梅田雲浜
(最新見直し2007.5.7日)
【梅田雲浜(うめだ うんぴん)】
若狭小浜藩に生まれる。京へ上り近江に塾を開いた。1850(嘉永3)年、海防策の意見書を藩に提出するが幕府批判ととられ藩士身分剥奪された。ペリー来航の際は尊王攘夷のために奔走、将軍継嗣問題では
一橋慶喜
擁立派として行動。また公家達を説いてまわり、水戸藩の密勅降下にも関わった。京都では梁川星厳につぐ志士の指導者となった。しかし、安政の大獄の最初の逮捕者となり、取調中に江戸で病死した。
(私論.私見)