2010年代当時



 (最新見直し2010.09.28日)

2010年1月14日(木)「しんぶん赤旗」

国民とともに新しい政治を探求

激動の情勢 日本共産党25回大会始まる

志位委員長が報告




 日本共産党第25回大会が13日、静岡県熱海市の伊豆学習会館で始まりました。16日まで4日間の日程です。志位和夫委員長が開会のあいさつに立ち、「大会決議案」の分析と提起の土台には新しい党綱領があり、「過渡的な情勢」も綱領の目で見てこそ的確にとらえることができると指摘。前向きの一歩を踏み出した日本の政治をさらに前に進めることができるかどうかは、参院選での日本共産党の躍進にかかっていると力説しました。志位氏は、大会の任務として、(1)「大会決議案」を練り上げ、決定する(2)参院選の躍進をめざす全党の総決起への跳躍台とする(3)新しい中央委員会を選出する――という三つを提起しました。会場は全国から集まった約千人の代議員、評議員の熱気にあふれました。大会には、党の招待にこたえ、日本で活動している19カ国の大使・外交官が出席。志位氏は「決議案」についての中央委員会報告を約3時間余行いました。その後討論に入り、1日目は5人の代議員が発言しました。




 中央委員会報告に立った志位委員長は大会決議案の章ごとに、全党討論をふまえて解明が必要な問題、情勢の進展にそくして補強すべき問題を中心に報告しました。

「過渡的情勢」とは



 第1章では、「過渡的な情勢」の意味を明らかにしつつ、「政治を変えたい」という国民の願いが、総選挙後も情勢全体を前向きに動かす大きな力として作用し続けていると指摘。新政権の動きだけで狭く情勢をとらえずに、国民全体の動きから大きく情勢をとらえる見地が重要だと強調しました。

 第2章では、「過渡的な情勢」のもとで、党が堅持すべき活動の根本姿勢として、結論を国民に押し付ける態度でなく、国民要求から出発し、新しい政治をともに探求する姿勢を堅持する大切さを力説しました。

国政の熱い焦点



 国政の熱い焦点となっている米軍基地と日米安保体制問題、経済危機問題でそれぞれの現局面と根本的打開の方向を提起しました。沖縄・普天間基地の無条件撤去の重要性や、現行日米安保条約50年にあたりその廃棄を国民の多数にすることを訴え。「基地のない沖縄・日本」への一大闘争をよびかけ、代議員は大きな拍手でこたえました。

 経済危機を打開するうえで「ルールある経済社会」への改革が緊急かつ根本的な処方箋(せん)になっていることを詳述しました。

 このなかで、OECD(経済協力開発機構)加盟国で、2007年までの10年間で労働者の雇用者報酬が減少したのは日本だけだと指摘。大企業の内部留保の一部を雇用や中小企業、社会に還元させる政策への転換や、税金と社会保障を本来の姿に取り戻す改革を提起しました。

 新政権の経済問題への対応では、財源問題の行き詰まりのなか、閣僚から消費税増税発言が飛び出していることに警鐘を鳴らし、消費税増税を許さない闘争をよびかけ、反動的逆行を許さないたたかいでは、比例定数削減に反対するたたかいを提起し、ともに会場から力強い拍手が起こりました。

 国民的共同の課題にかかわって志位氏は、労働運動の現状と展望について、(1)労働運動のナショナルセンターの違いをこえた一致する要求での共同をさらに発展させること(2)連合指導部が特定政党支持路線と労資協調主義路線という二つの重大な弱点を克服し、労働組合の潮流の違いをこえた共同に踏み出すことが強く期待されていること(3)労働者が要求にもとづく共同行動を前進させるうえで、全労連が果たす役割はいよいよ大きくなっていること―の3点を強調しました。

オバマ政権どうみる



 第3章の報告では、米国・オバマ政権について、前向きの変化が生まれつつある面と、覇権主義という点で変化が見られない面の二つの側面から党の立場をのべました。

 オバマ大統領の「核兵器のない世界」を現実のものにするうえでの「問題点や限界」を解明。核超大国が「核抑止」の名で自らの核戦略を正当化すれば、「核兵器が拡散した恐るべき世界」が訪れると警告し、「核抑止力」論からの脱却が求められていると訴えました。

 さらに、オバマ大統領が昨年11月の東京での講演で日米関係を「完全に平等なパートナー」としたことについて、動かしがたい事実を示して問題を提起しました。

 第一に、在日米軍基地では、「クリアゾーン」(利用禁止区域)、NLP(夜間離着陸訓練)、低空飛行など米国内では到底許されない危険な実態が横行していることです。

 第二に、日米地位協定による特権は、ドイツと比較しても著しく落差があり、米軍の横暴を許し、事件・事故・米兵犯罪の温床ともなっていることです。

 第三に、米政府高官が、日本国憲法9条を「邪魔」などといって繰り返し改変を求めるなど、主権国家間のまともな関係といえるかという問題です。

 志位氏は、「大統領がのべた『対等なパートナー』という言葉が真実のものであるならば、これらの異常な従属的関係は、すみやかに正されるべきではないか」とのべました。

 国際問題にかかわっては、昨年末に開かれた国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)での到達点をふまえ、地球環境問題のとりくみを具体的に提起しました。

参院選の条件と可能性



 第4章では、参院選が、たたかいいかんではこれまでの政党間の力関係を大きく前向きに変える条件と可能性をはらんだ選挙だと強調。新たな政党配置を明らかにし、広大な他党支持層、無党派層に広く党の姿を伝えきるならば勝利・躍進の条件はあるとのべました。

 活動方針については「比例を軸に」をつらぬく重要さを力説。全国どの党組織も、そこを「活動地域」とする候補者の当選だけでなく、比例5人全員の当選に責任を負っているとし、「全国は一つ」の立場で全員当選をなし遂げることを強調しました。

 また、決議案で提起した「有権者の過半数と対話」などの目標は、何よりも今日の情勢がそれを求めているからであること、新しい情勢のもとで生まれている党躍進の条件、チャンスを現実のものにするには、党勢拡大の大きな上げ潮で選挙をたたかうことが不可欠だとのべました。

 さらに、中期的展望にたった「成長・発展目標」という新しい提起の意味、職場支部と青年・学生のなかでのとりくみの強化などを報告しました。

 第5章に関して志位氏は、「未来社会への展望をもっていることが、目の前で解決が迫られている問題の打開の道筋とその意義を、より大きな視野と展望のなかで明らかにできる」と強調。当面する参院選での躍進をかちとり、さらに2010年代を党躍進の歴史的時期とするために、知恵と力を尽くそうとよびかけました。







2010年1月14日(木)「しんぶん赤旗」

第25回党大会での

志位委員長の開会あいさつ




 日本共産党第25回大会で、志位和夫委員長が述べた開会あいさつは次のとおりです。




 大会にお集まりの代議員および評議員のみなさん。

 CS通信、インターネット中継をご覧の全国のみなさん。

 私は、ここに日本共産党第25回大会の開会を宣言いたします(拍手)。そして、この党大会の準備と成功のために力をつくされたすべての党員のみなさんに、党中央委員会を代表して、心からの感謝と連帯のあいさつを送ります。(拍手)

在日の外交団の方々の紹介



 この大会には、会議を傍聴していただくよう、日本で活動されている外交団の方々をご招待いたしました。つぎの19の国の大使あるいは外交官の方々のご出席をいただきました。国名を日本の五十音順に紹介いたします。イラン、ウクライナ、ガーナ、カザフスタン、キューバ、ケニア、サウジアラビア、中国、チュニジア、ネパール、パキスタン、東ティモール、ブルガリア、ベトナム、南アフリカ、モロッコ、ラオス、ルクセンブルク、ロシア。以上の国の外交団の方々であります(拍手)。遠いところまでわざわざおいでくださったことに、心からのお礼を申し上げるものです。(拍手)

 私たちは、海外に出かけての活動とともに、在日の外交団の方々との交流、外交団の方々を通じての各国政府との交流を、外交活動の重要な部分と位置づけて、日ごろから力をそそいでおります。それぞれの国の政府とわが党の立場とは、共通点もあれば、相違点もあると思いますが、大会の様子を通じて、日本の政治の一部をになっているわが党の活動をありのままに見ていただき、相互理解と友好が深まることを心から願っております。

亡くなられた同志たちへの追悼



 前大会は2006年1月に開かれましたが、それから現在までの4年間に全国で1万6347人の同志たちが亡くなりました。そのなかには、宮本顕治元議長、村上弘元委員長、上田耕一郎前副委員長はじめ14人の名誉役員の方々も含まれています。新しい日本をめざし、日本国民の利益を守り、世界と日本の平和と進歩のために、最後まで日本共産党員として活動されてきた方々であります。

 この同志たちを第25回党大会の名において追悼するために、黙とうをおこないたいと思います。ご起立をお願いします。

 黙とう。

 黙とうを終わります。ご着席ください。

「決議案」を練り上げ決定する――すべての土台に党綱領が



 この第25回党大会は、2010年代の初めの年に開かれる党大会として大きな任務をもっています。

 第一は、日本共産党が内外の諸課題にとりくむ基本的方針を打ち出した「大会決議案」を練り上げ、決定することであります。この間、長年にわたって政権党の座をしめつづけた自民党が、国民の審判によって退場するという、日本の情勢の大きな前向きの変化がおこりました。「決議案」は、新しい情勢の特徴を深く分析し、そのもとでのわが党の任務を全面的に明らかにしています。

 私が、強調したいのは、「決議案」の分析と提起のすべての土台に、6年前の第23回党大会で決定した新しい綱領があるということです。この間の日本の情勢の激動的展開のなかで、綱領の生命力がいよいよ豊かに力強く発揮されつつある。新しい「過渡的な情勢」が生まれましたが、綱領の目でそれを見てこそ、いまおこっている出来事を的確にとらえることができるし、私たちの進路も迷うことなく明らかにすることができる。これが「決議案」を作成し、全党討論をすすめてきた、私たちの実感であります。

 大会が、「決議案」をさらに練り上げ、決定するという任務を的確にやりとげるならば、2010年代の私たちの行く手をてらす政治文書として、必ずや大きな力を発揮すると確信するものであります。

参議院選挙の躍進をめざす全党の総決起の跳躍台に



 第二は、この大会を、半年後に迫った参議院選挙での躍進をめざす全党の総決起への跳躍台としていくことであります。

 昨年、大きな前向きの一歩を踏み出した日本の政治を、さらに前にすすめることができるかどうか。それは参議院選挙での日本共産党の躍進にかかっています。そして、参議院選挙勝利のとりくみは、1年3カ月後にたたかわれるいっせい地方選挙勝利のとりくみと一体にとりくむことが強く求められます。

 「決議案」は、参議院選挙での躍進にむけた全党の活力と決意を大きく高めつつあります。「今度こそ勝とう」との機運が、大きく広がりつつあります。

 この大会までに、5人の比例代表予定候補とともに、沖縄をのぞく46都道府県で、参議院選挙の予定候補を決定しました。予定候補の全員が、大会に参加しておりますが、明日はそろってご紹介する予定です。

 この大会が、参議院選挙、いっせい地方選挙勝利への道を開いた大会となったと党史に刻まれるように、大いに奮闘しようではありませんか。(拍手)

新しい中央委員会の選出――将来を展望した幹部政策



 第三は、党綱領と大会決議の具体化、実践の先頭にたつ新しい党中央委員会を選出することであります。

 「決議案」では、「将来を展望した幹部政策として、中央委員会の構成のあり方を見直し、とくに准中央委員については、後継幹部として成長することを任務として位置づけ、将来性のある若い幹部、新しい幹部、女性幹部の大胆な抜てきをはかる」とのべています。

 この立場にたって、現中央委員会の責任で新しい中央役員候補者を推薦し、党大会に提案したいと考えております。

 この党大会が、みなさんの活発な討論をつうじて、これらの任務を立派に果たし、新しい情勢のもとで、私たちの事業の新たな前進と飛躍にむけ、実り豊かな成果を生みだすことを心から願って、開会のあいさつを終わります。(拍手)




2010年1月14日(木)「しんぶん赤旗」

小沢氏関係先を一斉捜索

東京地検




 民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入をめぐる問題で、東京地検特捜部は13日、陸山会事務所や小沢氏の個人事務所、同会の事務担当者だった石川知裕衆院議員(36)の議員会館事務所、大手ゼネコンの鹿島本社などを政治資金規正法違反容疑でいっせいに家宅捜索しました。小沢氏が参考人としての聴取要請に応じていないなか、事件は新たな局面を迎えました。

 石川議員は、特捜部の聴取に土地購入の原資約4億円の出所について、「小沢氏の個人資金を充てた」と説明していました。しかし、「しんぶん赤旗」日曜版1月10日号が、中堅ゼネコン「水谷建設」から04年10月と05年4月ごろ、計1億円の裏献金があったことを明らかにしたように、原資がゼネコン献金だった疑いが浮上しています。

 特捜部は、土地購入の原資にゼネコンからの裏献金が含まれていたと判断。石川議員の供述は虚偽の可能性があるとみて、全容解明には、強制捜査が不可欠と判断したとみられます。

政党としての自浄能力発揮を 志位氏



 日本共産党の志位和夫委員長は13日、民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体の事務所に捜査が入ったことについて党大会会場で記者団に問われ、「政権党の幹事長の政治団体の事務所に強制捜査が入ったというのは大変重大だ。(土地取引疑惑をめぐる)4億円は不可解で奇怪な動きをしている。小沢氏は12日の会見ではまったくその説明を拒否した。きちんとした説明を果たす責任がある」と強調しました。

 志位氏は、小沢氏の疑惑は、西松建設の違法献金、土地取引疑惑、新生党・自由党の解党時の政党助成金の処理問題など「累積的な疑惑になっている」と指摘。さらに、鳩山由紀夫首相も偽装献金疑惑を抱えるなど民主党の「ツートップ」の深刻な「政治とカネ」の問題をあげ、「党首と幹事長という党の『ツートップ』が疑惑を抱えているわけだから民主党という政党が党としての自浄能力を発揮すべきだ。きちんと党として実態を調査し、国民に明らかにする責任がある。それができないようならまともな政党とはいえない」と批判しました。

 また「民主党は(総選挙)マニフェストで企業・団体献金禁止を掲げたが、この問題がおこってうんともすんとも(禁止の方向が)出てこないのは問題だ。首相と幹事長の疑惑を究明し国民に説明するとともに、企業・団体献金禁止にきちんと踏み出すべきだ」とのべました。





2010年1月14日(木)「しんぶん赤旗」

陸山会の土地購入 強制捜査

原資 ゼネコン裏献金か

4億円どこから




 小沢一郎民主党幹事長の資金管理団体「陸山会」の不透明な土地購入疑惑で13日、陸山会など小沢氏関係先や大手ゼネコンが東京地検特捜部の強制捜査を受ける事態に発展しました。同日、小沢氏の私設秘書だった同党の石川知裕衆院議員も事務所の家宅捜査や任意聴取を受けており、事件は重大な局面を迎えています。(「政治とカネ」取材班)




 「小沢さんはいろいろ不透明な資金の問題を抱えている。強制捜査は当然の流れだ」。西松建設の元中枢幹部は、実感をこめて語ります。

 陸山会は2004年10月29日、東京都世田谷区深沢の土地を約3億4000万円で購入。同会の事務担当だった石川氏は、小沢氏の手持ちの現金4億円を同会の口座に入金して購入資金に充てたとみられています。

 その支払い直後、4億円の定期預金を組み、それを担保に小沢氏名義で同額の融資を受けるなど、不可解な資金の流れが判明。これは、小沢氏からの4億円を隠すための偽装工作の疑いがあります。

 重大なのは、土地購入に充てられた4億円の原資がどこから出ているのかということです。小沢氏の収入は、04年までの10年間でも合計約3億5千万円で、疑惑の土地購入代金に及びません。

 特捜部が強制捜査に乗り出したのは、購入代金4億円にゼネコンからの裏献金が含まれていると判断したからだとみられます。

 小沢氏への裏献金については、「しんぶん赤旗」日曜版に重機土木大手「水谷建設」(三重県桑名市)の関係者が、小沢氏の地元岩手県で建設中の「胆沢ダム」工事受注をめぐり04年10月と05年4月に各5000万円、計1億円を提供したと証言しています。

 特捜部は、このうち04年10月の5000万円が、同月の陸山会による土地購入の原資の一部となった疑いがあるとみて、「胆沢ダム」工事に参入したゼネコン各社の担当者らを事情聴取していました。

 13日に強制捜査を受けた業界最大手の鹿島は、「胆沢ダム」の本体工事を落札、水谷建設は下請けに入っていました。

 鹿島は、長期にわたって東北地方の公共工事談合の取り仕切り役を務めてきたと指摘されています。その談合に小沢氏が「天の声」を出して大きな影響力を発揮してきたことは、西松建設偽装献金事件の大久保隆規被告(小沢氏公設第1秘書)の初公判で検察側が明らかにしています。

 事態はすでに「秘書の責任」では、すまされないところにきています。

 13日に開かれた大久保被告の第2回公判を傍聴した、元小沢氏秘書の高橋嘉信氏は、こう明言しました。

 「秘書はすべて、そして細部にわたっても本人(小沢氏)の命令に従っているだけだ」


説明拒否 問われる小沢氏



 「法に触れることをしたつもりはない。国民のみなさんも理解してくれると思う」―。民主党の小沢一郎幹事長は13日夜、自身の資金管理団体「陸山会」の土地購入問題をめぐり、同会などが家宅捜索を受けたことについて、こう述べました。しかし、みずからの疑惑について何の説明もせず、「理解」は得られません。

 小沢氏は12日の記者会見で、土地取引について聞かれ、「関連したものであれば、いってください。いっぺんに答えますから」と質問を促しました。

 計8人の記者が4億円の原資などについて、質問。なかには、「しんぶん赤旗」日曜版1月10日号が報じた水谷建設の裏献金についての質問もありました。

 ところが、「じゃあ、お答えします」と始まった小沢氏の回答は、「捜査が継続中であり、いろいろと申し上げるのは差し控えたい」というもの。最初から説明する気がなかったのです。

 4億円の原資はなんだったのか、土地購入代金を支払った後に、わざわざ4億円の定期預金をして、それを担保にして4億円の融資を受けたのはなぜか―など、小沢氏には明確に説明する責任があります。





2010年1月14日(木)「しんぶん赤旗」

主張

土地資金疑惑

小沢氏は国民に説明すべきだ




 民主党の小沢一郎幹事長の資金管理団体「陸山会」の土地購入資金疑惑に関連し、東京地検特捜部が、「陸山会」事務所や献金にかかわったと見られる大手ゼネコン「鹿島」などをいっせいに強制捜索しました。資金疑惑問題の重大な展開です。

 小沢氏は、「私どもは法に触れることをしたつもりはない。国民の皆さんも理解してくれる」というだけで、疑惑について満足な説明をしていません。検察当局の捜査に応えるとともに、まず政治家として、説明責任をつくすべきです。

公党の幹事長の異常事態



 政権党でもある公党の幹事長が、資金管理団体の事務所などの捜索を受けるなどというのは、まったく異常な事態です。検察が通常国会の開会を目前にしたこの時期に強制捜索に踏み切ったのは、小沢氏が任意の事情聴取に応じなかったなどの事情もあるとみられます。しかし、「鹿島」など大手ゼネコンも対象になっていることから見て、政治資金収支報告書の虚偽記載にとどまらず、土地購入資金の出所そのものにメスを入れようとしているのは明らかです。疑惑の根は極めて深刻です。

 「陸山会」は、2004年10月、東京都世田谷区深沢の土地を約3億4000万円で購入しました。政治資金収支報告書には約4億円の定期預金を担保に4億円の融資を受け、土地代金を支払ったと届けられていたのに、実際の支払いは融資の前で、政治資金収支報告書の虚偽記載の疑いとともに、資金の出所に疑惑がもたれていました。

 小沢氏の元秘書で「陸山会」の事務担当だった民主党の石川知裕衆院議員は虚偽記載を認め、資金は小沢氏の資金だったと説明したといわれます。そうなると、いったい小沢氏がどのようにして巨額の資金をためこんだのか、いよいよ出所が疑わしくなります。

 小沢氏をめぐっては準大手ゼネコン「西松建設」からの企業献金を偽装して届け出た問題で、小沢氏の公設第1秘書が逮捕、起訴され、公判中です。裁判では、検察側の冒頭陳述などで、小沢事務所が東北地方の公共事業発注で大きな力を持っており、その「見返り」に献金を集めていた疑惑を浮き彫りにしています。

 今回、大手ゼネコン「鹿島」などが捜索の対象となったのも、こうした疑惑と決して無関係ではありません。土地購入と同じ時期などには、中堅ゼネコン「水谷建設」の関係者が、小沢議員のもとに1億円を届けたなどの疑惑も、「しんぶん赤旗」日曜版の取材で明らかになっています。土地購入資金の疑惑は、徹底して明らかにされるべきです。

民主党も解明責任果たせ



 政治家が、政治資金について透明性を求められるのは、政治資金の公開を通じて、自らの政治活動を不断に国民の批判と監視の下に置くためです。政治資金に疑惑を残したまま、政治活動で国民の利益を貫くことなどできるはずがありません。

 小沢氏とともに問われるのは民主党の責任です。民主党は、鳩山由紀夫代表(首相)の献金疑惑についてもあいまいにしたままです。代表も幹事長も政治資金に疑惑をもたれ、満足に解明しないなどというのでは、まさに公党としての資格と自浄能力が問われます。


日本共産党25回大会

大会で選出された新中央委員会


 第25回党大会で選出された中央委員、准中央委員はつぎのとおりです。(五十音順、○印は新)

中央委員 (163人)

○青山 慶二(55)赤嶺 政賢(62)秋元 邦宏(54)足立 正恒(71)有坂 哲夫(68)○安藤 晴美(58)石井妃都美(59)石坂 千穂(61)石灰 睦夫(76)和泉 重行(63)市田 忠義(67)○市谷 知子(41)稲垣 豊彦(62)井上 哲士(51)今井  誠(65)今田 吉昭(52)岩井 鐵也(64)○岩切 幸子(52)岩下 経興(62)中 正巳(57)植木 俊雄(63)上田  均(75)浮揚 幸裕(60)○内田  裕(53)浦田 宣昭(67)遠藤いく子(61)○大内久美子(60)大内田和子(66)大久保健三(62)太田 善作(62)大嶽 隆司(48)大幡 基夫(58)○大山とも子(54)岡  宏輔(62)岡  正信(63)緒方 靖夫(62)岡野  隆(62)○荻原 初男(56)奥谷 和美(57)笠井  亮(57)○加藤 清次(59)金井 武雄(65)金子 邦彦(58)金子  逸(63)紙  智子(55)上岡 辰夫(62)○上村 秀明(51)○神山 悦子(54)○川田 忠明(50)河邑 重光(70)神田 米造(60)○久保田 仁(53)久保山啓介(66)○倉林 明子(49)小池  晃(49)小池  潔(67)小木曽陽司(55)穀田 恵二(63)○小菅 啓司(59)○小谷 三鈴(55)○小林 年治(57)小日向昭一(62)小松崎久仁夫(63)小村 勝洋(55)佐々木憲昭(64)佐々木陸海(65)佐竹 峰雄(61)佐藤  登(65)○佐藤 文明(60)佐藤 正美(69)沢田  博(59)志位 和夫(55)塩川 鉄也(48)庄子正二郎(54)○白川 容子(43)○菅原 則勝(51)○大門実紀史(54)○高橋千鶴子(50)竹内 良平(63)田代 忠利(56)棚橋 裕一(63)田邊  進(61)田村 一志(47)田村 守男(60)○田谷 武夫(58)反保 直樹(60)千葉 信男(60)○塚地 佐智(53)津島 忠勝(64)寺沢亜志也(56)土井 洋彦(47)○土肥 靖治(57)中井作太郎(61)中島 康博(56)中林  隆(65)長久 理嗣(62)成中 春樹(59)西口  光(61)西野 敏郭(64)○仁比 聡平(46)○練木 恵子(47)○野元 徳英(60)長谷川忠通(65)畑野 君枝(52)八田ひろ子(63)○花岡ユリ子(55)浜野 忠夫(77)○林  紀子(47)林  通文(69)林田 澄孝(59)春名 直章(50)土方 明果(59)○火爪 弘子(54)平兼 悦子(61)平林 正勝(62)広井 暢子(62)○樋渡士自夫(56)福島 敏夫(63)○節木三千代(51)藤田  文(52)○藤田  健(49)○古堅 宗嘉(57)不破 哲三(79)紅谷 有二(66)○細野 大海(58)堀  幸光(61)○堀江ひとみ(50)本荘 洋彦(65)○本間 和也(55)○前屋敷恵美(59)増子 典男(69)松岡  清(59)○松原 昭夫(53)○松宮 敏樹(61)水谷 定男(62)水戸 正男(67)○南  秀一(60)○宮本 岳志(50)○武藤 明美(62)○村上 昭二(62)○村山  純(62)最上 清治(60)○盛  美彰(55)森原 公敏(60)柳浦 敏彦(64)○柳下 礼子(63)柳沢 明夫(72)山口 勝利(65)山口 富男(55)山下 満昭(57)山下 芳生(49)○山村 糸子(59)○山村 幸穂(54)○山谷富士雄(62)結城 久志(62)吉井 英勝(67)吉田 信夫(60)○吉田 秀樹(56)吉村 吉夫(65)○米田 吉正(62)若林 義春(59)和田 一男(56)渡辺 和俊(58)

准中央委員 (35人)

○阿藤 和之(39)○鮎沢  聡(45)○石山 淳一(44)○板橋 利之(44)○猪原  健(33)○梅村早江子(45)○岡田 政彦(44)○河江 明美(44)○小越  進(48)○駒井 正男(42)○坂井  希(37)○椎葉 寿幸(33)○祖父江元希(34)○田川  実(45)○田川  豊(41)○田中 俊之(44)○谷本  諭(39)○田村 智子(44)○中条 正実(39)○辻  慎一(45)○中野 武史(35)○成宮真理子(40)○西澤 亨子(50)○畠山 和也(38)○藤野 保史(39)○藤原 正明(37)○古川 京美(43)○堀内 照文(37)○町田 和史(33)○宮本 次郎(34)○宮本  徹(37)○村主 明子(38)○山内  健(41)○吉岡 正史(35)○吉俣  洋(36)

日本共産党中央委員会の機構と人事

 幹部会委員長 志位和夫

 書記局長    市田忠義

 幹部会副委員長    緒方靖夫、浜野忠夫、広井暢子

常任幹部会 (22人)



 幹部会が選出した常任幹部会はつぎのとおりです。(五十音順、○印は新)

 常任幹部会委員(20人)

和泉重行、市田忠義、岩井鐵也、上田均、浦田宣昭、太田善作、大幡基夫、緒方靖夫、○笠井亮、○紙智子、小池晃、○小木曽陽司、穀田恵二、志位和夫、中井作太郎、西口光、浜野忠夫、広井暢子、不破哲三、○山下芳生


 准常任幹部会委員(2人)

○高橋千鶴子、○寺沢亜志也

幹部会 (57人)



 第1回中央委員会総会が選出した幹部会は次のとおりです。(五十音順)

赤嶺政賢、○有坂哲夫、石灰睦夫、和泉重行、市田忠義、今井誠、岩井鐵也、岩中正巳、植木俊雄、上田均、浮揚幸裕、浦田宣昭、大内田和子、大久保健三、太田善作、大幡基夫、岡宏輔、岡正信、緒方靖夫、岡野隆、○笠井亮、金子逸、○紙智子、上岡辰夫、河邑重光、小池晃、小池潔、小木曽陽司、穀田恵二、小松崎久仁夫、佐々木憲昭、佐々木陸海、志位和夫、○高橋千鶴子、棚橋裕一、○田村守男、○寺沢亜志也、中井作太郎、西口光、西野敏郭、長谷川忠通、浜野忠夫、林通文、○土方明果、広井暢子、不破哲三、紅谷有二、増子典男、水谷定男、森原公敏、柳浦敏彦、山口勝利、山口富男、○山下芳生、○山谷富士雄、若林義春、渡辺和俊

書記局 (21人)



 第1回中央委員会総会が選出した書記局長を責任者とし、幹部会が任命した20人の書記局員で構成される書記局はつぎのとおりです。

 書記局長 市田忠義

 書記局次長 ○中井作太郎、○大幡基夫、佐々木陸海

 書記局員

和泉重行、岩井鐵也、浦田宣昭、太田善作、河邑重光、○坂井希、○田川実、棚橋裕一、○田村守男、○辻慎一、○寺沢亜志也、長谷川忠通、○藤田健、○水谷定男、柳浦敏彦、○山下芳生、○山谷富士雄

訴願委員会、規律委員会、監査委員会



 第1回中央委員会総会が任命した訴願委員会、規律委員会、監査委員会はつぎのとおりです。(五十音順)

 訴願委員会(6人)

  責任者 紅谷有二

  委員 有坂哲夫、○岩切幸子、金井武雄、紀氏和男、武村拓三

 規律委員会(8人)

  責任者 上岡辰夫

  委員 ○板橋利之、○今田吉昭、○田邊進、○西田外志光、広瀬潜、福島敏夫、柳沢明夫

 監査委員会(3人)

  責任者 金子逸

  委員 福島敏夫、三羽和夫

中央機関紙編集委員会 (21人)



 幹部会が任命した中央機関紙編集委員会はつぎのとおりです。(五十音順)

 責任者 ○小木曽陽司

 委員

○浅田信幸、石渡博明、稲田達、牛久保建男、大内田和子、勝又健、加藤準司、栗田敏夫、昆弘見、近藤正男、坂下清香、○西澤亨子、西田外志光、藤田健、○松井信嗣、松宮敏樹、宮坂一男、○村木博、山沢猛、渡辺健

日本共産党中央委員会の機構と人事について

中央委員会常任幹部会は、第25回党大会で選出された中央委員会の機構と人事を、つぎのように決定した。

政策委員会



責任者  小池  晃

副責任者 和泉 重行

 同    笠井  亮

事務局長 寺沢亜志也

経済・社会保障政策委員会



責任者 寺沢亜志也

政治・外交委員会



責任者 山根 隆志

宣伝局



局長  和泉 重行

次長  田村 一志

広報部



部長  植木 俊雄

副部長  植上 一夫

国民の声室



責任者  藤原 忠雄

国民運動委員会



責任者  浦田 宣昭

副責任者 紙  智子

 同    水戸 正男

事務局長 有坂 哲夫

事務局次長  姫井 二郎

委 員  川田 忠明

 同    最上 清治

 同    梅村早江子

 同    荒川 和明

 同    小泉 親司

 同    昆  弘見

 同    高瀬 康正

 同    堤  文俊

 同    米沢 幸悦

労働局



局長  水戸 正男

次長  米沢 幸悦

農林・漁民局



局長  紙  智子

次長  有坂 哲夫

市民・住民運動・中小企業局



局長  最上 清治

次長  高瀬 康正

 同   堤  文俊

平和運動局



局長  川田 忠明

基地対策委員会



責任者  小泉 親司

女性委員会



責任者  広井 暢子

副責任者 高橋千鶴子

事務局長 平兼 悦子

委員  藤田  文

青年・学生委員会



責任者  広井 暢子

事務局長 坂井  希

事務局次長 工藤  充

学術・文化委員会



責任者  足立 正恒

事務局長 土井 洋彦

事務局次長 辻  慎一

 同    改正  充

文教委員会



責任者  藤森  毅

宗教委員会



責任者  足立 正恒

事務局長  平  静丸

スポーツ委員会



責任者  広畑 成志

事務局長  鳥井 健次

選挙対策局



局長  大幡 基夫

次長  水谷 定男

 同   金井 武雄

 同   佐藤  登

 同   吉田 秀樹

国会議員団ブロック事務所 



北海道事務所

  所長  島村 正信

東北事務所

  所長  小野 敏郎

東京事務所

  所長  亀井  寿

北関東事務所

  所長  塚越 敏博

南関東事務所

  所長  大森  猛

北陸信越事務所

  所長  藤森  巌

東海事務所

  所長  西田 一廣

近畿事務所

  所長  中村一二巳

中国事務所

  所長  加藤 碩

  同代理  小阪 昇

九州・沖縄事務所

  所長  田村 貴昭

  同代理  江田 昭宏

自治体局



局長  柳浦 敏彦

次長  今田 吉昭

 同   金子 邦彦

国際委員会



責任者  緒方 靖夫

副責任者 西口  光

  同    笠井  亮

事務局長 森原 公敏

委 員  神田 米造

 同    田代 忠利

 同    田川  実

党建設委員会



責任者  中井作太郎

副責任者 岩井 鐵也

 同    太田 善作

 同    山下 芳生

委 員  石灰 睦夫

 同    金子  逸

 同    増子 典男

 同    長谷川忠通

 同    山谷富士雄

組織局



局長  長谷川忠通

次長  土方 明果

 同   吉村 吉夫

局付   稲垣 豊彦

 同   岩切 幸子

 同   和田 一男

 同   板橋 利之

機関紙活動局



局長  岩井 鐵也

局長代理 太田 善作

次長  田村 守男

学習・教育局



局長  山谷富士雄

次長  長久 理嗣

局付  村主 明子

職場(労働)対策委員会



責任者  山下 芳生

事務局長 加藤 清次

委員  石灰 睦夫

 同   小日向昭一

 同   水戸 正男

中央党学校



   金子  逸

法規対策部



部長  柳沢 明夫

副部長  小林 亮淳

 同    成中 春樹

人事局



局長  浜野 忠夫

次長  上岡 辰夫

財務・業務委員会



責任者  上田  均

副責任者 岩井 鐵也

事務局長 大久保健三

委員  林  通文

 同   佐藤 正美

 同   結城 久志

財政部



部長  大久保健三

副部長  太田 マサ

 同    齊藤 隆司

機関紙誌業務部



部長  佐藤 正美

副部長  浦野 伸一

 同    神田 正夫

管理部



部長  結城 久志

副部長  熊谷  功

 同    藤野 雅司

厚生部



部長  林  通文

副部長  市岡 正文

 同    佐藤 憲七

赤旗まつり実行委員会



実行委員長 小木曽陽司

事務局長 結城 久志

社会科学研究所



所長  不破 哲三

副所長  山口 富男

幹事  足立 正恒

 同   緒方 靖夫

 同   笠井  亮

 同   川田 忠明

 同   小池  晃

 同   田川  実

 同   田村 一志

 同   谷本  諭

 同   辻  慎一

 同   盛  美彰

事務局長 小野 秀明

出版企画委員会



責任者  岩井 鐵也

委員  和泉 重行

 同   金子  逸

 同   河邑 重光

出版局



局長  河邑 重光

次長  北村 優治

雑誌刊行委員会



責任者  河邑 重光

『前衛』編集部



編集長  盛  美彰

『月刊学習』編集部



編集長  庄子正二郎

『女性のひろば』編集部



編集長  藤田  文

『議会と自治体』編集部



編集長  渡邉  幸久

雑誌刊行委員会



責任者  河邑 重光

資料室



責任者  菅原 正伯

党史資料室



責任者  岡  宏輔

中央委員会事務室



責任者  佐々木陸海

副責任者 岡  宏輔

 同    平井  昇

国会議員団事務局



事務局長  棚橋 裕一

 次長  白石 敏夫

  同   湯浅 和己

赤旗編集局



編集局長 小木曽陽司

次長  大内田和子

 同  藤田 健

 同  松宮 敏樹

 同  近藤 正男

 同  西田外志光

 同  宮坂 一男


記者の目:JR不採用の政治決着=坂本高志(東京社会部)
 87年の国鉄分割民営化に伴う1047人のJR不採用問題で、政府・与党と公明党は4月、不採用になった国鉄労働組合(国労)組合員や遺族ら計910世帯に1人平均約2200万円の和解金を支払うなどの政治解決案をまとめ、大半の組合員が受け入れを決めた。歴代自民党政権と組合側双方が“挫折”を重ねた末の決着は「政治とカネ」などで迷走する鳩山内閣の数少ない成果かもしれないし、逆に「労組に甘い」と政権批判につなげる向きもある。だが政治的評価よりも、戦後最大の労働争議から見える教訓を探ることが重要だと考える。

 ◇バイトで生計 子の進学断念も



 「闘争」にも「団結」にもなじみが薄い私がこの問題を取材し始めたのは、東京地裁を担当する司法記者だった約6年前。国鉄債務を引き継いだ旧国鉄清算事業団を相手に、国労の一部組合員が起こした解雇無効訴訟の審理が進んでいた。十数年間争い続ける理由を、原告の一人は「世の中では風化したかもしれないが、たまたま民営化に反対した組合に属したというだけで紙切れ一枚で首になった時を忘れることができない」と話した。静かな怒りが伝わった。

 昨年1月、原告が多い北海道名寄(なよろ)市を訪れた。JR発足と同時に、不採用となった約180人が事業団名寄雇用対策支所に送られ、90年に36人が解雇された。以来、原告と家族は土木作業や山菜とりなどのアルバイトのほか、設立したクリーニング店などで得た金を分け合って暮らす。月収は十数万円。進学を断念した子供も珍しくなく、原告たちは「極寒のバイトよりも、家族に苦労をかけたことがつらい」と口をそろえた。

 彼らの多くは「安定職だから」と国鉄を選び、先輩の誘いなどで自然と第1組合の国労に加入した。だが、民営化を前に、職場では「国労ではJRに行けない」と脱退を迫る動きが相次ぎ、民営化に賛成した労組の採用率はほぼ100%、国労は48%程度。国鉄は全国の「人材活用センター」に余剰人員を集めた後、約7600人を事業団に回した。旧国鉄やJR側は「手厚い雇用対策が行われた」などと説明するが、原告らの受け止めは違う。「職安の紙が張り出されただけ」「廃屋に集められてひたすら自学自習。ほとんどいじめだった」と憤る。

 民営化前後は職員の自殺も急増したという。働く者に踏み絵を迫る、荒廃した環境が作られたことは否定しがたい。民営化の理由である巨額債務の背景に「我田引鉄」と称された政治家による利益誘導もあった。不採用の1047人に限らず、やむなく他労組に移ったり転職したすべての人が国策の犠牲者といえる。

 国鉄改革法の審議で中曽根内閣は「一人も路頭に迷わせない」と述べ、参院も所属労組による差別が行われないよう付帯決議した。何度か和解への試みがあったとはいえ、政治の側に約束を守る強い責任感があれば、23年の月日は必要だったろうか。その反省に立てば、政府は今回の和解金に加え、再就職への支援も怠ってはならない。

 国労の責任にも触れる。民営化を前に1人1人の雇用確保よりも政治闘争にまい進し、皮肉にも労働運動全体が衰退する流れを加速させた。

 さらに、00年に当時の与党と社民党が政治解決に合意し、国労は定期大会で受け入れた。これを不服とする組合員が02年、今回の解決への足がかりとなった訴訟を起こした際、国労執行部は与党側の強硬姿勢を受け、提訴した組合員を大量処分するなど内部を統一できなかった。この訴訟が05年に一部勝訴して以降、原告支援に転じたものの、労組本来の役割とは何かという重い宿題が残った。

 ◇非正規労働など 今日につながる



 大分大の石井まこと教授(社会政策)は労働運動の弱体化に伴う90年代以降の労使関係の変容を指摘する。「国鉄のケースでは、労働者が不利な条件で残るか、辞めるか判断せざるを得ない状況に追い込む手法がとられ、バブル崩壊後の企業リストラにも広がった。その結果、非正規労働の拡大を招き、正規公務員や正社員という身分も批判の対象となる『下方への競争社会』につながった」と語る。

 公共部門の縮小を唱えた81年設置の「第2臨調」は世論の高い支持を集め、分割民営化への道を開いた。「行革フィーバー」を生んだ成功体験は基本的に継承されている。

 出口の見えなかった原告らにとって、今回の政治決着は名誉回復の一助になるだろう。ただ、改革の「影」の部分は今後も検証されていくべきだ。私にはそこに「官と民」や「正規と非正規」に象徴される、働く者を巡る今の状況を読み解く一つのカギがあると思う。

【関連記事】

 毎日新聞 2010年5月7日 0時07分(最終更新 5月7日 0時14分)



 4月、民主党政権下で、国労が政府と和解し、一人当たり2200万円の和解金が支払われることになった。但し、JRへの復帰採用は棚上げされた。


Re::れんだいこのカンテラ時評813 れんだいこ 2010/09/28
 【小室直樹氏逝去考】

 2010.9.4日、政治学や社会学など幅広い分野で活躍した評論家で東工大特任教授の小室直樹氏が、東京都内の病院で心不全で死去した(享年77歳)。9.28日、東京工業大世界文明センターが発表した。

 小室氏は東京生まれ。京大理学部数学科を卒業後、大阪大大学院で俄かに経済学を専攻し始め、フルブライト留学生として米ハーバード大などに留学。帰国後は東大大学院などで丸山真男、川島武宜、篠原一、京極純一の各氏らの指導を受けながら、文化人類学、法社会学などを研究し法学博士を取得した。

 大学院修了後、どういう訳か教授の肩書が付かぬまま旺盛な執筆活動を開始した。1980年にソ連崩壊を予言した「ソビエト帝国の崩壊」、続いて出した「アメリカの逆襲」がベストセラーになった。ロッキード事件で被告になった田中角栄の有能性を称賛し、孤軍奮闘の無罪論の論陣を張った。他に「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」、「日本人のための宗教原論」、「韓国の悲劇」、「信長 近代日本の曙と資本主義の精神」など多数著作している。政治、社会、経済学など社会諸科学の統合による識見で俗説を一蹴し続け、異色の学者として活躍した。この間、橋爪大三郎・東工大教授、宮台真司・首都大学東京教授、政治経済評論家の副島隆彦氏らを指導している。有能な師に有能な弟子が繋がり、逆は逆なりの好例であろう。

 れんだいこは、小室直樹氏の膨大な著作のうち数典しか読んでいないが、どれも目からウロコの卓見が満ち満ちており恐れ入りやの鬼子母神的に学ばせて貰った。特に影響を受けたのは、著作名が分からなくなったが、日本の戦後民主主義を理想的な蓮華国家となぞらえている発想であった。これが如何に重要な視点であるかと云うと、日本左派運動のそれが右派が穏健的に改革改良を、左派が急進的に革命を説くにしても、共通してブルジョア体制論の範疇で説いていることとの比較で知れる。小室氏は、マルクス主義的な歴史観の呪縛から離れて、日本の戦後民主主義を世にも稀な蓮華国家であるとして称賛し、その護持、成育発展の指針を与えていた。

 この指摘が、れんだいこの史観形成に大きな役割を果たしている。そういう意味で、小室氏に感謝している。れんだいこはそれまで、れんだいこ自身の生活体験や、天理教教祖中山みきの研究を通じて、戦後民主主義の有り難味を知っていた。戦後民主主義に具現したものは、幕末の中山みきを束縛していた身分制、その他諸々の抑圧的法的規制から解放していた。或る意味で戦後社会は「みきの予言」通りの世の中になった。故に、天理教に於いては、戦後民主主義は卑下するものではなく、教祖中山みきの世直し、世の立て替えの百年後の具現社会と位置づけ評価することになる。天理教では神人和楽社会を理想とするが、大いに近づいた世の中と捉えることになる。

 しかしこうなると、僅かな期間と雖も学生運動を通じて脳の最も若く活動的な青年期にマルクス主義の洗礼を受けた者からすれば、天理教的戦後民主主義賛辞論とマルクス主義的ブルジョア体制論との両説のハザマでしっくりしないことになっていた。丁度その時、小室氏の戦後民主主義蓮華国家論を聞き、ハタと膝を叩いた次第である。何しろ気鋭の、敢えて在野の超博識の小室先生が確信的にメッセージしているのであるからして、もはや迷うことはなかった。以来、れんだいこは、戦後民主主義蓮華国家論を芯に据えている。それは下手クソなマルクス主義的歴史論の呪縛から剥離したことを意味する。れんだいこ史観は、他にも太田龍氏の国際金融資本帝国主義論、歴史的ネオシオニズム論、日本の縄文知性秀逸論等々から学んでいる。イエス思想、中山みき思想、陽明学等々からもエッセンスを汲んでいる。銘打ってれんだいこ史観としている。

 この史観によって見立てがどう変わるかと云うと、典型的には田中角栄論に集中されることになる。世の多くの自称識者は、田中角栄政治を金権政治の元凶、諸悪の根源として捉え、これを叩くことをもって正義とする。従って、ロッキード裁判では正義の検察に対するエールしまくりとなり、角栄の抵抗を嘲笑することになる。社共系労組は御用提灯をもって角栄の住まいする目白邸宅を包囲して気焔を挙げることになる。これに対して、小室氏、太田氏、そしてれんだいこも挙げておこう、この系譜は、角栄の有能性を認め、戦後蓮華国家のひた向きな働き手として評価する。故に、そういう逸在の角栄を陥(おとしい)れたロッキード事件の負の構造を疑惑する。こういう違いとなる。

 両者の見立てのどちらが正しいのか、これはこれからの歴史が実証することであろう。それにしても、ロッキード事件では立花隆、日共の宮顕、不破、上耕が異常にはしゃいだ。立花のネオシオニスト的イカガワシサ、日共の左からの国際金融資本帝国主義の御用聞き性はこれから暴かれることになろう。ワシントンから見て名宰相として評された首相は中曽根と小泉である。日本のマスコミメディアはこの論調に今も乗っている。この不正を糺さねばなるまい。むしろ強権的に葬られた政治家こそ真の有能な働き手ではなかったかと見直されるべきであろう。

 この政治闘争は近くでは小沢キード事件にも関係している。日本政界は「政治とカネ問題」で小沢パッシングに興じているが、小沢パッシング派の「政治とカネ問題」には向かわない「法の不公平適用」による小沢叩きの為の方便でしかない。小沢は政治資金収支報告書に入出金を克明に記しているが、それが為に「天の声」まで詮索されている。同じトレースで測られると一体何人の政治家が潔白証明できるのだろうか。であるのに小沢ばかりが槍玉に挙げられている。ここに小沢叩きの政治性がある。小沢キード事件のイカガワシサはここにある。これからは、「政治とカネ問題」で正義ぶる者には、せめて小沢並の経理公開しているかどうかはっきりさせてからものを言わさねばなるまい。いつまでも「手前は免責、小沢有責」の得手勝手論法を通用させてはなるまい。

 もとへ。小室氏が逝去した。このところ動向が聞こえていなかったので気になっていたが療養中だったのであろうか。小室氏の縦横無尽の切り口、語りにもっと触れたかったと思う故に残念である。しかしながら寿命とならば致し方あるまい。御冥福を祈る。改めて感謝申し上げる。

 2010.9.28日 れんだいこ拝

<中国>中央軍事委副主席に習近平氏 胡主席後継に内定



毎日新聞 10月18日(月)18時11分配信
 【北京・浦松丈二】中国共産党の第17期中央委員会第5回総会(5中全会)が18日閉幕し、革命第5世代の習近平国家副主席(57)が党中央軍事委員会副主席に任命された。中国では軍権掌握が最高指導者の条件とされる。習氏が軍事委でも胡錦濤国家主席(67)=軍事委主席=に次ぐポストについたことで、胡主席の後継者に事実上内定したことになる。国営新華社通信が伝えた。

 習氏は浙江省、上海市トップの党委書記などを務め、07年秋の第17回党大会で中央委員から2階級特進で党序列6位の政治局常務委員に抜てきされた。08年3月には国家副主席に選出され、「ポスト胡錦濤」の最有力候補とみられてきた。

 第4世代の胡主席は1999年に軍事委副主席に任命され、2002年に党総書記、03年に国家主席、04年に軍事委主席と順に就任し、第3世代の江沢民氏から最高指導者の地位を禅譲された。

 これで習氏も12年の第18回党大会で党総書記に、13年に国家主席に就任することが既定路線になった。

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 12.9日、元JR東労組会長松崎明氏が栃木県内の病院で特発性間質性肺炎で死去(享年74歳)。

 松崎氏の履歴は次の通り。(「ウィキペディア松崎明」その他参照)

 1936.2.3日、埼玉県出身。埼玉県立川越工業高等学校卒。愛称は松っつあん。

 1954年、国鉄入社試験に合格したが自宅待機。日本民主青年同盟(民青)に加入。

 1955年、臨時雇用員として旧国鉄に採用され松戸電車区に配属。日本共産党に入党。

 1956年、国鉄職員となり、尾久機関区に配属。機関車労働組合(後の国鉄動力車労働組合、動労)加入。

 1957年、黒田寛一と出会う。

 1958年、革命的共産主義者同盟に加入。

 1959年、共産党を離党。

 1961年、動労青年部を結成、初代青年部長に就任。

 1963年、動労尾久支部長に就任。革命的共産主義者同盟が分裂し、黒田寛一率いる革マル派につき副議長に就任(組織名:倉川篤、愛称:クラさん)。動労青年部長引退。尾久・田端統合反対闘争で逮捕され、違法ストの責任を問われ、国鉄を解雇される。その後、組合専従となる。

 1969年、東京地方本部書記長に就任。スト権奪還ストなどの闘争を繰り返し、「鬼の動労」と呼ばれる時代を指導した。

 1972年、マル生反対闘争で、国鉄総裁が国会で陳謝して勝利解決した。その闘いから「鬼の動労」と呼ばれるようになる。

 1973年、東京地方本部委員長に就任。

 1974年、全動労が分裂。

 1975年、スト権ストの敗北。以降、春闘でのストライキはあったものの激しく闘うことがなくなる。

 1979年、動労千葉が分裂。

 1985年、動労中央本部委員長に就任。

 1986年、国鉄分割・民営化問題で、労使協調路線に転換。劇的な変化から「コペルニクス的転回」と言われた。

 1987年、鉄道労連(後のJR総連)副委員長。国鉄分割・民営化に伴って結成された東鉄労(後のJR東労組)委員長に就任。

 1995年、JR東労組会長に就任。

 2001年、JR東労組会長を退任、顧問となる。顧問に退いた後も影響力を持っていたとされる。

 2003年、すべての組合役職を退職。

 2007.11.30日、警視庁公安部は、松崎をJR総連の内部組織「国際交流推進委員会」の基金口座から3000万円を引き出し横領した業務上横領容疑で書類送検した。直後に松崎はハワイの高級住宅地にある別荘を3千数百万円で購入。この購入資金は同協会職員の個人口座を通じてハワイの不動産会社に送金されており、公安部は横領した金が充てられた疑いがあるとみた。松崎は「妻名義の土地を売却して得た資金なども口座に入っており、私的流用はしていない」と容疑を否定。JR総連も「横領された事実はない」とした。2007.12.28日、東京地検は嫌疑不十分で不起訴処分とした。

 2008年、不当捜査による精神的苦痛・社会的信用失墜を理由に、東京都や国に損害賠償を求める訴えを起こす。

 2010年、かつての宿敵・中野洋(元動労千葉委員長)の逝去にあたり、『われらのインター』31号(2010.4.15)に追悼文を発表し、「革共同が分裂し、私は革マル派、彼は中核派のメンバーとなった。党派の対立の中で袂を分かつことになった。……共に闘い抜きたかったが、路線の違いは致し方ない。しっかりと目を見開いたままの戦闘態勢を堅持した中野洋さん、心から称え、冥福を祈ります」と記した。かつての宿敵の死を追悼したこの寄稿が、皮肉にも松崎にとっての遺作となった。

 革マル派との関係も指摘され、岡崎トミ子国家公安委員長は11月8日の衆院予算委員会で、「革マル派創設時の幹部の一人である」と答弁している。 

















(私論.私見)