小泉首相の北朝鮮外交史(第二次訪朝)考 |
【「小泉首相の第二次訪朝」を論評する。その一】 | れんだいこ | 2004/05/27 |
2004.5.22日、小泉首相が第二次訪朝し、金総書記と日朝関係の懸案事項について約1時間半の会談を執り行なった。これに対する日本左派運動側からの論評が遅れている、ないしは混乱している。ところが、声明だしているところはまだしもで、過半の党派はノーコメントに堕している。この辺りの貧相さこそ今日の政治レベルにお似合いなのだろう。 声明を出しえている希少党派のうち、日共、社民党、朝鮮総連のそれは政府広報を鵜呑みにし手放しの礼賛を競い合っている。これらと逆見解を示しているのが中核派で裏読みに終始している。どちらもれんだいこを満足させるものではないが、2004.5.28日現在のことであるが声明を出しえただけでも「ご立派」と評すべきであろう、あぁ氷嚢が。 「小泉首相の第二次訪朝及び会談成果」をどう評すべきか。大上段からのこの問いかけなしに、蓮池、地村二家族子女の帰国、経済支援の約束等々の部分をことさら好評価したり批判したりし合っても意味が無かろう。「小泉首相の第二次訪朝及び会談」が今後の日朝関係にどういう影響を与えていくことになるのか見極めることこそ真に論評せねばならないことだと考える。この視点の上で、「一定の成果」、「未解決諸問題」、「今後の成り行き見通し」を俎上に乗せるべきであろう。 以上を踏まえて、れんだいこは次のように論評したい。結論から云えば、「こたびの小泉首相の第二次訪朝は本質的な点で日朝関係を何も前進させていない。遅ればせながら漸く第一次訪朝の成果ラインに立ち戻っただけに過ぎない。問われるのは今後であるがその見通しは暗いと予想される」と断定したい。以下、これを論証する。 まず、蓮池、地村家の子女帰国について。この問題は次のように考えるべきではなかろうか。小泉首相の第一次訪朝で、金総書記により拉致事件に対する歴史的謝罪が為されたことを受けて日朝共同声明が調印された。金総書記が拉致事件の存在を認め謝罪した時点で、北朝鮮から見れば、拉致事件はもはや早期に解決したい厄介案件になった筈である。 そういう背景を持って、第一陣として蓮池夫妻、地村夫妻、曽我氏の5名が「来日」してきた。予定では、滞在数日後一旦北朝鮮に「帰国」し、子女を連れて再来日(真の意味でこれが帰国)することになっていた。 このシナリオに水を差したのは、日本政府による再拉致であった。これにより日朝共同声明に基づく様々な履行が停止されることになった。それは小泉政権の上部に位置する国際資本の断固たる掣肘であった。そういう事情でその後は六ヶ国間外交に移行するが、もはや日本政府の主体的外交の場は与えられず、小泉首相の為した日朝共同声明の信義は宙に浮きピエロと化した。 この時点で、小泉首相は本来であれば、国家間協定に信を置かない稀代のペテン師首相として歴史に刻印され、当人も羞恥するところであるが、この御仁はそういうナイーブさを持ち合わせていない強みがある。何ともはや、その馬鹿さ加減が取り柄という変な首相である。 してみれば、小泉第二次訪朝による蓮池夫妻、地村夫妻の子女帰国は、自分達が勝手に難しくした案件を漸く解決したに過ぎない。前首相・森氏は、5.27日付毎日新聞によると「膠着状態破る好判断」と評しておりそれはまことに的確であるが、「膠着状態」のよってきたる原因を考えれば、為さないよりはましという以上の評価になるものではなかろう。本来何の障害も無いところの解決であり、手柄視されるには及ばない。 小泉外交の能力が問われたのは、曽我氏のケースである。小泉首相は金総書記との会談後、曽我さんの夫ジェンキンス(64)氏と娘2人に会い、1時間にわたって来日するよう説得している。しかし、ジェンキンス氏は来日すれば米政府に拘束される怖れを訴えた。 この時小泉首相はどう対応したか。何と、首相自身の保証による一筆口上書を呈示し説得を試みている。この場合求められているのは米政府の保証書であるのに、それを事前に根回ししておくべきであるのに、小泉首相自身のお墨付きで糊塗しようとした。この御仁はこういう馬鹿げた行為を時にする。これが不審行為として問われない日本の政界事情ではあるが、その場ばったりの思いつきサーカス芸を平気で為す軽薄首相であることが判明する。 小泉政治は、時にアクロバット的サーカス芸化しそれが世間を驚かすことがある。第一次訪朝時の日朝共同声明の調印がその典型例であり、周囲の予想を超えるものであった。しかし、この御仁は帰国するやきつくお灸をすえられ、許容された枠内のパフォーマンスから二度と出てはならないと釘を打たれた。 以降為したことは反日朝共同声明政治ばかりであった。しかし、日朝共同声明が為されたという史実はもはや消えない。こればかりは小泉政権の功績であろう。「歴史は夜作られる」ばかりでなく「はずみで作られる」こともある。歴史の摩訶不思議なところであるが、はずみで作られた政治が正解ということもある。 こたびの小泉第二次訪朝は、国内政治の苦境を挽回する為に試みられた再度のアクロバット芸であった。それを曲がりなりにも成功させた小泉は苦境を脱した。世論はそのように誘導されたが、拉致家族連は真実を見抜き怒った。第一次訪朝から第二次訪朝の間、そしてこの第二次訪朝においても蓮池夫妻、地村夫妻、曽我氏以外の被拉致者について何の進展も見られなかったからである。 それは、小泉首相が拉致被害者の救済について真摯に向き合うことなく拉致事件をひたすら政治利用していることにがまんの限界を覚えたからであろう。当事者は概して評論を為す余裕が無い代わりに事の本質を早見えする。この場合もそうで、小泉首相の「軽さ」を見抜いた。 |
【「小泉首相の第二次訪朝」を論評する。その二】 | れんだいこ | 2004/05/27 |
こういう按配であるから、他の協議ないし確認事項も「上の空の取り決め」に陥る可能性が強い。なぜそういうことが云えるのか。以下論証する。 小泉第二次訪朝を論評する際のキーポイントは、「首脳会談1時間半の秘密」の中にある。一体、小泉は、この時間の中で何を遣り取りしたのか。あるいは誰に遠慮して短時間の表面的な会談にせざるを得なかったのか。これを解く事こそ小泉第二次訪朝論となるべきだろう。 小泉首相は第二次訪朝で何を前進させたのか。蓮池、地村両夫妻の子女の帰国以外に何も達成していないことに気づかされる。「日朝関係の友好的促進」、「日朝平壌宣言の履行」、「経済支援」、「経済制裁せず」的約束はいわばコマーシャルに過ぎず、それは事前の申し合わせで確認していた事項であるからしてシナリオ通りに過ぎない。 従って、これに対する特段の評価には及ばない。あくまで今後の具体的進展によって初めて評されるところのものである。れんだいこがなぜコマーシャルに過ぎないと云えるのかというと、こたびの会談に成果があったとすると本来は経済交流加速に言及すべきところ何の進展も語られていないからである。 今や日帝は、1980年の中曽根政権の登場以来一瀉千里にシオニストの軍門に下りつつある。中曽根−小泉政権の特質は、表見的には民族主義者の顔をしつつ実質的には売国奴政策に嬉々として向かうことにある。9.11以来の日帝の米英ユ同盟の戦争政策に対する支援金、それでは飽き足らずとばかりにイラクへの自衛隊初の公然武装派兵、更に目下画策されつつある増強派兵、その為の国内関連法整備はシオニストのシナリオ通りのものであり、小泉政権の延命はひたすらこれを忠実に遂行するところに存立している。 そういうわけであるから、こたびの会談で小泉首相は、ブッシュ米国大統領の「対イラク戦の如くな北朝鮮征討戦為さず論」をメッセンジャーボーイした。これを警戒する金総書記の考えを6月初めの主要国首脳会議(米シーアイランド・サミット)でブッシュ大統領に伝えると約束するという形で、何のことは無い米英ユ同盟の最も忠実なポチとしての己を誇示した。 ここは見逃せないところであるように思われる。小泉首相は、会談に何度もブッシュを登場させることで、己がブッシュのタガはめから一歩も出ないこと、今後の日朝関係は米英ユの意思に従って為されることを伝えた、とれんだいこは推定する。 ところが、米英ユ同盟の現在は中近東問題に忙しい。罹りつけの状態にあると云える。となると、余程のことが無い限り北朝鮮問題は後回しされることを意味する。となると、米英ユ同盟の戦略に忠実に添うことに政権の延命を見出している小泉首相の採る方策は、中近東問題に一層米英ユ同盟化する政策であり、それは憲法9条の改悪改憲から始まる国内法の諸整備、自衛隊の増強派兵、戦闘地域への武力介入へののめりこみ以外に考えられない。つまり、日朝問題は当分お預け状態に置かれることが必死で、道理で第一次会談も日朝共同声明も第二次会談も何ら実を結ばないことにならざるを得ない。 この観点こそ「小泉首相の第二次訪朝」を論評する際の視座にならなければいけない。恐らくこの通りに推移するであろう。拉致事件問題は政治主義的に利用され尽くすであろう。こたびの突然の訪問発表も、6月の参議院選対策且つ年金問題で揺れる国内政治における政権の危機から目をそらせる手法でタイミングよく執り行われた。小泉首相はそれを表見的に成功させた。 この経緯を見れば、金王朝は、元々小泉政権に何がしかを期待するというのが野暮そのものであることを知るべきだろう。否もはや冷厳にこの現実を見定めていることであろうが。してみれば、「小泉首相の第二次訪朝」を礼賛することは愚劣である。極端に云えば実質的な進展の無い「凍結会談」でしかなかった。それを知る金王朝は、出迎えに当たって下級官僚に接遇させた。この「冷ややかさ」こそこたびの会談の質を象徴していると窺うべきだろう。 この「冷ややかさ」について、2004.5.28日付けスポーツニッポンの重村智計(早稲田大学教養学部教授)氏の「“こらしめられた”小泉首相」は次のように記している。「空港に出迎えたのは、相当に格下の外務次官であった。これは、日本の外相か外務次官が訪問する時の接迎である。更に、首脳会談の迎賓館は、二級の施設であった。この場所で、首脳会談を行ったことはなかった。更に、平壌市内ではなく20キロ以上も離れた郊外にあって、平壌に『入城』させなかったのである」。 こういうこともあって、2004.5.24日の閣僚懇談会で拉致議連前会長の中川経産相は次のように述べるところとなった。「北朝鮮側の対応が、一国の首相を遇するのに十分だったのか。外務省は十分準備をしたのか」、「(小泉首相を空港に出迎えたのが金永日(キム・ヨンイル)外務次官だったことなどをとらえて)非礼だったのではないか」、「会談時間が短かったのではないか」。 これに対して首相は「そうではない。自分が滞在した迎賓館に(金正日=キム・ジョンイル=総書記が)あいさつに見えるやり方だった」と説明。首相はまた、中川経産相がと指摘したことには「1時間半は決して短くない。時間内に言うべきことはすべて言ってある」と反論した。 5.26日付け朝日新聞に「首相訪朝が家族帰国の条件、北朝鮮が首相に伝達」なる見出しで、貴重な記事が掲載されている。それによると、5.25日の夜、小泉首相は財界人との会食の際に、「北朝鮮側が拉致被害者家族の帰国・来日の条件として首相の訪朝を求めていた」ことを明らかにした。会食に同席した経済評論家の田中直毅氏が明らかにしたところによると、「北朝鮮側が『首相が来ないと(拉致被害者の)子どもたちを帰さない』ということなので、自分が行かざるをえないと前から算段していた。日本側は当初、首相の代わりに川口外相の訪朝を打診したが北朝鮮側が断った。駄目だというから自分が行った」、「今回の訪朝は遅かったくらいだ。もっと前から行きたいと思っていた」、「(北朝鮮側から)ずっと前からそういう要求があり、本来もっと前に行きたかったが、国会があってこの時期になった。だから準備不足の批判はあたらない」と強調したという。 これらの情報により推断すれば、こたびの小泉第二次訪朝が蓮池、地村両夫妻の子女の帰国のみにあり、それを政治主義的に利用するところに眼目があり、日朝関係の友好親善的見地から為されたものではないことが明瞭であろう。
あまりコメントされていないが、こたびの会談で小泉首相は、北朝鮮にいる「よど号」事件容疑者の引き渡しも求めている。金総書記の返答は為されなかった模様であるが、小泉流政治解決とは露骨なタカ派外交にあることが判明する。「よど号事件」はあの当時における「不幸な事件」であり、引渡し後の処遇さえ取り決めないうちの「純粋的容疑者引き渡し」を外交課題にすべきでは無かろう。英明な判断が要求される問題であるように思われる。 |
【「小泉首相の第二次訪朝」を論評する。その三】 | れんだいこ | 2004/05/28 |
さて、我らの日本左派運動の諸党派はどのように論評しているのだろうか。 その前に「小泉第二次訪朝」前の御用系イデオローグの見解を見ておく。中西輝政氏は、2004.5.15日付の産経新聞紙上で次のように述べている。「一番危険なのが日米提携だ。米国は日本が『対話と圧力』から『対話』一辺倒になることを心配している。当然、六カ国協議での日米歩調が乱れ、韓国を今以上に北朝鮮寄りにさせる懸念もある。首相の訪朝は極めてリスクが大きく、情報開示がないまま八人が帰国しても、北朝鮮とどんな密約をしたのかと、疑心暗鬼にならざるを得ない。特定船舶寄港禁止法案が成立してからにしてほしかった。訪朝の結果、法案が流れると日本外交の大転換となり、日米関係への悪影響は避けられない」。 これによれば、中西氏は、「小泉第二次訪朝」により小泉首相が金総書記に篭絡される危険性を指摘している。丁度れんだいこと真反対の観点から「日米関係への悪影響」を杞憂して見せている。れんだいこには中西氏がシオニストの側の心配を的確に見抜き、その気持ちを代弁しているように見えて興味深い。 社民党、共産党はノー天気にも「小泉首相の外交成果」を称賛している。赤旗は、政府発表のコミュニケをあたかもそれが実現するかの如くに要約整理して記事と為し、それで論評した気分になっている如くである。書記局長・市田の「日朝首脳会談の結果について」の談話は、批評する能力も欠いて単に意見具申しているに過ぎない。 れんだいこはもはや日共に何の幻想も持ち合わせていないのが、この程度の見解を共産党から聞かされねばならないとは悲しいことである。この調子で行けば近いうちに歴史的総破産し雲散霧消することが間違いなかろう。 今、日本左派運動が為さねばならないことは、「小泉首相の外交成果」と引き換えに我が日本が「戦争への道」へ更に引きずり込まれようとしていることに対する的確な批判である。@・憲法改悪改正、A・イラクへの自衛隊派兵増強、B・その強能動化、C・これに関連しての軍事・国防・治安警備法の強化等々これらの政策がなし崩し的に強行される事態のうちにあることを見据えねばならない。しかもこの道は大衆への更なる収奪の道でもある。 さて、中核派はどのように述べているのだろうか。5.24日付けで「5・22日朝首脳会談を徹底的に弾劾する」声明を発表している。このタイミングの素早さはひと昔なら当たり前だが今日では評価される。見出しで、「小泉再訪朝は拉致問題解決のペテンで金正日政権転覆=米日共同侵略戦争に踏み込む攻撃だ」とある。以下、内容を検討して見る。 中核派の見解は、社民党、共産党の賞賛と対照的で裏読み批判することに忙しい。概要「今回の日朝首脳会談は、小泉政権による帝国主義的戦争外交であり、その背景には、米帝とともにイラク情勢に深々と引き込まれた日帝の体制的危機がある」と述べ、万年体制危機論の見地から捉えようとしている。 「小泉訪朝の狙いは、日帝が米帝とともに、帝国主義の重圧にあえぐ北朝鮮・金正日政権をえじきとして北朝鮮侵略戦争を発動する条件づくりにある」と述べており、北朝鮮侵略戦争の日が近いことを煽っている。 概要「蓮池夫妻、地村夫妻の子女帰国は、これを実質的に見れば、日本側が金正日政権を大きく屈服させたものであり、これまでの北朝鮮の態度から言えば明らかに大幅な屈服であり譲歩である。そのほか核問題の平和的解決やミサイル発射実験の凍結、ピョンヤン宣言の遵守などを、日帝に向かって約束したことと合わせると、金正日政権がほとんど全面的に日帝にひざを屈したと言って過言ではない」と見立て、金王朝のなし崩し的屈服論の見地を採っている。 「第四に、重要なことは、この対北朝鮮外交が現下のイラク侵略戦争情勢と結びついているということである。米英日帝のイラク侵略戦争が泥沼に陥っている中で、イラク侵略戦争をあくまでも継続・激化・拡大するために、金正日政権を抑え込んでおく必要から、小泉は金正日との直接会談を決断したのである。米英日帝の意を体して、小泉は訪朝したのだ」とも述べており、「米英日帝の意を体して、小泉訪朝」の見地を採っている。 れんだいこの捉え方はことごとく微妙に違う。万年体制危機論はその資本主義体制の延命の歴史とワンセットで捉えないと意味をなさないと思うし、「北朝鮮侵略戦争の日が近い」とは思わないし、「金王朝のなし崩し的屈服論」は採らないし、「米英日帝の意を体しての小泉訪朝説」とも見解を異にする。ここではこれをこれ以上問わないことにする。 「だが金正日政権は、南北・在日朝鮮人民の反帝・民族解放の決起に依拠せず、国際労働者階級の決起に敵対するスターリン主義反革命ゆえに、結局核カードにしがみつくしかないし、日帝に屈服してでも経済援助を得るしかないのである」は意味深である。 賛同するのは次のくだりである。「日帝は、そうした排外主義の高まりと野党の屈服をもテコにして、小泉訪朝の結果を受けて、今国会での有事法案(7法案と3協定条約承認案)および特定船舶入港禁止法案の成立へ全力を挙げている」との見立てのところである。この視点こそ日本左派運動が確立せねばならない観点であるように思われる。 「金正日政権は、全朝鮮人民の利益を踏みにじり、民族解放闘争を裏切り、自己の延命のためにはどのような反人民的犯罪をも凶行する政権である。だが、この反人民的政権を打倒するのは南北朝鮮人民以外にはない。それを米日帝が『非民主的だ』といって戦争をしかけて転覆することは絶対に許されない。南北・在日朝鮮人民がその民族自決の行使として米日帝の侵略戦争に反対し、金正日政権を倒し、南北統一をかちとっていく道だけが、真の解放の道である」。 (れんだいこコメント)れんだいこは、金王朝についての見解を固めていないのでとりあえず聞いておくことにする。 「日本の労働者人民は、5・22日朝首脳会談を新たな契機に噴き出している在日朝鮮人民に対する排外主義・テロル、朝鮮総連への弾圧、民族教育機関への経済制裁的締め上げなどを断じて許さず、対北朝鮮制裁キャンペーンを打ち破り、米日帝の北朝鮮侵略戦争を阻止し、ともに南北統一に向かって闘っていこう」。 (れんだいこコメント)道筋としてはそうかも知れないが、「南北統一に向かって闘っていく時代」は終わり、「平和共存の下での対話、交流の促進へ」で良いのではないかと思われる。が、見解を固めていないのでとりあえず聞いておくことにする。 |
【「小泉首相の第二次訪朝」を論評する。その四】 | |||||||||||||||||||||||||||
さて、締めくくりに「情けなや北朝鮮」について述べておく。れんだいこは、北朝鮮の経済的苦境の実態について生の情報を持っていないので断言的にはコメントしにくいが、このところの「経済支援被国としての北朝鮮」から見えてくる国家体制のお粗末さに一言しておきたい。 れんだいこが多感であった60年代末から70年代の北朝鮮は、金日成首相の音頭による主体思想、千里馬運動による希望の国の一つであった。他にもカストロ首相の率いるキューバ革命、中国の毛沢東思想及び文化大革命も魅力的であった。ところが、あれから30余年経過して「経済支援被国」に成り下がっている北朝鮮を見て、その原因を考えない訳にはいかない。はっきり云えば反面教師的位置づけで、解析せざるを得ない。 その主要課題は、一体、先行試験的社会主義国家がなべて経済的停滞に陥ったのはなぜなのかの考察であろう。本来であれば、先行試験的社会主義国家は逆に、経済支援国に成り上がっていてもおかしくない。社会主義体制への希求にはその種の期待があった筈である。何故に「情けなや北朝鮮」を見ねばならないのだろうか。 以下、れんだいこなりにその要因を考えて見る。「他山の石」的教訓にまみれていないだろうか。
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【日朝首脳会談】 | ||||||||||||||||||||||||||||||||
2004.5.22日、小泉首相は1年8ヶ月ぶりに再訪朝し、平壌市郊外の大同江(デドンガン)迎賓館で金正日(キムジョンイル)総書記と約1時間半会談した。北朝鮮側は姜錫柱(カンソクチュ)第1外務次官が、日本側は山崎正昭官房副長官や外務省の田中均外務審議官、薮中三十二アジア大洋州局長、伊藤直樹北東アジア課長、別所浩郎首相秘書官が同席した。 発表に拠れば、会談は次のように遣り取りされた。
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【日朝首脳会談に対する各界の反応】 | ||||||||||||
小泉首相の第二次訪朝につき、新聞各社の世論調査によると内閣支持率を上昇させた。政府・与党は概ね安堵し、「小泉首相のリーダーシップを好評価」した。 民主党の岡田代表は、「とりあえずよかった」と評し、小沢一郎前代表代行は「拉致は国家テロ。『テロに屈しない』と言った人が、身代金を払って5人を連れてきた。人気取り、選挙目当てのパフォーマンスに(人道支援の)大枚を差し出したのは言語道断だ」と批判した。拉致議連幹事長の西村真悟衆院議員(民主)は「平壌に首相を呼んだのが制裁を放棄させるための北朝鮮の戦略だったとすれば、首相はまんまとその戦略に乗った」と批判した。 在日本朝鮮人総連合会(朝鮮総連)は22日、日朝首脳会談の結果について「日本側が制裁発動をせず、在日朝鮮人を差別せず友好的に対応すると言明したことを歓迎する」との広報室のコメントを発表した。「拉致被害者家族の帰国と再会が実現したことは大変良かったと思う。会談を機に政府間会談が再開され、国交正常化の実現を願う」と声明した。 日共は、2004.5.22日付赤旗で、日本共産党書記局長・市田忠義が「日朝首脳会談の結果について」と題して、
「日本共産党は、日朝間の諸問題を、平和的な交渉によって、道理ある形で解決することを一貫してめざし、そのために努力してきた政党として、今後とも力をつくすものである」と結んでいる。会談内容の客観的報道に終始し、小泉首相の外交的成果として手放しで礼賛している。 社民党は、2004.5.22日日付「日朝首脳会談の結果について(談話)」を社会民主党幹事長・又市征治が次のように発表した。
社民党の評価も日共のそれと変わらず、歓迎声明に終始した。 |
5・22日朝首脳会談を徹底的に弾劾する 5月24日 革命的共産主義者同盟 |
小泉再訪朝は拉致問題解決のペテンで金正日政権転覆=米日共同侵略戦争に踏み込む攻撃だ(一) 5月22日、小泉が再訪朝し、北朝鮮・金正日と会談した。小泉は、この首脳会談について、拉致問題を解決し、核問題でも前進した、また国交正常化へ02年日朝ピョンヤン宣言を再確認したことは平和への第一歩であったとうそぶいている。 (二) 5・22日朝首脳会談で次の諸点が確認されたと言われている。 (三) われわれは、5・22小泉訪朝による対北朝鮮外交に全面的に反対する。なぜなら、それがイラク侵略戦争下でのまぎれもない帝国主義的戦争外交だからである。5・22日朝首脳会談は、日帝あるいは米日帝の側からイラク侵略戦争継続・激化・拡大のために、その一環として行われたものであり、同時に6者協議の枠に北朝鮮を何としても引き込みつつ、北朝鮮侵略戦争発動への道を敷くためのものとして行われたのである。 (四) 北朝鮮スターリン主義にとって、5・22日朝首脳会談は何だったのか。一方では、イラク侵略戦争によって加重された戦争重圧に追いつめられ、窮地に立たされ、他方では、国内経済危機の激化、とくにその経済改革のもたらす矛盾――物価高、賃金格差の拡大、ヤミ経済の拡大による経済社会システムの混乱、食糧難、飢餓、竜川駅列車爆発事故など――によって、金正日政権が崩壊的危機にある中で、何とか息継ぎを得たいということである。 (五) 5・22日朝首脳会談は、有事立法阻止闘争を解体し、日本の労働者人民を、国交正常化のペテンと対北朝鮮排外主義をもって、イラク侵略戦争と北朝鮮侵略戦争に動員する攻撃である。 |
【対北朝鮮:食糧支援は70億円余 政府方針】 |
2004.5.26日、毎日新聞情報によると、日本政府は、日朝首脳会談で小泉純一郎首相が表明した北朝鮮に対する25万トンの食糧支援について、金額で70億円余とする方針を固めた。北朝鮮側は「コメ支援」を主張しているが、政府はすでにトウモロコシを中心にコメ、小麦の混合とする方針を決めている。医療支援1000万ドル相当と合計すると、北朝鮮への人道支援総額は80億円余りになる見通しだ。 政府は世界食糧計画(WFP)が近く出す北朝鮮への食糧要請に応じる形で支援する。食糧支援をめぐっては、「拉致被害者の家族帰国の代償ではないか」などの批判が相次いでいる。政府はこうした批判を考慮し、コメより安価なトウモロコシ主体の援助にすることで支援金額を抑制することにした。25万トンの規模については、WFPの食糧援助計画や韓国の支援量(50万トン)などを参考に決定した、とある。【毎日新聞、中澤雄大、2004年5月26日 15時00分】 |
【G8での小泉首相の日朝首脳会談の約束履行ぶり、弱脳考】 | れんだいこ | 2004/06/15 |
2004.6.8日、「首相の側近筋情報」として、小泉首相が日米首脳会談でブッシュ大統領に次のように告げたことが明らかになった。「北朝鮮の金正日(キム・ジョンイル)総書記は、のどがかれるほど(ブッシュ米大統領と)ダンスしたいと思っている」。これに対し、ブッシュ大統領は「バイ(2国間協議)はやらない。6者だ」と拒否。首相はならば、「6者協議の際に2国間で会うのはどうでせうか」と次善策を具申した、という。 これを、「これでは金正日のお使い小僧だろう。小泉は自分の下半身を握っているのが北朝鮮だとでも思っているのだろうか」と評する向きもあるようである。どうしたらこのような理解が生まれるのだろう。れんだいこの理解は全く異なる。 ここで窺うべきは、先の第二次日朝会談の席上、金総書記が米国による一方的攻撃懸念表明したことにつき、小泉首相が、概要「ブッシュ大統領にはその意志は無い。しかし金総書記がそのように案じているのなら、6月初めの主要国首脳会議でブッシュ大統領に伝える」と約束したことを受けての発言であり、それを、「金総書記は、のどがかれるほど(ブッシュ米大統領と)ダンスしたいと思っている」なる言辞でもって履行したことになる。これを窺うべきである。 この言葉は、「金総書記のお使い小僧」としてのそれではなく逆に、「金総書記の先の発言に対するレイプ的愚弄」であろう。「金総書記は、のどがかれるほどブッシュ米大統領とダンスしたいと思っている」なる発言からは、金総書記があたかも命乞いしているかのようにさえ受け取ることができる。それは金発言の凌辱であり、レイプ魔小泉らしいメッセンジャ−ぶりであることを知るべきではなかろうか。 小泉という御仁の品性劣悪さが分かるではないか。あたかも、広域暴力団ブッシュ親分に落ち目組の窮状を面白可笑しく伝えて対応策を協議している渡り鳥ブローカーの口車、節操の無さを感じるではないか。落ち目組の組長は、この御仁には二度と相談できないことを悟ったであろう。仮に親しくしたとしても隙を見て背中から斬りかかってくる輩であることを知ったであろう。これが個人小泉の世界の行状ならまだ許される。小泉の場合、一国の首相行為として責任が伴っているのだからあぁ氷嚢が。 この時、小泉首相は、「自衛隊の多国籍軍参加」も「I guarantee(私が保証する)」している。この場合の「I guarantee(私が保証する)」は果たされそうである。職責に賭けて国会対策に精出す決意のようだから。イギリスのブレアはブレるが私は純だから地の果てどこまでもお供しますよブッシュ桃太郎閣下、ついては私のお引き立てのほどは終生お願いしますよ、てなところだろう。「弱い者に対する異常な強面ぶりは強い者に異常なゴマすり」することがままある。平衡感覚的にツジツマが合っているのだろう。 この時、「ジェンキンス問題」についても打ち合わせしている。日本政府はこれまで米国に「特別な配慮」を求めてきたが、ブッシュ大統領はこれを拒否し、「四つの異なる罪で手配している」と指摘し、「来日した場合には、身柄引き渡しを求めざるを得ない」との米国の方針を明確にした。外務省は、「イラク戦争のさなか、脱走兵の訴追を免除したとなれば軍の規律が保てない。大統領が免除を約束するのは困難」という読みをしている。 しかし、これも又奇妙な遣り取りだ。小泉首相は先の日朝会談後のジェンキンス氏との会談で、ジェンキンス氏に「I guarantee(私が保証する)」と来日後の身柄の安全を保証した経緯がある。この「保証」が何の裏づけの無いは空手形だったことが判明したことになる。ならば、一国の首相の発言の重みはどうなるのか。こったら口軽御仁を首相に据えておいて良いのか、という問題が発生しよう。 れんだいこは思う。小泉の変態ぶりが官僚式のそれでないことに幻惑されそれがあたかも新鮮に映ってきたが、こいつは正真正銘のタワケ者ではないのか。「慶応二浪、三留、政治力でやっとこさ卒業」、「レイプ魔、不正年金加入、履歴不詳偽称」こそ小泉の資質を雄弁に物語っているのではないのか。 一定評価されている彼の弁論術も、党内タカ派の随一暴力男としての履歴の中で鍛えられたやくざ路線の異色性においてのみ認められるものでしかなく、それが注目されお引きがかかりその限りで権勢化しており絶対権力を確立しているだけではないのか。 我々は、そのお粗末さ貧相さをもう既に十分見てきた気がする。未だにこれに追従する者の愚昧さこそ推して知るべし。読売、産経の阿諛追従劇がどこまで続くのか、この辺りが見ものになってきた。 20004.6.14日 れんだいこ拝 |
(私論.私見)
5月26日 新聞晨報
http://www.jfdaily.com/gb/node2/node17/node33/node33813/node33815/userobject1ai504406.html
中国国際放送局報道
花束も国旗もない22日午前9時15分、小泉の乗る日本航空自衛隊特別機はゆっくりと平嬢順安空港に着陸した。彼がタラップを降りる時、その表情は厳粛で、広々とした順安空港はひっそりとし、平嬢に取材に駆け付けた日本人記者の1群のほかは、歓迎するホスト国の民衆や手に花束を持った少年もおらず、両国国歌を吹奏する儀仗隊もなく、空港の旗竿の上には、なんと朝鮮と日本の国旗さえない。小泉を出迎えたのは朝鮮外務省副相(副部長に相当する)の金永日だ。日本メディアの報道によると、金永日は駆け寄って、小泉と握手をして挨拶したが、小泉の笑顔はなんともいやいやながらだったという。2002年9月17日に小泉が初めて朝鮮を訪問した時、空港まで彼を出迎えたのは朝鮮最高人民会議常任委員長の金永南だった。今回、朝鮮側が小泉来訪に対する接待のランクを下げたのは明白だ。
その後、小泉は朝鮮側が用意したリンカーンに乗り、大同江迎賓館に向かった。順安空港から平壌市街区への路上にも、外国貴賓の来訪の兆しは全然見当たらなかった。各種の車は平常通り通行し、都は落ち着き払っており、道を譲ろうと考える人などいなかった。
話さず書くのみ
日本メディアの報道によると、小泉が朝鮮国内に滞在したのは10時間にも満たないが、訪問中に万に一つの失敗もないようにするため、日本側は一週間前に朝鮮へ、外務省、警察庁、防衛庁の職員、および中国と韓国の外交官によって構成した50数人の「先遣隊」を派遣していた。
報道によると、この「先遣隊」は平壌に「現場準備本部」を急いで設置し、両国首脳会談の手配と訪問の後方勤務のほか、その主要な任務は、小泉の朝鮮での安全と極秘任務にあった。このため、「先遣隊」のうち警察庁と防衛庁の職員は、順安空港の滑走路の長さ、平坦度、航空管制塔コントロールシステムなどの情況の実地調査を行い、小泉の車列の運行ルートやホテルに対しても徹底的に調査した。前回の小泉朝鮮訪問時と同じく、日本の保安職員とすべての職員は、いかなる武器も携帯する事を許されず、但し、紙とペンだけは身に着けていた。
もともとは、小泉の前回朝鮮訪問時、身内の談話や東京方面との通信が盗聴されることを心配したため、日本代表団は非常に厳格に守秘措置をとり、通信暗号機を朝鮮に持って来た。今回、小泉が平壌に到着した後、日本側職員は、なんと、暗号機さえもう信頼できないと感じ、そこで言葉を放棄したため、メモによる相互疎通しか方法がなくなった。
手弁当の訪問
その他にも、小泉の朝鮮再訪問では、日本側は朝鮮側に常規の歓迎式と宴会を行わないように要請、小泉もいかなる答謝活動を行わないとし、そのため訪問の「実務性」が突出した。しかし不思議なのは、今回の再訪問で、小泉一行の食事、飲料水をすべて日本から持って行った事だ。安全的原因からであることは分からなくもないが、その他の事を考慮したのかもしれない。
このため、5月22日昼頃、日本メディアは、小泉が朝鮮で食事をとるニュースばかり報道した。2002年9月の朝鮮訪問での昼も、日本のテレビ局は小泉が朝鮮で昼食をとる画面を放送した。当時、朝鮮での指導者金正日と小泉の会談終了後、朝鮮は何度も日本側代表団に昼食を共にするように招待したが、小泉は断固として拒絶した。彼がホテルに帰って先ず始めたのは、特別機で運んで来た日本の「幕の内」弁当を取り出した事だった。いわゆる「幕の内」弁当とは、四角形の木箱内をいくつかの小さな格子に分け、ご飯といろんな小料理を詰めたものだ。