2010年代当時 |
2010年1月14日(木)「しんぶん赤旗」国民とともに新しい政治を探求激動の情勢 日本共産党25回大会始まる志位委員長が報告日本共産党第25回大会が13日、静岡県熱海市の伊豆学習会館で始まりました。16日まで4日間の日程です。志位和夫委員長が開会のあいさつに立ち、「大会決議案」の分析と提起の土台には新しい党綱領があり、「過渡的な情勢」も綱領の目で見てこそ的確にとらえることができると指摘。前向きの一歩を踏み出した日本の政治をさらに前に進めることができるかどうかは、参院選での日本共産党の躍進にかかっていると力説しました。志位氏は、大会の任務として、(1)「大会決議案」を練り上げ、決定する(2)参院選の躍進をめざす全党の総決起への跳躍台とする(3)新しい中央委員会を選出する――という三つを提起しました。会場は全国から集まった約千人の代議員、評議員の熱気にあふれました。大会には、党の招待にこたえ、日本で活動している19カ国の大使・外交官が出席。志位氏は「決議案」についての中央委員会報告を約3時間余行いました。その後討論に入り、1日目は5人の代議員が発言しました。 中央委員会報告に立った志位委員長は大会決議案の章ごとに、全党討論をふまえて解明が必要な問題、情勢の進展にそくして補強すべき問題を中心に報告しました。 「過渡的情勢」とは第1章では、「過渡的な情勢」の意味を明らかにしつつ、「政治を変えたい」という国民の願いが、総選挙後も情勢全体を前向きに動かす大きな力として作用し続けていると指摘。新政権の動きだけで狭く情勢をとらえずに、国民全体の動きから大きく情勢をとらえる見地が重要だと強調しました。 第2章では、「過渡的な情勢」のもとで、党が堅持すべき活動の根本姿勢として、結論を国民に押し付ける態度でなく、国民要求から出発し、新しい政治をともに探求する姿勢を堅持する大切さを力説しました。 国政の熱い焦点国政の熱い焦点となっている米軍基地と日米安保体制問題、経済危機問題でそれぞれの現局面と根本的打開の方向を提起しました。沖縄・普天間基地の無条件撤去の重要性や、現行日米安保条約50年にあたりその廃棄を国民の多数にすることを訴え。「基地のない沖縄・日本」への一大闘争をよびかけ、代議員は大きな拍手でこたえました。 経済危機を打開するうえで「ルールある経済社会」への改革が緊急かつ根本的な処方箋(せん)になっていることを詳述しました。 このなかで、OECD(経済協力開発機構)加盟国で、2007年までの10年間で労働者の雇用者報酬が減少したのは日本だけだと指摘。大企業の内部留保の一部を雇用や中小企業、社会に還元させる政策への転換や、税金と社会保障を本来の姿に取り戻す改革を提起しました。 新政権の経済問題への対応では、財源問題の行き詰まりのなか、閣僚から消費税増税発言が飛び出していることに警鐘を鳴らし、消費税増税を許さない闘争をよびかけ、反動的逆行を許さないたたかいでは、比例定数削減に反対するたたかいを提起し、ともに会場から力強い拍手が起こりました。 国民的共同の課題にかかわって志位氏は、労働運動の現状と展望について、(1)労働運動のナショナルセンターの違いをこえた一致する要求での共同をさらに発展させること(2)連合指導部が特定政党支持路線と労資協調主義路線という二つの重大な弱点を克服し、労働組合の潮流の違いをこえた共同に踏み出すことが強く期待されていること(3)労働者が要求にもとづく共同行動を前進させるうえで、全労連が果たす役割はいよいよ大きくなっていること―の3点を強調しました。 オバマ政権どうみる第3章の報告では、米国・オバマ政権について、前向きの変化が生まれつつある面と、覇権主義という点で変化が見られない面の二つの側面から党の立場をのべました。 オバマ大統領の「核兵器のない世界」を現実のものにするうえでの「問題点や限界」を解明。核超大国が「核抑止」の名で自らの核戦略を正当化すれば、「核兵器が拡散した恐るべき世界」が訪れると警告し、「核抑止力」論からの脱却が求められていると訴えました。 さらに、オバマ大統領が昨年11月の東京での講演で日米関係を「完全に平等なパートナー」としたことについて、動かしがたい事実を示して問題を提起しました。 第一に、在日米軍基地では、「クリアゾーン」(利用禁止区域)、NLP(夜間離着陸訓練)、低空飛行など米国内では到底許されない危険な実態が横行していることです。 第二に、日米地位協定による特権は、ドイツと比較しても著しく落差があり、米軍の横暴を許し、事件・事故・米兵犯罪の温床ともなっていることです。 第三に、米政府高官が、日本国憲法9条を「邪魔」などといって繰り返し改変を求めるなど、主権国家間のまともな関係といえるかという問題です。 志位氏は、「大統領がのべた『対等なパートナー』という言葉が真実のものであるならば、これらの異常な従属的関係は、すみやかに正されるべきではないか」とのべました。 国際問題にかかわっては、昨年末に開かれた国連気候変動枠組み条約第15回締約国会議(COP15)での到達点をふまえ、地球環境問題のとりくみを具体的に提起しました。 参院選の条件と可能性第4章では、参院選が、たたかいいかんではこれまでの政党間の力関係を大きく前向きに変える条件と可能性をはらんだ選挙だと強調。新たな政党配置を明らかにし、広大な他党支持層、無党派層に広く党の姿を伝えきるならば勝利・躍進の条件はあるとのべました。 活動方針については「比例を軸に」をつらぬく重要さを力説。全国どの党組織も、そこを「活動地域」とする候補者の当選だけでなく、比例5人全員の当選に責任を負っているとし、「全国は一つ」の立場で全員当選をなし遂げることを強調しました。 また、決議案で提起した「有権者の過半数と対話」などの目標は、何よりも今日の情勢がそれを求めているからであること、新しい情勢のもとで生まれている党躍進の条件、チャンスを現実のものにするには、党勢拡大の大きな上げ潮で選挙をたたかうことが不可欠だとのべました。 さらに、中期的展望にたった「成長・発展目標」という新しい提起の意味、職場支部と青年・学生のなかでのとりくみの強化などを報告しました。 第5章に関して志位氏は、「未来社会への展望をもっていることが、目の前で解決が迫られている問題の打開の道筋とその意義を、より大きな視野と展望のなかで明らかにできる」と強調。当面する参院選での躍進をかちとり、さらに2010年代を党躍進の歴史的時期とするために、知恵と力を尽くそうとよびかけました。 |
日本共産党25回大会大会で選出された新中央委員会第25回党大会で選出された中央委員、准中央委員はつぎのとおりです。(五十音順、○印は新) 中央委員 (163人)
○青山 慶二(55)赤嶺 政賢(62)秋元 邦宏(54)足立 正恒(71)有坂 哲夫(68)○安藤 晴美(58)石井妃都美(59)石坂 千穂(61)石灰 睦夫(76)和泉 重行(63)市田 忠義(67)○市谷 知子(41)稲垣 豊彦(62)井上 哲士(51)今井 誠(65)今田 吉昭(52)岩井 鐵也(64)○岩切 幸子(52)岩下 経興(62)中 正巳(57)植木 俊雄(63)上田 均(75)浮揚 幸裕(60)○内田 裕(53)浦田 宣昭(67)遠藤いく子(61)○大内久美子(60)大内田和子(66)大久保健三(62)太田 善作(62)大嶽 隆司(48)大幡 基夫(58)○大山とも子(54)岡 宏輔(62)岡 正信(63)緒方 靖夫(62)岡野 隆(62)○荻原 初男(56)奥谷 和美(57)笠井 亮(57)○加藤 清次(59)金井 武雄(65)金子 邦彦(58)金子 逸(63)紙 智子(55)上岡 辰夫(62)○上村 秀明(51)○神山 悦子(54)○川田 忠明(50)河邑 重光(70)神田 米造(60)○久保田 仁(53)久保山啓介(66)○倉林 明子(49)小池 晃(49)小池 潔(67)小木曽陽司(55)穀田 恵二(63)○小菅 啓司(59)○小谷 三鈴(55)○小林 年治(57)小日向昭一(62)小松崎久仁夫(63)小村 勝洋(55)佐々木憲昭(64)佐々木陸海(65)佐竹 峰雄(61)佐藤 登(65)○佐藤 文明(60)佐藤 正美(69)沢田 博(59)志位 和夫(55)塩川 鉄也(48)庄子正二郎(54)○白川 容子(43)○菅原 則勝(51)○大門実紀史(54)○高橋千鶴子(50)竹内 良平(63)田代 忠利(56)棚橋 裕一(63)田邊 進(61)田村 一志(47)田村 守男(60)○田谷 武夫(58)反保 直樹(60)千葉 信男(60)○塚地 佐智(53)津島 忠勝(64)寺沢亜志也(56)土井 洋彦(47)○土肥 靖治(57)中井作太郎(61)中島 康博(56)中林 隆(65)長久 理嗣(62)成中 春樹(59)西口 光(61)西野 敏郭(64)○仁比 聡平(46)○練木 恵子(47)○野元 徳英(60)長谷川忠通(65)畑野 君枝(52)八田ひろ子(63)○花岡ユリ子(55)浜野 忠夫(77)○林 紀子(47)林 通文(69)林田 澄孝(59)春名 直章(50)土方 明果(59)○火爪 弘子(54)平兼 悦子(61)平林 正勝(62)広井 暢子(62)○樋渡士自夫(56)福島 敏夫(63)○節木三千代(51)藤田 文(52)○藤田 健(49)○古堅 宗嘉(57)不破 哲三(79)紅谷 有二(66)○細野 大海(58)堀 幸光(61)○堀江ひとみ(50)本荘 洋彦(65)○本間 和也(55)○前屋敷恵美(59)増子 典男(69)松岡 清(59)○松原 昭夫(53)○松宮 敏樹(61)水谷 定男(62)水戸 正男(67)○南 秀一(60)○宮本 岳志(50)○武藤 明美(62)○村上 昭二(62)○村山 純(62)最上 清治(60)○盛 美彰(55)森原 公敏(60)柳浦 敏彦(64)○柳下 礼子(63)柳沢 明夫(72)山口 勝利(65)山口 富男(55)山下 満昭(57)山下 芳生(49)○山村 糸子(59)○山村 幸穂(54)○山谷富士雄(62)結城 久志(62)吉井 英勝(67)吉田 信夫(60)○吉田 秀樹(56)吉村 吉夫(65)○米田 吉正(62)若林 義春(59)和田 一男(56)渡辺 和俊(58)
准中央委員 (35人)
○阿藤 和之(39)○鮎沢 聡(45)○石山 淳一(44)○板橋 利之(44)○猪原 健(33)○梅村早江子(45)○岡田 政彦(44)○河江 明美(44)○小越 進(48)○駒井 正男(42)○坂井 希(37)○椎葉 寿幸(33)○祖父江元希(34)○田川 実(45)○田川 豊(41)○田中 俊之(44)○谷本 諭(39)○田村 智子(44)○中条 正実(39)○辻 慎一(45)○中野 武史(35)○成宮真理子(40)○西澤 亨子(50)○畠山 和也(38)○藤野 保史(39)○藤原 正明(37)○古川 京美(43)○堀内 照文(37)○町田 和史(33)○宮本 次郎(34)○宮本 徹(37)○村主 明子(38)○山内 健(41)○吉岡 正史(35)○吉俣 洋(36)
日本共産党中央委員会の機構と人事幹部会委員長 志位和夫書記局長 市田忠義幹部会副委員長 緒方靖夫、浜野忠夫、広井暢子常任幹部会 (22人)幹部会が選出した常任幹部会はつぎのとおりです。(五十音順、○印は新) 常任幹部会委員(20人) 和泉重行、市田忠義、岩井鐵也、上田均、浦田宣昭、太田善作、大幡基夫、緒方靖夫、○笠井亮、○紙智子、小池晃、○小木曽陽司、穀田恵二、志位和夫、中井作太郎、西口光、浜野忠夫、広井暢子、不破哲三、○山下芳生 准常任幹部会委員(2人) ○高橋千鶴子、○寺沢亜志也 幹部会 (57人)第1回中央委員会総会が選出した幹部会は次のとおりです。(五十音順) 赤嶺政賢、○有坂哲夫、石灰睦夫、和泉重行、市田忠義、今井誠、岩井鐵也、岩中正巳、植木俊雄、上田均、浮揚幸裕、浦田宣昭、大内田和子、大久保健三、太田善作、大幡基夫、岡宏輔、岡正信、緒方靖夫、岡野隆、○笠井亮、金子逸、○紙智子、上岡辰夫、河邑重光、小池晃、小池潔、小木曽陽司、穀田恵二、小松崎久仁夫、佐々木憲昭、佐々木陸海、志位和夫、○高橋千鶴子、棚橋裕一、○田村守男、○寺沢亜志也、中井作太郎、西口光、西野敏郭、長谷川忠通、浜野忠夫、林通文、○土方明果、広井暢子、不破哲三、紅谷有二、増子典男、水谷定男、森原公敏、柳浦敏彦、山口勝利、山口富男、○山下芳生、○山谷富士雄、若林義春、渡辺和俊 書記局 (21人)第1回中央委員会総会が選出した書記局長を責任者とし、幹部会が任命した20人の書記局員で構成される書記局はつぎのとおりです。 書記局長 市田忠義 書記局次長 ○中井作太郎、○大幡基夫、佐々木陸海 書記局員 和泉重行、岩井鐵也、浦田宣昭、太田善作、河邑重光、○坂井希、○田川実、棚橋裕一、○田村守男、○辻慎一、○寺沢亜志也、長谷川忠通、○藤田健、○水谷定男、柳浦敏彦、○山下芳生、○山谷富士雄 訴願委員会、規律委員会、監査委員会第1回中央委員会総会が任命した訴願委員会、規律委員会、監査委員会はつぎのとおりです。(五十音順) 訴願委員会(6人) 責任者 紅谷有二 委員 有坂哲夫、○岩切幸子、金井武雄、紀氏和男、武村拓三 規律委員会(8人) 責任者 上岡辰夫 委員 ○板橋利之、○今田吉昭、○田邊進、○西田外志光、広瀬潜、福島敏夫、柳沢明夫 監査委員会(3人) 責任者 金子逸 委員 福島敏夫、三羽和夫 中央機関紙編集委員会 (21人)幹部会が任命した中央機関紙編集委員会はつぎのとおりです。(五十音順) 責任者 ○小木曽陽司 委員 ○浅田信幸、石渡博明、稲田達、牛久保建男、大内田和子、勝又健、加藤準司、栗田敏夫、昆弘見、近藤正男、坂下清香、○西澤亨子、西田外志光、藤田健、○松井信嗣、松宮敏樹、宮坂一男、○村木博、山沢猛、渡辺健 日本共産党中央委員会の機構と人事について中央委員会常任幹部会は、第25回党大会で選出された中央委員会の機構と人事を、つぎのように決定した。
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Re::れんだいこのカンテラ時評813 | れんだいこ | 2010/09/28 |
【小室直樹氏逝去考】
2010.9.4日、政治学や社会学など幅広い分野で活躍した評論家で東工大特任教授の小室直樹氏が、東京都内の病院で心不全で死去した(享年77歳)。9.28日、東京工業大世界文明センターが発表した。 小室氏は東京生まれ。京大理学部数学科を卒業後、大阪大大学院で俄かに経済学を専攻し始め、フルブライト留学生として米ハーバード大などに留学。帰国後は東大大学院などで丸山真男、川島武宜、篠原一、京極純一の各氏らの指導を受けながら、文化人類学、法社会学などを研究し法学博士を取得した。 大学院修了後、どういう訳か教授の肩書が付かぬまま旺盛な執筆活動を開始した。1980年にソ連崩壊を予言した「ソビエト帝国の崩壊」、続いて出した「アメリカの逆襲」がベストセラーになった。ロッキード事件で被告になった田中角栄の有能性を称賛し、孤軍奮闘の無罪論の論陣を張った。他に「危機の構造 日本社会崩壊のモデル」、「日本人のための宗教原論」、「韓国の悲劇」、「信長 近代日本の曙と資本主義の精神」など多数著作している。政治、社会、経済学など社会諸科学の統合による識見で俗説を一蹴し続け、異色の学者として活躍した。この間、橋爪大三郎・東工大教授、宮台真司・首都大学東京教授、政治経済評論家の副島隆彦氏らを指導している。有能な師に有能な弟子が繋がり、逆は逆なりの好例であろう。 れんだいこは、小室直樹氏の膨大な著作のうち数典しか読んでいないが、どれも目からウロコの卓見が満ち満ちており恐れ入りやの鬼子母神的に学ばせて貰った。特に影響を受けたのは、著作名が分からなくなったが、日本の戦後民主主義を理想的な蓮華国家となぞらえている発想であった。これが如何に重要な視点であるかと云うと、日本左派運動のそれが右派が穏健的に改革改良を、左派が急進的に革命を説くにしても、共通してブルジョア体制論の範疇で説いていることとの比較で知れる。小室氏は、マルクス主義的な歴史観の呪縛から離れて、日本の戦後民主主義を世にも稀な蓮華国家であるとして称賛し、その護持、成育発展の指針を与えていた。 この指摘が、れんだいこの史観形成に大きな役割を果たしている。そういう意味で、小室氏に感謝している。れんだいこはそれまで、れんだいこ自身の生活体験や、天理教教祖中山みきの研究を通じて、戦後民主主義の有り難味を知っていた。戦後民主主義に具現したものは、幕末の中山みきを束縛していた身分制、その他諸々の抑圧的法的規制から解放していた。或る意味で戦後社会は「みきの予言」通りの世の中になった。故に、天理教に於いては、戦後民主主義は卑下するものではなく、教祖中山みきの世直し、世の立て替えの百年後の具現社会と位置づけ評価することになる。天理教では神人和楽社会を理想とするが、大いに近づいた世の中と捉えることになる。 しかしこうなると、僅かな期間と雖も学生運動を通じて脳の最も若く活動的な青年期にマルクス主義の洗礼を受けた者からすれば、天理教的戦後民主主義賛辞論とマルクス主義的ブルジョア体制論との両説のハザマでしっくりしないことになっていた。丁度その時、小室氏の戦後民主主義蓮華国家論を聞き、ハタと膝を叩いた次第である。何しろ気鋭の、敢えて在野の超博識の小室先生が確信的にメッセージしているのであるからして、もはや迷うことはなかった。以来、れんだいこは、戦後民主主義蓮華国家論を芯に据えている。それは下手クソなマルクス主義的歴史論の呪縛から剥離したことを意味する。れんだいこ史観は、他にも太田龍氏の国際金融資本帝国主義論、歴史的ネオシオニズム論、日本の縄文知性秀逸論等々から学んでいる。イエス思想、中山みき思想、陽明学等々からもエッセンスを汲んでいる。銘打ってれんだいこ史観としている。 この史観によって見立てがどう変わるかと云うと、典型的には田中角栄論に集中されることになる。世の多くの自称識者は、田中角栄政治を金権政治の元凶、諸悪の根源として捉え、これを叩くことをもって正義とする。従って、ロッキード裁判では正義の検察に対するエールしまくりとなり、角栄の抵抗を嘲笑することになる。社共系労組は御用提灯をもって角栄の住まいする目白邸宅を包囲して気焔を挙げることになる。これに対して、小室氏、太田氏、そしてれんだいこも挙げておこう、この系譜は、角栄の有能性を認め、戦後蓮華国家のひた向きな働き手として評価する。故に、そういう逸在の角栄を陥(おとしい)れたロッキード事件の負の構造を疑惑する。こういう違いとなる。 両者の見立てのどちらが正しいのか、これはこれからの歴史が実証することであろう。それにしても、ロッキード事件では立花隆、日共の宮顕、不破、上耕が異常にはしゃいだ。立花のネオシオニスト的イカガワシサ、日共の左からの国際金融資本帝国主義の御用聞き性はこれから暴かれることになろう。ワシントンから見て名宰相として評された首相は中曽根と小泉である。日本のマスコミメディアはこの論調に今も乗っている。この不正を糺さねばなるまい。むしろ強権的に葬られた政治家こそ真の有能な働き手ではなかったかと見直されるべきであろう。 この政治闘争は近くでは小沢キード事件にも関係している。日本政界は「政治とカネ問題」で小沢パッシングに興じているが、小沢パッシング派の「政治とカネ問題」には向かわない「法の不公平適用」による小沢叩きの為の方便でしかない。小沢は政治資金収支報告書に入出金を克明に記しているが、それが為に「天の声」まで詮索されている。同じトレースで測られると一体何人の政治家が潔白証明できるのだろうか。であるのに小沢ばかりが槍玉に挙げられている。ここに小沢叩きの政治性がある。小沢キード事件のイカガワシサはここにある。これからは、「政治とカネ問題」で正義ぶる者には、せめて小沢並の経理公開しているかどうかはっきりさせてからものを言わさねばなるまい。いつまでも「手前は免責、小沢有責」の得手勝手論法を通用させてはなるまい。 もとへ。小室氏が逝去した。このところ動向が聞こえていなかったので気になっていたが療養中だったのであろうか。小室氏の縦横無尽の切り口、語りにもっと触れたかったと思う故に残念である。しかしながら寿命とならば致し方あるまい。御冥福を祈る。改めて感謝申し上げる。 2010.9.28日 れんだいこ拝 |
12.9日、元JR東労組会長松崎明氏が栃木県内の病院で特発性間質性肺炎で死去(享年74歳)。 松崎氏の履歴は次の通り。(「ウィキペディア松崎明」その他参照) 1936.2.3日、埼玉県出身。埼玉県立川越工業高等学校卒。愛称は松っつあん。 1954年、国鉄入社試験に合格したが自宅待機。日本民主青年同盟(民青)に加入。 1955年、臨時雇用員として旧国鉄に採用され松戸電車区に配属。日本共産党に入党。 1956年、国鉄職員となり、尾久機関区に配属。機関車労働組合(後の国鉄動力車労働組合、動労)加入。 1957年、黒田寛一と出会う。 1958年、革命的共産主義者同盟に加入。 1959年、共産党を離党。 1961年、動労青年部を結成、初代青年部長に就任。 1963年、動労尾久支部長に就任。革命的共産主義者同盟が分裂し、黒田寛一率いる革マル派につき副議長に就任(組織名:倉川篤、愛称:クラさん)。動労青年部長引退。尾久・田端統合反対闘争で逮捕され、違法ストの責任を問われ、国鉄を解雇される。その後、組合専従となる。 1969年、東京地方本部書記長に就任。スト権奪還ストなどの闘争を繰り返し、「鬼の動労」と呼ばれる時代を指導した。 1972年、マル生反対闘争で、国鉄総裁が国会で陳謝して勝利解決した。その闘いから「鬼の動労」と呼ばれるようになる。 1973年、東京地方本部委員長に就任。 1974年、全動労が分裂。 1975年、スト権ストの敗北。以降、春闘でのストライキはあったものの激しく闘うことがなくなる。 1979年、動労千葉が分裂。 1985年、動労中央本部委員長に就任。 1986年、国鉄分割・民営化問題で、労使協調路線に転換。劇的な変化から「コペルニクス的転回」と言われた。 1987年、鉄道労連(後のJR総連)副委員長。国鉄分割・民営化に伴って結成された東鉄労(後のJR東労組)委員長に就任。 1995年、JR東労組会長に就任。 2001年、JR東労組会長を退任、顧問となる。顧問に退いた後も影響力を持っていたとされる。 2003年、すべての組合役職を退職。 2007.11.30日、警視庁公安部は、松崎をJR総連の内部組織「国際交流推進委員会」の基金口座から3000万円を引き出し横領した業務上横領容疑で書類送検した。直後に松崎はハワイの高級住宅地にある別荘を3千数百万円で購入。この購入資金は同協会職員の個人口座を通じてハワイの不動産会社に送金されており、公安部は横領した金が充てられた疑いがあるとみた。松崎は「妻名義の土地を売却して得た資金なども口座に入っており、私的流用はしていない」と容疑を否定。JR総連も「横領された事実はない」とした。2007.12.28日、東京地検は嫌疑不十分で不起訴処分とした。 2008年、不当捜査による精神的苦痛・社会的信用失墜を理由に、東京都や国に損害賠償を求める訴えを起こす。 2010年、かつての宿敵・中野洋(元動労千葉委員長)の逝去にあたり、『われらのインター』31号(2010.4.15)に追悼文を発表し、「革共同が分裂し、私は革マル派、彼は中核派のメンバーとなった。党派の対立の中で袂を分かつことになった。……共に闘い抜きたかったが、路線の違いは致し方ない。しっかりと目を見開いたままの戦闘態勢を堅持した中野洋さん、心から称え、冥福を祈ります」と記した。かつての宿敵の死を追悼したこの寄稿が、皮肉にも松崎にとっての遺作となった。 革マル派との関係も指摘され、岡崎トミ子国家公安委員長は11月8日の衆院予算委員会で、「革マル派創設時の幹部の一人である」と答弁している。 |