日本兵士の対外温情考

 更新日/2018(平成30).5.17日
 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで「日本兵士の対外温情考」をものしておく。

 2012.10.17日 れんだいこ拝


日本兵士の対外温情考
 
 「 太平洋戦争が始まってすぐの頃、坂井はオランダ軍の輸送機が飛行しているのを偶然発見した。輸送機といえど敵の重要人物が搭乗しているかもしれず、拿捕もしくは撃墜せよという命令が出ていた。坂井はオランダ軍の輸送機に近づいていった。護衛はいないようだった。撃墜すべきか警告射撃をすべきか思案しながら更に近寄った。用心のため太陽の方角から接近した。機体は陽光にギラギラ輝いていて、窓があって多くの顔が自分に向けられているようだった。坂井はさらに零戦を接近させた。陽光がさしこみ暗い飛行機の内部を照らし出す。窓を通して飛行機の内部がすみずみまで見渡せた。機内は負傷者ばかりで、彼らは恐怖でひきつった表情でこちらを凝視していた。彼らは飛行機もろとも撃ち落とされるかもしれない恐怖におののいていた。窓越しに看護婦らしき女性と5才ほどの少女が抱き合ったままおびえた表情で見つめているのも見えた。坂井は心の中で自問自答した。『坂井三郎。そうだ、お前は大日本帝国海軍の栄えある戦闘機乗りだ。相手が敵機なら存分に戦いもしよう。しかし負傷者と女子供の乗っている飛行機は敵ではない。お前は敵を見なかった』。坂井は自分のこの言葉にうなづくと、女の子と女性そして多くの負傷者たちに軽く手を振り、翼をひるがえして大空の彼方に消えていった。軍紀からすると命令違反であった。坂井は基地に帰って飛行中に敵らしきもの発見せずと報告した。この出来事は誰にも知られることもなくこのまま過去の闇に忘れ去られるはずであった。

 ところが戦後50年もたって、この話が多くの人々に知られることとなる。当時その輸送機に乗っていた看護婦だった女性の一人が、偶然、坂井の著書を見て、零戦に描かれたマークから彼がそのときのパイロットだと探しあてた。 「私があのとき見た飛行機の胴体にもこれと同じマークがあったわ。私たちの輸送機に近づいたのはこのパイロットにまちがいない」。彼女は、国際赤十字を通じて照会を依頼した。まもなく事実確認がなされ坂井だったことが判明した。こうして運命的な出会いが実現することになった。女性は坂井に言った。 『あのとき輸送機に乗っていた人々はほとんどが負傷者、病人、老人、女性や子供でした。みんなあなたの飛行機を見て悪魔が来たと思いました。でもあなたは笑って手を振って遠ざかっていきました。みんなは歓声をあげて抱き合って喜びました。全員あなたに心から感謝したのです。あそこにいた人々はその後、多くの家族を持ちました。あなたは多くの人々の命を救ってくれたんです。かけがえのない命の恩人なのです』。そう言って、女性はあらためて50年前のシーンを思い出すと涙を流して坂井の手をとった。死を恐れぬ不屈の戦闘員でありながら、敵方の命に温情を見せた坂井三郎のとった行為こそまさにサムライの精神ではなかったろうか。
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(私論.私見)