第50部 | 1988(昭和63)年当時の主なできごと.事件年表 |
(れんだいこのショートメッセージ) |
2002.10.20日 れんだいこ拝 |
【ハマコーの爆弾発言事件】 (「補足・ハマコー(浜田幸一元自民党代議士)の貴重な事件分析」参照) |
2.7日、衆院予算委員会で、テレビ放映中継下での共産党の正森成二議員の質問中、浜田幸一委員長が割って入り、共産党議長宮本顕治氏を殺人者呼ばわりし紛糾。委員会室は一時騒然となった。これを少し詳しく見ると次のような経過であった。 発端【第一幕】は、正森議員が、代々の自民党が「過激派の泳がせ政策」を取っていると指摘し、その論証の一つとして、浜田委員長の過去のテレビワイドショーでの発言を引き合いにだし、概要「1984.9.19日の中核派による自民党襲撃事件の際に浜田議員が、『この責任は誰にあるかというと、泳がしていた我々にもある』との発言をしている。この点では意見が一致します」と例示した。これに対し、浜田委員長が、過去の発言は手ぬるいという意味であるのを曲解させて「政策として意図的に泳がせていることを認めているかのように利用している」ことを批判し、概要「殺人者である宮本顕治氏をトップに戴く共産党との意見の一致を言われることは心外」として抗弁した。正森議員は、「過激派の泳がせ政策」の質疑が急転直下「共産党の最高指導者宮本議長の戦前のリンチ事件」に話題が転じたことに動揺し、「そういう発言は断じて許せない」と待ったをかけた。浜田委員長は、既に勢い止まらず、概要「戦前の宮本氏らによる小畑氏リンチ事件疑惑を持ち出し、これを隠蔽している共産党の体質とは政治信条から相容れるものがない」ことを論述した。これに場内ヤジが飛び交い、議場は大混乱となった。 浜田委員長の発言は後で審議することで決着させ、正森議員の質問が次に移ったため、議場の混乱は収まった。これが【第二幕】となる。この間、関係資料を整える時間が与えられた。浜田委員長は、「このままでは、テレビを見ていた人に、あたかも私と、殺人者を最高幹部とする日本共産党とが同じ意見であるかのような印象を与えたままで終わってしまう。それは私としては我慢のならないことだった」ようで、頃合の良い頃を見計らったが、故意か偶然か正森議員の宮沢蔵相に対する質問が長引きまもなくテレビ放送時間を終わろうとしていた。 浜田委員長待ちきれず、正森議員の質疑中に無理やり割って入った。これが【第三幕】となる。「正森君ちょっとお待ちください」、概要「いいですか、そうでないと後悔しますよ。それはどういうことかというと、昭和8年12.24日、宮本顕治他数名により、当時の財務部長小畑達夫を股間に針金で締め、リンチで殺した。このことだけは的確に申し上げておきますからね。いいですね」と発言し始めた。正森議員は、「何を云っておるんだ。そんなこと、聞いておらないことを何を云っているんだ」と抗弁し、この後発言取り消せ、取り消さないで揉めた。 同委の質疑終了後、与野党理事が問題の取り扱いを協議、野党各党は「質問中に、それをさえぎって委員長が勝手に発言したのは問題だ」とし、特に共産党は、「委員長は更迭されるべきだ」と主張した。「テレビは、6時ちょっと前の場面だけを繰り返し繰り返し放映し、いかにも正森君が円ドル問題を質問している時に、何の脈絡も無く私が突然介入してきて、彼の発言を抑えたかのような印象を視聴者に与えるように細工した」(浜田幸一「日本をダメにした9人の政治家」)。 結局、この時の発言によって、浜田氏は2.12日辞任。 |
4.28日、政府の税制調査会の中間答申で、消費税3%案が浮上。「国民に広く薄く安定的な負担を求める新型間接税(通称「新消費税」)の導入は必要やむを得ないと判断した」と結んであった。政府税制調査会委員の加藤寛・慶応大教授らがこれを答申した。 |
【谷垣禎一衆議院議員が買春容疑で中国公安部に摘発される】 |
4月、谷垣禎一衆議院議員が北京で開かれた「第4回日中民間人会議」に出席した時、谷垣は宿舎「西苑飯店」のディスコで親しくなった女性を自室に連れ込み、約1時間して女性が出た後、中国公安部から呼び出され、ホテルの一室で取り調べを受けた。「『週刊文春2005.12.8日号」が明らかにした。文春が入手した「中国駐在商社員等に対する摘発・国外退去事案(情報)」リストによると、「事案」は1〜11までの数字が打たれ、具体的なケースが記載されている。この時の谷垣財務大臣は「説明責任は一切ない」と回答したとある。 |
【リクルート事件勃発】 |
6.18日、朝日新聞横浜支局スクープによるリクルート疑惑が川崎市で表面化した。記事は、、川崎市テクノピア地区へのリクルート社進出にからみ、川崎市助役・小松秀煕が、リクルートコスモス社の未公開株3千株を購入し、店頭公開と同時に売却して1億2千万円の売買利益を得ていたとする事件を報道した。当初は川崎市の都市計画「かわさきテクノピア」を廻る自治体スキャンダル(テクノピアへのリクルート社進出に絡む同市助役へのリクルート社の子会社であるファーストファイナンス社の未公開株融資付き売買疑惑であったが、)のように見えたが、まもなく「リクルートコスモス社株が政・財・官界に幅広くばら撒かれ、特に政界の実力者達が軒並み『濡れ手に粟』式利益を手にしていた実態が判明していくことになる。この模様はテレビで放映され、世論は沸騰した。「日本の株式市場のゆがみを利用して政・財・官界など特権階級の人々の金儲け主義(錬金術)が白日の下にさらされ」、事件が中央政界を巻き込むことになった。こうして、リクルート事件が勃発した。上田卓三(衆議員、社会党)が追求し始める。 ここまでの伏線は次の通り。1983.12月、藤波孝生被告が第2次中曽根内閣の官房長官に就任。1984.1月、日経連専務理事(当時)が就職協定無用論を打ち出す。同3月、各省庁の人事担当者会議で就職協定順守を申し合わせ。1986.9月、リクルート側が藤波被告にリクルートコスモス株を譲渡。同10月、コスモス株店頭公開。1988.6月、小松秀煕・川崎市助役への株譲渡が発覚。 |
【6―7月、リクルート.コスモス未公開株疑惑表面化】 |
6.25日、リクルートコスモス社株の売却で利益を得ていた政治家として森喜朗衆院議員の名前が報ぜられる。6.30日、渡辺美智雄、加藤睦月、加藤紘一の各自民党衆院議員、民社党の塚本三郎委員長の名前が浮上した。7.6日、中曽根前総理、安倍晋太郎幹事長、宮沢喜一大蔵大臣も秘書名義で株の売却を行っていた事実が判明。7.7日、竹下総理にも同様嫌疑が為され、追認した。こうしてリクルート・コスモス未公開株の疑惑譲渡先として元閣僚を含む76人が発覚するという「リクルート疑惑」が発覚、政・官・財界の「癒着構造」が露呈した。 |
【BIS規制】 |
7月、各国の金融当局などで構成する国際決済銀行(BIS)のバーゼル銀行監督委員会が開かれ、銀行の自己資本比率に関する国際的な統一基準を示した。これにより、国際業務を行う銀行は、貸し出しの8%以上の自己資本を持たねばならないということになった。これを「1988年BIS規制」と云う。イギリスやアメリカは長期資金を貸し出ししない国柄であるので規制にあまり影響を受けなかったが、日本やドイツの銀行はそれまで4%程度で運営していたため影響を強く受けることになった。 ドイツは反対したが、日本は英米に同調した。しかし、これにより日本経済は影響を受けることになった。規制の狙いは、銀行が経営体力を上回るようなリスクを抱えて、経営の健全性を損なうのを防ぐことにあったが、自己資本が比較的薄いにもかかわらず積極的な融資を展開し、資金量で世界の上位をほぼ独占した邦銀の存在感に欧米諸国が警戒感を抱いたことが背景事情にあったとされている。事実、BIS規制の導入後、邦銀は融資内容の見直しを迫られ、邦銀が融資を引き揚げることによりますます経済活動が圧迫され、株価下落の原因となっていく。98―99年の金融危機では大手行でもBIS規制での自己資本比率8%の維持が難しくなり、公的資金注入につながった。 BIS(Bank for International Settlement=国際決済銀行)は、スイスのバーゼルに本拠地を置く、世界の中央銀行を束ねる国際機関で、元々は第一次世界大戦後のドイツ賠償処理機関として設立され、IMF設立時に廃止されるとされていた。それがそうはならず、引き続き大きな権限が与えられ金融政策に関与していくことになった。 |
「七〇年代八〇年代の頃から、先進資本主義国における社会民主主義政党の脱マルクス主義化がよりいっそう進んだばかりではなく(同時に共産党の脱マルクス=レーニン主義化も進みましたが)、広く労働運動一般においても、マルクス主義イデオロギーの影響は一掃されてしまったといっても過言ではないでしょう。このことをもっとも典型的に示しているのは、日本の場合であって、その全盛期には、「昔陸軍、今総評」とヤユされるほどの強力な組織力・政治力をもっていた「総評」(日本労働組合総評議会)は、一九八八年に解散し、八九年には、同盟、中立労連、新産別とともに「連合」(日本労働組合総連合会)を結成し(組合員数九八年六月現在で七七六万)が設立された」。 |
【「裁定取引」が東京と大阪の証券取引所に導入される】 |
9.3日、バブル経済がピークに差しかかったこの日、竹下政権の下で「TOPIX−日経平均株価を先物で売買」する「裁定取引」が東京と大阪の証券取引所に導入された。「裁定取引」は、平成元年12月29日にピークとなり以後、下落が始まる。主にソロモン・ブラザーズ証券とメリルリンチ証券とにより、わずか半年で「四〇兆円」もの資金がアメリカに流出した。取引を中止する「サーキット・ブレーカー」がセットされておらず、資金流出を食い止められなかった。バブル経済は平成四年八月一八日に終わる。「TOPIX−日経平均株価を先物で売買」する「裁定取引」は、アメリカ・レーガン政権の圧力で強要されて導入された。 |
【竹下改造内閣発足】 |
12.27日、竹下改造内閣発足。宮沢の後任に宮沢派の村山達雄。法務大臣に就任した長谷川峻はリクルート社から政治献金を受け取っていたことが判明し、12.29日辞任。 |