449―112 | 左翼系各派の見解分析 |
こたびの「拉致事件」に対する各党派の見解をここで整理してみることにする。 |
【「警鐘」(高山登久太郎氏のホームページ)の「国民主権の問題」】 |
人に人権があるように、国家にも主権がある。今回の拉致問題は、北朝鮮による国家犯罪であり、ことは一国の主権と威厳にかかわる問題である。残念ながら日本の政治家にこの概念はない。 平然と他国に侵入し、その国の住民をさらっていくといった行為は、単に拉致被害者だけでなく、日本国民、そして日本そのものを侮辱した行為に他ならない。またこの問題を、日帝時代の残虐・非道な行為と同列に考える向きもあるが、当時の政府が『内鮮一体』政策をとった中での犯罪行為と、今回の拉致とは一線を画すべきものである。 拉致問題を金正日氏自ら国家犯罪と認め、謝罪した以上、日本政府は、これを『国家対国家』の問題として、残された子どもたちの早期帰国や死亡とされる他の拉致被害者の真相解明を、国家主権を賭けて強く求めていかなければならない。 一方、北朝鮮は一刻も早くこの国家の過ちを国内すべての人々に明らかにし、国民全体の反省としなければならない。その際、日本の朝鮮総連の責任は特に重要である。なぜなら、北朝鮮の人々は完全に耳をふさがれている状況にあるが、日本にいる彼らは、毎日、テレビで流される報道を充分過ぎるほどみており、両国で何が起こっているのかを知っている。その点からも、今回の国家犯罪に対する総連の一日も早い謝罪と、その証として何をなすべきかを考えなければならないにもかかわらず、いまだに沈黙を守っていることは、総連そのものの存在意義を疑う。 国家の主権を確立することは、ともすれば偏狭なナショナリズムを生み出す危険な一面もはらんでいる。それだけに政治家、外務官僚には高い見識と、たゆまぬ努力が求められる。ましてや主権の概念など、一朝一夕で身につくものではない。彼らにこの見識と努力がなかったことは、犯罪の真相究明に何ら手を打つことなく、無為に20年余も時を費やしたことが雄弁に物語っている。 1990年の金丸信と田辺誠の自民、社会(現・社民)両党の二人による訪朝以来、森内閣に至るまで歴代首相と政府首脳、時の与党として政権に参画していたほぼすべての政党に、"国家主権"という概念はなかった。国家を冒涜されながら、これまで拉致問題はもとより、不審船、ミサイル、核開発疑惑など、隣国の主権侵害に対し何もせず、事なかれ主義を通しただけでなく、「拉致ということではなく、行方不明者として、第三国で発見された形にしてはどうか」などという見識のなさに至っては、政治家以前の資質の問題を露呈した。 特に日朝交渉を再開した自民、社会(現・社民党)両党はこれまで、本国送金疑惑の裏で揺れる朝銀の実態を知っていながら同行近畿に3102億円の公的資金を投入を許した。それが当然のように二次破綻を起こしても、さらに唯々諾々と援助を続け、今年末までに、我々税金のこの銀行への投入額は総額1兆4000億円にのぼるという。このような北朝鮮によるもうひとつの国家主権の侵害、冒涜に目をつむり、言われるままにコメ援助を続ける政策を許している。国家主権を明確に出来ない人間に国民を守れようはずがない。 さらに小泉内閣にも警鐘を鳴らしたい。今回の拉致問題に、あまりにもとらわれ過ぎて、国交正常化を遅らせるようなことがあってはならない。 ましてや拉致被害者への対応をヒューマニティの問題として扱い、国民に耳ざわりのいいワイドショーの材料にして、自分の人気取りに利用するようなことは決して許されない。 拉致問題は決して許されることではなく、徹底究明と二度とこのようなことが起こってはならない。しかしすべての原因は、過去100年にわたって不正常な関係が続いてきたことによる。両国にとって、国交回復は大きな歴史的転換となる。そのような歴史のうねりにあって、被害をこうむるのはいつも普通に生きる個人である。不幸なことではあるが、今後、さらにこのような悲劇を生まないためにも、国家主権の確立とともに、国交正常化交渉を着実に前に進めることが小泉内閣の責務である。【了】 |
(れんだいこ評) 「拉致事件」の本質を国家主権の侵害と捉え、この見地からの謝罪と二度と起させない処理を要求している。併せて、根本解決として国交回復及び正常化を呼びかけている。 |
【労働者の力派】小泉第二次内閣の成立と日朝国交交渉 東アジアの冷戦構造解消へ全力を尽くせ(抜粋)(2002年10月10日151号)川端 康夫 |
小泉に差し出された金正日の贈り物 突然の日朝国交交渉という金正日の差し出した縄に飛びついたことで、小泉の支持率は再び大きく回復した。アドバルーンに一時的に空気が注ぎ込まれたわけである。このこと自体は、日本民衆が相当の健全な政治感覚を保持していることを物語る。週刊文春や新潮などの一部右翼マスメディアが相も変わらず小泉攻撃の金切り声を上げているが、彼らの時代錯誤とインチキ性は民衆から完全に無視されているのである。 いわゆる拉致問題は依然謎に包まれている部分もあるが、金正日が相当部分をさらけ出す覚悟をもって、拉致問題の存在を認めた事実は明白である。過去十年余続けられてきたいわゆる北の「瀬戸際外交政策」からの全面的転換であろうことは断言していいだろう。 拉致問題の規模が思いもよらぬほどのものであることは大きな衝撃を多方面に与えている。「拉致問題」は存在しないとする北の立場を受け入れてきた人々や政党は一時的に苦しい立場におかれるかもしれない。だがそれは北がスターリニズム、それも一族支配に歪められた奇矯な政治体制であることを正面から認識し得なかったことの「つけ」である。 世界のなかで唯一国交のなかった北との国交交渉がはじまるということは、この地域に残されてきた「冷戦構造」の一つが解消に向かうことを意味する。もちろんわれわれは、それがたやすいとか、南北の対立が一気に解決するとか、というふうには楽観はしていないが、それでも二十一世紀の初頭を飾るおおきな歴史的動きであることは否定できないことである。この点でわれわれは小泉の決断を評価する。しかし小泉および日本支配層の覚悟の程にはまったく信頼が置けない。「拉致問題」を振りかざす右からの抵抗に彼らは早くも腰が引け始めているのだ。 もう一つの問題は、北の政治体制にある。朝鮮労働党の一党独裁という政治体制、一種の鎖国である外交的位置に何らかの変動が起きない限り、つまり社会主義的な民主主義が作動し始めない限り、北と南の関係が安定的に、開放的に結合していく保証は確保されない。そして東アジアの将来も、この地域における社会主義的な民主主義の確立の度合いに左右されよう。 われわれは北の実情をほとんど知ることができていない。多くの報道がなされているが、いずれの側のものであれ、何らかの作為、宣伝臭を感じざるを得ない。ただ経済的停滞が相当のものであり、農業生産の落ち込みがひどく、実質経済的破綻状態におかれていることは読みとれる。工業からの援助、たとえば肥料などの供給なしに農業が自足的に回転することはありえないからだ。 もう一つ指摘すべきは、この夏に集中的に問題となった「脱北」政策の問題である。「脱北」問題は、それが東欧崩壊の引き金となった東ドイツからチェコ、ハンガリーへの脱出、そしてオーストリアへの逃げ込みという図式を脳裏に描いた政策である。韓国のNPOの多くが関係していたこの政策は、金大中政府の「太陽政策」と客観的には対立していた。北の経済的困窮を背景とする中国への脱出者が出なくなるということはありえず、また「脱北」政策推進の立場が消滅することもないにしても、今回の日朝交渉への踏み出しは、金正日による「脱北」政策への対応方針になっていることは事実である。そしてこの点においてとりわけ、北京政府がおそらくは好意をもって受け入れているに違いない。 アメリカは当初、とまどい的反応を示しはしたが、結局は日本政府の対応を支持した。もちろんアメリカ政府は、日本による抜け駆けを今後は認める気はなく、アメリカと韓国、日本の協同協議の枠組みをたがはめした。ブッシュ政権のタカ派である国防総省にとっては、この「ならず者国家」の一つである北が鮮やかな転換を示した事実はおそらくは認めたくはないに違いない。しかし、いかに軍国主義者であろうとも、中国とロシアという二つの安保理常任理事国の全面支持を受けた金正日の転換を受け入れないことは不可能である。(十月十一日) |
(れんだいこ評) 「拉致事件」を認めさせた小泉外交の成果を認めつつ、今後の成り行きに腰砕けを予想している。 |
【第4インター】「北朝鮮による拉致問題」(かけはし2002.11.4号より抜粋)の「日本の市民運動と左翼に何が問われているか、金日正体制の崩壊という事態を目前にして」 |
十月十五日、北朝鮮に拉致されていた日本人五人の被害者が帰国した。連日のように、五人の行動が大きく報道されている。五人の胸にはいつでも、金日成・金正日の将軍バッチがつけられている。金正日らが行った拉致という国家犯罪が五人の特別の仕事から現在も継続されていること、その国家犯罪から逃げることのできない状態に置かれていることが明らかになった。さらに、子どもたちに自分たちが日本人であることさえ伝えていないという。五人が語る新しい事実が伝えられるたびに、金正日らの国家犯罪のひどさが伝わり、怒りを新たにする。 崩壊に向かう金正日支配体制 われわれがいま、拉致問題でぶつかっている北朝鮮の姿は、かつて、ソ連・東欧崩壊過程でヨーロッパがぶつかったものに類似している。それは東ドイツなどの国家秘密警察による人民支配のひどさであり、密告制度が生んだ人間信頼の崩壊の姿であった。 一九四九年の中国革命の成立や朝鮮民主主義人民共和国の樹立を、日本の民衆は人類の進歩・貧しい民衆を解放する革命として迎えた。しかし今、日本の民衆は、それとまったく逆の「人権侵害の国家犯罪」のすさまじさに驚かされている。 北朝鮮は中ソ対立の中で、孤立的政策を選択し、唯一思想=チュチェ思想をもって金日成親子の儒教的軍事独裁体制を強化していった。この結果、あらゆる経済の基盤が一九五〇年代のままに停滞していった。そして、ソ連・東欧の崩壊による貿易(援助)相手国の喪失、九四年から九五年の自然災害も重なり、数百万人の餓死者を出し、国際的援助なしには国家として成立することさえ困難な事態に立ち至った。 北朝鮮はこれから脱出する道を、アメリカとの関係の改善やEUなど各国との国交樹立、中国・ロシアに求めた。そして、それは二〇〇〇年の歴史的な朝鮮の南北首脳会談として結実した。しかし、アメリカにおけるブッシュ政権成立と対北強硬政策への転換などにより、それ以上の前進はなかった。最後に残されたのが、日本との国交回復により経済援助を引き出すことであった。 北朝鮮は金正日唯一思想体制を維持したまま、中国型の市場経済を導入する方向に舵をきろうと、七月に一部配給制の廃止などの経済改革を実施し、新義州に経済特区建設の計画を明らかにした。 しかしこの計画発表後、すぐに新義州の中国人長官が脱税で中国当局に拘束されるなど、場当り的なこうした「改革」も結局失敗にいたろうとしている。極度のモノ不足のもとでの物価大幅引き上げは、ハイパーインフレーションの爆発をもたらしつつある。市場経済は情報の公開・労働者の自由な発想がなければできない。金正日唯一思想体制を維持したままではこれは不可能である。 「工場の稼働率は最近まで平均二〇〜三〇%以下だったといわれる。エネルギー難、電力難、設備・技術難、原料難、人材難、輸送・通信難など問題は山積み状態である」(田中喜与彦、「週刊金曜日」10月18日)。深刻な食糧難も慢性化し、国連の世界食糧計画(WFP)によると今年も三百万人分が不足しているという。金正日体制の崩壊が始まっている。 市民運動と左翼の反応について 体制崩壊後の民衆を支える闘い 北朝鮮と同じように、中ソから距離を保って「独自の独裁体制」を作っていたルーマニア・チャウシェスク体制が崩壊した後の一九九五年に、エッセイストの米原万里がルーマニアの首都ブカレストを訪ねた時の印象を、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』(角川書店)で書いている。 |
(れんだいこ評) 「拉致事件」解明に果たした小泉外交に対する態度は鮮明でないが、北朝鮮に対する態度は手厳しい。具体的な手法として「北朝鮮の一からの再建にむけた経済援助を全面的に行うべきである。そして何よりも過去の植民地支配を謝罪し補償を行わなければならない」としているところが指針のようである。 |
【中核派】日朝首脳会談に対する革共同の態度(週刊『前進』(2071号1面1))北朝鮮への排外主義の嵐打ち破れ 日帝の「国交正常化」交渉は戦争の道だ 米日帝の北朝鮮侵略戦争阻止へ 有事立法粉砕、日朝人民の連帯を |
第1章 米日帝の北朝鮮侵略戦争計画の一過程 日帝・小泉は9月17日、日本の首相として初めて北朝鮮(朝鮮民主主義人民共和国)を訪問し、金正日(キムジョンイル)国防委員会委員長(朝鮮労働党総書記)と日朝首脳会談を行い、国交正常化交渉を始めることをうたった「日朝平壌(ピョンヤン)宣言」に署名した。9・17日朝首脳会談は、いわゆる拉致問題の安否確認として、5人の生存と8人の死亡という深刻な事態が北朝鮮側から告げられ、金正日がそれを公式に認め謝罪するという衝撃的な展開となった。この問題は、8人の青年たちがいつどうして死んだか、なぜ死ななければならなかったのかを含め、重い問題である。だがしかし、日本のマスコミがほとんどこれのみをクローズアップし、対北朝鮮の民族排外主義を扇動していることは、まったく許し難いことである。日朝首脳会談の全体像をつかみ、その一環としてこのいわゆる拉致問題を位置づけてとらえることで、拉致問題そのものの核心も実は明らかになるのである。 以下、米帝のイラク攻撃の切迫、日帝の有事立法攻撃の進展の中で行われた日朝首脳会談に対する革共同の態度を表明したい。結論的に言って、日帝は9・17日朝首脳会談・平壌宣言をもって、@米帝ブッシュ政権の世界戦争計画―「イラク・イラン・北朝鮮は悪の枢軸」論による対北朝鮮のすさまじい戦争重圧の破壊力と一体となって、かついわゆる拉致問題や不審船問題などを交渉上の恫喝の道具として使いつつ、A内外の深刻な危機の中で追いつめられた北朝鮮スターリン主義の窮地につけ込んで、B国交正常化交渉の名で北朝鮮スターリン主義のほとんど全面的とも言える屈服を取りつけ、Cあわよくば北朝鮮への新植民地主義的侵略を狙い、Dまた北朝鮮スターリン主義の対応いかんでは有事立法発動による対北朝鮮侵略戦争をいつでも仕掛ける外交的枠組みづくりに大きく踏み出したのである。 日帝はこの交渉過程全体をとおして、北朝鮮のぎりぎりの現状と弱点に襲いかかって北朝鮮スターリン主義に強圧的に屈服を強いるという、まさしく戦争外交を展開したのである。そこからはどのような平和も友好も出てくるわけがない。 さらに、そこでは、かつての日帝の朝鮮植民地支配、強制連行・強制労働、数々の虐殺とじゅうりん、そしてそれに連なる戦後の敵対と差別・抑圧の一切の国家的責任およびその賠償・補償の問題をことごとく打ち捨て隠蔽(いんぺい)している。 日帝はなぜ明々白々たる歴史的な国家的大犯罪をどこまでも開き直ろうとするのか。そこには新たな侵略の野望があるからである。またそれは、米帝ブッシュ政権が今、嵐のように推し進めているイラク攻撃(次は北朝鮮とされている!)とそれを新たな突破口とする世界戦争計画の実行の一翼を、日帝がその国家利害から担おうとするものである。したがって9・17日朝首脳会談は、けっして真の日朝友好をつくる道でもなく、真の国交正常化のあり方でもない。むしろまったく逆に日帝が朝鮮半島に戦争をもたらす重大な一過程となったのである。 9・17日朝首脳会談・平壌宣言は、米帝(米英日帝)による一方的なすさまじいイラク大虐殺戦争が間違いなしに発動されようとしている情勢の一環としてつくり出されたものであり、直接にも米日帝の朝鮮侵略戦争計画の推進の一過程なのである。9・17にもかかわらず、いや9・17のゆえにこそ、米日帝の北朝鮮侵略戦争情勢が今一つ進んだのである。 日朝平壌宣言の意味は何か日朝平壌宣言では日朝の国交正常化の実現をまずうたっている。その中身として4点が確認されている。第1点は、「国交正常化を早期に実現させる」こと、そのために「02年10月中に日朝国交正常化交渉を再開すること」、さらに「国交正常化の実現に至る過程においても、日朝間に存在する諸問題に取り組む」ことである。ここで言う諸問題とは、いわゆる拉致問題や不審船問題にかかわる謝罪、補償、真相解明などの問題を指している。注目すべきことは、国交正常化交渉といわゆる拉致問題、不審船問題などがリンクされていることである。小泉は「重大な懸念は引き続き存在する」(記者会見)と強調している。日帝は、それらの問題を国際政治上のテーマに押し上げ、それをめぐるやりとりいかんでは、国交正常化交渉をストップさせたり、破棄する余地をつくっているのである。 第2点は、いわゆる「過去の清算」にかかわる部分であり、いくつかの項目からなっている。「日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した」として、95年の村山(当時首相)談話を踏襲している。 そして、双方は、@経済協力の実施、A財産及び請求権を相互に放棄、B在日朝鮮人の地位に関する問題及び文化財の問題を協議する、としている。ここで日帝は、過去の植民地支配、その国家的責任、賠償・補償を認めておらず、したがって例えば日本軍軍隊慰安婦問題の解決について拒否する立場を貫き、それを北朝鮮に押しつけている。また北朝鮮スターリン主義は、植民地支配からの解放の原則的立場をすっかり投げ捨てる歴史的大裏切りを行った。 第3点は、「双方は互いの安全を脅かす行動をとらない」と確認、北朝鮮側は「日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような(日本国民の生命と安全にかかわる)遺憾な問題が今後再び生じることがないよう適切な措置をとる」と確認したとしている。これは、拉致や不審船の問題で北朝鮮にくぎを刺している条項である。 第4点は、双方は「@北東アジア地域の平和と安定を維持、強化するため、互いに協力していく、A地域の信頼醸成を図るための枠組みを整備していく、B朝鮮半島の核問題の包括的な解決のため、関連するすべての国際的合意を遵守する、C核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国間の対話を促進する」と確認し、北朝鮮側は「ミサイル発射のモラトリアムを03年以降も更に延長していく」と表明したとするものである。 このAの「信頼醸成の枠組み」とは米、日、中、ロと南北朝鮮の6者協議を意味する。Bの「すべての国際的合意」の最も基軸的なものは米朝の94年10・21合意枠組みである。 これらは、日帝が、米帝の世界戦争計画、その一環としての対北朝鮮戦争政策と一体となって北東アジアの多国間安保協議を進めていくこと、あくまでも米帝と同調しつつ、かつ直接にも米帝の意を受けて、対北朝鮮の政策をまぎれもない戦争政策と位置づけていることを示している。 さらに、添え書き的項目のようであるが、第5点に「安全保障にかかわる問題について協議を行っていく」ことを確認している。国交正常化交渉と並んで、安保協議が設定されていることの意味は大きなものがある。すでに見たように、国交交渉の中に、「日朝間に存在する諸問題」の協議がビルトインされているだけではなく、その国交交渉と並行して安保協議すなわち軍事外交協議が行われる形となっていることは、日帝が国交正常化交渉と銘打ちながら、その実、対北朝鮮の戦争政策を構築していこうとしていることをはっきりと示している。 この平壌宣言は、日帝の側は、植民地支配についての謝罪や補償を行わない一方、日帝が北朝鮮に要求していることはすべて認めさせ、全面屈服させた文書となっている。北朝鮮スターリン主義は、ただただ政権の護持と保身のために、全朝鮮人民の願いと要求と民族的誇りを踏みにじって、まさに歴史的・民族的な大裏切りを行ったのである。 拉致問題をどう考えるかここで、いわゆる拉致問題とは何か。拉致問題とは、米日帝と北朝鮮との戦争的対峙・敵対関係の中で発生したものである。この点を抜きにして、「北朝鮮=悪のテロ国家」と決めつけることはまったく間違っている。そもそも日帝は、36年間に及ぶ植民地支配に引き続いて、戦後、とりわけ50年朝鮮戦争以来一貫して南北分断政策をとり続けてきた。その北朝鮮敵視政策のもとで何が行われてきたのか。65年日韓条約で南朝鮮を「唯一の合法政府」と規定する一方で、北朝鮮を国家(分断国家であれ)として承認せず否定してきたのである。 そのことで、在日朝鮮人や日本人の自由往来をいまだに制限している。そして、植民地支配についての謝罪も賠償も北朝鮮および北朝鮮人民に対しては一顧だにすることなく、南朝鮮との関係でも一切終了してきたと開き直っている。また北朝鮮を国家として認めないのだから、「朝鮮」は国籍ではないとして、在日朝鮮人への差別・抑圧の入管体制を正当化してきた。 実際、福田官房長官は「北朝鮮はわが国とまだ国交がないという、言うなれば交戦状態にある」と明言している(9月14日)。そうした戦争的対峙状態の中で、南北分断の戦争重圧を受ける北朝鮮がスターリン主義的反人民的軍事作戦の一環として拉致問題を起こした。日帝の一貫した対北朝鮮敵視政策が拉致問題の今一つの原因なのである。 加えて、日帝の過去の歴史的な国家的大拉致事件について、日帝が認定することも、謝罪も補償も行ってこなかったことを根本的に問題にしなければならない。数百万人の朝鮮人民を強制連行し、炭坑や鉱山に閉じ込め、強制労働させた。また、20万人とも言われる朝鮮女性を日本軍軍隊慰安婦政策のもとでじゅうりんしたことに対する償いも何ひとつ行っていない。また、1923年の関東大震災の際に6000人を超える朝鮮人・中国人を虐殺した歴史の清算も行っていない。戦後の日本では朝鮮中学・高校生徒への集団的暴行事件が繰り返されてきたのである。 北朝鮮によるいわゆる拉致問題をもって、日帝の戦前・戦後をとおしての朝鮮人民に対する植民地主義、民族差別・抑圧の国家的大罪をこの際塗り隠してしまえなどということは断じて許されない。日帝の朝鮮人民への国家的大罪を真に謝罪し償うことが、日本と北朝鮮との戦後的な戦争的対峙を終わらせ、拉致問題の解決につながるのである。 したがってまた、日帝の基本方針である「拉致事件の解決なしに国交正常化なし」論こそが、拉致問題の解決を妨げてきたのである。日帝は拉致問題を人道的に解決しようという態度ではまったくなかった。逆に、拉致問題とその関係者家族の苦しみや悲しみを、帝国主義的に利用して北朝鮮との交渉を有利かつ高圧的に進める道具にしてきたのである。日帝はどうして過去・現在の国家的大罪を速やかに謝罪せず、今に至るも北朝鮮との国交正常化をしてこなかったのか。そうした日帝の態度は、道義性のひとかけらもなく、拉致問題をもてあそぶものである。それなのに北朝鮮を一方的に非難することなどできるのか。そんなことはけっして許されない。 拉致日本人早期救出議員連盟(拉致議連)は、「食糧支援の中止、朝銀信組へのさらなる公的資金投入の中止」や「朝鮮籍の在日の再入国の禁止」などを要求して排外主義を扇動している。現に朝鮮学校などに対する脅迫や襲撃が始まっている。 「テロ国家=北朝鮮を制裁しろ」などという扇動と襲撃は、重大な戦争放火である。断じて許してはならない。「制裁しろ」とは、石原慎太郎が「私が総理だったら、北朝鮮と戦争してでも(拉致された日本人を)取り戻す」(ニューズウイーク6・19号)と言ったのと同じ論理である。8人の死と引き換えに朝鮮人民を何千何万人と殺せと言うのかということである。 第2章 植民地支配への謝罪と賠償の立場が根幹以上のような小泉訪朝―日朝首脳会談の核心問題を階級的視点からしっかりととらえ返しておきたい。(1)第一に、今日の米帝の対イラク攻撃戦計画や「悪の枢軸」論に基づく諸政策、さらには究極的には対中国戦争を基軸とした世界戦争計画といった動きとの関連でこの問題を考えるということである。 第二に、(より直接的な事柄だが)日帝の対朝鮮・アジア・太平洋的な侵略政策、戦争政策にとって今回の訪朝がどのような意味をもっているのかということである。 第三に、これらの動きに対応して帝国主義のおそるべき重圧にさらされる中で、北朝鮮の金正日スターリニスト政権がどのような現実にあり、かつ、その「打開」をどのように図ろうとしているのかということである。 第四に、前記の一切を含めて、われわれは米日帝の朝鮮侵略戦争政策に反対し、朝鮮の民族解放と南北の統一という朝鮮人民の闘いと連帯して断固として闘いぬくということ、そういう立場に立って考えていくということである。 (2)こうした観点に立ってみる時、今回の小泉訪朝―日朝首脳会談の動きを規定している最大の要因は、米帝ブッシュ政権の世界戦争計画の推進、とりわけイラク戦争から対北朝鮮・中国侵略戦争への大きな動きであり、これが北朝鮮への決定的重圧となり、その政治的、経済的、軍事的危機を極点にまで強めているということである。 米帝は北朝鮮・金正日スターリニスト政権に対して「悪の枢軸」論で攻撃をしかけ、@テロ支援問題、Aいわゆる大量破壊兵器(核・化学など)の問題、Bミサイルの発射実験とミサイルの生産と輸出の問題、Cさらには政治体制そのものの変更問題などをめぐって北朝鮮・金正日政権が到底のめないような要求をつきつけて、これに応じなければ軍事的に攻撃し体制を転覆するなどと公言し、おそるべき帝国主義的恫喝を加えている。 これは北朝鮮の経済・政治・社会の危機をギリギリまで激化させている。米帝は基本的にこのような攻撃を加えつつ、しかし同時に当面するイラク戦争という巨大な戦争への集中の必要や、北朝鮮の政権のあまりに急激な倒壊が南北朝鮮全体を大動乱〔帝国主義にとって〕にたたき込むこと、さらには対中国関係がどのように発展するかという大問題が生ずることなどから、さしあたって北朝鮮を自らのコントロールと統制のもとにおくという政策をも同時に遂行している。KEDO(朝鮮半島エネルギー開発機構)の動きはその典型である。 (3)このような米帝の対北朝鮮政策の中で、日帝は米帝のこのような世界政策、とりわけ対北朝鮮・中国の政策展開に基本的に対応し共同するスタンスをとり、その中で日帝としての地理的=歴史的な権益圏(帝国主義的な!)の立場から、日韓体制の構築に全力を挙げるとともに、北朝鮮との関係においてもその帝国主義的侵略的な政策からの接近と介入の策動を強めてきた。 したがって日帝の基本的立場はこの意味で、米帝の「悪の枢軸」論にくみして米帝の対北朝鮮侵略戦争の計画にぴったり密着して進み、共同的=競合的に自らも独自の立場から侵略戦争を遂行するというものである。それは、この間具体的には、一方ではいわゆる拉致問題や不審船問題、ミサイル問題を口実とする有事立法攻撃として展開された。他方では日朝国交正常化交渉の再開への帝国主義的外交政策をとおして、北朝鮮への帝国主義的のりこみ・介入・浸透策動として展開されてきたのである。 本来日帝は、長い植民地支配の歴史からして、真の謝罪と賠償と補償をきちんとしなければならない立場にあるが、実際にはあれこれと言って真の謝罪も賠償と補償もしようとしてこなかったのである。 (4)こうした中で、北朝鮮側にとってこの間の情勢は、分断国家としての国家存亡の危機として一挙に緊迫してきた。いうまでもなく最大の問題は米帝の対北朝鮮攻撃の現実性がかつてなく強まり、94年危機とその回避のような形にはいかない危険が迫ってきたということである。 こうして帝国主義的な大重圧と孤立化政策の中で、スターリニスト金正日政権はそのスターリン主義的本質から世界革命に向かって情勢を打開していく立場、南北の革命的統一によって情勢を打開していく立場はとりえず、北朝鮮経済はほとんど飢餓的破綻(はたん)にひんしている状況である。ヤミ経済が圧倒的となり、典型的な二重経済となっている。最近、物価の大幅値上げと賃金の大幅引き上げを同時に行い、ヤミ経済に追随する経済政策をとったが、なんら根本的な対応策とはなりえていない。 今日の金正日政権にとっては、米帝の戦争重圧=体制倒壊の恐怖の問題とともに、金正日スターリニスト政権そのものへの絶望的意識が人民の間に急速に広まっていくという問題が最大の問題となってきている。 (5)以上の諸要因のからみあいの中で、米帝の北朝鮮攻撃をなんとしても避けるために金正日政権は日朝関係の一定の形成をもって盾としようとし、また日帝への思い切った譲歩をしても日帝からの資金・物資の獲得の道を開き、北朝鮮人民に一定の展望を与えることで体制護持の手段としようとしたのである。 日帝・小泉は、この米帝の重圧下であえぐ金正日政権の危機とそれからくる対日の新たな政策の動きをかぎとり、ハイエナのようにくらいつき、日帝としての対朝鮮政策〔本質的には対北朝鮮(→全朝鮮)への侵略政策〕の推進のテコとしようとしたのである。 日帝・小泉はまた、底なしの経済不況(恐慌の進行)への対応策の行きづまりと、小泉改革なるものがひたすらリストラと大衆収奪の強化でしかないことへの労働者人民の怒りの激化に対して、あわよくば外交上の得点をあげることでしのごうとしたのである。 訪朝によって日帝・小泉が追求したことは、北朝鮮・金正日政権からもぎとれる譲歩は最大限引き出し、日朝国交正常化交渉の〔日帝的〕再開への手がかりを確保しつつ、他方では米帝の動向次第ではたちまち北朝鮮に対して高飛車な諸要求をつきつけて、米帝の戦争開始の口実を補強し、日帝としての戦争協力を合理化する道筋をつけるということであった。 その意味で、日帝・小泉は一面で日朝の交渉関係をつくりだし、朝鮮経済侵略への足掛かりを準備しつつ、他面で北朝鮮への拉致問題や不審船問題への反動的・排外主義的な日本の世論を激高させ続けるといった情勢をつくりだすことを狙っているとさえ言える。 (6)9・17日朝首脳会談の動きは、米帝とそれと連携していこうとする日帝の対イラク戦争から対北朝鮮・中国侵略戦争へのプロセスの中で不可避的に生み出されたものであると同時に、このプロセスの一局面を形成するものであって、それをストップしたり停滞させたりするものではない。 (7)いやそれどころか日帝・小泉のこの動きは米帝の対イラク戦争から対北朝鮮戦争への動きの中で、日帝がこの米帝と協力・共同して参戦していく上で、政治的地ならしの意味さえもっているのである。 第3章 日朝人民の真の連帯と南北統一めざしてこの日朝首脳会談をめぐって革共同の態度は鮮明である。第一に、米帝の「悪の枢軸」論による北朝鮮体制の軍事的転覆は帝国主義的侵略戦争そのものである。これに断固反対して闘いぬくことである。 第二に、日帝がこの米帝の動きと連動して、独自の立場から北朝鮮侵略戦争に参戦していくことを断じて許さないことである。有事立法4法案(武力攻撃事態法案など有事3法案と個人情報保護法案)粉砕闘争をますます強めていこう。 その中で、「北朝鮮はテロ国家だ」「北朝鮮に制裁を加えよ」と叫んで、在日朝鮮人民への排外主義扇動と差別的襲撃・暴行がなされることを、体を張ってでも阻止し、防衛しなければならない。 第三に、日帝は北朝鮮に対して植民地支配および戦後の新植民地主義的政策について、真の謝罪をすべきであること、また賠償と補償を最大限誠実に行うべきことを突きつけていくことである。北朝鮮への一切の新植民地主義侵略策動反対! 日帝〔または日本〕は一切の前提として、謝罪・賠償・補償を最大限の誠意をもって行うべきだ! 第四に、日帝は在日朝鮮人、朝鮮総連の人びとに対する排外主義と差別主義による抑圧攻撃を直ちにやめよということである。 第五に、米・日帝国主義による北朝鮮・金正日政権の体制転覆の合理化などを絶対に許さず、北朝鮮スターリニスト政権の反人民性は北朝鮮人民自身の革命的決起によってこそ解決されるべきものであることを明確にしていくことである。そして米帝・日帝の朝鮮への新植民地主義的支配を打倒し、北朝鮮における人民蜂起と南朝鮮における人民蜂起の合流による朝鮮の南北統一への闘いを断固支持することである。すなわち「闘う朝鮮人民・在日朝鮮人民と連帯して、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の闘いを強力に推進していくことである。 9・17小泉訪朝は、米日帝の朝鮮侵略戦争計画の流れの一環である。日帝・小泉の北朝鮮・中国侵略戦争のための有事3法案を阻止し、個人情報保護法案の言論統制と治安強化の攻撃を粉砕するために今こそ今秋臨時国会決戦に総決起しよう! 排外主義の嵐を打ち破り、闘う朝鮮人民と連帯して闘おう! イラク侵略戦争阻止・有事立法粉砕闘争を大爆発させよう。 |
(れんだいこ評) 「拉致事件」解明に果たした小泉外交に対する態度は鮮明でないが、この騒動を通じて有事法制の導入を危惧している。「日朝宣言」に対しても、「日帝が、米帝の世界戦争計画、その一環としての対北朝鮮戦争政策と一体となって北東アジアの多国間安保協議を進めていくこと、あくまでも米帝と同調しつつ、かつ直接にも米帝の意を受けて、対北朝鮮の政策をまぎれもない戦争政策と位置づけていることを示している」と分析している。 具体的指針として、「米・日帝国主義による北朝鮮・金正日政権の体制転覆の合理化などを絶対に許さず、北朝鮮スターリニスト政権の反人民性は北朝鮮人民自身の革命的決起によってこそ解決されるべきものであることを明確にしていくことである。そして米帝・日帝の朝鮮への新植民地主義的支配を打倒し、北朝鮮における人民蜂起と南朝鮮における人民蜂起の合流による朝鮮の南北統一への闘いを断固支持することである。すなわち「闘う朝鮮人民・在日朝鮮人民と連帯して、日帝のアジア侵略を内乱に転化せよ」の闘いを強力に推進していくことである」を打ち出している。 |
【社会主義労働者党】 機関紙2002年9月22日/第886号 新たな歴史開く日朝“国交回復”犯罪者の金正日は退陣せよ |
日本と北朝鮮国家の初の“首脳会談”が行われ、「国交回復」の展望が開かれた。 もちろんそれはブルジョア国家と、“スターリン主義”国家(専制国家から、ブルジョア的国家に移行し、あるいは変質しつつある国家)どうしの「国交回復」であり、本質的に醜悪なものであるが、しかしそれが両国の労働者階級の接近、交流、友好、共同の闘い等々に道を開き、それらを発展させる限り、我々はそれを歓迎する。 日本の反動派や右翼は、「屈辱外交粉砕」をわめき、あるいは妥協するくらいなら行くな、「拉致問題で、北朝鮮国家が謝罪しないなら、すぐに会談を打ち切って帰って来い」などとわめいたが、しかし北朝鮮の金正日はあっさり北朝鮮国家の罪を認め、日本に謝罪した。もっとも彼は自らの責任も罪もまったく認めず、拉致は一時期、北朝鮮を支配したという「妄動主義、英雄主義」のせいにしてしまったのだが。 金総書記に果たして責任があったのかどうか、そしてもしあったとしたら、どれくらいあったのかは、今の段階では何ともいえない。 しかしこうした拉致問題が、北朝鮮の専制主義国家(スターリン主義国家)の犯罪の一部であり、その意味では、金総書記もまた責任の一端を負わなくてはならないことは余りに明白であろう。 したがって、日本の労働者階級は小泉とは違って、決して金総書記と握手をしたり、馴れあうことはしないで、むしろそういう行為自体を不潔で、許しがたいもの、小泉をもまた金総書記の数々の犯罪行為の共犯者の地位におくものであるとして糾弾するのである。 金総書記は拉致問題で、北朝鮮国家の責任を一応認め、日本に謝罪をした。これは大方の反動派の予想を裏切るものではあったが、しかしそれだけ金総書記も追いつめられていた、と言えなくもない。経済的な困難に加えて、国際的な孤立やアメリカの脅迫から、彼は自らの支配を“安全”にし、守らなくてはならなかったのだ。 金総書記にとっては、拉致事件で日本に謝罪することは大したことではなく、せいぜい一つのリップサービスほどのことにすぎない、他方、日本から巨額の“援助”をせしめることは権力の安定と強化にとって決定的であり、また日本と「国交を回復する」ことは、北朝鮮国家の「安全保障」にとって死活ともいえる重要性と意義をもっているのである。 北朝鮮国家はアメリカによって「ならず者」国家、「テロ」国家の一つに数えあげられたのだが、このレッテルはイラクを見てもわかるように、いつアメリカの強大な軍事力によって攻撃されるかわからない恐怖をも意味するのだ。 だからこそ、北朝鮮は日本との「国交回復」を望むのであり、それによって自国の「安全」に役立てようというのである。 またそれゆえに北朝鮮は、核問題、ミサイル問題でも、日本の言い分を全面的に受け入れ、妥協するし、せざるをえないのである。 今まで、拉致を認めて来なかった北朝鮮国家が、それを認めたばかりか、日本に謝罪をしたのも、多くの困難に直面し、追いつめられている金正日権力の生き残りをかけた“戦略”の一部なのである。 東欧の中のいくつかの“スターリン主義国家”は、同じような困難の中で、劇的に崩壊するか、人民の決起の中で打倒されて行ったが、他方中国はスターリン主義者たちが、自らが一種のブルジョアに転進することで、この運命から差し当たり逃れることができた。 そして金総書記の目指すのも、なし崩し的にスターリン主義国家を解体することであり(もちろん、資本主義を密輸入することによって)、その中で生き残りを図ることである。 北朝鮮国家の今回の“変身”が、どれほど経済的な“新政策”――経済“自由化”政策、資本主義の“導入”政策――と関係しているのか、北朝鮮の“スターリン主義国家”の自由主義化と歩調を合わせているのかを言うことはできないが、決して無関係ではない、ということだけは確言することができるだろう。 その意味で、北朝鮮国家は確実に、中国やベトナム国家の後を追っているのであり、中国と同じような国家に「生まれ変わろう」と胎動し始めているのである。 こうした歴史的な現実的過程なくしては、小泉の北朝鮮訪問は決していくらかでもまともな“成果”をあげることはできなかったであろう。 この点で、「国辱外交反対」、「軟弱外交反対」をわめいた反動派や右翼は、情勢の変化を何も理解していなかったのであり、北朝鮮国家が依然として“頑固な”スターリン主義国家として留まっていると、誤って考えていたのである。 実際には、北朝鮮国家は中国などと同様に、ますますブルジョア的国家として登場しようとしているのである。だからこそ、小泉は金総書記と握手することができ、また金総書記も小泉を大歓迎することができるのである。 しかし小泉と金総書記の握手など、両国労働者にとってはどうでもいいこと、あるいはむしろ嫌悪すべき、醜悪なことであろう、というのは、金総書記は日本の独占資本の政治的代表者を美化し、そうした人間を喜々として歓迎し、もてなすからであり、また小泉は、日本の無垢の青年を平然と“拉致”するような悪徳国家の独裁者と、平気で握手するからである。彼らがそうするのは、それが権力の維持、強化に資すると信じているからであるにすぎない。 労働者が望むものは、こうした支配階級どうしの、ごまかし合いと表裏にある「関係回復」でも、交流でも、馴れ合いでもなく、本当の同志的な友好であり、資本の支配に反対して闘う共同であり、連帯であり、協力である。 |
【社会主義労働者党】機関紙 2002年10月6日/第888号金正日も日本の反動派も同罪 お互いに非難する資格なし
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北朝鮮国家が、日本人拉致問題に関して、「日本人数人の死亡で日本側が度を越した騒動を起こせば、事態は収拾できぬ状況に追い込まれる可能性がある」と、日本に向けて“警告”を行ったため、反動勢力、民族主義勢力は「北朝鮮の高圧的態度を許すな、軟弱外交反対」の大合唱である。 もちろん、「死亡はたった数人だ、日本人は植民地支配などを通じて何十、何百万の朝鮮人に対して、余りにひどいことをしてきた、日本軍に強制連行され、今なお社会の片隅で生きている“慰安婦”がいくらでもいる」と言える資格が、金正日政権にあるとは考えない。というのは、金正日権力のもとで、それこそ、現在何十万人の人々が実際に苦しんでいるからである。 かつて、日本の軍国主義者たちが朝鮮に対して暴虐無道の限りを尽くし、犯罪行為を働いたからといって、金正日の悪事――日本人に対する、そして何よりもまず、北朝鮮の労働者人民に対する――が正当化されたり、なくなったりするわけではない。 我々はかつての日本の軍国主義者の犯罪を糾弾する、そして同時に、金正日権力とその犯罪にも反対するのである。 金正日は、自らの犯罪的権力を正当化するために、かつての日本軍国主義者の犯罪をあげつらうのであって、現在の日本の小泉内閣を非難するのではないが、それこそ大問題である。 ところで、日本のかつての軍国主義者、国家主義者と、現在の自民党の軍国主義者、国家主義者と、いったいどれだけの違いがあるというのか。 金正日がもし本気で、日本の軍国主義者を糾弾し、非難したいのであれば、過去のそれにでなく、現在のそれに対して警告を発し、非難を浴びせるべきであろう。 実際つい最近まで、金正日はそうしていたのだ。しかし今や、自分の都合で、日本の軍国主義者と手を結ぶことになると、まるで手の平をかえしたように、自民党権力や反動どもをちやほやし始めるのである。 そして日本の現在の軍国主義者たちを牽制するために、そのためだけに、日本の軍国主義者の過去の犯罪について語り始めるのだが、しかし日本の現在の軍国主義者たちは、金正日の手のうちを完全に読んでおり、金正日の言い分など鼻先であしらい、聞き流しているだけである。 日本と朝鮮の労働者階級は、日本の軍国主義者も、また北朝鮮のスターリン主義者もともに糾弾するのであって、日本の過去の軍国主義者や小泉内閣が悪いからといって、金正日が悪くないということには決してならない、と断言するのである。 金正日は、日本はたった数人の日本人のことで大騒ぎすべきではない、自分たちは日本によって数千、数万の単位で“拉致”され、事実上殺されたのだ、と言う。しかし問題は、基本的に階級国家の犯罪である。そしてこの犯罪を犯している点では、金正日権力も、かつての日本国家も、そして現代の日本国家も本質的に同じであり、同じ“罪”を犯しているではないか。 だからこそ、日本と朝鮮の労働者階級は、ともに日本の、そして北朝鮮の反動的な支配階級とその国家をこそ糾弾するのであって、それを民族問題にすりかえることに断固として反対するのだ。問題は支配階級とその国家の犯罪にあるのであって、日本と朝鮮の労働者階級・人民にあるのではない。 我々がこのことを強調するのは、今もって、小泉内閣や、金正日権力に幻想を持つ人々が存在するからである。 我々はすでに一九六〇年代以降、北朝鮮国家にどんな幻想も持つべきではないと強調してきた、というのは、この国家は野蛮で反動的な“スターリン主義”の国家、つまり「国家資本主義」の国家であって、どんな信頼にも値しないことは最初から明らかだったからである。 しかし急進派(例えば、赤軍派)や在日朝鮮人の一部は、違ったのだ。彼らは、この反動国家を美化し、擁護してきたのである。 北朝鮮を「基地」にして日本革命を行うのだといった幼稚な幻想を抱いて北朝鮮に渡った赤軍派は、金正日ら“スターリン主義者”の権力維持に利用されただけであり、いまではみじめで、破産した姿をさらけ出しているにすぎない。彼らは自らを正当化する、どんな理屈も失ったのである。 また北朝鮮国家を美化し、金父子を神格化し、「主体思想」(チュチェ思想)はマルクス主義を超える超“科学的な”思想だなどという幻想――実は、ありふれた、しかも粗雑な主観主義哲学――に酔いしれ、ふりまいてきた朝鮮総連のダラ幹たちも、今や自らの破綻をいかにごかまし、覆い隠そうかとてんやわんやである。 彼らは金正日のウソをまに受け、拉致など存在しない、それは日本の反動がでっち上げた虚偽である、と言い続けてきたのである。 しかし金正日があっさり「拉致」を認めてしまい、あにはからんや、実際に虚偽を言い続けてきたのが、朝鮮総連の幹部たちであったということになったのだから、彼らは「立場を失い」、狼狽し、なす術を知らないのである。かくして、赤軍派にせよ、“主体思想”弁護論者にせよ、完全に破綻したのである。 もちろん、かつて北朝鮮を社会党の幹部として訪問したことのある田辺らが、「拉致事件のことは、当時はわからなかった」などと弁解しているのは欺瞞である、というのは、スターリン主義者たちのやり口からして、それは十分にあり得ることは明白で「知らなかった」などということはありえないからである。社共もまた、金父子らの虚言を信じてきた、あるいは信じるふりをしてきたのである。 |
【社会主義労働者党】機関紙 2002年10月13日/第889号社共、社民党と「拉致問題」暴露される反労働者的“外交政策”
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田嶋陽子参院議員が、“恩人”でもある社民党にあいそをつかして離党するという。 そしてそれとともに、社民党の北朝鮮国家との“付き合い”の仕方が問題になっている。 というのは、田嶋が離党の理由の一つとして、社民党がつい最近(十月四日)まで、北朝鮮国家による日本人拉致というのはでっちあげという、“学者”(曲学阿世の徒)の論文をホームページに載せていたことをあげ、社民党の政治的立場を批判したからである。 田嶋が個人主義にこり固まった、うぬぼれ心にたけた、いやらしいインテリであるといったことは、ここでは論じない。 問題は社共(これまでの社会党、共産党)にしろ、社民党にしろ、北朝鮮の権力を握る党、つまり「労働党」に対して、一貫して“友党”として評価し、“付き合って”きたということ、そしてそのことによって、事実上その権力を美化し、北朝鮮の労働者人民に対する言語道断な専制主義と圧政を、不潔な“個人崇拝”を擁護してきたことである。 これはまた、社共や社民党が、ソ連や中国や北朝鮮の国家を「社会主義国家」とみなしてきたことと、不可分であり、表裏一体であった。「社会主義国家」の党が、悪者であるはずはない、というのである。 今、土井は大あわてで、拉致はでっちあげという論文をホームページから削除し、また“拉致被害”を受けた家族にも謝罪した。 土井は北朝鮮の労働党から、「間違ったことを言われ続けた」、などと弁解しているが、もちろんこんな弁解は通用するはずもない。自ら、主体的に評価し、判断することが必要だったのであって、北朝鮮労働党がどう言ったかということなど持ち出すのは、“公党”として情けない限りである。社民党が政党として、全くナンセンスであり、無責任であることを暴露して余りある。 社共も社民党も“伝統的に”、スターリン主義国家を美化してきたが、この立場はすでに、スターリン主義批判の深化、ソ連邦の解体やソ連共産党の解散等々で、その破産がすっかり暴露されてしまったのである。 結局、社共や社民党は、スターリン主義の専制国家、金“王朝”国家を擁護し、正当化するという役割を――犯罪的な役割を――担ってきたのである。 現在、土井らはもっぱら日本人の拉致をしたということで金政権を批判しているが、しかし問題の根底は、この国家が北朝鮮の労働者・人民に対する専制国家であり、抑圧国家である、ということである。単に日本人を拉致したから悪いといった、矮小な問題ではないということが、土井や志位等にはわかっていないのである。 元参議院議員の田英夫は、拉致事件は「まさかという気がしていた」、「かなりまゆつばだと思っていた」と語り、「北朝鮮に行って陰の部分を見ようとしても不可能だ。そういうことにこだわるよりも、イデオロギーの違いを超えて北朝鮮が国際社会の中に入ってくることが大事だ、陰の部分は米国にもある」と開き直っている。 村山元首相とか、辻元清美元社民党政審会長らも同様だ。要するに、拉致事件があっても、「友好関係」をつくることが重要であり、その中で「話合いをしなければいけない」(村山)、あるいは、日本は戦前から北朝鮮に対して、「植民地にして言葉まで奪ってきたが、その補償は何もしていない、そのこととセットにしないで、九人、十人返せといっても、フェアではない」(辻元)などと言ってきたのである。 しかしどんなに弁解を並べても、社共や社民党が、金日成・正日の権力を美化し、擁護してきたという事実は変わらないのである。 日本や米国にも同様な“陰”の部分がいくらでもある、といっても無力だ、というのは、それは日本やアメリカもまた階級国家であり、“秘密警察”に似たものをいくらでも有している(アメリカのCIAを見よ、日本の“公安”や戦前の「特高」を見よ)ということであって、これらの階級国家を、したがってまた北朝鮮の国家を美化していい、その“陰”の部分(?)の犯罪や人民抑圧を正当化し、隠蔽していいということには決してならないからである。 社共や社民党は、ブルジョア国家、階級国家の権力者とどんなに「話し合い」をしても、その権力の本質を変えることはできないし、また労働者相互の本当の友好や接近、共同の闘争の前進を勝ち取っていくこともできない、という真実を自覚しなかったのである(したがって両国の、世界の労働者人民の連帯のためにこそ、一貫して闘うという方向も出てこなかった)、あるいは、中国や北朝鮮の国家は「労働者の国家」であると思い込むことによって、金親子らの反動的な権力者、専制“君主”ら(“偉大な父”や“将軍様”ら)との馴れ合いやいちゃつきを正当化し、擁護してきたのである(それが彼らの政治的な権威づけに役立ったから)。 日本の労働者階級は決して金正日権力との「国交回復」などを美化し、要求するものではない、労働者が願うものは、北朝鮮の労働者、人民との友好であり、接近であり、固い連帯だからである。金権力は、北朝鮮の人民の敵であるばかりか、日本労働者階級の敵でもあるのであって、この立場を一貫して貫くことこそ、真実の国際主義的立場であろう。 北朝鮮国家による「拉致事件」は、社共や社民党が労働者の国際主義とは全く無縁の“セクト的”、独善的な存在であったこと(今も多かれ少なかれ、そうであること)を暴露するという“副産物”をもたらしたである。それはまた、社共や社民党の政治がどんなに労働者階級のそれとは無縁のものであるかを教えてもいるのだ。 |
【社会主義労働者党】機関紙 2002年10月27日/第891号「拉致」と朝鮮人「強制連行」本質的に同じ国家犯罪だ |
産経新聞には「正論」という欄があり、反動陣営の論客が露骨な挑発的発言をする場となっている。 |
(れんだいこ評) |
【日本人民戦線】日本人拉致問題と北朝鮮問題について、率直に思うこと!(日本人民戦線・事務局長・森久) |
宇宙も世界も社会も、森羅万象すべてのものは運動し、変化し、発展し、爆発し、収斂するという科学法則のなかに存在する。北朝鮮問題もまた爆発し、収斂する現代世界の反映である。21世紀は人民戦線と社会主義へ収斂される壮大な世紀である! ともあれ拉致の事実と疑惑の死亡経過が示されるや家族はもちろん多くの国民、マスコミはいっせいにひどい、北朝鮮は犯罪国家だ、許せない、の非難ごうごうとなった、まったく「悲劇」「悲惨」「残酷」であり、とくに家族にとってはいたたまれない。 北朝鮮の拉致事件はいったいなぜおこったのか。事の本質を一言でいえば、現代の「戦争」が生んだ必然の産物であった。これが科学的な正しい認識論である。すべての事件とすべての問題は歴史の刻印が押されている。われわれはいつでもすべての問題に科学思想の光を当てねばならない。 では当時の歴史的事情とは何か。一九五〇年にはじまった朝鮮戦争は一九五三年休戦協定が締結はされたが、韓国と北朝鮮の南北戦争は終わってはいず、拉致事件が集中した一九七八年当時は南北の緊張がもっとも高まり、南北の「体制間競争」(形をかえた戦争)で遅れをとった北朝鮮の焦燥感が顕著となった時代であった。 南の韓国では一九七二年十月、朴政権は全土に非常戒厳令を布告し、「維新憲法」を制定、永久政権の道を開き、七八年七月にはお手盛りの間接選挙で大統領に選出された。そして金大中現大統領がKCIAによって日本の主権を侵しホテルで拉致されたのもちょうどこの頃である(七三年八月)。韓国は一九六五年、日本との国交正常化後、日本の資金を梃子に工業化を推進、一九七三年には重化学工業化(浦項製鉄が完工するなど輸出主導の成長)を成功させ、朴体制の確立とあわせ経済体制の上でもすでに確固たるものを築き上げていた。 七八年当時、北朝鮮はいよいよ危機感を強めていた。この頃、北朝鮮は「一〇〇日戦闘」の真っ只中にあり、すべてを「生産も学習も生活も抗日遊撃隊式に」というスローガンのもとに戦時色を強め、南との臨戦体制に入ったのである。 日本人拉致事件もこの一環であった。九月の日朝首脳会談で金正日総書記が「特殊機関での日本語の学習と人の身分を利用して南に入るため」と拉致目的を自ら公表したとおり、南の諜報と転覆、韓国との戦争に勝つために工作員が人攫いを実行したのである。日本は北朝鮮を植民地にした張本人であり、侵略した国であり、しかも「敵国」たる韓国を支援するいわば許すべからざる国であった。しかも北朝鮮はアメリカの経済封鎖の真っ只中にあり、西側諸国の圧力と包囲網のなかにあった。だから横田めぐみさんのお母さん早紀江さんも拉致事件の根底には戦争があった、という意味のことを言ったし、福田官房長官でさえ一時「戦争継続状態が拉致事件を引き起こした」と発言したのである(家族感情無視だとの批判に引っ込めたが)。 こうした当時の政治情勢、つまりは朝鮮半島の緊張と戦争状態が、拉致事件を生んだのである。何も拉致事件は北朝鮮の専売特許ではない。韓国も「北派工作員」といわれる諜報機関が北の朝鮮人を拉致したり、潜入した工作員が陰に陽に亡命を煽っている。 日本では朝鮮人の「強制連行」の問題がある。現在、拉致問題は平和な時代におこった北朝鮮の犯罪であって合法的な強制連行と一緒にするなとか、強制連行をもって拉致事件を相殺するなとか、当時の朝鮮人は日本人であり、帝国国民はみな徴用されていたのであって、強制連行などというのはおかしいなどなど、の論議が騒がしい。まったくもって科学的な認識論がない。これらの言い分には三つの問題がある。 第一は、はっきり言えば「平和ボケ」である。これらの人びとは自分の身の回りのことしか分らない近視眼的で狭い哀れな人間である。われわれの住んでいるこの世界を目を大きく開いて見てみよ。いろいろな対立と抗争、戦争がいっぱい見えるではないか。宗教戦争、民族戦争、国境紛争、侵略と内乱、暴力とテロ、奇怪な犯罪、これらが姿かたちをかえてわれわれの日本にも反映しているのだ。その一つが拉致事件となったのである。これが分らないのであろうか。 第二は、戦争もまた犯罪である。国家が犯罪を隠すために法律を勝手につくり合法的な形を作って戦争を行うのである。その結果、どれだけ多くのいわれなき国民が戦争の犠牲になったことか。強制連行は合法であり当然である、というのは戦争のなんたるかを知らない右翼的な人びとである。多くの考古学者でさえ戦争は国家が生れてはじめておこったと言っているではないか。縄文時代に戦争はなかったのだ。戦争は国家犯罪である。 第三は、当時朝鮮人は日本人であり、強制連行という批判はお門違いである、という論理はまったく「盗人の論理」である。かてて加えて内地に徴用された朝鮮人の職場は炭鉱やダム建設であったが、内地のものはみな軍隊に徴用された。どちらが危険かといえば戦場に行った内地の若者であった、などというまったく話にならない。彼らは思想的には日本人民ではなく軍国主義ファシズムの擁護者である。 これが拉致問題に対するわれわれの科学的な観点である。 以上みてきたとおり、拉致問題は戦争の一つの形態であり、戦争の産物であり、戦争の道具であり、人道的にみてそれは誠に悲惨であり、残酷である。人類は長い間、この悲惨な戦争をくり返してきたのである。戦争をなくさない限り、拉致問題や世界中で起こっている戦争がもたらす悲惨な事件は終わらない。すべては国家と権力が戦争の法則として作り出すものである。その戦争がまたアメリカによって引き起こされようとしている。アメリカ・イラク戦争である。 戦争は現代社会ではやむことがない。戦争をなくすためにはどうすればよいのか。「戦争は政治の延長である」(クラゼウィッツ)かぎり、その元凶である独占と帝国主義の政治、国家と権力を打倒し、人民による人民のための人民の国家と権力をこの世に樹立し、人間性に満ちたコミュニティ(共同社会)を樹立する以外にない。これが人民戦線の結論である。 北朝鮮にとって拉致問題と核開発は国家の極秘中の極秘であった。それをいとも簡単に九月十七日の日朝首脳会談で小泉首相に拉致の事実を認め、アメリカには十月のはじめ訪朝したケリー国務次官補に高濃縮ウラン施設建設など核兵器開発をあっさり認めたのである。 この背景にあるものは、北朝鮮経済の破綻と国家の事実上の「崩壊」であり、もはや今までどおりではやっていけなくなった結果である。そこで日本とは和解し、国交交渉を行い、韓国が日本の援助を受け、経済を建て直したように、北朝鮮も同じ道を歩む覚悟を決めたのである。また、アメリカには核開発を認め、情を売り、「悪の枢軸」からはずれ、あわよくば経済封鎖から逃れ、新たな米朝関係の中で重油等の膨大なエネルギー支援を得たいと考えたのである。まったくなりふりかまわずである。 北朝鮮は現在、絶対的な物不足、エネルギー不足に陥り、国民生活と産業は停滞状況である。五人の帰国者が友人たちに「夜遅くなると電気が消える時がある」と率直に証言したが、一説では食糧不足から多くの餓死者がでているといわれている。そこで北朝鮮はついにこの七月、抜本的な「経済改革」に乗り出し、今までの配給制を撤廃し、所得格差を容認し、全面的な市場経済に転換したのである。「実利追求」といわれる資本主義的経済政策である。 北朝鮮のこの経済政策は窮余の策であった。新義州に朝鮮の香港、一国二制度の「資本主義地域」を設けたいわゆる経済特区の失敗は北朝鮮の焦りの象徴であり、経済の破綻と国家の「崩壊」を表す典型的事実であった。この北朝鮮の国内事情が拉致問題と核開発を認めることとなったのである。つまり「外交は内政の反映」であった。 これが北朝鮮の偽らざる現状であり、このたびの背景である。 果たして、北朝鮮の思惑どおり、事は運ぶのであろうか。アメリカや日本に頼って、経済は立ち直るのか。社会主義が崩壊し、資本主義的市場経済を採用した国はどうなったのか。ロシアを見よ。東欧を見よ。中国をみよ。インドシナ諸国を見よ。表面は一面華やかだが、みな経済困難と新たな民族対立、政治的不安定にさいなまれている。 北朝鮮も先輩が通ったこの道を進むのか。歴史的事実を見れば分るとおりそれは断末魔を迎えるか、それとも日本やアメリカの言いなりになり、主権を失い、奴隷的な道に入るかであろう。北朝鮮は右に行くか、左に行くか、大きな転換期を迎えており、北朝鮮はどのように収れんと爆発を迎えるのか、今、問題はこのように立てられているのである。 北朝鮮の党と国家のやっていることは社会主義とは無縁のものである。真の社会主義はマルクスとエンゲルスが提起し、レーニン・スターリンが実現したあの社会主義である。このことは内外の著名な知識人や権威ある世界の統計が語っている。 北朝鮮は、一九四八年九月、朝鮮民主主義人民共和国(首相・金日成)として誕生した。これはスターリンのソビエトを中心とする反ファシズム解放戦争としての第二次世界大戦の勝利の結果であった。それだけにブルジョアどもはこの度の拉致事件をとらえ、これが社会主義、共産主義の本質であるかのように攻撃している。素朴で真面目な社会主義者、人民運動の中にさえ腰が引け一種の動揺がおこっている。 われわれは北朝鮮の拉致事件を通じて、社会主義とは何か、社会主義の偉大さについて論じてみることとする。社会主義とは理論的にはマルクスとエンゲルスが提起し、実践的にはレーニンとスターリンが実現したものであり、これをみれば北朝鮮のやっている、その何たるかがわかるであろう。北朝鮮のすべての政策は社会主義とは無縁のものである。 レーニン・スターリンが実現した真の社会主義とは何か、その歴史的事実はつぎのとおりである。 (一)社会主義と共産主義は敗北し、崩壊したのではない。それは前段階の歴史的実験を終わったのである。この実験は成功した。 マルクス主義の理論がいかに正しいかということは一九一七年の十月社会主義革命の成功と勝利という事実によってはっきりと証明している。理論というものは実践によって証明しないかぎり正しいものとは認定しがたい。仏教の教え、キリスト教の教え、イスラム教の教えが本当に正しいのかどうかは、実践、すなわちその教えがどこに実現されたのかという、歴史的事実によらなければ正しいかどうかは証明できない。その点に関しては、あらゆる宗教はどこにもそれは実現できない。にもかかわらずマルクス主義は実現できた。四十年間のソビエト社会主義共和国に実現できた。 (二)レーニンはマルクスの理論を初めてロシアに実現させたことによってマルクス・レーニン主義とよばれるようになった。そのレーニンの社会主義は、一九一八年から一九二二年の五年間にわたる帝国主義列強六カ国による外国干渉軍と六方面からの国内反乱軍との死闘を通じて若い社会主義祖国を守り通した。これは歴史上最大の過酷な闘いと、その勝利として高くたたえられるものであった。 スターリンはレーニンのあとを継いで一九二八年から開始された五カ年計画という経済建設をおしすすめ、一九三〇年代の第二次世界大戦(反ファシズム解放戦争)を勝利に導いた。その勝利を突破口にして、東ヨーロッパの解放、中国革命の勝利、ベトナム革命の勝利など、地球上の四分の一の地域と、世界人口の三分の一という巨大な社会主義圏を組織したのである。 (三)こうしてソビエト社会主義は、日露戦争でアジアの小国日本に敗北したような遅れた農業国を近代工業国家に仕立て上げ、第二次世界大戦の直前では、鉄鋼生産量増加率で世界第一位、総生産力においてはアメリカにつぐ世界第二位、原子力開発と宇宙開発でもアメリカを追い越し、ミグ戦闘機はアメリカ空軍を制圧して朝鮮戦争を停戦に至らしめ、一九八〇年代には完全にアメリカを追い越してすべての面で優位に立つだろうと世界中が注目した。 そして世界中の新聞、雑誌、統計資料がこれをはっきりと認めた。一九八五年版『共同通信社・世界年鑑』でも、アメリカ経済学界の大御所たるジョン・K・ガルブレイスが書いた『資本主義、社会主義、そして共存』という著作のなかでも、具体的数字と共にその優位性が確認された。日本では有名なマルクス主義批判の闘将として、あるいは現天皇の皇太子時代の養育係として皇室とも近かった小泉信三もその著作『マルクスの死後五十年、マルキシズムの理論と実践』(一九三三年版)のなかで、ソ連とその社会主義建設のすばらしさに目をみはりつつ、率直に自分の認識不足を認め、マルクス主義の正しさというよりもスターリンを中心とするソ連指導者の「その人の洞察眼と実行力」をたたえた。 世界の新聞、雑誌、統計資料や、共同通信や、経済学者や、小泉信三のごとき反マルクス主義者までもが、レーニン、スターリンの巨大な社会主義建設の偉業を高くたたえたというこのことのなかに、レーニン、スターリンの社会主義の四十年の勝利があり、真正社会主義の勝利とその正しさがある。 (四)ソ連や東ヨーロッパを崩壊させたのは、フルシチョフの修正主義が党を変質させ、その結果権力が変質し、国家が変色し、こうしてエリツィンのブルジョア革命によって、内部から崩壊したのである。 すでに明らかにしたように、勝利し、前進しつつあった社会主義を崩壊させたものこそ、フルシチョフ、ゴルバチョフ、エリツィンらのブルジョア思想と反革命、資本主義復活をめざす裏切り者たちのしわざだったのである。実際にソ連がおかしくなったのはフルシチョフ以後であり、実際にソ連がアメリカ帝国主義に屈服しはじめたのはフルシチョフのキャンプデービッド(一九五九年)と、キューバ事件(一九六一年)以後であり、ゴルバチョフと、エリツィンはその仕上げであった。レーニン、スターリンの巨大な社会主義建設とその発展が崩れはじめたのはすべてフルシチョフ以後であった。その到達点がエリツィンの独裁政権と内部崩壊と現在のロシアの現状であった。 (五)なぜフルシチョフや、ゴルバチョフや、エリツィンのごとき人物がソ連の内部に生まれたのか。それはマルクスやレーニンが理論的に明確にしてきたところである。つまり、社会主義国家の内部には、旧世界の生き残り組や、旧思想を捨てきれない者たちや、旧支配階級の子孫や、社会主義に移行しきれない落ちこぼれや、国外の資本主義と通ずる裏切り者たちがいくらでも存在しており、常に資本主義の復活をねらっており、世界革命が終了するまではつづく国際独占資本の圧力と攻撃がある。したがってプロレタリアートと社会主義権力は階級闘争の手をゆるめてはならず、油断してはならず、最終的には世界革命が終わるまでは戦闘を継続しなければならない、と主張していた。その心配が現実のものとなったのが、フルシチョフの出現であり、その反スターリン主義であった。しかしこれは歴史科学の法則に照らして避けられないものであり、プロレタリアートと社会主義にとって一つの重大な経験であり、実験であり、教訓であった。このような苦い教訓を学んでこそ、つぎは必ず、気を緩めず、手を抜かず、油断せず、最後まで戦闘をつづけ、インタナショナルを基本的よりどころとしてあくまで世界革命をめざして闘い抜くであろう。そういう意味でわれわれは歴史に感謝し、歴史に敬意を表する。だから再出発なのであり、一からの出直しなのである。 以上、ここに社会主義がある。真の社会主義は誠に偉大である。 レーニン・スターリンの社会主義は経済困難を乗り越えて勝利した。その源泉は社会主義の原則であり、その基本路線であった。今キューバも頑張っているが、さて北朝鮮はどうするのか。レーニン・スターリンの社会主義の基本路線とは何か。 宇宙も大爆発を通じて収斂されてきたが、われわれの社会もまた自然科学と同様、大爆発(戦争)の中から新たな世界へ収斂されようとしている。北朝鮮もやはり爆発と収れん期をむかえている。 北朝鮮の経済は苦しく、のるか、反るかの瀬戸際に立っている。しかしこの経済困難は先にのべたとおり、レーニンの一九一八年代の国内戦に比べたら比べ物にならない。あのときレーニンはどうしたか。戦時共産主義をやったではないか。全世界の労働者と人民に呼びかけたではないか。インタナショナルを結成したではないか。北朝鮮が本当の社会主義の国なら、レーニンと同じ道を進むはずである。レーニンの時代には「土曜労働」が、スターリンの時代には「スタハノフ運動」があった。 今、カリブの小さな国キューバでは、ソ連の崩壊やアメリカの経済封鎖、ハリケーンや自然災害にも負けず、貧しくも心豊かに生きている。とくに首都ハバナでは「都市を耕す」を合言葉に、市民たちはこの十年の間に「都市農業」を成功させ、有機野菜によって食料の一部を除きほぼ自給できるようになったという。イギリスの新聞などは驚き「夢物語か」と書いたほどである。リポートをよせた著者によると、何よりも社会主義の理念であり、コミュニティの労働意欲であり、そのヒューマン・ニーズ、人間らしさ、生きる権利、人間の尊厳であり、すべてを平等にというキューバ民主主義であり、経済封鎖に負けないキューバ人のプライドにあったというのである。これもまた気高い思想であり、偉大な創意であり、立派な人民戦線的理念ではなかろうか(「二百万都市が有機野菜で自給できるわけ―都市農業大国キューバ・リポート」吉田太郎著、築地書館)。 社会主義の理念を守り、党と国家が一つになり、偉大な創意を発揮する限り、如何なる困難も打開できないものはない。果たして北朝鮮は如何に収斂されるのか。レーニン・スターリンの社会主義論これに反すれば断末魔が待っているだけである。仮にアメリカや日本に媚を売り、お金を出してもらって経済を立て直してもそれは尊厳もプライドもない惨めな姿を晒すだけである。 レーニンとスターリンが実際にやり、われわれに残した社会主義の基本路線とは次のとおりである。 社会主義の基本路線 @労働者階級の党、共産党のボリシェビキ的純化であり、党の思想的・政治的統一の保持であり、鉄の団結である(一九二一・三〜第十回党大会決議)。 A思想と政治が人民を支配し、思想と政治が大衆を動員し、この力で経済を支配することの見本としての、戦時共産主義と共産主義的土曜労働である(一九一八−一九二一)。 B「社会主義とはソビエト権力プラス全国の電化である」(一九二〇・十二〜第八回全ロシアソビエト大会)とレーニンの思想(プロレタリア独裁を離さず、国の重工業と機械化、近代化、科学技術の向上)の実現。 Cネップ(一九二一・三〜第十回大会)の正しい思想的掌握(農業の集団化、中小商工業の社会主義化に関しては強制ではなく、実験と教育を通じて着実におしすすめること)である。 Dインタナショナルの創設(一九一九・三)であり、国際主義を離さず、全世界的規模での階級闘争と革命運動を前進させよ。国際資本との闘いぬきに一国の社会主義建設は不可能である。 E社会主義とは計画経済であり(一九二八−一九三三〜第一次五カ年計画)、これを通じて重工業を核として、農業と商業、運輸と交通通信分野に機械化と近代化をはかり、国の工業化をはかることである(一九二九・四〜第十六回党会議でのスターリンの演説)。 F社会主義建設は新しい形の階級闘争、政治闘争であり、その推進力は大衆の思想的・政治的運動であり、闘いであり、その典型はスタハノフ運動である。これこそ資本主義における奴隷的競争ではない真の社会主義的競争である(一九三五年・十一〜第一回スタハノフ運動全国大会でのスターリンの演説)。 G最後はカードル(幹部と活動家)が決定する。ロシア的革命精神と、アメリカ的実務主義の結合にもとづく、技術的能力の高いカードル配置こそがすべてを決定するのである (一九三五年・五〜赤軍大学卒業式におけるスターリンの演説)。 以上。これがレーニン・スターリンの真正社会主義の四十年間の成果を生み出した基本路線であった。 結語・決意にかえて 〜歴史は止揚される〜 最後に私が一言述べておきたいのは「スターリン問題」についてである。この問題は社会主義を語る時、避けて通れない問題になっている。 偉大な社会主義に亀裂が入り、多くの人びとが社会主義に幻滅を感じ出したのは、先に私が五項目にわたって述べたとおり、フルシチョフのスターリン批判からである。それまでスターリンを信じ、社会主義を信奉していた多くの人びとは、これに愕然とし、希望を失った。スターリン時代にはスターリンを称えていた同じ人間が今度は手のひらを返し、スターリンはとんでもない大悪人だったと言い出したのである。こういう不埒な人間をわれわれは信じてよいのか。「自分の正当性を主張するために先代を悪く言う」こういうたぐいの人間をよく耳にするが、人間としはクズである。 たしかにスターリンにもやり方、方法の上で、考える点はあったかも知れない。しかしそれを言うなら誰にでも当てはまることであり、それはまた今だから言える話であって当時の情勢と条件のもとでは精一杯の仕事であり、決断であった。われわれ一人一人の過去を振り返ってみても成功と失敗談に彩られた歴史だし、そもそもスターリンを批判するあなた自身にとっても同じ事であろう。みな昔はいろいろ勉強して成長したのだ。自分にはこの法則が当てはまるが、スターリンは別だなどというのは、まったく合点が行かない。 仮に、不十分やその人間に足りないことがあったとすれば、それは当然のこととして後を引き継ぐわれわれ後継者が、われわれ自身の問題として、克服すべきものではないだろうか。この世の物事はすべてこうして発展するのだ。 これが「歴史は止揚される」という意味ではなかろうか。 ここにわれわれの歴史観があり、先輩に対する後輩の態度があり、後継者としてのわれわれの決意がある。 (おわり) |
(れんだいこ評) |
(私論.私見)