第56部 | 1994(平成6)年当時の動き、主なできごと.事件年表 |
(れんだいこのショートメッセージ) |
2002.10.20日 れんだいこ拝 |
【丸山眞男批判】 | |||||||
1.1日号赤旗新春インタビュー、1.16日号赤旗日曜版で、東大政治学教授丸山眞男批判論文が掲載され、「丸山理論」への本格的批判キャンペーンが始まった。丸山氏は政治学研究の第一人者として著名であるが、戦前日本共産党の党活動が封殺された負の側面も含め真摯に総括することの必要性をコメントしていた。 赤旗はこれに噛み付いた。「丸山眞男氏の『戦争責任』論の論理とその陥穽」を発表し、 同氏の論調を次のように批判した。
続いて、「新しい理論的探究――丸山眞男の天皇制史観への反撃」で次のように総括した。
これに対し、宮地氏の批判は次の通り。
更に、「宮本氏の歪曲的規定の根拠となる丸山氏の文献は存在するのか」として、次のように反論している。
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週刊ポスト2019年5月3・10日号、●聞き手・レポート/武冨薫(ジャーナリスト)の「小沢一郎氏が振り返る「宮沢倒閣」から細川護熙政権まで」。
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【羽田孜内閣成立】 |
4.28日、羽田孜内閣が少数与党で成立(「改革と協調」)。細川首相の突然の辞意表明による混迷は、羽田政権誕生によりひとまず収拾した。官房長官・熊谷弘。 |
6.23日、羽田内閣不信任決議案(自民)提出。6.25日、羽田孜内閣総辞職。在任64日は戦後2番目の短命となる。後継政権を巡り、自由民主党、新党さきがけ、連立与党の間で駆け引きが展開され、社会党は、久保を中心とする勢力が従来の非自民連立政権を志向する一方、村山や野坂浩賢らを中心とする勢力は自民、さきがけの働きかけに呼応する。 |
週刊ポスト2019年5月3・10日号、●聞き手・レポート/武冨薫(ジャーナリスト)の「小沢一郎氏が明かす「禁断の自社連立」「村山内閣」舞台裏」。
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週刊ポスト2019年5月3・10日号、●聞き手・レポート/武冨薫(ジャーナリスト)の「小沢一郎氏が明かす「禁断の自社連立」「村山内閣」舞台裏」。
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【村山内閣成立】 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
非自民政権のキーマンである小沢一郎が自民党の海部俊樹の擁立を図ったが、これに対立する社会党は、首相指名選挙で村山に投票することで一致。自民、さきがけも村山に投票することに決定した。 6.29日、衆院本会議で首班指名選挙、決戦投票で村山富市(社会党)氏選出。村山が国会指名により、第81代 内閣総理大臣となる。 6.30日、村山富市内閣成立(「人にやさしい政治」)内閣成立。在任期間:1994年6月30日〜1995年8月8日。自民、社会、さきがけ三党連立政権。官房長官・五十嵐広三、河野洋平は外相、副総理。社会党の久保亘は村山委員長の首相就任に伴い委員長代行に就任。
1)閣僚が複数の役職兼任する場合などは主に本務とされる役職に閣僚氏名を表記し、 兼任している役職については(○○大臣兼任)などと記載する。 2)閣僚氏名の赤字は新しく就任した大臣、再任の場合も空白期間がある場合は赤字で表記。 役職名の赤字は各内閣の期間内に設置された役職名。 3)閣僚氏名の緑字は閣内異動、通常色は留任。 各内閣一列目の緑字は前内閣から閣内異動、通常色は前内閣からの同役職での留任を表す。 4)役職名・閣僚氏名の薄紫字は国務大臣を必要としない役職。 ただし、国務大臣が兼任している場合、閣僚氏名は通常色で表記。 5)閣僚氏名の欄に表記されている「×」は役職の設置前または廃止後。 「−−−−」は欠員をあらわす。 |
【「村山首相が社会党政策の大転換発言」】 |
7.20日、村山首相、衆院本会議で代表質問に答弁する中で、自衛隊と憲法の関係について、「専守防衛に徹し、自衛の為の最小必要限度の実力組織である自衛隊は憲法の求めるものであると認識する」と述べた。こうして自衛隊合憲を打ち出した。と日米安保体制についても「不可欠」と答弁し、日米安全保障体制を堅持する方針を改めて確認した。日の丸、君が代についても、「国旗、国歌であるとの認識は国民に定着しており、私も尊重したい」とも表明した。 |
【下里赤旗記者査問、除名と作家森村誠一氏の日本共産党との絶縁事件】 |
党内反宮本派清掃第19弾。1994年10月、「日本の暗黒」赤旗連載の突然中止をめぐって下里赤旗記者他2名の査問、除名と作家森村誠一氏の日本共産党との絶縁が発生した。この時、担当常幹、赤旗編集局長と激論した結果が査問と統制処分であったと云う。下里氏は赤旗記者を解雇され。この経過を公表し除名処分になった。 「日本の暗黒」赤旗連載の企画は、もともと国会での浜田幸一議員の「小畑査問死事件」に対する質問をテレビで見た作家・森村誠一氏が、「この問題を徹底的に明らかにしたらどうか」と赤旗編集局に進言し、それがきっかけで連載企画が進行したものであった。党の内部で集団的に長時間をかけて検討し、何度もの会議と決済文書を積み重ね、「日本の暗黒」の第一の柱として「スパイ査問事件」を取り上げることが決まり、これを元に、党外作家と赤旗編集局長の合意が成立し、1989年に連載が始まった。 上級の集団的チェックを受けた原稿によって、多くの読者を獲得して進んでいたものが、いよいよ同事件に筆が進みそうになった直前の1991年6月の時点で、突然中断となった。何の問題もなく、万事順調に進んでいた連載が、なぜ突然中断になったのか。この背後には、宮顕のこの事件に対する徹底した隠蔽体質があるとしか考えられない。 |
【第20回党大会】 | |||
1994年の第20回大会は、宮顕時代の見解の特に不都合と思える箇所を変更した。主要な改定箇所は次の通りである。綱領面で、61年綱領の従属国規定「わが国は、高度に発達した資本主義国でありながら、アメリカ帝国主義に半ば占領された事実上の従属国である」なる文言を削除し、「国土や軍事などの重要な部分をアメリカ帝国主義ににぎられた事実上の従属国である」と改定した。 同じく、従来の社会主義国規定「(1)・社会主義をめざす国ぐに、(2)・社会主義をめざす道にふみだした国ぐになる識別」を無意味として削除した。「社会主義国とは、抽象的な概念ではなく、14の“現存した(する)社会主義国”を指し示す歴史的現実的用語である」として単に確認するだけに訂正した更に、「冷戦は崩壊していないキャンペーン」を却下し、概要「冷戦も、抽象的な用語ではなく、第二次大戦末・終了後以来の『米ソ冷戦』という歴史的具体的概念であり、冷戦構造の一方のソ連が崩壊した以上、米ソ冷戦も消滅した」と訂正した。 更に、丸山真男批判大キャンペーンを抑制する立場へ転換した。これまで党中央は、丸山氏の内在的批判論に対して、「前衛」、「赤旗」、「党大会決定」、「改定綱領」、「日本共産党の七十年」等で13回も丸山批判を行い、過剰なまでの拒絶反応を示したが認識訂正した。 以上の改訂はともかくも、規約面で除名、除籍問題について改悪した。概要「第十二条、党の綱領あるいは規約を否定するにいたって第一条に定める党員の資格を明白に喪失したと党組織が認めた党員は除籍することができる。特殊な事情のもとでは、地区以上の指導機関は、党員の除籍を決定することができる」と新たな文言を挿入し、党中央、または、党機関が勝手に判定した党員を、所属支部の審議にかけなくとも、党中央規律委員会や中間機関が、フリーハンドで党外排除できるという重大な条項を付け加えた。 除籍とは、(1)・長期未結集党員で再結集の見込みがなくなった党員や、(2)・行方不明党員の党籍をいつまでも残しておくわけにもいかないので、党員としての籍を除く措置だった。ところが、このたびの改訂で、除名に次ぐ異論党員の党外排除措置として除籍制度を活用できるようにした。 2000年の第22回大会において、不破・志位・市田らは規約の全面改訂を行い、除名、除籍問題について次のように確定させた。「第四条、党の綱領と規約を認める人は党員となることができる」、概要「第十一条、党組織は、第四条に定める党員の資格を明白に失った党員は、慎重に調査、審査のうえ、除籍することができる。除籍にあたっては、本人と協議する。党組織の努力にもかかわらず協議が不可能な場合は、おこなわなくてもよい。除籍は、一級上の指導機関の承認をうける」とした。 ところが、除籍措置は規約上の処分でないので、所属支部の審議は要らない。不破・志位・市田らが、党中央批判・異論党員や専従を党外排除したくなれば、党中央規律委員会に命令する。党中央の下部・任命機関である規律委員会は、支部・中間機関を飛び越えて、全党のどこに所属している党員でも直接に、即座に除籍できる。支部へは、除籍の事後連絡ですむ。不破らにとって、これほど手が掛からない簡便で、実質的な除名システムはない。面倒な手続を必要とし、かつ、強烈な反発を引き起こす除名処分をできるだけ減らし、簡易除名=除籍措置を活用・流行させた功労者は、やはり宮本顕治と不破哲三であろう。 1994年以降、恣意的な除籍決定と通告という第2除名システム=簡易除名が、批判・異論党員を党外排除するための主な手法となった。 宮地氏の「除籍への萩原抗議文と批判メールへの党回答文」、宮地氏の「不破哲三の宮本顕治批判」参照 |
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筆坂秀世著「日本共産党」は、1994年の第20回大会での中央役員選出基準に於ける浜野忠夫常任幹部会委員(現副委員長)の次の発言を証言している。
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【新進党結成】 |
12.8日、結成大会に向けた新進党党首選挙で海部俊樹氏を選出。12.9日、日本新党解党。民社党解党。 12.10日、新進党結党大会が開催される。新生、公明新、日本新、民主、自由、新党みらい、自民党離党者の衆院178名、参院36名が合流し、党首に海部俊樹を選出する。 |
村山首相東南アジア四カ国歴訪。この時マレーシアのマハティール首相は、「日本が50年前の戦争について誤り続けるのは理解できない。将来に目を向け、もっとアジアの平和と安定に寄与すべきだ。日本の国連安保常任理事国入りを支持する」と外交メッセージしている。