449―116 又も日共の詭弁考、兵本問題考



 日共は、2003.9.30日、「2003(平成15).9.12日のフジテレビ番組「金曜エンタテイメント・完全再現!“北朝鮮拉致25年目の真実”」に対して、以下のような訴状を東京地裁に提出した。告訴常習魔と転化した不破―志位系日共党中央の素体を確認しておこう。

 訴     状 
 2003年9月30日 東京地方裁判所 御中 原告訴訟代理人弁護士  (略)

 当事者の表示       別紙当事者目録の通り

 謝罪放送等請求事件

 請 求 の 趣 旨

1 被告株式会社フジテレビジョンは、原告に対し、本判決の日から1週間以内に、被告の放送するフジテレビの番組「金曜エンタテイメント」の放送時間帯において、または、同番組が廃止されていたときは同番組と同じ時間帯において、別紙記載の文章を2回繰り返して読み上げる方法により、訂正放送をせよ。

2 被告株式会社フジテレビジョンは、原告に対し、毀損された名誉の回復処分として、被告の放送するフジテレビの番組「金曜エンタテイメント」の放送時間帯または同番組が廃止されていたときは同番組と同じ時間帯において、別紙記載の文章を2回繰り返し読み上げる方法により、謝罪放送をせよ。

3 被告株式会社フジテレビジョンは、原告に対し、金1000万円およびこれに対する本訴状の送達の日の翌日から支払い済みまで年5分の割合による金員を支払え。

4 訴訟費用は被告の負担とする。

との判決ならびに仮執行宣言を求める。

 請 求 の 原 因
 第1 当事者

 1 原告

 原告日本共産党は、1922年に創立された政党であり、日本における国民の生活と権利を守り発展させ、社会進歩のためにたたかってきたものである。原告日本共産党は、北朝鮮による日本人の拉致問題についても、その究明と解決に早くから取り組んできたものである。

 2 被告

 被告株式会社フジテレビジョン(以下、「被告会社」という)は、放送法に基づくテレビジョン放送を行っている放送事業者で、平成15年9月12日夜9時10分ころ、「金曜エンタテイメント・完全再現!“北朝鮮拉致25年目の真実”」と題するテレビ番組を、フジテレビのチャンネルにおいてばかりか系列放送事業者を通じて、全国に放送したものである。

 第2 被告の不法行為―名誉毀損行為

 1 名誉毀損の事実摘示

(1)原告日本共産党は、拉致問題の追及と解決に早くから努力してきた。訴外兵本達吉氏は、そのような原告日本共産党の国会秘書として原告日本共産党の活動の一端を担っていたものである。ところが、被告会社は、平成15年9月12日午後9時10分頃からの「金曜エンタテイメント・完全再現!北朝鮮拉致“25年目の真実”」と題する後記記載のテレビ放送(以下、「本件放送」という)において、訴外兵本氏の「拉致問題での、政府・警察関係者との接触に疑問を持ち、」「突然兵本は本部に呼び出された」とナレーションで説明した上、訴外兵本氏役とその妻役の俳優に「党を首になるかもしれない」「拉致問題ですね」「あー」と会話をさせ、原告日本共産党が拉致問題での訴外兵本氏の行動を妨害し、挙げ句の果てに、拉致問題を理由に訴外兵本氏を除名し、党から排除したと全く虚偽の事実を摘示し、視聴者をして原告日本共産党は拉致問題の解明を妨害するような政党であると誤解させる虚偽の内容を放送した。

(2)訴外兵本氏は原告日本共産党の活動の一端を国会秘書として担っていたのだが、被告会社は、上記(1)の虚偽事実の摘示と併せて、本件放送においてナレーションで国会「質問の内容を考えるのも兵本の仕事」とのべるなど、全体を通して、訴外兵本氏だけが、日本共産党では拉致問題を取り組んで、国会議員の質問も訴外兵本氏がもっぱら準備したかのように描き、日本共産党では拉致問題には訴外兵本氏だけが取り組み、原告日本共産党は、その訴外兵本氏の活動を妨害し、拉致問題の究明や解決に最後まで消極的であった政党であり、重大な人権問題、主権侵害問題を軽視する政党であるとの虚偽の事実を摘示し、視聴者に誤った内容を伝える放送した(甲第1号証2003年9月17日付け「しんぶん赤旗」)。

 2 上記摘示された事実はいずれも虚偽である。

(1)訴外兵本氏の除名については、拉致問題が除名理由であるとのまったく虚偽の事実が放送された。訴外兵本氏の除名の理由は、拉致問題が理由ではなく、次のような事実が真の理由である。

 訴外兵本氏は、1998年3月に定年を迎えたが、半年の定年延長中の退職間際の5月に、東京・赤坂の料理屋で警察庁の警備公安警察官と会食し、彼が国会議員秘書を退職した後の「就職」あっせん依頼の「面接」をしていたことがわかり、この事実が、原告日本共産党の規律にふれたとして除名になったのが真相である。これは、同年12月1日付け「しんぶん赤旗」に掲載されているとおりである。

 原告日本共産党は、党内にスパイを送り込んだり、党員から卑劣な方法で情報を得ようとする、違法な情報収集や謀略活動をおこなっている警備公安警察の関係者に対する態度は特に注意を払っており、個人的に接触することを禁止している。それは原告日本共産党としては当然である。訴外兵本氏は、このような警備公安警察関係者とひそかに会い、しかも同関係者に退職後の「就職」あっせん依頼して、「面接」したとする訴外兵本氏の行為は、原告日本共産党の党員として両立しない行為である。しかも、訴外兵本氏は、原告日本共産党がそのことを指摘しても全く反省しなかったのである。

 訴外兵本氏の除名の理由は、拉致事件とはまったく関係ない。拉致問題では、後述するように原告日本共産党は1980年代の後半から取り組んでおり、国会質問もあいついでおこなっている。訴外兵本氏も1998年の上記時期まで原告日本共産党の国会秘書として拉致問題に関わってきており、いうまでもないが、なんら規律問題になっていない。

 本件放送では、この訴外兵本氏の除名理由を真実に反して描くことが、原告日本共産党の拉致問題に対する取り組みについて後述の虚偽の事実を摘示する放送とつながっており、原告日本共産党の名誉を著しく損なうものとなっている。(甲第2号証除名通知書、甲第3号証1998年12月1日付け「しんぶん赤旗」)

(2)原告日本共産党は、日本政府に初めて北朝鮮の拉致疑惑を認めさせた1988年の橋本敦参院議員の参院予算委員会での質問をはじめ、拉致問題の解決に早くから努力してきた政党である。しかし、本件放送は、原告日本共産党が拉致問題に積極的な役割をはたしてきたことには、ほとんどふれられていないだけでなく、原告日本共産党が、訴外兵本氏を「拉致問題」を理由に除名処分にし、拉致問題についての積極的取り組みを妨害するなど、その問題での取り組みに消極的で妨害までする政党であるとの虚偽の事実を印象づける内容の報道に終始している。本件放送は、訴外兵本氏の除名理由の点とあわせ、日本共産党の拉致問題についてのとりくみの点でも、まったく事実に反し、事実を歪めるものである。

(3)訴外兵本氏が、1998年8月の定年退職の直前に規律違反で除名されるまでは、橋本敦参議院議員の秘書として拉致問題の調査・解明にあたったのは事実である。それは、原告日本共産党国会議員団の方針に基づいて、その指揮下において活動したものであって、日本共産党の国会議員秘書として党の拉致問題のとりくみの一端を担っていたのである。訴外兵本氏が個人的な立場から活動したものではない。このことは組織政党として統一した方針のもとに活動する原告日本共産党としては当然のことである。まして、拉致問題というのは国際問題であるから、一秘書が自分勝手な判断で行動できるものではない。

 番組のナレーションで「(国会)質問の内容を考えるのも兵本の仕事だ」とのべ、拉致問題の国会質問を準備したのはもっぱら訴外兵本氏であるかのように描いた。しかし、原告日本共産党では国会質問をどのようなテーマで、どのような内容でやるかは、当該の国会議員を中心にかならず集団的討議を経て議員の責任でおこなっているものであって、秘書が用意した質問をそのまま議員が読み上げるようなことは絶対にない。

 橋本参議院議員の質問についても事実は、橋本元議員自身が、訴外兵本氏が『文芸春秋』2002年12月号でおこなった拉致問題での日本共産党攻撃に反論したなかで述べているとおりである。すなわち、「一九八八年の時点でこの問題を取り上げ質問しようと提起したのは、ほかでもない、この私である。質問原稿も、秘書二人の調査結果や資料をふまえつつ、私自身が自ら議員としての責任において苦労して練り上げて書いたのだ。私が兵本君のスピーカー役をつとめたかのような言い分は、思い上がりもはなはだしく、無礼というべきだろう」(パンフレット『北朝鮮問題 「反省」すべきは公明党ではないのか』に所収)。

 さらに、ドラマの後半で、訴外兵本氏が「横田めぐみさん事件」の実名報道や拉致被害者の家族会結成に奔走するシーンがあるが、訴外兵本氏の除名後の活動であるかのように描かれている。しかし、これも訴外兵本氏の除名後の活動ではなく、日本共産党の国会秘書としてとしておこなった活動である。

 現に訴外兵本氏自身、原告日本共産党の国会議員秘書として「九七年から九八年にかけて私は全国を駆け回り、拉致疑惑の解明のために全力を尽くした」(『文芸春秋』2002年12月号)と書いている。

(4)原告日本共産党が拉致問題の解明に積極的であって、その解明を妨害した事実はいっさいない。

 それは、原告日本共産党は、北朝鮮の金日成個人崇拝が顕著になった1970年代からそのおしつけに強く反対し、また北朝鮮の国際的犯罪である1980年代のラングーン爆破事件(1983年)や、日本漁船銃撃事件(1984年)、大韓航空機爆破事件(1987年)などにたいしても、いちはやくきびしい批判を発表し、国際的無法や日本国民にたいする権利侵害、主権侵害を決して許さないという態度を堅持してきたことに示されているとおりである。

(5)拉致問題そのものでも、1988年の原告日本共産党の橋本参議院議員の質問で、北朝鮮による拉致という疑惑の存在を政府に確認させて、事態の解明に向けて重要な一歩をふみださせたのははじめ、事態の解明をすすめない警察に毅然とした捜査を求めた原告日本共産党の諌山博参院議員の質問(1990年6月、参院地方行政委員会)、横田めぐみさん事件をとりあげた橋本参議院議員の質問(1997年6月、参院法務委員会)、拉致をめぐる日朝交渉の現状をただした原告日本共産党の木島日出夫衆院議員(1998年3月、衆院法務委員会)など、真相解明と事態打開のために奮闘してきた。さらに、1999年には、不破哲三委員長(当時)が、衆議院本会議での代表質問で二度にわたり、拉致問題をふくむ日朝間の諸懸案を一括して取り上げるという現実的方策を示して、解決のために日朝両国政府間の正式の交渉ルートを開くべきだと提案もおこなった。この不破質問が2000年4月からの日朝国交正常化交渉、2002年9月の北朝鮮がはじめて拉致の事実を認めた日朝首脳会談へつながるものとなったのである(甲第4号証パンフレット『北朝鮮問題 「反省」すべきは公明党ではないのか』)。

(6)したがって、原告日本共産党が拉致問題に消極的ないし妨害的であったとする本件放送はまったく虚偽の事実であり、はなはだしく事実を歪曲するものである。

 3 原告日本共産党の名誉を著しく毀損

 本件放送は、国民が大きな関心をもっていた問題を取り上げたものであり、多くの国民が本件放送を視聴している。そのような本件放送のなかで公党である原告日本共産党が国民が非常に関心を持っている拉致問題について消極的であったばかりか、その問題に取り組んだことを理由に積極的に取り組んだ党員を除名するなど、拉致問題解明と解決を妨害し、国民が重大だと考えている人権問題、主権侵害問題を軽視する政党であると事実に反する理解を与えたものである。事実、本件放送直後から多くの国民から原告日本共産党本部に対して上記のような理由で原告日本共産党を非難する電話、メールが殺到しており、本件放送における虚偽事実の摘示によって公党である原告日本共産党の政党としての社会的評価を著しく毀損する結果をもたらしたものであり、原告日本共産党に対する許し難い、重大な名誉毀損行為である。

 4 被告会社の責任は重大

(1)本件放送で前記のような虚偽の事実摘示がされ、原告日本共産党の名誉が毀損されたのは、被告会社が放送法第3条の2の放送番組の編集に当たって「政治的に公平であること」「報道は事実をまげないですること」との義務を怠り、しかも、初歩的な裏付け取材を怠ったことに原因があることは明らかである。

(2)本件放送に関して、国会で政府を追及した当事者の原告日本共産党元参議院議員橋本敦氏をはじめ原告関係者、原告日本共産党にたいする問い合わせや取材は一度もなかった。除名理由という主張の対立がもっともあると思われる事柄について、しかも、報道関係者なら訴外兵本氏と原告日本共産党がこの問題で主張の対立があることはたやすく知りうることであった、さらに、除名の理由については、原告日本共産党は上記のとおり1998年12月1日付け「しんぶん赤旗」その他で公表し、伝えているところであって、訴外兵本氏の除名理由について原告日本共産党がどのようにいっているか、その理由の真相についてもたやすく知り得るものであった。そして、原告日本共産党は「拉致調査妨害」など事実無根などについて明らかにしている「北朝鮮問題 『反省』すべきは公明党ではないのか」と題するパンフレット(甲第4号証)をも発行直後に被告会社にわざわざ送付し、事前に原告日本共産党の拉致問題などの取り組みについて被告会社の理解を求めていたものである。

(3)被告会社が、訴外兵本氏が拉致問題を理由に除名されたとし、そして原告日本共産党の拉致問題の取り組みについて事実をゆがめ、虚偽の事実を放送する結果となったのは、上記のように事実に注意を払わず、裏付け取材もせず、訴外兵本氏の言い分をうのみにし、本件放送内容を作成したことに原因があるもので、その過失は重大である。本件放送についての被告会社の責任は重大である。

 第3 訂正放送および損害と損害の回復

1 原告日本共産党は、本件放送の前記記載のとおり虚偽の事実の放送の部分について、2003年(平成15年)9月18日、被告会社に本件放送について抗議するとともに放送法第4条第1項にもとづいて放送者である被告会社に対し訂正放送の申し入れをおこなった。これに対して被告会社は、放送事業者名でなく、広報局長名で、同月26日に訂正放送拒否の回答をしてきた。しかし、それは放送法に基づく「真実でないかどうか」の調査をしたかどうかの記載さえなく、放送法の求める放送事業者としての手続きをつくしたものとは到底いえない不誠実きわまる内容であった(甲第5号証訂正放送の請求、甲第6号証被告会社回答書)。この点で、訂正放送請求者である原告日本共産党に対して新たな損害を与えたとさえいいうるものである。

 原告日本共産党に対して本件放送で生じた重大かつ深刻な全国的規模での社会的評価の低下の回復のためには、本件放送が真実でなかったことを明らかにする内容の放送を本件放送と同じ放送番組で、それと同等の放送設備で放送することが最低でも必要である。

 したがって、被告会社は、少なくとも本件番組が放送されたと同じチャンネルで、同じ「金曜エンタテイメント」の番組において、同じ放送時間帯で、仮に同番組が廃止されている場合は、本件放送と同じ時間帯で、放送法4条1項に基づく別紙訂正放送記載の内容の訂正放送および別紙謝罪放送記載の内容の謝罪放送を2回繰り返して読み上げる方法で、本判決の日から1週間以内に放送することが最低でも必要である。

2 原告日本共産党が、本件放送で受けた公党としての社会的評価、信用毀損による名誉毀損に対する慰謝料は、その重大性および深刻さから、金1000万円をくだるものではない。

 第4 まとめ

 よって、原告日本共産党は被告会社に対して、請求の趣旨記載のとおり訂正放送および謝罪放送、慰謝料として金1000万円、これに対し訴状送達の翌日から支払い済みまで民事法定利息年5分の割合により遅延損害金の支払いを求めて、本訴を提起した次第である。

 以上 

 証 拠 方 法

1 甲第1号証2003年9月17日付け「しんぶん赤旗」

2 甲第2号証除名通知書

3 甲第3号証1998年12月1日付け「しんぶん赤旗」

4 甲第4号証パンフレット『北朝鮮問題 「反省」すべきは公明党ではないのか』

5 甲第5号証訂正放送の請求

6 甲第6号証被告会社回答書

 添付書類

1 日本共産党の資格証明

2 フジテレビジョンの資格証明

3 甲号証の写し

4 委任状

 別 紙 訂 正 放 送

 放送法第4条に基づく訂正放送をいたします。

 フジテレビジョンで、平成15年9月12日夜9時からの時間帯に、「金曜エンタテイメント・完全再現!“北朝鮮拉致25年目の真実”」と題するテレビ番組を放送いたしました。この番組で、日本共産党の元秘書である兵本氏の拉致問題での取り組みを伝えるなかで、次のような趣旨の内容の放送をいたしました。

 すなわち、兵本氏は原告日本共産党の活動の一端を国会秘書として担っていたのだが、ナレーションで、国会「質問の内容を考えるのも兵本の仕事」とのべるなど、放送全体を通して、日本共産党では拉致問題の取り組みは兵本氏だけで、この問題での日本共産党の国会議員の質問も兵本氏がもっぱら準備したかのように描いた上で、ナレーションで日本共産党が兵本氏の「拉致問題での、政府・警察関係者との接触に疑問を持ち、」「突然兵本は本部に呼び出された」と説明し、兵本氏役とその妻役の俳優に「党を首になるかもしれない」「拉致問題ですね」「あー」と会話をさせ、日本共産党が拉致問題での兵本氏の行動を妨害し、挙げ句の果てに、拉致問題を理由に兵本氏を除名し、党から排除したとする趣旨の放送をしました。

 しかし、日本共産党が拉致問題の解明に積極的であって、その解明を妨害した事実はいっさいありません。

 それは、日本共産党は、北朝鮮の金日成個人崇拝が顕著になった1970年代からそのおしつけに強く反対し、また北朝鮮の国際的犯罪である1980年代のラングーン爆破事件(1983年)や、日本漁船銃撃事件(1984年)、大韓航空機爆破事件(1987年)などにたいしても、いちはやくきびしい批判を発表し、国際的無法や日本国民にたいする権利侵害・主権侵害を決して許さないという態度を堅持してきたことに示されているとおりです。

 また、拉致問題そのものでも、1988年の日本共産党の橋本敦参議院議員の質問で、北朝鮮による拉致という疑惑の存在を政府に確認させて、事態の解明に向けて重要な一歩をふみださせたのをはじめ、事態の解明をすすめない警察に毅然とした捜査を求めた日本共産党の諌山博参院議員の質問(1990年6月、参院地方行政委員会)、横田めぐみさん事件をとりあげた橋本参議院議員の質問(1997年6月、参院法務委員会)、拉致をめぐる日朝交渉の現状をただした日本共産党の木島日出夫衆院議員(1998年3月、衆院法務委員会)など、真相解明と事態打開のために奮闘してきました。さらに、1999年には、不破哲三委員長(当時)が、代表質問で二度にわたり、拉致問題をふくむ日朝間の諸懸案を一括して取り上げるという現実的方策を示して、解決のために日朝両国政府間の正式の交渉ルートを開くべきだと提案もおこないました。この不破質問が2000年4月からの日朝国交正常化交渉、2002年9月の北朝鮮がはじめて拉致の事実を認めた日朝首脳会談へつながるものとなったのです。

 兵本氏の拉致問題での活動も、国会秘書として日本共産党国会議員団の方針に基づいて、その指揮下において活動したもので、日本共産党の拉致問題のとりくみの一端を担っていたのです。兵本氏が個人的な立場から活動したものではありません。番組のナレーションで「(国会)質問の内容を考えるのも兵本の仕事だ」とのべ、拉致問題の国会質問を準備したのはもっぱら兵本氏であるかのように描きましたが、日本共産党では国会質問をどのようなテーマで、どのような内容でやるかは、当該の国会議員を中心にかならず集団的討議を経て議員の責任でおこなっているものであって、秘書が用意した質問をそのまま議員が読み上げるようなことは絶対にありません。さらに、ドラマの後半で、兵本氏が「横田めぐみさん事件」の実名報道や拉致被害者の家族会結成に奔走するシーンがありますが、兵本氏の除名後の活動であるかのように描かれています。しかし、これも兵本氏の除名後の活動ではなく、日本共産党の国会秘書としておこなった活動です。

 さらに、日本共産党による兵本氏の除名については、本当の除名の理由は、拉致問題が理由ではなく、次のような事実が真の理由でした。

 兵本氏が定年退職間際の1998年5月に、東京・赤坂の料理屋で警察庁の警備公安警察官と会食し、彼が国会議員秘書を退職した後の「就職」あっせん依頼の「面接」をしていたことがわかり、この事実が、日本共産党の規律にふれたとして除名になったのが真相です。

 日本共産党は、党内にスパイを送り込んだり、党員から卑劣な方法で情報を得ようとする、違法な情報収集や謀略活動をおこなっている警備公安警察の関係者に対する態度は特に注意を払っており、個人的に接触することを禁止しています。このような警備公安警察関係者とひそかに会い、しかも同関係者に退職後の「就職」のあっせんを依頼するなどの兵本氏の行為は、日本共産党の党員として両立しない行為です。しかも、兵本氏は、この点についての指摘に対しても全く反省しなかったのです。

 このように真実と異なる放送になったのは、フジテレビジョンが日本共産党への取材をせず、事実を十分確認しないまま放送してしまったためです。

 別 紙 謝 罪 放 送

 フジテレビジョンで、平成15年9月12日夜9時からの時間帯に、「金曜エンタテイメント・完全再現!“北朝鮮拉致25年目の真実”」と題するテレビ番組で訂正放送のとおり、事実に反する放送をおこない、このため日本共産党の名誉を傷つけ、多大なご迷惑をおかけする結果となってしまったことについて、日本共産党および関係者に対し、深くお詫びし、謝罪いたします。

 当 事 者 目 録

  〒151−0051 東京都渋谷区千駄ヶ谷四丁目26番7号、原告・日本共産党 、代表者・市田忠義 、 原告訴訟代理人弁護士 (略)

  〒135−0091 東京都港区台場二丁目4番8号、被告・株式会社フジテレビジョン、代表者代表取締役・村上光一



 2002.9.17日、日朝首脳会談の席上、北朝鮮総書記・金正日から国家的犯罪としての拉致事件に対する謝罪が為されるや否や、この問題を逸早く取り上げたのが不破委員長(当時)であったとして99.1月と11月の国会質疑例を手柄の如く宣伝し始めた。曰く、「拉致問題をめぐっても、北朝鮮の国際的な無法行為をもっともきびしく批判してきた党として、国会でも先駆的で継続的な追及をおこなってきました」。

 でもって、その時不破がどのように質問を提起していたのかにつき内容を明かさない。もし内容が明かされれば、この日共の弁が如何に詭弁且つ詐術であるかが判明しようが、これを積極的に明かす者が居ないので、日共の云い勝ちとなっている。ホンにこの党中央には漬ける薬が無い。


 それだけでは無い。日共は「赤旗」号外を発行して、「日本共産党は拉致の問題を国会で真っ先に取り上げ、取り組んできた」などと大宣伝している。1988年の橋本敦参院議員質問が逸早く拉致問題を取り上げたのは事実だ。しかし、これに関して元日本共産党の国会議員秘書・兵本達吉氏がその裏舞台を次のように明かしている。「その調査を実質的にやったのは私だし、『北朝鮮による拉致』被害者家族連絡会もそうだ。本当はこの『家族の会』も橋本敦がつくることになっていた。私は事務方として結成に動いていた。決して私の看板でやっていたわけではない。しかし、(橋本議員は)当日になって逃げてしまった。出てこなかった。参院の第1会議室で記者会見をやっても議員が出てこないから、私が司会をやり、家族を紹介した。これにはマスコミもびっくりしていた。このように、共産党は常に妨害とサボタージュをやってきた。だから、今さらぬけぬけと『わが党が国会で真っ先に取り上げた』などと言ってもらいたくはない」。こうなると、拉致問題を逸早く取り上げた橋本議員が急に及び腰になった理由を詮索せねばならないだろう。橋本議員は真相を明らかにする義務がある。

 ところで、実にくだらないことであるが、公明党が先鞭争いしている。「【質問】確かに共産党の橋本さんが答弁を引き出したという意味では最初だが、事実上、国会で最初に質問したのは公明党の和泉照雄参院議員ではないのか。【答え】そうだ。私が鹿児島に調査に行った時、増元るみ子さん、市川修一さんの家族にもあった。あの2人は結婚して祝言をあげる1カ月前だった。増元さんのお父さんが和泉さんのところにお願いに行って、国会で取り上げてもらったといった経緯がある。ただ、あの頃は拉致問題があまり明らかになっていなかったなかで、聞く方も答える方もあまりまとまった質問ではなかった」。

 2003(平成15).9.12日、フジテレビが「金曜エンタテイメント・完全再現!“北朝鮮拉致25年目の真実”」と題する番組が放映され、拉致問題に関わってきた兵本氏らの活動がテレビで取り上げられた。名うての赤旗御用記者・菅原正伯が「兵本氏除名の真相」と題して次のように述べている。「ドラマの後半で、兵本氏が横田めぐみさん事件の実名報道や拉致被害者の家族会結成に奔走するシーンがありますが、これも除名後のことではなく、日本共産党の一員としての活動です。現に兵本氏自身、日本共産党の国会議員秘書として『97年から98年にかけて私は全国を駆け回り、拉致疑惑の解明のために全力を尽くした』(『文芸春秋』2002.12月号)と書いています」。

 何と、菅原記者は、「兵本氏が日共の裏表のある巧言令色ぶりを批判しているのに対し、そういう批判をしている兵本氏は当時日共党員であったのだから、逆に日共として拉致問題に取り組んでいることの証明になる」などというペテン論理を弄んでいる。

 兵本氏の告発に対して、日共は次のように反論している。「兵本氏は、1998.8月の定年退職の直前に規律違反で除名されるまでは、日本共産党の国会議員秘書として党の拉致問題のとりくみの一端を担っていたのが実際のところです。番組のナレーションでは、『質問の内容を考えるのも兵本の仕事だ』とのべ、拉致問題の国会質問を準備したのはもっぱら兵本氏であるかのように描いていましたが、橋本元議員自身、兵本元秘書が『文芸春秋、2002.12月号』でおこなった拉致問題での日本共産党攻撃に反論したなかで次のようにたしなめています。『1988年の時点でこの問題を取り上げ質問しようと提起したのは、ほかでもない、この私である。質問原稿も、秘書二人の調査結果や資料をふまえつつ、私自身が自ら議員としての責任において苦労して練り上げて書いたのだ。私が兵本君のスピーカー役をつとめたかのような言い分は、思い上がりもはなはだしく、無礼というべきだろう』(パンフレット『北朝鮮問題 「反省」すべきは公明党ではないのか』に所収)。この橋本論文に兵本氏は今日にいたるまで反論できていません」。

 この反論は、重要なことについて述べていない。兵本氏は、橋本議員が北朝鮮による拉致』被害者家族連絡会結成の際に不自然にも出席しなかったことを明らかにしている。兵本氏のこの告発が嘘なのかどうなのか、これにダンマリしたまま、橋本議員の原稿を兵本氏が書いていたのか議員本人が練り上げていたのかの問題に矮小化している。典型的なすり替えであろう。

 拉致問題の取り組みに対して、日共は次のように述べている。1988年の橋本質問で解明に向けて大きな一歩をふみ出す。続いて、1990.6月参院地方行政委員会での山博参院議員の質問。「事態の解明をすすめない警察にきぜんとした捜査を求めた」。1997.6月参院法務委員会での橋本議員の質問。「横田めぐみさん事件をとりあげた」。1998.4月衆院法務委員会での木島日出夫衆院議員質問。「拉致をめぐる日朝交渉の現状をただした」。1999年には「不破哲三委員長(当時)が、代表質問で二度にわたって、拉致問題など日朝間の諸懸案の解決のためにも、日朝両国政府間の正式の交渉ルートを開くべきだと提案もおこないました。この国会質問が2000.4月からの日朝国交正常化交渉と北朝鮮がはじめて拉致の事実を認めた昨年の日朝首脳会談へとつながったのです」。

 ほとんど病的なこの手柄話は、日共党中央の体質を垣間見せている。特に、「昨年の日朝首脳会談へとつながった」自慢が面白い。不破よ、日朝両党首会談の席上、「はじめて拉致の事実を認めさせた」のであれば自慢すれば良い。実際には、日朝首脳会談でのことであり小泉外交の功績ではないのか。この小泉外交の一助になった云々で自画自賛するのは、石原都知事云うところの紛れも無い「ハイエナ論」であり既に顰蹙を買いつづけているのではないのか。

 2003.9.23日 れんだいこ拝


 (以下、未整理)

 兵本氏は、拉致家族被害者の家族に呼びかけて家族会の結成に奔走していたが、「除名処分」される。その「処分理由」というのが、「兵本は警察のスパイだ」と云うものであった。兵本氏は、概要「拉致被害者の救出のために頻繁に警察庁に出入りしていたんですが、それを共産党は言いがかりをつけてね。もう共産党には未練もありませんが、当時は、あまりの理不尽さに腹が立ちましたよ」とインタビューで答えている。

 日共党中央の詐術を告発した兵本は、自らの除名経過について次のように弁明している。「またその赤旗号外には、兵本の除名は拉致とは関係ない、などと言っている。そして、警察庁に退職後の就職のあっせんを依頼しに行ったのがばれて除名された、と言っている。しかし、常識的に考えてみてほしいが、私はずっと法務委員会を担当し、警察庁や検察庁、法務省とはいわばケンカするのが仕事だった。そんな人間を退職したからといって就職をあっせんしてくれるなんて考えられない。こういうことを平気で言う。スパイとして取り込むため云々というが、今日、警察はそんなことやっていない。そんなことする必要のない時代になった。警察も日本で共産主義革命など起こると思っていない。結局、共産党は拉致の問題で頭にきていたんだろうと思う」。

 これに対して、日共は次のように述べている。「この人物(兵本氏)は、元秘書で、党にかくれて公安警察に就職あっせんを依頼していたことが判明して除名された人物である」、「兵本氏の除名についても真相はこうです。橋本質問から十年後の1998.3月に定年を迎えた兵本氏が、半年の定年延長中の退職間際の五月に、東京・赤坂の料理屋で警察庁の警備公安警察官と会食し、国会議員秘書を退職した後の『就職』あっせんを依頼していたことがわかり、日本共産党から除名されたのです。日本共産党などにたいし、違法な情報収集や謀略活動をおこなっている警備公安警察の関係者とひそかに会い、『就職』あっせんを依頼することは、日本共産党員と両立しないからです。拉致事件とは関係ありません」。

 兵本氏は、この時の査問について次のように述べている。2002年11月12日付公明新聞「兵本達吉氏(元日本共産党国会議員秘書)の講演から」
 【質問】兵本さんが受けた「査問」とやらは、国会議員も行うのか。
 【答え】国会議員は入っていない。規律違反を調べる統制委員会というものがあり、ここの人がやる。全国に何百万とバラまかれた「赤旗」号外には、私が警察に退職後の就職のあっせん依頼を行ったとの記述があるが、私は名誉棄損で訴えたいと思っている。名誉棄損とは不法行為による損害賠償請求になると思うが、私は決して金銭目当てではなくて、この裁判では5日間20時間にわたる査問のテープを裁判所に提出を命じてもらおうと思っている。これを聞いてもらえば、どっちがウソをついているか明々白々だ。
 昔は「査問」で被疑者を殺した。宮本(顕治・名誉議長)さんの有名なスパイ査問事件というのがある。最近はさすがに、肉体的な拷問やリンチはやらないが、心理的な拷問はやる。最初から兵本はスパイであるということを決めてかかって、それの自供を求めるのが共産党の「査問」だ。現代の民主的な社会で、こういうことをやっている政党が本当にあるのかと思う。スターリン時代のソ連ならともかく、日本のような社会で。「けしからん」というのなら、除籍するなり除名すればいいのであって、何日も何日も査問をやる。
 しかも、いったん疑われたら「はい、やりました。申し訳ありません」と言うまで、絶対にやめない。そんなことをやる政党がどこにあるか。こういう政党の存在自体が憲法違反ではなかろうかと思う。共産党は口を開けば「憲法、憲法」というが、日本国憲法の精神から見て、共産党ほど憲法違反の団体、政党はない。だいたい、政権の民主的な交代が憲法によって制度的に保障されている国で、「革命」をやるなんておかしい。革命などやらなくても多数派になれば、それで自分たちの政権が取れる。「革命」という言葉自体が中世の言葉だ。暴力によってしか、政権の交代ができなかった時代のもので、「革命」という言葉自体が時代錯誤ではなかろうか。

 


 そもそも日本共産党は、北朝鮮の金日成個人崇拝が顕著になった一九七〇年代からそのおしつけに反対し、八〇年代のラングーン爆破事件(八三年)や、日本漁船銃撃事件(八四年)、大韓航空機爆破事件(八七年)など、北朝鮮の国際的な無法にたいしてもきびしく批判し、日本国民にたいする権利侵害や主権侵害を決して許さないという立場を貫いてきました。


2003年9月17日付け赤旗、日朝首脳会談から1年 拉致、核開発、国交正常化…日本共産党の態度

 きょう十七日は、小泉純一郎首相と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の金正日総書記による初の日朝首脳会談から一周年です。首脳会談では、北朝鮮側が日本人拉致の事実を認めて一定の謝罪を表明。両首脳が国交正常化交渉の再開で合意し、「日朝平壌宣言」(別項に骨子)に署名しました。しかしその後の日朝関係はさまざまな困難や障害に直面しています。この一年の日朝関係をめぐる諸問題について、日本共産党はどうみてきたのか、どういう態度をとってきたのか、振りかえります。

初の首脳会談

交渉再開合意を支持

 史上初の日朝首脳会談について、志位和夫委員長は「日朝平壌宣言」がかわされ、「国交正常化交渉の再開が合意されたことは重要な前進の一歩だ」(昨年九月十七日、談話)と評価しました。

 日本共産党は、日朝間の軍事的対応の悪循環を打開するうえでも、両国間の懸案の課題を解決するうえでも、政府間の交渉ルートを開くことが必要だとして、九九年一月と十一月の不破哲三委員長(当時)の国会質問で提案しました。

 拉致問題をめぐっても、北朝鮮の国際的な無法行為をもっともきびしく批判してきた党として、国会でも先駆的で継続的な追及をおこなってきました。

 国交正常化交渉を再開し、両国間の諸懸案を包括的に解決するという首脳会談での合意を日本共産党が「強く支持」したのも、「交渉ルートを開こう」と提案してきた党としての立場からでした。

 拉致問題では、志位委員長が九月十八日の小泉首相と野党四党首との会談で「明らかな国際犯罪」だと指摘し、問題の全容解明や責任者の処罰、被害者への謝罪と補償など、一連の問題を国交正常化交渉のなかで提起し、解決を図るよう求めました。

正常化交渉

政府が堅持すべき立場は…

 両首脳の合意にもとづく第十二回の国交正常化交渉は十月二十九、三十日に開かれました。

 その直前に北朝鮮は、米国との交渉で核開発計画の存在を認めました。また日本政府は一時帰国した拉致被害者五人を北朝鮮に帰さず、家族の帰国を求めていく方針を確認しました。

 そうした結果、交渉は、拉致被害者家族の帰国問題や北朝鮮の核開発問題などをめぐって物別れに終わりました。

 日本共産党は同年十二月の第五回中央委員会総会で、志位委員長が日朝問題を取り上げました。

 そのなかで、今後の交渉で日本政府が堅持すべき大局的な立場として、(1)北東アジア地域の全体の平和と安定をたしかなものにすることが、日本の平和と安全にとって不可欠であり、両国関係を敵対から友好に転換すること(2)両国間の諸懸案を包括的に話し合い、解決するという立場にたち、誠意をもって交渉にあたること(3)北朝鮮がこれまで国際的な無法行為をおかしてきた国であればこそ、理性と道理にたった対応をすること−−の三点をあげました。

核開発問題

「物理的核抑止力」論を批判

 北朝鮮は〇三年一月には、核不拡散条約(NPT)からの脱退を宣言。その後も米国の「先制攻撃戦略」への対応として核兵器開発をすすめる姿勢を示しました。

 日本共産党は北朝鮮の核兵器開発について、NPTからの脱退を宣言した際に市田忠義書記局長が「世界平和を脅かす行為であって、いかなる理由によっても正当化されえない」と批判。核問題をめぐる国際合意の順守を明記した「日朝平壌宣言」にてらして、核開発計画を放棄するよう求めました。

 五月の第六回中央委員会総会では志位委員長がこの問題で報告。「北朝鮮が核保有の道にのりだすことは認められない」とのべるとともに、問題解決の手段として「軍事の手段に訴えることを絶対に許してはならない」と強調しました。

 “物理的抑止力、強力な軍事的抑止力を保有してのみ、戦争を防ぎ国と民族の安全を守ることができる”という北朝鮮の「軍事優先思想」を批判。「北朝鮮にとっての安全保障の最大の問題は、周辺諸国とのまともな外交関係がなく、国際社会で孤立していることにある」と指摘しました。さらに七〇年代から続いた数々の国際的な無法行為の清算を行ってこなかったことが、まともな国際関係確立の障害になっていると強調しました。

 同時に日本政府についても、「日朝平壌宣言」という道理ある交渉の足場をつくりながら、「北朝鮮の脅威」をあおりたてて有事法制の強行など、軍事的緊張の悪循環をつくりだしていると警告。「道理にたった外交交渉への努力」を求めました。

6カ国協議

平和的解決への重要な一歩

 核兵器開発問題をめぐって、北朝鮮は米国との二国間協議を主張してきましたが、四月には米朝中三国の協議に応じ、七月には日本、ロシア、韓国が加わった六カ国の協議を受け入れました。

 八月二十七−二十九日に行われた同協議は、「対話を通じた平和的解決」「朝鮮半島の非核化」「北朝鮮の安全への懸念の考慮」など、六項目の「合意事項」を発表。協議の合間に行われた日朝協議も継続を確認しました。

 日本共産党の志位委員長は、九月十一日放送のCS番組で「たいへん大事な一歩」「(『合意事項』に)書かれていることはどれも理性的な建設的な方向であり、そういう方向での交渉の継続と、実りある成果を期待したい」と評価。

 拉致問題については、「北朝鮮に一連の国際的無法を清算させていくというなかの重要な内容として位置付ければ、たんに日朝二国間の問題ではなく、国際社会がとりくむべき問題という位置付けができる」との考えを示しました。

日朝平壌宣言骨子

 一、〇二年十月中に国交正常化交渉を再開

 一、日本側は過去の植民地支配に痛切な反省と心からのおわびの気持ちを表明

 一、国交正常化後、日本側は北朝鮮に対し、無償資金協力、人道支援などの経済協力を実施。双方は一九四五年八月十五日以前の財産請求権を相互に放棄

 一、北朝鮮側は、日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題の再発防止措置をとることを確認

 一、北東アジア地域の信頼醸成の枠組み整備の重要性で一致。朝鮮半島の核問題解決のため国際合意の順守、関係諸国の対話促進の必要性を確認

 一、北朝鮮側はミサイル発射のモラトリアムの来年(二〇〇三年)以降への延長を表明



首脳会談から1年、日朝関係をめぐる動き

 2002年09月17日  日朝首脳会談

     28日  拉致被害者調査で政府が調査団を派遣

   10月2日  政府調査団が結果を公表。生存5人は本人と断定。死亡8人は特定できず

     15日  拉致被害者5人が一時帰国

     16日  ケリー米国務次官補、北朝鮮が核開発計画の存在認めたと発表

     24日  政府、5人を帰さず、家族の帰国を求める方針を発表

   29、30日  マレーシアのクアラルンプールで2年ぶりに日朝国交正常化交渉

   11月24日  日朝両政府、中国・大連で非公式折衝。北朝鮮側「日朝平壌宣言はしっかり守っていきたい」

   12月12日  北朝鮮外務省スポークスマン「電力生産に必要な核施設の稼働と建設を即時再開」

 2003年1月7日  日米韓局長級協議、北朝鮮が核開発を放棄すれば対話に応じる用意があると表明

     10日  北朝鮮政府、核不拡散条約(NPT)からの脱退と、IAEAの保障措置(査察)協定からの離脱を宣言

     28日  ブッシュ米大統領、一般教書演説で北朝鮮問題の「平和的な解決を図る」と表明

   4月23日  米朝中協議、北朝鮮「核保有」を言明

   5月23日  日米首脳会談、日米韓三国の連携、多国間協議の継続を確認

     31日  日中首脳会談、核問題の平和的解決をめざし、米朝中協議継続で一致

   6月6日  日韓首脳会談、共同宣言で「日韓両国が参加する形の多国間対話」に期待を表明

     17日  川口外相、東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)閣僚会議の非公式夕食会で北朝鮮の許鐘大使と会見

   7月31日  北朝鮮政府、6カ国協議受け入れを韓国政府に通知

 8月27〜29日  6カ国協議



2003年9月14日(日)「しんぶん赤旗」 視聴者を欺く「ノンフィクションドラマ」の虚構

 フジテレビは十二日夜、「完全再現 北朝鮮拉致…25年目の真実 消えた大スクープの謎!」を放映しました。北朝鮮による拉致事件を追いかけた新聞記者ら三人の男たちの活動を描いた作品です。関係者の証言によるドキュメントと再現ドラマで構成された「ノンフィクションドラマ」というふれこみですが、元日本共産党の国会議員秘書であった兵本達吉氏にかかわる部分では、日本共産党にたいする誤った見方を与える重大な虚構(フィクション)がふくまれていました。

拉致追及の党のとりくみ

 その虚構とは、日本政府に初めて北朝鮮の拉致疑惑を認めさせた一九八八年の橋本敦参院議員の参院予算委員会での質問をはじめ、拉致問題の解決に早くから努力してきた日本共産党にたいして、とりくんだのは兵本氏だけで、日本共産党本部は拉致問題の調査をつづけたその兵本氏を「拉致問題」で除名処分にしただけのように描いていることです。これは、日本共産党の拉致問題のとりくみの点でも、兵本氏の除名理由の点でもまったく事実に反するものです。

 そもそも日本共産党は、北朝鮮の金日成個人崇拝が顕著になった一九七〇年代からそのおしつけに反対し、八〇年代のラングーン爆破事件(八三年)や、日本漁船銃撃事件(八四年)、大韓航空機爆破事件(八七年)など、北朝鮮の国際的な無法にたいしてもきびしく批判し、日本国民にたいする権利侵害や主権侵害を決して許さないという立場を貫いてきました。

 拉致問題でも、八八年の橋本質問で解明に向けて大きな一歩をふみ出したあと、事態の解明をすすめない警察にきぜんとした捜査を求めた諌山博参院議員の質問(九〇年六月、参院地方行政委員会)、横田めぐみさん事件をとりあげた橋本議員の質問(九七年六月、参院法務委員会)、拉致をめぐる日朝交渉の現状をただした木島日出夫衆院議員(九八年三月、衆院法務委員会)など真相解明と事態打開のために奮闘してきました。

 さらに、九九年には、不破哲三委員長(当時)が、代表質問で二度にわたって、拉致問題など日朝間の諸懸案の解決のためにも、日朝両国政府間の正式の交渉ルートを開くべきだと提案もおこないました。この国会質問が二〇〇〇年四月からの日朝国交正常化交渉と北朝鮮がはじめて拉致の事実を認めた昨年の日朝首脳会談へとつながったのです。

 兵本氏は、一九九八年八月の定年退職の直前に規律違反で除名されるまでは、日本共産党の国会議員秘書として党の拉致問題のとりくみの一端を担っていたのが実際のところです。番組のナレーションでは、「質問の内容を考えるのも兵本の仕事だ」とのべ、拉致問題の国会質問を準備したのはもっぱら兵本氏であるかのように描いていましたが、橋本元議員自身、兵本元秘書が『文芸春秋』二〇〇二年十二月号でおこなった拉致問題での日本共産党攻撃に反論したなかで次のようにたしなめています。「一九八八年の時点でこの問題を取り上げ質問しようと提起したのは、ほかでもない、この私である。質問原稿も、秘書二人の調査結果や資料をふまえつつ、私自身が自ら議員としての責任において苦労して練り上げて書いたのだ。私が兵本君のスピーカー役をつとめたかのような言い分は、思い上がりもはなはだしく、無礼というべきだろう」(パンフレット『北朝鮮問題 「反省」すべきは公明党ではないのか』に所収)

 この橋本論文に兵本氏は今日にいたるまで反論できていません。

兵本氏除名の真相

 兵本氏の除名についても真相はこうです。橋本質問から十年後の一九九八年三月に定年を迎えた兵本氏が、半年の定年延長中の退職間際の五月に、東京・赤坂の料理屋で警察庁の警備公安警察官と会食し、国会議員秘書を退職した後の「就職」あっせんを依頼していたことがわかり、日本共産党から除名されたのです。日本共産党などにたいし、違法な情報収集や謀略活動をおこなっている警備公安警察の関係者とひそかに会い、「就職」あっせんを依頼することは、日本共産党員と両立しないからです。拉致事件とは関係ありません。

 ドラマの後半で、兵本氏が「横田めぐみさん事件」の実名報道や拉致被害者の家族会結成に奔走するシーンがありますが、これも除名後のことではなく、日本共産党の一員としての活動です。

 現に兵本氏自身、日本共産党の国会議員秘書として「九七年から九八年にかけて私は全国を駆け回り、拉致疑惑の解明のために全力を尽くした」(『文芸春秋』二〇〇二年十二月号)と書いています。

 拉致事件を調査したから除名されたなどという、時間と空間を飛び越えた虚構は、兵本氏の言い分をうのみにした結果にほかなりません。

 番組の広報資料では、兵本氏や拉致被害者の家族など関係者に百五十時間にも及ぶインタビューをおこない、「すべてのシーンが事実の裏付けをとっている」と書いています。

 しかし、国会で政府を追及した当事者の橋本敦氏をはじめ、日本共産党にたいする問い合わせや取材は一度もありませんでした。兵本元秘書にかんする部分がドラマとしてもリアリティーに欠ける原因は、こういうところにあるのではないでしょうか。

 (菅原正伯)





(私論.私見)



拉致解明を妨害した日本共産党
兵本達吉氏(元日本共産党国会議員秘書)の講演から<上>

2002年11月9日付公明新聞
 自民、公明、保守の与党3党の国会議員でつくる「日朝関係と人権を考える会」(山口泰明座長=自民党)の初会合が7日、衆院第1議員会館で開かれ、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)による拉致事件の真相解明に奔走し、日本共産党を除名された元共産党国会議員秘書・兵本達吉氏が講演しました。同氏の講演内容と質疑応答を紹介します。


調査に嫌がらせ、査問、除名
不破氏が「そんなことは警察に任せておけ」
朝鮮労働党との関係修復に障害視



 長い間、日本人の拉致問題にかかわり、これが北朝鮮の犯行であるとつき止めた自負が、私にはある。
 当初は、日本海アベック蒸発事件と言われていたが、調べていくうちに、これは北朝鮮によって拉致されたものだと確信するようになった。そして、昭和63年の参院予算委員会で、当時、私が秘書を務めていた日本共産党の橋本敦氏の質問に対し、梶山(静六国家公安委員長)氏から「恐らくは北朝鮮による拉致の疑いが十分濃厚である」との答弁をいただいた。これが拉致事件で、日本政府が初めて北朝鮮の犯行だと認めたものだ。
 その時の答弁はそれだけだったが、その後、政治活動をやっているわけでもない田舎の青年をどうして北朝鮮が拉致したのか、その目的、やり方、事情について、10年以上研究してきた。
 この間、私は日本共産党員として拉致事件を研究してきたが、党からいろいろ制約というか、ブレーキというか、嫌がらせを受けて、結局、平成10年8月に“警察のスパイ”であるということで党から除名されるに至った。その詳しい経過については、『文藝春秋』12月号に書いてある。
 「不破共産党議長を査問せよ」というすごいタイトルになっている。文藝春秋の編集部が付けた。しかし、私は、拉致事件で日本共産党に5日間、延べ20時間にわたって査問を受け、結局、党から追い出されたわけで、私はむしろ、査問した方を査問すべきだと考えている。


拉致調査を始めた経緯
 拉致事件にかかわった経過だけ簡単に申し上げる。昭和62年11月の大韓航空機爆破事件で犯人の金賢姫が逮捕され、その日本語教師として「李恩恵」という朝鮮名の女性の話がマスコミで話題になった。その時に、日本海アベック蒸発事件がにわかに浮上し、新潟の奥土さんとか、福井の浜本さんとか、鹿児島の増元さんじゃないかとか。そして警察が3人の女性と「李恩恵」の身体的特徴などを厳密に照合した結果、違うということになり、いったんこの話は消えた。
 しかし、私は、この日本海アベック蒸発事件がどうしても頭にひっかかっていたので、新潟、富山、福井、鹿児島の家族を訪問して話を聞いた。何の理由も原因もなく、文字通り、蒸発したようにいなくなっている。
 家族は悲嘆に暮れていた。どの家族も疲労困憊だった。私は、警察がどうにもできないのであれば、国会で取り上げて問題にしないといけないと思い、調査を始めた。
 昭和53年8月15日に富山県高岡市で、もう一つアベックの拉致未遂事件があった。遺留品とか、行方不明になっている場所が古来から朝鮮半島との往来があったとか、朝鮮の影が濃い犯罪だと最初から感じた。
 そのうち、北朝鮮から韓国に亡命した安明進(アンミョンジン)が、金正日政治軍事大学で日本から拉致されてきた10人〜20人の日本人を目撃した、という証言も出てきた。
 これで確実になったと思ったところへ、今度は、横田めぐみさんの話が急浮上した。実は、この横田さんの父親を発見したのは私だが、これで一気に世論がわいた。その流れの中で、「『北朝鮮による拉致』被害者家族連絡会」を結成し、自民党や当時の新進党を中心に150人ほどの拉致議連が立ち上がった。
 そして、先日、小泉首相が北朝鮮に乗り込み、拉致問題はまだまだ問題はたくさん残っているが、一応の解決をみたと思う。


共産党が一番悪質で悪らつ
 24年も25年も日本人が北朝鮮に抑留されたまま、放置されてきた。もう少し早くどうにかならなかったのかという声がある。私はやはり、第一に政治とか政党の責任があると思う。北朝鮮に金やコメをあげれば返してくれるのではないか、という考えで北朝鮮と折衝された人もいる。社民党のように昔から朝鮮労働党と友好関係にあるので、まさかそんなことはやらないだろうということで拉致問題を全然取り合わない政党もあった。
 しかし、私の知る範囲では、共産党が一番、悪質、悪辣だったと思う。
 私は法務委員会の仕事をやっていて、参院の委員会質問に備えて資料集めに行くわけだが、新潟、福井、鹿児島などを回ろうとしても、共産党の場合、出張の決裁をとらないと、旅費を出してくれない。しかも、なかなか決裁してくれない。委員会が終わってから決裁してくれても仕方ない。そういう初歩的な嫌がらせをやる。
 昭和63年頃、まだ世間では北朝鮮による拉致問題なんて誰も知らない時代で、もちろん共産党の誰も知らない。その頃は書類の内容をよく見ないで判を押してくれていたが、だんだんこの事件が世間的に知られるようになり、マスコミにも注目されるようになればなるほど、共産党はブレーキをかけてくるようになった。
 例えば、拉致事件に関し党のいろいろな部署に報告にこい、という。まず国際部へ、あるいは書記局へ、あるいは党内の朝鮮問題に明るい人がいっぱいいるのでその人と相談しろ、と。あっちこっちタライ回しにして、同じことを何遍でも説明させられる。説明が終わったかと思えば、次はそれを書類にして持って来なさい、と。
 共産党の場合は、旧社会党と違って、北朝鮮が拉致をやるはずがないなどと誰も思っていない。北朝鮮のことをよく知っていて、アイツらだったら何をやるかわからんと、ニタニタと笑って、しかし共産党が積極的にやる必要ない、と……。
 大阪の放送記者で石高健次さんという拉致問題に熱心な人がいるが、この人が韓国に取材に行った時に、北朝鮮の元工作員、安明進に会った。安明進が拉致に関する証言をしていて、私はこの話をもとにして国会で追及をしようと思った。そのためには、韓国大使館に行って韓国政府が安明進なる工作員に日本人記者との面会を許可したのか、また、安明進の証言には信憑性があるのか――の2点は最低限確かめた上で国会質問しないと、あとでいい加減な話だったと恥をかくことになる。それで韓国大使館に行ったのだが、この件でも後に共産党でいう「査問」にかけられた時に、1人で行った理由を追及された。共産党では外国の大使館に行くときに、1人で行ってはいけない、2人以上で行く規則がある。私はそんな規則は知らなかった。これでも、やられた。
 また、北朝鮮から新潟へ20日に1回やってくる万景峯(マンギョンポン)号という船がある。平成9年3月に金正日の国家主席就任(実際には就任していないが)を祝うカンパ集めにくるとの情報が入った。その際、在日朝鮮人の良心的な人たちの中から、この拉致問題は早急にかたづけないと、在日朝鮮人の立場がない、との声が上がった。そこで私に電話があり、万景峯号に京寿一(カンジュイリ)か李成哲(リセンチュリ)という地下工作の責任者が乗っているので、そこへ拉致被害者を返せという交渉に行け、とのことだった。しかし、私は個人の独断でそれができないので、党の指導部の決裁を受けたところ、「とんでもない。そんなことは警察、外務省、政府に任せておけ。勝手な行動などしてはならない」と、不破(哲三・現議長)さんから直々に言われた。その際、不破さんは「わが党としては拉致議連に参加するのはかまわない。法務や外務など委員会で拉致問題について政府を追及するのはかまわない。しかし、それ以上はやるな」とも言っていた。
 しかし、私は秘書を辞めてでも行くと言い張ったところ、「外務省の役人を万景峯号への案内人と引き合わせるまでならよろしい」との許可が下りた。ところが、途中の神戸で万景峯号への案内人と面会したところ、拉致問題は金正日自身の決裁事項であるということが分かり、万景峯号にはお連れできない、となった。しかし、これでは在日朝鮮人が収まりがつかなく、万景峯号に直接行ってくれとなり、船まで行った。これが結局、党から与えられた権限の範囲を越えた規約違反であるとされた。


「拉致は取り込むためのエサ」
 拉致議連が立ち上がった当時、多くの議員や関係者が私のところに拉致関連の資料集めにやってきた。また、当時、自民党や新進党の中に、拉致問題を調査するプロジェクトチームをつくる必要がある、との議論があったようで、私にも「退職後、手伝わないか」とのお誘いがあった。与党のチームに共産党の関係者が、と本当に驚いた。そして、この件も包み隠さず、橋本議員にも同僚にも事前に話したが、後でこのことが党の指導部に知れ大騒ぎとなった。要するに、彼らの主張は「警察は私を取り込むために、兵本は拉致といえば目の色が変わるから、それをエサにして引っ掛けるために行うためで、それにまんまと引っ掛かった」というものだ。
 ここまでは個人的な話だが、2000年10月に党首討論があった際、不破委員長(当時)が拉致問題を取り上げて質問している。たまたま家でテレビを見ていたが、不破氏は「拉致は単なる疑惑ではないか」「疑惑は疑惑として、疑惑の水準で北朝鮮と交渉しろ」と、わけのわからぬことを言っていた。この期に及んで、こんなことを言っているのかと驚いた。2001年の「赤旗」新年号でも「拉致は100%証明されたものではない」などと重ねて強調している。これが共産党の本当の態度だと改めて思った。
 共産党がなぜ、疑惑の解明を妨げたいのかといえば、1つは、北朝鮮は日本では一応、社会主義国であると思われているので、社会主義のイメージが悪くなる。第2は、共産党は今、いわゆる有事立法反対を一生懸命やっている。北朝鮮が日本人を拉致するような物騒で、怖い国ということになれば、有事立法を推進している勢力に有利に働いてしまう。有事立法必要との世論形成に拍車をかけてしまう。3つ目は、共産党は朝鮮労働党と水面下で党と党の関係を修復する交渉をしていたようで、共産党がそんなこと(拉致解明)をすれば相手との関係がこじれてしまう。