第58部 1996(平成7)年の主なできごと.事件年表



更新日/2021(平成31→5.1日より栄和元/栄和3).2.15日

 (れんだいこのショートメッセージ)
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 2002.10.20日 れんだいこ拝


 1.5日、村山首相が退陣を表明。
 1.11日、第135臨時国会で、自民党の橋本龍太郎が第82代首相に指名される。自社さ3党連立の第一次橋本内閣が発足する。幹事長・梶山静六。社会党の久保亘が副総理兼蔵相に就任。

 1.16日、村山富市、秋葉忠利を破って社会党委員長に再選。
 1.17日、元マルコポーロ編集長花田紀凱(かずよし)、文藝春秋社からライバルの朝日新聞社に移る。
 1.19日、日本社会党が第64回党大会で党名を社会民主党と改める。久保亘は副党首兼参議院議員会長に就任。
 これを期に、矢田部理参議院議員らが新社会党を結成した。衆議院議員2名人、参議院議員3なが参加した。矢田部らは離党届を提出したが、社民党は受理せず除名処分とした。政策的には日本国憲法の護憲・非武装中立・社会主義経済を主張。社民主義を「大資本の支配を前提にして軍事力の行使を是認」と資本主義の枠内にみなして批判するなど、かつての社会党左派の流れをくみ、マルクス主義政党の色彩が強い。ただし、社会保障の充実を政策に取り入れるなど、政策を転換した部分もある。但し、1996年の衆議院総選挙、1998年の参議院選挙でいずれも全員落選し国会に議席を失った。また、いずれの選挙でも得票率が2%に満たず、政党要件も失った。2000年の衆議院総選挙、2001年の参議院選挙でも議席回復に失敗。2002年、小森龍邦が委員長に就任する。2003年の衆議院総選挙では、初めて社民党と本格的な選挙協力を行い、無所属で候補を擁立したが及ばなかった。現在も一定の地方議員を擁するが、国政への影響力はほとんど失っている。
 1.21日、パレスチナ自治政府選挙でPLOのアラファト議長が議長に選出。自治政府樹立へ。
 1.22日、羽田グループ(新進党)、政策勉強会を旗揚げ。
 1.24日、日本の銀行の不良債券総額、最大で141兆円と、米国金融機関が報告。
 1.27日、仏ファンガタウファ環礁で地下核実験。
 1.29日、シラク大統領、核実験終了を宣言。今後一切中止とのこと。
 2.2日、UNDOF参加のため、自衛隊先遣隊がゴラン高原入り。

 週刊新潮2.22日号で、元創価学会婦人部幹部・信平信子の「私は池田大作にレイプされた」との告発手記が掲載された。これが、メディア規制を狙った個人情報保護法案制定の下地になっていく。


 2.25日、京都市長選、5党相乗りの桝本が共産単独推薦の井上に4千票差で辛勝。
 2月、小林俊一氏が「JRの妖怪」(イースト・プレス社)を出版した。これに対し、小林峻一氏宅に賊が侵入し、取材メモやフロッピーなどを盗み出し、その情報をもとに、取材に協力した人たちを脅す事件が発生した。

 3月、中国、台湾沖でミサイル演習。
 3.23日、台湾初の総統直接選挙で李登輝圧勝。
 3.25日、TBSがオウム真理教幹部に未放映ビデオを見せたことを認める。
 3.28日、金丸信、糖尿病による脳梗塞のため死去。81歳。
 3.29日、輸入血液製剤でHIVに感染した血友病患者が提訴した訴訟は和解が成立。
 4.1日、加害展示で議論を呼んだ長崎原爆資料館オープン。
 4.1日、電気事業法改正により、電力の卸売りが自由化。
 4.12日、日米、米軍普天間飛行場全面返還で合意。
 4.17日、橋本−クリントン共同声明で、日米安保条約のガイドラインが根本的に書き改められる。集団自衛権行使へと踏み込んでおり、安保条約再定義と称せられた。
 4月、銭其しん副総理兼外交部長が訪日。
 4月、日米首脳、「日米安全保障共同宣言」に署名。
 4月、住専法案成立。
 4月、橋本龍太郎首相がロシア訪問。原子力安全サミットに参加し、日ロ首脳会談。
 5.20日、4月の貿易黒字、前年同月比で65.5%減。
 5月、北京中日環境保護センターが落成。
 5.29日、イスラエル初の首相公選,リクードのネタニヤフ党首が当選。
 6月、リクルート事件東京高裁で藤波被告の控訴審初公判。1997.3月、藤波被告の控訴審で逆転有罪判決、被告側上告。1999.10月、最高裁が藤波被告側の上告を棄却⇒有罪確定。
 6.1日、新食糧法施行。米の小売り・卸売業が自由化。 
 6.18日、6850億円税金投入の住専処理法案などが参院本会議で可決、成立した。
 6.23日、島桂次(前NHK会長)死去。68歳。
 6.25日、消費税率を来年4月から5%に引き上げることを閣議決定。
 6月、中国の核実験に対し、日本が抗議。
 7.2日、東京外国為替市場で、94年1月以来の円安水準1ドル=110円台に。
 7.3日、ロシア大統領決選投票でエリツィン大統領が再選。
 7.19日、第26回五輪アトランタ大会。
 7月、日本の政治結社が尖閣諸島に灯台を設置。
 7月、橋本首相が靖国神社に私的参拝。
 8.10日、警視庁公安部が、東京都足立区の10階建てマンション8階の革マル派の非公然アジトを家宅捜索した。
 8.15日、丸山真男、肝臓ガンにより死去。82歳。
 8.26日、全斗煥に死刑判決。盧泰愚は懲役22年6月。
 8.30日、鳩山由紀夫、新党さきがけを離党。新党さきがけ代表、武村から井出正一に。菅直人は固辞して副代表に。
 8.31日、共産主義労働者党(全国協議会)が第17回臨時党大会を開催して、組織名を「自治・連帯・エコロジーをめざす政治グループ蒼生」と改めた。同大会では、名称とともに機関紙名の変更も決定した。(機関紙名は『統一』から『グローカル』に改題)。「政治グループ蒼生」の現在の代表は宮部彰(東京工人社)である。共産主義労働者党は、71年に「労働者党派」、「プロレタリア革命派」、「赤色戦線派」の三つに分裂していたが、「政治グループ蒼生」は、「プロレタリア革命派」の流れを継承している。但し、社会主義の「敗北」を正面から教訓化する作業を需要な課題として位置づけ、さらに草の根の運動をベースにしつつ、制度圏(例えば議会)での活動を強化しつつある。


 そして細川政権への入閣を経て、自民党によって政権復帰の足がかりとして担ぎ出された村山政権の下で、社会党は「安保反対、自衛隊違憲」の一枚看板を投げ捨て、「安保堅持、自衛隊合憲」、「日の丸・君が代容認」へと180度の転換をなしとげた。また「市場経済の原理」の尊重(つまり資本主義の変革はめざさない)を公然と表明し、自らを「寛容な市民政党」と規定した「九五年宣言」を発するとともに、翌九六年には党名も社民党に変更、名実ともに純然たるブルジョア改良政党へと“脱皮”した。

 しかし、それも空しく、28名の右派議員が民主党に流れる中で行われた同年9月の総選挙では、自ら導入した小選挙区制も不利に働き、改選議席をさらに20名下回る15議席の少数政党に転落してしまった。この後、土井の再登板となったが、今度の総選挙では組織存亡の危機に立たされている。

 日和見主義者の末路や、あわれ。しかし因果応報、これも自業自得と言うほかない。かくて社会主義協会の諸君の「社会党の階級的強化」、「社会主義政党への純化」はついに“見果てぬ夢”に終わり、本隊の消滅に先立ち自ら解体してしまった。戦前の労農派が無産政党の左翼的補完物であったのと同様に、協会派は社会党の単なる左翼的補完物に過ぎなかった(社労党「日本社会主義運動史」)。
 9.8日、沖縄県民投票、米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の見直しに89%が賛成。
 9.10日、国連総会特別本会議が、包括的核実験禁止条約(CTBT)の最終案を採択、インドは反対。
 9.11日、民主党結成へ。菅直人らが基本理念と基本政策を発表し、参加を呼びかける。
 9.18日、民主党、設立委員会発足。衆院35人、参院4人。社民党から赤松広隆佐藤観樹ら衆議院議員の約半数が離党して参加した。かって民主・リベラル勢力の新党結成を目指していた久保亘らは社民党にとどまる。
 9.18日、韓国東北部の海岸に北朝鮮の潜水艦が座礁,武装スパイ11人の遺体発見,1人逮捕。
 9.20日、著作権審議会は著作隣接権の保護対象を著作者の死後50年に統一との方針を報告。
 9.22日、民主党結成記念大会。設立委に衆院46人、参院4人。
 9.27日、橋本首相が衆院解散。「小選挙区解散」と云われる。史上初の小選挙区、比例代表並立制による選挙。党首選挙を廻って新進党が混乱、橋本首相が解散に踏み切った。
 9.29日、社民党党首、村山富市から土井たか子に。
【第41回衆議院議員選挙】
 10.20日、初の小選挙区比例代表並立制による選挙となった第41回衆議院議員選挙(「第41回衆議院議員総選挙結果 - 総務省」)が行われる。自民が議席を伸ばし、橋本首相が続投を確実にした。他方、社民党は解散前の35議席から15議席と惨敗する。

 総選挙党派別当選者数は次の通り。
区 分 

 党 派
小選挙区 比例代表 計(改選後) (改選前) 増 減
自由民主党 169 70 239 211 +28
新 進 党 96 60 156 160 △4
民 主 党 17 35 52 52
日本共産党 24 26 15 +11
社会民主党 11 15 30 △15
新党さきがけ   △7
民主改革連合   △1
諸派・無所属   14 △5
欠員 18 △18
合   計 300 200 500 511 △11

 総選挙比例代表党派別得票数及び得票率は次の通り。
区 分 

 党 派
得票数 得 票 率
自由民主党 18,205,955 ( 32.76)
新 進 党 15,580,053 ( 28.04)
民 主 党 8,949,190 ( 16.10)
日本共産党 7,268,743 ( 13.08)
社会民主党 3,547,240 ( 6.38)
新党さきがけ 582,093 ( 1.05)
民主改革連合 18,844 ( 0.03)
諸派・無所属 1,417,077 ( 2.55)
欠員
合   計 55,569,195

 10.23日、ローマ法王ヨハネ・パウロ二世、進化論を認める見解を発表。
 10.31日、自民党、社民党、新党さきがけが「三党合意」を結ぶ。文書は、「新しい政権に向けての三党政策合意」と「三党政策協議で合意に至らなかった項目」からなる。
 11.5日、米大統領選でクリントン大統領が再選。
 11.7日、第二次橋本内閣発足。官房長官・梶山静六(再任)。幹事長・加藤紘一、総務会長・森喜朗、政調会長・山崎拓の布陣。社会党の久保亘は副総理兼蔵相を辞任。社民党、さきがけは閣外協力に転じ、自民党単独内閣となった。
総理 (橋本龍太郎)              
法務 松浦功 73 旧小渕 参3 野村五男 54 無派閥 参2
外務 (池田行彦)       高村正彦 54 旧河本 衆6
大蔵 三塚博 69 旧三塚 衆9 中村正三郎 62 旧三塚 衆7
          西田吉宏 62 旧三塚 参2
文部 小杉隆 61 旧渡辺 衆6 佐田玄一郎 43 旧小渕 衆3
厚生 小泉純一郎 54 旧三塚 衆9 鈴木俊一 43 旧宮沢 衆3
農水 藤本孝雄 65 旧河本 衆10 保利耕輔 62 旧小渕 衆7
          服部三男雄 51 旧小渕 参1
通産 佐藤信二 64 旧小渕 衆7 石原伸晃 39 旧三塚 衆3
          上野公成 57 旧三塚 参1
運輸 古賀誠 56 旧宮沢 衆6 衛藤晟一 49 旧三塚 衆3
郵政 堀之内久男 71 旧渡辺 衆7 野田聖子 36 旧河本 衆2
労働 岡野裕 69 旧小渕 参3 小林興起 52 旧三塚 衆2
建設 亀井静香 60 旧三塚 衆7 佐藤静雄 55 旧渡辺 衆3
自治 白川勝彦 51 旧宮沢 衆6 久野統一郎 59 旧小渕 衆3
官房 (梶山静六)       与謝野馨 58 旧渡辺 衆7
総務 武藤嘉文 69 旧渡辺 衆11 野田実 59 旧三塚 衆3
北開 稲垣実男 68 旧渡辺 衆7 太田豊秋 61 旧宮沢 参2
防衛 久間章生 55 旧小渕 衆6 浅野勝人 58 旧宮沢 衆2
経企 麻生太郎 56 旧宮沢 衆6 河本三郎 46 旧河本 衆1
科技 近岡理一郎 70 旧小渕 衆6 岡利定 62 旧小渕 参1
環境 石井道子 63 旧宮沢 参3 鈴木恒夫 55 旧宮沢 衆3
沖開 (北開兼務)       笠原潤一 64 無派閥 参1
国土 伊藤公介 55 旧三塚 衆6 井奥貞雄 57 無派閥 衆3

 11.24日、神奈川県警が、「JRの妖怪」(イースト・プレス社)を刊行した小林俊一氏の居宅侵入事件容疑で、神奈川県大和市の革マル派非公然アジト「大和アジト」を摘発し、抵抗した非公然活動家4名を公務執行妨害の現行犯で逮捕した。
 11.21日、阪和銀行、経営破綻で大蔵省より業務停止命令。銀行では戦後初。
 12.7日、独ナチス党南京副支部長ジョン・ラーベの南京虐殺事件報告書が発見される。
 12.16日、光州事件と粛軍クーデターの控訴審でソウル高裁が全斗煥元大統領に無期,廬泰愚前大統領に懲役17年の減刑判決。
 12.17日、ペルーの首都,リマで武装ゲリラが日本大使公邸を占拠(日本大使館公邸占拠事件)。
 12.26日、羽田が新進党を離党して13人で太陽党を結成する。




(私論.私見)