【徳川家から見た幕末維新考】



 「太田龍の時事評論」の2,006.8.25日付けbP783「徳川宗家第十九代後継者、徳川家広氏の重大な発言(『ボイス』九月号)」を紹介する。(れんだいこ編集)
  「ボイス」平成十八年九月号、二百二十八頁以下に、「徳川家から見た近代日本―幕府と長州の『戦い』は今日まで連綿とつづいている」、と言う座談会が掲載されて居る。座談会の出席者は、徳川家広(徳川宗家十九代後継者)、他二人。

 平成十八年七、八月は、日本歴史に残る重要な時期と成るであろう。この時期に筆者の見るところでは、次の四つの画期的事件があった。即ち、

 (1)鬼塚英昭著「天皇のロザリオ」(七月、成甲書房、上下二巻)の出版。
 (2)いはゆる富田メモの報道(七月二十日、日経新聞、そして各紙)
 (3)「徳富蘇峰終戦後日記」の出版(講談社)。
 (4)「ボイス」、九月号。前出座談会。

 天皇家の血統継承に、今、大きな問題が生じて居るが、徳川家の血統はどうなのか。筆者はこの問題について、「週刊日本新聞」四五一号、四、五頁で論じた。十五代将軍徳川慶喜が、いはゆる大政奉還したあと、英国(イルミナティサタニスト世界権力)の走狗と化した売国奴長州賊は、売国奴岩倉、三條らの一部公卿を手なずけて、徳川幕府を倒して、イルミナティの手先としてのニセ日本国をデッチ上げた。このことについては、「天皇破壊史」「長州の天皇征伐」(成甲書房)参照。

 しかし、この長州岩倉の売国奴一味は、徳川の血統を根絶やしにしなければならなかったにも拘わらず、それに失敗した。徳川慶喜が引退したあと、徳川宗家は十六代家達が継承、十七代家正、十八代恒孝に至って居り、十九代後継者が、徳川家広、だと言う。徳川の血統は、今、御三家、御三卿を含めて七系統。徳川の現存者子孫は、現在、約三百人、と聞いたことがある。

 「徳川と長州の戦いは、なを、継続中」(徳川家広)と言う。これは重大な発言である。「長州の天皇征伐」の熱心な読者には、そのことがただちに理解されるであろう。公式イデオロギーに毒されて居る普通の日本人には、このことの意味がまるで通じないかも知れないか。

 「長州」こそ、「大日本帝国」の主体であり、その真の創設者である。従って、敗戦と共にこの「大日本帝国」が崩壊したとき、蜷川新先生のような徳川幕府陣営の人物は、「長州」も、そして「長州天皇」も、当然、退陣するものと考えた。しかし、徳川家広によれば、敗戦後も長州勢力は、うまく立ち廻って主導権を握った、と言う。ここに、現代日本史の核心が存在する。(了)
 「ボイス」(平成18.9月号)の「徳川家から見た近代日本―幕府と長州の『戦い』は今日まで連綿とつづいている」(237P) 
北康利
(作家)
 徳川家に對して、長州閥の人々はごく最近まで、”色々仕掛けてきてゐた”やうですね。
徳川家廣
(飜譯家)
 (笑)。例へば「三百年のベール」。徳川家康の出自の謎を「解き明かした」明治のトンデモ本「史疑」の内容を紹介し、また其の本が世に出なかつた經緯を書いたものです。此の著者の南條範夫氏は、一高、東大と進み、商工省から滿州國に行つて、戰後には時代小説の大家と成つてゐるのは、皆さんご存知のとほりですが、實は舊制山口中學卒でもあります。詰り、岸信介と物凄く近い人なのですね。

 兔に角、長州藩閥人脈の方達は、大日本帝國の歴史を正確に記述される事を非常に恐れてゐる筈です。英吉利のバックアップを得て國を造り、シベリア出兵の失敗によつて中樞から一時追ひ出されるものの、其の後、滿州事變を畫策する事で強引に權力を奪還して、最後は大日本帝國の領土を失はせてしまつた。

 終戰時の日本の領土は明治維新時よりも狹く成つてゐました。一人當たりのGNPでいつても、低く成つてゐたのではないか。此の樣な事實から國民の目を逸らし、責任逃れするには、前任者に罪を擦り附ける ― 江戸時代が暗黒時代だつたと喧傳するしかない譯ですね。
谷澤永一
(關西大學名譽教授)
 成る程。近世の研究をしてゐても、未だ分からない事が澤山有りますが、近代に至つては、まだまだ時代を動かした本當の事實が明らかに成つてゐないと云ふ事ですね。此れは一寸、歴史學の埒内では書きやうがないですね。

【「明治よさらば 還ろう美の聖域へ」】
 荻野宏幸氏も著「明治よさらば 還ろう美の聖域へ」(http://www.amazon.co.jp/gp/product/4895142272/ )()で同様視点から発言している。これを引用する。 

 どうやらこの国は、ペリーの来航このかたアングロサクソン連合の極東戦略にはまり続けてきたらしい。日本の満州、支那大陸への野望を見てアメリカが描いたオレンジ計画という大規模な東アジア戦略が想定していた日本占領の後は、マスコミから、文部行政の深層にまで自己喪失の毒が廻った。そして茶髪の時代を招くや.藁でもつかむ思いなのか、維新政府の錯誤にしがみつき、靖国詣でを繰り返しては、民族の比類ない資質を、食いつぶそうとしている。
 立ち直る手だては、維新以降の人脈や「洋楽の徒」が拒絶し、見過ごしてきた江戸期以前のこの国に固有の営み、それを支えた価値の意識に立ち返り、選択の上で、その時代にふさわしい様式による復活に取り組む事である。利潤動機にゆがみ、自然環境を破壊して恥じない、これまでの粗末な工業化に寄りかかり、効率の走狗となって精神を消耗する事に見切りをつけて、完璧を求めて飛翔した感性、それが磨いた伝統の技法やデザイン資産に新しい命をかよわせ、粋を楽しむ洗練の気風などを取り戻す事である。猿真似と笑われても仕方ない模倣の時期をこえて、独自の文化を創造する世紀を切り開いてゆくことにしたい。

 http://www.chukoji.co.jp/hanbai/mokuroku/mokuroku12.html

 『明治よさらば 還ろう美の聖域へ』 荻野宏幸 著 A5判 300頁上製本 定価4,500円(本体4,286円)

 現代日本の礎を築いたのは、戦後の民主主義と米国主導になる経済成長主義、さかのぼれば明治維新で始まる近代化の成功だとする主張が大手を振るっている。西欧発の工業技術・知識は確かに日本を豊かにさせはした。だが、江戸末までの民族の文化的伝統・礼節は地に堕ち、利益追求を至上とする公徳心のない輩が自然破壊と公害のばら撒きに邁進する。その姿は醜悪とさえ言える。どうしてこうなってしまったのか。 本書は、「明治維新以後の近代化」についての鋭利な批判・論考と、著者持論の「通信一般理論」の序説及び好評を博した「デザイン論」の改稿を併載。

【目次・内容紹介】
1.人類の視野で慰霊を
 ──軍国明治の象徴、靖国神社の性格を検証。現在の自民党一部首脳たちが、いまだに犯す過誤の根幹を鋭く指摘する。

2.吉田松陰と軍国日本の回顧
 ──維新政権の思想的拠り所となった松陰。その著作は若気と、時代が要請した狂気に彩られていると逐一検証。その危うさが現代に影を落としていると警鐘を鳴らす。

3.上杉神社に思うこと
 ──神仏分離令から廃仏毀釈に至る無節操な宗教政策は、維新後の国体思想とあいまって国家神道へと結実する。その結果がどうなったかを、上杉神社を実例にして論ずる。

4.荀子の性悪説を考える
 ──荀子の性悪説は、社会契約説や市場経済の裏にある功利主義に筋道が似ている。荀子を検討することで功利主義の功罪を明白にし、性悪説を今に生かす方法を探る。

5.瀬島龍三著『日本の証言』に反論する
 ──元大本営の参謀・瀬島による戦争責任の身勝手な弁明を論駁。彼の論拠の多くが「旧帝国憲法」にあることから、法そのものの歪みも検証。

6.通信一般理論序説
 ──絶対的信仰や先験的な悟性にはもう頼れない。最新科学の成果をもとに「新しい世界観」を試論として提示。1?5章に至る考え方のバックボーンの表明でもある。

7.デザインと美の原点
 ──美醜の要件とは何か。前著『文明としてのデザイン』の内容を改めて推敲。功利主義が蔓延させた醜悪さを捨て「本当に美しいものは何か」を求めるべきとの痛切な主張。

著者紹介:荻野宏幸(おぎの・ひろゆき)
 1928年東京生まれ。東京大学経済学部卒。日本航空で11年間勤務の後、博報堂に招聘されて社長室長、同社取締役(3期)を歴任し、依願退任。1974年以後、獨協大学、拓殖大学で広告論、デザイン論の講師を務めるともに、画家として4回個展を開催。
 著書に、『文明としてのデザイン』『誰がための文明─荘厳な嘘を超えて』。絵本に『若い木霊』『祭りの晩』(いずれも文は宮沢賢治)。現在は画業に専念。














(私論.私見)

 渡部悌治氏著「ユダヤは日本に何をしたか」の「國全體が猶太諜報網の中に」(146P)より引用


 戰時中、米内光政の身内や縁故者達から、國の機密に屬する事柄が敵國に渡されてゐた事は事實であり、然も其の事柄が、日本の戰爭遂行を不可能にするほどの重要なものであつた事を特筆しておく。
 又、此の縁邊の者のうちには、首相であつた東條の鎌倉での生活費を賄つてゐた者もあり、其れらを取り卷く近親の者達の言動から察知された國家機密が、直ちに敵國に通報されてゐた事實も明白に成つてゐた。
 日本に張り巡らされてゐた敵國のスパイ網は、ミッドウェーの完敗を喫した樣に、誰かが寫眞に撮り、誰かが盜聽し、其れを集めて誰かが通報する樣なスケールの小さいもの許りではなく、遙か以前から計劃的に仕組まれ、長年掛かつて出來上がつた全日本的なものが多く、單に一囘的なものだけではなかつた。
 ミッドウェー海戰では、日本の攻撃の日時から空母の接近する方角まで通報されてゐた。戰時に於ける機密の重要性と情報の漏洩の結果とはどの樣なものか、なにもチャーチルに聽く事は無い。日本は、其れによつて再起不能と成つた。ミッドウェーに於る敗戰はウルトラ(米軍の對日暗號解讀作戰)によつたものではない。尤も怪しい人物は、猶太問題の犬塚惟成と國際聯盟に籍を置いた稻垣守克とである。彼らが通報したのである。
 日本の財閥と稱されてゐた者達が、實は猶太の出店であり、日本の大會社や一流商社が彼らの資金によつて賄はれ、大工場等諸施設までが、全て技師を裝つた敵側の諜報員達によつて設計されてあつたのだから、日本全體が、其のままそつくり猶太の諜報網の中に有つたと云へる。

誤)犬塚惟成→(正)犬塚惟重