31年テーゼ草案 |
(最新見直し2006.12.25日)
【「31年テーゼ草案」について】 |
第二次共産党も壊滅させられ、その後を再建した田中清玄らの「武装共産党」も解体させられ、1931(昭和6)年1.8日、風間委員長らによる「非常時共産党」が再建された。この頃、3.15事件の被告であった水野成夫、門屋博らが出獄すると同時に党の分派「日本共産党労働者派中央委員会」を立ち上げ、「政治テーゼ」、「組織テーゼ」を発表し、日本共産党の従来の闘争方針に攻撃を加えてきていた。確かに、ブハーリンテーゼとも云われる「27年テーゼ」は、改変される必要があった。再建された党中央は、風間丈吉、岩田義道、紺野与次郎らを責任者として新テーゼの起案に取り掛かった。 1931.8.1日、「日本共産党政治テーゼ草案」(以下、「31年テーゼ草案」と記す)が無産者新聞のパンフレットの体裁で発表された。以下、これを考察する。風間がコミンテルンでトロツキー派のサハロフの意を受け、その見解に従った。 「31年テーゼ草案」は、後にも先にも党が直接一気の一段階プロレタリア革命を戦略志向させたのはこの時限りとなる、党史上初めての一段階(直接)革命論によるプロレタリア社会主義革命を指針させていた。 次のように述べている。概要「日本資本主義はすでに高度に発達し、帝国主義の段階にあり、その支配権力は、金融資本の覇権の下におけるブルジョア地主の手中にあるが、この政権は迫りつつある深刻な経済的危機、植民地の反抗、ソ連邦の成功、太平洋における諸問題等によって不安と動揺に晒されており、同時に、農村における土地問題の解決に迫られているが、この解決はブルジョアには不可能である」、「したがって、当面する革命の性質は、ブルジョア民主主義的任務を広範囲で包容するプロレタリア革命でなければならぬ」。実践的には、「資本主義没落説」の生硬なまでの強調とこの観点から来る社会ファシズム論による社民との闘いを重視させ、その限りで相対的に天皇制打倒のスローガンが穏和化されていた。 明治国家最高地主説(野呂)に基づく明治政権地主政府論ーに反対し、資本家政府ー金融資本独裁論。但し、絶対主義的天皇制の独自な性格分析を怠っていた。故に、絶対主義的天皇制に対する闘争の放棄の危険があった。「金融資本独裁の転覆。金融資本を先頭とするブルジョア・地主・天皇の権力の打倒」とあるにはあるが。 明治維新について、次のように評価していた。「この革命がいかに不徹底であったにもせよ、東洋に於ける最初のブルジョア革命であったこと、隣邦にはツァールのロシア、封建的支那、朝鮮を有してゐたこと、先進資本主義列強の注意の焦点が、東洋にではなくて、西欧に向けられてゐたこと等。是等全ては日本資本主義初期の発達を急速ならしめた好条件を形成する」、「日本は今や高度に発達せる帝国主義国である」。 |
【「反31年テーゼ草案」の動きについて】 |
野呂榮太郎たちは、約半年間毎週一回以上の真摯なる研究会を持ち始めた。やがて、正統を以てみずから任じる学者たちが集まって共同執筆した「日本資本主義発達史講座」(昭和7年5月20日ー8年8月26日・岩波書店)刊行へ至る。企画段階からいえば、「講座」の準備は前年の1931年夏頃にさかのぼる。 「講座」は、明らかに「31年テーゼ草案」に対する異義申し立てとして企画された。その狙いとして、恐慌と農業危機と満州への侵略戦争という現実をその根拠にまでさかのぼって解明し、そこからの脱出の道を科学的に探求することに求めていた。それが首尾よく成果を生んだかどうかは又別であるが。 |
【「31年テーゼ草案」発表時の檄文】 |
政治テーゼ(草案)発表に当り革命的労働者諸君に檄す! 全国の革命的労働者諸君! 失業と飢餓、搾取と圧制、人間による人間の搾取を根絶して共産主義社会を建設する為に、諸君は先ず今日のブルジョアの社会を倒してプロレタリア独裁を樹立しなければならぬ。だが、それは決死の闘争なくしては不可能である。この階級闘争を最後まで戦い抜いて勝利を得るためには諸君は正しい戦略、戦術と、鉄の如き規律を有する(プロレタリアートの前衛部隊である)精鋭な軍隊ー共産党を組織しなければならぬ。」(1928年発表、日本共産党の檄)共産党はプロレタリア自身によって組織されそれぞれ組織的活動の道程に於いて拡大強化さるねばならぬ。 全国の革命的労働者諸君! コミンテルンで採用された、7月テーゼ「日本問題に関する決議」は、我が党のそれまでに有していた解党主義ー山川主義と福本主義ー的偏向克服にとって、又、我が党の大衆化にとって偉大なる指導的力であったことは疑いない事実であった。共産主義の原則を忘れ、プロレタリアートの政党に義務付けられているプロレタリアデモクラシーの実行を恐れた小ブルジョア的指導者共は、或いは自ら党より脱退し、或いは党より除名された。我が党の活動が、この7月テーゼによって活気づけられた事は我が日本共産党史上に厳として残されねばならぬ。 しかしながら同志諸君、それにも拘わらずこのいわゆる7月テーゼは基本的変更を迫られるべき性質を含んでいた。日本資本主義の現状に対する評価の誤謬はその基礎である。1928年のコミンテルン第6回大会、29年の第10回プレナムの諸決定は、7月テーゼの変更改正を要求した。そのことについては我が党内に於いても、国際的指導部に於いても早くより審議されていた。我々はテーゼ全体の変更を為しえなかったが個々の戦術に於いて実質的にこの7月テーゼに含まれていた誤謬の訂正に向っていた。1930.2月の総選挙に対するコミンテルンの指令は明白にその具体的表現であった。 我々は幾度かテーゼ全体の訂正を審議した。だが打ち続く弾圧、経験ある指導者の大衆的逮捕と我が党員に対する支配階級の追求とは、遂に我々をして今日に至るまで新しい方針を発表し得ざらしめた。最近日本に於ける階級闘争の実践は、この事を急速に解決すべく迫っていた。我が党は日夜闘争に対する個々の戦術に於いて、早くより我々がここに発表する新しい政治テーゼの方針に沿うて方向転換を始めたのであった。正しい戦略、戦術は共産主義的実践と結合してのみ生き生きとして来るのだ。未曾有の弾圧という困難性は我々の前を去らないのみか益々その強暴さ、野蛮さを増している。 我々は日本共産党の革命的伝統と、日本プロレタリアートの中に包蔵されている膨大な革命的エネルギーと、権威あるコミンテルンの指導とに鞭撻され、激励されつつ革命的信念に燃えてこの新しい政治テーゼ作成に着手した。ここに発表されるものは我が党指導部の集合的労作であり、我が党が今日行いつつある全活動の基準をなすものである。 全国の革命的労働者諸君! 諸君は最近「日本共産党労働者派中央委員会」という署名入りの「政治テーゼ」「組織テーゼ」を見たであろう。それは君主主義者、極右社会ファシストとして我が党より除名された一連の解党主義者によってー検事局、裁判所、警視庁、内務省等々との緊密な握手の下にーつくられたものである。彼らは「自分らが検事局に向って天皇主義者たることを誓ったのは一つの戦術的カケヒキである」と主張する。だが、事実は彼らがプロレタリア大衆を欺瞞する以外の何者でもないのだ。 昨日の天皇主義者が、今日は「我こそコミンテルンの本流なり」と主張するくらい欺瞞的なことは無く、これ位プロレタリアートの前衛組織部隊たる共産党ーそしてプロレタリアート全体ーを凌辱するものはない。錦旗を掲げる「共産党」!、それは階級闘争のカリカチュア以外の何ものでもない。更に彼らは諸君に向って云う。「今の日本共産党及び全協にはスパイ、ヘナヘナ文士がのさばっているからそんな党には入るな」と。我が党の影響が、今日全国津々浦々に行き渡りつつあり広汎なる労働者大衆の決死的支持を受けている時、彼らのこの言葉は革命的プロレタリアートに対する罵倒、裏切り的絶叫に他ならない。 我々は最近年、実に多くの誤謬を犯した。それは我々統一的組織全体として負うべき責任である。(勿論、党外にある解党派の紳士諸君にこの責任を負えとは云わぬ)だが我々は日本の革命的プロレタリアートの真の政党としてコミンテルンの日本支部としての陣地を一歩たりとも退かなかった。破壊された組織は、工場から職場からの新しい革命的労働者の集合的力と献身的努力とに依って再建されてきている。一切の社会ファシストどもは或いは「極左分子」の悪名を我が党に向って投げかけたり、或いは政府の「共産党狩りがムシロ遅きに失し手ヌルキに堕する」とブルジョアジーを非難したり、或いは又進んで工場の中から革命的労働者を直接に支配階級に売り渡した。かくて彼らは公然と支配階級の奴僕としての役割を果たしているのだ。 同志諸君! 階級闘争の歴史、実践的経験は、如何に理想的な非合法組織であってもー例えばツアール地下に於けるボリシェヴーキ党ースパイ、プロボォケーターの潜入を絶対に不可能ならしめることは出来ない。要は如何に巧妙にそれと闘争するかである。我が党が行っている大衆的活動方法への急激なる方向転換は、この領域に於ける闘争を成功的ならしめる条件である。実践を通じての試練ープロレタリアートはかく主張するー革命的組織内に潜入するスパイ、プロボォケーターに対する徹底的闘争を拒否して革命的組織そのものを破壊せんと試みる解党派の理論と行動は天皇主義者にこそ共鳴されるかも知れぬが、マルクス=レーニン主義とは何らの共通点をも有しない反動的なものである。 革命的労働者諸君! 「階級闘争を徹底的に闘わんとする全ての革命的労働者諸君は党に加入しなければならぬ。共産党の組織内に働くもののみが共産主義者である。」「党は厳然たるマルクス=レーニン主義を以って武装しなければならぬ。勿論党内に於いても多少の見解の相違は免れない。又意見の相違が党内に於いて充分に闘われる事によって、党はますます正しい政策を取り得るに居たりますます強固な力を有するものとなり得るのである。しかしながら一旦党の機関で決定された党の決議は絶対である。全党員は積極的にそれに従って常に一人の如く行動しなければならぬ」(前掲檄より) 同志諸君! 諸君はこのテーゼを呼んでその根本方針が正しいと信じたなら、直ちに革命的労働者として自己の働き場所で活動を始めろ! 全ての労働組合内で働け! 農民の間で働け! そして同志を組織せよ! そうすれば諸君は我が日本共産党の統一組織の一構成分子として活動しえるようになるであろう。 全国の革命的労働者諸君! 日本に於ける経済的危機の深刻化、階級的諸矛盾の激化、失業者軍の異常なる増大、新帝国主義戦争の切迫、等々は我が国の政治的危機の前提条件となっている。レーニンのいわゆる「革命の為の客観的条件」は日本に於いても急激に成熟している。革命の主観的条件としての日本共産党の拡大強化は日本プロレタリアートの緊急重要なる任務である。治安維持法による革命的労働者並びに農民大衆に対する連続的逮捕と迫害、追及にも屈せず、日本共産党は厳然として存在し大衆闘争の先頭に立って闘っている。革命的労働者諸君! 記憶せよ! この迫害と圧制の下に於いてこそ正に最も精鋭な最も強固な規律有り統一ある軍隊ー共産党に組織されて闘争せねばならぬことを! 同志諸君! 諸君こそブルジョアと地主の政府の権力を打倒し、プロレタリア独裁を樹立する軍隊とならねばならぬ。 天皇制を倒せ! 失業と飢餓の資本家地主政府を倒せ! 日本帝国主義を倒せ! プロレタリア独裁へ! 日本の革命的プロレタリア万歳! 日本共産党万歳! |
【日本共産党政治テーゼ(草案)】 |
一、国際情勢と日本帝国主義の役割 一、帝国主義世界はその一般的危機の上に捲き起こされた経済危機の激化の中にある。そしてこの世界経済危機は又世界資本主義の危機を甚だしく先鋭化しつつある。永久繁栄を誇った北米合衆国も、ブルジョアジーの一切の科学と巨額の費用を傾注せる彼らの景気研究機関、並びに之と協力せる一切の日和見主義者の予言を裏切って今や危機の真っ只中にある。それに続いて、イギリス、ドイツ、イタリー、日本、フランス等々の資本主義諸国も激化しつつある経済危機の渦中にある。殆ど全ての資本主義国の工業界では生産減少が見られており、その多きは実に60%に及んでいる。 産業の資本主義的合理化と経済危機によって街頭へ投げ出された失業者は日毎に増大し、ソビエト同盟を除く全世界を通じて3千万に達し、その家族を合すれば、正に1億に垂んとする勤労大衆が資本主義制度の故に餓死の深淵に突き落とされつつある。資本家階級はこの危機より脱出し、彼らの支配を維持せんが為に、国内的には、自国の労働階級、貧農勤労被搾取民衆を死物狂いに搾取し、圧政を加え、国外的には、植民地半植民地に対するより強力な弾圧と搾取を敢行しつつある。 かくて帝国主義内に於ける階級的矛盾は異常に激化し、或る国々(例えばドイツ)では今や革命的危機が日程に上されんとしている。他方に於いて、帝国主義諸国も、植民地半植民地との矛盾も増大、先鋭化し、後者に於ける反帝国主義運動は熾烈になっている。支那革命の進展、支那ソビエト*******(コピー不明により判読できず)ラテンアメリカ諸国に於ける革命的民族解放運動の新しき台頭等々。 |
二、世界プロレタリアートの祖国、ソビエト同盟はこの帝国主義諸国と鋭く対立する。ここでは社会主義建設がソビエト同盟共産党(ポルシェヴィキ)の指導の下に素晴らしいテンポで進展している。例えば1930年に於ける工業生産物は前年度に比し25%の増加を示し、1930.5月に於いて集合経営化された農家経済は既に50%に及んでいた。労働階級及び勤労農民の生活は不断に向上しており、失業者問題は基本的には解決された。之に加えて、新しき労働力の養成という革命的任務が立てられている。 偉大なる「五ヵ年計画」の第二年は全領域に於いて計画的予定を遥かに超過する成績を以って終り、「五カ年計画を四ヵ年に」(或る部門では三ヵ年に)完成する充分なる確信と希望に満ちて第三年に移った。更に農村では資本主義的要素の最後のものたる富農を階級として掃滅するという事業が農家経済の集合化に依って目覚しく進展している。今や只に工業のみならず農業をも含む。全国民経済が統一された計画の下に行われるに至った。 プロレタリア独裁の下に於いてのみ可能なるかくの如き発展は「全世界の労働者、全ての働く農民、被圧迫植民地政策、資本主義国家の陸海軍兵卒及び水兵」の間にソビエト同盟に対する信頼と希望とを喚起し、それらの中に於ける力強き革命的推進力となっており国際ブルジョアジー及びその御用人社会ファシスト共の間に極まりなき憎悪を招いている。 |
三、かくて対立する二つの世界が存在する。資本主義と社会主義との世界である。「資本主義体系の深刻化していく危機の最も明瞭な現われは資本主義諸国と社会主義建設の諸国とへの世界経済の分裂である」(共産主義インターナショナルの綱領)而して「ソビエト同盟に於けるプロレタリア独裁の内的強化、社会主義建設の成功、プロレタリア大衆と被圧迫植民地民衆との間に於けるソビエト同盟の増大して行く影響と高まり行く権威とはそれ故に国際社会主義革命の継続強化及び発展である(同上) それ故に、帝国主義盗賊国共は各々の利益の対立矛盾の激化のために、世界再分割の為に互いに抗争しながらもソビエト同盟に対する時、彼らは一体となって一つの戦列を形成する。 「帝国主義諸国家の政策に於ける決定的な主要傾向はソビエト同盟を包囲し、そしてソビエト同盟を破壊し、全世界にブルジョアジーの恐怖支配を樹立することを目的とする反革命的戦争を企てんとする努力である」(同上) 帝国主義戦争の危険、ソビエト同盟に対する帝国主義諸国の反革命的戦争の危険は今や全く現実の問題となっている。帝国主義者及びその手先は今やそのことを公然と述べ、更にその必要を自国の労働者農民に唱導している。 |
四、日本帝国主義は東洋に於ける反革命の主柱である。日本帝国主義は既に久しい期間に亘って革命支那に対して武力的弾圧を加え、朝鮮、台湾の革命運動に対しては筆舌に尽し難き迫害と虐殺とを以って答えてきた。「太平洋の沿岸、果てしなき支那の領土では、アメリカ資本が、盗賊的な、破廉恥な、そして姦悪な日本帝国主義ーその軍隊は既に支那の著しい部分を占領しているーと衝突する。日本帝国主義は日本の野蛮な恐怖政治に服従を肯ぜざる支那民衆の全ての勢力に対して破壊的戦争を行っている。幾億という支那の労働者農民及び手工業者は日本帝国主義の、即ち支那の民衆との血腥(なまぐさ)き決算と、彼日本の競争者アメリカとの恐ろしい血闘を準備しつつ、同時にソビエト同盟に対する挑戦とを準備しつつある日本帝国主義の鉄の(*車厄)の下に屈服せしめられている」(共産主義インターナショナル第6回世界大会の宣言) 太平洋、特に「果てしなき支那」は「資本主義体系の深刻化していく危機」の震源地としての重要性を益々増加しつつある。最早これ以上延期し得なくなって「断行」(?)した「金解禁」に引き続いて世界恐慌の嵐に襲われた1930ー31年の日本帝国主義に取って特徴的なるものの主なる一つは「植民地に対する侵略」新たなる世界戦争及びソビエト同盟に対する進軍を日程に上せつつある」(共産主義インターナショナルの綱領)ことである。 日本の陸海軍当局はソビエト同盟と革命支那とを仮想敵国となしていると述べている。シベリア侵略に於いてはソビエト同盟の革命的威力の前に見事に失敗したとはいえ、シベリア一帯の詳細にして正確な侵略地図を作成した。彼らは労働者、貧農、勤労被搾取民衆をより強烈に搾取弾圧することによってその為に必要な最新精鋭な武器、ドクガスの生産や「国防力の充実」を敢行しているのである。 かくて日本の支配階級は反ソビエト同盟戦争の技術的準備をより充分に完成する事に努力すると共に更に進んで、今や一切をあげてその思想的準備を行っている。学校、青年団、寺院、在郷軍人団、反動団体の計画的軍国主義宣伝活動の積極化、ブルジョア新聞、雑誌、ラジオ等々の利用、又ソビエト同盟通商代表暗殺未遂は明白に日本の支配階級がソビエト同盟に対する戦争を挑めることを示すものである。 かくて、来るべき第二次世界大戦に於ける日本帝国主義の役割は重大である。それと共に、この世界的規模に於いて敢行される日本プロレタリアートの役割も亦重大である。日本に於ける経済的危機の激化、国際的矛盾の先鋭化は我が国に於ける資本対労働の階級的矛盾を益々深め、階級闘争発展の客観的条件は正に作られて居り、更に発展されつつある。 |
二、日本資本主義の現勢と革命の展望 かくの如き国際情勢の下に於ける日本資本主義の現勢は如何? 日本資本主義は他の列強より遅れて発達したが、その速度は異常に急激であった。それはいわゆる自由主義時代を経過することなく帝国主義の段階に入った。しかしながら、この急激な発展は、それ自身の中に、解決し得ざる矛盾の急速なる増大を伴っていた。今や日本資本主義はその一般的危機の上に起った深刻な経済危機の渦中にある。それはいかなる見地よりすも資本主義発展の上向線を辿るものと云う事は出来ない。何故なら資本主義発展の上下向線問題は、或る短期間に於ける工業生産物の増大という見地から決定されるものではなくて、資本主義体系全体として観察されねばならぬ。都市と農村、生産力と生産関係の観点から論ぜられねばならぬからである。 工業に於ける生産制限は1931年に至っても、只に撤廃されぬのみか、むしろ反対に拡大されている。労働者の大衆的首或首は今や軽工業界より重工業界にその主流を移しつつあり、街頭には二百万を超える失業者が充満している。生産制限は50%以上に及ぶ部門すら有する。他方農業危機はその生産物価の急激な下落に表れている。例えば1930.6月米以外穀物六種の下落は1929年に比し、実に24%に及んでいる。而して、米の生産高は世界大戦中既に停滞を示し、その後はムシロ後退の傾向を示している。 1968年の明治革命は、国内に於ける新興資本主義勢力の増大と「廉価なる商品」という砲弾の襲撃ー「黒船の渡来」ーとに依って齎(もたら)された。だが外国資本主義の植民地となるか、自らを資本主義国とする為に大変革を行うかの問題は、未だ当時日本ブルジョアジーが非常に若かった為に、フランスに見た如き「下からの革命」として解決され得なかった。しかしながら、ドイツの如く上からの革命として行われたのでもなかった。国内的、対外的関係はこの革命をして非常に不徹底なものたらしめたがそれは疑いもなく資本主義発展の途を切り開いたブルジョア民主主義革命であった。封建領主は廃止されたが土地し有権の確立は、彼らの大部分を地主とし更にこの革命前既に実質上土地を所有せるものが之によって新地主として実現した。かくて農村では殆ど革命前と同様に大多数の農民は土地を所有することなく、農奴的生活の下で搾取されるのであった。そこでは、過少農経営と封建的搾取関係が依然として存在した。このことは資本の原始的蓄積の好地盤として利用された。農民の奴隷的生活条件は都市労働者をして植民地的労賃を以ってする半奴隷的生活状態に置かしめた。労働者農民を搾取し、収奪せる強度に正比例して、天皇制の明治新政府は新興ブルジョアジーと地主階級の利益を保護した(国債制度、産業及び貿易保護政策等々)。 加えるにこの革命がいかに不徹底であったにもせよ、東洋に於ける最初のブルジョア革命であったこと、隣邦にはツアールのロシア、封建的支那、朝鮮を有していたこと、専心資本主義列強の注意の焦点が、東洋にではなくて、西欧に向けられていたこと等。これら全ては日本資本主義初期の発達を急速ならしめた好条件を形成する。更に、日清、日露の両戦争に依って日本は、台湾、南満州鉄道、関東州、樺太の南部を得、1911年には暴力的に朝鮮を合併し、且つ、第一次世界大戦では、青島、南洋諸島を、事実上、自己の掌中に入れ、満蒙、中央支那、シベリア等にその侵略的毒手を延長した。かくて若き資本主義日本は、国内の労働者農民の血税と、植民地、半植民地民衆の鮮血を吸うて急速に成長し得た。 日本は今や高度に発達せる帝国主義国である。生産の集中一つだけを取って見るも、日本ではご5百人以上使用する工場に働く労働者総数に対する我愛は34.9%であり、もし五百人以上を使用する工場の労働者をとるならば、その割合は、実に58%に及ぶのである。銀行、工業、鉱業等の実権は、三井、三菱、安田、住友等の4、5、の金融閥の手中に握られている。この集中化は正にドイツのそれを凌駕するのである。かかる情勢のもとでは、全ての問題は「帝国主義の見地から見られねばならぬ」(レーニン) 経済界に於ける支配的地主は、その政治上に於ける支配的地位をも保証する。明治の初年にはまだ強固な勢力として存在しながらも、歴史的必然性の前に、自己の存在を根底から転覆されざらんが為に、資本主義制度発展の途を開かざるを得なかった封建的勢力は、その後、「藩閥政府」、「官僚政治」の下にブルジョアジーがその経済的勢力を増大し、政治的重要性を増大すると共に、彼らはその政治的優越性をも縮小された。 しかしながら、地主勢力とブルジョア勢力とは、帝国主義的侵略政策、対労働者、農民弾圧政策に於いては常に一致して居ったし、且つ今でも一致している。日本の国家権力は金融資本が覇権を握れるブルジョア、地主の手中にある。現在の日本に於いて、工業の農業に対する先導的地位、又は不在地主、地主兼事業家の多いことを以って、農村に於ける生産関係を資本と労働者との関係と同一視するならば、それは救うべからざる大きな謬見である。何故なら、それらの人々は、我が国に於ける農業問題の本質を理解していないからである。現在、地主勢力は、権力に関しては従位を占めてはいるが、しかし、その事は彼らの勢力が一箇の力として存在していないことを示すものではない。天皇制は、現在では、労働者、勤労被搾取農民大衆の台頭に対する金融資本を先頭とする支配階級のファシズム的弾圧、搾取の有力なる道具となっている。そしてこの時代に於ける基本的な階級的矛盾はブルジョアジーとプロレタリアートとの対立である。 かくの如き段階に於いて日本資本主義は深刻な経済危機に当面した。しかも、それは、日本資本主義発達にとっての好条件であったものが、今日ではその逆のものとなって桎梏となっている。植民地の半奴隷的状態におかれ、労働階級の生活をより低下さす事によって自らを救おうとするブルジョアジーの試みは、前者の大衆的進出に出会わざるを得なくなっている。かっては資本主義発展を助けた寄生地主的土地所有制は、そのことのために、現在の如き深刻な農業危機を招致し、資本経済危機の重要部分となり、発達の力強い桎梏となっている。植民地半植民地の広汎なる大衆に対する野獣の如き搾取と弾圧は、これら大衆をして、反日本帝国主義運動の力強い軍隊として立ち上がらせている。 隣邦には誉ある中国共産党に指導され、数箇の省を抱擁するソビエト地域を中心とする革命支那があり、又ツアールのロシアの代わりに、社会主義建設事業を旭日昇天の勢いで敢行しつつあるソビエト同盟ー全世界のプロレタリアートの祖国が存在している。しかも更に、太平洋問題は、大国主義列強国間に於ける重要関心事の一つとなっている。日本資本主義はかくの如き情勢下に呻吟している。而して、これらの矛盾の全ては資本主義の枠内では解決し得ないのである。しかもその解決は迫られている。 以上全ては、日本に於いて社会主義革命の前提条件が急速に成熟しつつある事を示す。資本の独裁に代えるにプロレタリアの独裁を以ってすること以外に、かくの如き矛盾の正しい解決の途はない。それと同時に農村に於いては、土地問題の解決が迫られている。それは如何なる姑息手段によっても解決されない。ブルジョア地主政府が「農村救済」と銘打った「自作農制定」は、実施後幾何ならざる今日既にそれが勤労秘搾取農民大衆に対する重要であることを、事実を以って証明した。 地主と緊密に結合しているブルジョアジーはこの問題を急進的に解決する力を有しない。何故なら、地主の土地を取り上げて農民大衆に与えることは、地主を倒さずには不可能であり、地主を倒す事は、ブルジョアジー自身が自己の重要な支柱を失うばかりでなく又彼ら自身を亡ぼすことを意味するからである。然るに、土地問題は働く農民に土地を与えることを以ってのみ一応解決されるのである。勤労被搾取農民大衆は、正に、このために立ち上がっている。けれども、土地を農民に分配することは未だ社会主義ではない。何故なら、それは未だ土地の私有を許しているからである。その意味に於いて、これはブルジョア民主主義革命である。かくて来るべき日本の革命の性質は「ブルジョア民主主義的任務を広汎に包容するプロレタリア革命」である。(共産主義インターナショナル綱領) 来るべき日本革命に於ける革命の推進力はプロレタリアートである。プロレタリアートのみが資本の権力と決定的に、徹底的に、闘争し得る階級である。プロレタリアートは我が国の生産関係に於いて決定的重要性を有し、断乎たる革命的勢力である。プロレタリアートは一つの搾取形態に代えるに、他の搾取形態を以ってするが如き改革を目指すのではなく、搾取そのものの廃止、従って、階級そのものを無くすることをその闘争の終局目標とする。しかしながら、プロレタリアートは、小ブルジョア的自己満足に酔うたり、無政府主義的空想に耽ることに断乎として反対する。而して社会制度の改革は政府役員の首のすげ換えに依って行われるかの如きブルジョア自由主義的思想にも徹底的に対立する。ブルジョア独裁の如何なる形式ーブルジョアデモクラシー、ファシズムーにも反対し、プロレタリアデモクラシー、プロレタリア独裁ーそれは資本主義より共産主義への過渡期であり、歴史的には相当の長い期間であるー樹立のみが、一切の搾取を掃滅し得ることを主張する。生産に於けるプロレタリアートの地位、彼らの組織性ーそれはプロレタリアートの歴史的使命遂行の条件である。プロレタリアートは資本主義の発展に従って成長した。そして、その発生の当初から「資本主義の墓掘人」として成長した。日本のプロレタリアートも亦んくの如きものとして存在し、生長している。 日本のプロレタリアートが、規模に於いてツアールのロシア、帝王のドイツ、フランスのプロレタリアートが示せる革命的闘争の経験を有しないことを以って、このプロレタリアートの歴史的革命遂行の力を信じない程、日和見主義的な、裏切り的な、考え方は無い。日本のプロレタリアートは過去の闘争に於いて、特に、最近十年の闘争に於いて、彼らが偉大なる革命的勢力であることを実践的に明示したし明示している。 更に、日本のプロレタリアートは、革命の有力な同盟軍として、広汎な農業プロレタリアート、貧農を有している。資本主義体系内部に於ける農村疲弊の重圧は、半封建的搾取関係にある小作人を中心とする貧農並びに、近年益々その比重を増大し来れる農業プロレタリアートの上に集中されている。これらの層こそが、土地問題の革命的解決、農業革命の推進力たり得る。農業危機に当面している今日、農村に於ける階級闘争の激化は、広汎なる貧農大衆の土地問題に対する、下からの革命的解決を要求していることを証明している。地主に対するこの闘争は、権力に於けるヘゲモニーを握っている金融ブルジョアジーにとっても又大きな打撃である。しかしながら、土地問題、農民問題の徹底的解決はプロレタリアート独裁の下に於いてのみ可能であることが実践的に証明されている。広汎なる農業プロレタリアート貧農大衆の真実の解放は、土地の均等分配によってではなく、農民経済をも含む全国民経済を社会主義の線上に組織替えすることに依ってのみ可能である。 このことは、偉大なる十月革命に依って教えられている。従って、闘争の現段階にあっては、大地主、天皇、公領、寺社領の土地没収、勤労農民への分配にある農民戦争は、都市プロレタリアートからの指導に依ってそれを正しく発展させ得るのである。だがプロレタリアートは、資本主義制度擁護の重要支柱たる地主勢力倒壊を目指す広汎なる農業プロレタリアート、貧農大衆の援助無しには、金融ブルジョアジーとの闘争に於いて、成功的勝利を得ることは困難である。都市プロレタリアートと貧農大衆との革命的同盟は、かくて来るべき日本の革命に於いて、プロレタリアートの勝利に欠くべからざる必須条件である。しかも、この同盟に、必要なる客観的条件は、充分に備わっている。しかしながら、この同盟に是ては、プロレタリアートのみがヘゲモニー(指導権)を握り得るし、又握らねばならぬ。 我々は特にこの点を強調しなければならぬ。都市プロレタリアートは、ブルジョアジーに対する闘争を推し進め、その前衛組織(共産党)を拡大すると同時に、貧農大衆の革命的要求を積極的に支持し、自らその闘争の先頭に立って指導しなければならぬ。都市に於けるプロレタリアートの革命的闘争の発展、農村の階級闘争に対する都市プロレタリアートの革命的指導、積極的援助こそが、労働者農村の革命的同盟と、そこに於けるプロレタリアートのヘゲモニーとの確立を保証し、ブルジョアジーと地主の支配を打倒する偉大なる力を作るであろう。 我が国の農業革命には、農村プロレタリアート、貧農の外に小農及び中農の下層部分をも革命的力として動員し得るであろう。(農業問題、農民問題に関しては別に之を規定するものを発表する。) 我が国革命の推進力たるプロレタリアートは、更に、前述の国際的情勢に於いて、朝鮮、台湾の被圧迫民衆、革命支那の労働者農民大衆、及びソビエト同盟の労働階級を先頭とする世界各国の革命的労働階級をその有力なる同盟軍として有する。 かかる形成の下に於いて、我が日本プロレタリアートの当面の闘争目標は、金融資本を先頭とする天皇制のブルジョア、地主勢力の転覆ープロレタリア独裁の樹立、是である。台頭しつつある都市プロレタリアートの闘争、その激化、闘争形態の先鋭化、闘争の為の統一を要求する広汎な大衆の下からの圧力の増大、農村に於ける革命的勢力の著しい発展ーこれらに対立する支配階級の凶暴な弾圧政策、経済危機を脱出する方法として支配階級が施行する、労働者農民及び植民地被圧迫大衆への強大な搾取と圧制政策、新しい帝国主義戦争の必死的準備ー等々の諸条件は我が国に於ける革命の展望を益々広くしている。日本は今日政治危機に当面しているという見解が間違いであると共に、政治的危機へ発展する幾多の、諸条件が潜在することを否定することも又救うべからざる日和見主義的見解である。日本資本主義は国債資本主義体系に於いて最も弱き環の一つである。 日本プロレタリアートの前衛、日本共産党の基本的スローガンは次の如く変更されねばならぬ。 1、金融資本独裁の転覆、金融資本を先頭とするブルジョア、地主、天皇の権力の打倒、プロレタリア独裁樹立 2、銀行、工業、鉱業、交通運輸機関のプロレタリア国有化 3、天皇、大地主、官・公有地、寺社領の土地没収、勤労農民への土地分配 4、朝鮮、台湾等の植民地の完全なる独立 5、帝国手記戦争反対、ソビエト同盟、支那、インド革命の擁護 |
三、日本共産党の任務 共産党はプロレタリアートの唯一の革命的政党である。共産党のみが、プロレタリアートの歴史的使命ープロレタリア独裁の樹立より共産主義社会の建設へー遂行を指導し得る。1848年、カール・マルクス、フリードリッヒ・エンゲルスに依って名付けられ、就中、1917年ボリシエビーキに依って復活された共産党の名称は全世界ー日本をも含むープロレタリアートの闘争組織として輝いている。他の如何なる名称によっても、代置され得ないものがある。共産党の勢力が大であるか、又、小であるかは革命の諸段階に於けるプロレタリアートの成功不成功を決定する重要な因子である。 日本では客観的条件が以上に述べた如く、我がプロレタリアートの革命的勢力の増大とその活動の進展を促す好条件であるにも拘わらず、革命の主観的条件はそれに対して異常に不均衡であり、薄弱である。それは第一にプロレタリアートの党ー日本共産党の未熟、微力に現れている。今日程日本共産党の積極的活動とその組織の拡大とが要望されている時はかってなかったにも拘わらず、そしてその為の客観的条件が備わっているいるにも拘わらず、党はこの要求に沿うべく余りにも弱いのである。しかしながら日本共産党が今日まだ弱いということは、他の政党を以ってそれに代える事を断じて意味しない。日本共産党のみが、今日の日本に於ける唯一の革命的原動力たるべきものである。日本プロレタリアートの最大の努力は実にここに集中されねばならぬ。「日本の特殊性」を云々したり、「歴史的必然」の名に於いて共産党組織を妨害したり、いわゆる無産政党を以って共産党組織の前提条件であるかの如く唱導したりすることはいづれも、実践的にはプロレタリアートの革命的勢力結成を毒するものであり、従って又日本プロレタリアートの勝利を永遠の彼方に押しやるところの反動的理論である。 日本共産党はコミンテルンの日本支部である。共産党は一カ国に一つしか存在しないものであり、当該国に於けるプロレタリアートの前衛の統一的な政治的、革命的組織である。そこではいかなる分派行動も許されない。世界革命運動の統一的指導部たるコミンテルンが存在する現在に於いて、一国に一箇以上の共産党を作らんとする試みは断じて許すべからざることである。而して、そのことがコミンテルンの名の下に行われる時、尚一層激しく糾弾されねばならぬ。日本共産党は日本プロレタリアートの唯一の革命的政党でありプロレタリアートの解放を以ってその目的とする。そしてこの目的遂行のために闘争して来たし、且つ闘争しており、将来も又この方向に勇往邁進するものである。 日本のプロレタリアートは1928年3.15事件以来疑いもなく敗北してきた。それは共産党組織の拡大が行われなかった事に特によく現われている。日本共産党は、広汎なる労働者大衆側からの信頼と賛意とを充分にその組織内に獲得し得なかった。その事は、我が党内に於いてすら、革命運動に於ける指導的役割を正当に理解し得ない右翼日和見主義的偏向(例えば政治的自由獲得労農同盟の提唱、党の独自的活動の不充分等)及び極左宗派主義的偏向ーそれは1929年4.16事件に於いて多数の優秀な指導者が奪われてから特に激しかった-との結果であった。 最近の我が党は、実質上少数の集団であり、大衆との密接な結合の弱い、従って現実的に大衆闘争の集中的組織ではなかった。我々は支配階級側からの弾圧迫害のみを以ってこの事実を正当化してはならぬ。だが我々は、共産党無用論、又は「もう少し政治的自由が許されてからー(だがそれは共産党の指導下に労働者大衆を革命的闘争へ動員する事によってのみ獲得し得るのだ)ー考え直そう」というが如き、公然たる日和見主義とは断然対立した。 かっては共産主義の陣営にあったものの中でかなり多くのインテリゲンチャーは、労働階級の一時的敗北を見て、逃避した。(そして同一のそれらが今日、1931年に至って、「真正コミンテルン派ー日本共産党労働者派中央執行委員会」として名乗りを上げた)。我々は多くの誤謬と欠陥を有しながらも、そして未曾有の困難な情勢下にありながらも、コミンテルン日本支部の旗を確乎として高く掲げて守り続けてきた。そして、あらゆる解党派的傾向と決定的に闘争し続けた。この事は絶対に正しかったのだ。これこそ、労働階級前衛の政治的結集体たる大衆的共産党組織への必要不可欠の条件である。党に対する労働階級の信頼は、我々のこの一貫せる革命的行動に依って今日益々深まっている。 日本資本主義の一般的危機の上に激化している現時の経済危機は労働対資本の階級的矛盾を極度に深めている。労働階級のごく小さな経済的ストライキもが、警察、憲兵、反動団体、ブルジョア新聞等々一切の国家機関動員の下に弾圧されている。その事は今日の経済闘争の政治的性質を色濃くしている。経済闘争は最近益々拡大されつつある。例えば、1930年の労働争議数は1929年に比し415件増加しており、この範囲も拡大されている。小工場に於ける争議、ストライキも同一産業の労働者大衆の統一的傾向に向って進展している。労働階級の闘争要求は既に消極的ではなく、積極的性質を帯びている。我々はまだ、労働階級の攻撃を有しないが、消極的防御より積極的防御ー逆襲への転向を全般的に有する。この事を過大評価したり、過小評価したりする事は全然誤謬である。 金融資本覇権の確立、国家機関のファシズム化の条件下に於ける経済闘争の拡大は実に大きな政治的重要性を有する。而して、この事は日本共産党が今日よりもっともっと数十倍も強力に大衆的闘争を準備し、組織し、指導し、且つこの闘争過程を通じて我が党を真のボリシェビーキ的大衆的正当たらしめる事を要求している。共産党は労働階級前衛の政治的結集体であるが故に、日本共産党を拡大強化することは日本の革命的労働者全体に課せられた重要な任務である。日本の労働階級はその内部に包蔵されている厖大な革命的エネルギーを自覚し、まだ微力たりと雖も、日本プロレタリアートの革命的伝統を守り続けているコミンテルン日本支部たる日本共産党組織の拡大強化に敢然と参加しなければならぬ。 労働階級は共産党以外の如何なる政党によっても自己の政党を見出しえない。共産党のみが資本の権力を転覆して、プロレタリヤ独裁を樹立する闘争を指導し得る唯一の党である。 我々は、日本共産党の拡大強化を遂行する為に、労働者大衆、貧農大衆のあらゆる闘争を独自的に組織し指導する。その為には「党は政治的、戦術的、組織的に厳格なるマルクス=レーニン主張を以って武装しなければならぬ。而してそれは、今日では、国際的にはコミンテルンの方針に体現されているから、形式、実質共にコミンテルンの支部として組織されねばならぬ。 党員は単なる理論、意識を基準として結合されるのではなく、コミンテルンの方針と日本共産党の綱領規約を承認し、党組織の一員として能動的に、信念と忠実とを以って活動し、党規律に積極的に服従し、定額党費を納入する凡ての者を結合せねばならぬ。 当は直接に労働者大衆の基礎の上に組織されねばならぬ。即ち当は工場細胞の基礎の上に建設されねばならぬ。工場細胞こそ党が大衆の要求を吸収して成長するところの根源である。 党全体の組織原則は民主的中央集権主義に立つ。即ち工場細胞と各段階の上級機関との間には、原則として選挙制による指導関係が確保されねばならぬ。規律は全党員の組織的意見である。 党は支配階級に対して必ず非合法的部分を持つ。この非合法的部分の秘密を死を以って守らねばならぬ。しかし党の独立的政策と活動とは大衆の前に常に公然出されなければならぬ」(1928年発表、日本共産党政治テーゼより引用) 党は非合法の名に隠れて党の政策を大衆に示さず、地下室の窓から通りかかりの人々にコッソリと呼び掛けると云うが如き日和見主義的態度に対して断乎たる闘争を行わねばならぬ。 党は、労働者大衆の経済的、政治的闘争を独自的に組織し、指導することによって労働階級の多数を獲得するという任務を明白にして、その組織の拡大強化に向わねばならぬ。かくて党拡大強化のスローガンは、「大衆へ!」「大工場へ!」である。 |
四、日本共産党の当面の重要戦術 (1) 労働組合運動について 党のボリシェビーキ化、大衆化の問題は、党組織の独自的展開によって大衆的行動ー闘争を組織し指導することと密接に関連する。闘争を通じて組織の拡大へ! は我が党が常に主張して来たところである。党は更に、大衆団体を通じて、広汎なる労働者大衆と密接に結びつかねばならぬ。労働組合はこの分野に於いて最も重要なる恒常的大衆団体である。 労働組合運動に対する党の態度は従来の極左宗派主義的傾向、及び右翼日和見主義的偏向に対する決定的闘争である。具体的には、プロフィンテルン第5回大会で採用されたる諸決議、就中「日本に於ける革命的労働組合の任務」の実行の先頭に起つことを意味する。労働組合は労働者大衆の原素的闘争組織であって、共産党は、これを、党と大衆との間の媒介体として、大衆が共産主義を学ぶ為の学校たらしめねばならぬ故に、左翼、右翼の如何を問わず、労働組合内に於ける党員の活動は特に重要である。党員は、一切の闘争の先頭に立ち、労働者大衆を革命的陣営に獲得するために最も献身的に活動しなければならぬ。 経済危機の深刻化、益々集中化されて来た資本、生産、国家と企業との有機的結合の深まりーそこから来る労働階級に対する集中的攻撃、極端な反動的政策、(共産党員はいうまでもなく、急進的な労働者に対**)。(以下、略) |
(私論.私見)