1984年通期 | 1984年(昭和59年)当時の主なできごと.事件年表 |
(れんだいこのショートメッセージ) |
2002.10.20日 れんだいこ拝 |
2.6日、衆議院で、政治倫理制度を協議するため政治倫理協議会が発足。
3.16 | 自民党田中六助幹事長、日本記者クラブの講演で、「田中元首相は政界にいまなお大きな影響力を持っている」と発言。 |
3.30 | 田中派総会に出席。中曽根内閣への協力を明言。「木曜クラブは総裁候補も出さずに骨抜きになっているといわれているが、カゴを担ぐ人のわらじを作っているのが諸君だ」。 |
6.22 | 旧船田派の稲村利幸ら3名が入会、田中派は120名になる。 |
6.29 | 自民党新潟県議48名による「田中元首相を囲む会」が発足。 |
【雑誌『葦牙(あしかび)』批判キャンペーン】(「民主主義文学同盟『4月号問題』事件」) | ||||||||||||
民主主義文学同盟辞任メンバーは、雑誌「葦牙(あしかび)」を創刊して、抵抗した。宮顕私的分派・側近グループは、1985年4月以降、徹底した「葦牙批判キャンペーン」を民主文学、文化評論、赤旗で行った。それに対して、次のような動きで論陣を張った。
「葦牙(あしかび)」同人会は、その後、隔月刊誌「葦牙ジャーナル」も、D.元常幹吉田悦郎を編集責任者として発行した。E.元常幹上原真は、そこで、毎号『深夜妄語』を連載している。さらに、同人会として、『霜多正次全集全5巻』を刊行した。彼らは、インターネットHP「葦牙(あしかび)」において、『文学運動における「自主」と「共同」』を追求しつつ、「4月号問題」とその経過を解明する、特集記事、論文を多数載せて、批判活動を続けている。 |
【原水協古参幹部粛清事件】(「原水禁運動に対するデタラメ指導と詐術総括について」) |
(参考文献)「原水協で何がおこったか」(長崎肇.日中出版) この時、「原水協古参幹部粛清事件」が発生している。詳細は、「原水禁運動に対するデタラメ指導について」に記した。要点は、党中央による又もや振り下ろされた闘う人士、団体に対する弾圧であった。れんだいこの「宮顕の変態長征史上、党内清掃第17弾」になる。 この時の弾圧で、原水協の代表幹事吉田嘉清.草野信男、日本平和委員会の事務局長・森賢一、会長・小笠原英三郎、理事長・長谷川正安ら、及び古在由重ろ、江口朴郎らの取り巻き知識人ら党歴30数年の学者党員たちが「党中央の指示に従わぬ」という理由で、除名された。 これを報じようとした日中出版社の「原水協で何がおこったか、吉田嘉清が語る」出版に対し、前代未聞の出版指し止め画策をしている。これら一連の経過が伏せられているが、まさに犯罪的であろう。 |
11.1日、第2次中曽根改造内閣発足。(新自クとの連立継続)首相・中曽根康弘、副総裁・二階堂進、幹事長・金丸信(田中派)、総務会長・宮澤喜一鈴木)、政調会長・藤尾正行(福田)、大蔵大臣に竹下、外務大臣に安倍が留任。 |
11.9 | 新たに2名が加わり田中派122人に。 |
【民主文学同盟辞任派が「葦牙(あしかび)」を創刊】 |
11月、民主文学同盟辞任メンバーは雑誌『葦牙(あしかび)』を創刊した。 |
12.3 | 共産党が、国会に田中元首相の議員辞職勧告決議案を提出。 |
12.19日、金丸の音頭で、竹下登・橋本龍太郎・小沢一郎・梶山静六・羽田孜が集まり、「竹下中心の勉強会」発足を決議。
12.25 | 竹下登ら「創世会」の第一回準備会(実際には2度目の会合)。衆院12人、参院2人の14名(衆議院・竹下、金丸、小渕、橋本、小沢、羽田、梶山、中村喜四郎、田原隆、中島衛、保利耕輔、額賀福四郎、参議院・遠藤要、井上孝)が築地の料亭「桂」にひそかに集合し会合。「創世会」旗揚げの謀議を凝らす。席上、竹下が「全てを燃焼し尽くして、65歳までに全てを終え、政界を引退する覚悟です」と決意を述べた。 |
「1984年、労働者大衆といっそう緊密に結びついた労働者政党の建設をめざしマル労同を発展的に改組して結成された社労党(社会主義労働者党)のもとでも労働者大衆の中で機関紙誌を軸とした原則的な闘いを推し進めるとともに、引き続き地方選や国政選挙への参加が積極的に取り組まれ、確認団体として参加した86年および89年の参院選挙では、比例区で15万票を獲得した。 社労党は組織的には今だ眇(びょう)たる存在でしかない。しかし、社会党の消滅、共産党の底知れないブルジョア的な堕落の深化、新左翼運動の退廃と衰滅といった現状を見るならば、労働者階級とその幾多の先駆者たちが営々として築いてきた日本社会主義運動百年の歴史の大道に立っているのが誰であるかは明白であろう。 来年は幸徳秋水らによって日本で最初の社会主義政党=社会民主党(即日禁止)が結成されてちょうど百年の節目に当たる。われわれこそはこれら先人たちの始めた事業の真の後継者であるとの自負と確信の下に、新世紀に向けて飛躍を期し、決意を新たに前進を開始しよう」。 |
この年、中野徹三が除名された。その背景には、札幌唯物論研究会など知識人党員が結集する研究会の動向に対して共産党中央が警戒していた事情がある。アルチュセール研究を進めていた東京唯物論研究会、民主主義学生同盟(民学同)と関係のあった大阪唯物論研究会唯物論など、地方唯物論研究会を全国統一しよう とした動向にも関連がある。これについては、日本語でも経緯を記録した文献はない。 |