「鹿砦社社長松岡氏被逮捕事件」



Re:れんだいこのカンテラ時評その70 れんだいこ 2005/07/18
 【社会言論系雑誌社社長松岡氏への強権逮捕に断乎抗議する】

 小泉政権の官邸政治の内実が情実政治の横行であることが知られるようになっているが、この奇病があちこちに転移しつつあるように思われる。

 れんだいこの診るところ、司法の独立はロッキード事件以来危殆に瀕しており、その後遺症は日を追うごとに深くなりつつある。今や公然と、法治主義の諸原則が踏みにじられつつある。「法の番人」が上から法破りを押し進めるというケッタイナ世の中になりつつある。もっとも、「戦後憲法秩序」がたまさか世にも珍しい人権尊重時代であっただけのことかも知れない。

 れんだいこは、小泉政権になって以来のここ5年間で、この腐敗現象が急速に攪拌されつつあることを踏まえ、その危険を指摘したい。上が悪い手本を示せば、下が必ず真似するようになる。今や、襟を正す基準が壊れているのでいかんともし難い。

 小泉のような稀代のレイプ履歴首相をのさばらせ続けることが如何に社会に取り返しのつかない損失を与えるのか、このことにつき真剣に考えてみるべきではなかろうか。

 人は、そういう腐敗のよってくるところを顧慮せずに、徒な取締り強化論に向おうとしているように見える。「ロンドン・テロ」を口実に一層の治安維持規制法を編み出したがっているが逆であろう。

 その前にサモアの自衛隊の一刻も早い撤退を為すべきであろう。自衛隊が、法案の建前はともかくも、米英ユ同盟の下働きに精勤している以上、レジスタンス派がこれをいつまでも見過ごすことはない。戦争局面では、前線も憎ければ後方も憎いというのは当たり前のことではなかろうか。そういう意味で、賢明な原因対処をせねばなるまい。

 残念ながら、我が政界は、郵政民営化法案にかかりっきりでてんやわんやである。焦眉の課題である財政健全化も自衛隊撤退も後回しにされている。そういう意味で、この国の政治は死んだサバの目状態になっている。まさしく相互に利権集団でしかなく、国として民族としてどうあるべきかの観点を喪失しているように見える。

 それはそうと、前置きが長すぎた。ここで述べたかったのは、好漢・鹿砦社(ろくさいしゃ、本社・兵庫県西宮市)社長・松岡利康氏に加えられた不当逮捕問題である。

 とかく物議を醸した岡留安則氏編集長の「噂の真相」が休刊になり、木村氏が「噂の深層」を、鹿砦社の松岡氏が「紙の爆弾」を創刊してその作風を引き継いでいる。木村氏は小泉首相の履歴問題を提訴する等で奮戦していることで知られている。

 他方、松岡氏の「紙の爆弾」はむしろ社会的な方面に関心を示し、パチスロ業界の腐敗、プロ野球の元球団職員の不審死等の記事を掲載してきた模様である。その松岡氏が引っ張られることになった。誰が指揮したのか、背景はまだはっきりしない。

 2005.7.2日、松岡社長は、「紙の爆弾」の記事内容を廻ってそれまで二度にわたって呼び出されていたが、神戸地検特別刑事部の手により名誉毀損容疑で逮捕された。記事を掲載しただけの出版社の責任者が、記事内容を廻って逮捕されるのは異例であろう。しかし、こういうことが現に起こっている。

 一体、編集出版人が、掲載した記事の責任を咎められて逮捕されるとなると身がもつまい。明らかに言論、出版、表現の自由に対する蹂躙であろう。この種のことは爾来、「責任ある言論の自由法理」により包摂されてきたところであろう。仮に言論に行き過ぎがあった場合、告発により法廷で審査され、場合によっては多額の損害賠償金を背負う。そういうことからして言論、編集出版人には自ずと自制が働いている。

 それが市場原理であろう。この原理を無視して司法権力がいきなり介入してくる時代になりつつある。それは、「法の番人側からの法破り」であり明らかな権力乱用ではなかろうか。断じて許し難い。そういう意味で、こたびの事件を指揮した責任者こそ訴追されねばなるまい。こういうところを曖昧にするとかってのオイコラ時代へ逆戻りしよう。

 嫌な時代になった。それというのもこれというのもレイプ履歴を持つ小泉首相のような手合いを国の機関のトップに据えているからこういうことになる、というのがれんだいこ見解である。小泉が首相になって以来、ビラ配りだけで、警官との押し問答だけでいきなり逮捕されるようになっている。いわゆる政治犯に対する縄掛けがアウトロー的に進みつつあるように見える。

 「鹿砦社社長逮捕事件」は、2005.7.19日(火)の午後1時から神戸地裁223号法廷で初公判が開かれ、「拘留理由開示請求」が為される。

 神戸地裁の場所は、神戸市中央区橘通2-2-1、電話番号等Tel:078-341-7521 Fax: 078-351-6691、経路・最寄駅など: JR神戸線神戸駅 北徒歩7分、 神戸高速鉄道 高速神戸駅 北徒歩5分、 市営地下鉄 大倉山駅 南徒歩5分、とある。

 松岡氏は、70年安保を闘った関西ブントであり、当然この種の不当逮捕と闘う決意を示している。次のように決意表明している。

 概要「これは不当逮捕です。憲法で保障された表現の自由への挑戦です。言論弾圧です。鹿砦社としては、断固戦います。今回、神戸地検特別刑事部による逮捕は、大きな力が背後に働いているような気がしてならない。前代未聞の名誉毀損罪を口実とした逮捕は、今後、大きな論議を惹き起こすことは必至だけでなく、これを突破口にして〈表現の自由〉〈言論・出版の自由〉が骨抜きにされないか、心配だ。身を捨ててこそ浮かばれる瀬もあるという言葉がある。身を捨てて浮かぶ瀬を待つしかない。浮かぶ瀬は必ずあると確信している」。
 
 松岡逮捕へのご意見、メッセージは、rokusai_sha@yahoo.co.jp、FAX 0798-43-1373 兵庫県西宮市甲子園七番町6番1号、サイト先は、鹿砦社HPhttp://www.rokusaisha.com/ 。

 最後にれんだいこからエールを送らせていただく。

 松岡さん、司法の特高化と闘うという逆攻勢で対峙してください。松岡さんのような事例での逮捕を許せば、れんだいこもやられる。覚悟は出来ておりますが、この事件はそういう時代の呼び水になる気がします。我々は、法の番人ともあろう者の法破りは断じて許してはならない。やられたらやり返さねば相手が癖になります。この倒錯現象と闘い、逆にお縄に掛けてやる、という覚悟でやって下さい。フレーフレーブント、フレーフレー松岡。

 2005.7.18日 れんだいこ拝

 草加耕助氏の「鹿砦社・松岡さん拘留理由開示裁判の傍聴報告」で、「鹿砦社・松岡さん拘留理由開示裁判の傍聴報告」が為されている。情報提供は、「阿修羅政治版10」の2005.7.21日付け二世乃朋氏の「鹿砦社・松岡さん裁判の傍聴報告:ブログ旗旗/(コノウンコタレ裁判官メー下品で失礼!)」。以下、転載する。
鹿砦社刊「紙の爆弾」

 鹿砦社(ろくさいしゃ)社長の松岡利康さんが「名誉既存」で逮捕されたことは多くの方がご存知だと思います。その拘留理由開示裁判が行われました。ちょうど仕事が休みでしたので、双方の言い分を聞いてみるのもよかろうと思い、神戸地裁まで傍聴に行ってまいりましたので報告いたします。

●鹿砦社と『紙の爆弾』、そして『噂の眞相』について

 さて、具体的な報告に入る前に、知らない方のために簡単に書いておきますと、鹿砦社は関西の出版社で、左翼系の軍事論を古典を含めて多く出版している硬派の出版社でした。松岡さん自身は同志社大学で全共闘運動に参加しておられた方です。現在では『紙の爆弾』という、企業や有名人の不正やスキャンダルを実名で暴くという趣旨の雑誌を出していて、これが鹿砦社の看板雑誌になっています。まあ、かつて名をはせた『噂の眞相』(現在は休刊)を関西人が作ったらこんなものになるという感じの雑誌です。

 だいたいがまったくひねりのない「そのまんま」な誌名からしてセンスが関西人やという(笑)。『紙の爆弾』ではその『噂の眞相』の顛末についても繰り返し触れられていて、「その編集方針にもやっぱり問題があったんじゃないか」ということも指摘されています。一言で言えば、『噂の眞相』の「反権力・反権威・ジャーナリズム精神」は看板であって、実際には編集長の岡留さんの判断でどうとでもなる都合のいいもんだったんではないか?ということかな。その当人である『噂の眞相』の岡留安則元編集長は、インタビューで松岡さんと鹿砦社について次のように語っておられます。

「そうそう。僕はわりと原則的なスキャンダリスト。松岡はアナーキーなスキャンダリスト。なんでも暴いちゃえばいいと思っているフシがある。そういうことをしていると、いずれ権力に足元掬われると思うね。だって逮捕しやすいじゃない、松岡だったら。僕だとジャーナリズムの原則と大義名分で正面切って闘っちゃうから逆に逮捕しにくいだろうけど(笑)」。

(鹿砦社「平成の芸能裁判大全」収録のインタビュー。同書籍の広告に一部抜粋して掲載されていたもの)

 なんだか今回の事態の「予言」みたいですね。まあ「お前だって逮捕されとるやんけー!」という突っ込みはさておき、もし岡留さんが本当に個人の判断や自尊心や利害を離れたところで「原則と大義名分」に殉じていたのなら、実際にやったことの当否は別問題としても、少なくとも「凄い人」だと思う。しかしもしそうでなかったとしたら、ヘタに「大義名分」を掲げたやつほど始末におえない者はいないとは思いますが。

●法廷レポート

 それで(やっと)具体的な法廷のレポートです。
 今回傍聴した人は松岡さん側だということもあるでしょうが、皆一様に驚いたりあきれたりしていました。私はとりあえずはどちらの味方もせずに、白紙の状態で双方の主張を聞こうと思っていましたが、それでも(だからこそ)裁判所のいい加減さにはちょっとばかり愕然としました。おそらくこれは警察を応援して松岡さんを糾弾する側の立場で傍聴しても同じだと思います。

 まず若くて長髪の裁判所事務官が法廷の鍵をあけて明かりをつけます。私たち傍聴人がぞろぞろと中に入りますと、やがておじいさんの裁判所書記官が背中をまるめて膨大な事件の一件記録を荷台に乗せてごろごろと運んできました。それを裁判官席に並べます。今時の若者風の事務官に比べ、書記官はノーネクタイのぼさぼさ頭で、人のいい小学校の用務員のおじいさんという風情でした。

 続いて弁護士の方が2名入廷されます。裁判所の記録ほどではないけれど、たくさんの関係書類を弁護席にざっと広げて最後のチェック中です。検察官はほんとうに「ぶらっ」という感じでノーネクタイのおじいさんが一人でこられました。どう見ても「手が空いてる人間が一応来た」としか見えない風情でして、書類はおろか、紙一枚も持たずに検察官席に座っておられます。緊張感が漂う弁護席に対して、完全にリラックスしきった感じで、目をつぶってかすかに微笑みさえ浮かべているところは「隠居して縁側で日向ぼっこ中の好々爺」にさえ見えます。

 最後に被疑者の松岡さんが両手錠に腰縄の姿で入廷されます。ああ俺も20年くらい前には、あの姿で機動隊に引きずられていったなあと記憶がよみがえります。傍聴席の最前列に座っておられた門真市議で関生労組の戸田さんが松岡さんに向かって小さく(いや、結構大きかったかな?)片手をあげてガッツポーズ。松岡さんがかすかに微笑まれました。

 やがて書記官が黒い法衣をまとって書記官席についたところで裁判官が入廷されます。裁判所の拘留延長の決定を下したのであろうこの裁判官は、一目でその若さが目をひきます。30歳そこそこか、へたするとまだ20代?と思えるくらいの裁判官でした。最初に思ったのは、「神戸の法曹界にはおじいさんと若者しかおらんのかい!」ちゅうことでしたが(どうしても突っ込まずにはいられない関西人の悲しい性)、きっとこの裁判官はエリートで挫折せずにここまできて、何でも論理で割り切って、人間の行動の不合理さや悲しさを知らんのやろな、民事でこういう裁判官にあたりたくないなということでした。まあ、非常におっさんくさい偏見にすぎんのですけど。

 一方で、きっとこの人はエリートらしく、形式論理的には一分の隙もない「拘留理由」をとうとうと述べるに違いないと思いました。弁護士の反論にも舌鋒鋭く冷静に切り返すであろう。その論理に説得されちまったらどうしようかと思いましたよ(笑)。松岡さんの記事が「正義」という立場からは、とにかく逮捕していること自体が不当なんですが、裁判所にしてみたら「一応は犯罪容疑がある人間」なわけで、その立場から「こういう理由で拘留せんとあかんのですよ」とか言われると、それはそれでわかるとか思ってしまう可能性がある。その程度には白紙の状態で臨んでましたから。

 なんせ回りは全員「不当逮捕許すまじ」な人ばかりですからね。「裁判所の言うこともわかる」なんてとても言えないすよ。幸いにして回りの方は誰も私のことを知らない。傍聴前に「旗旗の草加耕助です」とか名乗らなくてよかった。もし裁判官の論理に説得されてしまったら、そのまますっと帰ればいいわけですから。しかしいざ開廷されると、そんな「心配」はまったくの杞憂でした。

●松岡さんの拘留理由

 裁判官の開廷宣言の後、松岡さんへの人定質問、勾留理由の朗読と進みます。今回、裁判所が示した直接の拘留容疑は大きくわけて二つでした。

1)阪神球団の告発記事

 まず、皆さんの中でも、あるプロ野球球団のスカウトが、ビルの上から「転落死」し、遺体や現場の状況から他殺であることを示す痕跡が多く残されていたにもかかわらず、警察が本格的な捜査もせずに早々と「自殺」と断定してしまった事件をご存知の方も多いと思います。遺族の執念ともいえる独自の調査に加え、これは誰が見ても「ちょっとおかしいんじゃないの?」と思えるケースでした。

 松岡さんはこの遺族と「共謀」の上、遺族が書いた手記を鹿砦社の出版物に掲載したことが逮捕の理由とされています。手記の中では、この事件の背景を調べていくうちに、少なくとも球団職員2名の名前が浮かび上がってきたというのです。この2名を実名で書いたことがひっかかったようです。普通の出版社ならこういう事態を恐れて2名の名前を匿名にするか、もしくは記事そのものを没にしますが、松岡さんは遺族の手記を「根拠のあるもの」と判断し、原文のまま掲載しました。

2)株式会社アルゼの告発記事

 次に「アルゼ」というパチスロ機器の最大手メーカーに関する記事です。ここは業務内容の関係から一般消費者にはあまり名が知られていませんが、ジャスダックにも上場し、ラスベガスへもカジノ経営進出を計画している大手企業で、警察官僚の天下り先ともなっているそうです。そのため警察も「アルゼ」側には甘くてまともに厳しい捜査をしていないし、逆に自分のように「アルゼ」を批判する者にはささいなことでも厳しく取り締まる不公平な態度があると松岡さん側は主張しています。

 この「アルゼ」は創業者オーナーが絶対的な権力を持つ「ワンマン経営」なのは間違いないようですが、鹿砦社の記事の見出しをざっと眺めて受ける印象は、もしこれらがすべて本当なら、この創業者オーナーをはじめとする「アルゼ」経営陣は、まるで漫画の「ミナミの帝王」に登場する悪役社長のようだということです。

 「パチスロ業界の常識」が寡聞にしてどんなものか知りませんが、記事は違法行為のオンパレードです。パチスロはやったことがないんで「『北斗の拳』用違法カット基盤の供給」とか「偽造紙幣」とか「他社アイデアや商標のパクリ行為」とか言われてもピンとこないんですが、違法行為の前歴のある会社には決して交付されない「ラスベガス・カジノ経営免許」を取るにあたり、自らの犯歴を詐称して(隠して)違法に取得したという話はわかりやすいです。また、「アルゼ」経営陣の女性蔑視的な金にあかせた「夜のご乱交」を証拠写真つきで掲載したりしたようですが、これもまた漫画の悪役社長を地でいくような話です。これら一連の「暴露記事」が逮捕の理由です。

3)逮捕までする必要があったのだろうか?

 これらの記事の真偽や公共性については、いずれ裁判の場で争われるということなんでしょうが、ひとつ付け加えておきますと、民事の法廷ではすでに出版差し止め訴訟などがいくつも提起されており、最終確定はまだのものや審理中のものありますが、今のところこれら民事訴訟で鹿砦社側は連戦連勝しているということです。逆に「アルゼ」という会社はわりと「訴訟好き」みたいですが、こちらは鹿砦社以外に対しておこした訴訟も含めて連敗状態のようです。今回の逮捕はこの民事法廷の判断を無視し、これに逆行する形で行われたものです。

 さらに言うなら松岡さんは逮捕にいたるまでの期間、任意での事情聴取や呼び出しにはすべて応じており、捜査には全面協力する意向を示しておられましたので、少なくとも、あるいはいくらなんでも、逮捕までするのは行き過ぎだというのが公平な見方だと思います。

 主義者Yさん共有掲示板で書いておられたように、「名誉毀損で逮捕」などということ自体が異例中の異例ですし、桶川ストーカー事件で、まったく何の落ち度もない被害者女性の顔写真入の誹謗ポスターを被害者宅周辺に貼り巡らせるという、鹿砦社の千倍、一億倍も酷い事件に警察は「話し合ってください」で済ませ、被害者女性が刺し殺されるまで事実上放置してきたではありませんか!「さいきん、ちょっとしたことでもすぐ、逮捕!で気になりますね。ひどい話だ」という主義者Yさんの感想は、決して左派の身びいきでも偏見でもなくて、まさしくその通り!なのです。

 拘留の理由は上に書いた容疑を細かく述べた後で、要するに「釈放すると、関係者と口裏あわせをして証拠を隠滅したり捏造したりするから」ということです。「要するに」というよりも、それだけです。つまり「逃亡の恐れ」などはないけども「証拠隠滅のおそれ」一本で拘留しているということでした。

●弁護側質問に立ち往生(沈黙)する裁判官

 さて、続いて弁護側の質問です。いろいろな角度から質問がなされていましたが、記憶のままにまとめてみますと。

・民事訴訟においては出版差し止め請求訴訟などがすべて退けられていることを認識しているか?それでも逮捕拘留までする必要は何か?
・最大の証拠たる出版物は「隠滅」のしようもないではないか。その内容以外に何か隠滅するような証拠があるとするならばそれは何か?
・被疑者は任意出頭にもすべて応じて供述もしている。民事訴訟の資料もある。すべての「証拠」は出尽くしているではないか。あとはこれを判断するだけで、これ以上何のために拘留するのか?
・このような状況で「証拠隠滅」とは具体的にどのような行為を指しているのか?
・被疑者の言論は「公益を目的として犯罪事実を暴くため」という名誉毀損の免責条項に該当しているのではないか?

 他にもいろいろあったと思うのですが、要はですね「証拠隠滅の恐れがある」という理由が、非常に説得力が薄いわけです。「いまさら隠滅のしようがまったくない」「いったいどうすればどんな証拠が隠滅できるというのか言ってみろ!」という弁護側の主張のほうがはるかに説得力があるわけですね。

 これに対する裁判官の答えは
「それは・・・(30秒沈黙)・・・先ほども言いましたようにですね・・・(15秒沈黙)・・・記録を見て総合的に判断しました」

 とかいうものばっかりでした。真面目な話、全部この調子です。客観的に見たまんまを申し上げますと「若い裁判官が弁護士にこてんぱんにやりこめられているの図」でした。私もあまりの痛々しさに、はじめのうちは「弱いほうに味方したくなる癖」が出てしまって裁判官に同情さえしてしまい「もうええやんか、見てらんないよ」くらいに思ってしまったくらいです。

 傍聴席からは失笑がもれていたくらいですが、やがて裁判官が「ここは拘留の理由を開示するだけであって、その当否を議論するつもりはありません」とか「答える必要はないと考えます」なんて、権力をふりかざして逃げる姿勢を見せたあたりから、回りの空気が怒りに変わってきました。私も「ああ、そうか、裁判所は中立じゃなくて権力機構の一部なんだ、警察の味方なんだ、こいつも権力者なんだ」とストンと合点してしまって、「弱いほうに味方したくなる癖」なんぞ吹き飛んでしまいました。「こいつは”弱いほう”ではない!」と。

 当然ですが弁護士は語気を強めて「じゃあ何のためにこんな裁判をしているんだ」と詰め寄りますが、結局は「議論を打ち切ります」の一言で終わってしまいます。ただ一応の答えとしては「理由を開示すること自体に意味があると考えます」とのことでした。つまりこの裁判は裁判と名前はついているけれども、実は裁判ではなくて単なる「情報公開手続き」にすぎないと言いきった(スゲー!)。

 続いて被疑者本人である松岡さんの意見陳述です。松岡さんが留置所でまとめた原稿を取り出すと、裁判官はすかさず「発言は10分間とします」と申し渡しました。おそらくあの原稿の量だと15分くらいだったと思いますが、松岡さんは10分と言われてかなり早口で原稿を読みはじめました。

 松岡さんの陳述はジャーナリストらしく、法律論などは展開せずに、自分が「球団関係者」や「アルゼ」をペンで告発したことの社会的な正当性やその意義、彼らの行った犯罪行為についての評価などを中心に述べられました。やがてまとめにかかろうと言う時に、やおら裁判官が「10分たったので打ち切ります」と宣言しました。「こいつ絶対に陳述内容とか聞かずにずっと時計ばっかり見てたな」と私は確信しました。松岡さんは「すいません、ではまとめだけ言わせてください」と急いで原稿の最後を読み上げられました。

 「”身を捨ててこそ浮かぶ瀬もある”という言葉がある。”身を捨て”て”浮かぶ瀬”を待つしかない。”浮かぶ瀬”必ずあると確信している」傍聴席から拍手がおこりました。

 それをさえぎるように裁判官が「検察官、何か意見はありますか」と言うと、例のおじいさんの検察官が半分だけ腰を浮かして「特にありません」と一言だけ言いました。「あ、そういえばあんたいたの」って感じでしたが、このおじいさんはこの一言を言うためだけにここにいたわけです。

 「それではこれで閉廷します!」と本当に「急いで」という感じで裁判官が早口で宣言しながら立ち上がって、そそくさと早足で退廷しようとします。すると傍聴席の戸田さんがやおら立ち上がり、その背中に向かって大声で「こんないい加減なことはありません!こんなことで人を拘留してもいいんですかぁ!」と叫ばれました。

 裁判官は無言で振り返りもせずに逃げるように去っていきます。さらに戸田さんは「私も市会議員をしている者です。あなたもよくよく考えて判断をくださないといけません!」と叫ばれました。そこにいたみんなの気持ちを代弁していたと思いますが、ちょっと驚いたなあ。うーん、やっぱり戸田さんは「現役活動家」やのう。

●裁判所なんて「こんなもん」なのか

 裁判なんぞ傍聴したこともない多くの傍聴人は、「こんないい加減なものなの?」という感想を口々に話しあっておられました。裁判の前にはなんとなく静かで空気も冷たく、人と会話してるのは戸田さんくらいで、みんな口も重く、悲壮感さえあったのですが、裁判後はすっかり暖まってしまって、悲壮感よりも怒りのほうが強い感じです。戸田さんにいたっては声のボリュームが倍くらいになってるし(笑)。
「ちくしょう!やるぞ、負けるか!」ってとこでしょうか。これなんだよねー。警察は、弾圧すればするほど反体制派は強くなるんだってことがわかんないのかなあ。

 この若い裁判官を一言「弁護」しておいてあげますと、裁判所って「こんなもん」なんです。この人が特別なんではありません。むしろこんな若い裁判官が今までの前例に反して「勇気ある判断」を下したら、今後は最高裁や高裁などの司法官僚に睨まれて、次の移動ではどっか地方の簡易裁判所とかに飛ばされてしまいます。せっかく若くして神戸地裁なんて花道を歩いているエリートなのに。

 一応は法律などを勉強しますと、警察や検察の出した逮捕や拘留の請求を、裁判所が客観的に必要性を判断して公平に判断を下すことになっています。しかし実際にはよっぽどの無茶苦茶なもんでない限り、裁判所が警察や検察の請求を却下することはありません。「裁判所の許可」は単なる「お墨付き」であって手続き、もっと言えば「儀式」みたいなもんです。以前に書いたエントリーの「靴泥棒事件」を思い出して下さい。こんな個人の「履物一切」をすべて押収するような令状を発行したらどうなるか、ちょっと考えればわかりそうなものです。本来はそれをチェックするのが裁判所のはずなのに。

 実は起訴前の釈放には「逃亡の恐れがない」とか「証拠隠滅の恐れがない」とか、松岡さんのように会社代表をしていて「釈放の必要性がある」などの表向きの要件の他に、裏のもう一つの基準があると言います。それは「容疑事実をすべて認めて争わない被疑者」だということです。こんなことは法律には書いてありませんが、実務ではそういう運用がされているということらしいです(学生時代に読んだ「法学セミナー」という法学部生なら必ず誰でも一度は読んでいる雑誌に書いてありました)。

 つまり警察が逮捕した人間は全部悪いやつだという前提がある。法律では被疑者は「無罪の推定をうける」はずなんだが、そうではなくて、「確かに私が悪うございました」と検察の主張をすべて認めて反省している人は、(その他の要件が満たされていれば)釈放されるということです。悪いことをしておきながらそれを認めないようなやつは釈放してもろくなことはせんので、その他の要件を見るまでもなく拘留するってことですね。

 松岡さんの場合も、無罪の推定を受けた上で釈放の要件を勘案するんではなくて、有罪の推定を下した上で、反省しとらんからろくなことしないに違いないという理由で拘留されてるわけです。でもそんなこと言うわけにはいかないので、「証拠隠滅のおそれ」なんて実際にはありえないことを言わざる得ないわけで、そこでしどろもどろになってしまうのは、まだ「誠実」ちゅうか、本物の狸になりきってないということでしょう。

 すくなくとも反体制の運動団体や市民などに対しては、「裁判所は中立」なんて思わないほうがいい。基本的に「裁判所は警察や権力の味方」と思っておいてちょうど良いくらいだと思います。

 それはどういうことか?たとえば市民や民間人同士の争いなら、裁判所は一応は法律に基づいた公平な判断をしようと努力する。だから民事訴訟では鹿砦社が連戦連勝するなんて事態になってるわけです。あるいは市民が暴力団を訴えたような場合なら、できるだけ市民の人権を救済しようという立場で臨むこともあるかもしれない。しかし市民が国や警察と争う場合はどうか?この場合は「国側勝訴」が原則として既定路線であって、よほど国側に争う余地のないほどの落ち度がない限り、市民が勝訴することはありえない。「争う余地」がある限りは、裁判所は十中八九国側の見方で判断する。そういうことです。ましてやそれが反体制的な市民や運動体だったら?あるいは過激派と国の争いだったら?

「最高裁の行政訴訟で原告の勝訴率は10%未満。これで司法が三権の責任を果たしているとはいえない…国際的にも司法への市民参加は常識。司法も、陪審制などの市民が主体的に司法に参加する仕組みに変えていく必要がある」

(久保井一匡=日弁連会長―00年2月15日付『東京新聞』―「この人」より)

●余談ですが・・・

 当日は管制塔戦士救援カンパのビラを配ろうと思っていたのですが、プリンターが壊れていて(ずっと使ってなかったので気がつかんかった!)せっかく作ったのに配れませんでした。傍聴前の雰囲気では人も少ないし重苦しかったんで、持ってきても配れんかったなと思ったけれど、傍聴後には人も増えていて、みんなすっかり生き生きしてたんで、配ればそれなりの反応があったかも。あーもったいないことをしました(戸田さん救援カンパの紹介もよろしくです)。

 ところで「旗旗」を開設して間もない頃、通りかかった松岡さんから激励のメールをいただいたことがあります。義理堅い私としては(笑)、閉廷して腰縄と手錠をうたれている松岡さんに「旗旗の草加です。その節はメールありがとうございました」と一言挨拶しようかと思いました。でも、ご本人はもう憶えておられないだろうと思って何も言いませんでした。今から考えれば「お体には注意してくださいね」くらい言えばよかったかなあ。

 戸田さんとその秘書の方にだけは「草加です」と挨拶しました。秘書は女性の方でしたが、「えーっ!あなたが草加さん!」って感じでキャピキャピーっと喜んでいただいた上に「やー、今日は来て良かった!」とまで言っていただき、何だか照れくさいやら驚きました。いやそんなにいいもんでもないんですが(笑)。

 「今日の裁判のことも書かれるんですよね?」とおっしゃるから「ええ」と答えると「だったらリンクすればええから楽やわ」と明るくおっしゃる。(-_-;ウーン まあ別にいいんですけどね(笑)。なんかこのごろ「詳しいことは旗旗を参照」というパターンの記事が多いような気がする。いや、全然かまわないんすよ。つーか、むしろ喜ぶべきことですよね。ありがとうございます。
こんなんでよろしければ、いくらでも使ってください!

 戸田さんからは「もっとごっつい人だと思っていた」と言われましたが、秘書の方からは「イメージ通り」とか言われました。私のイメージって、いったいどう思われているのだろうか?

●ネット上の反応・トラックバック先など

アンフェアすぎる鹿砦社の摘発(月見草のかたち)
『紙の爆弾』発行の鹿砦社・松岡利康社長、名誉毀損容疑で逮捕される(情報紙「ストレイ・ドッグ」)
鹿砦社・松岡社長を逮捕(FUKUHIROのブログ)
アルゼ暴露記事の出版社社長を名誉棄損で逮捕(13Hz!)
砦社社長逮捕と言論の自由について(キンパルオヤジのだらだらな日々)
杉田かおるを名誉毀損で訴えてやる!(マジ簡単♪おもしろニュースで法律知識)
松岡利康社長、『噂の真相』と同じパターンで逮捕(芸能事件簿・今日は何の日!? )
鹿砦社、松岡社長逮捕について声明発表(芸能事件簿・今日は何の日!? )
アレゼの名誉毀損が勝つ?(かきなぐりプレス)
「鹿砦(ろくさい)社」社長・松岡利康容疑者(53)を名誉棄損容疑で逮捕(ニュース置き場。)
遅まきながら、鹿砦社にエールを!(情報流通促進計画 by ヤメ記者弁護士)
鹿砦社の松岡社長逮捕(教育の原点を考える)
読み応えある神戸新聞の報道(教育の原点を考える)
鹿砦社続報。(裸馬木枯による北風メニュー)
出版社社長を逮捕 名誉棄損容疑で神戸地検(禁スロ−止めてやるっ!−)
鹿砦社社長逮捕(ケネディ♪ケネディ♪)
鹿砦(ろくさい)社社長の逮捕に思う(Blog 「ブック・ナビ」)
「表現の自由を弾圧」 (病床三尺)
名誉毀損で逮捕されるということは・・(こもぞうのひとりごと)

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 古川利明氏が「古川利明の同時代ウォッチング」で「鹿砦社社長の名誉毀損逮捕は、共謀罪導入を突破口とする思想検察復活への布石か」を発表している。情報提供は、ている。同じく「阿修羅政治版10」の2005.7.23日付け外野氏の「鹿砦社社長の名誉毀損逮捕は、共謀罪導入を突破口とする思想検察復活への布石か (古川利明)」。これを転載しておく。

 2005年 07月 19日

 「鹿砦社社長の名誉毀損逮捕」は、共謀罪導入を突破口とする「思想検察」復活への布石か

 さて、さて、関東地方もまだ梅雨あけまでもう少しというカンジで、巷の学生たちはこれから楽しい楽しい長〜い夏休みを満喫できる時期に入りますが、私のやうな「文筆乞食」は、夏休みもクソもありません(苦笑)。それはそうと、どうでもいい「郵政国怪」が、あまりにも小泉が「参院で否決されたら、衆院を解散する!」とワメキちらすので、「おう、これは解散、総選挙夏の陣か」というカンジで色めきたってきています。

 まあ、小泉が衆院を解散する大義名分が「郵政民営化の是非」であろうと、リセットボタンが押されることには「間違いなーい」わけですから、私もこの際、こういう形での「ガラガラポン」もアリかと思ってます(笑)。

 というのは、この5月下旬にフランスでEU憲法の批准を巡る国民投票が行われ、結局、「ノン」という反対票が過半数を占めたことで、フランスの批准は当面、見送りになりましたが、これもそもそもの大義名分は「EU憲法批准の是非」でした。が、結局のところ、シラク政権に対する「信任投票」という色合いが濃くなり、失業問題に何ら打開策を打ち出してこなかった首相・ラファランがやっとこさ更迭される事態になったのです。

 小泉も「郵政民営化の是非」を振りかざして、「解散、総選挙」に突っ込む意気込みだけは誠にごリッパですが、しかし、いま、総選挙をやったら、それこそ「郵政民営化」なんて吹っ飛んでしまって、「自衛隊のイラク派兵」はもちろんのこと、これまで無茶苦茶やってきた「自・公政権の是非」がセンキョの争点になります(笑)。

 じつは、私も最初は「郵政民営化の是非」を大義名分に解散するのには、イケダモン大先生と同様、反対の姿勢だったのですが、ここ最近になって、フランスの国民投票の件を思い出したら、「政権不信任を突きつける又とないチャンス」と思うようになり、ついに、先日の毎日新聞の世論調査で「郵政解散賛成が5割以上」と出たように、この私も日和ってしまい、「解散チョーOK」と思うようになってしまいました。

 まあ、小泉は「自民党をぶっ壊す」ということをソーサイ選の公約にして当選したのですから、ここで解散すれば、その公約を果たすことになります。「やっぱ、小泉はオトコの中のオトコやったで」と褒めてあげましょう(笑)。

 さて、本題に入りますが、ここでぬあんと、この7月12日、神戸地検特別刑事部が、鹿砦社の社長をいきなり、刑法の名誉毀損容疑で逮捕するという「大言論出版妨害事件」をやらかしました(笑)。

 おそらく、捜査当局が刑法の「名誉毀損罪」を適用して、出版社や言論人、ジャーナリストといった「売文業者」の類を逮捕するのは、1976年に、イケダモン大先生がマルハム経由での根回しを経て、通常、こうした知能犯事件を手掛ける警視庁の捜査2課ではなく、暴力団対策の捜査4課に頼み込んで、イケダモン大先生の「愛人問題」を大々的にバクロした『月刊ペン』の編集長・隈部大蔵を逮捕に持っていかせた、例の「月刊ペン事件」以来であると思います。

 その意味では、今回の「鹿砦社社長逮捕」も、確かに「第2の月刊ペン事件」であることは間違いありません。が、ただ、今日(7月19日)発売の週刊朝日で、元「噂の真相」編集長の岡留安則氏がインタビューで、「鹿砦社の社長もワキが甘いところがあって、『やっぱりなー』というところもある」とチラッと言及しているように、私もいろいろと情報収集はしたのですが、業界の内部でもあんまり鹿砦社の社長を庇う声が出てきていないのですよね。

 私は鹿砦社とは仕事をしたことがないので、その社長がどういう人なのかはまったく知らないのですが、今回、名誉毀損の対象となったのは、パチスロメーカーの「アルゼ」に対する批判本と、そうしたことをウェブサイト上にも掲載していることなのです。

 確かに、鹿砦社はスキャンダリズム系の版元としていろんな権力批判の本も出しています。 そして、ウワシンの休刊号である去年(04年)4月号では、「ウワシンが培ってきたスキャンダリズムは鹿砦社が継承しよう」という1頁分の広告も入っていて、そこで、ちゃっかり、岡留氏と松岡利康社長との対談本の宣伝も入っているのですが(笑)、やっぱり、「ジャニーズ追っかけマップ」や「宝ジェンヌ追っかけマップ」のイメージが強いです。

 芸能人をイケダモン大先生やタフやイカンザキと同列に、「みなし公人」として扱い、その男女カンケイとかのスキャンダルを特ダネの形で打つのは、100歩譲って、「国民の知る権利に応える」というジャーナリズムの王道からしてみて、許容範囲だと私も考えます。

 ただ、しかし、それでも、いくら芸能人だからといって、SMAPやV6の自宅や実家の住所やその地図(私も立ち読みで見ましたが、最寄り駅からのルートも入っていた)を公開するのが、果して許されるか、ということを感じました。というより、そういうことを「金儲け」にしているところに、私は正直、「憤り」を覚え、ゲロを吐きそうになりました。結局、権力もちゃんとそういう「足元」をじっくり見ているわけです。

 岡留氏も同様の趣旨のコメントは週刊朝日の記事の中で言っていましたが、「どうせ、鹿砦社の社長をパクッたところで、誰も文句いわんだろう」というところを見透かしているのです。 ただ、だからといって、今度の逮捕劇が容認できるものでは、到底ありませんので、まず、そこの批判から始めます。

 まず、あの「三井環氏の口封じ不当逮捕」を出すまでもなく、「わが国最強かつ最悪の捜査機関・腐れ検察庁」が、例によってその「国策捜査の一環」として(笑)、鹿砦社の社長をパクッたのは、「史上稀に見る大言論出版弾圧事件である」という批判は「言わずもがな」ですので、それを踏まえたうえで、ギロンを展開していきます。

 その告訴案件が、アルゼ批判と阪神タイガースのスカウトの自殺を巡る記事ですか、その具体的内容については私は知る由がないので、もしかしたら、取材、執筆、刊行の時点で、事実誤認や取材不足があったのかもしれません。

 それゆえ、刑法第230条の名誉毀損罪において、報道の対象が「公共の利害に関わる事実について行われたもの」であり、かつ、「目的が公益を図るため」であることは、今回の件については、クリアしていますから、立件のポイントは「報道された事実が真実と認めるに足る相当の理由があるかどうか」です。

 おそらく、そこの「真実性の有無」こそが今後の争点になると思うので、それは当事者同士のバトルに任せればいいことだと思います。三井環氏が不当逮捕されたように、「真実」とは、官憲の不当逮捕によって拘置所や刑務所に入るカクゴがあって、初めて告発しうるものだと、私は思うからです。

 ただ、そこで私がギモンに思ったのは、なぜ、逮捕がいま、この時期だったのか、という点です。鹿砦社のウェブサイトを見る限りにおいては、その松岡社長も任意での事情聴取にはちゃんと応じていたところ、何の前触れもなく、いきなりパクったわけです。通常、身柄を取る事件というのは、被疑者が「住所不定や証拠隠滅、逃亡の恐れ」がある場合か、もしくは殺人や強盗といった凶悪犯罪です。どう考えても、「名誉毀損罪」は身柄を取る事件ではありません。となると、ここはちょうど2年前の今の時期に、秘書給与流用ギワクで、任意の段階でもちゃんと容疑事実を認めていたにも関わらず、逮捕された辻元清美チャンと同様、これも「逮捕した」というセレモニーに意味があったのか、ということになります(笑)。

 で、こういう突発的な逮捕には、必ずウラがあるので、「さて、それは何だったんだろー」と、ヒマに任せていろいろと考えてみると、ピンと来るものがありました。というのは、鹿砦社の社長を逮捕した7月12日というのは、法務省が国怪に提出していた、例の「共謀罪」の本格審議が、衆院の法務委員会で始まった日なのです(笑)。

 この「共謀罪」とは、ようやく大新聞も最近はそのキケン性を取り上げるようになりましたが、一言でいいますと、「犯罪行為をしようと話し合っただけで、実際には犯行を行っていなくても、処罰できる」という無茶苦茶な法律です。

 正確には、組織的犯罪処罰法の改正案として盛り込まれ、9・11以降の小泉内閣の02年秋に法制審に諮問され、翌03年の通常国怪に一度、上程されましたが、同年秋の衆院解散に伴い、いったん廃案になり、再提出されたものです。まあ、法律自体が、「犯罪を実行しなくても、協議を行っただけで処罰できる」という無茶苦茶さに加え、こうした共謀罪が適用できる法律が、先頃の政府答弁で、ぬあんと、「615」にも上ることが判明し、そういった法律違反にはぬあんと、ぬあんと、「消費税法」や「道路交通法」まで含まれているのです(笑)。

 要するに、私と誰かさんが、「うーん、消費税を払うのはバカバカしい。何とかして、ゴマかす方法はないかなあ」「それは、検察が調活費によるウラ金づくりでやってたように、ニセの領収証をかき集めて、ウラ帳簿を作って、収入と所得をごまかせばいい」という会話をして、実際に消費税の支払いをごまかしていなくても、「そうやって、話し合ったという事実があるだけで、処罰できる」というのです。これは、ほんと、なかなかスゴイ法律です。

 つまり、これは「言論・出版・報道・表現の自由」のレベルにとどまらず、「集会、結社の自由」から「信教の自由」、さらには「思想、良心の自由」にまで踏み込んでくる、もの凄く恐ろしい法律なのです。

 人間の根源にある「自由」というものを、もう少し分析してみていきますと、ある人のアタマの中で、徒然なるままに「あれやこれやと考える行為」がありますが、それをブラッシュアップして、広く公に伝えるまでに、他人と話し合ったり、協議するというプロセスが必要です。

 それは、電話やメールを使う場合もありますが、やはり、最終的には「対面」というか、実際に人と会って、目を見て、顔を見て、コトバを交わすという行為が必ず必要です。そういう人たちが、会話を交わすなかで、志気を高めることで、組織をオルグしたり、街頭デモを行ったりして、自らの意見を広く多数に伝えることで、世の中をマトモな方向に変えていこうという動きが出てくるというものです。

 ところが、「共謀罪」とは、そうした人間同士の「自由な意見交換」という行為に、モロに縛りをかけるというのが、その目的です。あっさり言ってしまえば、刑法の名誉毀損罪でパクられて、拘置所や刑務所に入るのは、私のような「売文業者」だけで済みますが(笑)、この「共謀罪」はそうではない。

 つまり、ジャーナリストといった職業的なブンヤ以外の、一般市民をも広く網にかけることで、「言論、出版、報道、表現の自由」の先にある、「集会、結社の自由」へとターゲットを進め、さらに、その最も根源にある「信教の自由」、そして、「良心、思想の自由」への弾圧を狙っている。そこに、この法案の危険性があるのです。

 そのキケン性というレベルでは、あの「イケダモン大擁護法(=人権抑圧法)」などの比ではなく、これをやられたら、ジャーナリズムだけでなく、イケダモン大先生が(表向き)そのレゾン・デートルとしている「信教の自由」にまで踏み込むキケン性があるのです。これは見逃してはならない点だと思います。

 んで、法務省(=腐れ検察)が、この共謀罪を是が非でも成立させる“方便”として、批准を求めている「国境を越えた組織犯罪の防止に関する条約」の中に、そういう犯罪を防止するために「共謀罪」の制定を求めているというようなことを言ってるようですが、たぶん、この背景を知ってる人はあまりいないと思いますので、私がちゃんと説明しておきます。

 この「共謀罪」とは、例のアメリカの「9・11」の直後に、アッシュクロフト司法長官の主導によって、思考停止した「共和、民主両党」の賛成多数という「アメリカ版大政翼賛会」で、一挙に成立した「愛国者法」(=パトリオット法)の中にあるものです。

 つまり、あの「盗聴法」と同様、アメリカの猿マネなのです(笑)(#だから、愛国者法を日本語に翻訳する力があれば、検事上がりの、あんまりアタマのよくない法務省の官僚でも、ナンボでも「共謀罪」の法案をデッチ挙げることができるわけや)。

 この「愛国者法」は、事実上、アメリカ合衆国憲法の機能を停止させたに等しく、あのヒットラーのナチスが政権奪取とともに行った非常大権措置の発動と、根っこではまったく同様のものといえると思います。「愛国者法」は、正式名称を日本語に直訳しますと、「テロ行為を阻止し、防止するために必要なツールを増強することによって、アメリカを団結、強化させる法」といいます。

 全文1016条、分量にしてぬあんと、600頁にも上る、刑法の改正も含む「治安立法の集大成」ともいうべきもので、かいつまんで言うと、司法省や連邦警察局などの捜査機関が、容疑者に対して、「テロリスト」のレッテルを貼ってしまえば、憲法に定められたルールを一切、無視して、超法規的な措置をいくらでも講じることができる、というものです(その詳しい経緯は拙著『デジタル・ヘル』の「第五章 サイバー情報ファシズム化への道」を参照下さい)。

 その中で、盗聴捜査に対する歯止めを取っ払うとともに、日本の「共謀罪」のオリジナルである「共同謀議罪」について、それまでは「体制転覆」などのごく限られていた犯罪だけに認めていたものを、その愛国者法の中で、「犯罪の実行行為がなくても、2人以上の人間が犯行を協議したり、唆しただけで罪に問える」ように変えたものです。 最近、アメリカの権力中枢からの「情報源」、すなわち、「ディープ・スロートの割り出し」を巡り、裁判所での証言を拒否したニューヨー・タイムズの記者が収監されるという、トンデモない事態が起こっていますが(#でも、その一方でヤブヘビになって、その情報源がバラされたことで、逆にブッシュ政権も大騒ぎになっとるけどな)、こうした光景を見てもわかるように、既に、現在のアメリカはデモクラシーの国ではなく、とうの昔に「ファシズム体制」に堕してしまっているのです。

 いまのアメリカは、ほんと、メディアもそうですが、一般市民も萎縮しまくって、「阿呆ブッシュの戦争、反対!」と声を挙げる人間は、「反愛国者」「テロリスト」のレッテルを貼られて、爪弾きにされます。何せ、反戦デモに参加しただけで、軒並み、逮捕されて、留置場送りなのですから。それゆえ、鹿砦社の社長が名誉毀損で逮捕されるというレベルではないのです(笑)。

 その点、まだ、日本ではちゃんと、「イラク戦争反対」と街頭にデモに繰り出しても、逮捕されないのですから、まだ、アメリカより今の日本の方が、さまざまな自由がある点、マシなのです。「アメリカは日本にとって、民主主義のお手本」と言われたのは、「今は昔の物語」で、今となっては、イラク問題の対応を見ればイッパツのように、アメリカの猿マネをすることが、早い話、日本をファッショ化する道なのです。それゆえ、人権抑圧法に反対していた平沼赳夫が最近、小泉を「ヒットラー呼ばわり」したのも、じつはかなり正鵠を射ているのです。

 んで、話は本筋に入っていきましが、この「鹿砦社社長逮捕」と、「共謀罪本格国怪審議入り」が、奇しくも同じ日だったというのは、あの腐れ法務・検察が、今回の逮捕をきっかけに、いよいよ、「共謀罪」の成立をとば口にして、戦前の「思想検察」の復活に本格的に足を突っ込んだな、というのが、私のヨミです。

 確かに、今度の鹿砦社社長逮捕が、もちろん私も含めて、うるさいブンヤへの脅しというのは、岡留氏も指摘されるように、私にもヒジョーによくわかります。つまり、「悪の独裁検事総長・松尾邦弘」以下、腐れ検察の首脳がいま、いちばんビビッてるのは、「外務省のラスプーチン」こと、佐藤優氏が「検察の不当逮捕」、すなわち、「国策捜査の内幕」を暴露した新潮社の『国家の罠』が、10万部を越える勢いをもって、こうしたノンフィクション物では異例のベストセラーとなろうとしている点です(#これで、今年度の新潮ドキュメント大賞は決まりやな)。

 つまり、こうした国策捜査という「検察の胡散臭さ」が広く一般世論にウケてしまうということになってしまえば、ムネムネ(=鈴木宗男・元自民党衆院議員)の事件と同様、佐藤優氏の公判も二審で「逆転無罪」が出てしまいます(笑)。それだけは、ゼッタイに避けなければならない。そのためには、どうせパクッたところであんまり文句も出ないであろう、鹿砦社をターゲットにするしかない、という判断でしょう。その意味では、実は連中も、相当、追い込まれているのです。

 しかし、そんな刑法の名誉毀損逮捕などは、最悪でも、ブンヤが拘置所や刑務所に入れば済む話で、また、そうすることで、三井環氏や佐藤優氏のように、権力の不条理性と直接、対峙する原体験を通して、己の表現者としてのインスピレーションをさらに高め、「歴史に残る珠玉の名作」を世に生み出すきっけかになるので、私にとっては、むしろ、歓迎するところなのです(笑)。

 モンダイは、そんなチンケなレベルではなくて、こうした「引き金」の背後に、チョー怖い「共謀罪」の成立がセットとなっている。ここにこそ、メディアの連中も、国怪議員の連中も目を向けなければなりません。

 戦前、日本には「思想検察」というものがありました。それは、昭和に入って、時代がキナ臭さを増していく中で、司法省に「思想部」というものを設置して、国民のありとあらゆる「自由」の剥奪にかかるわけです。

 一般に、戦前の「思想弾圧」というと、内務省警保局直轄の「特高警察」が有名なので、この「思想検察」の存在は、ほとんど忘れ去られていますが、実は、特高警察とクルマの両輪というか、むしろ、特高以上に大きな存在だったのが、この「思想検察」です。というのは、警察ができるのは身柄をパクるだけで、その後、送検された被疑者を起訴し、公判で有罪に持っていき、拘置所や刑務所で思想犯を「転向」させるのは、「検察&司法省」の仕事の領域だからです。

 そして、さらに注目すべきことは、特高警察は、戦後、GHQのさまざまな改革によって、まがりなりにも解体されましたが、ところが、思想検察は手をつけられることなく、戦後の「公安検察」に継承されています。もっというと、検察のキミツ費、すなわち、「チョーカツ」(=調活費)は、この思想検察の時代にルーツがあるのです(こうした詳しい事情は、小樽商科大の荻野富士夫教授の岩波新書「思想検事」に書いてありますので、興味ある方は、今こそぜひ、読んで下さい)。その一方で、検察庁の中でも政権中枢の「巨悪」を果敢に摘発しようとする、「特捜検事」の一派があって、その最後の生き残りが「三井環」であったといえます。

 しかし、私の歴史認識では、既に述べていますように、三井氏が不当逮捕された時点で、「特捜検察の志」は壊滅させられ、あとは、国策に沿った捜査をするロボットのような「思想検事」が、要所要所に配置されているのです。ですから、検察庁の「特捜部」というのは今や名ばかりで、実態は「東京地検特別思想部」が、ムネムネや佐藤優氏や逮捕し、「神戸地検特別思想部」が、鹿砦社の社長をパクッたわけです(笑)。

 要するに、「共謀罪」の成立によって、ただでさえ暴走しまくっている「腐れ検察」が、完璧な「治安維持法」を手にすることになるのですから、こんなコワイことはありません。「ガイキチに刃物」とはこのことです。んで、衆院解散になれば、こうした化け物のような法案も廃案になって、すべて「リセット」になるので、私も「大サンセイ」というわけです。

 確かに、「靖国公式参拝」を巡る“歴史認識”の問題も重要でないと言い切るつもりはありませんが、「共謀罪」のキケン性の前に比べたら、ほんと、どうでもいいことのように思えてきます。私自身は「靖国公式参拝」には反対なのですが、しかし、そこはヴォルテールのように「私と反対の意見を言う権利は、私は命をかけても守る」という立場です。その1点において、私は自民党右派の平沼赳夫や安倍晋三とも組めるわけです。

 そうした「人間の根源的な自由」に対する理解や関心は、民主党なんかより、ずっと、自民党の右寄りの連中の方がむしろ、感度がいい。大事なところは、そこなのです。

 で、鹿砦社社長の逮捕に話を戻すと、この程度で鹿砦社が潰れるようだったら、最初から言論出版活動をすべきではないですし、ある種、これも「想定の範囲内」でしょう。「ウワシンスピリッツ」を本当に継承するのであれば、これからは「腐れ検察」という「日本最低の巨悪」に徹底的に挑まなければウソでしょう。

 ウワシンの岡留氏が、例の「西川りゅうじん&和久峻三」の名誉毀損で不当起訴されたことをきっかけに、検察批判に本腰を入れ、ノリサダの首を取ったように、「しまった、寝た子を起こしてしまった。逮捕するんじゃなかった」というふうに連中に思わせなかったら、ウソでしょう(笑)。「目には目を、歯に歯を」。それが、「独立自尊の言論人」の掟というものです。


【鹿砦社声明】
 鹿砦社は次のような声明を発表している。
 鹿砦社代表・松岡利康"名誉毀損"事件 2005年10月17日(月)午後3時、初公判始まる! 皆様のご注目をお願いいたします!

 株式会社鹿砦社代表・松岡利康、"名誉毀損"事件初公判の日程が、2005年10月17日(月)午後3時より神戸地裁101号室で行われます。この事件の性質上、読者の皆様、そして言論に携わる皆様のご注目そのものが、司法の判断に対して大きな影響を与えます。可能ならば足をお運びいただきますよう、お願い申し上げます。

 去る7月12日の逮捕により始まった鹿砦社"名誉毀損"事件。納得できる逮捕・勾留理由が示されないまま、8月1日には起訴(罪状は逮捕時と同じ)され、当方が提出した保釈請求も「罪証隠滅の怖れ」という言葉のみで却下されてしまいました。事件の詳細と弊社の主張につきましては、月刊『紙の爆弾』9月号、10・11月合併号をご参照ください。

 これまで主張してまいりましたとおり、この事件の第一の問題は「逮捕・長期勾留の必要性が本当にあるのか」という点にあります。すでに発売された書籍における表現が問題であるならば、すでに"証拠"は隠しようがありません。

 起訴についても、もちろん不当起訴であり、言論に対する不当な攻撃であると考えざるをえません。それでも"名誉毀損"について、真面目に議論するのであれば、すでに弊社アルゼ関連本について民事訴訟で争ってきたとおり、当方の考えを主張する準備は整っております。

 弊社は激励、支援を寄せてくださる皆様と連帯し、松岡利康無罪へ向けた闘いに邁進することをここに宣言いたします。

 2005年9月6日 株式会社鹿砦社 社員一同





(私論.私見)