大正天皇のお歌考、囲碁の趣味考 |
(れんだいこのショートメッセージ) | |||
「大正天皇御集おほみやびうた」(邑心文庫.2002.10月)が発行された。日本教文社から、小田村寅二郎・小柳陽太郎両氏の共編になる「歴代天皇の御歌(みうた)―初代から今上陛下まで二千首―」が発行された。この中に、大正天皇の御製118首(総数465首の内)が謹選されている。近代の天皇方の中で、明治天皇、昭和天皇の御製は御製集等によって一般に知られている。しかし、大正天皇の御製は目に触れる機会も少なかった。その意味で、大正天皇の御歌の公開には意義が深い。 インターネット・サイト「天皇と短歌(二)大正天皇の御製」、2002.10.27日付毎日新聞書評欄「近代の帝はなぜ恋歌を詠まない?」を参照しながら以下のように整理してみた。(評はほぼそのまま転写させていただいている、ご容赦をば請う) 丸谷才一氏の評が紹介されている。これによると、その代表的秀歌を論じながら大正天皇その人を次のように評している。
五木寛之氏も又「大正天皇の短歌を絶賛し、「彼こそ歴代天皇の中で最高の歌人」と評価しているとのことである。 |
【大正天皇のお歌考】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
大正天皇の歌には次のようなものがある。これをジャンルごとに編集してみる。 「軍事歌」として次のようなものがある。
「情景歌」として次のようなものがある。
「国見の叙情歌」として次のようなものがある。
「人生歌」、「政情歌」として次のようなものがある。
家庭団欒、子供好きな様子が窺われる次のような歌もある。
かたつむりや蛍などの生物に関心が深かった様子が窺われる次のような歌もある。
「恋歌」が少ないことが惜しまれる。その理由として、明治10年頃より軍人達が天皇を大元帥に持ち上げていく過程で、恋歌を邪視し禁歌したことによる。丸谷氏曰く「近代日本最悪の文芸統制であり、古代以来の宮廷詩に対する不遜極まりない蛮行であった。それまでは、代々の天子は恋歌を詠み続けたし、元々日本文学の中心にあるものは帝の相聞歌だったのである。『古今』、『新古今』、『伊勢』、『源氏』も、それが無ければ有り得なかった。とすれば、御製の主題を制約した者たちの不心得は明らかだろう。好んで忠を説く人々の中にこれを咎める者の一人もなかったことは不思議である」という。
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【「大正天皇『押し込め』時の大正天皇と皇太子の御歌」考】 | ||||
大正10年、大正天皇が押し込められ、今上陛下(昭和天皇)が摂政として政務をお執りになられることになった時の御製と思われる貴重な次の御歌が明らかにされている。「社頭暁」と題して、大正天皇が次のように詠んでいる。
これを評するのに、「白妙の袖」と「みあかしのかげ(御神殿のともし火)」といふ対照が、幽寂な美しさを点じている。「かつうすれ行く」といふご表現は厳粛にして寂しい。あたかも、この時点まで一身にもちこたへられた大正天皇のお心そのものが、この「みあかしのかげ」といふみ言葉に映ぜられてゐるかのやうである。 「天皇と短歌(二)大正天皇の御製」は、次のように評している。
興味深いのは、同じ時期に摂政となられた裕仁皇太子(後の昭和天皇)が同じく「社頭暁」と題し詠まれた次の御歌である。
これを評するのに、「とりがね(鶏の声)」とともに「夜はほのぼのとあけそめて」と、さらに「代々木の宮のもりぞみえゆく」と、大正天皇の御世から皇太子の御世への交代が厳かに歌われている。 「天皇と短歌(二)大正天皇の御製」は、次のように評している。
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【大正天皇が愛用した碁盤、碁石考】 | ||
大正天皇が愛用した碁盤、碁石が保存されていると云う。これを確認しておく。週間碁ウイークリーの2017.3.13日版4面の「春秋子の観戦余話100、不思議(江戸時代の碁盤)」が次のように記している。関係のある下りのみ抜書きする。
「烏鷺光一の『囲碁と歴史』」の「大中寺の碁盤」。
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