2000年当時の動き



 (最新見直し2010.08.05日)





 1月中国外交部長、日本の右翼勢力の南京大虐殺否定集会について日本側に中国の厳正な立場を表明。




 1.18日、オウム真理教が名称を「アレフ」に変更。代表に村岡達子。




 1.20日、衆参両院の憲法調査会が発足。




 1.21日、社民党党首選で土井たか子(71)が無投票再選。任期2年。




 1.21日、元小結の板井圭介(43)が日本外国特派員協会での講演で大相撲の八百長を告白。




 2.2日、衆院比例区定数を20削減する改正公職選挙法が成立。




 2.6日、太田房江が大阪府知事に当選。初の夫婦別姓知事。初の女性知事。自民は本部と府本部が分裂選挙。




 2.13日、グリコ・森永事件が午前零時をもって全て時効成立。指定広域事件では初。




 3.1日、定期借家制度スタート。新規契約のみ導入。




 3.9日、民社党元委員長佐々木良作死去(85歳)。




 3.18日、レバノン政府は服役中の岡本公三(52)の同国への亡命を認める。足立正生(60)、和光晴生(51)、山本万里子(59)、戸平和夫(47)   は国外追放。




 3.18日、台湾総統選挙で独立派民主進歩党の陳水扁(49)が当選。50年以上の国民党支配に幕。




 3.26日、ロシア大統領選挙でプーチン大統領代行が半数の票を得て大統領に当選。初の民主主義的手続きによりロシア大統領誕生。




 3.29日、国労東日本本部は、JR連合に加盟する東日本鉄産労、グリーンユニオンと共に「JR東日本の民主化を実現するための共同声明」を発表した。




 3月、政府の教育改革会議が発足。


【小渕政権崩壊】
 4.2日、小渕恵三総理大臣が緊急入院。4.3日、青木幹雄官房長官が「病名は脳梗塞」と記者会見。首相後継問題が浮上(森喜朗氏・河野氏が軸)。 

 4.5日、小渕内閣総辞職(1年8ヶ月)←憲法70条。小沢自由党が連立解消。

【米軍の小渕首相暗殺説考】
 2006.8.27日付けブログ「小渕元首相を殺した犯人は誰か」を転載しておく。真偽不明ながら「怖い話」である。
 この項は、前項(外圧を借りた「亡国のシナリオ」)を補足する内容となっています。併せて読んでいただけば、在任中に突然死した故・小渕元首相の死因が何であったかがおわかりになると思います。 ここで『泥棒国家日本と闇の権力構造』(中丸薫&ベンジャミン・フルフォード/徳間書店)から、非常にショッキングな内容を拾ってご紹介します。私が、「ええ〜っ! アメリカさんはそこまでやるの〜?」と、呆然とさせられた内容があるのです。 それは、「東京にあるアメリカの横田基地が、日本の政府を見張る“幕府”のような存在になっている」というくだりです。この本の中に次のようなエピソードが紹介されています。情報提供者をぼかす意味からか、いくぶん表現を曖昧にしている部分もありますが、おそらくこれは事実なのでしょう。「アメリカの属国・日本」を象徴する現実です。

  日本の政治体系は「幕政」なのです。天皇が象徴としてあって、将軍に委ねられた。その将軍が、占領政策でマッカーサーになった。日本の中の基地としては、横田が象徴的です。 いうことをきかない政治家を、たとえば竹下さん(元首相)も、お金のことでいろんなことがあったときに、MPが横田に連れていったそうです。飛行機に乗せて、太平洋の真ん中まで行って、「ここから落とす」といわれて、「イエスかノーか」と脅迫されたと聞きました。 今だって、お金のことでいろんな問題があると、MPが連れていって、ヘリコプターで宙づりにして、顔を海に何回も浸けるそうです。そうすると、海水が入って頭がおかしくなる。これはすごく秘密の世界です。

  今、横田とか座間に米軍基地の本拠地が来ている。日本がますます危ない状況です。中国包囲網で、朝鮮問題を片づけたら、あるタイミングを見て中台戦争も起こさせようとしているから、潜水艦なども中国を取り囲む状態になっている。そうしたら日本が戦場になってしまいます。深刻な事態です。 日本は敗戦によって、マッカーサーが幕府の将軍みたいなものになりました。アメリカが将軍になって、自民党は委任されて政治をしてきたけれども、その自民党自身が完全に取り込まれてしまっている。独自性を全くなくしてしまった状態なのです。―― 『泥棒国家日本と闇の権力構造』(徳間書店)

  いかがですか。この“現実”を信じることができますか。中丸薫さんといえば、かつてはアメリカのフォード元大統領や、ボルカー元FRB議長、およびデイビッド・ロックフェラーやビクター・ロスチャイルドといった大物とも直接会って話を聞くことができたほどの実力者なのです。この本の中にも、中丸さんがそれぞれの人物と会談している写真が載せてあります(大昔の写真ではありますが)。 それほどの人が自らの著書で明らかにしていることですから、この「横田幕府」の話は全く根拠のないこととは思えません。とすれば、日本の首相といえども、アメリカのいうことを聞かない人物はMP(憲兵)が連れていって、ヘリコプターで吊して脅迫するようなことまでされるということです。

  現に故・竹下登元首相は横田基地のMPに連れて行かれて、飛行機に乗せられ、太平洋の真ん中まで行って、「ここから落とす」と脅迫されたことが実名で紹介されています。さらに「今だって、お金のことでいろんな問題があると、MPが連れていって、ヘリコプターで宙づりにして、顔を海に何回も浸けるそうです」とあるのは誰のことを指しているのでしょうか。 これこそ、病名も分からないまま意識不明となって突然死した小渕元首相のことでしょう。さすがに「横田基地のMPが拉致して行って、海に顔をつけて殺した」とは書けませんので、ここは実名は伏せてあります。しかし、「顔を海に何回も浸ける」とか、「海水が入って頭がおかしくなる」といった大変具体的な表現は、まさに実際に誰かがそのようにされたことを表しています。当時の小渕首相のボディーガードも一緒に同行させられて、その様子を目撃した(させられた)のでしょう。そうすることによって、次の首相に対する“警告”の効果もあるからです。

  実は、この「小渕元首相の拉致・暗殺説」を裏づけするような書籍があるのです。それは、元民主党の参議院議員だった平野貞夫氏が、政界のドロドロとした裏話を綴った『亡国』(展望社)というタイトルの本です。平野貞夫氏は、2004年に政界を引退しています。 この本を読むと、政治家というのは私たち一般人の想像をはるかに超える「ワル」であることがよくわかります。国民の財産を食い物にして生きている、まさに「魔女軍団」と言ってよいでしょう。わが国の政治にまだ夢を託す気持ちを持っている方は、是非この本を読んでいただきたいと思います。夢は破れますが、正気になれるはずです。それにしても、平野氏はよくここまで暴露する記事を書けたものだと、その勇気に感心しています。ただ、日本の政治をコントロールしている“アメリカの影”についてはまったく触れていませんので、やはりタブーとされる部分は避けていることがうかがえます。 本のサブタイトルが「民衆狂乱〜小泉ええじゃないか」となっていて、小泉首相が日本を亡国に追い込む張本人とされています。その小泉亡国首相誕生までのいきさつについては、前項の私の分析を裏づけするような内容になっていますので、少しご紹介します。

 ■憲法違反でつくられた森亡国政権

  小渕首相が病院に担ぎ込まれたときは、明らかに小渕さんの意識はなかった。ところが翌日、官房長官の青木幹雄氏が記者会見を開いた。 「万事頼むと口頭で言われました。首相を臨時に代行いたします」。 これで青木氏はまんまと臨時の首相代理に就任することになった。後に医師団は、小渕首相は青木氏に意思を伝えるのは医学的に不可能な状態だったと証言している。本来なら、翌日、小渕首相の担当医師団に記者会見させ、正式な状況を国民に知らせ、それから憲法の規定に沿って収拾を図らなければならなかった。しかし、あの重大な局面にもかかわらず、医師団が正式に記者会見をしたのは1カ月後だった。青木官房長官が臨時首相代理になったのは、意識のない小渕首相から後事を託されたと言って嘘をついた結果だ。国民に対しての大きな欺瞞である。 青木氏が記者会見をした同じ日に、都内のホテルに自民党の大物議員が秘かに集まった。森喜朗幹事長、野中広務副幹事長、亀井静香政調会長、村上正邦参議院議長、青木官房長官の5人組である。この5人が談合して森喜朗を総理に決めた。(中略)

  一国の宰相が突然倒れたときに、残された一部の政治家の談合によって後継者が決められるなんて、こんな恐ろしいことが罷り通っていいはずはない。 私はこの暴挙に対して、「一種のクーデターだ!」と糾弾した。こんなことが許されるなら、例えば、元気な首相を拉致して病院に連れ込み、監禁した挙げ句「重病」と発表し、首相の意向で臨時に首相代理をつとめることになったと宣言することもできる。都合のいい新首相を決め、傀儡政権をつくって権力奪還をすることは難しいことではない。小渕首相の場合も、医師の診断書すらないままそれが実行されたのだから、まことに恐ろしい。

  実際私は予算委員会で同様の発言をして青木氏に噛みついたのだが、青木氏は「総理を拉致したなどとはもってのほかの発言。取り消してください」と言った。こんなやりとりの後で、会議録から削除されてしまった。後世に残る公的な証拠を消されてしまった。私は腹に据えかねて、3回にわたって公式会議で発言したため、自民党、公明党、保守党の3党による懲罰動議が出された。「ああ、こういう議会政治の精神に無知な政治家たちによって日本は滅ぼされるのか」。 私は、心のうちで呟いた。 結果として、こういうことでもなければ絶対総理にはなれなかった森氏が総理になった。一国の総理には絶対なってはいけない人物だ。森首相の出現が、亡国の小泉首相を誘導した。 ―― 『亡国』 平野貞夫・著/展望社  2005年11月刊

  平野氏が予算委員会などの公式の場で「首相が拉致された」という比喩を何度も使ったことには意味があると思うのです。普通なら考えつかないような奇想天外な例えになっているからです。これは小渕氏が重態となって病院に担ぎこまれた原因が、決して病気ではなかったことを平野氏がうすうす知っていたからではないかと思われます。 もちろん青木氏はその重態の原因がただならぬものであるため、その後の首相選びの方法も憲法に違反するような不自然な内容になったのでしょう。呼び集められた5人の実力者がそのことに反発しなかった(できなかった)ことにも、見えない大きな力が働いていたと考えられます。つまり、私が申し上げた「アメリカの意志」です。 小泉首相誕生のイントロとして、首相など務まるはずのない森氏を首相として祭り上げ、マスコミによって徹底的に人気を落とした後で、小泉「改革派」首相がさっそうと登場するというシナリオができあがっていたのでしょう。 さて、その結果、日本の政治はどう変わったのでしょうか。平野氏は次のように分析しています。

  (小泉首相は)《自民党をぶっ壊す》のキャッチフレーズで世論の支持を背景に政権を維持してきたが、自民党は壊れずに、ますます巨大権力に膨れあがった。確かに、小泉氏の力で一部の利権政治家は力を失ったが、その代わり、別な怪物が力を蓄え、国をしゃぶり尽くそうとしている。例えばアメリカ的市場原理の導入。日本の文化や人間性の破壊といった政治手法だ。見方を変えれば、1つの悪が1つの悪を駆逐しただけのことだ。これは亡国のデザインの色合いが変わっただけということになる。―― 『亡国』 平野貞夫・著/展望社

  また、この本の中の圧巻は、現衆議院議長・河野洋平氏の父親である故・河野一郎氏が、議員時代に蓄財した金額が100億円を超えていたというくだりです。その部分を少し拾ってみましょう。

  表に出ているものでも、何十もの不動産がある。個人邸宅だけでも11軒あり、いずれも半端ではない億単位の豪邸である。他に土地がある。有名なものでも、那須、富士、筑波、霞が浦、淡路島だが、いずれも数万坪から数十万坪という広大な土地である。 さらに系列会社が当時13社あった。いずれもいわく付きのトンネル会社であるが、いずれも黒字会社である。また、河野氏の馬好きは有名で、名競走馬を数十頭抱えていた。他に、美術品、骨董の類にも目がなかった。欲しいと思えば、我慢できずに手に入れたという。そのたびに、氏の利権に群がる企業家たちは、河野氏のおねだりに金を出させられたと聞く。こうして集められた美術品、骨董の類は、いずれも名品で、正式な鑑定結果を聞いたわけではないが、十億は下らないのではないかと言われている。‥‥―― 『亡国』 平野貞夫・著/展望社

  ‥‥と、まだまだ続きます。その他、政治家の悪事の数々がてんこ盛りの“素晴らしい”本です。この国の「亡国」が近づいているのを実感できます。 もろちん、小泉純一郎首相でなくとも、アメリカの横田基地からMP(憲兵)が自分を拘束しにくるかも知れないと考えれば、アメリカの言うことに逆らうことはできないでしょう。「靖国神社に参拝することを公約せよ」「竹中平蔵を財務大臣にせよ」「郵政を民営化せよ」といった注文には、ただただ従うしかないのかも知れません。少なくとも自分の命(政治生命であれ、肉体生命であれ)が惜しい人間であれば‥‥。

 アメリカの意志に逆らって命(政治生命または肉体生命)を失ったと思われる政治家は、田中角栄元首相(ロッキードスキャンダルのあと病死)を皮切りに、大平正芳元首相(病死)、中川一郎氏(自殺)、安倍晋太郎氏(病死)、梶山静六氏(病死)、そして竹下登氏(リクルートスキャンダルのあと病死)、小渕恵三氏(病死)などではないかと思っています。実際にMPに拉致されたのは竹下登元首相と小渕恵三元首相。拉致されて殺害されるという仕打ちを受けたのは小渕元首相だけでしょう。 「怖い話」でもあり、「情けない話」でもありますが、できるだけ多くの国民がこのようなわが国の現実を知ることが、国の力を回復することにつながるのです。



 4.3日、自由党を割って「保守党」旗揚げ。衆院39名中20、参院11名中6で結党。




 4.5日、入院から24時間で後継決定。話し合いで森喜朗が第19代自民党総裁に選出された。自自公連立解消、自公保連立による森内閣発足。青木・村上・森・野中・亀井の五人組で「密会」のうえ決定。自民党は自由党との連立解消、公明・保守との連立。官房長官・青木幹雄(再任)。




 4.9日、石原都知事が、大災害時は第三国人が騒動を起こすので治安出動が必要と発言。




 4.10日、青木氏はこれまでの説明を訂正。小渕元首相に「何かあったら万事よろしく頼む」と漠然とした依頼があっただけで、 「臨時代理の任に当たるように」との指示を受けていたこれまでの説明を訂正。




 4月、森喜朗首相がサンクトペテルブルクでプーチン大統領と会談。過去の諸合意順守を確認。




 4月、江沢民主席と朱鎔基総理はそれぞれ森喜朗新首相に祝電を送り、内閣総理大臣就任に祝意を表した。




 5.15日、小渕氏死去(62歳)。




 5.15日夜、東京紀尾井町のホテル・ニューオオタニで開かれた「神道政治連盟」国会議員懇談会の結成30周年祝賀会での挨拶で、「日本の国、まさに天皇を中心とする神の国であるということを、国民の皆様に承知していただく云々」と発言し、騒動となった。




 5月、江沢民主席は日中文化観光交流使節団一行と会見、対日関係重視の談話を発表。中国人民対外友好協会、松下正治氏に「人民友好使者」の称号を授与。




 5.25日、水泳選手の千葉すずが不透明かつ理不尽な五輪代表選考に対してスポーツ仲裁裁判所へ提訴。8.3に裁定で棄却。


 5月、旧国鉄労働者解雇問題で、自民、公明、保守、社民による四党合意案が出される。これは、「JRに法的責任がないことを全国大会で決定する」ことと引き替えに和解金などについて検討するというものであった。



 6.2日、森首相が衆院解散。「神の国解散」と云われる。




 6..2日、坂口弘死刑囚(53)が東京地裁に再審請求申し立て。1993年に死刑が確定。




 6.6日、梶山静六、閉塞性黄疸のため死去。74歳。4月に政界引退を表明。




 6.19日、竹下登元首相、呼吸不全のため死去。76歳。7月、橋本氏が竹下派の会長に就任。


【第42回衆院選】
 6月2日、森首相が衆院解散。「神の国解散」と云われる。小選挙区比例代表並立制となって2度目の総選挙。選挙戦は480議席をめぐって争われた。総定数は小選挙区が300、比例区が180で、前回に比べて比例区定数は20削減された。6.13日、総選挙公示。1404なの立候補 内202名が女性(過去最多)。与党3党が選挙後の連立継続を明示し、共通の公約を掲げて信を問う初めてのケースとなった。公明党が結党以来掲げてきた「反権力」、「反自民」の旗を降ろして、自民党と協力態勢を組んで臨んだ初めての選挙ともなった。

 6.25日、総選挙投票が行われ、結果は自民233、民主127、公明31、自由22、共産20、社民19、保守7、無所属の会5、自由連合1、無所属15。与党3党(自・公・保)は、合計で選挙前勢力の336議席から大きく後退したものの271議席を得て絶対安定多数確保した。衆院のすべての常任委員会で委員長を占め、かつ過半数も取ることができる絶対安定多数(269議席)を確保した。自民党は過去最大の議席減となり、公明、保守両党も大きく議席を減らしたが、「政権は信認された」として森首相の続投となった。共産党惨敗。民主・社民・自由は議席増。



 6.29日、雪印の低脂肪乳で食中毒発生。患者数一万人以上。




 6.30日、中尾栄一元建設相 逮捕。




 7.1日、宇都宮徳馬、肺炎のため死去。93歳。月刊軍縮問題資料を発行。




 7.1日、国労が臨時大会を開催するも、闘争団が猛反対し演壇占拠で大会を流会に追い込む。8月、続開大会、10月、定期大会が開かれる。




 7.4日、首相指名選挙。第2次森内閣発足。官房長官・中川秀直。第1次→小渕元首相の全閣僚を継承。第2次→「自前」内閣(能力よりも各派閥からの要望重視)。




 7.7日、沖縄米海兵隊員わいせつ事件。




 朝鮮戦争開戦50周年記念式典での金大統領の言葉
「分断の原因は、日帝(日本帝国主義)支配にあった。では、なぜ支配を受けたのか。根本的原因は、西欧化の流れがアジアに押し寄せてきた19世紀に、我々の先祖が近代化という使命にこたえられなかったからである」。金大統領は、国民に繰り返し、19世紀の失敗を説き、今日、歴史の流れに取り残される過ちを繰り返してはならないと警告してきた。




 7.13日、橋本龍太郎が平成研究会幹部会で会長に就任。旧小渕派から橋本派に衣替え。




 7月、中国の呉儀国務委員が訪日、森喜朗首相、豊田章一郎日中投資促進機構会長及び経済界の人々と会見。




 7月、沖縄サミット開催。日ロ首脳会談。大統領が年内の平和条約締結に否定的見解表明。




 7月下旬、久世公尭金融再生委員長 辞任。




 8月、唐家せん外交部長の招きで河野陽平外相が中国を訪問。江沢民主席、朱鎔基総理が外相一行と会見。




 8月 社民党を離脱していた久保亘が民主党の参院議員会長に就任。




 9月、江沢民主席、森喜朗首相とニューヨークで会見。




 朱鎔基総理、日本自民党の国会対策副委員長を務める逢沢一郎氏を代表とした、日本の衆議院若手議員訪問団一行と会見。中国政府の招きで、日本青年代表団(100人)が中国を友好訪問。朱鎔基総理、村山富市元首相と会談。




 9月、旧日本軍の遺棄化学兵器を黒龍江省北安市から日中共同で初めて本格回収。




 9.12日、内館牧子(52)が女性初の横綱審議委員に。「女性が土俵に上がることには反対」と妄言。




 9.24日、高橋尚子がシドニー五輪マラソンで金メダル。オリンピック新記録。日本女子陸上初の金。



 10月、「アーミテージ報告書」公表。




 10.5日、ユーゴスラビアのミロシェビッチ独裁政権倒れる。コシュトニツァが次期大統領に。




 10.5日、「JR九州4人組」(小椿・福岡地本委員長、谷川・鹿児島地本委員長、内川・熊本地本委員長、一万田・大分地本委員長)が、JR九州労働組合員652名の脱退、JR連合加盟のJR九州労へ加盟するという事件が発生した。但し、JR連合側が少数を除き加入を拒否した為、JR九州ユニオンを結成した。




 10.15日、田中康夫が長野県知事選で旧態然の官僚候補を破って初当選。




 10.24日、「第三国」発言。




 10.26日、参院非拘束名簿式導入し定数を10削減するの公選法改正法案決議される。




 10.27日、中川秀直官房長官 更迭・辞任。後任に福田康夫。




 10.31日、刑罰対象年齢を引き下げる少年法改正案決議される。




 10月、朱鎔基総理、訪日。




 11.2日、医療保険制度改革関連法案採決される。




 11.3日、小田裕司JR総連委員長が、坂入充・国労東京地本上野支部、革マル派古参党員が行方不明になったとして、革マル派を「坂入拉致・監禁」容疑で警察に告発した。併せて、小田氏に手紙を出した革マル派党員を脅迫容疑で告訴した。革マル派は、次の声明を出した。

 「わが党は、戦後労働運動において輝かしい歴史を築いてきたところの、動力車労組及び国労の労働運動、この伝統を引き継いできたJ不R総連労働運動が、警察権力との癒着を明らかにした右の三つの事件を結節点にして終焉したことを確認する。わが党は今やJR総連本部執行部並びに九州労残存北執行部を階級敵と断罪し、これを打倒することを宣言する」。



 11.7日、米国大統領選挙。政治制度・司法制度・選挙制度の不備と後進性を暴露して大混乱。




 11.19日、イチロー(鈴木一朗)がポスティングシステムでシアトル・マリナーズに移籍。3年契約15億円。




 11.  日第22回党大会。この大会で、「前衛政党」、「社会主義革命」を明記していた規約を全面改訂し、新規約から消した。有事の際の自衛隊活用を容認した。代議員一人が賛否を保留したが、大会議案が全会一致で可決されなかったのは42年ぶり。約では不破委員長が議長に、志位和夫書記局長(46)が委員長に、市田忠義書記局次長(57)が書記局長に。新執行部選出。井これまで188名いた名誉議長、名誉幹部会委員、顧問らを「名誉役員」に一本化した。「中央委員歴20年以上の経験者」に推薦対象を絞った。69名に大幅減員された。宮本名誉議長は他の名誉職と横並びの名誉役員になった。金子満広元書記局長、立木洋副委員長ら古参幹部引退。

 党員数38万人、機関紙「しんぶん赤旗」発行部数199万部。

 柔軟頑固路線。


22回大会決議と有事法制反対運動



2002/5/26 大塩平七郎、50代、労働者

日本共産党第22回大会決議ならびに賛成党員諸君の無責任を問う。

 現状況下、有事法制反対の運動において、日本共産党が果たしている役割の重要性は申すまでもありません。それを前提としつつも、同時に、この運動にとって、あの「自衛隊活用論」を打ち出した22回大会決議の歴史的な過誤・破綻を指摘しない訳にはいきません。日本国憲法の平和主義をめぐる近年の対抗関係を考察の基盤に据えたとき、自衛隊活用論は、軍事力の「有効性」を公認表明してしまったことによって、千丈の堤に蟻穴(ぎけつ)を穿(うが)つ結果となりました。
 軍事力の「有効性」をひとたび認めた日本共産党にとって、軍事力の「実効性」と「合理性」の完成を迫る氾濫の濁流を止めることは理論的に不可能です。
 なるほど、大会決議では、次のような留保がつけられてはいます。曰(いわ)く、「決議案で自衛隊の活用としているのは、自衛隊解消を追求する過程で、かりに「万が一」の事態がおこったら、その時点において存在し、使用しうる手段を、使用できる範囲で生かすというもの」であって、「有事立法をはじめ、自衛隊の役割と行動を拡大するためのいかなる新規立法にも、わが党が反対であることはいうまでもないことであります。」(『前衛』2001年2月臨時増刊91頁)
 しかし、そう大見得を切っていながら、新規立法への警戒と、機先を制する有効な運動や理論構築がこの決議から引き出せたかといえば、事態はまったく逆でした。
 「国民の安全に責任をおう政党ならば、あくまで理論的想定にたいする理論的回答であっても、国民の疑問に答える責任があります」と述べ、「「急迫不正の主権侵害」がおこったときに、国民に抵抗をよびかけながら、現に存在している自衛隊にだけは抵抗を禁止したとしたら、これはおよそ国民の理解はえられないことは明白ではないでしょうか」と語った決議は、「国民の理解」獲得に努力は尽くしたつもりでいたのでしょう(国民の「安全」に責任を負ってくださるのは結構なようですが、市民の自由への責任を忘れてもらわないようお願いしておきたいものです)。決議案討議において、党内の異論撲滅に力を注ぎながら、肝心の、新規立法への対抗についてはおろそかでなかったと胸を張れる党幹部がいれば、その実践の証を立てて欲しいものです。
 有事立法への「準備」については、敵さんの方が役者が一枚も二枚も上だったことは否定できない現実です。この点で、日の丸・君が代立法化で演じた日本共産党の「役割」の深刻な教訓が生かされていないことは明白でしょう。いやむしろ、あの時点で、総括もできない党であったことが、22回大会決議を産み、有事立法という奔流をほしいままにさせているのではないでしょうか。「国民の疑問に答える責任」を引き受けたつもりの幹部諸侯及び大会議案賛成党員諸君は、このような歴史的責任をどう引き受けるつもりでしょうか。政策秘書の給与問題で国会議員を辞めた人もいるご時世に鑑みれば、わが党の責めは「万死に値する」ものと見るのが公平ではないでしょうか。(注。現下の緊迫した状況で、味方の足を引っ張るとは何事かとお怒りの諸兄姉もいらっしゃるでしょう。がしかし、事態が厳しければ厳しいほど、責任の所在を曖昧にしておくことは、党自身の今後の為に成らないと私は考えます。)
 5月10日付け党員用討論欄掲載RK氏の投稿によれば、テレビ朝日系番組において,<万が一日本が武力攻撃を受ける事態になったときにどうするか>との質問に対して,筆坂氏は「国民はみんな協力する」と述べたとのこと。
 RK氏の批判にあるように、筆坂氏は「「攻められる可能性」という前提を受け入れて返答して」いるわけで、その応答には「22回党大会における自衛隊活用論が反映して」おり(もっとも、大会決議に忠実なら、<ソコにある>自衛隊の活用にまで言及するのが本来ですが−大塩注)、有事法制反対運動の「批判の論理が鈍ることは避けられません」とのご指摘も、まったくそのとおりです。また、RK氏が続いてご指摘のように、「攻められれば「国民はみんな協力する」と、いともナイーブに言うことは大変危険です。さまざまな対抗を宿している現実の社会が、いざ自衛のためとなったら突如、自然に団結するというのはまったく非科学的ですし、「では協力が順調に得られなかったらどうするのか」という問いを突きつけられたら、「有事法制が必要だ」と答えざるをえません。」との批判にも私も同意見です。「国民の理解」獲得を追求する党にとって、「国民の協力」とはそれほど平板なものでしかないことも、残念な限りです。
 異論・異端を排除し続けた結果、議論能力・ディベートの鍛錬を欠いてきた(民主集中性という宗派的審問、論敵の人格否定などは得意なのですが)党にあっては、一般党員は勿論、党幹部でさえ、論争の切れや胆力は衰退していることの証明でもあります。余談ながら、筆坂氏の言葉遣いや声の抑揚が鸚鵡(オウム)のように不破氏とそっくりなのは不気味です。
 番組では、もとより、時間の余裕はなかったでしょうから割り引くとしても、果たして、軍事有効論を取り込み済みの党員筆坂氏にとって、<国民みんなの協力>についてどれだけ詳細な展開が可能だったかも心許ないこと限りありません。
 非暴力的連帯・協力(「テロも戦争も反対」と日本共産党も称する以上、いかなる意味でも軍事力の有効性を承認すべきではないでしょう)を現実のものとして形成するのは、学級会のような平板で無邪気な議論ではなく、十全な論理と具体的な行動・組織力であり、その基礎として、日本国憲法の平和主義の根底的な把握が必要と私は考えるものです(本欄への小生の過去の投稿を参照いただければ、そのいくばくかは見て頂けるかと思います)。
 ともあれ、批判の一方で、「枯れ木も山の賑わい」ですから(小生も歳をとると嫌みが多くなってしまいます。妄言多謝)、党が有事立法反対に与する以上は、共同してやっていきたいものです。

2000年の第22回大会において、不破・志位・市田らは規約の全面改訂を行い、除名、除籍問題について次のように確定させた。「第四条、党の綱領と規約を認める人は党員となることができる」、概要「第十一条、党組織は、第四条に定める党員の資格を明白に失った党員は、慎重に調査、審査のうえ、除籍することができる。除籍にあたっては、本人と協議する。党組織の努力にもかかわらず協議が不可能な場合は、おこなわなくてもよい。除籍は、一級上の指導機関の承認をうける」とした。

 ところが、除籍措置は規約上の処分でないので、所属支部の審議は要らない。不破・志位・市田らが、党中央批判・異論党員や専従を党外排除したくなれば、党中央規律委員会に命令する。党中央の下部・任命機関である規律委員会は、支部・中間機関を飛び越えて、全党のどこに所属している党員でも直接に、即座に除籍できる。支部へは、除籍の事後連絡ですむ。不破らにとって、これほど手が掛からない簡便で、実質的な除名システムはない。面倒な手続を必要とし、かつ、強烈な反発を引き起こす除名処分をできるだけ減らし、簡易除名=除籍措置を活用・流行させた功労者は、やはり宮本顕治と不破哲三であろう。

 1994年以降、恣意的な除籍決定と通告という第2除名システム=簡易除名が、批判・異論党員を党外排除するための主な手法となった。



 11月朱鎔基総理、日本を訪問。




 11.8日、日本赤軍幹部の重信房子が大阪府高槻市内で逮捕。1ヶ月後、「希望21」を日本赤軍の大衆組織として関係者全国20か所家宅捜索。


 11.9日、

 午後6時から、「山里会」が始まった。読売新聞社社長の渡邊恒雄と政治評論家らが毎月1回、ホテルオ―クラ本館5階にある日本料理店「山里」にゲストを呼んで会食するところから「山里会」と呼ばれている。YKKの仲間である加藤紘一は、年末の人事について話が及ぶと、酔いも手伝って高ぶった口調で言いきった。「森さんの手で、内閣改造はやらせない」 一瞬、座は凍りついたという。森喜朗は、平成12年4月1日に小渕首相が倒れると、密室で後継総裁に選ばれていた。加藤は続けた。「来年7月の参議院選は、森さんだけでは戦えない。森さんの手でやれば、惨敗だろう」 遂には踏み込んだ発言をした。「野党の不信任案に対する態度は、まだ決まっていない」 




 11.上旬〜中旬、内閣不信任決議案の採決に加藤紘一が同調。しかし、加藤派出身の閣僚は同調せず。



 11.21日、森内閣不信任決議案否決される。加藤派は欠席(加藤派の閣僚に辞めさせられた)。総裁選挙。「自民党の派閥体質を打破する」、「自民党を変えて日本を変える」、「構造改革無くして景気回復無し」と連呼する小泉候補に人気が集まる。 




 11.21日、ペルーのフジモリ大統領(62)が国会から罷免される。後任にパニアグア国会議長。フジモリは曾野綾子宅に逃げ込む。




 11.24日、日本共産党大会で志位和夫(46)が委員長に昇格。不破哲三(70)は議長に。




 11.26日、米国大統領選。当落のカギを握るフロリダ州でハリス州務長官(共和党)がブッシュ勝利を宣言。537表差。ゴアは不服として提訴。




 12.1日、内閣改造を前に新党三役決定。野中幹事長辞任 後任は古賀誠国会対策委員長。亀井静香政調会長留任。村岡兼造元官房長官が総務会長に就任。




 12.5日、1月からの中央省庁再編に備えた内閣改造。公明・保守との連立による第2次森改造内閣発足。宮沢喜一、橋本龍太郎(行革担当兼沖縄・北方担当相)の首相経験者が2人も入って「重量級内閣」をアピール。


 12.8−9日、JR東労組会長の松崎明が、JR東労組の全支部委員長会議で講演し、これまではカクマルであったことを自認しつつ、今は完全に「手を切った」、自分は「カクマル組織の裏切り者である」、今や「カクマルであったことを恥じている」と述べ、公然とカクマルからの最後的な対立と離反を宣言した。
 ●JR東労組会長・松崎明の講演要旨(2000年12月8〜9日、JR東労組全支部委員長会議)(「黒田・カクマルから手を切り「会社を守る」と誓う松崎明」)

 先の臨時国会(11月)の参議院(交通情報通信委員会)において、質問に立った議員が、「JR東労組を牛耳っているのは、カクマル派の会長をはじめとする一部組合の幹部である」「会社は、私たちに一言も言えない異常な会社である」などと発言している。また、われわれの闘いに真っ向から反対し、会社の社宅に『進撃』という機関紙を配っている「カクマル派」は、私のことを「ブルジョアに完全に染まった組織の裏切り者」と言っている。そこで、皆さんにはハッキリと話しておきますが、「私は、かつてカクマルの活動をやっていたことがありますが、今は、完全に手を切っている」「今の日本にあって、革命など起こせるわけがない」。

 彼らカクマル派は、いまだに革命を夢見ている組織であります。そんな組織に一時期であってもかかわりを持ったことを恥と思っています。彼らは、一度でも組織に入った者は逃がさないという連中ですから、私が手を切ったことを認めたくないのでしょう。それより、私を組織に止めておけば、資金の提供も十分にしてもらえると思い、われわれに対抗するような新聞などを投げ込んで、私を苦しめて楽しんでいるんだと思う。しかし、私は彼らの考えているようなことは絶対にしないつもりです。

 私は、皆さんが仕事をしている「会社と家族」を守っていくために、会社側と「どう闘っていったらよいか」を毎日考えている。そんな私が、彼らカクマル派と手を切るのは当たり前である。万が一にも、私が彼らの軍門に下るようなことがあれば、私は皆さんの前から消えます。そうでなければ、皆さんの家族の幸せなど守れない。

 カクマル派は、私のことをうらやましく思っている。それは、一時的にせよ「行動を共にした仲間」が、一流企業の組合の会長として生きている現実に対してであり、当然のことながら、私が彼らと手を切っていなければ、会社や組合は私をこの場に置いておかないと思う。皆さんには、カクマルからの嫌がらせが数多くあると思うが、自分がカクマルから会社と家族を守っていくんだという気構えで行動して欲しい。そうすれば、彼らだって自分たちの考えを否定する組合が存在することを知ると思うし、二度と皆さんに手を出してこないと思う。彼らカクマルは、脅かしに負けるような弱い組織に潜り込むのが大変うまい組織である。それに対して、皆さんが一丸となって闘っている姿を見せてもらって本当にうれしく思っている。

 これからも、カクマルの攻撃から会社を守っていこうではありませんか。JR東日本は、日本中の鉄道の中枢を担っている会社である。それを、カクマルにいいようにされないためにも頑張る必要がある。皆さんには、会社の内部はもとより外部からも、いろいろと攻撃があると思うが、それだって、もう少しの辛抱だと思う。弱小組合が民主化を叫んだところで、何ら状況が変わることはない。わが社の社員でない者が、私のことを「組合を牛耳っている」から民主化するんだ、ということのようですが、私が独裁者に見えますか。そう見えるならハッキリ言って下さい。私だって血の通った人間ですから皆さんの意見に従う心構えはできています。本当ですよ。皆さんが黙っていたら私だってこれで良いと思いますから。

 ●JR東労組・角岸幸三委員長のあいさつ要旨(同)
 カクマル派は坂入さんを拉致・監禁するなど、組織破壊攻撃を強めている。これを放置するわけにはいかない。東労組は労働組合主義に基づき、組合員と家族の利益を守る。いかなる党派からの介入も許してはならない。社会に対してカクマル派の悪質さを明らかにしていこう。

 黒田カクマル対松崎(JR総連組合権力集団)の分裂・抗争に突入したことになる。



 12.13日、大統領選でゴア候補が敗北宣言。537票差でブッシュ候補の当選が確定。米国の政治制度と選挙制度と司法制度の不備と後進性を暴露したドタバタ喜劇が幕を閉じる。




 12.15日、1986年に大惨事を引き起こしたチェルノブイリ原発が永久閉鎖。




 12月、教育改革国民会議が最終報告で、教育基本法の見直しを提言する。













(私論.私見)