ペリーの日本遠征関連逸話集



 (最新見直し2009.5.27日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 ここで、「ペリーの日本遠征関連逸話集」を確認しておく。

 2005.4.3日、2009.5.27日再編集 れんだいこ拝


 「ペリーが驚いた日本人の技術力」。
 こうした世界の動きから隔絶されたかのような長い眠りについていた日本に、ついにその波が到達したのは、1853年のことでした。ペリーが率いるアメリカ合衆国海軍東インド艦隊の艦船4隻が、江戸湾入り口の浦賀沖(現在の神奈川県横須賀市浦賀)に来航したのです。それまで交流のあった外国といえばおもには日本海側の朝鮮や中国であった日本にとって、反対側の太平洋から突如、異国の船が出現したことは衝撃的でした。日本の近代化はこのとき始まったといってもよいでしょう。 ペリーには、長い歴史をもつ閉ざされた神秘の国の扉を最初に開けるのは、新興国の米国でありたいという強い意識があったようです。日本についての資料を読み込んで研究した彼は、幕府を開国させるには毅然とした態度で圧力をかけることが必要であると確信し、多数の新式大砲を備え、防水・腐食のためのタールを黒々と塗った「サスケハナ」を旗艦とする大型蒸気船をそろえて視覚的にも威圧感を強めたのです。この「黒船」作戦が奏功し、日本は200年以上も閉ざしていた港を開かざるをえませんでした。

 ただし、この初めての日米両国の接触で驚いたのは日本人ばかりではなかったようです。ペリーの日本来航時のエピソードをまとめた『日本遠征関連逸話集』(在NY日本国総領事館のウェブサイト)によれば、ペリーは寺子屋や藩校などで学ぶ日本人の教育水準の高さや、職人の腕のよさ、礼節を尊ぶ国民性に感嘆しています。そして中国や他の東洋諸国では女性が夫の従属物のように扱われ無知の中に放置されているのに対し、日本女性は夫の伴侶であり、教育や品位があるとし、既婚女性のお歯黒は奇異ではあるが一夫多妻制もない日本は、道徳や規範において東洋諸国のなかで異質であると、好感を表しています。 とくにペリーは日本人が潜在的にもっている技術力の高さを見いだし、こう述べています。
 「日本人は非常な精巧さと緻密さを示している。そして彼等の道具の粗末さ、機械に対する知識の不完全さを考慮するとき、彼等の手工業上の技術の完全なことはすばらしいもののようである。日本の手工業者は世界におけるいかなる手工業者にも劣らず熟練して精通しており、国民の発明力をもっと自由に発達させるならば、日本人は最も成功している工業国民にいつまでも劣ってはいないことだろう。他の国民の物質的進歩の成果を学ぶ彼等の好奇心、それらを自らの使用にあてる敏速さによって、日本国民と他国民との交通から孤立させている政府の排外政策の程度が緩和されるならば、彼等はまもなく最も発達した国々の水準まで達するだろう。日本人が一度文明世界の過去及び現在の技能を所有したならば、強力な競争者として、将来の機械工業の成功を目指す競争に加わるだろう」。

 この言葉がやがて、現実のものとなっていくのです。





(私論.私見)