芥川龍之介の「西郷隆盛」考



 (最新見直し2008.2.21日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ネット検索で、芥川龍之介の「西郷隆盛」を見つけた。青空文庫作成ファイルで公開されており、「インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました」とある。「芥川龍之介、作家別作品リスト:No.879」の中ににサイトアップされている。底本は、「芥川龍之介全集2」(ちくま文庫、筑摩書房 、1986.10.28日初版」で、底本の親本は「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」(筑摩書房、1971.3月)とある。脱稿は、1917(大正6).12.15日、初出は、「新小説」(1918(大正7)年1月)とある。

 これを転載するのは叉何やかや著作権が煩いのかも知れない。しかし、芥川と云えば、れんだいこが19歳の時、その全集を読破して以来の生涯の師友であり、そのれんだいこが知らなかった文章であり、今非常に興味を覚えたので、これと対話しながら転載読了していく事にする。

 「ものの見方考え方」で非常に啓発される名文だと思う。史実とされているものが操作された史実でしかない可能性を説いており、「藪の中」と並ぶ双子的価値のある芥川名作では無いかと思う。「9.11テロの真相」、「幕末王朝すり替え論」、「ロッキード事件」辺りも、この観点から問えばなおさら面白くなるだろう。そういう意味で、れんだいこも晒しておく事にする。文章内容には障らないように、れんだいこ文法に則り適当にアレンジした。

 我々の思案を深めるという意味で、「藪の中」も転載しておくことにする。或る事件を三者が三様に物語っており、真相を見極める困難さを「(真相は)藪の中」と題して綴っている。その味わいを説く名作である。

 両作品とも、我々の思案を深めるための必読作品であると考える。ゆえに、世に知らしめておこうと思う。
 
 2008.2.21日 れんだいこ拝


 西郷隆盛  芥川龍之介
 これは自分より二三年前に、大学の史学科を卒業した本間さんの話である。本間さんが維新史に関する、二三興味ある論文の著者だと云う事は、知っている人も多いであろう。僕は昨年の冬鎌倉へ転居する、丁度一週間ばかり前に、本間さんと一しょに飯を食いに行って、偶然この話を聞いた。

 それがどう云うものか、この頃になっても、僕の頭を離れない。そこで僕は今、この話を書く事によって、新小説の編輯者に対する僕の寄稿の責めをうしようと思う。もっともになって聞けば、これは「本間さんの西郷隆盛」と云って、友人間には有名な話の一つだそうである。して見ればこの話もある社会には存外もう知られている事かも知れない。

 本間さんはこの話をした時に、「真偽の判断は聞く人の自由です」と云った。本間さんさえ主張しないものを、僕は勿論主張する必要がない。まして読者はただ、古い新聞の記事を読むように、漫然とを追って、読み下してさえくれれば、よいのである。
―――――――――――――――――――――――――
 かれこれ七八年も前にもなろうか。丁度三月の下旬で、もうそろそろ清水一重桜が咲きそうな――と云っても、まだ霙(みぞれ)まじりの雨がふる、ある寒さのきびしい夜の事である。当時大学の学生だった本間さんは、午後九時何分かに京都を発した急行の上り列車の食堂で、白葡萄酒のコップを前にしながら、ぼんやりM・C・Cの煙をふかしていた。さっき米原を通り越したから、もう岐阜県のに近づいているのに相違ない。硝子(ガラス)窓から外を見ると、どこも一面にまっ暗である。時々小さい火の光りが流れるように通りすぎるが、それも遠くの家の明りだか、汽車の煙突から出る火花だか判然しない。その中でただ、窓をたたく、凍りかかった雨の音が、騒々しい車輪の音に単調な響を交している。

 本間さんは、一週間ばかり前から春期休暇を利用して、維新前後の史料を研究かたがた、独りで京都へ遊びに来た。が、来て見ると、調べたい事もふえて来れば、行って見たい所もいろいろある。そこで何かと忙(せわ)しい思をしている中に、いつか休暇も残り少なになった。新学期の講義の始まるのにも、もうあまり時間はない。そう思うと、いくら都踊りや保津川下りに未練があっても、便々と東山を眺めて、日を暮しているのは、気が咎(とが)める。本間さんはとうとう思い切って、雨が降るのに荷拵(こしら)えが出来ると、俵屋の玄関から俥(くるま)を駆って、制服制帽の甲斐甲斐しい姿を、七条の停車場へ運ばせる事にした。

 ところが乗って見ると、二等列車の中は身動きも出来ないほどこんでいる。ボオイが心配してくれたので、やっと腰を下す空地が見つかったが、それではどうも眠れそうもない。そうかと云って寝台は、勿論皆売切れている。本間さんはしばらく、腰の広さ十に余る酒臭い陸軍将校と、眠りながら歯ぎしりをするどこかの令夫人との間にはさまって、出来るだけ肩をすぼめながら、青年らしい、とりとめのない空想にっていた。が、その中に追々空想も種切れになってしまう。それから強隣の圧迫も、次第に甚しくなって来るらしい。そこで本間さんはむを得ず、立ったの空地へ制帽を置いて、一つ前に連結してある食堂車の中へ避難した。

 食堂車の中はがらんとして、客はたった一人しかいない。本間さんはそれから一番遠いテエブルへ行って、白葡萄酒を一杯云いつけた。実は酒を飲みたい訳でも何でもない。ただ、眠くなるまでの時間さえ、つぶす事が出来ればよいのである。だから無愛想なウェエタアが琥珀(こはく)のような酒のを、彼の前へ置いて行ったでも、それにはちょいと唇を触れたばかりで、すぐにM・C・Cへ火をつけた。煙草の煙は小さな青い輪を重ねて、明い電燈の光の中へ、悠々とのぼって行く。本間さんはテエブルの下に長々と足をのばしながら、始めて楽に息がつけるような心もちになった。

 が、体だけはくつろいでも、気分は妙に沈んでいる。何だかこうして坐っていると、硝子(ガラス)戸の外のくら暗が、急にこっちへはいって来そうな気がしないでもない。あるいは白いテエブル・クロオスの上に、行儀よく並んでいる皿やコップが、汽車の進行する方向へ、一時に辷り出しそうな心もちもする。それがはげしい雨の音と共に、次第に重苦しく心をおさえ始めた時、本間さんは物にやかされたような眼をあげて、われ知らず食堂車の中を見まわした。鏡をはめこんだカップ・ボオド、動きながら燃えている幾つかの電燈、菜の花をさした硝子の花瓶、――そんな物が、いずれも耳に聞えない声を出して、ひしめいてでもいるように、慌しく眼にはいって来る。が、それらのすべてよりも本間さんの注意を惹(ひ)いたものは、向うのテエブルに肘(ひじ)をついて、ウイスキイらしい杯をめている、たった一人の客であった。

 客は斑白の老紳士で、血色のいい両頬には、聊(いささか)か西洋人じみた疎(まば)な髯を貯えている。これはつんと尖った鼻の先へ、鉄縁(てつぶち)の鼻眼鏡をかけたので、殊にそう云う感じを深くさせた。着ているのは黒の背広であるが、遠方から一見した所でも、決して上等な洋服ではないらしい。――その老紳士が、本間さんと同時に眼をあげて、見るともなくこっちへ眼をやった。本間さんは、その時、心の中で思わず「おや」と云うかすかな叫び声を発したのである。

 それは何故かと云うと、本間さんにはその老紳士の顔が、どこかで一度見た事があるように思われた。もっとも実際の顔を見たのだか、写真で見たのだか、その辺ははっきりわからない。が、見た覚えは確かにある。そこで本間さんは、慌しく頭の中で知っている人の名前を点検した。

 すると、まだその点検がすまない中に、老紳士はつと立上って、車の動揺に抵抗しながら、大股に本間さんの前へ歩みよった。そうしてそのテエブルの向うへ、無造作に腰を下すと、壮年のような大きな声を出して、「やあ失敬」と声をかけた。

 本間さんは何だかわからないが、年長者の手前、意味のない微笑を浮べながら、鷹揚一寸頭を下げた。「君は僕を知っていますか。なに知っていない? 知っていなければ、いなくってもよろしい。君は大学の学生でしょう。しかも文科大学だ。僕も君も似たような商売をしている人間です。事によると、同業組合の一人かも知れない。何です、君の専門は?」。「史学科です」。「ははあ、史学。君もドクタア・ジョンソンに軽蔑される一人ですね。ジョンソン曰く、歴史家は almanac-maker にすぎない」。

 老紳士はこう云って、頸を後ろへ反(そ)らせながら、大きな声を出して笑い出した。もう大分酔いがまわっているのであろう。本間さんは返事をしずに、ただにやにやほほ笑みながら、その間に相手の身のまわりを注意深く観察した。老紳士は低い折襟に、黒いネクタイをして、所々すりきれたチョッキの胸に太い時計の銀鎖りを、物々しくぶらさげている。が、この服装のみすぼらしいのは、決して貧乏でそうしているのではないらしい。その証拠には襟でもシャツの袖口でも、皆新しい白い色を、つめたく肉の上へ硬(こわ)ばらしている。恐らく学者とか何とか云う階級に属する人なので、完(まった)く身なりなどには無頓着なのであろう。

 「オールマナック・メエカア。正にそれにちがいない。いや僕の考える所では、それさえ甚だ疑問ですね。しかしそんな事は、どうでもよろしい。それより君の特に研究しようとしているのは、何ですか」。「維新史です」。「すると卒業論文の題目も、やはりその範囲内にある訳ですね」。

 本間さんは何だか、口頭試験でもうけているような心もちになった。この相手の口吻(くちぶり)には、妙に人を追窮するような所があって、それが結局自分を飛んでもない所へ陥れそうな予感が、この時ぼんやりながらしたからである。そこで本間さんは思い出したように、白葡萄酒の杯をとりあげながら、わざと簡単に「西南戦争を問題にするつもりです」と、こう答えた。

 すると老紳士は、自分も急に口ざみしくなったと見えて、体を半分後ろの方へじまげると、怒鳴りつけるような声を出して、「おい、ウイスキイを一杯」と命令した。そうしてそれが来るのを待つまでもなく、本間さんの方へ向き直って、鼻眼鏡の後に一種の嘲笑の色を浮べながら、こんな事をしゃべり出した。

 「西南戦争ですか。それは面白い。僕も叔父があの時賊軍に加わって、討死をしたから、そんな興味で少しは事実の穿鑿(せんさく)をやって見た事がある。君はどう云う史料に従って、研究されるか、知らないが、あの戦争については随分誤伝が沢山あって、しかもその誤伝がまた立派に正確な史料で通っています。だから余程史料の取捨を慎しまないと、思いもよらない誤謬を犯すような事になる。君も第一にず、そこへ気をつけた方がいでしょう」。

 本間さんは向うの態度や口ぶりから推して、どうもこの忠告も感謝して然る可きものか、どうか判然しないような気がしたから、白葡萄酒を嘗(な)め嘗め、「ええ」とか何とか、至極曖昧な返事をした。が、老紳士は少しも、こっちの返事などには、注意しない。折からウェエタアが持って来たウイスキイで、ちょいと喉(のど)沾(うるお)すと、ポケットから瀬戸物のパイプを出して、それへ煙草をつめながら、「もっとも気をつけても、あぶないかも知れない。こう申すと失礼のようだが、それほどあの戦争の史料には、怪しいものが、多いのですね」。「そうでしょうか」。

 老紳士は黙って頷きながら、燐寸(マッチ)をすってパイプに火をつけた。西洋人じみた顔が、下から赤い火に照らされると、濃い煙がまばらな鬚をかすめて、埃及(エジプト)の匂をぷんとさせる。本間さんはそれを見ると何故か急にこの老紳士が、小面(こづら)憎く感じ出した。酔っているのは勿論、承知している。が、いい加減な駄法螺だぼらを聞かせられて、それで黙って恐れ入っては、制服の金釦(ボタン)に対しても、面目が立たない。

 「しかし私には、それほど特に警戒する必要があるとは思われませんが――あなたはどう云う理由で、そうお考えなのですか」。「理由? 理由はないが、事実がある。僕はただ西南戦争の史料を一々綿密に調べて見た。そうしてその中から、多くの誤伝を発見した。それだけです。が、それだけでも、十分そう云われはしないですか」。「それは勿論、そう云われます。では一つ、その御発見になった事実を伺いたいものですね。私なぞにも大いに参考になりそうですから」。

 老紳士はパイプを銜(くわ)えたまま、しばらく口を噤(つぐ)んだ。そうして眼を硝子窓の外へやりながら、妙にちょいと顔をしかめた。その眼の前を横ぎって、数人の旅客の佇(たたず)んでいる停車場が、くら暗と雨との中をうす明く飛びすぎる。本間さんは向うの気色いながら、腹の中でざまを見ろと呟きたくなった。

 「政治上の差障りさえなければ、僕も喜んで話しますが――万一秘密の洩れた事が、山県公にでも知れて見給え。それこそ僕一人の迷惑ではありませんからね」。

 老紳士は考え考え、徐(おもむろ)にこう云った。それから鼻眼鏡の位置を変えて、本間さんの顔を探るような眼で眺めたが、そこに浮んでいる侮蔑の表情が、早くもその眼に映ったのであろう。残っているウイスキイを勢いよく、ぐいと飲み干すと、急に鬚だらけの顔を近づけて、本間さんの耳もとへ酒臭い口を寄せながら、ほとんどみつきでもしそうな調子で、囁いた。「もし君が他言しないと云う約束さえすれば、その中の一つくらいはらしてあげましょう」。

 今度は本間さんの方で顔をしかめた。こいつは気違いかも知れないと云う気が、その時咄嗟に頭をかすめたからである。が、それと同時に、ここまで追窮して置きながら、見す見すその事実なるものを逸してしまうのが、惜しいような、心もちもした。そこへまた、これくらいな嚇(おど)しに乗せられて、尻込みするような自分ではないと云う、子供じみた負けぬ気も、幾分かは働いたのであろう。本間さんは短くなったM・C・Cを、灰皿の中へ抛(ほう)りこみながら、頸(くび)をまっすぐにのばして、はっきりとこう云った。「では他言しませんから、その事実と云うのを伺わせて下さい」。「よろしい」。

 老紳士は一しきり濃い煙をパイプからあげながら、小さな眼でじっと本間さんの顔を見た。今まで気がつかずにいたが、これは気違いの眼ではない。そうかと云って、世間一般の平凡な眼とも違う。聡明な、それでいてやさしみのある、始終何かに微笑を送っているような、朗然とした眼である。本間さんは黙って相手と向い合いながら、この眼と向うの言動との間にある、不思議な矛盾を感ぜずにはいられなかった。が、勿論老紳士は少しもそんな事には気がつかない。青い煙草の煙が、鼻眼鏡を繞(めぐ)って消えてしまうと、その煙の行方を見送るように、静に眼を本間さんから離して、遠い空間へわせながら、頭を稍(やや)後へらせてほとんど独り呟くように、こんな途方もない事を云い出した。

 「かい事実の相違を挙げていては、際限がない。だから一番大きな誤伝を話しましょう。それは西郷隆盛が、城山では死ななかったと云う事です」。

 これを聞くと本間さんは、急に笑いがこみ上げて来た。そこでその笑をらせるために新しいM・C・Cへ火をつけながら、いて真面目な声を出して、「そうですか」と調子を合せた。もうその先を尋(き)きただすまでもない。あらゆる正確な史料が認めている西郷隆盛の城山戦死を、無造作に誤伝の中へ数えようとする――それだけで、この老人の所謂(いわゆる)事実も、略(ほぼ)正体が分っている。成程これは気違いでも何でもない。ただ、義経鉄木真(てむじん)とを同一人にしたり、秀吉を御落胤にしたりする、無邪気な田舎翁(でんしゃおう)の一人だったのである。こう思った本間さんは、可笑しさと腹立たしさと、それから一種の失望とを同時に心の中で感じながら、この上は出来るだけ早く、老人との問答を切り上げようと決心した。

 「しかもあの時、城山で死ななかったばかりではない。西郷隆盛は今日までも生きています」。老紳士はこう云って、むしろ昂然と本間さんを一瞥した。本間さんがこれにも、「ははあ」と云う気のない返事で応じた事は、勿論である。すると相手は、嘲るような微笑をちらりと唇頭(しんとう)に浮べながら、今度は静な口ぶりで、わざとらしく問いかけた。

 「君は僕の云う事を信ぜられない。いや弁解しなくっても、信ぜられないと云う事はわかっている。しかし――しかしですね。何故君は西郷隆盛が、今日こんにちまで生きていると云う事を疑われるのですか」。「あなたは御自分でも西南戦争に興味を御持ちになって、事実の穿鑿(せんさく)をなすったそうですが、それならこんな事は、恐らく私から申上げるまでもないでしょう。が、そう御尋ねになる以上は、私も知っているだけの事は、申上げたいと思います」。

 本間さんは先方の悪く落着いた態度が忌々(いまいま)しくなったのと、それから一刀両断に早くこの喜劇の結末をつけたいのとで、大人気ないと思いながら、こう云う前置きをして置いて、口早やに城山戦死説を弁じ出した。僕はそれを今、詳しくここへ書く必要はない。ただ、本間さんの議論が、いつもの通り引証の正確な、いかにも諭理の徹底している、決定的なものだったと云う事を書きさえすれば、それでもう十分である。が、瀬戸物のパイプを銜(くわ)えたまま、煙を吹き吹き、その議論に耳を傾けていた老紳士は、一向辟易したらしい景色を現さない。鉄縁の鼻眼鏡のには、不相変(あいかわらず)小さな眼が、柔らかな光をたたえながら、アイロニカルな微笑を浮べている。その眼がまた、妙に本間さんの論鋒(ろんぽう)を鈍らせた。

 「成程(なるほど)、ある仮定の上に立って云えば、君の説は正しいでしょう」。本間さんの議論が一段落を告げると、老人は悠然とこう云った。「そうしてその仮定と云うのは、今君が挙げた加治木常樹(かちきつねき)城山籠城調査筆記とか、市来四郎(いちきしろう)日記とか云うものの記事を、間違のない事実だとする事です。だからそう云う史料は始めから否定している僕にとっては、折角の君の名論も、徹頭徹尾ノンセンスと云うよりほかはない。まあ待ち給え。それは君はそう云う史料の正確な事を、いろいろの方面から弁護する事が出来るでしょう。しかし僕はあらゆる弁護を超越した、確かな実証を持っている。君はそれを何だと思いますか」。

 本間さんは、か煙に捲かれて、ちょいと返事に躊躇した。「それは西郷隆盛が僕と一しょに、今この汽車に乗っていると云う事です」。老紳士はほとんど厳粛に近い調子で、のしかかるように云い切った。日頃から物に騒がない本間さんが、流石(さすが)に愕然としたのはこの時である。が、理性は一度やかされても、このくらいな事でその権威を失墜しはしない。思わず、M・C・Cの手を口からはなした本間さんは、またその煙をゆっくり吸いかえしながら、怪しいと云う眼つきをして、無言のまま、相手のつんと高い鼻のあたりを眺めた。

 「こう云う事実に比べたら、君の史料の如きは何ですか。すべてが一片の故紙に過ぎなくなってしまうでしょう。西郷隆盛は城山で死ななかった。その証拠には、今この上り急行列車の一等室に乗り合せている。このくらい確かな事実はありますまい。それとも、やはり君は生きている人間より、紙に書いた文字の方を信頼しますか」。「さあ――生きていると云っても、私が見たのでなければ、信じられません」。「見たのでなければ?」。老紳士は傲然(ごうぜん)とした調子で、本間さんの語(ことば)を繰返した。そうして徐(おもむろ)にパイプの灰をはたき出した。

 「そうです。見たのでなければ」。本間さんはまた勢いを盛返して、わざと冷かに前の疑問をつきつけた。が、老人にとっては、この疑問も、格別、重大な効果を与えなかったらしい。彼はそれを聞くと依然として傲慢な態度を持しながら、故(ことさら)らに肩を聳(そびや)かせて見せた。

 「同じ汽車に乗っているのだから、君さえ見ようと云えば、今でも見られます。もっとも南洲先生はもう眠ってしまったかも知れないが、なにこの一つ前の一等室だから、無駄足をしても大した損ではない」。老紳士はこう云うと、瀬戸物のパイプをポケットへしまいながら、眼で本間さんに「来給え」と云う合図をして、大儀そうに立ち上った。こうなっては、本間さんもとにかく一しょに、立たざるを得ない。そこでM・C・Cをえたまま、両手をズボンのポケットに入れて、不承不承に席を離れた。そうして蹌踉(そうろう)たる老紳士のから、二列に並んでいるテエブルの間を、大股に戸口の方へ歩いて行った。にはただ、白葡萄酒のコップとウイスキイのコップとが、白いテエブル・クロオスの上へ、うすい半透明な影を落して、列車を襲いかかる雨の音の中に、寂しくその影をふるわせている。
  ―――――――――――――――――――――――――
 それから十分ばかりたったの事である。白葡萄酒のコップとウイスキイのコップとは、再び無愛想なウェエタアの手で、琥珀色の液体がその中に充(みた)された。いや、そればかりではない。二つのコップを囲んでは、鼻眼鏡をかけた老紳士と、大学の制服を着た本間さんとが、また前のように腰を下している。その一つ向うのテエブルには、さっき二人と入れちがいにはいって来た、着流しの肥った男と、芸者らしい女とが、これは海老(えび)のフライか何かを突(つっ)ついてでもいるらしい。かな上方弁の会話が、纏綿(てんめん)として進行する間に、かちゃかちゃ云うフォオクの音が、しきりなく耳にはいって来た。

 が、幸い本間さんには、少しもそれが気にならない。何故かと云うと、本間さんの頭には、今見て来た驚くべき光景が、一ぱいになって拡がっている。一等室の鶯茶(うぐいすちゃ)がかった腰掛と、同じ色の窓帷(カーテン)と、そうしてその間に居睡りをしている、山のような白頭の肥大漢と、――ああその堂々たる相貌に、南洲先生の風骨を認めたのは果して自分の見ちがいであったろうか。あすこの電燈は、気のせいか、ここよりも明くない。が、あの特色のある眼もとや口もとは、側へ寄るまでもなくよく見えた。そうしてそれはどうしても、子供の時から見慣れている西郷隆盛の顔であった。……

 「どうですね。これでもまだ、君は城山戦死説を主張しますか」。老紳士は赤くなった顔に、晴々とした微笑を浮べて、本間さんの答を促した。「…………」。本間さんは当惑した。自分はどちらを信ずればよいのであろう。万人に正確だと認められている無数の史料か、あるいは今見て来た魁偉な老紳士か。前者を疑うのが自分の頭を疑うのなら、後者を疑うのは自分の眼を疑うのである。本間さんが当惑したのは、少しも偶然ではない。

 「君は今現に、南洲先生をのあたりに見ながら、しかも猶(なお)史料を信じたがっている」。老紳士はウイスキイの杯を取り上げながら、講義でもするような調子で語(ことば)を次いだ。「しかし、一体君の信じたがっている史料とは何か、それからまず考えて見給え。城山戦死説はしばらく問題外にしても、およそ歴史上の判断を下すに足るほど、正確な史料などと云うものは、どこにだってありはしないです。誰でもある事実の記録をするには自然と自分でディテエルの取捨選択をしながら、書いてゆく。これはしないつもりでも、事実としてするのだから仕方がない。と云う意味は、それだけもう客観的の事実から遠ざかると云う事です。そうでしょう。だから一見てになりそうで、実ははなはだ当にならない。ウオルタア・ラレエが一旦起した世界史の稿を廃した話なぞは、よくこのの消息を語っている。あれは君も知っているでしょう。実際我々には目前の事さえわからない」。

 本間さんは実を云うと、そんな事は少しも知らなかった。が、黙っている中(うち)に、老紳士の方で知っているものときめてしまったらしい。「そこで城山戦死説だが、あの記録にしても、疑いをむ余地は沢山ある。成程西郷隆盛が明治十年九月二十四日に、城山の戦で、死んだと云う事だけはどの史料も一致していましょう。しかしそれはただ、西郷隆盛と信ぜられる人間が、死んだと云うのにすぎないのです。その人間が実際西郷隆盛かどうかは、らまた問題が違って来る。ましてその首や首のない屍体を発見した事実になると、さっき君が云った通り、異説も決して少くない。そこも疑えば、疑える筈です。一方そう云う疑いがある所へ、君は今この汽車の中で西郷隆盛――と云いたくなければ、少くとも西郷隆盛に酷似している人間に遇(あ)った。それでも君には史料なるものの方が信ぜられますか」。

 「しかしですね。西郷隆盛の屍体は確かにあったのでしょう。そうすると――」。「似ている人間は、天下にいくらもいます。右腕に古い刀創があるとか何とか云うのも一人に限った事ではない。君は狄青(てきせい)濃智高(のんちこう)屍(しかばね)を検した話を知っていますか」。

 本間さんは今度は正直に知らないと白状した。実はさっきから、相手の妙な論理と、いろいろな事をよく知っているのとに、悩まされて、追々この鼻眼鏡の前に一種の敬意に似たものを感じかかっていたのである。老紳士はこの間にポケットから、また例の瀬戸物のパイプを出して、ゆっくり埃及(エジプト)の煙をくゆらせながら、「狄青が五十里を追うて、大理った時、敵の屍体を見ると、中に金竜を着ているものがある。衆は皆これを智高だと云ったが、狄青は独り聞かなかった。『安(てずく)んぞその詐(いつわ)りにあらざるを知らんや。むしろ智高を失うとも、敢て朝廷を誣(し)いて功を(むさぼ)らじ』。これは道徳的に立派なばかりではない。真理に対する態度としても、望ましいでしょう。ところが遺憾ながら、西南戦争当時、官軍を指揮した諸将軍は、これほど周密な思慮を欠いていた。そこで歴史までも『かも知れぬ』を『である』に置き換えてしまったのです」。

 愈(いよいよ)どうにも口が出せなくなった本間さんは、そこで苦しまぎれに、子供らしい最後の反駁を試みた。「しかし、そんなによく似ている人間がいるでしょうか」。すると老紳士は、どう云う訳か、急に瀬戸物のパイプを口から離して、煙草の煙にむせながら、大きな声で笑い出した。その声があまり大きかったせいか、向うのテエブルにいた芸者がわざわざふり返って、怪訝(けげん)な顔をしながら、こっちを見た。が、老紳士は容易に、笑いやまない。片手に鼻眼鏡が落ちそうになるのをおさえながら、片手に火のついたパイプを持って、咽(のど)を鳴らし鳴らし、笑っている。本間さんは何だか訳がわからないので、白葡萄酒の杯を前に置いたまま、茫然とただ、相手の顔を眺めていた。

 「それはいます」。老人はしばらくしてから、やっと息をつきながら、こう云った。「今君が向うで居眠りをしているのを見たでしょう。あの男なぞは、あんなによく西郷隆盛に似ているではないですか」。「ではあれは――あの人はなのです」。「あれですか。あれは僕の友人ですよ。本職は医者で、傍ら南画をく男ですが」。「西郷隆盛ではないのですね」。

 本間さんは真面目な声でこう云って、それから急に顔を赤らめた。今まで自分のつとめていた滑稽な役まわりが、この時忽然として新しい光に、照される事になったからである。「もし気にったら、勘忍し給え。僕は君と話している中に、あんまり君が青年らしい正直な考を持っていたから、ちょいと悪戯をする気になったのです。しかしした事は悪戯でも、云った事は冗談ではない。――僕はこう云う人間です」。

 老紳士はポケットをさぐって、一枚の名刺を本間さんの前へ出して見せた。名刺には肩書きも何も、刷ってはない。が、本間さんはそれを見て、始めて、この老紳士の顔をどこで見たか、やっと思い出す事が出来たのである。――老紳士は本間さんの顔を眺めながら、満足そうに微笑した。

 「先生とは実際夢にも思いませんでした。私こそいろいろ失礼な事を申し上げて、恐縮です」。「いやさっきの城山戦死説なぞは、なかなか傑作だった。君の卒業論文もああ云う調子なら面白いものが出来るでしょう。僕の方の大学にも、今年は一人維新史を専攻した学生がいる。――まあそんな事より、いに一つ飲み給え」。

 霙(みぞれ)まじりの雨も、小止みになったと見えて、もう窓に音がしなくなった。女連れの客が立った後には、硝子の花瓶にさしたの花ばかりが、冴え返る食堂車の中にかすかな匂を漂わせている。本間さんは白葡萄酒の杯を勢いよく飲み干すと、色の出た頬をおさえながら、突然、「先生はスケプティックですね」と云った。

 老紳士は鼻眼鏡の後ろから、眼でちょいと頷いた。あの始終何かに微笑を送っているような朗然とした眼で頷いたのである。「僕はピルロンの弟子で沢山だ。我々は何も知らない、いやそう云う我々自身の事さえも知らない。まして西郷隆盛の生死をやです。だから、僕は歴史を書くにしても、嘘のない歴史なぞを書こうとは思わない。ただいかにもありそうな、美しい歴史さえ書ければ、それで満足する。僕は若い時に、小説家になろうと思った事があった。なったらやっぱり、そう云う小説を書いていたでしょう。あるいはその方が今よりよかったかも知れない。とにかく僕はスケプティックで沢山だ。君はそう思わないですか」。

 (大正六年十二月十五日)
底本:「芥川龍之介全集2」ちくま文庫、筑摩書房
   1986(昭和61)年10月28日第1刷発行
   1996(平成8)年7月15日第11刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月

入力:j.utiyama
校正:かとうかおり
1998年12月23日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。


 藪の中  芥川龍之介
 検非違使(けびいし)に問われたる木樵(きこ)りの物語

 さようでございます。あの死骸を見つけたのは、わたしに違いございません。わたしは今朝いつもの通り、裏山の杉をりに参りました。すると山陰の中に、あの死骸があったのでございます。あった処でございますか? それは山科の駅路からは、四五町ほど隔たって居りましょう。竹の中にせ杉のった、人気のない所でございます。

 死骸は縹(はなだ)水干(すいかん)に、都風のさび烏帽子をかぶったまま、仰向けに倒れて居りました。何しろ一刀とは申すものの、胸もとの突き傷でございますから、死骸のまわりの竹の落葉は、蘇芳(すほう)みたようでございます。いえ、血はもう流れては居りません。傷口もいて居ったようでございます。おまけにそこには、馬蠅(ばえ)が一匹、わたしの足音も聞えないように、べったり食いついて居りましたっけ。

 太刀か何かは見えなかったか? いえ、何もございません。ただその側の杉の根がたに、が一筋落ちて居りました。それから、――そうそう、縄のほかにもが一つございました。死骸のまわりにあったものは、この二つぎりでございます。が、草や竹の落葉は、一面に踏み荒されて居りましたから、きっとあの男は殺される前に、よほど手痛い働きでも致したのに違いございません。何、馬はいなかったか? あそこは一体馬なぞには、はいれない所でございます。何しろ馬のう路とは、藪一つ隔たって居りますから。

 検非違使に問われたる旅法師の物語

 あの死骸の男には、確かに昨日って居ります。昨日の、――さあ、午頃(ひるごろ)でございましょう。場所は関山から山科へ、参ろうと云う途中でございます。あの男は馬に乗った女と一しょに、関山の方へ歩いて参りました。女は牟子(むし)を垂れて居りましたから、顔はわたしにはわかりません。見えたのはただ萩重(はぎがさ)ねらしい、の色ばかりでございます。馬は月毛の、――確か法師髪の馬のようでございました。でございますか? 丈は四寸もございましたか? ――何しろ沙門の事でございますから、その辺ははっきり存じません。男は、――いえ、太刀も帯びてれば、弓矢もえて居りました。殊に黒い箙(えびら)へ、二十あまり征矢(そや)をさしたのは、ただ今でもはっきり覚えて居ります。あの男がかようになろうとは、夢にも思わずに居りましたが、(まこと)に人間の命なぞは、如露亦如電(にょろやくにょでん)に違いございません。やれやれ、何とも申しようのない、気の毒な事を致しました。

 検非違使に問われたる放免の物語

 わたしが搦(から)め取った男でございますか? これは確かに多襄丸(たじょうまる)と云う、名高い盗人でございます。もっともわたしがめ取った時には、馬から落ちたのでございましょう、粟田口石橋の上に、うんうん呻(うな)って居りました。時刻でございますか? 時刻は昨夜初更(しょこう)頃でございます。いつぞやわたしがえ損じた時にも、やはりこの水干に、打出しの太刀佩(は)いて居りました。ただ今はそのほかにも御覧の通り、弓矢の類さええて居ります。さようでございますか? あの死骸の男が持っていたのも、――では人殺しを働いたのは、この多襄丸に違いございません。を巻いた弓、黒塗りの箙(えびら)の羽の征矢(そや)が十七本、――これは皆、あの男が持っていたものでございましょう。はい。馬もおっしゃる通り、法師髪月毛でございます。その畜生に落されるとは、何かの因縁に違いございません。それは石橋の少し先に、長い端綱(はづな)を引いたまま、路ばたの青芒(あおすすき)を食って居りました。

 この多襄丸と云うやつは、洛中に徘徊する盗人の中でも、女好きのやつでございます。昨年の秋鳥部寺(とりべでら)賓頭盧(びんずる)ろの山に、物詣でに来たらしい女房が一人、女(め)童(わらわ)と一しょに殺されていたのは、こいつの仕業(しわざ)だとか申して居りました。その月毛に乗っていた女も、こいつがあの男を殺したとなれば、どこへどうしたかわかりません。差出がましゅうございますが、それも御詮議下さいまし。

 検非違使に問われたる媼(おうな)の物語

 はい、あの死骸は手前の娘が、片附いた男でございます。が、都のものではございません。若狭国府の侍でございます。名は金沢の武弘、年は二十六歳でございました。いえ、優しい気立でございますから、遺恨なぞ受ける筈はございません。

 娘でございますか? 娘の名は真砂(まさご)、年は十九歳でございます。これは男にも劣らぬくらい、勝気の女でございますが、まだ一度も武弘のほかには、男を持った事はございません。顔は色の浅黒い、左の眼尻黒子(ほくろ)のある、小さい瓜実顔(うりざねがお)でございます。

 武弘は昨日娘と一しょに、若狭へ立ったのでございますが、こんな事になりますとは、何と云う因果でございましょう。しかし娘はどうなりましたやら、壻(むこ)の事はあきらめましても、これだけは心配でなりません。どうかこの姥(うば)が一生のお願いでございますから、たとい草木を分けましても、娘の行方をお尋ね下さいまし。何に致せ憎いのは、その多襄丸とか何とか申す、盗人のやつでございます。壻ばかりか、娘までも………(跡は泣き入りて言葉なし)
       ×          ×          ×

 多襄丸の白状

 あの男を殺したのはわたしです。しかし女は殺しはしません。ではどこへ行ったのか? それはわたしにもわからないのです。まあ、お待ちなさい。いくら拷問にかけられても、知らない事は申されますまい。その上わたしもこうなれば、卑怯な隠し立てはしないつもりです。

 わたしは昨日午(ひる)少し過ぎ、あの夫婦に出会いました。その時風の吹いた拍子に、牟子(むし)垂絹(たれぎぬ)が上ったものですから、ちらりと女の顔が見えたのです。ちらりと、――見えたと思う瞬間には、もう見えなくなったのですが、一つにはそのためもあったのでしょう、わたしにはあの女の顔が、女菩薩のように見えたのです。わたしはその咄嗟に、たとい男は殺しても、女は奪おうと決心しました。

 何、男を殺すなぞは、あなた方の思っているように、大した事ではありません。どうせ女をうとなれば、必ず、男は殺されるのです。ただわたしは殺す時に、腰の太刀を使うのですが、あなた方は太刀は使わない、ただ権力で殺す、金で殺す、どうかするとおためごかしの言葉だけでも殺すでしょう。なるほど血は流れない、男は立派に生きている、――しかしそれでも殺したのです。罪の深さを考えて見れば、あなた方が悪いか、わたしが悪いか、どちらが悪いかわかりません。(皮肉なる微笑)

 しかし男を殺さずとも、女を奪う事が出来れば、別に不足はない訳です。いや、その時の心もちでは、出来るだけ男を殺さずに、女を奪おうと決心したのです。が、あの山科の駅路では、とてもそんな事は出来ません。そこでわたしは山の中へ、あの夫婦をつれこむ工夫をしました。

 これも造作はありません。わたしはあの夫婦と途(みち)づれになると、向うの山には古塚がある、この古塚を発(あば)いて見たら、鏡や太刀が沢山出た、わたしは誰も知らないように、山の陰のの中へ、そう云う物をめてある、もし望み手があるならば、どれでも安い値に売り渡したい、――と云う話をしたのです。男はいつかわたしの話に、だんだん心を動かし始めました。それから、――どうです。欲と云うものは恐しいではありませんか? それから半時もたたない内に、あの夫婦はわたしと一しょに、山路へ馬を向けていたのです。

 わたしはの前へ来ると、宝はこの中に埋めてある、見に来てくれと云いました。男は欲にいていますから、異存のある筈はありません。が、女は馬も下りずに、待っていると云うのです。またあの藪の茂っているのを見ては、そう云うのも無理はありますまい。わたしはこれも実を云えば、思うにはまったのですから、女一人を残したまま、男と藪の中へはいりました。

 藪はしばらくのは竹ばかりです。が、半町ほど行った処に、やや開いた杉むらがある、――わたしの仕事を仕遂げるのには、これほど都合い場所はありません。わたしは藪を押し分けながら、宝は杉の下に埋めてあると、もっともらしい嘘をつきました。男はわたしにそう云われると、もうせ杉が透いて見える方へ、一生懸命に進んで行きます。その内に竹が疎(まば)らになると、何本も杉が並んでいる、――わたしはそこへ来るが早いか、いきなり相手を組み伏せました。男も太刀を佩(は)いているだけに、力は相当にあったようですが、不意を打たれてはたまりません。たちまち一本の杉の根がたへ、りつけられてしまいました。ですか? 縄は盗人の有難さに、いつ塀を越えるかわかりませんから、ちゃんと腰につけていたのです。勿論声を出させないためにも、竹の落葉を頬張ほおばらせれば、ほかに面倒はありません。

 わたしは男を片附けてしまうと、今度はまた女の所へ、男が急病を起したらしいから、見に来てくれと云いに行きました。これも図星に当ったのは、申し上げるまでもありますまい。女は市女笠(いちめがさ)を脱いだまま、わたしに手をとられながら、藪の奥へはいって来ました。ところがそこへ来て見ると、男は杉の根にられている、――女はそれを一目見るなり、いつのまに懐(ふところ)から出していたか、きらりと小刀(さすが)を引き抜きました。わたしはまだ今までに、あのくらい気性の烈(はげ)しい女は、一人も見た事がありません。もしその時でも油断していたらば、一突きに脾腹(ひばら)を突かれたでしょう。いや、それは身を躱(かわ)したところが、無二無三に斬り立てられる内には、どんな怪我も仕兼ねなかったのです。が、わたしも多襄丸ですから、どうにかこうにか太刀も抜かずに、とうとう小刀を打ち落しました。いくら気の勝った女でも、得物がなければ仕方がありません。わたしはとうとう思い通り、男の命は取らずとも、女を手に入れる事は出来たのです。

 男の命は取らずとも、――そうです。わたしはその上にも、男を殺すつもりはなかったのです。所が泣き伏した女をに、藪の外へ逃げようとすると、女は突然わたしの腕へ、気違いのように縋(すが)りつきました。しかも切れ切れに叫ぶのを聞けば、あなたが死ぬか夫が死ぬか、どちらか一人死んでくれ、二人の男にを見せるのは、死ぬよりもつらいと云うのです。いや、その内どちらにしろ、生き残った男につれ添いたい、――そうもぎ喘ぎ云うのです。わたしはその時猛然と、男を殺したい気になりました。(陰鬱なる興奮)

 こんな事を申し上げると、きっとわたしはあなた方より残酷な人間に見えるでしょう。しかしそれはあなた方が、あの女の顔を見ないからです。殊にその一瞬間の、燃えるようなを見ないからです。わたしは女と眼を合せた時、たとい神鳴(かみなり)に打ち殺されても、この女を妻にしたいと思いました。妻にしたい、――わたしの念頭にあったのは、ただこう云う一事だけです。これはあなた方の思うように、しい色欲ではありません。もしその時色欲のほかに、何も望みがなかったとすれば、わたしは女を蹴倒(けたお)しても、きっと逃げてしまったでしょう。男もそうすればわたしの太刀に、血を塗る事にはならなかったのです。が、薄暗い藪の中に、じっと女の顔を見た刹那、わたしは男を殺さない限り、ここは去るまいと覚悟しました。

 しかし男を殺すにしても、卑怯な殺し方はしたくありません。わたしは男の縄を解いた上、太刀打ちをしろと云いました。(杉の根がたに落ちていたのは、その時捨て忘れた縄なのです。)男は血相を変えたまま、太い太刀を引き抜きました。と思うと口もかずに、憤然とわたしへ飛びかかりました。――その太刀打ちがどうなったかは、申し上げるまでもありますまい。わたしの太刀は二十三合目に、相手の胸を貫きました。二十三合目に、――どうかそれを忘れずに下さい。わたしは今でもこの事だけは、感心だと思っているのです。わたしと二十合斬り結んだものは、天下にあの男一人だけですから。(快活なる微笑)

 わたしは男が倒れると同時に、血に染まった刀を下げたなり、女の方を振り返りました。すると、――どうです、あの女はどこにもいないではありませんか? わたしは女がどちらへ逃げたか、杉むらの間を探して見ました。が、竹の落葉の上には、それらしいも残っていません。また耳を澄ませて見ても、聞えるのはただ男のに、断末魔の音がするだけです。

 事によるとあの女は、わたしが太刀打を始めるが早いか、人の助けでも呼ぶために、藪をくぐって逃げたのかも知れない。――わたしはそう考えると、今度はわたしの命ですから、太刀や弓矢を奪ったなり、すぐにまたもとの山路へ出ました。そこにはまだ女の馬が、静かに草を食っています。そのの事は申し上げるだけ、無用の口数に過ぎますまい。ただ、へはいる前に、太刀だけはもう手放していました。――わたしの白状はこれだけです。どうせ一度は樗(おうち)梢(こずえ)に、懸ける首と思っていますから、どうか極刑に遇わせて下さい。(昂然たる態度)

 清水寺に来れる女の懺悔(ざんげ)

 ――その水干を着た男は、わたしを手ごめにしてしまうと、縛られた夫を眺めながら、嘲(あざけ)るように笑いました。夫はどんなに無念だったでしょう。が、いくら身悶えをしても、体中にかかった縄目は、一層ひしひしと食い入るだけです。わたしは思わず夫の側へ、ぶように走り寄りました。いえ、走り寄ろうとしたのです。しかし男は咄嗟に、わたしをそこへ蹴倒しました。ちょうどその途端です。わたしは夫の眼の中に、何とも云いようのない輝きが、宿っているのを覚(さと)りました。何とも云いようのない、――わたしはあの眼を思い出すと、今でも身震いが出ずにはいられません。口さえ一言けない夫は、その刹那の眼の中に、一切の心を伝えたのです。しかしそこにいていたのは、怒りでもなければ悲しみでもない、――ただわたしを蔑(さげす)だ、冷たい光だったではありませんか? わたしは男に蹴られたよりも、その眼の色に打たれたように、我知らず何か叫んだぎり、とうとう気を失ってしまいました。

 その内にやっと気がついて見ると、あの水干の男は、もうどこかへ行っていました。跡にはただ杉の根がたに、夫がられているだけです。わたしは竹の落葉の上に、やっと体を起したなり、夫の顔を見守りました。が、夫の眼の色は、少しもさっきと変りません。やはり冷たいみの底に、憎しみの色を見せているのです。恥しさ、悲しさ、腹立たしさ、――その時のわたしの心のは、何と云えばいかわかりません。わたしはよろよろ立ち上りながら、夫の側へ近寄りました。

 「あなた。もうこうなった上は、あなたと御一しょには居られません。わたしは一思いに死ぬ覚悟です。しかし、――しかしあなたもお死になすって下さい。あなたはわたしのを御覧になりました。わたしはこのままあなた一人、お残し申す訳には参りません」。

 わたしは一生懸命に、これだけの事を云いました。それでも夫はわしそうに、わたしを見つめているばかりなのです。わたしはけそうな胸を抑えながら、夫の太刀を探しました。が、あの盗人に奪われたのでしょう、太刀は勿論弓矢さえも、藪の中には見当りません。しかし幸い小刀だけは、わたしの足もとに落ちているのです。わたしはその小刀を振り上げると、もう一度夫にこう云いました。「ではお命を頂かせて下さい。わたしもすぐにお供します」。

 夫はこの言葉を聞いた時、やっとを動かしました。勿論口には笹の落葉が、一ぱいにつまっていますから、声は少しも聞えません。が、わたしはそれを見ると、たちまちその言葉を覚りました。夫はわたしを蔑んだまま、「殺せ。」と一言云ったのです。わたしはほとんど、夢うつつの内に、夫の縹(はなだ)の水干の胸へ、ずぶりと小刀を刺し通しました。

 わたしはまたこの時も、気を失ってしまったのでしょう。やっとあたりを見まわした時には、夫はもう縛られたまま、とうに息が絶えていました。その蒼ざめた顔の上には、竹にった杉むらの空から、西日が一すじ落ちているのです。わたしは泣き声を呑みながら、死骸の縄を解き捨てました。そうして、――そうしてわたしがどうなったか? それだけはもうわたしには、申し上げる力もありません。とにかくわたしはどうしても、死に切る力がなかったのです。小刀に突き立てたり、山の裾の池へ身を投げたり、いろいろな事もして見ましたが、死に切れずにこうしている限り、これも自慢にはなりますまい。(寂しき微笑)わたしのように腑甲斐ないものは、大慈大悲の観世音菩薩も、お見放しなすったものかも知れません。しかし夫を殺したわたしは、盗人の手ごめに遇ったわたしは、一体どうすればいのでしょう? 一体わたしは、――わたしは、――(突然烈しき歔欷(すすりなき)

 巫女(みこ)の口を借りたる死霊の物語

 ――盗人は妻を手ごめにすると、そこへ腰を下したまま、いろいろ妻を慰め出した。おれは勿論口はけない。体も杉の根にられている。が、おれはそのに、何度も妻へ目くばせをした。この男の云う事をに受けるな、何を云っても嘘と思え、――おれはそんな意味を伝えたいと思った。しかし妻は悄然と笹の落葉に坐ったなり、じっと膝へ目をやっている。それがどうも盗人の言葉に、聞き入っているように見えるではないか? おれは妬(ねたま)しさに身悶えをした。が、盗人はそれからそれへと、巧妙に話を進めている。一度でも肌身を汚したとなれば、夫との仲も折り合うまい。そんな夫に連れ添っているより、自分の妻になる気はないか? 自分はいとしいと思えばこそ、大それた真似も働いたのだ、――盗人はとうとう大胆にも、そう云う話さえ持ち出した。

 盗人にこう云われると、妻はうっとりと顔を擡(もた)げた。おれはまだあの時ほど、美しい妻を見た事がない。しかしその美しい妻は、現在縛られたおれを前に、何と盗人に返事をしたか? おれは中有(ちゅうう)に迷っていても、妻の返事を思い出すごとに、嗔恚(しんい)に燃えなかったためしはない。妻は確かにこう云った、――「ではどこへでもつれて行って下さい」。(長き沈黙)

 妻の罪はそれだけではない。それだけならばこのの中に、いまほどおれも苦しみはしまい。しかし妻は夢のように、盗人に手をとられながら、藪の外へ行こうとすると、たちまち顔色を失ったなり、杉の根のおれを指さした。「あの人を殺して下さい。わたしはあの人が生きていては、あなたと一しょにはいられません」。――妻は気が狂ったように、何度もこう叫び立てた。「あの人を殺して下さい」。――この言葉は嵐のように、今でも遠い闇の底へ、まっ逆様におれを吹き落そうとする。一度でもこのくらい憎むべき言葉が、人間の口を出た事があろうか? 一度でもこのくらいわしい言葉が、人間の耳に触れた事があろうか? 一度でもこのくらい、――(突然迸(ほとばし)るごとき嘲笑

 その言葉を聞いた時は、盗人さえ色を失ってしまった。「あの人を殺して下さい」。――妻はそう叫びながら、盗人の腕に縋(すが)っている。盗人はじっと妻を見たまま、殺すとも殺さぬとも返事をしない。――と思うか思わない内に、妻は竹の落葉の上へ、ただ一蹴りに蹴倒された、(び迸るごとき嘲笑)盗人は静かに両腕を組むと、おれの姿へ眼をやった。「あの女はどうするつもりだ? 殺すか、それとも助けてやるか? 返事はただ頷(うなず)けばい。殺すか?」――おれはこの言葉だけでも、盗人の罪は赦(ゆる)してやりたい。(再び、長き沈黙)

 妻はおれがためらう内に、何か一声叫ぶが早いか、たちまち藪の奥へ走り出した。盗人も咄嗟に飛びかかったが、これはさええなかったらしい。おれはただ幻のように、そう云う景色を眺めていた。

 盗人は妻が逃げ去った太刀や弓矢を取り上げると、一箇所だけおれのを切った。「今度はおれの身の上だ」。――おれは盗人が藪の外へ、姿を隠してしまう時に、こう呟(つぶや)いたのを覚えている。その跡はどこも静かだった。いや、まだ誰かの泣く声がする。おれは縄を解きながら、じっと耳を澄ませて見た。が、その声も気がついて見れば、おれ自身の泣いている声だったではないか? (三度、長き沈黙)

 おれはやっと杉の根から、疲れ果てた体を起した。おれの前には妻が落した、小刀が一つ光っている。おれはそれを手にとると、一突きにおれの胸へした。何か腥(なまぐさ)塊(かたまり)がおれの口へこみ上げて来る。が、苦しみは少しもない。ただ胸が冷たくなると、一層あたりがしんとしてしまった。ああ、何と云う静かさだろう。この山陰の藪の空には、小鳥一羽囀(さえず)りに来ない。ただ杉や竹の杪(うら)に、寂しい日影がっている。日影が、――それも次第に薄れて来る。――もう杉や竹も見えない。おれはそこに倒れたまま、深い静かさに包まれている。

 その時誰か忍び足に、おれの側へ来たものがある。おれはそちらを見ようとした。が、おれのまわりには、いつか薄闇が立ちこめている。誰か、――その誰かは見えない手に、そっと胸の小刀を抜いた。同時におれの口の中には、もう一度血潮が溢(あふ)れて来る。おれはそれぎり永久に、中有の闇へ沈んでしまった。………

 (大正十年十二月)
底本:「芥川龍之介全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1987(昭和62)年1月27日第1刷発行
   1996(平成8)年7月15日第8刷発行
底本の親本:「筑摩全集類聚版芥川龍之介全集」筑摩書房
   1971(昭和46)年3月〜1971(昭和46)年11月
※底本の中見出しは、ゴシック体で組まれています。

入力:平山誠、野口英司
校正:もりみつじゅんじ
1997年11月10日公開
2004年3月9日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。

Re:れんだいこのカンテラ時評371 れんだいこ 2008/02/22
 【芥川龍之介の真相認識論考】

 西郷隆盛考を進めているうちにネット検索で「芥川龍之介 西郷隆盛」に出くわした。青空文庫がサイトアップしている。とても面白かったので転載した。「西郷隆盛考」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/meijiishico/saigoco/saigoco.htm)の「
芥川龍之介の「西郷隆盛」考 」(ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/meijiishico/saigoco/akutagawanosaigomonogatarico.htm)

 こういう場合、例によって著作権が煩い。いつからこんな風になってしまったのだろう。良いものを知らせるのに何の憚りがあろう。れんだいこはそう考えているので、良いものに出会うと、こうやって取り込むことにしている。

 最近は、スナックがカラオケ装置置くのにも、リース料とは別にジャスラック料が要る時代になった。その代金は当然顧客に転化される。いつからそうなったんだと尋ねると、もう30年以上前からだと云う。れんだいこは、何を云うか、たかだか30年前からだろうが。今からでも遅くない、要らない時代に戻せ。

 それは何も著作者の権利を無視しようというのではない。著作者の権利は、出版社だとかレコード・CD製作社に対する規制としてなら近代的権利として認められもしようが、大衆的にこれを享受する場に、いちいちハウマッチなどと汚い手を出されるには及ばないと考えている。音楽著作者の権利は、我々が歌唱することで逆に生かされるのであり、そこからヒットが生まれるのであり、音楽愛好者の裾野が広がるのであり、回りまわって潤うのであり、権利侵犯即料金請求というのは随分イカガワシイ話しだと考えている。

 しかしいけない。そういうれんだいこの考え方は野蛮だと云う。知的所有権を知らなさ過ぎると云う。しかしれんだいこは言い返す。手前たちの方がよほど野蛮だぜ。文化伝統醸成の法理を弁えぬ、いくら勉強してもすればするほど馬鹿になる手合いに過ぎぬ。知的所有権の中身を精査する能力がなく、ただ漠然と権利保護を云っているだけの強欲拝金商法に過ぎぬと。これが、情報閉塞の手段として意図的に仕掛けられているワナを知ろうとしない手前らは節穴でしかない。

 もとへ。芥川の「西郷隆盛」より興味深い件を抜書きしておく。

 或る老紳士が、汽車に乗り合わせた学生の本間君と自然に会話することとなり、専攻が史学科だと聞くと次のように云う。「ははあ、史学。君もドクタア・ジョンソンに軽蔑される一人ですね。ジョンソン曰く、歴史家は almanac-maker にすぎない」。学生が西南の役を卒業論文にしようとしているのを聞くと、次のように云う。「西南戦争ですか。それは面白い。僕も叔父があの時賊軍に加わって、討死をしたから、そんな興味で少しは事実の穿鑿(せんさく)をやって見たことがある。君はどう云う史料に従って研究されるか知らないが、あの戦争については随分誤伝が沢山あって、しかもその誤伝がまた立派に正確な史料で通っています。だから余程史料の取捨を慎しまないと、思いもよらない誤謬を犯すようなことになる。君も第一に先ず、そこへ気をつけた方がよいでしょう」。

 学生が、どこがどう違うのですかと尋ねると、老紳士は、「細かい事実の相違を挙げていては際限がない。だから一番大きな誤伝を話しましょう。それは西郷隆盛が城山の戦いでは死ななかったと云うことです」、「しかもあの時、城山で死ななかったばかりではない。西郷隆盛は今日までも生きています」と云う。

 学生は可笑しさを堪えながら、それは暴論だとして史実を説き聞かせた。老紳士は次のように云う。「なるほど、ある仮定の上に立って云えば、君の説は正しいでしょう。そうしてその仮定と云うのは、今君が挙げた加治木常樹の城山籠城調査筆記とか、市来四郎日記とか云うものの記事を、間違のない事実だとすることです。だからそう云う史料は始めから否定している僕にとっては、せっかくの君の名論も徹頭徹尾ノンセンスと云うよりほかはない」。

 老紳士は、「僕はあらゆる弁護を超越した、確かな実証を持っている。君はそれを何だと思いますか」と尋ね、学生が返事に窮していると、「それは西郷隆盛が僕と一しょに、今この汽車に乗っていると云うことです」と云う。学生は堪りかね、会わせてくださいと云い、老紳士が案内する。学生が見たものは、子供の時から見慣れている西郷隆盛の居眠りしている顔であった。

 老紳士は云う。「君は今現に、南洲先生を眼のあたりに見ながら、しかもなお史料を信じたがっている」、「しかし、一体君の信じたがっている史料とは何か、それからまず考えて見給え。城山戦死説はしばらく問題外にしても、およそ歴史上の判断を下すに足るほど、正確な史料などと云うものは、どこにだってありはしないです。誰でもある事実の記録をするには自然と自分でディテエルの取捨選択をしながら書いてゆく。これはしないつもりでも、事実としてするのだから仕方がない。と云う意味は、それだけもう客観的の事実から遠ざかると云うことです。そうでしょう。だから一見当てになりそうで、実ははなはだ当にならない。ウオルタア・ラレエが一旦起した世界史の稿を廃した話しなぞは、よくこの間の消息を語っている。あれは君も知っているでしょう。実際我々には目前のことさえわからない」。

 老紳士は、西郷の死体があったとしても替え玉ということも考えられる。そういうところから異説が生まれる。つまり何事も断定し過ぎるのは考えものだ、真理に対する態度を正しく保たねばならないと諭す。「遺憾ながら、西南戦争当時、官軍を指揮した諸将軍は、これほど周密な思慮を欠いていた。そこで歴史までも『かも知れぬ』を『である』に置き換えてしまったのです」。

 学生は苦し紛れに、世の中にそんなに似ている人が果たしているでせうかと問う。老紳士はかっかっかっとのどを鳴らしながら大笑いして、「いますよ。今見てきた西郷どんがそうです。彼は実は医者で私の友人です」。

 老紳士は最後に云う。「僕はピルロンの弟子で沢山だ。我々は何も知らない、いやそう云う我々自身のことさえも知らない。まして西郷隆盛の生死をやです。だから、僕は歴史を書くにしても、嘘のない歴史なぞを書こうとは思わない。ただいかにもありそうな、美しい歴史さえ書ければ、それで満足する。僕は若い時に、小説家になろうと思ったことがあった。なったらやっぱり、そう云う小説を書いていたでしょう。あるいはその方が今よりよかったかも知れない。とにかく僕はスケプティックで沢山だ。君はそう思わないですか」。

 以上の語りである。れんだいこは面白かった。

 ついでに、芥川名作「藪の中」も読んでみた。最初に検非違使(けびいし)が登場し、或る男の死体状況を語る。山陰の藪の中に死骸があったことを証言する。仰向けに倒れて居り、胸もとに突き傷があったと云う。この証言を廻る三つの告白が披露され、どの告白が正しいのか分からなくなる。それぞれがもっともらしく、聞けば聞くほど真相は藪の中ということになる。関心がおありの方は芥川の名文にとくとご堪能あれ。

 問題は、事実や真実を読み取るのはそれほど難しいということになろう。我々は、いとも容易く正義や悪を決めたり、罪や罰を下したり、検証抜きの非難ごうごうの愚を慎まねばならないと云うことになろう。逆に言えば、確定した事実については責任を発生させることが必要と云うことにもなろう。今我々がやっていることは逆ばかりで、事実確認抜きの非難先行であり、かといって的を射た責任問い詰めはない。冤罪に無痛のまま権力犯罪に手を貸し、悪を裁かない。小さな悪は懲らしめられ大きな悪には向かわない。とか何とかいろいろ考えさせられよう。

 2008.2.22日 れんだいこ拝












(私論.私見)