449―1272 「日韓条約」締結後の流れ

在日朝鮮人運動史

「韓日条約」以後の在日朝鮮人運動


 日本政府は一九六五年までは、外国人登録法に対応する動向と、治安把握・監視機能の体制化をなす一方、出入国管理令による在留活動の規制↓強制退去制度を確立した。六五年以降はその実行への条件の整備(法律二一六号撤廃化一法的基礎の明確化、韓国の受け入れ体制の確立)を中心に入管令改悪による追放条件拡大、作業の簡便化↓追放体制の総仕上げをもくろむ。(*1)即ち日本人の手による朝鮮人敵視抹殺作業を完遂させることである。逆にそのことは朝日連帯の重要性を示唆している。
 在日朝鮮人内部にあっては、法的地位協定発行後、とりかえしのつかぬまでに深い亀裂を招来させている。日本政府の居住権の剥奪をテコとするゆさぶりはそのまま多様な分解を生む。法的位置をみても@一二六・二・六該当者(*2)A四・一・一六・二(*3)B四・一・一六・三(*4)C仮放免者D大村収容所被収容者E協定永住権収得者(*5)F一般永住権収得者(*6)G四・一・一・一三、一五(*7)H帰化者Iその他密航者で未確認者等の如く分化しており、今後表面化する可能性をもっている。また、社会的には@経済的格差の増大、A民団・総連の対立とその定着B世代交代=日本出生層の増加C日本政府の圧力による民族教育の不徹底さなどが相乗的にトータルなナショナルなものの喪失、或は民族内対立の生産↓再分割へと拍車をかけている。階級対立が民族矛盾への対応を規定していくのである。
 総連は朝鮮民主々義人民共和国の海外公民であることを基本に種々の分解を牽制してきたが協定永住権をめぐって、約一五万人の朝鮮籍から韓国籍への移動がおこっている。これは、ある意味で抽象化された一祖国」よりも、日本社会での生活を決意し、「資本の論理」によって生活を内実化させていこうとする層が顕在化している事を示す。(*8)同様の意味で民団に網羅されている層は「日本に住まわしてもらっている」式のマイナスの偏向を通じて連結されてるとみてよい。もちろん、これらの変化は朝鮮の政治的状況を度外視してはとらえられない。
 この動向=歪みは韓日政府↓領事館↓民団↓在日同胞という一連の圧力を通じて、「韓日友好」「反共」「永住権促進」等のスロ−ガンによって促進される。それ故、民団内部での韓日政府批判勢力の台頭は在日朝鮮人運動発展の律速段階として重要になる。
 六○年、南朝鮮の四・一九学生革命以後、民団内の新世代のたちあがりはめざましいものがある。軍政打倒声明をはじめ、特に韓日会談における「法的地位要求貫徹闘争」↓「屈辱的韓日会談反対闘争」をピ−クにして盛りあがる青年学生民団良識盾の闘争は、これまでにない民団系運動として評価される。締結後も韓国・日本支配層のしめつけ(*9)にもかかわらず、外国人学校法案反対、出入国管理令改悪反対の運動が展開され、日本政府の抑圧追放政策に少なからざる打撃を与えた。在日朝鮮人の多様な傾向をくみあげ、全体を解放しうる運動の内容が検討されねばならない。
 註
(1)外国人登録法、出入国管理令、さらに入管法案については「在日朝鮮人の人権を守る会」発行のパンフを参照。
(2)法律一二六号該当者。一九四五年九月二日以前から引き続き日本に居住していた者。その子で五二年四月二八日までの出生者。在留資格及び在留期問未定。
(3)(2)の子。入管令による在留資格(外務省令一四号)在留期間は三年、更新許可による。(4)特別在留許可者(三年以内)
(5)法的地位協定にもとづく永住
(6)入管令にもとづく永住
(7)入管令第四条規定、外交管、留学生、技術者等。法的地位については(1)に掲げたパンフに詳細に載っている。
(8)「祖国」ヘの志向は安易に現実の苦しさの回避となって人間的な感性(階級意識)がにぶらされてしまう結果になる。それは次の子供のイタイタしい叫びに似ている。「日本にいると『チョーセンジン』といって差別される。早く自分の国に帰りたい」−−その国が素晴らしい国であればある程、都合はよい。これは日本人の「チョーセン帰レ」という論調のウラ返しである。在日朝鮮人にとって必要なことは一在日朝鮮人として開き直る」ことである。それは現実の日本社会の矛盾を意識し、自己の主体的要求の中に対置させることである。(民族的階級的矛盾の自覚)
(9)韓国筋は外国人学校法案に対して「外学法が敵性団体(総連)に大きな打撃を与えるので黙認するように」という圧力をかけ、民族主体性のなさを示している。(在日韓国青年同盟『在日韓国人と歴史と現実』三七五頁)。
         
「セミナ−日本と朝鮮の歴史」井上秀雄、長 正統、秋定嘉 編著(1972.1)




 1970.3.31日日航機よど号ハイジャックされる。4.3日平壌入り。
 1973.8.8日金大中氏が東京のホテルから拉致される。
 1974.8.15日朴正き韓国大統領暗殺未遂、大統領夫人死亡。在日韓国人・文世光逮捕。






(私論.私見)