別章【清水次郎長考



 (最新見直し2010.04.24日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 2010.4.19日、俄かに清水次郎長(1820−1893)のことが知りたくなった。サイト検索で出てくる資料を抽出し、れんだいこ文に焼き直した。まだまだ不十分であるがサイトアップしておく。次郎長伝でも、同じ事件が様々に伝えられており、それは主観の差ならまだしも明らかにどちらかが間違いの史実誤認が見受けられる。この辺りは次第に確認して行こうと思う。

 それにしても、戦後教育は確かに、戦前なら素養であった二宮金次郎伝、清水次郎長伝などの日本的感性、知能、活動歴の必須知識を遠ざけて来過ぎている。西欧を学ぶのは良い、だがしかし日本の事をも学びつつのことであろうが。これが偶然のことならまだしも、意図的故意の政策の結果だったらどうする。こう考える視点が欲しいと思う。れんだいこは、還暦前になって自力で漸く知るところとなった。もっと早く知っておくべきだったことを思えば惜しいことである。

 最近とみに日本的感性が劣化し始めている気がしてならない。下々の変な犯罪、お上の下々を思わない傲慢不遜さ、みんなしての税金取り合い、権利の為の権利主張が流行り病している。義理と人情、上は下を思い下は上を思う日本式思いやりが失われつつある。有り難うお互い様の精神が亡くなりつつある。この風潮に一息入れる為に、その一つの素材として、れんだいこが清水次郎長伝に挑む。詳細は、サイト「清水次郎長考」に記し、今後ますます充実させていくつもりである。
 (ttp://www.marino.ne.jp/~rendaico/rekishi/meijiishico/shimizujirotyoco/top.html)

 清水次郎長伝余話として次のことを記しておく。「旅姿三人男」と云う名歌がある。作詞・宮本旅人、作曲・鈴木哲夫、唄・ディック・ミネ。
 清水港の名物は お茶の香りと男伊達 見たか聞いたかあの啖呵   
 粋な小政の 粋な小政の 旅姿             
 富士の高嶺の白雪が 溶けて流れる真清水で 男磨いた勇み肌 
 何で大政 何で大政 国を売る
 腕と度胸じゃ負けないが 人情からめばついほろり 見えぬ片眼に出る涙 
 森の石松 森の石松 よい男

 情景豊かな名句である。れんだいこは、この歌を誰かが歌うのを聞くのは好きであった。れんだいこが歌うとサマにならないので歌ったことはない。これを聞きながら最近になって、2番の「何で大政 国を売る」が気になって来始めた。これはどういうことなのだろうか。故郷を売ると云う意味なのだろうか、日本国を売るという意味なのだろうか。仮に反意語だとしても、この言葉の裏にはどういう事情があったのだろうか、異な言い回しであり、ふとそれを知りたくなった。以下、次郎長伝を確認したが分からなかった。どなたか、こういう伏線があるということを教えてくだされば助かる。

 それはともかく、初代広沢虎造の「清水次郎長伝」の唄い出しの一節は次の通りである。
 ♪♪旅ゆけば〜、駿河の国に茶の香り〜、名大なり東海道、名所古跡の多いとこ〜、 中で知られる”羽衣の松”と並んでその名を上げし、海道一の親分は〜、清水港の次郎長〜〜♪♪

 清水次郎長伝を確認して行くうち黒駒の勝蔵に興味を覚えた。いずれ両者を際立たせて追跡して行く時代物を書き上げて見たい。

 2010.04.19日 れんだいこ拝


関連サイト 幕末維新(回天運動)考 明治維新考



目次

清水次郎長の履歴考その1、清水一家を構えるまでの次郎長
清水次郎長の履歴考その2、東海一の大親分になるまでの次郎長
清水次郎長の履歴考その3、幕末維新期の次郎長
清水次郎長の履歴考その4、明治維新後の次郎長
清水次郎長VS黒駒の勝蔵、宿縁のライバル考












(私論.私見)