明治・大正・昭和・平成通史を廻る皇室考



 (れんだいこのショートメッセージ)
 原氏の著書「大正天皇」は重要な指摘をしている。大正天皇の「押し込め」後に裕仁皇太子を押し立てての「新しい戦略が、それに呼応する下からの新しいナショナリズム、いわゆる超国家主義を生み出したのである」と述べている。この経過で発生した神州義団団長・朝日平吾の「死の叫び声」事件に触れ、この事件に注目した政治学者・橋川文三の歴史観に賛意を示して次のように述べている。
 「明治や大正の伝統的国家主義とは区別される昭和の超国家主義のルーツは、まさに『死の叫び声』にあった。明治以来の伝統的国家主義がそのまま連続して昭和の超国家主義につながるとする傾向の強い丸山眞男に対して、橋川は、明治、大正と昭和の断絶面を強調した。橋川の指摘に従えば、昭和の胎動は既に、朝日が事件を起した21.9月から始まっていることになる。鋭い指摘と云うべきだろう」。

 れんだいこは、原氏のあるいは橋川氏の詳細な見解は別にして大局的な観点としての「明治、大正、昭和の流れに有る矛盾を見ようとする史観」に対して賛同する。丸山眞男氏の見解を熟知していないが、もし氏が「明治以来の伝統的国家主義がそのまま連続して昭和の超国家主義につながるとする傾向」に依拠した史観を持っていたとするなら、あまりにも皮相過ぎるのでは無かろうか。丸山氏と云えば戦後の左派系イデオローグの第一人者である。その氏がかような観点を権威をもって広めていたとしたら陳腐過ぎよう。

 事実は逆であり、「レーニンと日本」で明らかにされたようにレーニンの絶賛的な明治維新観を始発として、その後の革命の歪曲、その止めとしての大正天皇の「押し込め」、昭和天皇時代の不可逆的な日米争闘戦への道のりを「矛盾を含んだ必然的行程」として弁証法的に解析することこそ、政治家、歴史家に一級課題として突きつけられているのではないのか。そういう意味で、ターニングポイントとなった「大正天皇の押し込め」はもっと研究されるに値する。しかし、今日現在さほど為されているとは思えない。思えば、戦後日本の左派理論(戦前も結構怪しいものでしかないが)は、こういう点からしてからきし狂っているのでは無かろうか。

 2003.11.16日 れんだいこ拝












(私論.私見)