田原総一朗×郷原信郎【第1回】「特捜部は正義の味方」の原点となった「造船疑獄事件の指揮権発動」は検察側の策略だった!
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/39104
2014年05月05日 現代ビジネス
■造船疑獄は検察の暴走だった
田原: せっかく地検特捜部について元特捜部にいた郷原さんに解説していただいているので、この際お聞きしたいんですが、特捜部ができたのはいつ頃なんですか?
郷原: 特捜部の前身に当たる隠退蔵物資特捜部が出来たのは昭和22年のことで、戦後すぐですね。正式に特捜部が発足したのは昭和24年のことです。
田原: そのきっかけになったのは何ですか?
郷原: 当時の日本は進駐軍の占領下だったんですが、当時進駐軍の下で隠退蔵物資の摘発を専門にやる組織ができて、昭電疑獄などの政治家に絡む事件で特別な検察の組織が必要だということになって、隠退蔵物資の摘発部が特捜部になったんですね。
田原: 僕がいちばん知っている有名な事件としては、造船疑獄というのがありましたね。当時の政権与党である自由党の幹事長だった佐藤栄作さんが逮捕されそうになったけど、犬養健法務大臣は重要法案の審議中だということで逮捕させなかった。あの造船疑獄は特捜部の事件じゃなかったですか?
郷原: 特捜部ですね。あの造船疑獄事件の指揮権発動で特捜部が世の中に非常に大きく認知されることになったんですね。「正義の味方・特捜部の行く手を汚い政治家の手が阻んだ」ということで。
田原: 佐藤栄作さんが当時自由党の幹事長だったんだけど、彼が逮捕されたらその次は池田勇人が逮捕されるはずだった。それで政権が無茶苦茶になった。ところが佐藤栄作の逮捕を指揮権発動で止めたんですよ。
郷原: ただこれは私自身の本のなかでも書いているんですが、世の中の多くの人は「検察の正義が時の政権側の指揮権発動という圧力で阻まれた」という事件だと思っているわけですが、それとは別の見方があるんです。実はあの造船疑獄というのは、検察の暴走だったという見方もあるんですよ。むしろ捜査が行き詰まっていて、やりようがなくなっていたという話です。
河井信太郎という有名な特捜検事がいるんですが、その河井検事が強引なやり方で造船疑獄(※)の捜査を進めていって、世の中的には自由党幹事長の佐藤栄作氏の逮捕必至と思われるところまでいったんですが、捜査の内実はひどいものだった。十分な証拠もなく、法律解釈上も無理筋の事件で、それ以上はどうにもならない状況になっていった。そこで、特捜検察の威信を傷つけないように「名誉ある撤退」という方向に持っていくために、時の検察幹部が吉田首相側に密かに工作をして指揮権発動を行わせたという説があります。
(※) 第二次世界大戦後、日本の計画造船における利子軽減のための「外航船建造利子補給法」制定請願をめぐる贈収賄事件。1954年1月に検察による強制捜査が開始された。政界・財界・官僚の被疑者多数が逮捕され、当時の吉田茂内閣が倒れる発端となった事件の一つ。
■指揮権発動の真相
田原: 特捜部の幹部が時の総理大臣に、裏側では何をやれと言ったんですか?
郷原: 検察の幹部ですね。要するに、吉田首相の側近に「指揮権発動という方法があるよ」と知恵をつけたということです。今にも検察の捜査が自由党の幹部に及ぶというふうにプレッシャーをかけながら、裏側では指揮権発動という方法があるということを仄めかして、吉田首相側が犬養法務大臣に対して、指揮権を発動するよう指示するように仕向けたということですね。
田原: 犬養さんは、あれで政治家として完全に失脚しましたね。
郷原: それで吉田内閣も崩壊したわけです。だから、戦後史のなかでは非常に大きな出来事でした。それが実は検察側の策略だったんじゃないかということは、これは私が言い始めたことじゃないんです。共同通信の政治部の元記者で長く法務・検察を担当していた渡辺文幸さんという人がいて、この人の『指揮権発動―造船疑獄と戦後検察の確立』という本のなかで検察謀略説が詳しく書かれています。朝日新聞の村山治記者も、「人脈記」という連載の中で、この問題を取り上げ、当時の検察幹部から取材した結果などから、実は、造船疑獄の操作が行き詰っていたことを明らかにしています。
田原: これは戦後史を大きく変える発言ですね。戦後史についてはいろいろな本が書かれているけど、検察が佐藤栄作を逮捕しようとしたら、吉田茂は何ともけしからんことに指揮権発動という手段に出た、しかも時の法務大臣の犬養健がそれを受けた、だらしない、ということになっている。しかも、その犬養は政治家は政治家として失脚したし、これで吉田内閣もダメになった、とんでもない話だ、といわれているけど、実はその裏では特捜部が仕掛けたことだった、というわけですね。
郷原: この指揮権発動があったから、世の中の特捜部に対するシンパシーが物凄く高まったんです。「特捜頑張れ、汚い政治家の圧力なんかに負けるな」と、そういうような世の中の認識の原点がそこにあるんです。
田原: そこまで計算して特捜は吉田を狙ったんですか?
郷原: それは結果的にそうなったのかもしれないですが、少なくともそのときの造船疑獄の捜査の状況は、とても前には進めない状況だったようです。朝日新聞の「人脈記」では、そのことは、相当ご高齢の当時の複数の検察幹部が「今なら話してもいいだろう」ということで取材に応じて証言しています。
田原: 戦後史を大きく書き換える話ですね。
これまでは「吉田茂というとんでもないワンマンな首相が、指揮権発動だととんでもないことを言って佐藤栄作を救った、無茶苦茶だ、そんな無茶苦茶なやり方に時の法務大臣の犬養権が従った、犬養も政治家として失格だ」と、これまでの戦後史ではそうなっているんです。吉田茂もそんな無茶苦茶をやったから、それが吉田内閣が崩壊するきっかけになったわけですが、ところがそれは実は特捜部がやらせたんだ、というのは本当に大変な話なんですよ。いや、ごめんなさい、話を元に戻そうか(笑)。