臭が漂わなかったのか。 もし、これらの苦情から警察が立ち入り調査したのなら、その時点で肉片が詰められていたダンボール箱を開閉しなかったのはオカシイ。テレビニュースでは、捜査員が、星島被告の巧みな演技により、三つあるダンボールのうちの最初を確認しただけで後は確認しなかったという。れんだいこは、そういうことは断じてありえないと思う。そもそも臭いもしていただろうに。オカシナことばかりである。 次に骨が問題になる。どういう風に砕いたのか。頭蓋骨もあれば背骨、腰骨、手足の骨もある。かなりの衝撃を加えなければ砕くことはできまい。骨片皮にするとなると大変な作業ではなかろうか。やさ男の被告人が短時間で為し得るとは思えない。遺体の一部を別のマンションのごみ置き場に捨てたとも云う。 話を戻すが、これが衆人環視下の作業である。怪しまれずに為し得ることが信じられない。本人も認めていることであるからして信じるより他ないが、一体警察は何度失態を演じていることになるだろうか。死体を流したとされるトイレ、風呂場の血液反応を探らなかったのか。これについての報道がない。相当硬い頭蓋骨の処理をどうしたのか。凶器となった出刃包丁、ノコギリの刃こぼれも知りたいが、絶対的証拠物である現物の報道がなされていない。 「検察官は、昨年5月28~6月6日の間に発見された骨49片、肉片172個を次々とテレビに映し出した」とあるので、これを信じざるを得ないが、それにしても音も臭いもさせず、警察の立ち入りも目くらましさせて完全神隠したという本事件の疑問はつきない。こういうことって有り得るのだろうか。疑問を呈しておく。 2009.1.27日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評530 | れんだいこ | 2009/01/27 |
【2008.4.18猟奇殺人事件考続】 飲んだ勢いで書いておくが、飲みながら考えたことだが、この事件はマンションの密室内では絶対にできない。臭いと音と数次の警察の立会いをクリヤーすることは不可能である。他所で殺害され、肉片骨片が排水溝から収拾されたようにして、本人が演技して辻褄合わせることによってのみ可能な事件である。この裏に何があるのかは分からない。マンション内での完全抹殺処理、神隠しは到底不可能である。これが云いたかったので書き添えておく。こう思わず報道誘導を鵜呑みにするしか能のない人は不明を恥じるべきだ。疑問と思うなら、一斉に各所の警察の刑事課か鑑識に問うてみれば良い。オカシクナイデスカと。誰か、その反応を教えて欲しい。この事件の猟奇性はむしろ、有り得ない辻褄合わせのオカシサの方にこそあると云うべきだろう。 2009.1.27日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評532 | れんだいこ | 2009/02/02 |
【2008.4.18猟奇殺人事件考続続】 ますます腑に落ちないので、「2008.4.18猟奇殺人事件」について更に言及しておく。事件に対し、星島被告自身が犯罪を認め、「地獄でおわびする。本当にすみませんでした」、「死刑になり、地獄でおわびするつもりです。早く処刑していただければと願っています」と話していることにより、一見何の疑問の余地も無いように思われる。 ところで、2009.1.31日、産経新聞(芦川雄大記者)が、事件に関して興味深い言及をしている。今最も元気が良いのが、なぜだか産経新聞で、他社のそれは本来の新聞の役目を果たしていない。どうでも良いような記事と解説を巻き散らかしているだけに過ぎない。 「【衝撃事件の核心】死刑? 無期? 検察側と弁護側の主張の“急所”は…神隠し公判」 (ttp://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090131/trl0901311300004-n1.htm) 記事はいろいろ述べているが、1.26日の東京地裁第6回公判での検察側の論告の「分かりやすさが求められる裁判員制度を意識してか、通常の公判以上に感情的な表現が交えられた」ことを指摘し、次のように述べているところが白眉である。 「素人裁判の練習台として素人向けなパフォーマンスを加えた『ワイドショー』」めいた演出」、「損壊された遺体の一部の写真もパネルで見せた。論告でもかなり感情的な言葉が使われた…。裁判員裁判を強く意識した公判。慎重に導き出された結論は、どんな量刑になるのだろうか。判決は裁判員裁判にも何らかの方向性を示す可能性がある」。つまり、事件が、来る裁判員制度の予行演習的な裁判にされていることを鋭く指摘している。 記事は、具体的に次のように描写している。公判で、ボードに赤い字で「性奴隷」と書いた文字がはられたこと。検察側が、捜索で見つかった東城さんの所持品や、遺体の一部などの証拠物を次々と大型テレビに映し出したこと。下水管から発見された免許証の一部として縦に6等分に裁断したとみられる4枚の破片、5センチ角程度に切り刻まれている肉片172個、骨49片を次々とテレビに映し出した云々。 こうなると星島被告の犯罪を疑うことができまい。だがしかし、れんだいこはそれでも首肯し難い。以下、その理由を記す。遺体が東条さんのそれとすれば東条さんが殺害されたのは事実であるとして認めることはできる。警察の捜索で排水溝から発見されたというのなら、それも認めよう。星島被告自身が犯行を自認しているのでそれも認めよう。だがしかし、認めることができるのはそれまでである。 何とならば、検察は、裁判員制度を意識してボードやらテレビを駆使して映像化したり、論告求刑文を硬い法律的表現から驚くほど小説染みた分かり易い文言で仕立て替えようとも、肝心の点をさっぱり明らかにしていないからである。 この事件の核心的物証は凶器である。出刃包丁とノコギリで死体を刻んだというのであれば、それを映像で見せねばならない。いかに刃こぼれしているかを語らせねばならない。どういう訳か、肝心の物証のこれが出てこない。当然、出刃包丁、ノコギリの入手経路も問題となる。人を切り刻んだり、骨を砕いたりすることができる性能のものなのかどうかも検証せねばならない。れんだいこは、これを見せられない限り、星島被告が室内で遺体解体処理したことが信じられない。 次に、5センチ角の肉片をトイレや風呂の配水管を通じて流し得たことが信じられない。生身の人間の脂分がぬって詰まることが必定と思うのに、詰まらないまま流しおえたことが信じられない。次に、骨を砕いたというが、東条さんの骨を砕くのに出刃包丁程度のもので為しえることが信じられない。次に、被害者の部屋には急を聞きつけ親御さんも居たと云う。隣の隣の星島被告人の部屋で被害者親族や階下の住人に気づかれないほどに音を立てず解体処理し得たことが信じられない。 星島被告は事件当初よりマスコミにも警察にもマークされており、何度かインタビューを受け、警察の捜索も入っている。遺体解体処理すれば当然、部屋にもそこらじゅう星島被告自身にも臭いが付着しよう。その臭いもさせずにマスコミと警察の目をごまかせたことが信じられない。 事件が報道された通りとすると、警察のドジぶりがやたら目に付く。東条さんが生きていた時に面会しており、遺体解体処理されていた最中に部屋に入っており、遺体を入れていた段ポール箱を目にしながら開けぬまま退散したと云う。その際、トイレや風呂の血液反応もしたのかどうか、それさえ分からない。それにしても、伝えられる通りの犯行が為されていたのなら、よほど酷い臭いがしているだろうに。 星島被告は、別のマンションのゴミステーションに切り刻んだ遺体の一部を捨てたとも云う。警察は、マークしておきながら、その人物の追跡もしていない。当然、捨てられた「ゴミ」の中身の検査もしていない。警察のドジがこれほど続いたのなら、現場責任者、指揮責任者、監督責任者は揃って辞表を出さねばなるまい。そういう声が上がらないのもオカシナことである。 以上より考えられることは、星島被告が犯行を認めている以上事件に関係していることは間違いない。間違いなく東条さんの遺体が排水溝から発見されたのなら、東条さんが殺されたことは間違いない。しかし、どう考えても、衆人環視のあの部屋の中で、昼は勤めながら夕方帰宅してから数日間にわたって、音も立てず、臭いもさせず、配水管を詰まらせず、コツコツ営々と死体解体し得たことは有り得ない。 本ブログをお読みの方はそう思われないですか。最悪のシナリオは、東条さんが裁判員制度の模擬演習に利用されたと思えなくもない。そういう意味で、なにやら気持ちの悪い事件ではある。間もなく判決がでるだろうが、以上の疑問点がどう判示されているのか注意深く読み取りたいと思う。まさか、すべては芝居でしたというのではあるまいな。 2009.2.2日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評540 | れんだいこ | 2009/02/18 |
【星島猟奇殺人神隠し事件考】 2009.2.18日、「星島猟奇殺人神隠し事件」の判決が下った。死刑か無期懲役かに関心が持たれていたが、裁判長は後者を選んだ。この事件と判決について、れんだいこがコメントしておく。 この事件は、それにしても何から何まで奇妙奇天烈な事件となっている。被害者及びご家族には申し訳ないが、れんだいこが推測するのに未だに信じられないのではなかろうか。集中公判で事件の闇が検証されたが、れんだいこが検察の論旨と法廷指揮を確認する限り、こちらの方も猟奇的である。テレビモニター、ボードを多用し、被害者のプライバシー、被告人の性癖の極致まで暴いて饒舌多弁するものの肝腎なところがいっこうに明らかにされていない。疑問は益々深まるばかりである。 問題は次のことにある。マスコミと警察と被害者家族の疑惑の中で、被告人が密室殺人と死体神隠しを完璧に為し得たとする不思議性にある。それも凶器が包丁とノコギリだと云う。こんなもので人を解体し得たとする方がオカシかろうが疑問にされていない。しかも解体音も臭いもさせず、トイレや浴槽の排水溝に流し得たと云うのだ。処理できないものは近くのゴミステーションに捨てたというのだ。これを衆人環視の中でやり終えたと云うのだ。 しかも、警察が数次にわたって室内を捜索に来ているというのだ。最初に来たときはノックだけの遣り取りで、その時は生きており、その後刺殺したと云う。解体処理中に数度立ち入りしていると云う。部屋の広さは1LDKか2DKぐらいのものだろう。その室内点検で、解体中の作業を見逃したというのだ。頓馬ドジ極まる話ではないか。何度も云うが、だつたら責任者は辞職せよ。これも問題にならない。 とにかく、有り得ないことが有り得たように辻褄合わせされている変な事件であると窺うべきだろう。こたびの判決は、これらの疑問に何一つ答えていない。判決文全文を読んでいないが、伝わる論旨を読んで、これまた奇妙奇天烈なものになっている。量刑判断の基準で、被告人の犯行が被害者を一気に殺しており、つまり長期間いたぶるよう執拗な殺害の仕方ではない点を考慮するというのだ。しかしそれなら、前代未聞の完全バラバラ解体の悪質執拗さはどうなるのだ。思うに、裁判長の頭脳の中では、死んでしまってからの被害者の人権なり名誉は関係ないらしい。法律家諸君はオカシイと思わないか。 これは、死刑にせよとかどうか以前の量刑判断の問題として捉えねばならない。この事件はとにかく被告人も検察も裁判長もオカシイ。このオカシサをオカシイと思わず伝えるマスコミも、それを聞き流す者もみんなオカシイ。このオカシサが今の日本全体を覆っている気がする。ドランカー中川もオカシイ。小泉再登板を誉めそやすのもオカシイ。 もとへ。この事件は被告人が全面的に罪を認めているので冤罪とは違う。しかし、どういう事情が有るのかは知らないが、何らかの請負狂言という線は考えられる。日本左派運動は、今後は冤罪事件のみならず、こういう請負狂言事件まで視野に入れねばならなくなった気がする。それらが全てゼニで動いているとしたら、嫌な時代になったと思う。以上コメントしておく。 2009.2.18日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評541 | れんだいこ | 2009/02/20 |
【2008.4.18星島猟奇殺人神隠し事件総論】 れんだいこが「2008.4.18星島猟奇殺人神隠し事件」になぜ拘るのか。それは、この事件が、見逃せない数多くの要素を抱えているからである。それと、れんだいこがこれまで暴いてきた通説批判の「宮顕派による戦前共産党内党中央委員小畑査問テロ致死事件」、「稀代の有能政治家田中角栄羽交い絞めロッキード事件」、「戦前軍部の犯罪フレームアップ式南京大虐殺事件」、「ナチスの犯罪フレームアップ式ホロコースト事件」「松岡農相変死事件」と同じ臭いがするからである。「2001.9.11同時多発テロ事件」も然り。これに言及せずんば、れんだいこの評論能力に関わる。こう思い、急きょ取り組むことになった。 その直接のきっかけは、確か朝ズバで司会者のみのもんたが「星島被告の名演技」に対して驚きジェスチャーしているくだりを見たことによる。それによると、被告人は、1LDKの被告の部屋の家宅捜査に訪れた警察官に対し、三つの箱を見せ、自ら一つ目の箱を開け、中身がパソコン機器のガラクタであることを示し、実際には被害者の胴体やら腕や足の入っている残り二つの箱を指差し、「次も見ますか」と促したところ、その堂々とした仕草を敬して、警察官が「それには及ばず」と云って立ち去ったという。 多くの者は、みのもんた同様、被告の名演技に感嘆する。しかし、れんだいこはオカシイと直ぐに気づいた。そんなことはある訳がない、被告が名演技しようとしまいと関わりなく捜査は捜査である。トイレや風呂、押入れ、天井裏から床下まで調べるのが捜査の基本である。それに既に死体の生臭い臭いがしていように。そったらことは有り得ない、こんなウソが罷り通るなら、れんだいこが調べないとイケナイと思った。以来、それなりに検証してきた。 2009.2.18日の東京地裁の「平出判決」は全くの茶番である。事件の不透明性を訝るべきところ、検事論告を全て是認し、ただ一点、死刑にするか無期懲役にするかに傾注し、トンデモ論法により無期懲役刑を下している。世論は、この事件のオカシサを訝らず、判決の無期懲役が生ぬるいと批判して正義面している。操作誘導された世論でしかないのに、口角泡を飛ばす者が居る。れんだいこは、こういう連中と席を同じうしとうない。 本事件の問題性の一つは、冤罪的要素である。厳密には、被告人が事件を認めているので冤罪とは云えない。しかしながら、検察の起訴状通りの犯罪である訳がなく、あまりにも疑問が多過ぎる。そういう意味で、どういう事情によってかは分からないが「検察シナリオ請負的な狂言事件」である可能性が強い。最近新たにこの種の事件が増えているような気がする。「2001.9.11同時多発テロ事件」もよく似た性格の事件である。よって、今後の為にもこの種事案の再発を防ぐ為にも本事件を検証し、我々はウソを見破る能力を持たねばならない。 もう一つの要素は、本事件が来たる裁判員制度の先取り予行演習的に行われたことに対する不快さである。「性奴隷」と書いた紙を貼り付けたボード、大型テレビモニターを活用しての視覚効果まで取り入れた映像手法は、従来の裁判に比して余りにも異様であった。事件の真実に迫るために、真実を分かりやすく伝えるために為された試みなら受忍できるが、検事の三文小説染みた論告求刑文を聞いたか。れんだいこは、あきれてものが云えない。検察能力が地に堕ちた感がある。 事件の最大の物証となる包丁とノコギリが映像化されていない。誰しも刃こぼれの様子を確認したいだろうに。事件のキーパーソンとなっている階下の住人や、来訪5回、室内立ち入り3回した警察官の証言が採用されていない。衆人環視の中で音も臭いも詰まりもさせず、文化包丁とノコギリで遺体を完全神隠ししたという不思議性についての究明が何ら為されていない。みのもんたよ、驚くなら、こういうことを驚くべきではないのか。商売上手もエエ加減二セイ。 本事件を通して、我々はもう一度、裁判員制度の危険性を考えねばならないのではなかろうか。いきなり導入され、しかも死刑求刑を含むような重大事案に利用されようとしている。話が違うではないか。透けて見えて来ることはつまり、日本人民大衆間の憎悪を生みだす意図的故意の反動政策として導入されようとしていることになる。そういうことが判明する。本事件が、その裁判員制度の予行演習的に仕掛けられたという意味において、本事件を裁判員制度の魂胆を暴くためにも検証せねばならない。 もう一つの要素として、本事件のような杜撰且つ恣意的な論告と判決を許すような愚昧さを許すことが、過去及び将来の同様事件を生む温床になるからである。過去の事件の通説を覆すためにも、将来の同様事案に対して正しく対処する為にも、事件そのものの解明を徹底せねばならない。ここを軽々に断定して、死刑処罰求刑、無期懲役判決に向かう速断を許してはならない。その為にも本事件を注意深く検証せねばならない。 それにしてもマスコミの能力が格段に落ちていることが判明する。一昔前、といってもロッキード事件の前つまり30年以上前まで戻らねばならないが、あの頃までのマスコミならお上情報を鵜呑みにして垂れ流すことは有り得なかった。今は全く駄目でジャーナル精神が機能していない。我が党が日本版アルジャジーラ放送局を立ち上げない限り無理なのだろうか。 もう一つの要素として、歴史の摩訶不思議なところであるが、判決前に並行して起こった朝日新聞社神戸支局襲撃事件との対比を確認しておく必要がある。どういうことかというと、朝日新聞社神戸支局襲撃事件の場合、真犯人と称する者が名乗り出た。ところが、被害者側の朝日新聞社もその他マスコミも信憑性を認めない。ならば、本事件の場合でも被告人が犯罪を認めても信憑性を訝らねばならないところ、どういう訳か鵜呑みにしている。 この落差が奇異ではなかろうか。当の本人が追認しても、朝日新聞社神戸支局襲撃事件の場合は否定され、本事件の場合にはソノ通リとされる精神はこれ如何に。オカシナことではなかろうか。誰かこの不思議に答えてくれ。 本事件に関するれんだいこ研究は次のサイトに設けた。誰か確認してみてくれ。 別章【2008.4.18星島猟奇殺人事件考】 2009.2.20日 れんだいこ拝 |
Re::れんだいこのカンテラ時評542 | れんだいこ | 2009/02/21 |
【2008.4.18星島猟奇殺人神隠し事件補足】
れんだいこが思うに、この事件は結局、検察論告求刑と判決がそのまま正しいとすれば、被害者の親族は、警察に対して損害賠償を請求できる事案となっている。なぜなら、余りにもドジで間抜けな捜査を延々と続けていることになるからである。失態の最初は、被告の室内を最初にノックした時、被害者は拉致監禁されていたものの生存していた。この時の聞き込み捜査が却ってアダになって、被告は殺害を決意したと云うシナリオになっていることで確認できる。 以降、警察の捜査の落ち度が延々と続くシナリオになっている。れんだいこが今現在確認できるところで事件の疑問が34、警察の失態が14件となっている。警察は広くもない1LDKの被害社宅を来訪5、室内立ち入り3回している。それでいて、変事に気づかなかったと云うお粗末さである。 しかし、こうなると本当は、事件が捏造されているのであり、少なくとも被告の室内に於ける犯罪は成立し難いとすべきだろう。しかしながら、検事、裁判長は無論、本人、弁護士までがヤリマシタと追認している。これにより、警察の間抜け振りが浮き上がっている。しかし、それならそれで、被害者の親族は、国家に対して責任を問い損害賠償を請求すべきである。この事件はそうすべき事案であろう。裁判員制度の導入がま近いこの時点で、この制度のイカガワシサを確認する為にも必要なプロテストだろう。第一、闇が多過ぎる。 ところで、被害者の親族が表に出てこないのはどうした訳だろう。それぞれ事情が有るのだろうが、相撲の時泰山事件を見てみよ。無念さを晴らすべく、親父は必死ではないか。これが真っ当なのではなかろうか。本事件の場合は、警察捜査の不当な杜撰さを問題にして相手にすべき事案である。やるべきである。 そうしないと世の中が良くならないからである。世の中が、小泉のような狂人ワルを再登板させ、これに喝采を贈るボケが増えるからである。こういう連中をのさばらせてはいけないからである。かんぽ問題を突破口にワルの正体を明らかにすべきである。本事件は、こういうことと微妙に繋がって居ると考える。この事件に関心持たぬ者も、れんだいこのこの精力的な問いに目を覚ますべきである。なぜなら、この事件は普通の猟奇事件ではなく、仕組まれている臭いが強くするから。 2009.2.21日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)