補足・5.15事件と2.26事件の相似と差異考



 更新日/2021(平成31.5.1日より栄和改元/栄和3).5.1日
 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「5.15事件と2.26事件の相似と差異」を確認しておく。戦前軍部の引き起こした大事件に5.15事件と2.26事件がある。今まで同じような事件と思っていたが、事件の質は大いに違うのではないかと思い始めた。そこで、「5.15事件と2.26事件の相似と差異」を確認しておくことにする。

 2011.5.30日 れんだいこ拝


Re::れんだいこのカンテラ時評933 れんだいこ 2011/06/05
 【5.15事件と2.26事件の相似と差異考】

 先に「昭和7年総選挙に際しての犬養首相演説」を確認し、犬養木堂論の一端を述べたが追加しておく。木堂をどう評するべきかは興味深い課題であるように思われる。木堂の素養に注目するのに、「遠祖は吉備津彦命に従った犬飼健命(イヌカイタケルノミコト)に列なる」とある。「5歳の時、父から四書五経の素読を受ける」、「6歳の時、庭瀬藩医森田月瀬に漢学を学ぶ」とある。これによれば、木堂は幼少期に徹底的に日本式学問を仕込まれていたことになる。長ずるに及び西欧学を学ぶが、既に脳格形成されていた日本式学問の上に西欧学を吸収したのであって、その他大勢のインテリの如くの「日本式学問の素養なきままの身も心も西欧被れ」にはならなかったことを意味している。

 犬養家は幕末まで地主階層の家柄であった。そういう意味で、木堂の学問形成の仕方は、旧地主階級の明治維新以来の文明開花の受容の仕方に於ける標準を示しているのではなかろうか。どこの馬の骨か分からぬ者の近代化被れではなく、正式に日本式素養教育を受けた側の者の近代化被れであった点が興味深い。

 こういう学的経緯によって、木堂は、日本の在地土着系頭脳と精神が西欧政治理論を摂取し、これを調和的に取り入れた人物と云うことになる。青年期を経てジャーナリストになり、その後政治家に転身するが、「日本的素養を身につけつつ西欧学を咀嚼した稀有の政治家」足り得ていた格好の教材人物と評し得るのではあるまいか。木堂の政治家としての史的価値は、他の凡庸なインテリ、政治家と違って、西欧政治理論を学びながら取り込まれず、あくまでも日本系政治家としての感性と能力で明治維新後の日本のあるべき姿を求めて牽引しようとしていた点にあり、この点がもっと高く評価されても良いと思われる。こらっ菅派よ聞いとるか。お前らの真反対の政治の先達を評しているんだ、神妙に耳を傾けよ。

 木堂は長い政界遊泳の果てに遅咲きの76歳にして首相になり、5.15事件で凶刃に倒れたが、このことそのものが木堂が有益な政治家足り得ていたことを証しているのではなかろうか。歴代首相史に於いて、襲撃、暗殺、変死、疑獄に巻き込まれた者ほど有能だったのであり、名宰相と持て囃された者にロクな者がいないことが透けて見えてくる。

 革命家に例えれば、畳の上で往生した革命家ほど嘘っぽいのと同じである。生存中に名宰相と評され、後世の史家からも同様に評されているのは戦後では吉田茂ぐらいのものではなかろうか。その他はニセモノばかりである。してみれば、木堂は戦前の在地土着派系有能政治家であったが故に葬られたのではなかろうか。この構図は、ロッキード事件で政治的に絞殺された田中角栄にも当て嵌まろう。こういう史観が欲しいと思う。

 さて、ここでは、「5.15事件と2.26事件の相似と差異」を確認しておく。5.15事件も2.26事件も俗学説的には、時の軍部の青年将校暴走によるクーデター事件として同じ土俵で評されている。が、その質は大きく違うのではなかろうか。2.26事件反乱軍の意識に於いては「5.15事件に続け」なるものがあったかも知れないが、それは意識止まりの話であり、歴史的役割は百八十度異なる。

 5.15事件は、檄文では2.26事件の決起文と同じような愛国至情を述べているが、結果的に当時の国際金融資本勢力が一部の軍部や民間人の軽薄分子を唆(そそのか)して、当時稀有なる在地土着系政治家の有能者を葬ったのであり、2.26事件は逆に、国際金融資本勢力に籠絡されることを拒否していた在地土着系の有能軍部が、国際金融資本勢力が牛耳る時の政治体制に叛旗を翻したと云うのが実相ではなかろうか。

 2.26事件反乱将校たちの背景には皇道派と統制派の確執が伏在していたが、もっと大きく見ればそういうことになるのではなかろうか。とすれば、5.15事件と2.26事件は真反対の性格を持つ事件だったと云うことになる。軍部の一部の犯行と云う点では共通しているが、それは表面的な一致であり、内実は打倒対象とするものが真反対だったのではなかろうか。かく視座を据えたい。

 それ故に、5.15事件と2.26事件では反乱者の処罰が雲泥の差になる。5.15事件の犯人たちの最高刑は無期懲役で僅かに橘孝三郎一人、後は禁固刑であり、しかも数年後に全員が恩赦で釈放され、満州や中国北部で枢要な地位についている。即ち甘刑処罰になっている。これに比して、2.26事件の犯人たちには苛酷な処分が待ち受け、「自決2名、謀者17名死刑、69名有罪」となっている。即ち厳刑処罰になっている。この比較は別サイトで確認することにするが、この違いを説明するのに他の理由が考えられるだろうか。

 歴史は、その後の勝者の史観で語られるのを常とする。直近の第二次世界大戦の勝者は国際金融資本帝国主義派であった。故に、国際金融資本帝国主義派の都合に良い歴史が捏造され語られることになる。5.15事件の真相を隠す為に、5.15事件を2.26事件と極力同じレベルで吹聴し「単なる軍部の暴走事件」と評することになる。2.26事件然りで、反乱軍が見据えていたのは国際金融資本帝国主義派の日本溶解であり、これを拒否せんが為の決起であった、と云う点が隠蔽される。

 歴史の真相はこうである。犬養首相は、ジャーナリスト時代からの「東亜の平和」を唱える大アジア主義者、アジア同胞主義者であり、それが為に常時、宮崎滔天、頭山満らの国士系在野右翼政治家と気脈通じており、明日のアジアを支える逸材足る中国の孫文、蒋介石、インドのガンジー、ネルー、ラス・ビハリ・ボースらを日本に亡命させ、面倒を見た経歴を持つ。次代のアジアを担う人材を庇護しネットワークを形成していたことになる。

 そういう犬養首相の政治能力に於いて、日支連帯の絆の呼びかけによる満州事変解決は有り得た可能性があり、それ故にそうはさせじとする国際金融資本帝国主義派が裏で糸を引いて犬養首相を刺殺せしめた。こう捉えるべきではなかろうか。5.15事件以降、日本は国際金融資本帝国主義派に手玉にとられること露骨になり、満州事変が拡大し日中戦争の泥沼に踏み込み、遂に大東亜戦争への突入を余儀なくされることになった。

 2.26事件とは、この流れに掉さした有能軍人たちによる反乱だったのではなかろうか。皇道派が仕掛けたが、「昭和維新断行、尊皇討奸」の雄叫びは、明治維新来の変態的天皇親政を標榜すると云う限界を持っていたが、真に企図していたのは「国体擁護」の方であり、その意図するところは国際金融資本に籠絡された「元老、重臣、軍閥、財閥、官僚、政党」に支配される政治からの転換即ち「明治維新の反転の反転を企図する昭和維新」だったのではなかろうか。2.26事件を評する視座をこのように据えなければならないのではなかろうか。

 結果的に日本は完膚なきままに叩き潰され敗戦を余儀なくされた。既に軍部内に国際金融派のエージェント網が構築されており、彼らのアジェンダに基づいて操作されていた。特に海軍が酷かった。陸軍は在地系と籠絡系、中間派が三対立していた。軍部内にかくもエージェント網が張り廻らされていたなら勝てる戦も勝てまい。そういう眼で見れば、日米開戦の火ぶたとなった真珠湾攻撃そのものからして情報が筒抜けだった形跡が認められる。その他重要戦史ではことごとく負けるように誘導されている気配が認められる。

 ちなみに、戦後の極東国際司法裁判所で断罪されたA級戦犯とは軍部内の非エージェント派であったことが逆に証左される。A級戦犯を極悪非道人と評すれば評するほど反戦平和主義者であるかのように論ぜられることが多いが、A級戦犯論はこの視座からも捉えられるべきではなかろうか。その他問いたいことは多々あるが割愛する。本稿で「5.15事件と2.26事件の相似と差異」が確かめられれば本望である。

 2011.6.5日 れんだいこ拝

 rendaico れんだいこ
 れんだいこブログの自己評。論旨がはっきりしている点が良いですね。長大饒舌文で何を云っているのか分からない煙巻き論法に比してすっきりする。論旨の是非は別にして議論資料に値する。なんちゃって。

れんだいこのカンテラ時評№1127  れんだいこ 2013.4.1日
 5.15事件と2.26事件の相似と差異考その2

 戦前の5.15事件、2.26事件について、通俗歴史書に於いては共に軍部の青年将校たちの突出的蛮行として片づけられるに過ぎない。れんだいこは、2011.6.5日付け「れんだいこのカンテラ時評933、5.15事件と2.26事件の相似と差異考」と題して、概要「両者の事件の本質が違う。5.15事件は親国際ユダ邪系軍部による在地土着系政治家に対する蛮行であり、2.26事件は逆に在地土着系軍部による親国際ユダ邪系政治家に対する蛮行であった」とする観点を披歴した。

 続いて、2011.6.7日付け.「れんだいこのカンテラ時評934、陸軍皇道派の有能人士考」と題して、主として真崎甚三郎・陸軍大将、荒木貞夫・陸軍大将、山下奉文・陸軍大将、小畑敏四郎・陸軍中将、事件後自害した野中四郎の弟の野中五郎を挙げ、皇道派の有能性を論じた。この観点が注目されることなく経緯しているが更にショッキングな以下の論考を世に送ろうと思う。

 結論から申すと、2.26事件は国際的謀略の臭いがする。それは、国際ユダ邪による、来る日米戦争を前提として戦局を有利にする為に、事前に日本軍部内の優秀な指導者及び将校を寄せて一網打尽的に始末する謀略作戦だったのではなかろうか。皇道派青年将校は易々とこのワナに乗せられたのではなかろうかと推理したい。それが証拠に2.26事件決起の動きは当局奥の院に刻々キャッチされており、それを掣肘するでもなく推移を見守っていた形跡が認められる。目下、「禁断 二・二六事件」(鬼頭春樹、河出書房新社、2012.2.25日初版 )を読んでいるが驚くばかりに、その様子が記されている。

 この推理によると、日本は大東亜戦争を闘う前に於いて用意周到に負けるように細工され、それが2.26事件誘発により首尾よく成功していたことになる。2.26事件は、国際ユダ邪による巧妙な炙(あぶ)り出しにより、戦前軍部に於ける最も優秀な頭脳であり軍隊であった皇道派を決起させ、直ちに鎮圧し徹底的に粛清せしめた陰謀事件だったのではなかろうか、と云うことになる。これを証明しようとすればできない訳ではないが紙数を相当要するので、かく結論を述べておきたい。

 着想は、左遷させられながらも生き延びた皇道派の各地での戦歴の確かさから生まれた。仮に2.26事件で始末された青年将校が健在で指揮を執っていたら、その有能指揮故に戦局の帰趨は不明だったのではなかろうかとの思いが禁じ得ない。そもそも反戦派のれんだいことしての興味はここで終るが、終戦結末に大きな影響を与えたことは確かだと思う。

 この説を補強する一文を見つけたので引用しておく。「2.26事件(背後で操ったのは?今また田母神問題で)」に次のように記されている。
 「これを突き詰めれば、『昭和の動乱』とは一種の『狂言』であり、その裏側に真の目的が隠されていました。それは当時の権力機構に衝撃を与えて、それをお互いに戦わせて内乱に導き、同時に軍部の暴発を誘い、日本と中国を戦わせ、やがて日米開戦に引きずり込むと言うシナリオに他なりませんでした。

 民間の『非愛国的仮装右翼』といわれる一部の連中は、財閥や国際ユダヤ金融勢力と結びついており、陸海軍の中にも、そうした首謀者の影を見ることができます。現に海軍の士官で構成される親睦や研究や共済等を標榜した「水行社」はフリーメーソン日本支社の巣窟であり、米内光政や山本五十六が出入りしていました。2.26事件によって陸軍皇道派は完全に捻り潰されました。

 その後に台頭した陸軍統制派は、国際ユダヤ金融勢力によって、おだてられ、煽られた挙げ句、日中戦争の泥沼に突入し、その上、太平洋戦争への道へと突入しようとします。海軍では西園寺公望や岡田啓介、米内光政や山本五十六といったフリーメーソン・メンバーが国際ユダヤ金融勢力の走狗でした。日本を滅ぼしたのは陸軍統制派と海軍でしたが、彼らを操ったのは西園寺公望を筆頭とするフリーメーソンらであり、また一部の非愛国的右翼だったのです」。

 その通りではなかろうか。この観点に、来る日米戦争に備えて日本陸軍の有能な士を事前に壊滅させる策略があり、それが2.26事件だったと云う観点が欲しい。

 人は、これを陰謀論の極みと云うであろう。そう決めつけることで、5.15事件、2.26事件を並列に論じ、いずれも青年将校の狂気の沙汰による蛮行と評して足れりとする者がありとすれば、れんだいこの言と交わることはない。れんだいこは、然り、まさしく陰謀である。陰謀のある時に陰謀を見るべしであり、陰謀があるのに見ようとしない反陰謀論とは与し難い、陰謀論で結構であると返答したい。

 もとよりこの推理には裏付け資料がある訳ではない。いわば「没資料的歴史推理」である。しかしながら、表に出てくる資料だけでは歴史の真実が解けず、時には、こういう推理も働かせなければならないのではなかろうかと思っている。なぜなら政治史を画するような重要事件であればあるほど真相資料が秘匿される傾向があるからである。これを逆に云えば、表に出てくる資料はたかが知れている、さほど重要でないものが出ているに過ぎないと云うことになる。

 「没資料的歴史推理」をも働かせなければ一人前の歴史家にはなれない。但し、「没資料的歴史推理」は諸刃の剣であり、下手に振り回せば妄想の言になり、賢く働かせれば眼光紙背の言になる。そういう意味で「没資料的歴史推理」には能力が鋭く問われている。思うに「没資料的歴史推理」を磨かないような歴史家は凡庸過ぎる。一人前を目指すなら、表に出ただけの資料や、下手なテキスト辺りで首ったけ消耗させられるようでは覚束ない。お誂えのテキストの上を行く知性が要求されており、つまり歴史眼による歴史との格闘なしには史実の真相に迫れないと思う。
jinsei/
jinsei/

【海軍と陸軍の比較における陸軍の相対的有能性考】
 「海軍と陸軍の比較における陸軍の相対的有能性考」をものしたくなった。通説は、この逆に海軍の有能性を語り続けている。しかし、れんだいこ史観のフィルターを通せば、海軍の上層部は殆ど国際ユダ邪内通者で占められており、これに比して陸軍は上層部まで含めて恐らく3分の1止まりである。即ち国際ユダ邪に組しない勢力が温存され続けたことになり、このことが有能さを証左していると窺う。これを論証してみたいと思う。

【渡部悌治氏の2・26事件論】
 渡部悌治氏の「ユダヤは日本に何をしたか」(成甲書房)は、2・26事件の本質について次のように述べている。
 「内乱による為替相場の変動を策したドル買い業者どもの策に乗って起きた5・15事件と同一の2・26事件が起こったのは昭和11年である」。
 「クーデターには米国ユダヤから金が来ていた。2・26事件には三井財閥の金も動いていた。北一輝には三井の池田成彬(しげあき)から月々の手当が出ていた。それで池田には行動決行の電話がいち早く届いている。5・15事件も2・26事件も他のクーデターも、いずれの場合にも第三国の金が動いていたのである。クーデターによって為替の相場を下落させて、売買の操作によって利を求めるドル買い事件にすぎなかったのである」。

 「2・26事件の真の闇(1)」は次のようにコメントしている。
 「当時の右翼活動家とか理論家と称される連中や、クーデターの首謀者たちには、たいてい財閥(新興、旧来を問わず)がついて資金提供を行っていたことは事実として今日明らかになっている。その財閥を背後から使嗾したのがユダヤ資本であることも常識である。彼ら財閥が青年将校らを煽って、クーデターに導いたことも明らかになっている以上、渡部氏が指摘するように、クーデターは為替相場を不当に操作するためのものだったというのは、正しいであろう」。
 「ここで思いだされるのは、昭和天皇の存在である。青年将校らにとっては、いわば天皇親政によって昭和維新を断行するのだと夢見ていたのだろうが、実際の天皇はそういう人ではなかった。つまり天皇は飾り物にされ、周囲の奸臣・奸官に取り巻かれているから正しい政治が行われないと善意に解釈していたが、そうではなくいわば奸凶は天皇自身だったのである。その真相をほとんどの識者は避けるからことの本質を見誤る。2・26事件がおきると、天皇はその40分後には情報を得て、ただちに彼らを反乱軍と断じ、鎮圧を命令している。決起した将校らにしてみれば、天皇にまさかの裏切りにあったのである。しかし、この天皇の裏切りは、『将校らにしてみれば』なのであって、私は彼ら将校は天皇・財閥側が仕掛けたワナにハマっただけではないかと思う」。
 「『日本人が知らない恐るべき真実』というブログサイトにも『天皇の蓄財』(2006年8月25~28日)という恐るべき内実を暴露した記事が書かれている。 
 http://d.hatena.ne.jp/rainbowring-abe/20060825 

 これによれば(元の資料は『天皇のロザリオ』から(後述))、昭和天皇は1944年1月には、参謀総長と軍令部総長から日本の敗戦は必至であることを聞かされている。それから昭和天皇は、自らの資産を銀行に指示してスイスに移すのである。その措置が終わり、資産を連合軍が保障してくれることを降伏条件にして終戦工作を始めたのである。つまり、44年初頭には敗戦がはっきりしていたにもかかわらず、天皇は自分の地位と資産のために1年半も戦争を引き延ばしたことになる。それがポツダム宣言受諾の際の「国体の護持(天皇の助命)を条件として受諾する」と言った中身であった。まさに(そもそも大東亜戦争がユダヤの策謀ではあるが)戦争末期に特攻などで死んでいった人たちは、皇室の私利私欲の犠牲となったまったくの犬死にでしかないことになる」。






(私論.私見)