れんだいこの大正天皇論



 (最新見直し2007.3.3日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 大正天皇の悲劇が分かるか。れんだいこはようぅっと分かる気がする。

 明治天皇の誕生日は、戦前は明治節、今は文化の日として、昭和天皇は緑の日として慶祝されているが、大正天皇のそれは無い。つまり、大正天皇は故意か偶然にか歴史の谷間に埋没させられていることになる。この現象は、在位期間が15年という短きゆえにだけではないように思われる。原武史・氏の「大正天皇」(朝日新聞社)がこの暗闇に灯を燈したが、その史的意義が大きい。

 大正天皇は脳性病状を理由に幽閉され、昭和天皇が摂政としてその任に就いてきた。ところで、この過程は今流布されているところの話し通りなのであろうか、疑問なしとしない。これまでれんだいこは、我がサイトでこの種の「世間常識」に数々の挑戦をしてきた。未だ無視され続けているが、いずれれんだいこの功績が世の注目を浴びる日が来るであろう。同様に、れんだいこが以下指摘する大正天皇論も青天の霹靂を為すであろう。

 れんだいこに云わせれば、大正天皇の実像は史上稀に見る英明な天皇であり、その「大正天皇の幽閉は一種のクーデターであった」のではなかったか。このクーデターは、その後の大東亜戦争に向かう軍部及び政財界勢力、それを操る国際金融資本ロスチャイルド派の陰謀、それに引きずられた当代のエセ・インテリらの日帝グループにより強行され、大正天皇は彼らに;餌食にされ、無理矢理失脚せしめられたのではなかろうか。これにより明治維新後の歴史は画期的に右回天したのではなかったか。西南の役での西郷派の一網打尽が第一次右回天とすれば、大正天皇閉じ込めは第二の右回天ではなかったか。以来、日帝の好戦化は不可逆的な道のりになり、大東亜戦争まで歩を進め、敗戦で瓦解するまで定向進化したのではないのか。この視点を確立したい。

 大正天皇の実像論に戻る。それには明治天皇から捉えねばならない。明治天皇の治世の特質を最簡略に云えば、内治的な殖産興業政策と外治的な対外侵略政策との二頭立てで処世してきたように思われる。明治天皇の治世を継いだ大正天皇の時代は、この二つのベクトルが矛盾として拮抗しあう時期に至っていた。如何に御すべきか。大正天皇及びその側近達は逡巡のうち、内治的な殖産興業政策を基調とする御世に向おうとした。こうして、一次的に「大正ルネサンス」時代が現出した。

 しかし、そういう大正天皇の治世は大きな抵抗に遭った。これを咎めた勢力が弄した手段が、裕仁皇太子の押し立てであった。このグループにより大正天皇は押し込められ、裕仁皇太子を摂政に就任させた。その上で、外治的な対外侵略政策に突っ走って行った。それは欧米の帝国主義政策の猿真似であり、「バスに乗り遅れるな」であった。国際金融資本ロスチャイルド派がこれを陰謀した。この視点を確立したい。

 してみれば、裕仁の運命は摂政にまつりあげられた時点で決まっていた。裕仁の皇太子から昭和天皇への軌跡は、敷かれたレールの上を走らざるを得ない中での挙措動作でしかなかった。昭和天皇の治世は、この流れにある時は抵抗しある時は推進するという歴史のジレンマに翻弄され続けたのではないのか。してみれば、時代が要請し、これに応えた苛酷な役者の役回りこそ昭和天皇を貫く特質であったとみなせよう。

 これを思えば、大正天皇の御世こそは、敷かれようとするレールに抵抗し、遂に真性に脳を煩わされたか、あるいはそのように外伝させられて幽閉せしめられた経過ではなかったか。極論で言えば、内治派に対する外地派の策動が勝利的に貫徹したのであり、ここに大正天皇の悲劇が垣間見られるのではないのか。大正天皇の才を見るに、むしろ稀に見る英才であり、感覚的に繊細且つ優美であられた、と見るのが正確なのではなかろうか。

 しかし、そうなると「大正天皇押し込め」は日本近代史上特筆されるべき政変であった、最たる不敬事件であったということになる。残念ながらこの観点からの考察は未だタブーのようである。れんだいこならではの身易さ故に皇室問題、大陸侵略問題、大東亜戦争考の新視角として取り上げてみたい。

 こたび大正天皇実録が公開されつつあるが、これが封印されてきた背景にはこのような深刻な意味がある。あぁだがしかし、これを受け止める側の能力が干乾びており、問題が問題として意識されていない。御用系ならともかく左派系からの追跡が未だ皆無のように見える。かの東大政治学教授丸山眞男でさえ、薄っぺらな大正天皇論を開陳している。泰斗でさえそうであるからして、左派の頭脳には漬ける薬がないとはこのことだろう。この貧弱確認から始発せねばならないとは先が思いやられる。

 2003.11.7日再編集、2007.3.3日再編集 れんだいこ拝 
(私論.私見)
 大正天皇押し込めの背後に、幕末黒船来航以来の国際金融資本ロスチャイルド派の暗躍を加える必要がある。明治維新政府は、彼らの意向により帝国主義的侵略戦争の陣営に引き入れられ、豚の子戦略で太らされた挙句最終的に大東亜戦争で成敗された経緯が認められる。太田龍史観を学ぶことにより、そういうことに気づかされた。この面で、太田龍・氏に感謝申し上げる。

 2007.1.20日 れんだいこ拝












(私論.私見)