徳川綱吉 |
更新日/2019(平成31→5.1日より栄和改元).6.22日
(れんだいこのショートメッセージ) |
2007.10.30日 れんだいこ拝 |
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「犬公方」としての狂気バカ殿扱いされる徳川綱吉は名君か?悪名高き【生類憐れみの令】を紐解くと「命の重さ」を広めたとも考えられる。綱吉の時代に赤穂浪士(忠臣蔵)の事件が勃発しており、その際「浪士たちが切腹」を命ぜられており、彼の不人気を決定付けたのではないか。母・桂昌院は京都の八百屋の娘。そもそも当初から綱吉は、父の徳川家光にとって「将軍・徳川家綱の弟」という存在であり、兄の補佐に過ぎなかった。日本では、ヨーロッパの王室とは違って、庶出であっても継承権から外されることはない。その一方で「劣り腹」という言葉があった。身分の低い女性の腹から生まれた子という意味で、相手を蔑む際に用いられる。父が同じ兄弟でも、母の身分が低ければ劣った存在とみなされる。綱吉という人物を考えるとき、彼の母の身分や、本来は後継者ではなかった――そんな出生のハンディキャップを考える必要がある。「あの八百屋の娘から生まれた分際で」という偏見がなかったとは言い切れない。文治政治を敢行した徳川綱吉。武力重視の【武断政治】と対比される。 |
「生類憐れみの令」は数度に分けて出された法律の総称で、囚人の環境改善や、捨て子を禁止する等、きわめて人道的な部分も多くあった。 |
(私論.私見)