449―1 拉致事件考


(急遽サイト化したので不十分ではありますが) 
拉致事件謝罪の背景にあるものについて】
 北朝鮮国家の「拉致(殺害)犯罪」は、1977年から83年に発生した。この経緯は隠され、真偽不明のまま憶測を呼び続けてきた。2002年、小泉首相の訪朝による首脳会談の席上拉致事件の真相が明らかにされ、金正日総書記が詫びるという歴史的事件が起った。以来、国内では拉致事件問題が沸き立ち、関係者の早期帰国問題で揺れている。事件は未だ解決せず、「不幸な歴史的事件」となつている。 

 「2002年の日朝首脳会談席上での、金正日主席による拉致事件謝罪」は、これまで拉致事件不存在説を執っていた社民党を始め親北朝鮮派の面々の不明を恥じさせることになり、その余韻は今も続いている。我等の日共は例のお口で、「我々は拉致事件の解明を他のどの党よりも早く取り上げ、粉骨砕身してきたところである」的な180度逆口上を発し、却って顰蹙を買っている。このところのあり得ない「選挙の勝利総括」と並んでほとんど病気の世界と云える。

 それはそうと、拉致事件につき、日本左派運動はこれをどう受け止め総括すべきだろうか。れんだいこ見解はまだ固まらないが、次第に観点が確立しつつありここに披瀝してみる。


 一つは、国家の最高責任者が外交交渉の場で公的に謝罪するということの重みについて考えねば為らぬであろう。我が国の政界、マスコミ、口コミレベルで問題にされていないように見えるが、極めて異例であることを知るべきであろう。ちなみに国際諜報戦、謀略戦には数知れない例があるが、そのことを詫びた国家が史上あるだろうか。それを思えば、こたびの金正日・北朝鮮総書記の謝罪の凄みを知るべきだろう。その背景に何があるのかまでは分からない。どういう心情によってかも分からない。判明するのは、突如為された国家謝罪であったという史実である。

 それと引き換えに目論まれたのが経済援助であるとされているが、れんだいこはそうは思わない。それもあるだろうが、むしろ何としてでもこの期に国交正常化を為し遂げ、今後生起する日本混乱の際の足掛かりを築いておこうとする国家戦略なのではなかろうか。そう思いやらなければ不自然な気がする。

 一つは、拉致事件考とは別になるが共同声明調印の重みについても考究されねばならぬだろう。今後小泉首相がどのように対応するか断定できないが、国家の時の最高責任者が共同声明に調印し、その内容につきこれを反故(ほご)して何ら痛痒を感じなくて済まされるとするなら、もはや日本外交はていを為さない。この種論議が弱いのは、破産国家日本を象徴する例だろう。

 もう一つは、次章で検討する。

 2002.11日 れんだいこ拝


【拉致事件で何が問われているのか】
 拉致事件は、北朝鮮の革命主義から生まれた政策であった、とされた。この弁が金正日・北朝鮮総書記の責任を免責している点で如何にまやかしであろうとも、こたびの反省は、「革命主義が、市民生活及び国家主権に対する配慮をどのようにどの程度せねばならぬのかの問題」として屹立しているのでは無かろうか。このセンテンスでは、史上の赤色テロルも、党内粛清も、爆弾テロも、街頭デモによる騒乱も、バリストも、足止めストも同様な観点から責められるべきではなかろうか。

 れんだいこは残念ながら、この種の事案に対する左派戦線からの真摯な議論例を知らない。マルクス・エンゲルスの「共産党宣言」以来からこのかた今日まで、左派が運動圏の中に指針ともなるべき範例づくりに勤しんだ例を知らない。手かせ足かせを講ずることを意図させて論じようというのでは無い。運動の更なる発展を目指す方向においてその限りにおける何らかの規律が必要ではないのか、という思いから発信している。これを十全に為そうとすれば、そろそろ我々は自主的自律的に「抵抗権、革命権を廻っての革命法廷」とも云うべきものを作り出さねばならぬのでは無かろうか。

 ところで、拉致事件の特異性はむしろ穏和性にあるように思われる。拉致の目的は、その真の意味は分からないが、拉致被害者を北朝鮮的革命論の手足となるよう教育すると云うところに眼目があったようで、これに応じた場合関係者は一般国民以上の待遇を受けていることが判明している。ところが実際には、拉致の際の不手際で被害者を死亡させることもあり、不要な者も又用済みとして処分され、あるいは教育に失敗した場合も処分されているようで、あるいは何らかのご都合時に処分されているようで何ら正当化されるものでは無い。

 こうした性格を持つ拉致事件を如何に考察すべきか。当然「革命法廷」に委ねるべきであろうが、次のような諸命題が横たわっているように見える。一つに、目的は手段を正当化するか、という古典的命題が横たわっている。一つに、北朝鮮と日本の場合、北朝鮮には戦前の被害者意識があり、そういう歴史的復讐権のようなものがこたびの拉致事件を正当化したり免責しえるかと云う命題が横たわっている。

 一つは、戦後の国際秩序下にあって、互いが国家主権をどこまで尊重せねばならぬのか、互いにその蹂躙がどの程度までなら許されるのかと云う命題が横たわっている。もう一つは、目下の中共が識別しているように時の支配層(軍国主義者)と民衆との相違を踏まえ、被害国は加害国の民衆にまでその責任を追及するには及ばない、あるいはその手加減の差を作るべしという公理を確立することが出来るのか出来ないのか、と云う命題が横たわっている。

 日朝間には未だに国交回復が為されていないという「近くて遠い」珍妙な関係があり、故に上述の命題は純粋系で横たわっている。日本左派運動は、これらの命題に賢明なる頭脳を集積させて理論的解明をせねばならない。これが拉致事件が背負っている課題なのでは無かろうか。

 かく命題を設定すれば、決して他人事ではない国内事案にも通用する問題であることが判明する。これまで我々が経験してきた同志粛清事件、党派間ゲバルト事件、査問事件等々も同様に考察し直されねばならないのでは無かろうか。我が日本左派運動にはこれを解く能力があるだろうか。

 もう一つ検討されねばならないことは、北朝鮮の国家統治システムの不全性だろう。これについては今後の研究課題とする。項目的に打ち出せば、建国革命途上での機関運営主義、その民主主義体制の確保の失敗が一つ。経済闘争における失敗が二つ目。国際関係上での同盟国ないし政党及び大衆団体との支持基盤の育成の失敗が三つ目であろう。残念ながら、「西欧的ブルジョア民主主義」を形式主義であると非難しながらそれより数等倍劣悪な王朝体制しか生み出せなかった。しかし、これは批判されるべきというよりなしてそうなったのかの考察に向かうべきではなかろうか。

 2002.11.1日れんだいこ拝


8日付け東京新聞夕刊コラムより
 11.8日付け東京新聞コラム「けいざい潮流、革新政党への不安」は次のように記している。「北朝鮮による拉致事件は、政治経済体制のあり方について重大な示唆を投げかけている。これまで最多時で16あった社会主義国は、@・独裁政治、A・思想言論の統制、B・官僚制肥大化、C・個人崇拝、D・人命軽視、E・計画経済の破綻、といった点で共通していた。例外はほとんどない。(中略)現在なお、わが国には社会主義をめざす政党が二つあるが両政党の指導者は、社会主義の欠点を日本だけは回避できる自信があるだろうか。先進社会主義国に共通した欠陥はあくまで“例外”でわが国だけは大丈夫と強弁するのだろうか。そこのところがあまりにも不明確で、国民は、これ以上“革新政党”への支持・支援に踏み切れないでいるのだ。革新政党のリーダー達は、国民に対しこのあたりの事情についての見解を明示すべきだろう。(後略)」。


「二度目の拉致」に思う れんだいこ 2002/10/25
 10・25日の報道によると、「政府が24日、一時帰国中の被害者5人を北朝鮮に戻さないことを正式決定」したとある。つまり、「本人の意思」が無視され、国家により永住帰国化させられたことになる。れんだいこが思うに、「本人の意思の真意」がこの辺りにあるのならともかく、このままでは「二度目の拉致」になるのではなかろうか。普通なら、この種の事案の場合、日朝両国が「本人の意思」を最優先して対処して然るべきであろう。それで障害が生まれるとは思えない。見えてくるのは、拉致被害者の翻弄される姿ばかりである。

 このことは何を意味するのか。29日に再開する日朝正常化交渉の様子を見てみないと分からないが、要するに、交渉の進展を望まない日米支配層の強い意向で横槍が入っているということだろう。福田・安倍ラインがこれを取り仕切り、小泉はんはテレビ映りで見る限り既にボォッとしているようで、能力が追いついていない様子だ。それにしても、このところの日本の首相のレベル足るやおとろしいほど貧相だ。つまり国家機構が既にそうなっているのでは無かろうか。

 毎日新聞ネットでは「家族の帰国をめぐる交渉は『一触即発』の危うさをはらんでいる」とある。しかし考えても見よう。弾みで調印したとはいえ、小泉はんが国家意思として署名した共同声明の重みはどうなるのだろう。これをそう見なさず、日米の結託した意思の反映として調印したと見る向きも有るが、れんだいこはその見解は執らない。あれは小泉はんの奇妙な情動が調印させたのであり、もっか米側が福田・安倍ラインを使ってその火消し工作に着手していると見るべきだろう。

 ところで、共同声明なぞ無視すればよい、あれは間違いだったで済ませられるというのでは、政治に信が無くなり如何にも軽くなったことを意味する。後日判明するだろうが戦後外交最大の不祥事となることが疑いないところで、今後の日本外交に決して良い事にはならないだろう。この辺り外務省見解を聞きたいところだ。

 しかし、我らが右派勢力とその論調は小泉はんの責任を問うでもなく新対応に追随しつつある。この没論理が可笑しいや。今の日本にはお似合いだから諸外国は嘲笑で優しく迎えてくれるのかも知れないな、おめでたいですな。

拉致事件再考 れんだいこ 2002/10/27
 田川氏の「戦後日本革命運動史1」を読み進めておりますが、資料的に貴重なものが盛りだくさんです。戦後の日本と朝鮮の動きが並行的に記録されており為になります。思えば、拉致事件も、こうした歴史の中で読み取らねばならないのかも知れません。

 戦前の日本軍国主義の行為との相殺論よりも、「我が党はかねてよりこの種の事件の解明を云っていた、いや云うのが弱かった、そんなことはない取り組みはしなかったけど玉虫色だけどいろいろ饒舌していた」論よりも、ヤルタ体制以降翻弄され続けてきている朝鮮史の流れで位置付けるほうが望まれているのではないでせうか。

 日・韓・朝はそれぞれのお国柄に相応しい歩みをしておりますが、微妙に連動しており、この相互関係総体としての認識の上で拉致事件も俎上に乗せられないといけないのではないか、と思います。このスタンスを獲得しつつ、批判は手加減不要で根限りしないといけないと思います。それらを踏まえた上で問題は今後の舵取りにあると思います。

 拉致事件の被害者はそうした歴史の綾の中で直接的に翻弄された当事者です。人道的に扱われるべきことを北朝鮮にも日本政府にも主張し得る絶対根拠を持っているように思います。今後の身の振り方を含めて両国が国の面目において配慮せねばならない責任があると思います。生活権、子供の問題、夫婦の問題において叡智を寄せて解決せねばならないと思います。それを為すのが政治だと思います。

 聞くところによると、こたびの渡航・滞在費についても日本政府の対応はかなりシビアらしい。お上の腐敗は見逃して和気藹々で、こう云うときには厳格になるという習性をこたびも発揮しているらしい。その癖、再出国させないと云う。そういうからには、どういう待遇が為されているのか、為され続けるのか、こういう関心が誰にでも湧くところです。安倍はんから聞いてみたいところです。

 マスコミは情宣活動ばかりせず、こうした普通の疑問をも取り上げるべきではないでせうか。既に口コミ世界では我が身に引き換えた時のこういうところに関心が移っているように思います。

返信 日朝交渉決裂について れんだいこ メール URL 2002/10/31 11:03
 日朝交渉は案の定決裂しました。日本側代表団(団長・鈴木勝也大使)のこたびの交渉振りなら、どっかそこらの北方領土返せ論をぶっている者に机叩いて貰った方が手っ取り早かった。ブッシュの意向から一歩も出られないのなら、そも共同宣言なぞ署名せねば良いのだ。

 これだけ衆人環視と関心の中にあるのだから、帰国者5名が一旦戻って家族会議開いて対応するという流れでどこがおかしいのだろう。帰国者5名が再入国できないなどとなったら一挙にきな臭くなるだろう。それを思えば、帰国者5名が我が政府により拉致されねばならない理屈は無かろう。

 核の持ち出しもアメリカ仕込みの流れだ。要するに先走って日朝交渉させないというシナリオだろうが、我等が新聞は結構なことで筋書き通りに囃し立ててらぁ。


【「拉致事件」を各派はどう読み取ろうとしているか】
 これも興味ある分析である。以下、資料を集めておき頃合にやって見ようと思う。恐らく、各派の主張にはらしき特徴が出ており、それでいて相互に検証が為されない云いっぱなしの世界が待ち受けている。れんだいこは思う。資本主義諸国の指導者は緊急課題に応じてサミットを開く。それが資本主義国の悪性だと見なすのではなく、左派戦線もそういうサミットを開いて種々検討しあうべきではないのか。これが出来る出来ないで、大人と子供ぐらいの違いがあるのでは無いのか。さすれば、「拉致事件」のような失態、「そのお詫び」の失態を防げていたのでは無かろうか。

 2002.11.1日れんだいこ拝


【お調子もんが「拉致事件お詫び」後、如何なる合唱を始めているか】
 これもタイトル通りで、傾向分析しておきたい。れんだいこが求める苦悩を経由せずに手の平返して北朝鮮体制の攻撃にで、それを誰よりも激しくやることで評価を得ようなどと魂胆を見せるのは軽薄過ぎよう。そういう手合は、風向き変われば又変わる。そう云えば戦前の教師がそうだったらしい。戦時中は「鬼畜米英」を唱え、戦後になると「さぁこれからは民主主義だ」と変身し、頃合になるや「大国的国際責任を果たさねば為らない」などとのたまう器用人が要るが、要するに時代の風向きに合わせていつも調法にお口をパクパクさせているだけだろう。

 注意を要するのは、日共系のご都合主義者が、そのご都合主義ゆえに拉致事件に対して声高な批判を強めている様子があることである。この連中は、行き着くところ北方領土問題でも四島返還なぞいじましいとして全千島列島叶うなら樺太辺りまでの返還を云い出し始めるだろう。そして気づいてみたら、本性丸出しで右翼愛国主義者もたじろぐなお突出した排外主義の先頭に立っていることだろう。これ、れんだいこが予見しておく。

 
2002.11.1日れんだいこ拝





(私論.私見)