山本五十六考好評考系の1



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 (れんだいこのショートメッセージ)


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現代日本は戦前より社会としてははるかに劣っている 投稿者 書記長 日時 2002 年 10 月 17 日 17:36:13:

 「日本の戦中の支配体制は、およそ外部世界とは相容れない
独善的な理念・理想を掲げ、マインドコントロールによって特
定集団をその世界観に引き入れ、破滅的な教導によりその集団
そのものを自壊に追い込んだ」というよくある非難は的を外し
ています。
 当時の日本の皇国史観は日本の歴史的伝統の一部であり明治
維新の原動力の一つであった神道原理主義的思想に由来する、
当時の社会システムの基礎である明治憲法の根本理念でした。
 皇国史観的な思想が日本社会で占める位置やその内容、及び
その解釈の変化は日本特有の精神史・思想史の発展の流れだっ
たのであり、純粋な国内問題だったのです。
 よその国の文化的伝統と比較判断されることによって、よそ
の国からどうこう言われる筋合いは今でもありません。
 今までの全ての社会はそのシステムの基礎になる民主主義や
自由主義、平和主義とか社会主義とかイスラム教とかキリスト
教とか人権思想とかの理念を採用しています。戦前の日本の社
会理念とそれに基づく教育のありかたをマインドコントロール
と呼ぶなら、上述の様々な理念とその教育は全てマインドコン
トロールと言わねばなりません。しかしそうしたところで、そ
れはただの「社会教育」と道義になりあまり意味がありません

 また、皇国史観と日本社会の関係をめぐる問題は、陸軍統制
派と皇道派の争いやマスコミと大衆が結託して強制的世論を形
成したことやテロを行う過激な右翼と大衆の結託などの社会的
対立を含んだ複雑な事情があり、そう単純で一元的な政治・思
想問題ではないのです。(実は、「軍部」とか「軍人」といっ
た存在も単純で一元的には扱えなさそうなのですが、戦後一般
市民の間ではずさんに取り扱われているようです。)
 「国民の統合や文化の伝統や日本的神聖の象徴として天皇」
には天皇家に過大な責任と職務を負わせるという天皇家への集
団的人権侵害の問題がありますが、それは戦後むしろ悪化して
います。
 対外的には、大東亜宣言に見られるような大東亜共栄圏の思
想などを参照すればわかるのですが、当時の人種差別・有色人
種に対する人権無視の抑圧搾取・アジアとアフリカの全面的植
民地化状況が当たり前の世界の中で最も先進的かつ人道的とさ
え言える理念・理想を公式に掲げていたのです。
 「破滅的な教導によりその集団そのものを自壊に追い込んだ
」のではなく、英米帝国主義や中ソ共産主義勢力により世界的
ブロック経済下で追い詰められていき、破滅させられたという
のが客観的な歴史的事実です。日本の軍国主義自体、日本を取
り巻いていたそうした過酷な国際環境を原因とするものだった
のです。

 特殊状況下、もしくはある一時期の日本社会・文明の問題点
をあげつらって、その時の社会体制や、さらに根本的に歴史的
全体としての日本社会・文明そのもの、さらにすすんでその政
治主権・独自の文明の独立までも批判・否定しようとするのは
思考や態度としてはずさんであり本末転倒なものです。
 国家社会の独自な独立した主権・文明のありかたというのは
それ自体社会にとって最優先で(時には命とか金とかを犠牲に
して)追求されて当然です。また独立した国家社会はあらゆる
面において独自の独立した変化発展をしうるのです。
 一時期の難点をもって、ある社会の体制やその社会・文明単
位そのものの独立した独自のありかたを否定しようとするのは
いったいどういう連中なのでしょうか。それは世界を唯物弁証
法の解釈と理想のもとに変革しようとする各種の左翼主義者た
ちや英米帝国主義の世界征服の手先となった者たちなのです。
 彼らにはその社会・文明を破壊してそうした自分たちの思い
通りの世界のあり方に無理やり人々を編入させようとする企み
があるからなのです。
 最初から上述の「社会の主権と文明の独立」を社会が最優先
で考慮しないのだったら、どこまでも他国の思い通りにしてい
けば良いのですから戦争などする理由はありません。その行き
着くところは社会としての独立の喪失であり、国民の人間とし
てのプライドの喪失であり、独自の文明の喪失であり、要する
に国家と国民の消滅もしくは奴隷化です。
 こういう当たり前の視点から観れば、戦後の日本は戦前の日
本より国家・社会としては、量的な側面ではない質的な面にお
いては比較できないほどに劣っているのです。アメリカのいい
なりになって国民経済を振り回され、戦争にまで無理やり狩り
出されようとしている現状がよい証拠です。


 「HOME > 掲示板」の「2002 年 10 月 17 日」「Re: 昭和史は明治より社会としてははるかに劣っている 」。
 (回答先: 現代日本は戦前より社会としてははるかに劣っている 投稿者 書記長 日時 2002 年 10 月 17 日 17:36:13)

「日本の戦中の支配体制は、およそ外部世界とは相容れない
独善的な理念・理想を掲げ、マインドコントロールによって特
定集団をその世界観に引き入れ、破滅的な教導によりその集団
そのものを自壊に追い込んだ」

自壊に追い込んだ。

その事実が実は、一番大切なのです。

右・左の色眼鏡をつけた状況だと正しい色もなにも見えません。

日本は、アメリカに負けた。これは事実です。

では?なぜ負けたか?となると左とも右とも
思想に走る。(藁

なぜそうなるか?科学的に検証しないからなんです。

その点で、明治と大正・昭和・平成と区別がつきます。

なぜ、明治政府は、外資を導入し外人を高給で呼び寄せたか?

わかりますよね。
科学的な、合理的なものを目指し、投資効率を上げたのです。

日本の加工貿易の基礎は、明治の投資にあったと言えましょう。
これが、なければ日本に新幹線は、ありませんし今の精密機械・半導体加工機械・自動車産業もありえません。

なぜ、日本が復活できたのか?簡単です。
基礎の技術・発想が出来上がっていたからです。

あとは投資を行うことで、そのみちは開けました。

では、昭和の投資はどんなものだったのか?
日本は、大日本帝国という国でしたが、それは本当になくなるべき存在だったのでしょうか?

その最大の誤りが、第二次世界大戦です。
もし、ハワイ真珠湾攻撃が無ければ。
日本が、ドイツと同盟せず。イギリスとの日英同盟を延長していれば。

ようは、戦略的な投資という意味で昭和史は、明治の投資戦略に逆立ちしても勝てないのです。

戦後の昭和史は、明治の投資が生きていると言えるでしょう。

では、どこで間違えたか?

思想というところに投資しすぎたということです。
第二次世界大戦まえ、アメリカが優先的に日本に入る前に止められた技術があります。
それは、ほんとに地味な研究で日本も重要なものという位置づけがなかったそうです。

しかしそれは、日本の航空技術にとって必要なものでした。
ターボチャージャーの部品に使う、錫などの配合比率などです。
これは、飛行機が1万メートル以上上がるとレシプロ機が、空気の薄さからスピードが落ちたり、エンジンの回転が落ちるというのを防ぐ装置の製造方法でした。

この方法技術が日本では、投資不足のため研究しても実用化にまで届きませんでした。
そのため、どんな馬力のエンジン、たとえば富岳5000馬力、連山・深山の4発エンジンに使う2000馬力がどうしても、実用化できなかった理由のひとつだそうです。
また、国内で完成した、ターボチャージャー技術はとうとう未完のまま雷電や疾風につけられましたが、運動性能や整備不良が多く、取り外されたようです。

そんな、話を持ち出す以前に航空技術の発展を見越せなかっ軍部。
空母建造を主にせず、戦艦、巡洋艦に投資しすぎた軍部

帝国陸軍の90%の歩兵率
これは、もう投資の仕方に戦略がなく思想に浸りきって、現実の分析が出来ていないことが問題です。

山本五十六連合艦隊司令長官が、「一体、アメリカと開戦して、日本はワシントンを占領できるのネ」
といった。
戦略とはこのような分析を言うのだが、それが国内で思想がちがちだと、上の言うことも下が判断できない、情報統制化に置かれている状況だと、投資が無効になる。

明治がすごいのは、情報分析と投資そして、国のとしての機械的な損切りである。
「日露戦争のとき、大山巌総司令官が、伊藤博文首相に「戦争の終結の、時期をあやまらず、必ずこれをやってくれ。それは政治家のつとめだ」と念を押して、満州に向かった。

この状況は、第二次世界大戦には、なかった。
山本五十六元帥は、「戦争はシンガポール占領の時点で終結すべきである。それ以上西進することは、イギリスとの間に深い溝をつくることになる。」

ということを、日本船舶振興会会長 笹川良一氏に言っていたという。

東条首相は、日本を「破滅的な教導によりその集団
そのものを自壊に追い込んだ」といえるだろう。

国益のことを考えれば、山本元帥の意見を取り入れて、戦略を考えるべきであったのだ。

陸軍は、海軍三将師の米内、山本、井上を機密費を使い右翼に命をとらせようともした。

これらの、事実は日本の投資を軍事一辺倒に振り向け、それが、戦略的に投資されない結果、大日本帝国は思想教育と情報統制という投資により柔軟性を失い、自ら危険だと分かってるはずの戦争に投資していくことになった。

日本人は、この点をもっとも反省しなくてはならない。







(私論.私見)