第55部 1993(平成5)年当時の動き、主なできごと.事件年表



 更新日/2019(平成31→5.1日より栄和元).5.10日
 (れんだいこのショートメッセージ)

 2002.10.20日 れんだいこ拝


 1.1日、欧州共同体(EC)の12カ国市場統合が発足。
 1.3日、米ロ大統領が両国の核弾頭を3分の1に削減するSTART2に調印。  
 1.3日、民間政治臨調「地方分権に関する緊急提言」「地方分権に関する緊急国会議員アンケート」公表。

【社会党の山花委員長、赤松書記長体制が発足】
 1.4日、社会党委員長選に山花氏が立候補表明。党内一本化の方向右派の「政権構想研究会」と「水曜会」、中間派の「社会民主主義フォーラム」の幹部から支持を取り付けたのを受け、立候補を正式表明した。1.6日、立候補受け付けで山花氏のほかに届け出はなく、山花貞夫氏が社会党委員長に無投票当選。1.19日、社会党第59回臨時大会で山花執行部正式発足。書記長は当選1回の赤松氏(右派系「政構研」)を抜擢した。副委員長・久保亘。

 1.22日、第126回国会(常会)召集。
 2.1日、民間政治臨調幹事会、政治改革の実現に向け山花社会党委員長と懇談。
 2.3日、小沢一郎幹事長が音頭を取る「国際社会における日本の役割に関する特別調査会」(別名、小沢調査会)が「国際社会における日本の役割−安全保障問題に関する提言」報告書を纏め、小沢会長が宮沢首相に提出した。報告書は、国連正規軍への参加を念頭に、国連待機軍設立を志向していた。宮沢首相は、日米同盟機軸による多国籍軍方式に傾斜していた為、小沢式国連中心主義を黙殺した。
 2.4日、民間政治臨調「政治改革・九州フォーラム」開催。
 2.9日、民間政治臨調幹事会、石田公明党委員長と懇談。
 2.17日、竹下元首相を佐川急便事件で証人喚問。
 2.18日、比較政治制度研究会(CP研)「新政治システムへの提言」公表。
 2月、 中国銀行が日本の東京、三菱、住友など38銀行から3億ドルの借款を調達。
 3.2日、民間政治臨調幹事会、大内民社党委員長と懇談。
 3月、北朝鮮、NPT脱退を国連安保理に通告。
 3.6日、東京地検特捜部が、金丸前自民党副総裁と元秘書の生原を所得税法違反で逮捕する
 3.9日、民間政治臨調「政治改革・中国フォーラム」開催。
 3.17日、民間政治臨調幹事会、自民党政治改革本部と懇談(塩川正十郎、小渕恵三、石井一、津島雄二、西岡武夫、武村正義他)。3.17日、衆議院政治改革に関する調査特別委員会、亀井正夫民間政治臨調会長他を中央公聴会の参考人として招致し、本格審議入り。

 3.20日、東京地検特捜部、鹿島、清水建設、大成建設など大手ゼネコンを含む約20社の建設会社を家宅捜査。金丸へのヤミ献金を担当した各社首脳らの聴取を開始(〜23日)。
 3.26日、民間政治臨調幹事会、社会党政治改革チームと懇談(佐藤観樹、小澤克介、左近正男、堀込征雄他)。
 3.27日、中国国家主席に江沢民共産党総書記を選出。
 4.2日、自民党が、衆院への単純小選挙区制導入を柱とする政治改革法案を国会に提出。
 4.5日、椎野悦朗死亡(82歳)。死の直前まで「戦後の総括をしているんだ」とつぶやき続け、周囲の人たちはその誠実さに胸を打たれたと伝えられている。

 4.6日、社会党・公明党が、併用制を柱とする政治改革関連6法案を国会に提出(小選挙区200・比例代表300・2票制)。
 4.8日、社会・公明両党が,衆院への小選挙区比例代表併用制導入などを内容とする政治改革法案を共同提出。
 4.16日、民間政治臨調、民社党連合組織内議員連絡会(C&C)と懇談(伊藤英成、川端達夫、木義明、直島正行他)。
 4月、ユーゴスラビアに暗躍する死の商人。
 4.17日、民間政治臨調「政治改革に関し第126回国会において実現すべき事項に関する提言」公表(小選挙区比例代表連用制、政治浄化特別措置法、政党交付金制 度制導入を提唱)。
 4.19日、ブランチ・デビディアンにFBI強行突破、教団は集団自殺。
 4.20日、民間政治臨調、自民党若手議員有志の「政治改革を実現する若手議員の会」と懇談(石破茂他約20名出席)。
 4.21日、民間政治臨調、民社党政治改革委員会・選挙制度委員会合同会議と懇談(米沢書記長他約20名出席)。
 4.22日、民間政治臨調、社会党と懇談(佐藤観樹他約30名出席)。公明党と懇談(石田委員長他全議員出席)。4.26日、民間政治臨調、社会党有志による「改革議員連合」と懇談(田邊誠前委員長他約20名出席)。4.27日、民間政治臨調、自民党政治改革推進本部と懇談(塩川正十郎本部長代理他約14名出席)。民間政治臨調、社会党有志議員による「社会党ニューウェーブの会」「AND」「リーダーシップ21」と合同懇談会(約30名出席)。4.28日、民間政治臨調、シリウスと懇談。
 5.5日、国会法が改正され、政策秘書制度が創設。
 5.11日、民間政治臨調、民主改革連合と懇談(星川代表他)。
 5.11日、衆議院政治改革に関する調査特別委員会、中央公聴会に民間政治臨調の亀井正夫会長、内田健三会長代理、堀江湛第2委員長を招致し、民間政治臨調提案について質疑。
 5.17日、民間政治臨調「新しい政党のあり方に関する提言」公表。
 5.23―28日、カンボジア総選挙投票。6.1日、ラナリット派の民族統一戦線が第1党に。
 5.28日、衆院政治改革特委理事会で、@関連法の今国会一括成立、A中選挙区制にかわる新たな選挙制度の導入、B新選挙制度は自民党案、社公案の特徴をいかす等を申し合わせ。
 5.28日、社会・公明・民社・社民連・民主改革連合・日本新党の6党・会派が党首会談で民間政治臨調提案の連用制を軸に妥協案を作成することで合意。
 5.31日、宮澤首相、テレビ番組で政治改革関連法案について「どうしてもこの国会でやるんです」と発言。
 5.31日、民間政治臨調の亀井正夫会長、記者会見を行い、与野党の合意案作成は国会の場でオープンに行われること、自民党は党内調整を急ぐことを要請。
 6.2日、社会・公明・民社3党、連用制を骨格とする法案修正に乗り出し、田邊国男衆議院政治改革に関する調査特別委員長に申し入れ。
 6.4日、民間政治臨調著「日本変革のビジョン」発刊(講談社)。
 6.4日、民間政治臨調の亀井正夫会長、記者会見をおこない、「与野党の合意形成にむ けて自民党内の調整に宮澤首相の指導力を期待する」と発言。
 6.8日、社会・公明両党、連用制修正案を正式に党議決定し、法制化を衆議院法制局に 要請。
 6.14日、民間政治臨調「民間政治改革大綱」公表。
 6.14日、民間政治臨調「現下の国会審議に関する緊急アピール」公表。政治改革関連法案の継続審議は事実上の廃案であると指摘、宮澤首相をはじめ各党党首に対し、指導力を発揮し改革の内容と手順について与野党合意を成立させること、会期延長を決断することを求める
 6.15日、自民党政治改革推進本部幹部、政治改革を実現する若手議員の会、各派の連絡協議会有志が「政治改革議員連盟」を設立し、今国会の会期延長を求める決議 を採択。
 6.15日、自民党臨時総務会を開催、混乱の末、与野党合意に向けた調整作業を打ち切り、会期延長を行わず、与野党原案を規定方針通り採決することを党議決定。
 6.16日、宮澤首相、自民党総務会決定を了承し、今国会での法案成立を断念。
【宮澤内閣不信任案が可決され衆院解散】
 6.17日、社会、公明、民社の3党が宮澤内閣不信任案を提出した。

 6.18日、自民党竹下派から羽田.小沢派の43名が離脱。自民党羽田派34名、他派閥議員5名が賛成、病欠を除く16名が採決に欠席し、内閣不信任案が可決される。これにより、大平内閣以来13年ぶりとなる衆院解散となる。「政治改革解散」と云われる。自民党宮澤総裁退陣=自民党第15代総裁で崩壊=徳川政権と類似。改革国会=「実らぬ論議80間」→国会予算'93 年度977億円(1日=2億6千万円×83日=200億円の「無駄遣い」)。
(私論.私見)
 羽田、小沢グループが宮沢内閣不信任案に賛成し、自民党を離党することになる。これが政界再編の動きを本格化する。小沢は、1980年代後半から常に党運営の中枢に携わり、特に、海部内閣時代には幹事長として政権運営の中心にあった。その小沢が自民党を脱党するには相当の理由があったと云わねばなるまい。事実、その後の紆余曲折、辛酸苦労を思えば利権的なものを求めての遊泳論など児戯的と云うべきであろう。評者がいろいろに論じているが、まともなものに出会ったことがない。れんだいこが見るところ、ズバリ自民党の変質に対する反発をバネにしていると解すべきであろう。政治改革、政界再編を眼目とするが、その本質は全てここにある。

 では、「自民党の変質」とは何か。れんだいこの評するところ、1970年代まで主流派を形成していた戦後ハト派政治から1980年代初頭より転換したタカ派政治、その一層のネオシオニズム化政治を指している。ネオシオニズム化政治との協調と転換こそが小沢政治の眼目となる。これに触れない政治評論は、これを誤魔化す為の駄弁的作為理論に他ならない。こう解するべきであろう。

 2009.9.9日 れんだいこ拝

【「新党さきがけ」、新生党結成】
 6.18日、竹村正義自民党政治改革本部事務局長、鳩山由紀夫ら10名も自民党を離党、6.21日、「新党さきがけ」を旗揚げする。 

 6.23日、羽田派44名が自民党を離党し「新生党」を結成する。これにより、自民党は分裂選挙で過半数割れし、非自民連立の細川政権誕生劇を生むことになる。

 6.27日、東京都議会選挙で細川護ひろ率いる日本新党が20議席を獲得し躍進。
 6.29日、東京地検特捜部、仙台市長石井亨をハザマ、清水建設、西松建設、三井建設の4社から1億円を収賄した容疑で逮捕。
 7.2日、民間政治臨調「総選挙に向けての緊急アピール」公表。
 7.7日、第19回先進国首脳会議が東京で開幕。
 7月、宮沢首相と米大統領ビル・クリントンが、貿易摩擦解消に向けた包括経済協議開始に合意したことを受け年次改革要望書の提出始まった。
 7.12日、ソマリア虐殺事件。
【第40回衆議院議員総選挙】
 7.18日、第40回衆議院議員総選挙→自民党過半数割れ、社会党惨敗(社会党選挙戦で小選挙区比例代表制を含めて小選挙区制に反対のスローガンを有権者に訴えた。この選挙で小選挙区比例代表並立制を選挙公約に掲げた政党は皆無。(自民233、社会70、新生55、公明51、日本新35、共産15、民社15、さきがけ13、社民連4、無所属30)。

 自民党を離党した羽田派が結成した新生党、同じく武村正義らのグループが結成した新党さきがけ、前熊本県知事の細川護煕が前年に結成した日本新党の3新党は計100議席余りを獲得した。その煽りを受けた社会党は、1989年の土井委員長の下での総選挙では消費税への反対票を吸収して139議席の勝利を勝ち取ったものの、その後の「政権を担いうる現実政党への脱皮」という名目での右傾化により労働者から見放され、再び77議席へと半減する。社会党は以降、漸減し始め、遂に解党に追い込まれることになる。

 7.19日、東京地検特捜部、茨城県三和町の町長大山真弘を、ハザマからの1,400万円受諾収賄容疑で逮捕。
 7.22日、金丸脱税事件初公判(東京地裁)。
 7.22日、宮澤首相退陣表明。
 7.23日、日本新党・新党さきがけ両党が小選挙・比例代表各250 議席の並立制を基本とする政治改革案を提案。
 7.23日、東京地検特捜部、茨城県知事竹内藤男をハザマからの1,000万円収賄容疑で逮捕。
 7.27日、自民党「政治改革に関するわが党の基本姿勢」党議決定。
 7.29日、非自民7党1会派の8党会派の代表者が並立制の年内成立を盛り込んだ連立政権発足への政策合意に調印。連立政権樹立し、細川護煕日本新党代表を首相候補 とすることで合意。
 7.30日、自民党、両院議員総会の総裁選挙で河野洋平氏を第16代自民党総裁に選出。河野208、渡辺美智雄159.。
 8.2日、橋本龍太郎が党政調会長に就任。
【「河野談話」】

 8.4日、河野洋平官房長官(当時)が歴代内閣が継承してきた日本軍「慰安婦」問題についての日本政府の公式見解として「慰安婦関係調査結果に関する河野内閣官房長官談話」を発表した。これを「河野談話」と云う。この流れが1995.8.15日の「村山談話」に続く。

 ■河野談話(「慰安婦」関係調査結果発表に関する河野内閣官房長官談話) 平成5年8月4日

 いわゆる従軍慰安婦問題については、政府は、一昨年12月より、調査を進めて来たが、今般、その結果がまとまったので発表することとした。

 今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 なお、戦地に移送された慰安婦の出身地については、日本を別とすれば、朝鮮半島が大きな比重を占めていたが、当時の朝鮮半島は我が国の統治下にあり、その募集、移送、管理等も、甘言、強圧による等、総じて本人たちの意思に反して行われた。

 いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。また、そのような気持ちを我が国としてどのように表すかということについては、有識者のご意見なども徴しつつ、今後とも真剣に検討すべきものと考える。

 我々はこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。

 なお、本問題については、本邦において訴訟が提起されており、また、国際的にも関心が寄せられており、政府としても、今後とも、民間の研究を含め、十分に関心を払って参りたい。


 「河野談話」
は、「従軍慰安婦」問題について日本の国家的責任と謝罪と賠償を引き受けることを声明している。その論理は、「当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である」として「軍の関与」を認め、これにより「政府の責任は避けられない」とし、このため「元慰安婦の方々に心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる」と謝罪している。強制について、「本人たちの意思に反して行われた」こととし、「慰安所における生活は強制的な状況の下での痛ましいものであった」としている。慰安所の設置・管理と慰安婦の移送についても、日本軍が「直接あるいは間接に」関与したとしている。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当ったが、その場合も「甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例」が数多くあり、「官憲等がこれに加担したこともあったことが明らかになった」として軍・官憲の加担による責任を認めている。歴史研究・歴史教育に関して、「われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい」とし、「われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する」と内外に宣言している。
(れんだいこの私論.私見) 「河野談話」
 既に宮澤首相が退陣表明し、「河野談話」の三日後に細川政権が誕生すると云う政治局面で、「河野談話」が出されていることが解せない。中身以前のこととして、いわゆる「死に体内閣」の下で出せるような性質のものではなかろう。そこが臭いと思う。

 2014.6.21日 れんだいこ拝

【細川連立政権成立】
 8.5日、第127回国会(特別会)召集。8.6日、衆参両院の首班指名選挙で細川護煕日本新党代表を選出、細川護煕が第79代首相に就任した。

 8.9日、細川内閣が組閣された。細川政権は、日本新党、日本社会党、新生党、公明党、民社党、さきがけ、社民連の「7党1会派」で、日本新党の党首を首班、社会党を与党第一党とする非自民8党派の連立内閣となった(「細川連立政権成立」)。内閣のキャッチフレーズを「責任ある変革」とし、自らの政権の性格を「政治改革政権」と規定した。細川政権は、1993(平成5).8.9日−1994(平成6).4.25日までの約8ヶ月間の短命内閣となる。

 この内閣の成立で、38年間続いた自民党一党支配体制が切断され、55年体制が崩壊した。新しい時代の幕開けを感じさせる画期的な役割を果たした。細川氏は、2010.1.1日の日経新聞「私の履歴書」で次のように述懐している。
 「旗揚げから1年3カ月。知事などの経験があるとはいえ、衆院議員になりたてのほやほやがいきなり日本のトップの座に就く前代未聞の現代国盗り物語―今の政権に先駆けること16年、非自民政権が38年ぶりに発足し、自社55年体制という日本のベルリンの壁はここに崩壊した」。

 内閣総理大臣・細川護煕、官房長官・武村正義。内閣官房副長官・鳩山由紀夫、内閣官房副長官・石原信雄、内閣法制局長官・大出峻郎。法務大臣・三ヶ月章、外務大臣・羽田孜、大蔵大臣・藤井裕久、文部大臣・赤松良子、厚生大臣・大内啓伍、農林水産大臣・畑英次郎、通商産業大臣・熊谷弘、運輸大臣・伊藤茂、郵政大臣・神崎武法、労働大臣・坂口力、建設大臣・五十嵐広三、自治大臣・佐藤観樹(兼任) 、内閣官房長官・武村正義、国家公安委員会委員長・佐藤観樹(兼任)、総務庁長官・石田幸四郎、北海道開発庁長官・上原康助(兼任)、防衛庁長官・中西啓介、愛知和男(平5.12.2−)、経済企画庁長官・久保田真苗、科学技術庁長官・江田五月、環境庁長官・広中和歌子、沖縄開発庁長官・上原康助(兼任)、国土庁長官・上原康助(兼任)、国務大臣・羽田孜(兼任・副総理) 、国務大臣・山花貞夫。社会党の土井党首が憲政史上初の女性としての衆院議長に就任。

 社会党で、山花委員長が細川内閣に政治改革担当相として入閣したのに伴い、久保船党委員長代行に就任。
【細川首相声明】
 8.10日、細川首相が初閣議後の記者会見で、年内に政治改革が不成立なら政治責任を取ると言明→細川内閣の支持率、各社の調査で軒並み70%を越え、田中内閣を上回る戦後最高を記録した。
(れんだいこの私論.私見) 「細川連立政権考」
 細川政権の誕生の史的意義は、「自社の対立と協調による両建て支配による55年体制」を崩壊せしめたことにあった。「政・財・官癒着的既成政治、政治腐敗、金権政治の打破」を目指して一連の政治改革に向かう。これが細川政権の内治政策の筆頭課題となった。外治政策として「コメ問題の現実的処理」、国際的貢献における軍事貢献が問われていくことになった。

 しかし、連立与党内は与党第一党・社会党の与党的政治能力の欠如もあって、「船頭多くして、船、丘に上る」式の亀裂が付きまとった。これに、新生党(代表幹事・小沢一郎)の「国際的軍事貢献を含む普通の国」路線、新党さきがけ(党首・竹村正義)の「憲法尊重、反大国主義」路線が衝突し政権の舵取りが混迷を深めていった。

 週刊ポスト2019年5月3・10日号、●聞き手・レポート/武冨薫(ジャーナリスト)の「小沢一郎氏が振り返る「宮沢倒閣」から細川護熙政権まで」。

 小沢一郎氏は「剛腕」として知られる。様々な平成政治でその剛腕をふるった小沢氏は、宮沢喜一内閣誕生や細川護熙内閣誕生にも影響を与えた。これまで決して政治史の舞台裏を語ることがなかった小沢が、平成日本を変えた数々の場面で何が行なわれ、どんな葛藤があったのかを「歴史の証言者」として初めて明らかにした。(文中一部敬称略)

◆宮沢倒閣と8会派連立工作(1993年6月)

〈宮沢喜一首相はテレビ番組で「政治改革を実現する」「この国会でやる」と口にしたものの、与党の反対の中で断念する。小沢―羽田グループは自民党を離党して新生党を立ちあげ、宮沢内閣不信任案に賛成。「小沢の乱」は成り、不信任された宮沢首相は解散に踏み切る。総選挙で自民党は過半数を割り、非自民政党による連立工作が始まる。一方、自民党でも野党転落を防ぐべく、YKK(山崎拓、加藤紘一、小泉純一郎)が中心となって日本新党の細川護煕代表を首相に担ぐ構想を練っていたが、先手を取ったのは小沢だった。〉

小沢 (細川の)担ぎ合いなんか全然ありません。僕は、選挙が終わってすぐぐらいに、もう細川さんの了解を取っていたから。
武冨 最近、山崎拓さんとしばらくぶりで飲んだんだけど、彼らも細川さんを説得しようと考えたが、すでに時遅しだったと言ってました。細川をどう口説いた?
小沢 何ていうことはない。「あなたは、総理だ」と。「あなたが総理になって、自民党政権を変えなくてはいけない」と。新党さきがけ代表の武村正義は自民党との連立志向だったから、ものすごく抵抗しましたが、「自民党と連立したら政治改革なんてできなくなる」と言いました。細川さんは「一晩、考えさせてくれ」と。翌日かな、「武村とも話して、わかりました」となった。

 〈総選挙から22日後、非自民・非共産の8会派による細川政権が発足。55年体制が崩壊し、自民党が結党以来初めて下野した瞬間だった。〉


 8.23日、細川首相、所信表明演説で、政治改革の遅れが政治不信と政治の空白を招き、日本の進路に重大な影響を及ぼしているとして、「政治改革を断行する」ことを「内閣の最初の、そして最優先の課題」と位置づけると発言。
 8.26日、民間政治臨調幹事会、自民党政治改革推進議員連盟幹部と懇談(西岡武夫、野田毅、北川正恭、河村建夫他)。
 8.27日、民間政治臨調幹事会、社会党幹部と懇談(山花貞夫、久保亘、佐藤観樹、左近正男、堀込征雄他)。
 8月、土井たかこが女性初の衆議院議長を勤め、議員指名に「さん付け」を実行(〜1996年10月)。
 9.6日、民間政治臨調幹事会、新党さきがけと懇談(武村正義、鳩山由紀夫、園田博之、井出正一、渡海紀三郎、三原朝彦、佐藤謙一郎、簗瀬進)。
 9.13日、イスラエルとPLOがパレスチナ暫定自治宣言に調印。
 9.17日、河野陽平氏が自民党総裁に無投票当選。
 9.17日、第128 臨時国会招集。細川内閣、政治改革関連4法案を閣議決定し国会に提出(小選挙区250・比例代表250の並立制・2票制・比例全国単位)。
 9.20日、東京地検特捜部、清水建設会長吉野照蔵を茨城県知事竹内への1,000万円贈賄容疑で逮捕。
 9.20日、社会党、委員長選挙で村山富市氏を選出。久保と村山富市国会対策委員長が有力視されるが結局村山で一本化。村山は翫正敏を破って委員長に当選し、久保を書記長に起用。
 9月、戦域ミサイル防衛(TMD)日米協力検討開始。
 9.27日、東京地検特捜部、宮城県知事本間俊太郎を大成建設からの2,000万円収賄容疑で逮捕。
 10月、新右翼野村秋介氏が朝日新聞東京本社でピストル自殺。
 10月、日本人民戦線の『偉大な10月闘争』が展開される。われわれを襲ったあの経済上の激震に耐えぬき、闘い抜き、全党が新たな転換と飛躍、再出発を闘い取った偉大な月間であった。森久書記長の名による『全党へのアピール』は次のような言葉で結ばれていた。「党は存在する。党は不滅である。党は生き続ける! プロレタリアはこの革命によって鉄鎖のほかに失うものは何もない。彼らの得るものは全世界である。戦いかしからずんば死、血なまぐさき闘争かしからずんば無。このように、問題は厳として提起されている。わが党、わが党員、わが同志、すべての協力者、人民戦線に敬礼する!」と。まさに10月闘争はすべてを点検し、すべてを再編成した。

 このような歴史が、このような偉大な十月闘争という存在が、その意識的表現としてのわが行動派党をつくりあげ、そしてまたわれわれの十月闘争が大武議長による五つの思想文献を生み出した。故にわが党、日本共産党(行動派)とは、一般的(国際的)には正統マルクス主義の党であり、特殊的には(日本においては)十月革命精神と十月革命英雄主義が生み出した「三信一守」の党であり、これが大武思想を核心とする行動派党である。そしてわれわれの十月記念集会はこのことをはっきりと確認し、歴史に思いをよせ、歴史をたたえ、歴史に忠誠を誓う合図とするためのものである。偉大な十月を生み出した日本革命と日本共産党の革命的伝統万歳!
 10.3日、ロシア共和国議会襲撃事件が発生。ハズブラート達を中心とする民族派が議会棟に立てこもった。10.4日、モスクワで正規軍が反エリツィン派が立てこもる最高会議ビルを砲撃、制圧した。
 10.5日、自民党、政治改革関連5法案を国会に提出(小選挙区300・比例代表171・並立制・1票制・都道府県単位)。
 10.13日、政治改革関連法案、衆議院本会議における政府案と自民党案の趣旨説明とこれに対する各党質疑が行われ、審議入り。
 10.21日、東京地検特捜部、前仙台市長石井への1000万円贈賄容疑で鹿島東北支店幹部ら2人を逮捕。10.28日、前仙台市長石井の収賄事件初公判。10.26日、東京地検特捜部、鹿島副社長清山信二を前茨城県知事竹内への2,000万円贈賄容疑で逮捕。
 10.27日、臨時行政改革推進審議会(第3次行革審)、最終答申。
 10月、エリツィン.ロシア大統領が来日。細川首相と東京宣言を発表。
 11.1日、民間政治臨調、与野党国会議員75名とともに「超党派議員との緊急合同集会」開催し、政治改革関連法案の成立に超党派で取り組むことを決議(ホテル・ニューオータニ)。
 11.8日、民間政治臨調、与野党国会議員150名とともに、2500名の参加者を集めて「政治改革の実現を求める緊急国民集会」を開催。国民集会の席上、亀井正夫会長は出席した細川首相、河野自民党総裁を前に両者のトップ会談で政治改革法案に決着をつけることを提案。また、両者トップ会談による事態打開を国民集会緊急アピールとして決議(ホテル・ニューオータニ)。
 11.11日、東京地検特捜部、大昭和製紙名誉会長斉藤了英を前宮城県知事本間への1億円の贈賄容疑で逮捕。
 11.15日、細川首相、河野自民党総裁とのトップ会談で小選挙区274 議席、比例代表226 議席などの譲歩案を提示→河野自民党総裁が拒否→会談決裂。11.15日、深夜未明に細川首相、河野自民党総裁のトップ会談(会談は不調に終わる)
 11.16日、(与野党の一部委員を差し替えた)衆院政治改革調査特別委員会が一部修正した政治改革法案を1票差で可決。
 11.17日、米下院が北米自由貿易協定(NAFTA)実施法案を可決。
 11.18日、衆院本会議で法案可決(自民13人,社会5人造反)。11.18日、衆議院本会議に、連立与党側が細川・河野会談で示した譲歩案(正確には細川首相が会談で提示した事項および特別委員会理事による協議において合意された事項)に沿った修正政府案が提出され、可決(小選挙区274・比例代表 226・並立制・2票制・比例全国単位)。
 11.20日、APEC非公式首脳会議(米シアトル)がアジア太平洋地域の緩やかな共同体を目指す経済展望声明を採択。
 11.26日、参議院本会議で政治改革関連4法案修正政府案趣旨説明、参議院審議入り。
 12.1日、衆議院で第2次補正予算案の審議始まる→連立政権・与党,政治改革4法案の年内成立を断念。細川首相、政治責任に言及ぜず。
 12.2日、衆議院予算委員会, 中西防衛庁長官の改憲発言で審議ストップ→中西辞任。
 12.6日、東京地検特捜部、前飛島建設相談役植良祐政ら2人を前知事竹内への1,000万円贈賄罪で在宅起訴。
 12.9日、参議院政治改革特別委員会、政治改革関連法案趣旨説明。
 12.13日、民間政治臨調「政治改革関連法案審議に関する緊急提言」公表。今国会の大幅な会期延長を求めるとともに、政治改革関連法案に関する参議院における審議のあり方を批判。
 12.14日、細川首相が記者会見し、ウルグアイ・ラウンド(コメ部分開放)受け入れによる米の部分開放(「米の自由化」)を決定する。民間政治臨調、与野党国会議員109名とともに「第2回・超党派議員との緊急合同集会」を開催。臨時国会を会期延長('94 年1月29日までの45日間)し今国会中に法案を成立させることを超党派議員の総意として決議(東京全日空ホテル)する。
 12.15日、日本世論調査会、細川内閣の支持率62%と発表→10月の調査より12.2ポイント低下=各社の調査も同様。
 12.15日、衆議院本会議において1月29日まで45日間の会期延長を可決。
 12.16日、田中角栄元首相死去。枕もとに座ることができた政治家は、当時の細川首相、河野洋平自民党総裁、河野が同伴した土井たか子衆議院議長、鯨岡兵輔同副議長の4名だけだった。旧田中派の有力メンバーは誰一人座ることが許されなかった。この異常な情景こそが田中の置かれていた立場の複雑さ、寂しさを象徴している。
 12.17日、政府、越年予算編成を発表。
 政府税調(会長・加藤寛)が、「高齢化社会の到来に備えて、所得・住民税の減免と、消費税率の引き上げを一体的に実施するよう」求める答申を提出した。
 12.24日、細川首相、記者会見を行い、政治改革関連法案の年内不成立を国民に謝罪する。
 12月、仙台で、約100名の旧鉄労組合員が、松崎ら旧動労幹部による独善的な組織運営に反発し、JR東労組仙台地本を脱退、JR東新労を結成。







(私論.私見)