2001年代当時



 1.1日、「新しい戦争」の世紀である二十一世紀が幕を開ける。




 1.6日、中央省庁再編。1府22省庁→1府12省庁になる。




 1.16日、参院自民党村上正邦議員会長 辞任。




 1.16日、小山孝雄議員逮捕。小山孝雄参議院議員がKSD事件の収賄容疑で逮捕。議員辞職は1/29。




 1.17日、首相、阪神大震災追悼式 欠席。  




 1.20日、ジョージ・ブッシュ(53歳)が第43代大統領に就任。米国初の知的欠損者の大統領。




 1.20日、エストラダ「下衆」大統領をフィリピン国民パワーが追放。弾劾裁判の経過に怒り。後任はアロヨ副大統領。




 1.21日、外務省の元要人外国訪問支援室長(松尾克俊55)が在任中に外交機密費で競走馬購入などの公費私物化が発覚。




 1.28日、有明海沿岸4県の漁民約六千人が1345隻の漁船で海上デモ。海苔を含む海産物の壊滅的な不作のため、塩受け堤防の  水門開放と諫早湾干拓事業中止を訴える。





 1.31日、自民党加藤派から堀内派(42人)が分離。加藤派は小派閥に転落。




 1月、国労の続開大会が開かれ、「四党合意案」を受諾する。




 2.1日、滋賀県能登川町の神郷(じんごう)亀塚古墳が3世紀前半の前方後方墳と判明。最古級の古墳。




 2.9日、公定歩合を年0.5%から0.35%に引き下げ。最低水準を更新。




 2.9日、被告の夫の古川龍一判事に捜査情報を漏らして証拠隠滅させた山下永寿次席検事を人事異動。




 2.10日、米原潜の緊急浮上により、宇和島水産高校の実習船えひめ丸が沈没。実習生9名が不明になる。一報を携帯で聞いた森首相は  その後も脱法会員権で知人と悠長にゴルフ三昧。




 2月中旬、首相ゴルフ会員権問題。




 2.26日、村上正邦元労相・全自民党参院議員がKSD事件で辞職。参院本会議で許可。不逮捕特権消滅。3.2日逮捕される。




 3.1日、アフガニスタンのイスラム原理主義勢力タリバーンが国内の仏像遺跡破壊を開始。偶像崇拝禁止を表向きの理由に。本音は  経済封鎖に対するうっぷんばらし。




 3.1日トーマス・フォーリー駐日米大使が日本を去る。1997年秋に大使に就任してから三年ちょっと、この間、日本の内閣は橋本、小渕、森と三代にわたった。




 3月上旬、首相ヘリコプターで三宅島視察。




 3.5日、森内閣不信任決議案 採決。賛成192 反対274 欠席11 棄権2 で否決。3.6日、退陣表明(?)。新年度予算案と関連法案成立を待って退陣する意向。3.9日、更に退陣表明(?)。日米首脳会談などの外交日程をこなしたうえで新年度予算成立後退陣する意向。




 3.10日、松尾克俊外務省元要人外国訪問支援室長 逮捕(詐欺の疑い)。




 3.12日、退陣表明取り消し(?)「退陣表明した覚えはない」。




 3.13日、退陣表明。自民党大会での挨拶で、KSD問題などの不祥事について「党総裁の責任」と言及した上で、「秋に予定されている総裁選を繰り上げ実施する」との表現で退陣表明。




 3.25日、千葉県知事選挙で新党さきがけの元参議院議員、堂本暁子(68)が既成政党推薦候補をなぎ倒して初当選。




 3.28日、薬害エイズ事件「帝京大ルート」で安部英(たけし84)に東京地裁が無罪判決。




 4.3日、新しい歴史教科書を作る会の教科書(扶桑社発行)が文部科学省の検定をパス。




 4.6日、森首相辞任正式表明。「新たな体制の元で政治に対する信頼の回復を図りつつ、山積みする内外の諸課題に取り組む必要があると考え退陣する決意を固めた」。




 4.11日、自民党総裁選告示。 4.12日、自民党総裁選立候補届け出。麻生太郎 橋本龍太郎 亀井静香 小泉純一郎 が届け出。




 4.14日、三波春夫(本名・北詰文司)前立腺がんのため死去。77歳。




 4.16日、河島英五、肝臓病により死去。48歳。シンガーソングライター。




 4.20日、台湾の李登輝前総統に対し、査証(ビザ)発給を日本政府が正式に決定。22日来日。




 4.23日、自民党総裁選予備選結果。麻:5%(0) 橋:30%(15) 亀:3%(3) 小:58%(123)、( )内は本選獲得票。 4.24日、自民党総裁選本選。小泉、橋本、麻生で争われ、亀井辞退。小泉298、橋本155、麻生太郎31。第20代自民党総裁(第87代首相)小泉氏 誕生!。26日に首相就任。  


【森田実・氏の指摘】
 森田実・氏は2007.2.27日付けブログで次のように述べている。これを転載しておく。
 「2001年4月の小泉自民党総裁誕生の裏で中曽根元首相が動いたと冒頭に申し上げましたが、このとき中曽根は 非常に巧妙に動きました。自民党総裁選への立候補をめざして亀井は精力的に地方遊説に回っていました。この間に、中曽根は江藤・亀井派の議員に対して亀井を自民党総裁選から下ろす工作を行ったのです。その裏で小泉を勝たせる工作をしていた。亀井は総裁選への立候補をやめざるを得なくなりました。

 なぜ中曽根はそこまでやったか。共和党が動いたのです。中曽根は岸信介亡きあとの共和党の日本の代理人だったのです。小泉の祖父は敗戦直後の横須賀市長です。米占領軍とうまくやった人です。父親もアメリカに近い政治家でした。電通が日本の広告業界を支配しています。アメリカの広告業界も、レ−ガン以後は共和党系の広告会社が牛耳るようになりました。この共和党系の大広告会社と電通が連携しているのです。電通はアメリカ化している企業の代表格です。

 小泉政権の強大化と同時並行的にグローバリズムの名のもとに日本企業に外資が入り込み、外資の日本経済に対する影響力が強まりました。たとえば、いま日本経団連会長を送り出しているキャノンの資本の50%以上は外資です。50%以上が外資に握られている企業の代表が日本経済界のトップになるなどということはかつては考えられないことでした。小泉構造改革の結果、日本経済は米国資本に握られてしまいました」。

 森田実・氏は、22007.12.29日付けブログで次のように述べている。
 「従米政権の小泉内閣を支えたのがマスコミである。マスコミは「改革、改革」と叫びつづける小泉を支持し持ち上げて、小泉批判を許さないファッショ的風潮をつくり上げた。

 民放テレビは広告大独占体の電通の支配下におかれている。電通は小泉政権と一体化していた。電通の支配下にあるテレビも小泉政権と一体化した。 だから私が小泉内閣をきびしく批判したあと、テレビから出演を求められなくなった。内部の人の話によると、首相官邸と自民党から圧力があったという 」。



 4月、「新しい歴史教科書をつくる会」のメンバーらが執筆していた扶桑社の中学歴史教科書が検定合格。これに対し、中韓は、不合格にさせる動きを活発化させた。


【小泉内閣発足、外相に田中真紀子氏!】
 自民党の小泉純一郎総裁は4.26日午後、衆参両院本会議での首相指名選挙で、衆院287票の圧倒的支持を得て第87代の内閣総理大臣に選出された。指名後、小泉氏は直ちに組閣作業に着手。一本釣り人事などで田中真紀子元科技庁長官氏を外相に起用。民間の目玉として竹中平蔵慶大教授を経済財政担当相、遠山敦子元文化庁長官を文部科学相に起用した。女性閣僚は過去最高の5人。「熟女政権」との見方もあるが、政策合意の混乱や一部派閥に偏った起用から、党内には「バーチャル政権」「森派重用政権」との批判もあり、小泉革命は波乱含みの船出となりそうだ。


 「派閥にこだわらず、適材を適所に起用したい。それに尽きる。(組閣は)順調に進んでいくと思う」


 小泉氏は組閣の朝、東京・高輪の議員舎前で記者団に決意をこう語った。


 閣僚人事では福田康夫官房長官(再任、森派)と片山虎之助総務相(橋本派)、平沼赳夫経済産業相(江藤・亀井派)、扇千景国土交通相(保守党)、坂口力厚生労働相(公明党)、川口順子環境相(民間)、柳沢伯夫金融担当相(堀内派)らが再任となった。


 財務相には塩川正十郎氏(森派)。小泉総裁誕生の最大の功労者である田中真紀子氏(無派閥)は外相ポストでの起用。また、尾身幸次幹事長代理(森派)らが再入閣した。


 民間からは、経済戦略会議メンバーで構造改革論者である竹中氏が経済財政担当相に決まった。竹中氏は日本開発銀行(現・日本政策投資銀行)出身の経済学者で森喜朗首相のブレーン。教育改革を担当する文部科学相には、森派に近い元文部官僚で、女性初の文化庁長官や駐トルコ大使を歴任した国立西洋美術館館長の遠山氏が決まった。


 注目の真紀子氏は外相に決定。日中国交回復を成し遂げた故田中角栄元首相の長女として、教科書問題や農産物などのセーフガード(緊急輸入制限措置)などで緊張感が高まる日中関係改善に配慮したものだが、自民党と政府双方から「舌禍が懸念され、国益を損ねる危険が高い」と反対論も出た。

【小泉内閣の顔ぶれ】
総 理 小泉純一郎 59 無派閥
総 務 片山虎之助 65 橋本派(参)
法 務 森山 真弓 73 加藤派
外 務 田中真紀子 57 無派閥
財 務 塩川正十郎 79 森派
文部科学 遠山 敦子 62 民間
厚生労働 坂口  力 67 公明党
農林水産 武部  勤 59 山崎派
経済産業 平沼 赳夫 61 江藤亀井派
国土交通 扇  千景 67 保守党(参)
環 境 川口 順子 60 民間
官 房 福田 康夫 64 森派
国家公安
防 災
村井  仁 64 橋本派
防 衛 中谷  元 43 加藤派
沖縄北方
科学技術
尾身 幸次 68 森派
金融担当 柳沢 伯夫 65 堀内派
経済財政 竹中 平蔵 50 民間
行革担当 石原 伸晃 44 無派閥

SKの社会を語る
世間の事件をSyunsuke開発が独自の視点で“語る”社会派コラム。

第十二回 中曽根康弘の暗躍<前編>

 小泉純一郎の圧勝により幕を閉じた自民党総裁選。新しい内閣支持率は85%(毎日新聞調査 4月29日)と、歴代最高である。国民の期待を一身に背負った小泉内閣であるが、その成立の背後には一人の元首相の影があった。その名は中曽根康弘、1982年から87年にかけて首相であった男だ。

 今回の総裁戦において中曽根は最初自派(江藤・亀井派、志帥会)の亀井静香前政調会長を支持していた。しかし小泉優勢の状況になると、小泉と会談を持ったりしていつの間にか小泉支持になっていた。 実は亀井の出馬を促したのは他ならぬ中曽根である。中曽根は以前「亀井君を首相にしてみるのも面白いではないか」と発言したこともある。つまり亀井の支持者・後見人である。では何故中曽根は小泉支持に走ったのか。その前に中曽根とはどのような人物かを紹介する。

 中曽根は政治家として改憲主義者・親米のタカ派に分類される。しかし中曽根には1つの特徴がある。それは状況に応じて最も適切と思われる行動を取ることである。そのためには以前の主張を平気で翻し、同士や仲間を平気で裏切る。そして上手く流れに乗り、最後には持ち前の策略と強運で自分の願望を果たすのだ。

 そのため中曽根は「政界の風見鶏」と呼ばれた。政界入りしたときから首相になることを目標としてきた彼は、権力の表舞台に立つためなら手段を選ばなかった。まさに「変身・適応の人」である。1947年改進党に入党した彼は、1955年の自民党結成後河野一郎(河野洋平前外相の父)派に属していた。しかし河野の死後派閥を引き継いだ中曽根は、河野と対立していた佐藤栄作に取り入って初入閣を果たした。
 
 その後「三角大福」(三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫)の4人が自民党内で権力闘争を繰り広げた1970年代、中曽根は彼らの中で上手く立ち振る舞った。時には田中・大平と、時には三木と、時には三木・福田と手を結ぶ相手を変え、中曽根は常に政治の表舞台にたった。そして1982年最終的には田中の力で首相になった。

 内閣発足当初は田中の意向に沿った内閣を組閣して「田中曽根内閣」と批判されたが、田中が病で倒れると田中を見限って独自の内閣を組閣した。そして次世代のリーダー「安竹宮」(安部晋太郎、竹下登、宮沢喜一)を翻弄して1987年前首相の指名という形で竹下内閣を発足させた。その後田中派を引き継いだ竹下派(経世会 現在の橋本派 平成研究会)が数と金の力で自民党を支配するようになっても、経世会の実力者金丸信や竹下にひけを取ることなく、自らの影響力を保ちつづけた。
 
 現在82歳の中曽根は、高齢になっても決して政界を引退することなく相変わらず縦横無人の活躍を続けている。ライバルだった大平、三木、田中、福田、金丸、竹下は既にこの世にいない。もはや自民党に中曽根に対抗できる者は完全にいなくなってしまった。そんな中曽根が狙うのは改憲という自らの主張の達成である。

 ひところ流行った「石原新党結成」にも中曽根の意向が働いているという説がある。国民的人気の高い石原慎太郎東京都都知事を中心に鳩山由紀夫民主党党首や小沢一郎自由党党首、自民党の森派や江藤・亀井、山崎派ら憲法改正を主張する者達を一致させて改憲を行う。それが中曽根のもくろみである、という説だ。真偽の程は定かではないが、中曽根なら考えそうなことである。

 このように中曽根という人間を分析するとその野望には果てがなく、常に自分の都合のいい行動を取っていることが分かる。それでは本題に戻ろう。今回の総裁戦における中曽根の行動にはどのような意図があったのだろうか。私なりにまとめてみた。

 「総裁戦が間近に迫った3月、自民党内には次世代のリーダーとして平沼赳夫経済産業相を総裁候補として擁立する声があった。しかしこれに反対するものがいた。亀井と中曽根である。数と金の力に頼らない小泉が総裁となった現在とは状況は違うが、当時は政権運営には最大派閥橋本派の協力が必要不可欠であった。仮に平沼が総裁になると、1989年に発足した海部俊樹内閣と同じ状況になってしまう。

 経世会の力を借りて首相になった海部は派閥(河本派 現在の旧河本派)のナンバー2であった。ナンバー2が総裁になったため、世代交代の流れにより派閥の会長であった河本敏夫は総裁になる機会を失ってしまった。また海部は経世会の傀儡として自らの意思を反映できない弱い総裁に甘んじなければならなかった。そして経世会の意向により海部は政権から降ろされると河本派は派閥としての力を失い、現在では13人という弱小派閥になってしまった。

 平沼は現在派内ナンバー2の存在である。もし平沼が総裁となれば、派閥の親分亀井は総裁になる機会を完全に積まれてしまう。そして江藤・亀井派は最大派閥橋本派の意向に飲み込まれてしまい、派閥としての独自性を確保できなくなる。そうなれば江藤・亀井派の後見人中曽根の影響も必然的に低下する。それでは困るということで、亀井は自らが派閥の代表として権威を保ちつづけるため、中曽根は党内の影響力を保持しつづけるために、平沼を降ろして亀井を総裁候補として総裁戦に出馬させたのだ。

 つまり亀井の出馬は派閥の親分としての権威と派閥の影響力を保つためだけのものに過ぎなかった。最初から勝つための出馬ではなかったことになる。その証拠に小泉優勢の状況になると小泉総裁の下重要ポストを狙うため亀井は本選を辞退し、中曽根は小泉と会談して小泉指示を打ち出す。小泉は総裁戦時に「靖国神社参拝」、「憲法第9条改正」と中曽根の主張にあった意見を発表している。中曽根にしてみても自分の願望をかなえられる内閣に影響力を残すのは得策であると判断したのだろう。」

 以上が総裁戦における中曽根の行動分析である。首相を引退した後でも中曽根は「風見鶏」として振舞っている。今回の総裁戦の行動により、中曽根は今後の小泉内閣においても少なからず影響を与える存在となるであろう。

 しかし中曽根はこれまでの風見鶏的な振る舞いにより、戦後政治に数々の悪影響を及ぼした人物でもある。これに関する詳細は次号掲載する。

【開発俊輔】
第十一回(総裁予備選と金権主義)
第十回(小泉純一郎と三木武夫)
第九回(ポスト森の有力候補たち)
第八回(田中角栄待望論にひとこと)
第七回(自民党の存在意義)
第六回(永田町迷言録)
第五回(「灰色」の権力者たち)
第四回(村上元労相逮捕)
第三回(白川勝彦氏の新党構想)
第二回(宏池会分裂劇)
第一回(エストラダ大統領辞任問題)



 4.26日、首相指名選挙、小泉内閣発足。5名の女性閣僚起用など脱派閥人事を断行。




 4.28日、現職首相として5年ぶりにメーデー出席。




 5.3日、金正日総書記の長男、金正男(キムジョンナム、29)一家4人がドミニカの偽造旅券で成田から入国しようとして拘束。 翌日国外退去処分。




 5.6日、ローマ法王、ヨハネ・パウロ二世がシリアのダマスカスでモスクを訪問。法王のイスラム教礼拝所訪問は史上初。




 5.7日、所信表明演説。「恐れず、ひるまず、とらわれず」構造改革を訴える。集団的自衛権で首相が「憲法の枠内で研究」表明。




 5.17日、團伊玖磨(だんいくま)が旅行先の 中国蘇州で心不全のため死去。77歳。作曲家。




 5.23日ハンセン病訴訟で「控訴せず」裁定。




 6.14日、教育関連3法案採決される。




 6月田中外相の「米ミサイル防衛」批判が問題化。




 6月沖縄・北谷町で米兵による女性暴行事件発生。




 6.14日、小泉内閣メルマガが発刊。登録は即日約100万。




 6.16日、小泉内閣のタウン・ミーティング開始。




 6.21日、経済財政諮問会議が「骨太の方針」。




 6月、大坂教育大付属池田小で乱入殺傷事件。




 6.22日、特殊法人の前倒しを指示。




 6.24日、東京都議選で自民党勝利。




 6.30日、キャンプデービットで日米首脳会談。




 7.10日、千葉の酪農場から日本初の狂牛病(牛海綿状脳症)の乳牛が確認。




 1.23日、額賀福志郎経済企画庁長官 辞任。




 7.12日、栃木県の公立中学で扶桑社の歴史教科書使用を決定。




 7.13日、北京が2008年オリンピック開催都市に決定(IOC総会)。人権抑圧一党独裁強権巨大国家の圧力にIOCが屈する。  大阪市は最低の最下位で惨敗。




 7.20−22日、主要国首脳会議(ジェノバ・サミット)出席。




 7.21日、明石市の花火大会で死者11人。歩道橋の群衆雪崩のため。




 7.29日、参議院議員選挙。「小泉旋風」で自民党が64議席獲得。




 8.9日、2000..11月の坂入充・国労東京地本上野支部、革マル派古参党員行方不明事件に関する告発と捜索願が取り下げられた。12.20日付け革マル派機関紙「解放」は、坂入氏の写真付きで、坂入氏が革マル派党中央の立場に立つことが明らかにされた。




 8.8日、週刊誌「FOCUS」が当日発行をもって休刊。




 8.10日、自民党総裁に、小泉首相が告示を待たずに決定された。




 8月13日、小泉首相が靖国神社公式参拝。




 8.28日、自民党旧河本派が高村派に改称。




 9.1日、石堂清倫氏逝去(97歳)。 


【米国・同時多発テロ】
 9.11日午前(日本時間同日夜)、米国の経済中心地ニューヨーク・マンハッタン島南部の世界貿易センタービル2棟と首都ワシントン郊外にある国防省ビルにハイジャックされた飛行機が激突(前者に二機、後者に1機)、その他ペンシルベニア州などでもテロ発生が伝えられており、同時多発テロが発生した。計約3千人が死亡又は行方不明となった。今のところ犯行声明が出されておらず、今後の成り行きが注目されている。



 9.11日、来年度に中学で使われる歴史教科書は扶桑社版が521冊と文部科学省発表。全体の0.039%。




 9.12日、東京株式市場で平均株価が17年ぶりに1万円割れ。




 9.14日、アニメ映画『千と千尋の神隠し』(宮崎駿監督)の興行収入が『もののけ姫』(同)の日本映画での記録を抜き、193億  5400万円に。観客動員数は1512万人。




 9.14日、マイカル(旧ニチイ)が民事再生法適用を申請し、事実上の倒産。グループ負債総額は1兆7428億円。




 9.15日、ブッシュ米国大統領が、国債テロ組織アルカイダの指導者ウサマ・ビンラディンを重要容疑者と断定。




 9.25日、ワシントンで日米首脳会談。




 9.20日、マンスフィールド元駐日大使死去。マイク・マンスフィールド元駐日大使、元上院議員のモーリーン夫人は、アメリカ東部時間の20日午後5時15分頃、ワシントンにおいて逝去された。享年95歳であった。葬儀の日程等の詳細については、現在調整中と承知している。モーリーン夫人は、マンスフィールド元大使とともに日米関係の発展にご尽力され、わが政府としてもその功績をたたえ、哀悼の意を表明する。マンスフィールド元大使は、1977年6月から88年12月まで11年以上駐日大使を務め、歴代の米国駐日大使としては1番長い駐在であった。また、89年1月には勲一等旭日桐花大綬賞を授与された。




 9.26日、高祖憲治参議院議員(自民党橋本派)が郵政組織ぐるみの選挙違反により引責辞職。




 10.7日、米国空軍がアフガニスタンの空爆開始。アフガニスタン戦争始まる。




 10.1日、日本・東京・三菱の三信託銀が合併して新たな三菱信託銀行がスタート。




 10.5日、テロ支援対策法閣議決定。




 10.8日、日帰りで訪中。




 10.10日、オサマ・ビンラディン率いるアルカイダが米国への攻撃を継続するとの声明。




 10.12日、国債発行30兆円枠の見直し示唆。




 10.15日、日帰りで訪韓。




 10.18日、略称・テロ対策特別措置法案(別名・寿限無法案)が与党三党の賛成により衆議院本会議で可決。




 10.29日、テロ対策特別措置法案(別名・なしくずし参戦法)が成立。


【張学良氏死去】
 10.14日午後8時55分(日本時間15日午後3時55分)、国民党と共産党の抗日統一戦線結成への歴史的転換点となった「西安事件」の主役、張学良(ちょうがくりょう)氏が滞在先の米ハワイの病院で14日肺炎のため死去した(享年100歳)。

 中国遼寧省生まれ。1928年に東北軍閥の巨頭だった父張作霖(ちょうさくりん)氏が日本の関東軍によって爆殺されたため、東北軍総司令に就任。36年12月、西安で国民党の蒋介石・国民政府軍事委員会委員長(当時)を監禁し、抗日のため共産党との内戦停止を迫った「西安事件」を起こした。同事件は共産党が周恩来氏らを派遣して調停に当たり、抗日統一戦線が実現。これをきっかけに日中全面戦争となり、37年の盧溝橋事件へと広がった。張氏は事件の責任を問われて軍法会議にかけられ、禁固10年の判決を受けた。49年の中華人民共和国成立後は台湾に移され、90年まで軟禁生活が続いた。93年から台湾を離れ、趙一荻(ちょういちてき)夫人とハワイで暮らしたが、夫人は昨年6月に死去している。



 10.18日、テロ対策特別措置法案、自衛隊法改正案、海上保安庁法改正案(共産党賛成で反対は社民党のみ)採決される。




 10.29日、テロ対策特別措置法成立。




 11月、巨額の機密費詐欺事件をはじめ、ホテル代の水増し請求など外務省内の不正が次々と発覚。




 11.9日、米軍のテロ支援のため、海上自衛隊の護衛艦が出動。




 11.10日、世界貿易機構(WTO)が中国の加盟を承認。12/11正式加盟。




 11.11日、『千と千尋の神隠し』の興行収入が『タイタニック』を抜き、262億円で新記録。『千と千尋の神隠し』の興行収入が『タイタニック』を抜いて、日本国内の記録を更新。114日間で262億円。




 11.11日、報道機関の検証により、昨年の米大統領選は民主党のゴア候補の勝利が判明。フロリダ州の集計ミスの再点検の結果による。ブッシュ大統領はその立場の拠り所を失う。




 11.13日、アフガニスタン首都カブールが反タリバーン勢力によって攻略され、タリバーンが首都明け渡し。国内の実権を実質的に失う。




 11.20日、道路4公団の民営化条件で妥協。




 11.20日、マリナーズのイチローがアメリカンリーグのMVPと新人賞の同時獲得。




 11.27日、テロ特措法が成立し、自衛隊派遣承認案採決される。海上自衛隊の補給艦がインド洋へ派遣される。




 11.29日、医療制度改革で、サラリーマンらの医療費3割負担で決着。




 11.30日、PKO協力法改正案採決される。




 12.1日、皇太子夫妻に女児誕生。お名前は「愛子」。




 12.4日、 イスラエルがパレスチナ自治政府を「テロ支援」と断定し、事実上の宣戦布告。




 12.5日、アフガニスタン代表者会議(ボン)で新政権への協定書調印。暫定政権の発足は22日。




 12.7日、アフガンのタリバン政権崩壊する。12.22日、アフガニスタンでタリバーン後の暫定政権が発足。




 12.14日、東京地裁で、1999年に逮捕されたNTTドコモ社員とNTTドコモ東日本社員の「NTT顧客データ革マル派横流し漏洩事件」に対する論告求刑公判が行われ、検察側はY被告に懲役4年、I被告に懲役3年を求刑し、次のように論告した。

 「革マル派の非公然活動家である被告両名が、同派の独善的主張に基づき、内ゲバ等に備えるため、対立する中核派構成員の氏名、行動情報等を調査した行為は、極めて反社会的である。(中略)革マル派の電通労働者委員会の『パラソル会議』では、盗聴等の犯罪行為が報告されており、今回と同様の行為が全国的に行われてきたと考えられる。これは氷山の一角である。(中略)今回の犯罪は革マル派による計画的犯行である。NTTの信用にとどまらず、国民の通信に対する信頼を侵す行為であり、社会的にも責任は非常に重い。重要な個人情報が革マル派に知られることは由々しき事態である。(中略)両名に反省の情はまったくない。今後も革マル派の利益の為に行動することは必至である。

 Y被告は、国鉄から昭和63年にNTTドコモに就職したが、革マル派組織のための非合法活動を続け、『パラソル会議』でも主賓の扱いだった。I被告に電話番号のメモを渡して情報漏洩を依頼しており、責任はより重大である。I被告は国鉄から昭和63年にNTTに就職したが、同様に革マル派のための非合法活動を続け、同派の電通労働者委員会の責任者として重要な役割を担ってきた」。



 12.19日、特殊、認可法人の整理合理化計画を閣議決定。




 12.22日、東シナ海で不審船銃撃・沈没事件。海上保安庁の巡視船が北朝鮮の工作船らしき不審船を射撃し、撃沈。  




 12.23日、アルゼンチンの暫定大統領に選出されたロドリゲスサアが政府債務支払い一時停止を宣言し、経済崩壊のアルゼンチンは  デフォルト状態に突入。




柴田進牛


井上清逝去

新聞より抜粋:69年の東大闘争をはじめとする学園闘争では新左翼系学生支援の姿勢を鮮明にし、政府と対立した。
羽仁五郎氏、武谷三男氏、...と往時の戦闘的文化人が鬼籍に入り寂しい気持ちです。


【革労協狭間派の最高幹部・革労協現代社派議長・狭間嘉明氏、肝臓がんで病死】
 12.8日、革労協狭間派主流派の狭間嘉明・最高幹部(55)が川崎市内の病院で病死していたことが10日、公安当局の調べで分かった。狭間幹部は肝臓がんで昨年から入退院を繰り返していたという。公安当局などによると、狭間幹部は九州大学中退後、革労協の幹部に就任し、革労協が路線を巡って分裂した1981年、議長として狭間派を結成した。革労協狭間派は中核派、革マル派とともに過激派の主要勢力。公安当局は「ここ数年は患っていたことから、最近は直接指導する状況にはなく、組織に大きな変化はないのでは」とみている。

 革労協は69年に結成され、81年6月、闘争方針の違いから、狭間幹部ら軍事優先路線を唱えるグループ「狭間派」と大衆闘争を重視するグループ反狭間派とに分裂した。狭間派は成田空港反対、反皇室闘争などを掲げ、ゲリラ事件を起こした。90年11月即位の礼に反対し、東京都内の警視庁独身寮に爆弾を仕掛け、警察官1人が死亡、7人が重軽傷を負うゲリラ事件を起こした(警視庁独身寮爆破事件)。「革命軍」名で犯行声明を出し、警視庁が同派の犯行と断定した。99年5月に、裁判闘争をめぐる対立からさらに分裂。狭間幹部が率いる主流派と反主流派に分裂、激しい内ゲバを繰り返し、これまで13件の内ゲバ事件が起き8人が死亡している。












(私論.私見)