449―115 拉致事件不存在説の破綻考

 (最新見直し2006.3.29日)

【宮顕―不破系日共党中央の弁明の欺瞞性について】
 「2002年日朝首脳会談による拉致事件の存在確認と謝罪事件」の余波は案外と深刻なのではなかろうか。特段に指摘されていないが、これは日本左派運動の歴史観総体に対する見直し要請という契機を衝撃的に示唆しているように思われて仕方ない。

 これは、手前味噌であるがれんだいこならでは見えて来ることであるかも知れない。爾来、れんだいこは、宮顕論で「獄中非転向唯一タフガイ人士」という虚構を打ち破ってきた。当然、その流れで野坂の胡散臭さも早くより確認できた。そういう観点から、むしろ徳球指導部の方が正統であるとする判断が為し得るようになり、目下の日共は1955年の六全協以来、異分子達によって乗っ取られ今日まで経過している変調事態の只中にあるということを見抜くことができ、これを指摘し続けてきた。未だ耳目が開かれていないが、必ずれんだいこ論の正当性が認められることになるであろう。

 ここでれんだいこが言及したいことは、そうした変調指導部の理論により歴史観がかなりに歪められ、史実もまた平気でご都合主義風に捻じ曲げられあるいは詐術され今日まで至っているということに関してである。日共を批判し否定したところから党が始まったいわゆる新左翼系もその皮相的対立はあるものの、内実的な理論ないし歴史観についてはかなり近似しておりつまりは汚染され続けている。この隘路から抜け出る視点を確立しつつあったのは、れんだいこが知る限り「よど号系赤軍派」のリーダー田宮氏であったが、彼は不慮か事故か他殺か不明であるが今はこの世にいない。

 こたびの「北朝鮮による拉致事件の不存在」説は旧社会党系が最後まで維持した観点となり、日共は「早くより拉致事件の存在を確認し、逸早く対策を要請していた」と云い抜けを図ったが、何と言おうとも、仮に「北朝鮮による拉致事件の存在確認」説に立っていたとするのなら、誰有ろう日共こそは北朝鮮労働党との交渉を毅然として行うべき歴史的責務を有していたはずである。

 なぜなら、共産党という党名がそれを必然とさせるから。日本共産党と北朝鮮共産党、後の労働党は両党とも同一理論を戴くマルクス主義的結社として始発しており、そういう関係から兄弟党として関係し有ってきた間柄である。このことを否定する者がいたとしたら、詐欺師というより厚顔無恥の鉄面皮な白切り人であろう。つまり、北朝鮮労働党の行為は、国内の他の政党とは全く違う意味合いで日共に関係してくるという重みがある。

 では、なぜ、「北朝鮮による拉致事件の存在確認」説に立っていた」と云う日共が、兄弟党としての当然の歴史的責務行為を為しえなかったのか。ここが本サイトの考察課題である。現下党中央の云う通りとするなら、まさに臭いものに蓋式に奔走してきていたのではないのか。それはなぜなのか。その一つに、宮顕―不破指導部が構築してきた「友党間の相互不検証、内政不干渉理論」に金縛りされているからではないのか。批判すればされ返される。それを好まない反革命的和合運動に没しているからではないのか。

 こういう事態が続くのは、恐らく、本来の意味での仕事師がいない故ではなかろうか。当り障りの良いはたまた選挙票受けになるようなことには執心するが、大局的見地からの見直しや相互批判の自由・自主・自律的な友党関係の構築に対して背を向け、互いの指導部の温存的配慮にのみ汲々としてきているからではないのか。

 れんだいこが思うに、日本左派運動はそういう目先対応に終始しており、本来解決しておくべき課題に対して何とまぁ背を向け続けて来ていることか。理論も歴史観も、新左翼まで含めいわゆる日本左派運動は相当薄っぺらな見解に立ったまま経過してきているのではなかろうか。例えば歴史観一つが、戦前戦後に流れている歴史のベクトルに対して、軽薄すぎる図式的な公式主義的な観念を振り回しているだけで、それらの理論を支える具体的検証をほぼ欠いたままご都合主義風に繰り返しているに過ぎない安逸さを態度としてきているのでは無かろうか。

 その上で、そういう観点のものでしかない虚説を我らが日本左派運動は金科玉条としてきた。であるがゆえに日本左派運動は議論を避けざるを得ない。そういう体質を深めつつ、日共はより体制内化式への没化と野合により「現実」政党化しつつ、新左翼系はそうした日共の体制内化運動を批判しつつ虚説を単により強く振り回すことで左派を証してきた。れんだいこに云わせれば、錯覚のままの虚構の競い合いを手掛けて来たに過ぎない。

 何を念頭に置いているのかというと、戦前の軍部の侵略史観然り、その虐殺事件然り、党員間査問リンチ事件然り、戦後の進駐軍規定然り、冷戦構造論然り、自立か従属か論争然り、戦後民主主義の擁護にせよ批判にせよ不整合な運動論然り、昨今の体制内化論理然り。文化大革命の評価も、不破の人民的議会主義論のマヌーバー性も、党派間テロル問題も同志テロル問題も、ソ連邦の崩壊もその余波も、市場性社会主義論も。他にもいくらでも見出せるが、これら重要事項につきほとんど議論らしい議論さえ為されていないのは偶然だろうか。

 それともそれほど低能ということだろうか。案外これが真相かも知れぬ。知識量は注ぎ込むが皆目智恵を生み出さない。労働者大衆向け教本からますます遠ざかり、しかめつらでしか読めない難渋理論と文体をもって悦に入る。申し訳ないが、どうかマルクス主義でのその作法だけはやめてくれ。

 「北朝鮮による拉致事件の不存在」説の破綻は、単にこれに止まらず、日本左派運動が常識としてきたこれまでの観点の数々が虚説ないしは軽薄理解に基づいていたことを明らかにし始める契機になるのではなかろうか。そんな気がしてならない。それは何も、日本左派運動の苦境を意味するのでは無い。上述した軽薄すぎる図式的な公式主義的なご都合主義的な歴史観を破綻させるだけであるに過ぎない。もとよりそれに強く依拠していた猿回し的曲芸師達をより強く浮き彫りにさせることにはなろうが。

 れんだいこが主張したいことは、日本左派運動はこたびのような責任逃れで罪をなすくりあいするような痴態から一刻も早く逃げ出すべく、今からでも遅くは無いこれまで常識としてきていた諸観点の再精査に向かわねばならないということである。理論と検証を軽視するところからは良い運動は生まれない、このことを銘記すべきである。これはれんだいこよりする老婆心的な提言である。

 2003.1.5日 れんだいこ拝


【社民党系の拉致事件不存在説の破綻について】
 社民党の「月刊社会民主」の7月号は、社会科学研究所・日韓分析編集・北川広和氏の「食糧援助拒否する日本政府」を掲載している。この内容は、4.25日のワシントンでの日米首脳会談で、クリントン大統領が人道的な見地から北朝鮮に食糧支援するよう橋本首相に協力を要請し、これに対し橋本首相が、拉致疑惑事件などをあげて慎重な姿勢を示したことについて批判したものである。「人道支援に人道問題をぶつけてこれをつぶす行為は、非人道といわざるをえないが、アメリカ大統領の要請を日本の首相が明確に拒否するのはきわめて異例である。なぜ日本政府はそこまでして食糧支援を拒むのか」と疑問を提起している。

 この背景には、クリントン大統領の下での米韓両国と北朝鮮との関係改善がある。次のように進展していた。1996.2.19日、米国務省は世界食糧計画(WEP)を通じて北朝鮮に1000万ドルの食糧援助を実施すると発表した。翌20日、韓国政府も同様に600万ドル支援すると発表した。3.5日、米韓両国が提起した四者(米・韓・中・朝)協議開催のための合同説明会が、中国を除く三国によってニューヨークで開かれた。説明会では北朝鮮が米韓両国の説明を聞いたうえで、後日、回答すると表明した。これに続いて、3.7日には米朝準高官協議が同じくニューヨークで開かれた。協議の結果、1・連絡事務所の設置問題、2・北朝鮮のミサイル開発・輸出問題、3・朝鮮戦争時の行方不明米兵(MIA)問題などについて継続して話し合うことで合意した。3.31日、韓国統一院は北朝鮮に対する民間レベルの支援品目にコメも認めるとの規制緩和措置を発表した。4.1日、大韓赤十字社は北朝鮮に対する第14次支援としてジャガイモなど10億ウォン相当を送ると発表した。4.3日、米政府当局者は、アメリカの民間航空機の北朝鮮領空通過を認める方向であることを明らかにした。4.7日、穀物メジャー、カーギル社は北朝鮮との食糧輸出交渉が合意に達し、近く小麦2万トンを船積みすると発表した。米政府は50万トンまで輸出を許可するとしている。4.15日、米政府は新たに1500万ドル分の穀物を食糧支援すると発表した。翌4.16日、米韓両国と北朝鮮はニューヨークで準高官協議を再開した。5.3日、南北赤十字会談が北京市内のホテルで開かれた。1992.8月以来、4年9カ月ぶりのことである。同会談は5.5日に再び開かれた。食糧支援問題では最終合意に至らなかったが、対話の継続では合意した。5.4日、ニューヨークでMIAの遺骨捜索・返還を巡る交渉が行われた。このように、食糧支援の実施や四者会談のための準備協議にとどまらず、米朝間、南北間に積極的な対話・交流が生まれている。

 この間、アメリカは、日本政府に対して同様の行動を取るよう促していた。「アメリカは日本に対して再三再四、北朝鮮に食糧支援するよう求めた。クリントン大統領だけではない。2.23日、来日したオルブライト米国務長官は池田外相に食糧支援への参加を要請した。また、3.29日には訪朝したスティーブンズ米上院歳出委員長ら上院議員一行がわざわざ横田基地で記者会見し、『国際社会が食糧を追加援助することが不可欠だ』と訴えた。4.8日、訪朝したホール米下院議員が都内の米大使館で、北朝鮮への食糧支援を呼びかけた」。

 しかし、日本政府はこうしたアメリカの要請を拒否しつづけた。その理由が拉致疑惑事件であった。異例なほどに米国の要請を断りつづける理由となっている拉致疑惑事件とはどのようなものであろうか。筆者は、次のように分析している。

 概要「拉致疑惑情報は、韓国の国家安全企画部(安企部)によってもたらされた情報に依拠している。5.1日、警察庁の伊達警備局長が『これまでの捜査を総合的に判断した結果、拉致の疑いがある』との公式見解を初めて明らかにしたが、日本政府は未だ北朝鮮犯行説を裏づける具体的な証拠を示していない。

 3.13日付産経新聞は、一面トップで安企部情報による北朝鮮の元工作員・安明進の告発を掲載したが、その証言内容には不自然な点がある。「産経新聞に掲載された工作員の証言を検討すると、拉致の事実がはっきりするのではなく、拉致疑惑事件が安企部の脚本、産経の脚色によるデッチあげ事件との疑惑が浮かび上がる」。

 1987年の大韓航空機爆破事件の際に、犯人とされる金賢姫が「自分は北朝鮮の工作員で、日本から拉致されてきた女性、李恩恵から日本語を習った」と語り、北朝鮮にこうした日本人の存在が窺わせられることになった。これについても次のように疑惑している。

 「しかし、これは荒唐無稽というほかない。見ず知らずの日本人を連れてきて、日本語教育係に育てあげることができるのか。その前にまず朝鮮語を教えなければならないという手間がかかる。しかも、北朝鮮には多くの日本からの帰国者がいて、わざわざ危険を犯して拉致する必要などない」。

 返す刀で、拉致疑惑事件についても次のように疑惑している。
 「拉致疑惑事件は、李恩恵事件の撒を踏まないようにつくりあげられたまったく新しい事件なのである」。

 「20年前に少女が行方不明となったのは、紛れもない事実である。しかし、それが北朝鮮の犯行とする少女拉致疑惑事件は新しく創作された事件というほかない。証拠は何一つない事件、本当にいるかはっきりしない元工作員の又聞き証言だけが根拠となっている事件、その証言内容も矛盾だらけの事件、そして新しい意味付与がなされている事件、それが拉致疑惑事件の実態である。拉致疑惑事件は、日本政府に北朝鮮への食糧支援をさせないことを狙いとして、最近になって考え出され発表された事件なのである」。

(私論.私見)北川氏の「拉致事件不存在説」について

北川氏の「拉致事件不存在説」について れんだいこ 2003/10/17
 社会科学研究所・日韓分析編集・北川広和氏の「食糧援助拒否する日本政府」見解が、社民党の公式のそれかどうかは断定できない。しかし、党の機関紙に掲載されている以上、北川氏的「拉致事件不存在説」が党の見解に近いものであったことは容易に推測できる。さて、これをどう評価すべきか。ここが問われている。

 れんだいこは、北川氏の「拉致事件不存在説」の破綻を確認する。しかし、このことは北川氏の不明を満天下に晒したが、半面貴重な見解表明であったと評価する。どういうことかというと、日共のように「拉致事件存在説」と「不存在説」の両股にまたがりながら、風向き次第で調法な弁明をし一向に焦点が定まらなかった非に対し、むしろ何とも小気味良いではないか。

 その考察が間違っていたとしたら自己批判すれば良い。認識とはこのようにして糾されていく。これに対し、調法な弁明をしている者には自己批判の機会は永遠に訪れない。果たして、それがそんなに自慢なことであろうか。

 北川氏が反省すべきは、社会主義圏の擁護という観点からであろうが、北朝鮮のある種隘路に陥っている体制の批判抜きに北朝鮮政府の弁明を信じ過ぎたことにあるように思われる。事態はそう単純ではない。情報に対しては、非イデオロギー的な冷静沈着な分析が必要という教訓が示されたように思われる。

 ところで、この論文の「正」の面にも触れておかねばならない。北川氏は時の米国クリントン大統領のハト派路線を賛辞しつつ、橋本政府の頑迷なとも云うべき非協力的対応をなじっている。この姿勢は正しいのではなかろうか。

 たまたまの論理式において、橋本政府が非協力的態度を取りつづけている理由として「拉致事件疑惑」を槍玉に挙げ、「拉致事件不存在」を説くことにより橋本政府の弁明の根拠を喪失させようとしたが、この論法が破綻したのであって、橋本政府の対応批判は価値がある、今もあるのではないのか。れんだいこなら戦後の憲法原理、日本復興のいきさつから説き起こし、批判したいと思う。この仕事はまだ為されていない。

 それどころか、今や急転直下事態が根本的に変化している。米国でクリントンが任期切れし、代わりに大統領となったブッシュは、極タカ派政策に転換し、北朝鮮に対する力づく懲罰策動、その裏での狡猾な強盗的な経済戦を開始している。日本でも小泉内閣が登場し、極めて親密に日米協調体制が取られている。

 国際的主流派のこうした威光をかさに来て今や、米英日のアフガン―イラク―北朝鮮懲罰戦に諸手上げての賛同紳士が目に付く。この場合、日本は単に尻馬に乗っているだけで、真っ当な経済活動戦線で各地ではじき出されつつある。馬鹿につける薬は無いとはこのことだ。

 北川氏はこういう日米協調体制を説いたのであろうか。否、ハト派路線の上でのそれであったであろう。北川氏の論法が破綻したからといって、北川氏が提起していた雪解け路線の是非を問う姿勢まで埋めてしまう訳にはいかない。むしろ、冒頭で述べたように、小気味よい氏の論文はこの面では充分な値打ちを刻印しているのではなかろうか。

 思えば歴史はめくるめく。そのうちブッシュ、ブレア、小泉の三馬鹿トリオも海の藻屑と消え去るであろう。

 2003.10.17日、2006.3.29日再編集 れんだいこ拝




(私論.私見)