第59部 1997(平成8)年当時の主なできごと.事件年表



 (最新見直し2008.8.24日)

 (れんだいこのショートメッセージ)

 2002.10.20日 れんだいこ拝


(1) ペルー日本大使公邸人質事件が武力解決
(2) 香港、1世紀半ぶり中国へ返還
(3) ダイアナ元英皇太子妃が交通事故死
(4) アジア通貨危機で世界同時株安
(5) 中国最高実力者のトウ小平氏死去
(6) 今世紀最大のエルニーニョ発生、各地で異常気象
(7) 北朝鮮の金正日氏が労働党総書記に、権力継承
(8) 温暖化防止京都会議で先進国5・2%の削減目標
(9) エジプトのテロ事件で邦人10人ら観光客死亡
(10) 対人地雷禁止条約に調印、NGOにノーベル賞

 1.25日、個人破産が5万件を越し(96年)、大蔵省は消費者金融に多重債務防止対策を指示。

 1.29日、友部達夫参院議員(元新進党)、オレンジ共済組合による詐欺事件で逮捕される。

 1.31日。オウム真理教への破壊活動防止法適用申請を公安審査委員会が棄却。

 2.12日、北朝鮮の黄長□(ファン・ジャンヨプ)労働党書記が北京の韓国大使館に亡命申請。
 2.15日、岡本公三ら、赤軍幹部を含む8人がレバノンで拘束される。
 2.19日、埴谷雄高(本名・般若豊)、脳梗塞により死去。87歳。
 2.19日、とう小平、パーキンソン病、肺炎、呼吸循環機能不全により死去。92歳。
 2.23日、英国の研究所で、成獣からの初のクローン羊を作ることに成功したことが判明。
 3.11日、茨城県東海村の動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の再処理工場で爆発事故。

 2月〜5月、神戸市で小学生連続殺傷事件発生。
 3月、リクルート事件藤波被告の控訴審で逆転有罪判決、被告側上告。
 4.1日、消費税5%へ。
 4月、日米防衛指針(ガイドライン)見直しで合意。
 4.11日、動燃が火災爆発事故での消火確認の偽証言者を用意してたことが発覚。
 4.14日、動燃の新型転換炉「ふげん」事故でトリチウム漏出。事故発表がまたまた遅れる。
 4.17日、沖縄の駐留軍用地特別措置法改正案で、自民党と小沢率いる新進党の連携が成立。改正駐留軍用地特別措置法が成立。施行は23日。

 4.18日、動力炉・核燃料開発事業団(動燃)の解体の方針を政府が固める。
 4.22日、MRTA占拠の大使公邸にペルー軍が強行突入。14人全員射殺。127日目の解決。
 4.23日、茨城県警が動燃を強制捜査。原子力関連の強制捜査は初。
 5.1日、英国下院選挙で、トニー・ブレア率いる労働党が419議席確保で歴史的勝利。
 5.23日、超党派の憲法調査委員会設置推進議員連盟(憲法議運)発足。
 5.27日、酒鬼薔薇聖斗事件。

 革マル派が、事件直後から「日本政府が危機管理体制を構築させる為、謀略グループが社会を恐慌状態に陥れるため起こした」と主張し、少年Aの逮捕後も「事件は国家権力の謀略的犯罪で、少年Aの調書は捏造された」、「国家権力やCIAによる謀略だ」等々「権力謀略論」を展開した。
 6.1日、フランス国民議会で左翼陣営が318議席を獲得し、逆転過半数確保。

 6.18日、細川護煕、新進党を離党。

 6.20日、ポル・ポト派のラジオ放送がポル・ポト元首相の身柄拘束を伝える。

 7.1日、香港の領有権が英国から中国に返還される。

 7.5日、カンボジアでフン・セン第二首相の軍がラナリット第一首相の軍を攻撃し制圧。

 7月、橋本首相が「信頼、相互利益、長期的視点」の対ロシア政策3原則を表明。
 7月、タイで、バーツ暴落。東南アジア金融危機に陥る。

 7.10日、神奈川県警の現職警察官による日本共産党緒方靖夫国際部長(現参院議員)宅の電話盗聴裁判で10日、警察庁と神奈川県は上告を断念しました。これにより、神奈川県警の組織的盗聴が認定された東京高裁判決が確定する。同裁判は、緒方氏と家族2人が「プライバシーや通信の秘密を侵害された」として国、神奈川県などに損害賠償を求めていたもので、先月26日の東京高裁の二審では、1審判決を認め、国と県に1審の倍額、約4百万円の損害賠償を命じている。原告側は上告しない方針で、事件は発生から11年余りをへて、警察による組織的違法行為を認定する形で終結をむかえた。

 日本共産党の金子満広副委員長は同日、上告断念について「長期にわたるたたかいの勝利であり、画期的な成果である」としたうえで、橋本内閣と警察当局にたいし「ふたたびこのような違法行為をおこさないことを確約し、秘密警察の廃止をふくめて、その組織的な保障措置をとることをつよくもとめる」との談話(全文2面)を発表した。


 1997.7.22日、国旗・国歌法案。
民主党議員の賛否(敬称略)
賛成 45人 安住淳、伊藤英成、石井一、上田清司、岡田克也、奥田建、鹿野道彦、鍵田節哉、川内博史、川端達夫、神田厚、北橋健治、熊谷弘、玄葉光一郎、木幡弘道、古賀一成、今田保典、佐藤敬夫、島聡、島津尚純、城島正光、仙谷由人、田中慶秋、田中甲、高木義明、玉置一弥、樽床伸二、中川正春、中野寛成、中山義活、永井英慈、羽田孜、畑英次郎、鳩山由紀夫、平野博文、藤田幸久、藤村修、古川元久、堀込征雄、前田武志、松崎公昭、松沢成文、吉田治、吉田公一、渡辺周
反対 46人 赤松広隆、伊藤忠治、家西悟、池田元久、池端清一、石毛^子、石橋大吉、岩國哲人、岩田順介、上原康助、生万幸夫、枝野幸男、小沢鋭仁、大畠章宏、海江田万里、金田誠一、河村たかし、菅直人、北村哲男、桑原豊、小平忠正、小林守、五島正規、近藤昭一、佐々木秀典、佐藤謙一郎、坂上富男、末松義規、辻一彦、土肥隆一、中桐伸五、中沢健次、葉山峻、鉢呂吉雄、原口一博、日野市朗、肥田美代子、福岡宗也、細川律夫、前原誠司、松本惟子、松本龍、山元勉、山本譲司、山本孝史、横路孝弘
欠席 1人 石井紘基

 8.1日、永山則夫(48)の死刑執行。東京拘置所にて。

 8.4日、人事院は、国家公務員局長以上の関連業界天下りを2年禁止との報告を提出。

 8.25日、「改革会議」発足。民主・新進・太陽などから87人結集。


 8.26日、東海村の動燃事業所の放射性廃棄物が浸水で容器腐食が発覚。内容物質は不明。


 8.31日、ダイアナ元皇太子妃(36)、パパラッチに追われ、パリで事故死。

 8月、第3次家永訴訟て最高裁判決。教科書検定制度は違憲との訴えを退けつつ、検定意見の一部は「裁量権の逸脱」との判断を示す。
 8月、 日本の梶山静六内閣官房長官が「日米防衛協力ガイドライン」改定後は中国の台湾海峡地区も日米の防衛協力の範囲に入ると言明。中国の内政に干渉するこの誤った発言に中国とアジア諸国の世論が厳しく非難。
 9月、 橋本龍太郎首相が訪中、瀋陽の「9・18」記念館を見学。
 9.5日、自民党は衆院で党籍離脱の議長を含め、251議席の過半数を回復。
 9.8日、橋本首相が、自民党総裁に無投票当選。
 9.11日、第二次橋本内閣第二次改造。官房長官・村岡兼造。幹事長・加藤紘一、総務会長・森喜朗、政調会長・山崎拓の布陣。
総理 (橋本龍太郎)                
法務 下稲葉耕吉 71 無派閥 参2   横内正明 55 旧小渕 衆2
外務 小渕恵三 60 旧小渕 衆12   (高村正彦)      
大蔵 (三塚博)         中村正三郎 63 旧三塚 衆7
98.1.30 松永光 69 旧渡辺 衆10   塩崎恭久 46 旧宮沢 参1
衆1
文部 町村信孝 52 旧三塚 衆5   森田健作 47 無派閥 参1
厚生 (小泉純一郎)         原田義昭 52 旧渡辺 衆2
農水 越智伊平 76 旧渡辺 衆10   島村宜伸 63 旧渡辺 衆7
97.9.26 島村宜伸 63 旧渡辺 衆7 97.9.26 岸本光造 56 旧渡辺 衆2
            矢野哲朗 50 旧渡辺 参1
通産 堀内光雄 67 旧宮沢 衆7   遠藤武彦 58 旧渡辺 衆3
            溝手顕正 55 旧宮沢 参2
運輸 藤井孝男 54 旧小渕 衆2
参3
  江口一雄 59 旧三塚 衆3
郵政 自見庄三郎 51 旧渡辺 衆5   中谷元 39 旧宮沢 衆3
労働 伊吹文明 59 旧渡辺 衆5   柳本卓治 52 旧渡辺 衆2
建設 瓦力 60 旧宮沢 衆9   蓮実進 64 旧三塚 衆2
自治 上杉光弘 55 旧小渕 参2   佐藤静雄 65 旧宮沢 参1
官房 村岡兼造 66 旧小渕 衆8   額賀福志郎 53 旧小渕 衆5
総務 佐藤孝行 69 旧渡辺 衆11   熊代昭彦 57 旧小渕 衆2
97.9.22 小里貞利 67 旧宮沢 衆7          
北開 鈴木宗男 49 旧小渕 衆5   吉川貴盛 46 旧小渕 衆1
防衛 (久間章生)         栗原裕康 48 旧宮沢 衆2
経企 尾身幸次 64 旧三塚 衆6   栗本慎一郎 55 旧三塚 衆2
科技 谷垣禎一 52 旧宮沢 衆6   加藤紀文 48 無派閥 参1
環境 大木浩 70 旧小渕 参3   山本公一 50 旧宮沢 衆2
沖開 (北開兼務)         嘉数知賢 56 旧三塚 衆1
国土 亀井久興 57 旧宮沢 衆2
参2
  坪井一宇 58 旧三塚 参2

(注)佐藤総務庁長官は,ロッキード事件で有罪が確定しているにも関わらず入閣したとの批判を受け,97年9月22日辞任.越智農水大臣は,健康不良のため,97年9月26日辞任.後任に島村農水政務次官が就任したため,同日岸本が農水政務次官に補任.三塚大蔵大臣は,一連の大蔵官僚接待汚職事件の責任をとって98年1月30日辞任.
 9.11日、ロッキード事件で有罪確定の佐藤孝行が総務庁長官に就任。22日に辞任。
 9.11日、不破委員長が「象徴天皇制」の容認の考えを発表した。「今の憲法を守る限り、天皇の存在と役割を否定はしない」と説明した。問題は、共産党のこれまでの天皇制論との整合性にあるが、これの理論的究明は明らかにされていないままの理論修正、なし崩し的容認論へ向かったことであろう。「共産党が『天皇制の専制支配』と戦った事を強調しているし、現行憲法も『天皇条項等の反動的なものを残している』と規定しているから、不破発言が一時的な方便である事は明白である」との評が為されているが、これはピンボケ。

 9.18日、オスロの政府間会合で対人地雷全面禁止条約を採択。約百か国が署名の見込み。
 9.23日、ワシントンで、日米両政府が新たな日米防衛協力の指針(新ガイドライン)を決定した。調印はせず、米側国務長官、国防長官、日本側外務大臣、防衛庁長官の4者で握手し記者会見して終わった。これにより、日本武力が日本周辺を守るという名目のもとにインド洋でもどこにでも、集団自衛権を行使して、アメリカと一心同体の軍事戦略を展開することが可能となった。第3次安保改定というべき改訂が行われたことになる。
 宮顕議長は、1994年第20回大会後は高齢と病気のため中央諸会議に次第に出席できなくなった。既に88歳であった。これを踏まえて、第21回大会事前工作として“強引に”引退を迫った。宮顕は抵抗したが最終的に引退を決断させた。筆坂秀世著「日本共産党」は次のように証言している。
 「宮本氏は、第二一回大会には体調を崩して出席できないという状態だったにもかかわらず、まだ引退するつもりなどなかった。不破氏が数日間の大会期間中、その日の日程が終わると東京都多摩市の宮本邸まで行って、『引退してほしい』と説得し続けたのである。私の記憶に間違いがなければ、たしか長い間宮本氏の秘書をしていた小林栄三常任幹部会委員(当時)も同行したように聞いている。不破氏から直接聞いた話だが、この説得に対し、宮本氏は『君、僕は何か間違いを犯したのか』と聞いたそうである。不破氏らは『そうではない』として、年齢などをあげ説得したそうである。そして、ついに宮本氏が渋々この説得に応じたというのが引退の真相だ。その後、常任幹部会で、不破氏が『宮本さんには知的後退が見られる』と語っていたことが印象に残っている。

 世界の多くの共産党を眺めてみると、党の指導者が辞める時は、死亡するか、もしくは失脚する例が多かった。高齢になったため第一線から引退するという例は少ない。それゆえ、宮本氏も思わず『失脚』という言葉が頭に浮かんだのであろう。

 宮本氏引退に関連し、この大会では異例なことがおこっている。通常、綱領改定案や規約改定案は、『党内民主主義を大事にする』という建前から、党大会のかなり前に全党員に周知され議論がおこなわれることになっている。ところが、この大会では、大会の真っ最中にいきなり規約改定案が提出されたのである。改定案の中身は簡単なものだった。規約第三十一条で『中央委員会は、中央委員会議長一名(中略)を選出する』となっていたのを、『選出できる』に変えるだけだった。つまり中央委員会議長を『置かなければならない』から、『置くことができる』に変えたわけである。結局、この大会で宮本氏は中央委員には選出されず、引退することになった。そして第一回中央委員会総会では、議長は選出せず空席となった」。

 これにより「宮本秘書団」を中核とした側近グループ=宮本私的分派の解体、排除に向かった。第20回大会時点での、宮本側近グループの中核は、常任幹部会委員、幹部会委員、中央委員を合わせて、十数人にのぼっていた。小島優(宮顕秘書出身の常任幹部会委員)、宮本忠人(常任幹部会委員)を「名誉幹部会委員」にして引退させた。宇野三郎(宮本国会秘書出身の常任幹部会委員)、佐々木陸海(宮本秘書出身・元宮本議長室室長の常任幹部会委員)、白石芳朗(宮本秘書出身の常任幹部会委員)を「幹部会委員」に格下げした。佐々木陸海は衆議院議員になっていたが、2000年総選挙で前回行なわれた比例区名簿から外し、当選見込みのない小選挙区の候補者だけにし落選を余儀なくされる。有働正治(宮本秘書出身・元宮本議長室室長の幹部会委員)は「中央委員」に格下げした。参議院議員になっていたが1998年の参院選候補者から降ろし参議院議員団から排除した。それ以外も合わせて側近グループ中核メンバーのうち全部で7人の排除に成功した。

 小林栄三常任幹部会員は、宮顕秘書出身にして党中央統制部門担当だった。多くの人々の査問をし中央役員・県役員・専従・赤旗記者の解任にかかわってきた。『代々木のベリヤ』というあだ名が付いていた。第21回大会時点は、宮本引退と側近グループ7人排除において不破派の側に立って貴重な働きをした。しかし、『ベリヤ』的経歴への党本部内反発も強く第22回大会で引退させた。 

 1999年10月、常任幹部会委員河邑重光を編集委員会責任者(赤旗編集局長)から解任した。第22回大会では幹部会委員に格下げした。河邑記者は、上記の東大大学院支部『宮本解任決議案』問題で、“宮顕擁護”のために大奮闘した。その“東大全学60%”による宮顕逆路線批判組織的決起という路線選択問題の性格を、「ビラまき男」一人の問題にすりかえることに大貢献し評価されていた。志位も、同じ問題での粛清において、辣腕をふるって大抜擢されていたが引き続き重用された。

 宮本私的分派・側近グループ解体措置
名前 出身 14回大会党内地位、1977 20回大会党内地位、1994 人事措置(21)=21回大会、(22)=22回大会
諏訪茂 宮本秘書 常任幹部会員
宮本忠人 常任幹部会員 常任幹部会員 引退(21)
小林栄三 宮本秘書 常任幹部会員(2段階特進) 常任幹部会員 引退(22)
小島優 宮本秘書 幹部会委員 常任幹部会員 引退(21)
白石芳郎 宮本秘書 幹部会委員 常任幹部会員 格下げ(21)、引退(22)
宇野三郎 宮本国会秘書 中央委員 常任幹部会員 格下げ(21)、引退(22)
金子逸 宮本秘書 常任幹部会員 格下げ(22)
佐々木陸海 宮本秘書、宮本議長室室長 常任幹部会員 格下げ(21)、衆議院議員排除(2000年)
上田均 宮本秘書 幹部会委員 常任幹部会員 留任(22) 財務・業務局長
有馬治雄 宮本秘書、宮本議長室室長 常任幹部会員 引退(22)
有働正治 宮本秘書 幹部会委員 格下げ(21)、引退(22)、参議院議員排除
吉岡吉典 宮本秘書 准中央委員 幹部会委員 留任(22) 担当部署公表なし(?)

 『宮廷革命』第21、22回大会 1997年、2000年

党大会の機構と人事 1997年9月22日 日本共産党第21回党大会は第1日目の冒頭、次のとおり、大会幹部団を選出し、機構と人事を決定しました。


大会幹部団

 宮本顕治、不破哲三、志位和夫、立木洋、上田耕一郎、金子満広、荒堀広、有馬治雄、市川正一、市田忠義、上田均、宇野三郎、金子逸、河邑重光、小島優、小林栄三、佐々木陸海、白石芳朗、寺前巌、新原昭治、浜野忠夫、宮本忠人、石灰睦夫、岩井鐵也、碓井澄枝、浦田宣昭、大内田和子、尾崎義美、小泉初恵、五島寿夫、佐藤政美、菅生厚、中島武敏、中村宣夫、林通文、広井暢子、筆坂秀世、古堅実吉、外尾静子、堀井孝生、増子典男、松本善明、吉村吉夫、四ツ谷光子、若林義春、今井誠、大和田基夫、谷ケ崎温、赤嶺政賢、江草昭治、岡村宏輔

大会事務局

 金子逸、浜野忠夫、有馬治雄、河邑重光、上田均、石灰睦夫、岩井鐵也、広井暢子、筆坂秀世、若林義春、林通文

資格審査委員会

 立木洋、池田博、富士克郎、最上健造、瀬川貞清、中島康博、今泉義憲、最上清治、房宗治、冨田育男、香山絹子、斉藤昭平、大川正治、井上国男、熊沢高、千葉信男、福元博一、小日向昭一、尾西洋子、田中高良、川畑哲夫、浅賀道夫、岩中正巳、小栗恒明、戸上健、稲光宏子、海道邦隆、水谷定男、藤崎良一、沢田博、大野義弘、氏平長親、増谷安則、加藤碩、保田睦美、中林隆、松原昭夫、小倉誠一郎、山本茂喜、谷川嗣宣、石井和美、山田和明、吉田直弘、小田憲郎、藤沢架住、佐藤誠、川浪隆幸、沖本八重美

役員選考委員会

 不破哲三、志位和夫、立木洋、上田耕一郎、金子満広、荒堀広、有馬治雄、市田忠義、上田均、金子逸、小林栄三、白石芳朗、寺前巌、浜野忠夫、浦田宣昭、尾崎義美、五島寿夫、佐藤政美、広井暢子、増子典男、吉村吉夫、今井誠、大和田基夫、江草昭治、岡村宏輔

役員選挙管理委員会

 金子満広、小笠原功、宮脇善雄、田辺進、田代幸男、戸崎弘、山岸昭子、関孝、浦卓夫、川俣幸雄、相羽健次、三輪憲司、三原哲、西田和憲、林洋武、田村守男、岡野隆、久保山啓介


日本共産党中央委員会の人事
1997年9月26日
 第21回党大会および第1回中央委員会総会で決定


大会で選出された新中央委員会

 第21回党大会で選出された中央委員、准中央委員はつぎのとおりです。(五十音順、○印は新)

中央委員(158名)

相沢 寛(60)  相羽 健次(61) 〇青池 昌道(53)  青木 正彦(66) 〇赤嶺 政賢(49)  秋藤 陽子(53)  足立 正恒(59) 〇阿部 幸代(49) 阿部裕美子(51)  荒堀  広(71) 〇有坂 哲夫(56)  有馬 治雄(64) 有村 寛治(63)  池上 芳彦(65)  石井 郁子(56)  石井妃都美(46) 石坂 千穂(49)  石灰 睦夫(63)  市田 忠義(54) 〇稲富 正浩(60)〇犬飼  憲(59)  今井  誠(53) 〇今江伊三雄(57)  今中せつ子(56) 岩井 鐵也(51)  岩佐 恵美(58)  植木 俊雄(51)  上田耕一郎(70) 上田 均(63)  碓井 澄枝(63)  有働 正治(52)  宇野 三郎(66) 浦田 宣昭(55)  江草 昭治(57)  遠藤いく子(48)  大内田和子(54) 大久保健三(50)  太田 善作(49)  大塚 一敏(62)  大幡 基夫(45) 大原 進(60)  大和田基夫(56)  岡 宏輔(50)  小笠原 功(53) 緒方 靖夫(49)  奥原 紀晴(52)  尾崎 義美(59)  貝瀬 正(46) 海道 邦隆(55) 〇笠井 亮(44)〇可知 正(49) 〇金井 武雄(53) 金子 逸(51)  金子 満広(72) 〇紙 智子(42) 〇上岡 辰夫(49) 河邑 重光(58) 〇木島日出夫(51) 〇木村 陽治(61)  黒木 清(58) 小池 潔(55)  小泉 初恵(55) 〇穀田 恵二(50)  児玉 健次(64) 五島 寿夫(66)  小林 栄三(69)  佐々木憲昭(51)  佐々木陸海(53)〇佐藤 誠(58)  佐藤 政美(62) 〇佐藤 正美(56)  佐藤 三男(54) 佐藤 庸子(56)  志位 和夫(43)  柴田 絢子(57) 〇島津 吉郎(54)〇庄子正二郎(42)  白石 芳朗(68)  菅野 悦子(54) 〇鈴木 明(50) 須藤美也子(62)  関口 孝夫(58)  関戸 秀子(51)  瀬古由起子(50)〇高原美佐子(54) 〇田代 忠利(44)  立木 洋(66) 〇棚橋 裕一(50)〇田邊 進(48) 〇田辺 実(59)  谷ケ崎 温(58)  田村 守男(48)〇反保 直樹(47) 〇筒井 基二(67)  寺前 巌(72)  鳥羽 和子(64)〇土肥 靖治(45)  戸松 政治(67) 〇友寄 英隆(55) 〇中井作太郎(48) 長尾 T(58)  中島 武敏(69)  中原 猛(49)  長久 理嗣(50) 中村 宣夫(65)  菜嶋 八郎(68)  行方 克也(56) 〇成中 春樹(47) 新原 昭治(66)  西浦 宏親(66)  西川 恭次(56) 〇西口  光(49)〇西田ミヨ子(56)  西山登紀子(53)  橋本  敦(69)  長谷川八坂(57)○畑野 君枝(40)  花房  紘(58)  浜野 忠夫(65)  林  紀子(57)○林  洋武(61)  林 通文(56)  東中 光雄(73)  日隈 威徳(61)○平兼 悦子(49) ○平林 正勝(50)  広井 暢子(50)  広瀬 武吉(59) 深町 孝郎(55)  福重泰次郎(50)  福島 敏夫(51)  藤田 スミ(64) 筆坂 秀世(49)  古堅 実吉(68)  不破 哲三(67)  紅谷 有二(54) 堀井 孝生(59) ○前田 英子(60)  増子 典男(56)  松田 昌征(59) 松本 善明(71)  宮脇 善雄(57) ○三輪 憲司(55)  柳浦 敏彦(52)○矢島 恒夫(65)  安広 和雄(58)  柳沢 明夫(60)  山口 富男(43)○山下 芳生(37) ○山田 節夫(49) R原健二郎(77)  吉井 英勝(54) 吉岡 吉典(69)  吉川 春子(56)  吉村 吉夫(53)  若林 義春(47)○若宮 修(65) ○和田 一男(43)

准中央委員

〇阿部 浩三(60) 〇池田 幹幸(55) 〇和泉 重行(50)〇稲垣 豊彦(49) 〇井上 龍男(57) 〇岩中 正巳(44) 〇浮揚 幸裕(48)〇氏平 長親(50) 〇大川 正治(54) 〇岡村 宏輔(58) 〇小日向昭一(49)〇小村 勝洋(42) 〇竹内 良平(50) 〇千葉 信男(48) 〇塚原 勝(57)〇土井 洋彦(34) 〇徳留 道信(45) 〇中林 隆(53) 〇西村 明宏(53)〇富士 克郎(55) 〇外間 久子(59) 〇松下 功(55) 〇水谷 定男(50)〇水戸 正男(55) 〇最上 健造(51) 〇最上 清治(47) 〇山岸 昭子(54)〇山口 勝利(52) 〇山本 茂喜(57)

幹部会委員

 第1回中央委員会総会で選出された幹部会委員はつぎのとおりです。(○印は新)

 幹部会委員(57名)

○赤嶺政賢、荒堀広、有馬治雄、○石井郁子、石灰睦夫、市田忠義、○今井誠、岩井鐵也、上田耕一郎、上田均、碓井澄枝、宇野三郎、浦田宣昭、大内田和子、大塚一敏、○大幡基夫、○大和田基夫、緒方靖夫、尾崎義美、金子逸、金子満広、河邑重光、小泉初恵、○穀田恵二、五島寿夫、小林栄三、佐々木憲昭、佐々木陸海、佐藤政美、○佐藤三男、志位和夫、○庄子正二郎、白石芳朗、立木洋、○棚橋裕一、○谷ケ崎温、寺前巌、○中井作太郎、中島武敏、中村宣夫、新原昭治、西浦宏親、橋本敦、浜野忠夫、林通文、広井暢子、筆坂秀世、古堅実吉、不破哲三、堀井孝生、増子典男、松本善明、○山口富男、山原健二郎、吉岡吉典、吉村吉夫、若林義春

常任幹部会委員

 幹部会が選出した常任幹部会委員はつぎのとおりです。(○印は新)

 常任幹部会委員(19名)

荒堀広、有馬治雄、市田忠義、○岩井鐵也、上田耕一郎、上田均、金子逸、金子満広、河邑重光、小林栄三、志位和夫、立木洋、寺前巌、新原昭治、浜野忠夫、○林通文、○広井暢子、○筆坂秀世、不破哲三

書記局員、中央機関紙編集委員

 幹部会が任命した書記局員、中央機関紙編集委員はつぎのとおりです。書記局員(14名)(○印は新)。書記局長・志位和夫、書記局次長・浜野忠夫、同・○市田忠義、同・金子逸。書記局員。有馬治雄、岩井鐵也、河邑重光、筆坂秀世、石灰 睦夫、○穀田恵二、○庄子正二郎、○中村宣夫、○山口富男、○西口光。
中央機関紙編集委員会(18名)

責任者・河邑重光。委員・大内田和子、庄子正二郎、奥 原紀晴、柴田絢子、関口孝夫、井上忠清、遠藤信勝、幸節一彦、昆弘見、斉藤徹雄、佐藤俊明、日向旭世、平林千秋、藤森俊希、松橋隆司、宮坂一男、山根隆志。
統制委員、監査委員、訴願委員
 第1回中央委員会総会が任命した統制委員、監査委員、訴願委員はつぎのとおりです。
統制委員会
責任者・小林栄三。委員・相沢寛、上岡辰夫、黒木清、柳浦敏彦、柳沢明夫、 広瀬潜、細川裕之、松橋隆司。
監査委員会
責任者・小泉初恵。委員・黒木清、塚田政之助。
訴願委員会
責任者・堀井孝生。委員・宮脇善雄、青木剛、武村拓三

【宮本顕治引退】
 9.26日、日本共産党第21回大会で、宮本顕治議長が引退し名誉議長。名実ともに不破哲三委員長体制が確立する。「21世紀の早い時期」に民主連合政府の樹立をめざす政権構想を打ち出す。連立相手について不破氏は「修正資本主義論の立場にたつ勢力でも」と語る。

 10.8日、金正日(55)、朝鮮労働党総書記に選出される。3年3か月の空白ののちに。
 11.13日、日本赤軍の西川純がボリビア・サンタクルスで拘束される。
 11月、橋本首相とエリツィン大統領がクラスノヤルスクで会談。「東京宣言に基づき2000年までに平和条約を締結することに全力を尽くす」ことで合意。
 11月、 李鵬総理が天安門事件後初訪日、中日漁業協定と資金協力のプロジェクトなどに調印。
 11.17日、北海道拓殖銀行が経営破綻。都銀初の破綻。道内営業権を北洋銀行へ移転へ。
 11.24日、山一証券破綻、廃業の申請を決定。簿外債務2648億円。
 11.26日、徳用シティ銀行破綻。仙台銀行に営業譲渡へ。
 11.28日、公明が来年の参院比例区で新進党と合流せず、独自の選挙を戦うことを決定。
 12.18日、新進党の党首選で小沢一郎が鹿野道彦を破って再選。

 12.19日、韓国大統領選挙で、金大中が李会昌を破り、初当選。

 12.27日、新進党が解党。バラバラ分裂状態に。小沢一郎、自由党結成。







(私論.私見)