449―111 | 拉致事件通史 |
2002.11.26日付け毎日新聞の「検証・北朝鮮報道40年」を参照しました。まさに新聞社の情報タンク機能は貴重で、適宜な資料公開はかく在らねばならないと考えます。
1977.9.19 | 宇出津事件 | 久米裕 | 石川県能都町で拉致される。 | |
1977.11.15 | 横田めぐみ | 新潟市で拉致される。1980.8.13日横田さんが朝鮮人と結婚。1993.3.13日横田さんが病院で自殺。 | ||
1978.6.29 | 田口八重子 | 宮崎市から出国。 | ||
1978.7.7 | 地村保志
浜本富貴恵 |
福井県小浜市で拉致される。1979.10.26日地村さんと浜本さんが結婚。 | ||
1978.7.31 | 蓮池薫
奥土祐木子 |
新潟県柏崎市で拉致される。1980.5.15日蓮池さんと奥土さんが再会し結婚。 | ||
1978.8.12 | 曽我ひとみ
その母 |
新潟県真野町で拉致される。1980.8.8日曽我さんが元米兵と結婚。 | ||
市川修一
増元るみ子 |
鹿児島県吹上浜で拉致される。1979.4.20日市川さんと増元さんが再会し結婚。9.4日市川さんが海水浴場で水死。1981.8.17日増本さんが心臓病で死亡。 | |||
1978.8.15 | 富山でアベック拉致未遂事件発生。 | |||
1979.10.26 | 朴正き韓国大統領が側近に暗殺される。 | |||
1980.1.7 | 産経新聞が「アベック3組ナゾの蒸発」と報道。 | |||
1980.5.18 | 韓国で光州事件。 | |||
1980.6.7 | 松木薫
石岡亨 |
松木薫さんと石岡亨さんが工作員の勧めでスペイン出国。1996.8.23日松木さんが交通事故で死亡。 | ||
1980.6.17 | 原 | 原さんが宮崎市から出国。1984.10.19日田口さんと原さんが結婚。1986.7.19日原さんが肝硬変で死亡。1979.7.30日田口さんが交通事故で死亡。 | ||
1983.7.15 | 有本恵子 | 有本恵子さんがデンマークから工作員の勧めで出国。1985.12.27日石岡さんと有本さんが結婚。翌年、長女誕生。1988.11.4石岡、有本さん家族が石炭ガスで中毒死。 | ||
1983.10.9日 | ラングーン爆弾テロ事件。ビルマの首都ラングーンのアウンサン廟を訪れた韓国首脳を狙った爆弾テロで、全斗ハン大統領は難を逃れたが、副首相ら21名が死亡した。ビルマ政府は、拘束した北朝鮮工作員の供述をもとに11.4日北朝鮮によるテロと断定、同国と国交断交した。日本政府も、同7日公務員の往来停止などの制裁措置を決めた。 | |||
1983.11.15 | 第18富士山丸の船長らが北朝鮮で「スパイ容疑」で抑留。 | |||
1985.6.28 | 韓国当局が原さん拉致に関わった北朝鮮工作員の辛光*容疑者ら逮捕を発表。 | |||
1987.11.29 | 大韓航空機爆破事件。バグダッド発アブダビ経由ソウル行き大韓航空機がビルマ沖で爆破され、乗員乗客115名が死亡した。アブダビで降りた日本の偽造旅券を持った2名が捕捉され、そのうちの一人金賢姫の供述から1988.1.15日韓国政府は北朝鮮によるテロと断定した。日本政府は、同26日北朝鮮乗務員の事実上の日本上陸禁止などラングーン事件時より厳しい制裁措置をとった。 | |||
1988.1.15 | 韓国当局が、大韓航空機事件の容疑者・金賢姫が「教育係は日本人の女性」と証言したと発表。 | |||
1988.3.26 | 梶山静六国家公安委員長が、参院予算委で「アベック不明は北朝鮮による拉致の疑いが濃厚」と答弁。 | |||
1988.5.6 | よど号グループの最少年メンバーが東京で逮捕される。 | |||
1988.9.6 | 札幌の石岡さんの実家に手紙が届く。石岡さん、有本さん、松木さんが平壌で暮らしていることが判明。 | |||
1988.9.17 | ソウル五輪開幕。 | |||
1988.3.30 | 竹下登首相が北朝鮮に「反省と遺憾」を表明。 | |||
1988.6.4 | 天安門事件。 | |||
1988.11.9 | ベルリンの壁が崩壊。 | |||
1990.9.24 | 〜28日自民(金丸信元副総理団長)・社会両党(田辺誠副委員長(後に委員長))代表団が訪朝。北朝鮮は、第18富士山丸の船長ら2名の釈放を伝えると共に、国交正常化交渉の開始を提案した。朝鮮労働党と「戦後45年の償い」に言及した3党共同宣言に調印。 | |||
1990.9.30 | 韓ソ国交樹立。 | |||
1990.10.3 | 東西ドイツ統一。 | |||
1990.10.11 | 小沢一郎自民党幹事長、土井たか子社会党委員長と共に第18富士山丸の船長ら2人が7年ぶりに帰国。 | |||
1991.1.7 | 石岡さんの手紙を毎日新聞が匿名で報道。 | |||
1991.1.17 | 湾岸戦争始まる。 | |||
1991.1.30 | 〜31日。第一回日朝国交正常化交渉。 | |||
1991.5.15 | 警視庁が「李恩恵」を田口さんと特定。 | |||
1991.5.20 | 〜22日。第3回交渉。「李恩恵」の消息確認に北朝鮮が反発。 | |||
1992.11.5 | 第8回交渉。「李恩恵」問題で決裂。 | |||
1993.5月末 | 北朝鮮が能登半島沖でノドン・ミサイルを試射。 | |||
1994.7.8 | 金日成主席が死去。 | |||
1995.3.28 | 〜30日、渡辺美智雄元副総理ら与党(自民、社会、さきがけ)3党訪朝団。 | |||
1995.6.30 | 無償、有償各15万トンのコメ支援などで日朝合意。 | |||
1995.10.3 | 有償20万トンのコメ追加支援で日朝合意。 | |||
1996.3.24 | よど号グループの田中義三容疑者をカンボジアで拘束(2000.6.27日、日本に移送、よど号事件で逮捕) | |||
1997.2.3 | 横田さんの拉致疑惑が国会で表面化。 | |||
1997.3.25 | 拉致被害8家族が連絡会結成。 | |||
1997.5.1 | 警視庁が「7件10人」の拉致認定発表。 | |||
1997.11.8 | 日本人配偶者が初めて里帰り。 | |||
1997.11.11 | 〜14日。森喜朗自民党総務会長ら与党3党訪朝団。北朝鮮側が「日本人行方不明者」の調査を表明。 | |||
1998.1.27 | 第2回日本人配偶者里帰り。 | |||
1998.6.5 | 朝鮮赤十字会が「行方不明者は存在しない」と発表。 | |||
1998.8.31 | 北朝鮮がテポドン・ミサイルを発射。 | |||
1999.3.23 | 能登沖に北朝鮮工作船。自衛隊が初の海上警備行動。 | |||
2000.3.3 | 無償10万トンのコメ支援決める。 | |||
2000.3.6 | コメ支援に拉致被害家族が外務省前で抗議の座り込み。 | |||
2000.4.4 | 〜7日第9回日朝国交正常化交渉。 | |||
2000.6.13 | 南北首脳会談。 | |||
2000.7.26 | バンコクで初の日朝外相会談。 | |||
2000.9.12 | 第3回日本人配偶者里帰り。 | |||
2000.10.6 | 無償50万トンのコメ支援を政府が決定。 | |||
2001.5.1 | 金正日総書記の長男正男氏が偽造旅券で入国しようとして拘束される。国外退去に。 | |||
2001.12.17 | 朝鮮赤十字会が「日本人行方不明者」の調査中止を発表。 | |||
2001.12.22 | 奄美大島沖で工作船が海上保安庁の巡視船と銃撃戦の末に沈没。 | |||
2002.2.12 | 北朝鮮が抑留していた元日経記者を解放。 | |||
2002.3.11 | 警視庁が有本さんを拉致被害者と認定。 | |||
2002.3.22 | 北朝鮮が、「日本人行方不明者」の調査再開を表明。 | |||
2002.4.30 | 日朝赤十字会談で「行方不明者」の本格調査実施で合意。 | |||
2002.7.31 | ブルネイで日朝外相会談。 | |||
2002.8.1 | 警視庁が旅券法違反容疑などで辛光*容疑者に逮捕状。 | |||
2002.9.17 | 初の日朝首脳会談。金総書記が拉致を認め謝罪。「8人死亡、5人生存」を明らかにする。 | |||
2002.10.8 | 拉致認定、10件15人に。 | |||
2002.10.15 | 拉致被害者5人が帰国。 | |||
2002.10.29 | 〜30日第12回日朝国交正常化交渉。 | |||
(私論.私見)