昭和天皇 |
1945.8.15 |
「終戦の詔勅放送」
米英2国に宣戦せる所以も、また実に帝国の自存と東亜の安定とを庶幾するに出て(願ってのものでの意)、他国の主権を排し、領土を侵すが如きは、固(もと)より朕が志にあらず |
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朕は、帝国と共に終始、東亜の解放に協力せる諸盟邦に対し、遺憾の意を表せざるを得ず |
東久邇宮首相 |
1945.9.5 |
「施政方針演説」(「一億総懺悔」)
今日の非局を招来し、深く宸襟(しんきん、天皇のお心の意)を悩まし奉りましたことは、臣子として洵(まこと)に申し訳ない。大御心に対し、我々国民は自粛自省しなければならない。(中略)我々は今こそ総懺悔し、(中略)過去を以て将来の誡(いましめ)と為し、(中略)苦難の途を踏み越えて帝国将来の進運を開くべきだ。 |
吉田首相 |
1951.9.7 |
「サンフランシスコ講和条約の受諾演説」
我々はこの人類の大災厄において、古い日本が演じた役割を悲痛な気持ちを持って回顧する。 |
岸首相 |
1958.1.29 |
「施政方針演説」
アジアの国々の大部分は過ぐる大戦によって大きな痛手を受け、又、この戦争を契機として永年にわたる隷属から解放された。私は各国を訪問し、戦争中の出来事に心から遺憾の意を表した。 |
昭和天皇 |
1958.12.2 |
「来日したフィリピンのガルシア大統領を招いた宮中夕食会」
「不幸な第二次世界大戦により、両国の伝統的関係が一時中断されたことは、誠に遺憾な次第でありました」。 |
池田首相 |
1963.8.15 |
「全国戦没者追悼式で」
「戦争への批判はともかくとして、戦没者のいさおし(勲功の意)と非命に倒れた同胞の長恨は長く青史(歴史の意)にとどめなければならない」。 |
椎名外相 |
1965.2.20 |
「韓国での椎名悦三郎外相と李東元・韓国外相との会談、日韓共同コミュニケ」
「李外相は、過去のある期間に両国民間に不幸な関係があったために生まれた韓国民の対日感情について説明した。椎名外相は李外相の発言に留意し、このような過去の関係は遺憾であって、深く反省していると述べた」。 |
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1965.6.22 |
「日韓基本条約」締結 |
佐藤首相 |
1968.1.27 |
「施政方針演説」
「沖縄の祖国復帰を一日も早く実現するためには、我々国民が世界の平和と繁栄のため寄与しうるという信頼感を国際社会に植えつけることが何よりも大切だ」。 |
田中首相 |
1972.9.25 |
「中国での周恩来首相主催招宴」
「過去数十年にわたって、日中関係は遺憾ながら、不幸な経過をたどってきた。この間、我が国が中国国民に多大のご迷惑をおかしたことについて、改めて深い反省の念を表明する」。 |
田中首相 |
1972.9.29 |
「日中共同声明」
「日本側は、過去に於いて日本国が戦争を通じて中国国民に重大な損害を与えたことについての責任を痛感し、深く反省する」。 |
三木首相 |
1975.8.15 |
「靖国神社参拝後」
「戦後30年という歴史の区切りの日に、一国民として、靖国神社参拝と千鳥が淵戦没者墓苑を参拝し、国の為に尊い生命をささげた人たちの霊をなぐさめた」。 |
昭和天皇 |
1978.10.23 |
「来日したケ小平副首相との会見時のお言葉」
「両国には長い歴史が有り、その間には一時不幸な出来事もありましたが、それはお話のように、過ぎ去ったことでも有り、今度の日中平和友好条約ができて、これから長く両国の親善を期待しております」。 |
中曽根首相 |
1983.1.11 |
「韓国での全斗*大統領主催歓迎夕食会」
「日韓両国の間には、遺憾ながら過去に於いて不幸な歴史があったことは事実であり、我々はこれを厳粛に受け止めなければならない」。 |
昭和天皇 |
1984.9.6 |
「全斗*大統領を招いた級長夕食会」
「今世紀の一時期に於いて、両国の間に不幸な過去が存したことは誠に遺憾であり、再び繰り返されてはならないと思います」。 |
中曽根首相 |
1985.8.15 |
「8.15靖国神社公式参拝」を廻る8.14日の官房長官談話
「我が国は、過去に於いてアジアの国々を中心とする多数の人々に多大な苦痛と損害を与えたことを深く自覚し、平和国家の道を歩んでいるが、公式参拝に理解を得るよう十分努力していきたい」。 |
藤尾正行文相 |
1986.9月 |
月刊誌文芸春秋掲載のインタビューで、「(日韓併合について)韓国側にもいくらか責任がある」、「日韓併合はは、当時の日本を代表した伊藤博文と韓国を代表した高宗との合意に基づいて行われている」、「当時、ほうっておいたら朝鮮半島はロシアの属領になっていたかも知れない」との歴史観を披瀝した。罷免される。 |
中曽根首相 |
1986.9.16 |
「衆院本会議での答弁」
「(日中戦争について)侵略的事実は否定することが出来ない」。 |
奥野誠亮国土庁長官 |
1988.5月 |
衆院決算委員会で、「(先の戦争において)日本には侵略の意図はなかった」。辞任。 |
昭和天皇 |
1990.5.24 |
「韓国の慮泰愚大統領を招いた宮中夕食会」
「我が国によってもたらされた不幸な時期に、貴国の人々が味わわれた苦しみを思い、痛惜の念を禁じ得ません」。 |
海部首相 |
1990.5.25 |
「慮泰愚大統領の歓迎夕食会」
「朝鮮半島の方々が我が国の行為により耐え難い苦しみと悲しみを体験されたことを謙虚に反省し、率直にお詫びの気持ちを申し述べたい」。 |
海部首相 |
1991.5.3 |
「シンガポールでの演説」
「多くのアジア、太平洋地域の人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらした我が国の行為を厳しく反省する」。 |
昭和天皇 |
1992.10.23 |
「中国での楊尚*国家主席主催歓迎夕食会」
「両国の関係の永きにわたる歴史に於いて、我が国が中国国民に対し、多大の苦難を与えた不幸な一時期がありました。これは私の深く悲しみとするところであります」。 |
細川首相 |
1993.8月 |
記者会見で、「先の戦争は侵略戦争だった。間違った戦争だったと認識している」。 |
細川首相 |
1993.8.23 |
「所信表明演説」
「過去のわが国の侵略行為や植民地支配などが多くの人々に耐え難い苦しみと悲しみをもたらしたことに改めて深い反省とお詫びの気持ちを申し述べる」。 |
石原衆議院議員 |
1993.10月 |
衆院予算委員会で、石原「太平洋戦争には植民地主義の国同士の戦いという性格がある。米英などの戦勝国に敗戦国が詫びる必要は無い」。細川「多くの人々に耐え難い痛みと苦しみを与えたことについて率直に詫びるのは当然だ」。石原「過去の戦争のうち、どれを侵略的と思っているのか」。細川「過去のどの部分と線を引くことは、歴史観に拠っても違って容易でない。全体として侵略的事実があったことは否定し得ない」。 |
永野茂門法相 |
1994.5月 |
毎日新聞インタビュー「南京大虐殺はデッチアゲだ」。その後、「南京大虐殺は否定できない事実と認識している。私が疑問に思っていたのは、3千人ぐらいから30万人ぐらいまで犠牲者の数字が大きく違っていることだ」と訂正。辞任。 |
桜井新環境庁長官 |
1994.8月 |
閣議後の記者会見で、「侵略しようとしてやった戦争ではない。日本だけが悪い訳ではない。アジアの国々には迷惑をかけた半面、そのお陰で独立できて、教育も普及したから、ヨーロッパに支配されたアフリカの国より、はるかに識字率が高い」。辞任。 |
村山首相 |
1995.6.9 |
「戦後50年決議」(衆議院本会議で可決された『歴史を教訓に平和への決意を新たにする決議』)(参院は決議を見送る)
「本院は、戦後50年に当たり、全世界の戦没者及び戦争等による犠牲者に対し、追悼の誠を捧げる。また、世界の近代史飢えに於ける数々の植民地支配や侵略的行為に思いをいたし、我が国が過去に行ったこうした行為や他国民特にアジアの諸国民に与えた苦痛を認識し、深い反省の念を表明する。我々は、過去の戦争についての歴史観の相違を超え、歴史の教訓を謙虚に学び、平和な国際社会を築いていかなけければならない。本院は、日本国憲法の掲げる恒久平和の理念の下、世界の国々と手を携えて、人類共生の未来を切り開く決意をここに表明する。右決意する」。 |
村山首相 |
1995.8.15 |
「終戦50年談話」
「」 |
島村宣伸文相 |
1995.8月 |
臨時閣議後の記者会見で、「(先の大戦について)戦争はどちらかが相手を侵し、勝負する訳で、侵略か侵略でないかは考え方の問題だ」。発言撤回。 |
江藤隆美総務庁長官 |
1995.11月 |
記者懇談会の席上で、「植民地時代に日本が韓国に良いこともした」。 |
梶山静六官房長官 |
1997.1月 |
首相官邸で記者団に、「私たちより上の世代は従軍慰安婦といっても驚かない。当時は厳然と公娼制度もあった」。陳謝。 |
小渕首相 |
1998.10.8 |
「日韓共同宣言」(来日した金大中韓国大統領との首脳会談)
「小渕首相は、今世紀の日韓両国関係を回顧し、我が国が過去の一時期、韓国国民に対し、植民地支配により多大の損害と苦痛を与えた歴史的事実を謙虚に受け止め、これに対し、痛切な反省と心からのお詫びを述べた」。 |
小渕首相 |
1998.11.26 |
「日中共同声明、来日した江沢民・中国国家主席との首脳会談」
「過去を直視し、歴史を正しく認識することが、日中関係を発展させる重要な起訴である。日本側は、72年の日中共同声明及び95年8.15日の村山首脳談話を遵守し、過去の一時期の中国への侵略によって中国国民多大な災難と損害を与えた責任を痛感し、これに深い反省を表明した」。 |
小泉首相 |
2001.8.15 |
「8.15靖国神社公式参拝後の談話」(福田官房長官と古川貞二郎官房副長官と外務省合作)
「先の大戦で、アジア近隣諸国に対しては、誤った国策に基づく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いた。悔恨の歴史を虚心に受け止め、深い反省とともに謹んで哀悼の意を捧げたい」。 |
小泉首相 |
2001.10.8 |
「北京郊外の盧溝橋にある抗日戦争記念館訪問時の記者団との質疑」
「侵略によって犠牲となった中国の人々に対し、心からのお詫びと哀悼の気持ちを持って展示を見た。過去の歴史をよく勉強することによって、将来、その反省を生かしていかなければならない」。 |
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2001.10.15 |
「ソウルの西大門独立公園視察後の記者団との質疑」
「日本の植民地支配によって韓国国民に多大な損害と苦痛を与えたことに対し、心からの反省とお詫びの気持ちを持って見た。苦痛と犠牲を強いられた方々の無念の気持ちを忘れてはいけない」。 |
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2002.4.21 |
「2度目の靖国神社参拝後に発表された所感」
「参拝の目的は、明治維新以来、心ならずも、華族を残し、国の為に命を捧げられた方々全体に、衷心から追悼を行うことだ」。 |
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2005.4.22 |
「ジャカルタで開かれたアジア・アフリカ会議首脳会議」
「(日本の植民地支配と侵略を明言した村山談話を踏襲し)歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切なる反省と心からのお詫びの気持ちを常に心に刻み、(中略)世界の国々との信頼関係を大切にして、世界の平和と繁栄に貢献していく」。 |
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2005.6.2 |
衆院予算委員会で、「A級戦犯は戦争犯罪人であると認識している」、「A級戦犯のために参拝しているのではない。多くの戦没者に敬意と感謝の意を表したい」。 |
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2005.7.26 |
衆院予算委員会で、「歴史認識や歴史に対する反省は首相就任以来一貫して答弁している。参拝は、心ならずも、国の為に尊い犠牲となられた方を追悼するとともに、二度と戦争をしてはならないという不戦の誓いを込めて行うものだ。参拝は、過去の歴史の反省や歴史認識を踏まえたものだ」。 |