佐久間象山



 (最新見直し2007.5.7日)

【佐久間象山】
 1811〜1864。
 松代藩士。江戸に出て詩文等を学び江戸藩邸学問所頭取などを歴任。天保12年(1841)藩主真田幸貫が老中海防掛に就任すると顧問として海外事情を研究。アヘン戦争に衝撃をうけ海防の必要を痛感した。江川太郎左衛門に西洋砲術を学び、砲術、兵学の塾を開き、当時第一級の海外通として知られた。吉田松陰、勝海舟、河井継之助らが入門。しかし松陰の密航失敗に連座して国元で蟄居(9年間)となった。文久2年(1862)に許された。

 元治元年(1864)幕命により上洛し、公武合体、開国、遷都を主張。尊攘派に反感をかい、京都三条木屋町で白馬に乗っているところを、肥後の河上彦斎に暗殺された。












(私論.私見)