頼三樹三郎



 (最新見直し2007.5.7日)

【頼三樹三郎(らい みきさぶろう)】
 京都の三本木に生まれる。父親は「日本外史」で勤王論を論じた頼山陽。大坂、江戸へ遊学後、東北と蝦夷地を旅行。帰京後、梅田雲浜や梁川星厳らと交流。反幕府、朝廷復権の思想を論じ合った。将軍継嗣問題では一橋慶喜を支持。安政5年(1858)4月、梁川星厳と密議をし、水戸藩に倒幕の密勅が降りるように画策。また西郷吉之助(隆盛)とも時局を論じ合った。8月、密勅が水戸に降りたが、これに対し、大老井伊直弼はのちの「安政の大獄」で対抗、弾圧をした。11月、捕縛された。一時、六角獄に入れられたが、翌年江戸へ送られた。取り調べでも幕政批判、勤王攘夷を一貫して主張。10月、刑死」。












(私論.私見)