れんだいこ史観 |
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【はじめに】 |
1945.8.15日の敗戦の日より半世紀を越えた。我々はそろそろ自前の観点から「かっての大戦」の総括に向かっても良いのではなかろうか。急速に台頭しつつある右派系論調は、こうした気分を反映しているように思われる。れんだいこは、その感性や良しとして、では具体的にどう総括しようとしているのかその内容に大いに関心がある。まだまだ私が知らないことも多々あり、正直に云って勉強になっている。互いの観点披瀝は自由であるべきだから、この傾向自体にとやかくは云わない。 れんだいこが歯がゆく思うのは、左派系論調の低迷と事態打開の拙劣さに対してである。垣間見えるのは、右派系論調の台頭に対する危機感だけであり、時代が要求しつつある新観点からのアプローチは見えてこない。連中にとって、「かっての大戦」総括は天動説的に公式化されており、この立場でリベラルソフトに闘うのか過激に闘うのかの違いしか新旧左翼を区分するものがないように見受けられる。れんだいこは、そうではないだろうと思う。分かりやすく云えば、右派系論調をギャフンと云わせる史観を確立して大いに論戦を挑むべきではなかろうか。 本来なら、こうした折にリベラルソフトを押しのけて出てくるのがかっての左翼の星・共産党中央であった。れんだいこは残念ながら、既にこの党にそれを期待する気持ちは微塵もない。その論拠は面倒くさいので割愛するが、あたかも「かっての大戦」の史的過程を検証することが自前の党の歴史の検証をも誘発し、あたかも「かっての大戦」の天皇制秩序と官僚制度を検証することが自前の代々木官僚の検証をも誘発することを恐れているかの如くで、この党は決してその方向に向かわないであろうし、向かわせないよう悪知恵を働かすだけの宮顕―不破系党中央でしかない、と見なしているということを言い添えておく。 ならば、他のどこがそういう作業をやってくれるのだろう。こう考えると決まって火の粉がれんだいこ自身に降りかかってくる。因果な性分を持つれんだいこはこうして課題を引き受けていくことになる。ただ、今から云えることがある。出来の良し悪しは別にして、何か貴重なメッセージが出来そうだ。恐らく左程指摘されていない観点からの指針が打ち出せそうだ。そんな予感もするから行ってみようっと。 2003.4.12日再編集 れんだいこ拝 |
【史観の必要性について】 |
「かっての大戦」の総括は、史観無しには出来ない。まずこのことを確認しておきたい。少し横道にそれるが、史観とは何ぞや、まずここから論じていきたい。史観とは、「木を見て森を見ず」の例えで考えると分かりやすい。「森」の調査の為に「森」の中に分け入り、その構成体である「木々」の調査を開始する。ところが、「森」が深ければ深いほど「木々」が膨大になり、その調査もままならない。ますます分け入るに連れて、「木々」の調査自体が目的になったり、「森」の入口も出口も抜け道も分からなくなり足元をすくわれる。いつしか「森」の構造と「木々」の関連なぞどうでも良くただ単に考証にのみ向かうことにもなったりする。 こうした時、「森」全体の見取り図を持って分け入ることは、「木々」の調査を能く進めるためにも必要だ。時には「木々」に目印を付けておき、互いの小関連を確保しておくことも有益だ。「森」の中から天空が仰げる場合、北斗七星を基準にした星座観測の素養を学んでおけば位置関係がよく分かり、迷うことも防げる。もうくどいので止すが、この種のカンテラ的役割を果たすのが史観である。そう理解すれば、史観の重要性がよく分かるというものだ。 ところが、気をつけなければならないことがある。この史観を持っていさえすれば、「森」の中に分け入ることも「木々」の調査も要らないかの如くの錯覚理論を振り回す手合いにぶつかることがあるということだ。この人士たちにとっては、史観こそが「重宝な真理」であり、この「真理包丁」をもってすれば何でも切れるという万能刀になっているかのようだ。凡そ公式化されており、時局の移ろいもなんのその屁の河童で後生大事にしようとする。 申し訳ないが、れんだいこはその種の史観を持たない。切れすぎてあぶないからというのではない。既に切れなさ過ぎて使い物にならないという意味と、そもそもその史観の生命は「森」の中に分け入ってこそ役に立つものであり、その際に分析と総合との確かな切れ刀であるべき筈であり、それを如意棒の如くに空中で振り回すなぞはそもそも馬鹿げていると思うからである。 そういう意味で、一見、史観は要るし要らないという二面性を守っているに思われる。しかし結論ははっきりしている。切れる鉈包丁を持って「森」の中に入ることは必要であり、切れなくなったら砥ぎ石で繰り返し砥いで切れるようにすれば良い。この認識は大事だろうと思う。で、れんだいこは、自らの史観を持っている。名付けて「れんだいこ史観」という。どういうものであるのかこれから披露する。 2005.10.3日再読み直し れんだいこ拝 |
【無知愚民教育について】 | ||
「阿修羅戦争73」の熊野孤道氏の2005.9.3日付け投稿文「日本人は侵略の犯罪に無知 無条件降伏60年で仏紙(共同通信)」を転載しておく。
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【「第二次世界大戦」とは】 |
第二次世界大戦は、民主主義派連合国とファシズム派の日・独・伊軍の世界最終戦争であったという把握の仕方が永らく支配的であった。何故か? それは、この観点こそが戦勝国側のイデオロギーであったからである。もちろん、この観点がいい加減なものであったという訳ではない。「民主主義対ファシズム(全体主義)」という構図も確かに根拠はあるからである。だかしかし、この規定が万能ではない。むしろ、第二次世界大戦の戦争的意味の本質的規定ではないのではなかろうか、という観点へそろそろ向かうべきではなかろうか。 では、どう認識すべきか。れんだいこ観点は次の認識を重視する。第二次世界大戦は、近世以来の世界覇権闘争が行き着いた最終戦争であり、植民地の再分割を企図した日・独・伊側とこれを拒否した英・仏・米を主とする連合国側とのまことに熾烈な争闘であった。もう一つの強国はソ連であったが、この間終始日和見し、最終的に連合国側に加担した。その結果、史実は連合国側が勝利したが、第二次世界大戦後には第一次世界大戦後のそれとは明らかに違う新事態が発生した。ここが、第二次世界大戦総括を文明世界史的に捉える場合の最重要なことだ。 新事態とは、それまでの英国の世界覇権に代わってアメリカがこの舵を握ったという文明史的認識が肝要だ。アメリカ覇権のそれまでの覇権者との違いは、かってのポルトガル、スペイン、オランダ、フランス、イギリスらのどんぐりの背比べ的一過性覇権とは様相を全く変えて、アメリカが段違いの強さで覇権国として台頭君臨することになったということである。第二次世界大戦後の世界は、まさにアメリカが「世界の憲兵」となった。 もう一つ新事態が生まれた。これまで述べた諸列強は全て資本主義国であったが、共産主義国家ソ連が史上初めて№2的強国にのし上がったという事態が生起したのであった。こうして、第二次世界大戦後の世界は、アメリカとソ連という二大強国が世界の覇権をめぐって対峙することになった。これを冷戦時代と云う。以降半世紀、世界はこの二つの覇権国のどちらかの陣営に整序されていく時代となった。 もう一つ新事態が見えてくる。近代から現代に至る欧米諸国ではキリスト教的愛国主義派とネオ・ユダヤ主義的国際主義派が連合して国家形成する時代を迎えていた。ところが、第一次、第二次世界大戦を通して次第にネオ・ユダヤ主義的国際主義派がより深く国政に関与するようになったのではなかろうか。その後の冷戦時代から今日までこの傾向はますます強まっている。 してみれば、第二次世界大戦を総括する際の基軸は、以上の三観点から検証されねばなるまい。それを思えば、「民主主義対ファシズム史観」一つを経文ように繰り返すのは史実の隠蔽であり、ネオ・ユダヤ主義のプロパガンダに過ぎないことが分かる。 2005.10.3日再読み直し れんだいこ拝 |
【アメリカの強さの認識の重要性について】 |
以上のことまでなら誰でも認識し得ることであろう。ここかられんだいこはもう一つ観点を高める。では、なぜアメリカが世界最強の覇権国として登場し、今日もなお「世界の憲兵」足りえているのか。既にこの構図を優に50数年を経過させている。我々は、そろそろアメリカの強さの「正」の面の考察に向かうべきではないのか。 逆から云えば、第二次世界大戦の太平洋方面での闘いであった太平洋戦争(我が国からすれば大東亜戦争)で、日本はなぜ負けたのかの考察にそろそろ向かうべきではないのかということになる。この観点から大東亜戦争が考察されることは極めて稀である。小室直樹氏は珍しくもこの課題に向かった人士の一人であるが、「どうすれば勝てたのか」という教訓からの照射であり、正面切っての問いかけではない恨みがある。 戦後左翼は、マルクス主義的観点から、アメリカを帝国主義規定の下に打倒対象ないしは抵抗対象としてのみ捉えてきた。その理論は、アメリカを帝国主義の発するところ為すところが全て善悪二元論的悪玉のチャンピオンとしてのみ捉え、先験的に批判攻撃してきた。産軍複合体のこの国家には、この観点から究明されねばならぬことがある訳だからそれはそれで良いとも思う。 だがしかし、文明論的には、僅か建国百年の国家がなぜ世界史の舞台に踊り出得て、史上最強の覇権国となり今日まで維持し得ているのか、の解明もまた同様に精査されねばならないのではなかろうか。この観点からの究明が全く欠如しているのが我が左翼の凡庸なところと云えるであろう。 同様の観点は、戦後№2として登場したソ連がなぜ機能しなかったのか、僅か50年の寿命で最終的に解体されたのかの考察と同源である。よく聞かされるようなスターリニズム批判的観点だけで足りるのであろうか。もっと重要なメッセージが託されているのではなかろうか。その非の言質遊びには事欠かないにも関わらず、こうした勝れて実践的な問いかけを発しないのが我が左翼の特徴である。それは何を語っているのだろうか。本稿の考察の趣旨から外れるので言及しないが一考の価値があろう。 さて、大東亜戦争経過後50余年、我々は当事国日本の歴史的行為を如何に総括してきたのだろうか。れんだいこ観点から見れば、アメリカの分析もソ連の分析もおざなりなように、我が日本の「かっての戦争」に対して何らまともな分析を為し得ていないように思われる。これでは良くない。なぜなら、過去の史実の分析は、今に生きる教訓を生み出し、それを活用しえてこそ初めて分析し得たと云いえるのではなかろうかと思うからである。 現下日本の国家破産状況に際して、何らの対応力を持たない我等が政府、官僚、国民の現況は、過去の史実を学ばなかった当然の報いであり、その結果でしかなかろう。あまりにも多くの知識紳士を擁しているにも関わらずこのザマを何と見れば良いのだろうか。 とはいえ、知識紳士が為してきた功の部分を語らないのは片手落ちすぎようから一応コメントしておく。彼らは、「民主主義対ファシズム」の闘いの結果「民主主義」側が勝利したことにより、戦前の皇国史観による聖戦イデオロギーに代えて今度は「民主主義」を鼓吹してきた。曲がりなりにも戦後五十余年これを擁護してきた。ここに功がある。 ところが、今はなつかし経済成長たけなわの頃、右派的潮流が世界№2病に冒され、「大国としての国家責任・応分の負担当然論」にシフト替えし始め、この傾向は今日ますます強まりこそすれ下火にはならないが、この時左派的潮流は、相も変わらず「民主主義」をお題目の如く捉え、決してその中身の精査には向かわない、向かわせないまま為す術を持たぬまま経過してきた。 既に述べたが、ここでも善悪二元論がはびこり、戦前の日本は省みられる必要も無いほどに暗黒時代であるとする公式論の呪縛に取り付き、常に「正義」のしたり顔であれこれ指摘するだけであたかも仕事を為し得たかのように事足りている。この間、「戦後民主主義」の制度と理念が加速的に空洞化しつつあるというのに、「正義」の陳述だけをかすがいにしてきているかのようでさえある。 2005.10.3日再読み直し れんだいこ拝 |
【我々は何を総括すべきか】 | ||||||||||||||||||||||||||||
以上を踏まえて、れんだいこが日本の近現代史の総括に向かいたい。その際のれんだいこ史観は、明治維新から今日までの流れの大枠を次のように設定してみたい。
驚くことに、この観点からの分析抜きに大東亜戦争の総括なぞ為し得ないにも関わらず、どのテーマもほぼ手付かずのまま今日まで至っている。これは我等が知識紳士の事大主義的なエセ知識性を物語っているが、それで飯が食えてきたという我等が社会の豊かさの反映かも知れない。あるいは、右から左から総出でそのようなコミットしか認めておらぬという今に厳しい社会を物語っているのかも知れぬ。 云いたい放題のれんだいこであるが、その云いの責任において以下「大東亜戦争の教訓」について分析を試みようと思う。但し、これをまともに論じようと思えばとても紙数がたりなくなるばかりか、私の能力をはるかに超したものが要求されるであろう。という訳で、今までの研究成果とその態度において欠けているところをクローズアップさせて集中的に論ずることにする。
その他関心はママあるが、これらは今に極めて実践的な研究課題であるにも関わらずなおざりにされているところである。 これを思えば、中国、朝鮮、台湾その他のアジア諸国への「遺憾の意」とか「お詫び」の表明なぞは表皮的な問題でしかないと思われる。如何に言葉を尽くそうとも、その後の日本の歩みでの実証の方こそ真に歴史的謝罪の態度であろうし、憲法の定める国際協調精神が目指すところのものなのではなかろうか。「謝罪」はしないよりはましであるし、賠償もしかりであろう。だがしかし、事の本質は、やはり過去の教訓をどう汲んで現代に生かしているのかということにあり、ここで応えることこそが本来の責任の取り方であるという座標軸を忘れてはいけないであろう。 ところで、かく課題を明確にし得たので、以下暫く保留にしておくことにする。なぜなら、課題を明確に為しえたということはもうはや半分の仕事を終えたに均しいからでもある。もう一つ、れんだいこのみならずみんなで論じ合いたいからでもある。 2001.8.22日 れんだいこ拝 |
【大東亜戦争と大東亜共栄圏構想の狭間考】 | |
森氏は、「太平洋戦争(大東亜戦争)は侵略戦争だったのか、正義の戦争だったのか。この点について私の考えを述べてみたいと思います」と切り出し、概略以下のように述べている。
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「あの戦争の原因」氏は次のように述べている。これを転載しておく。
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【マッカーサー証言】 | |
「対訳 マッカーサー証言」を転載しておく。
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東京裁判と石原莞爾 | No: 274 [返信][削除] |
多くの人が戦争犯罪人に指名されぬようもがいていたときに、石原は自ら戦争犯罪人と称し、「私は戦争犯罪人になろう」と言っていたそうです。戦争を反省するとはどういうことか? 投稿者:悠宏 投稿日: 8月21日(火)17時51分10秒
どうも石原は、自分が戦犯となって東京裁判を混乱させ、その進行を不可能にしようと計画していたらしいです。そこで、マッカーサー司令部・極東軍事裁判所は石原を戦犯にしないよう努め、検事たちも彼が戦犯にならぬよういろいろな逃げ道を探しました。極東軍事裁判では前代未聞のことでした。
満州事変に関する極東軍事裁判証人として法廷に立つに先立ち、中国記者に語った石原の言葉です。
「満州国独立の結果、日本人が満州を独占し、多民族を圧迫し、同国の建設そのものも多くのビル建設と鉄道敷設にとどまり、産業の開発もまた期待を裏切る結果となった。わしが理想郷を心に描いて着手した満州国が、心なき日本人によって根底から踏みにじられたのである。在満中国人に対する約束を裏切る結果となってしまった。その意味においてわしは立派な戦争犯罪人である。独立に協力した中国人に対し、誠にすまなかったと思っている。しかし、今となってはわびのしようもない。ただ中国当局者がこれらの人々に寛大な心を持って臨まれるようお願いする次第である」
石原が戦争裁判に対して持っていた考えは次の言葉に表れていると思います。「戦争も大きな政治の問題として争うべきである。戦争に負けたからといって卑屈になる必要はいささかもない。卑屈になってはいけないのである。日本も侵略国だと称して裁判している最中に、なんと米ソ両国がお互いを侵略者といい、争っているではないか。彼らに良心があるなら恥ずかしくて裁判なんかやってられない。大泥棒たちがお互い泥棒を決めつけながらコソ泥を捕まえ、お前は人様のものに手をつけたからお仕置きするのだ。俺たちは正しい、というに等しい。後世、ことに今の青少年たちが歴史をひもといた場合に、それは間違っている、それなら自分たちにも理由がある、と言って、また戦争をはじめるかもしれない。今のうちに正しいことを言うべきである。ヒトラーは英雄であった。勝敗には関係なく英雄だった。そして独裁者でもなかった。そのころのバカ正直なドイツ人には、ヒトラーのような政治がふさわしく、そして彼が必要だったのだ。また、ロシア人にはスターリンのような専制政治がよかったのだ。英国は一応、国家を仕上げてしまったのでもっともらしいことを言うが、ドイツはヒトラーのようにしなければ生きられなかったと思う。しかしヒトラーは勝利を目の前にしながら負けた。ドイツはソ連軍に負けたんじゃない。アメリカのB29に負けたのだ」
その言行に嘘は微塵もなく豪放磊落そのものであったため、諸外国のジャーナリスト・裁判関係者たちは、石原に対し大変な好感を寄せていたそうです。
後日の話ですが、石原を担当した検事が東京裁判が終了して帰国するにあたり、石原を訪問し、「あなたの話は非常に面白かったし、人生の指針になった。ありがとう。あなたの生きてきた道をぜひ本にしていただきたい。本ができたら私にも送ってください」と言ったという話が残っています。
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>後世、ことに今の青少年たちが歴史をひもといた場合に、それは間違っている、それなら自分たちにも理由がある、と言って、また戦争をはじめるかもしれない。今のうちに正しいことを言うべきである。
果たして彼の予見どおりに・・・
http://users.goo.ne.jp/carlmaria/
現在、戦争を反省すべきだと主張している人々が力を注いでいることは、戦争中に日本がどれだけ悪いことをやっていたか、ということを暴露し糾弾することであるように思えます。確かに、過去の過ちを改めるためには過去の事実を真摯に受け止める必要があります。しかし、それは出発点であり、より重要なのはなぜそのような過ちを犯したかを明らかにすることです。そうしなければ、結局のところ同じ過ちを繰り返すほかないのですから。
原因を探求することよりも過去の残虐行為を糾弾することに力を注ぐような運動に多くの日本人はうんざりし、逆に過去の事実から目をそらそうとするようになったのではないでしょうか。最近の自由主義史観、「戦争論」、「新しい歴史教科書」などの現象は、際限のない過去の糾弾に対する反動であるように思われます。
自由主義史観などに特徴的に見られるのは、「戦争に善悪はない」「戦争においては勝利を得るために多少残虐な行為が生じるのはやむを得ない」という考え方であり、この「戦争に善悪はない」という考え方こそ、世界を戦国時代と見なす時代認識に他なりません。そして、こうした彼らの考え方こそ戦前の日本人の一般的な時代認識ではなかったのでしょうか。
当時の少年小説を見ても、戦争で活躍する軍人を英雄的に描くものはあっても、戦争を犯罪視するようなものは見当たりません。当時でも平和を望む声はありましたが、それは日本が東洋の盟主として君臨した上での平和であり、日本が中国や朝鮮から撤退することによる平和ではありませんでした。そうした考えは石橋湛山の小日本主義などごく少数のものに過ぎなかったのです。
しかし、こうした時代認識こそが過去の過ちの原因となったのであり、戦争を反省するとはこうした時代認識の誤りを改めることなのだと私は思います。
戦国時代であるという認識に立てば、人はたやすく国家エゴイズムに傾いてしまいます。国益のためであればどのような行為も許されるというこの国家エゴイズムの思想こそが日本を迷路へと導いてしまったのです。国際関係において重要なのは相互に協力してよりよい世界を築くことであり、決して他の国々を犠牲にして自国の利益だけを追求することではありません。
とはいえ、一部の左派の人々が言うように、自衛隊を廃止して自国の防衛を放棄し、過去の過ちを謝罪して、要求される賠償金を際限なく払い続けることを外交の基本とするような姿勢にはとても賛成できません。それは自国の利益をないがしろにすることであり、国のあり方として基本的に誤っています。こうした人々は国益の追求=国家エゴイズムと考える点で戦前の人々と共通の誤りを犯しているといえるでしょう。
外交において大切なのは、それぞれの国が利益を得ることができるようなシステムを構築することであり、そのルールに従って自国の利益を追求することです。公正な規範、公正なルールに従って行動することこそが大切なのであり、それを欠けば国益の追求は国家エゴイズムに堕してしまうのです。
国際会議において、しばしば日本の顔が見えないといわれるのは、「世界は如何にあるべきか」というヴィジョンを欠いているからであり、公正なルールに基づく世界ヴィジョンを構築することこそ今の日本の外交にもっとも必要なことではないでしょうか。