田中清玄の言行録

 (最新見直し2005.11.13日)

 (れんだいこのショートメッセージ)
 詳細は、「清玄血風録・赤色太平記」・「自伝」(インタビュー大須賀瑞夫・文芸春秋・1993.9.10日初版)に譲るとして、清玄流為になる処世眼力論、左翼運動論を抜き出して見たい。「唐牛問題(「歪んだ青春-全学連闘士のその後」)考」でも考察した。

 2005.11.13日 れんだいこ拝


【戦前の体制批判、日本人の歴史健忘症批判】
 「この程度の人間が日本を動かしているのかと、情けなや」

 これは弟子入りした元日本共産党書記長田中清玄が、玄峰老人の秘書となって「麹町番町のご隠居=小森雄介」を訪ねた時に、時局絡みの話になった際、小森老人が「よかった、よかった、大勝利だ。これでアメリカは滅びる。日本の天下だ」とはしゃいでいたのに対して述懐した田中清玄の言葉である。当時、この小森老人の広いお屋敷にシナ浪人や満州浪人がたむろしており、軍人、政府役人も多数出入りしていた。


【政治家批判、ジャーナリズム批判】
 「薄汚い連中が、見てくれだけでごまかしの政治改革をやったって、何の役にも立ちません。かえって蔓延させるだけだ。こういう連中が政治家を辞める事、これが一番だ。それからこういう政治の腐敗勢力にくっついている一部のジャーナリズムも問題だ。これは国を滅ぼす」。
 「彼(岸)のやり口はね、ヨーロッパでもアラブでも東南アジアの国々でも、どこでもそうなんだが、すべて利権はその一切を自分の手に握るという、独占的且つ独裁的なやり口だ。これは彼が戦前の軍部と結託し、東条と結びついて、権力の中心に自分が座るという、極めて権力志向の強い彼の性格そのものかからきている。戦前、戦中、戦後を通じて、このような手口で日本を毒し続けて来た岸信介、河野一郎、児玉誉士夫、この連中を今でも俺は許せない」。
  「(最近の政界のリーダー評)昔が良かったとか、最近は小粒になったとか、単純に決め付けるつもりはないが、最近のアメリカナイズされた社会全体の風潮、それが政治家もダメにしてしまっている。テレビ多用の選挙で大衆的人気さえあれば、誰でも大統領になれるような風潮です。日本ではそれにプラス金を集める能力さえあればいい(笑)。イギリスを見なさい。エスタブリッシュメントが厳然として存在している。彼らは子供のときから、指導者とは斯くあるべしという教育を、徹底的に叩き込まれる。政治家としての勇気や情熱、それに歴史観に裏打ちされた洞察力があるか、ないかが問われる。日本の国民大衆はそんなことは全く問わない」。
 「(当時の宮沢首相を評した後)かっての日本はそうだった。先帝陛下があれだけ平和を唱え、日米戦争を回避しようとされたのに、民衆はそれを許さなかった。その民衆を動かしたのが軍部と官僚たちだ。そしてそのお先棒を担いで旗を振ったのが、ジャーナリズムだ。こんなものを我々は民主主義だとかいって、神様のように信じることができるか。現在はまだそういう馬鹿どもが残っている。衆愚といったが大衆はもともと馬鹿ではありませんからね。衆愚にさせる奴が居る。大衆を衆愚にさせちゃいかんということだよ。政治家、官僚、そして新聞の責任は大きいぞ」。

【児玉批判】
 「児玉は聞いただけで虫唾が走る。こいつは本当の悪党だ。児玉を誉めるのは、竹下や金丸を誉めるよりひでえ。赤尾敏というのもいたな。彼をねじ上げて摘み出したことがあった。俺がまだ学生の頃です。彼は我々がデモや集会などをやつていると、警視庁と組んで、解散させにやって来るんだ。胸に『国民糾察隊』などという腕章をつけ、ナチスと同じようなユニフォームを着てね。まず赤尾が騒ぎ、警察がそれを口実に介入して集会を中止させるというのが、彼らの常套手段なんだ。いつもやってくるから顔は知っている。(中略、ある時のこと赤尾が集会破壊行為に乗り出し、田中清玄が起ち上がった)この野郎と後を追いかけていったら、何と本富士署の中に逃げ込むんだ。慌てて引き返したが、こっちも危うくその中へ入ってしまうところだった(笑)」。

【官僚批判】
 「日本外務省の連中の、この奴隷根性だけは我慢ならん。なぜならこれは国を滅ぼすたらだ。何もアメリカと喧嘩しろと云うのしゃない。もういい加減に自立国家の矜持(きょうじ)を持てと云いたいんだ」。

 「(アブダビの石油採掘権の委譲交渉過程に言及して)我々がいかに努力をしたか、そして日本の役人がそれをいかに妨害したかを良く知っているから、何を今更というようなもんですよ」。


 「だいたい日本の官僚は平気で嘘をつく。都合が悪くなれば『言わなかった』なんて言い出すんだ。こつちの信用に関わるからね。外務も通産も大蔵もみな一緒だ」。

 「外務省なんかは、アメリカ、アメリカなんてアメ公だけでやっていけると思っている。とんでもないことですよ」。


 「(近衛首相の無能さを指摘した後で)日本の秀才というのはこの程度で、まったく底抜けの阿呆だ。本来味方にするものを敵にしてしまうんだから。そこまで呵責ない批判を加えないと、こいつらは目を覚まさない。その亜流どもはまた何度でも同じ事をやろうとする」。

 「(慰安婦問題に縷縷述べた後で)この日本人の悪さ加減が問題なんだ。これが日本の指導階級、中産階級の連中の考えだ。驚くほど欠点だらけの民族だねぇ。よくまぁ、神国だの神兵だのって、自惚れたもんですよ」。

 「政治家や役人は平気で嘘をつくし、怯堕だ。アメリカは日本がうそつきだといって、ジャパン・パッシングをやり、ひどいことをすると思ったけど、実際日本は痛いところを突かれている。日本の役人ぐらいその場逃れの、いい加減なことを言う者はいないからね。米国はもちろん、中国、アジア、欧州でも皆そういいますよ。これを直すには百年ぐらいかかるかも知れないが、かかってもやらなければ」。

【財界批判】
 概要「(三井物産の池田芳蔵を評して)財界人などといっても、この手合いはこんな程度ですよ。恥じということを知らん。あんな連中は利権の絡んだところ以外は、動きませんよ。同じ三井の池田だけど、成彬先生と芳蔵では、全然違います。釣鐘に提灯だ」。

 清玄が、「役人達はあんた(田中角栄のこと)の役所の両角良彦次官と小長啓一秘書官を除けば、後はみんな敵側だ。商社に至っては、目先の利益で動くだけでとても話しにならん」と述べたところ、角栄は次のように応えている。「それにしても清玄さん、あんたは国士だなぁ。おれんところへ来るのは全部利権屋だ。何ぼ儲けるとか、そんなのばっかりだよ。俺はあんたのような人物を待っておったんだよ」って(笑)。

 「それから俺はもう今里という人間は一切相手にしなくなった。彼はもともと株をやっていたですからね。この話を利用して一儲けを企んだんですよ。今と同じです。今里はその後死んだが、俺が財界そのものを信用しない理由はそれだ。それが吉田四天王の一人だよ。自分のことだけだ」。

 「日本の国には政治家はダメだけど、財界人はいいという考えがあるけど、これは間違いです。政治家と同じです。甘さ、目先だけの権力欲。それを脱しきらなければ、日本人は本当の意味で世界の人たちから尊敬されません。日本になりきり、アジアになりきり、宇宙になりきる、そういう人が今政界でも財界でも、求められているんじゃないでしょうか」。

 「三井の池田成彬さん、松永安左エ門さん、それとモンペルラン・ソサイエティーでいろいろご協力いただいた木川田一隆さん、大原総一郎さん、石油の時には土光敏夫さん。いずれも第一級のエコノミストでした」。

 「私がお付き合いいただいた財界人たちは、財界人であること以前に、いずれもまず、人間として大変立派な人格者であり、また豊かな知性と優れた見識を持つ知識人でした。金を儲けさえすれば良しとする昨今の財界人とは全然違います」。

 「社会は豊かに、暮らしは質素に」というのが土光さんのモットーでしたが、今それだけのことを実践している人が誰かおりますか。口で言うのは簡単ですが、実行してみせなきゃ」。

 【田中角栄評】
 「(田中元首相との付き合いを聞かれて)田中さんは確かに天才的な人でしたね。今日でも田中さんに対してはいい人だし、そもそも俺はあのロッキード事件というのは、アメリカの差し金と信じているから、何とか名誉回復もしてあげたいと思っています。ただ惜しむらくは田中さんの周りには、知性のある人は一人もいなかった。早大雄弁会の竹下や、金丸程度が関の山だ」。

【竹下-金丸批判】
 「だいたい竹下や金丸らは自分達の権力を作るために、田中角栄さんを失脚させたそもそもの元凶じゃないか。結局、自分らの権力維持だけだ。あんな者を最大派閥だとかいって、政治かもマスコミも持ち上げたが、日本がつんのめっていく始まりだよ。こんなことを許していると、日本は壊滅します。歴史を御覧なさい。今の政治家なんか、意気地の無い、頭の悪い漬物石みたいな人間か、そうでなければ乞食泥棒みたいな者たちばっかりだ。思い上がりと欲の皮が突っ張っただけの連中の頭を、いくら並べてみたって、日本は良くなるもんかい。こんな手合いは踏み潰していかなければ、日本はアジアでも世界でも本当に孤立してしまうよ。現に孤立している」。

 「(バブル景気と政治家の利権の動きを評して)あんな目腐れ金に動かされ、まともな政権も作れないような者は、できもしないことを言うなって言いたいね。世界情勢はああだ、こうだと生半可な知識を振り回すだけで、邪魔になるから、要らぬ口は出さぬ方がいい。とにかく、ものを知らぬわ。日本という財産を食いつぶしてしまうんじゃないか。政治家も官僚も、皆アメリカの方ばかりを向いている。戦前、ナチの、ヒトラーの咳き一つで日本の政治が左右されたのと、どこが違うんです。あの頃と何も変わっちゃおりませんよ。ぜーんぶ同じだ」。「一番低級な奴らが、一番高級な顔をしてのさばっているのが、今の政界じゃないですか」。

【諸国気質批評】
 「ヨーロッパというのは、本当に多面的です。日本のように一面的、単純じゃありません」。

 概要「俺はアメリカというのは信用しないですからね。自分がおさまらなければ、自分が何もかもやったというのでなければ、アメリカはおさまらぬ国なんです。アメリカ人というのは、そういうところがあるんです。やっかみと、自分は偉いんだという、傲慢さと」。

 「この国(アメリカ)は自分達の意のままに、自分達の影響の下に、日本もアジアもヨーロッパも世界中を、置いておきたいのだ。今は経済がちょっと不振だからアメリカも静かになっているが、これを凌いだらまた『アメリカ イズ ナンバーワン』が必ず出てきますよ。共和党になろうが、民主党が出ようが、尊大で傲慢なこのアメリカの体質は変わらない」。

 「ドイツはすぐに恩を忘れるという、あの恩着せがましさだな。恩恵を与えたんだから、報酬を受け取るのは当り前だという発想が、浸透している」。

 「もう本当に田舎者という感じですね、日本人ていうのは」。

 「スペインが馬泥棒の本場で、テロリストの本場だったら、イタリアはマフィアの本場で、詐欺師の総本山だな(笑)」。

 中国人の懐の深さについて。「力ずくで取ったり取られたり、又血を流すことも無しに、お互いが話し合い、三年で解決しないものは五年、五年で解決しないものは十年、十年で解決しないものは百年だ。後になるほどみんないい知恵を出すだろう」(鄧小平)。

【天皇制擁護】
 「あらゆる物質は核、つまりケルンがなければ結晶しない。真珠がそうだ。あこや貝に小さな粒を入れるから、その周りに分泌が始まって、あんなに綺麗な真珠の玉ができる。それから子供の頃に食べたコンペイトウというお菓子がありますね。あれはただ砂糖を入れただけでは、固まらりません。小さい芥子粒を入れるから、結晶が出来るんです。人間だって同じ。哲学のある人、信念を持っている人とそうでない人とでは、大変な違いがある。民族だって同じです。天皇制や王政スがなぜ何百年、何千年たっても人類社会で続いてきたかを考えれば、私はまさにそれではないかと思う。民族にはバックボーンが必要なんだ。日本でもごく一部の人たちが、共和制にするために、天皇制を除外するというが、できはしませんよ。やったら大変な混乱が起こるし、日本は壊滅します。私は『自分は自由を愛するロイヤリストだ』と言っているんです。『アブソリュート・ロイヤリスト』ではありませんよ(笑)。これが平和を保つには一番いい政治体制なんです。自由主義や民主主義が共産主義に取って代われるという妄想は止めた方が良い。これは頭の悪い欧米の連中の考えだ。なぜなら現実はそうならないじゃないか。国には中心となる核が必要なんだ。千年たとうが三千年たとうがそうだということは、歴史を見れば分かるじゃありませんか」。
 「民族に誇りを持たせる何かが必要なのです。その核となるものがあったからこそ、日本は明治維新も1945年の敗戦も、乗り越えて今日の繁栄を築き上げることができた。CIS(独立国家共同体)ではこれからも混乱が続き、私は内乱が起きるのではないかと見ているんです」。

【昭和天皇論】
 「★阿修羅♪ > 政治・選挙・NHK182」の赤かぶ氏の2015 年 4 月 07 日日付投稿「昭和天皇のインテリジェンス 国際的フィクサー・田中清玄〈週刊朝日〉」を転載する。

 昭和天皇のインテリジェンス 国際的フィクサー・田中清玄〈週刊朝日〉
 http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20150407-00000002-sasahi-soci
 週刊朝日  2015年4月10日号より抜粋

 かつて昭和天皇には影の藩屏(はんぺい)が存在した。国際情勢のインテリジェンスを届けた右翼の黒幕――。ジャーナリストの徳本栄一郎氏が取材した。

 *  *  *
 今から33年前の1982年4月9日、午後5時を過ぎた頃、都内港区の都ホテル(現在のシェラトン都ホテル東京)に一台の車が到着した。周囲は白金の住宅街で静寂な雰囲気が漂う。後部座席から降りたのは一人の老紳士だった。年齢は70代後半、落ち着いた身のこなしが育ちの良さを感じさせた。 エレベーターに消えた彼は、ある部屋の前でドアを叩いた。出迎えたのは同年輩の男性だった。古武士然とした容貌で目つきが鋭い。横には秘書兼ボディガードの若い男が控えた。老紳士の名は入江相政(すけまさ)、昭和天皇の侍従長を務める宮内庁幹部だ。迎えた男は田中清玄(きよはる)、国内外の豊富な人脈で知られる右翼の黒幕である。二人は挨拶を交わすとテーブルを挟んで座った。秘書がホテルに電話を入れ、頼んでおいた料理とワインを運ばせた。それから約3時間、食事を取りつつ田中は入江に最近の国際情勢を説明した。中国やソ連、欧州の政治動向、各国指導者の近況など内容は多岐にわたった。側近を通じて天皇に情報を提供し、時には政府を介さないコミュニケーション・ルートを果たす。いわば昭和天皇のインテリジェンスというべき存在、その立役者の一人が田中清玄だった。

 世間では「右翼の黒幕」と呼ばれた田中だが、その足跡は波乱に富んでいる。1906年、会津武士の子孫として北海道で生まれた田中は東京大学在学中、日本共産党に入党した。当時の共産主義運動は非合法で、書記長の田中は武装路線を取り官憲殺傷を引き起こす。その結果、治安維持法違反で逮捕され11年近くを獄中で過ごした。ところが戦後は右翼に転向して熱烈な天皇主義者になった。また土建業や海外の石油開発など様々な事業を手掛け、中国の〓小平やアラブ首長国連邦のシェイク・ザイド大統領、インドネシアのスハルト大統領、山口組3代目の田岡一雄組長など絢爛たる人脈を築いた。1993年に亡くなるまで国際的フィクサーだった人物だ。その田中は独自に入手した海外情報を天皇に提供していた。入江侍従長の死後発表された日記がそれを裏付ける。

 例えば冒頭の1982年4月9日は「五時に出て都ホテル。食事を共にしつゝ田中清玄さんと話。中ソは絶対に手を結ばないこと。西独、ソ連寄りになる懼れありとのこと」(『入江相政日記』第6巻)。同年9月27日、翌年10月11日にも同様の記述がある。 田中の元側近や関係者によると、入江との会合は都ホテルの個室で、まず事前に用意したレポートを渡す。食事をしながら背景を説明し、それらはテロ情報も含まれた。紀尾井町の入江の自宅に夜、秘書がレポートを届けたこともあったという。生前は「国士」「政商」など毀誉褒貶(きよほうへん)が激しかった田中だが、国際情勢に関して独特のカンと洞察を持っていたのは間違いない。一例を挙げる。

 英国立公文書館が保管する記録によると、1973年9月14日、ロンドン滞在中の田中は英政府首脳に書簡を送った。近く中東で武力紛争が発生し石油供給に深刻な影響が予想される。至急、必要な対応を取って欲しいという。アラブ諸国によるイスラエル奇襲で第4次中東戦争が勃発、世界を石油危機が襲ったのは翌月だった。 その田中の情報源の一つに、欧州きっての名門ハプスブルク家の当主オットー・フォン・ハプスブルクがいた。旧オーストリア・ハンガリー帝国の最後の皇帝の長男オットーは、第2次大戦中、ナチスへの抵抗運動を行う。戦後は反共活動に尽力して田中と知り合い、晩年まで親交を結んだ。かつて欧州を支配したハプスブルク家は東西両陣営を超えたシンパを抱えた。彼らからは折に触れ確度の高い情報が集まる。それはオットーから田中に回り、日本語に訳され入江に渡ったのだった。

 しかし一右翼の田中がなぜ、天皇側近と関係を築けたのか。答えは昨年公表された「昭和天皇実録」で確認できる。今から70年前の敗戦直後、田中は天皇に単独で拝謁していたのだ。 きっかけは週刊朝日(1945年12月2日発行号)に載った田中のインタビューだった。当時は国内を共産主義が覆い、革命前夜の空気があった。 その中で田中は天皇制擁護を訴え、実力行使も辞さない覚悟を述べた。それを読んだ側近が働きかけ、1945年12月21日、拝謁が実現したのだった。

 「午後、吹上御苑内を御散策の際、生物学御研究所にお立ち寄りになり、同所において田中清玄に謁を賜う。田中は、自身の経歴を紹介後、天皇家存続の歴史自体が日本民族の統一・融和の証左であるとして感謝を表明するとともに、第一に天皇の御退位や摂政の設置に反対し、第二に皇室財産を以て飢餓に瀕する国民を救済し、第三に復興へ向けて立ち上がる国民の姿を御覧の上、御激励されたき旨を願い出る。これに対し、田中家の出自の会津藩、及び田中により起業の土建業等につき御下問になる」(「昭和天皇実録」) 。この拝謁は侍従だった入江も同席し、後に田中はこう振り返っている。「お話し申し上げていて、陛下の水晶のように透き通ったお人柄と、ご聡明さに本当にうたれて、思わず『私は命に懸けて陛下並びに日本の天皇制をお守り申し上げます』とお約束しました」(『田中清玄自伝』)

 当時はまだ皇宮警察の体制も整わず、皇居に左翼陣営がデモをかけることもあった。それを聞いた田中は自分の土建会社の荒くれ男を多数送り、デモ隊を殴り倒させた。また1987年9月、昭和天皇が初めて開腹手術を受けた際、田中は皇太子(今上天皇)に見舞いの書簡と欧米やソ連の政治情勢レポートを届けている。天皇に海外のインテリジェンスを提供し、敵対者には実力行使も躊躇わない、いわば皇室の影の藩屏と言えた。


【人脈作りの秘訣】
 「いいですか。本物のテロリストはね、何も指示をしなくても全てを見ていてね、その時の空気を適確に把握して行動するものなんです。『テロリストは空気で動く』なんて云っても、日本のような平和にどっぷりとつかりきって、ドンチャカ、ドンチャカやらなきゃ満足できないような、神経の麻痺した日本人達には理解できないだろうが、心しておくべきことですよ」。

 「人間誰しも仏の面と夜叉の面、神の面と悪魔の面というように、両面ありますからね。神の面が出れば釈迦であったり、弘法大師であったり、イスラムアユトラであったりする。根本は一元論ではないということです。異なるものとの共存こそが、人間の、国家の、世界の、そして宇宙の、つまりこの世の中全てを支配する根本原理だということですよ」。

 「これらの国々へは、私も何回となく足を運びましたが、分からない。分かったと思ったらとんでもない。人類というものの宿業というほかないですよ。人間というものはこういうものなんだ。善と悪と両面ある。だから幻想を持って付き合ったらだめですよ」。


 「どれが本物でどれがいんちきかを、誰がアメリカの手先で、モスクワのエージェントはこいつだということまで、彼(フランス・レジスタンスの大親分ジャック・ボーメル)は克明に僕に語ってくれました」。

 「(清玄の錚々たる人脈に触れて、その秘訣はと問われて)秘訣というほどのことではありませんが、何でも自分を捨ててかかること。自分というものを滅してかかること。これは面倒ですよ。我執になったらダメです。私はそれを純一無雑の心境といっている。この心境で相手と向かい合えば、相手の人物の器量がそのまま見えてくるものです。それと、相手が信用した以上は、こっちも信用するぞという態度を貫き通すことです。一旦約束した以上は、どんな困難があってもやる。嘘は云わん。これが世界中で通用する真理です」。

 「付き合いと言うものは、そんなもの(いいときだけ相手と付き合い、政権から滑り落ちたり、逆境におかれると、交際を絶ってしまうというやり方)じゃないんです。仕事というのは、人間と人間を結ぶきっかけに過ぎないんですから。そのきっかけだけを漁って歩いて、誰が相手にしますか。人間と人間の本当の付き合いなら、生死を共にすることもあるだろうし、喜びと悲しみを共にすることもあるだろうし、少なくとも私は今日まで、そう信じてやってきました」。

 「全ては現実に適合しているかどうかなんだ。イデオロギーなんかに惑わされていたら、何も見えない」

 「いったん信じたら、とことん付き合うのが私の流儀」。


【ハイエク教授について】
 「(ハイエク教授について)教授の尊敬すべきところはまだありますよ。それだけ自由や個人、さらには民主主義ということに高い価値を置いた教授ですが、それらをア・プリオリには信じなかったことです。人類は進歩もすれば、愚かしいこともする。いいことだからといって、怠けていればいつまた人類はそのしっぺ返しを受けるか分からないということですよ。まさに『真の自由人』としての面目躍如たるものがあります。『現行の民主主義は本来の理念を忘れ去り、単なる便宜的制度へと堕落した』という教授の言葉は、まさに日本の昨今の政治状況を、何よりもぴたりと言い当てているとは思いませんか。

 ハイエク教授の一生はマルクス主義者からも、ケインズ学派の学者達からも、攻撃され続けた一生でした。でも教授は一歩もひるみませんでした。もう半世紀も昔のことですが、教授は学生に向かって、『経済学者足らんとする者は、自らに対する評価や名声を求めるべきではなく、知的探求のためなら、敢えて不遇も厭うべきではない』と講義したことがあったそうです。教授と三十年間以上に亘ってお付き合いいただいて、この信念は一生を貫いたものであったことが、実によくわかります」。

【自身右翼評】
 「(清玄は右翼だと言われていることに関して)右翼。本物の右翼です。あんた、何だと聞かれたら、今でも右翼だとはっきり言いますよ。右翼の元祖のように言われる頭山満と、左翼の家元のように言われる中江兆民が、個人的には実に深い親交を結んだことをご存知ですか。一つの思想、根源を極めると、立場を越えて、響きあうものが生まれるんです。中途半端で、ああだ、こうだと言っている人間に限って、人を排除したり、自分達だけで、ちんまりと固まったりする。自由人になり切ること。もっと分かりやすく言えば、対象になりきること。政治家なら、国になりきり、油屋なら油田になりきり、医者ならバクテリアになりきる。それが神の境地であり、仏の境地だ」。

【内ゲバ批判】
 「だいたい、同じような農村に育ち、塩辛や納豆や目刺しを食い、味噌汁を飲み、ちょっと読んだ本と物の考え方が違うからといって、殺し合いをしたり憎しみ合ったりするのは、どう考えてもナンセンスだよ」、「テロは殺してはいかん人を殺してしまう。そうなっては取り返しがつきません。私はテロリズムには絶対反対です」

【政治的遺言】
 佐高信著「孤高を恐れず」に、田中清玄氏の政治的遺言となった次の言説が記載されている、とのことである。
 「麻薬問題、暴力団問題は日本の政治を根底から改革し、革新しなければ解決しません。自民党の竹下や金丸それに小沢、それからそれに拝跪しているうすぎたない連中が、見てくれだけでごまかしの政治改革をやったって、何の役にも立ちません。かえって蔓延させるだけだ。こういう連中が政治家を辞めること、これが一番だ。それからこういう政治の腐敗勢力にくっついている一部のジャーナリズムも問題だ。これは国を滅ぼす」。




(私論.私見)