449―1311 北朝鮮建国史

 朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮と記す)の国家成立史は、ヴェールに包まれている。少なくとも中国建国革命のような経過を見せていない。

 1945.8.15日の日帝敗戦前後、ソ連軍が権益奪回の挙に出た。一説によると、この時、満州でパルチザン闘争を敢行し、日本軍に追われてソ連沿海州に逃れていた33才の「金成柱」ソ連軍中尉に、パルチザン伝説の英雄「キムイルソン」の名前を騙(かた)らせて、ソ連軍戦車とともに北朝鮮に送り込み、この流れで北朝鮮が「上から」建国されたという経過があるようである。ただ、「金成柱」が17歳のとき、「金日成」に名前を変えたという説もある。彼が、抗日パルチザン闘争をもっとも勇敢にたたかった指導者であったことは事実である。1949年、ソ連は、「金成柱(金日成)中尉」を朝鮮民主主義人民共和国の指導者に据える。

 このソ連衛星国政権設立の経過は東欧諸国と北朝鮮とでほとんど同じパターンである。このいきさつが北朝鮮のその後の国家建設に付き纏い、「白頭山伝説」を生み出している。概要「『白頭山伝説』は、“ソ連衛星国”成立経過を覆い隠すための真っ赤なウソと誇張とを織り交ぜた国家史であり、かくて
『公然とウソと自己讃美誇張の歴史』が続いていくことになった」やに見受けられる。

 宮地健一氏の「共産党問題・社会主義問題を考える」「6、北朝鮮・中国問題」は次のように述べている。

 「社会主義権力の樹立過程が、自力でなく、ソ連軍戦車とソ連・モスクワ帰り共産党員でなされた国家とマルクス主義前衛党は、国民の中に、長期の祖国解放戦争の先頭になってたたかってきた信頼と権威を勝ち取っていません。それだけに、政権基盤がもろく、不安定です。その面で、ナチスとのパルチザン闘争で自力解放をしたユーゴや、中国、ベトナム、キューバと決定的に異なります。そこから、どうしても“人為的権威ねつ造”工作としての「ウソと誇張の公認・国家成立史」を絶対必要条件としました。拉致被害者の子どもたちも、全員が、生まれたときから、この“刷り込み歴史教育”操作を施されています」。


【「金日成個人独裁成立史」考

 「金日成個人独裁成立史」の裏側実態は、党内他派粛清で血塗られている。東欧型のソ連衛星国政権成立当時、各派の統一・吸収でできた朝鮮労働党内には南朝鮮労働党(共産党)派、中国延安派、モスクワ派、満州(パルチザン)派の4つの派があった。金日成は、満州(パルチザン)派の権力者で、ソ共の党・軍の支援を受けて、他の3派を次第に駆逐していく。3派は朝鮮戦争前後を通じてすべて粛清され、“金日成・1分派独裁”体制が築かれることになった。

 さらに、パルチザン派内の粛清も行なわれ、「金日成個人独裁体制」が構築されていくことになる。北朝鮮社会主義の成立史、粛清史については、除大粛・ハワイ大学研究所所長の大著「金日成、思想と政治体制」
(お茶の水書房、1992年)において、綿密な研究が為されている。






(私論.私見)