『戦後史の正体』読書ノート続き
次期角栄は日本の繊維業者に巨額の損失補てんを約束、米国との繊維交渉を解決。◇69年、外務省の中には対米自立派がまだ力。◇ロッキード事件。田中首相を有罪にするために三木首相は過去に採用されたことがない異常な訴追手法を採用。◇アメリカが角栄を葬ろうとして理由。対中国交回復では?。◇福田首相 全方位外交。米国 アジア離れがそれを可能とした。75サイゴン陥落。77.1 カーター大統領就任、早々在韓米地上軍削減発表。*福田ドクトリン。・日本は軍事大国にならない。・同じアジア人として心と心のふれあいを大切にし、民族の多様性を肯定しつつ対等の立場で協力する。世界の動乱が始まって一番打撃を受けるのは資源小国の日本だ。・ASEANの連帯と強靭性(敵の攻撃に対する抵抗力)を強化するための自主的努力に協力する。*この福田ドクトリンの下準備は外務省が。中心人物は西山健彦アジア局審議官。若い事務官のとき自宅で外務省仲間とプラトンの『国家』や経済学者ロストゥの著作の読書会をしていた。
◇大平首相。全方位外交の旗をおろし、対米協調路線の前進という立場を鮮明に打ち出した。そして日米同盟関係という語を初めて使用。80.5.30 総選挙公示日新宿で第一声をあげた直後気分が悪くなり、入院、2週間後、心不全で死去。
◇鈴木善幸首相。次の首相中曽根は「田舎の村長」と呼んだ。しかし若い日に中野正剛(戦時中に東条首相を批判し、追い詰められて自殺)や賀川豊彦(キリスト教徒で社会運動家)に傾倒、生活苦にあえぐ東北の漁民をみて育ち、最初は社会党から選挙に出ている。平和という理念をつねにもっていたと思う。そして見解を対外的にしっかり発信している。在任中米国はソ連の脅威を強調するようになり日本に防衛力の強化を迫った。鈴木は勉強会を立ち上げているが、外務省に関与させると米国よりの評価しかこないとし、外務省の枠外に勉強会を作らせた。首相になる前、79年の日米下田会議(第5回)でも鈴木は「アジアー日本の役割・アメリカの役割」と称して次のように述べている:@ わが国の努力は平和的手段のものに限られる。各国に軍事的協力はしない。このことはアジア諸国も理解。A わが国のなしうる最大の貢献は経済社会開発と民生安定につうずる各国の国づくりに対する努力。B 国づくりとともに、この地域の平和と安定のための政治的役割をはたしていく。
|