27年テーゼ

 関連サイト、「福本イズムの席捲、第二次共産党再建される」

【「27年テーゼ」について】
 ここでは「27年テーゼ」の理論的考察をする。

 「27年テーゼ」の意義について、「市川正一の血涙の公判弁明録」は次のように賛辞している。概要「上海テーゼを引きついで、大衆から遊離したセクト集団にすぎない共産党を、現実の社会に接近させる、という目的に立っていた。そしてその内容は、世界情勢から日本の情勢にいたるまでの、日本では行われていなかったような高い水準での分析であった」、「日本共産党は、27.7月の決議によってはじめて思想的にも政治的にもボルシェヴィキの線に入り、そうして民主的中央集権主義の具体化のために、組織的に最も重要な工場細胞の基礎の上に党を正しく据え、日本の共産党にコミンテルンの線に沿うた抜くべからざる正しい礎石を据えたのである」。

 総評として、「市川正一の血涙の公判弁明録」は、「27年テーゼ」を次のように評価している。概要「『27年テーゼ』が今日の日本のプロレタリア運動に如何に実際に大きな前進的な役割を演じたかは、今日においては何人(なんびと)も疑うものはない。ただこのテーゼを振り返ってその不十分な点を拾いあげ、あの27年当時においてはこの点はかくかくにすべきであったというような、回顧的な高等批評的な非難をするものがあるが、これは断じてコミュニストの採るべき態度では無いと思う。今日このテーゼを振り返ってみていろいろの非難をすることは人各々の好き勝手であるが、当時においてはこれが日本のプロレタリア運動にとって最高の力の表現であり最高の指導方針であったこと、そしてそれが実際の運動を少しも妨害しなかったどころか偉大なる前進的の役割を演じたことを強調しておく必要がある。このテーゼが何ゆえにかく偉大な役割を演じたかを説明するに当っては、幾分このテーゼの眼目について述べる必要がある」。

 一、日本帝国主義と戦争

 戦後国際経済及び国際政治に於いて極東の持つ意義が著しく高まったが、その結果は、日本帝国主義の問題を特に十台ならしめている。最近十数年間に於ける日本帝国主義の変化、その攻撃力の増大、支那、印度、近東、太平洋諸島、及びソビエト連邦の領土に対するその準備等は、日本をして、膨大なるアジア大陸に於ける第一級の帝国主義権力たらしめた。

 世界資本主義に固有なる諸葛藤の主要なる中心は太平洋に形成されつつある。同時に現時に於ける最強力なる革命運動の一つが支那に於いて発展しつつある。それは世界革命の進展に対して限りなき重要さを有するであろう。

 かくして日本帝国主義の運命は、世界資本主義運命と益々緊密に融合しつつある。日本帝国主義者は来るべき戦争の準備に於いて著しく積極的なる役割を演じている。恐らくは、支那に対する日本の干渉が既定の事実である限りに於いて、彼らは既に現実にこの戦争を遂行しているとも言えよう。

 日本資本主義の致命的決定的利害が支那のそれと結びついている以上、支那革命に対する日本資本主義の中立的立場などということは問題となり得ない。石炭及び鉄資源の制限せられた日本にとって支那はその原料の主要なる源泉である。又支那は日本の産業に対する主要な市場である。日本の総輸出の3割5分は支那の港に向って送られる。支那は又日本資本の主要なる投資地である。日本のブルジョアジーは、支那、就中満蒙の工場、鉱山、鉄道等に対して約25億円の資本を投じている。されば日本帝国主義が支那革命の発展をその利益の直接の脅威と考え、支那の労働者農民運動を抑圧するためには、何ものをも、如何なる費用をも、又如何な協力をも辞しないであろう、という事は議論の余地の無い事である。

 日本帝国主義は支那革命に対する最も危険なる敵として、又際立って老獪な外交上の策略の遂行によって支那に於ける最重要なる地点を占有せんと企んだ。日本帝国主義は、支那に於いて、就中支那ブルジョアジーが蒋介石の指導の下に反革命の陣営に移って以来、いよいよ露骨なる、またいよいよ積極的なる反革命的政策を行っている。

 支那革命に対する日本帝国主義の敵意は又次の事情によって強められている。それは、その発展が日本の植民地支那に対する直接の脅威であり、その重要なる植民地、特に朝鮮を動かす恐れがある、という事である。支那革命に対する闘争は、当面に於いては支那の労働者農民に対する共同行動に於いて、遠からざる将来に於いてはソビエト連邦に対する闘争の共同的準備に於いて、日本帝国主義者を駆り立てて英帝国主義者と゛ロックを結ばせつつある。否、今日既に著しき程度に於いてかかるブロックは形成されている。

 だが支那革命及びソビエト連邦に対する闘争に於ける日本とアメリカ及び英国とのブロックは、深刻なる又益々鋭くなっていく彼らの間の矛盾を消滅せしめるものではないであろう。日本帝国主義と英帝国主義との利害は既に支那に於いて鋭く反発しあっている。シンガポールに於ける英国海軍根拠地の建設が日本の新聞紙に於いて、公然と直接に日本に向けられた敵対的行為であると解釈されているのは、決して偶然ではない。

 日本と合衆国との敵対に至っては更に一層熾烈である。アメリカの移民法は特に日本に対して作成された。同時にまた合衆国の太平洋に於ける拡張と日本のそれとの軋轢も進行し、二列強の衝突はいよいよ切迫し、いよいよ不可避的となっている。支那革命の共同討伐、反ソビエト連邦闘争の共同的準備と同時に、合衆国英国日本は又、彼ら自身の間の戦争を準備し、太平洋の帝国主義的分割の為の血みどろの戦争を準備しているのである。
 二、国内状勢

 ヨーロッパに比して比較的遅れて開始された日本帝国主義の発展ーそれは漸く19世紀の60年代に始まるーは、比類なき速度を以って進展した。日本資本主義の速度は*に戦争によって鈍くされなかったばかりでなく、否反対に日本資本主義は、この期間中に特に非常な進展を遂げたのである。英国とは反対に又一般にヨーロッパの資本主義諸国とは反対に、日本資本主義は、その資源及び発展の可能性は合衆国と比べて比較にならぬ程制限されているにも拘らず、今日疑いも無く上向線を辿っている。

 日本の商船トン数は、1926年には1912年の2倍半であった。又その鉄道は1912年に比して87%の増加を示し、綿糸布の輸出は1912年に比して273%の増加であり、電力の生産は6倍以上となった。

 産業の異常に急激なる成長は、資本主義関係の急速なる発展、日本ブルジョアジーの政治的重要性とその力の増大とをもたらし、その結果は、貴族とブルジョアジーとの間の種々なる内部的軋轢妥協を通じて政府の変質を呼び起こした。今日の日本の政府は資本家と地主とのブロックの手中にある。資本家と地主のブロックは一般的に言って日本帝国主義時代の極めて特徴的な形相を呈しているのであるが、それにも拘らずそこには、60年間の特殊なる発展条件に基づく種々なる特殊的性質がある。

 1868年の革命は日本に於ける資本主義の発展に道を拓いたものである。然しながら政治権力は封建的要素たる大地主、諸侯、王党の手中にあった。日本国家の封建的特質は単に過去の伝統的残存物、廃物的遺物に過ぎなかったものではない。それは資本主義の原始的蓄積にとって極めて便利な道具であった。日本資本主義はその後の全発展の時代にわたって巧妙に之を利用した。

 旧日本国家のブルジョア国家への転化は二つの異なる道を通じてなされた。一方に於いては産業的、商業的金融的ブルジョアジーの相対的力と政治的重要性とが不断に増大して行った事、他方に於いては封建層と親ブルジョアジーとを融合させる過程が、経済的諸原因、労働者及び農民運動の恐怖、帝国主義政策の要求の刺激の下に、極めて急速に発展して行った事、これである。

 日本国家はそれ自身に於いて日本資本主義の有力なる要素である。ヨーロッパの如何なる国も、日本に於ける程国家資本主義の発達している国はない。実に日本に於いてはある計算に拠れば、産業及び銀行に投下されている全資本の中30%は(しかもこの中には、殆ど全部が政府の手中にある鉄道は含まれて居ない)、国家の手中に属している。天皇はつとに大地主であるばかりではない。又天皇は多くの株式会社及びその連合体の大株主である。最後に又それは一億円の資本金を有するそれ自身の銀行を有っている。

 資本集中の過程、産業資本と銀行資本の金融資本への過程、トラスト化、コンツェルン化の過程も亦日本に於いて非常なる進行を示した。かくて一方に於いて日本国家が大資本主義企業であるとすれば、他方に於いて日本ブルジョアジーの二個の支配的政党ー政友会と憲政会ーの中、一方は三井コンツェルンの利益によって維持され、之に奉仕し、他方は三菱コンツェルンの利益によって維持され、之に奉仕する。ここに旧封建的形態をブルジョア的内容を以って満たす二重の過程、即ちブルジョアジーを反革命的要素に転化する並行的過程が存在する。かくしてブルジョアジーは、封建的要素と多くの差異を有しているにも拘わらず、しかも労働者及び農民運動に対して彼らと協同して行動しているのである。

 それ故に日本国家のブルジョア化、即ち君主制の解体、封建的分子の政府よりの駆逐は、かくの如き高度のトラスト化の水準に達した国に於いては、不可避的に封建的残存物に対する闘争より資本主義それ自体に対する闘争に転化するであろう。日本のブルジョア民主主義革命は極めて急速に社会主義革命に成長するであろう。何故ならば正しく現代の日本国家は、そのあらゆる封建的属性と遺物とにも拘わらず、日本資本主義の最も集中的な表現であり、そのあらゆる重要なる血管の体現であり、それ故に之に対する打撃は同時に全体としての日本の資本主義体系に対する強力なる打撃となるであろうから。

 ブルジョア民主主義革命より社会主義革命への急速なる転化の予測は勿論決して、それ自体としてのブルジョア民主主義革命の問題を排除してしまうものではない。ブルジョアジーと地主との融合の過程が如何に進んでおろうとも、大地主は依然として、日本の政治的経済的生活に於ける極めて重要なる、又高度に独立的な要因である。

 都市に於ける資本主義の暴風的発展にも拘わらず、農村は尚技術的観点から見ても、社会的経済的観点から見ても、著しく後れている。土地の欠乏、非常なる窮乏はなお農民の間を支配している。550万の農民の家族、即ち全農民の8割が平均1町1畝しか耕していないのに、農民の僅か0.1%の者が全耕地の8%を所有している。且つ不当地代の制度は日本に広く広がっている。全耕地の4割から蒐集される収穫の約半分は地代として小作人より地主に支払われる。これらの二三の例は日本に於ける農民問題の激烈さを充分に物語るものである。それは農業が既に成熟している事、ブルジョア民主主義革命の問題が現実の問題と為っている事を示している。

 かくて日本に於いては、ブルジョア民主主義革命の客観的前提条件も備わっており(政治的国家構造に於ける封建的残存物、深刻なる農民問題)、又それの社会主義革命への急速なる転化の客観的前提条件も備わっている(資本の集中及びトラスト化の高度の段階、国家とトラストとの緊密なる融合、国家資本主義の比較的大なる発達、ブルジョアジーと地主的貴族との統一及びブロック)。

 然しながらかくの如く日本の経済に直接に革命への道を示しているのであるが、その後れているーレーニンの言葉を用いれば『客観的革命的情勢』に対比して『主観的革命的情勢』の後れている事は、非常なる障害であり、躓き石である。日本のプロレタリアートも農民も、何ら革命的伝統や闘争の経験を有して居らない。広汎なる大衆は今や漸く政治的意識に覚醒し始めたばかりである。しかしそれは、その中の僅かな部分にとどまる。労働者農民の組織はなお至って数少なく、しかも分散している。従って又非常に活発であるとはいえない。階級的感情、階級闘争の必要の理解は、未だ大衆の間に於ける愛国主義的毒素又は平和主義的幻想によって圧殺されている。プロレタリアートー農民は暫くおくーの政治的意識、その革命的階級意識、その革命的組織は、なお漸くその胎生的状態を脱し始めたばかりである。正しくこの方面に向って日本の共産主義者はその最大の注意を注ぎ、全力を傾けなければならぬ。

 今日二個の主なるブルジョア政党ー政友会と憲政会ーがたらい回しに政権を握っている。両者は何れも大資本と密接に結びついているばかりでなく、日本の最も強力なる二大資本家団ー三井と三菱の直接の、公然たる政治的代理人である。

 然るに政友会が、政府に於いて大なる役割を演じている貴族や軍閥と一層密接に結びついているのに対して憲政会は、比較的自由主義的な手段によって資本主義的搾取の政治的機関の強化と支持を望んでいる半自由主義的ブルジョアジーの代表者として行動している。かくして1923年憲政会は普通選挙権を施行した。又政友会と対立して、憲政会はソビエト連邦に関しても比較的穏和なる立場をとっている。

 然しながら、日本の植民地及び日本内地における革命的活動に関する闘争に於いては両党の間に何ら本質的な相違の無いことは言を待たない事である。

 日本資本主義はなおその発展の上向線を辿っている。とはいえ、その地位の矛盾、今後の発展に伴う困難の増大は驚異的性質を帯び始め、それは尖鋭なる資本主義的恐慌の形態をとっている。今日日本のブルジョアジーが既に戦後の恐慌を切り抜け、又著しき程度に於いて1923年の震災の影響をも切り抜けた事は疑いない。然しながら同時に支那における革命の発展は、日本産業の原料の重要なる資源及び支那に投ぜられたる、資本より出づる巨大なる利潤を危殆に瀕せしめている。それは又朝鮮、台湾、満州等の巨大なる獲物をも脅かしている。英国及び合衆国に対する闘争、帝国主義的強国政策は、人民大衆の肩に、莫大なる、到底堪うべからざる陸海軍の負担を背負わせているが、これはその上に又生産力の発展を妨害するものである。

 農民及び労働者階級ーその賃金は1926年度に於いて著しく減少されたーの窮乏は、国内市場を害する事によって外国市場の問題を非常に切迫せるものとして、日本のブルジョア経済学者が超資本主義化、即ち国内市場の吸収力に到底応じ得ない様な産業機構の拡張について、述べているのは杞憂ではない。最後にアメリカの移民法によって激成された著しき過剰人口も亦、日本資本主義の社会体系をなお一層危からしめるものである。すべてこれらの要因は客観的革命的形勢の要素を代表するものであるが、これは亦同時に、労働者農民の大衆を革命化し、主観的革命的形勢の創造発展を助長するものである。

 ブルジョアのプロレタリア化の過程も亦、今や日本に於いて急速に発展している。資本主義発展の高度の段階にも拘わらず、労働日の半植民地的長時間、労賃の半植民地的低率はなお一般的現象である。いわゆる労働律法は全く労働者弾圧を目的としている。婦人は絶対に政治的権利も社会的権利も有していない。共産党は地下に駆逐され、唯党の成員であるという事だけで十年の禁固に処せられる。すべてこれらの要因は唯大衆を急進的にするだけである。これらの要因は共産主義者のプロパガンダとアジテーションの地盤を肥沃にした。そして益々肥沃にしている。
 三、日本の革命の推進力

 先の指摘せる如く日本は今日ブルジョアジーと地主のブロック、しかもブルジョアジーの覇権の下に於けるブロック-によって支配せられている。かような次第であるから、ブルジョアジーが、たとえブルジョア民主主義革命の第一段階に於いてすら、何らかの方法で一の革命的要因として利用しえられるなどという幻想は棄て去らねばならぬ。支那との比較などは問題とするさへ馬鹿げた事だ。支那は帝国主義政策の対象であったし、今もそうである。然るに日本のブルジョアジーはそれ自身一流の帝国主義権力ではないか。支那に於いては「国民的」ブルジョアジーは革命の当初に於ける権力を得んとして闘争していた。然るに日本のブルジョアジーは既に権力を握って居り、又既に資本主義的搾取の維持と保護の為に、全国家機構をそのあらゆる封建的属性と遺物のままに広汎に利用しているではないか。そして最後になおこの点に於いて重要な役割を果たしているのは次の事情である。即ち日本の資本主義発展の水準が既に著しく高度に達し、ここに於いてはブルジョア民主主義革命は直接に社会主義革命、即ち資本主義それ自体に対する戦にまで発展するであろう、という事これである。

 日本の革命における推進力は、プロレタリアート、農民及び都市小ブルジョアジーである。然し就中プロレタリアートと農民が重要である。日本のプロレタリアートは、ブルジョア民主主義革命の為の日本の全勤労者の闘争に於けるその主導権と、社会主義革命の為の闘争とを結合しなければならぬ。日本に於いては、反動的地主と資本家的同盟者とに拮抗せしめる事を目的として労働者と農民との革命的同盟を設定する為のあらゆる必要なる前提条件が具わっている。農民に対する労働者の正しき政治的方針は、日本に於ける革命の発展が成功し得るための不可欠な前提条件の一である。

 農民は、土地を得んとする闘争に於いて、又封建的残存物並びに今日の集中的資本主義の圧迫に対するその闘争に於いて、唯労働者階級の指導の下に於いてのみ勝利を得る事ができる。どの国の歴史を見ても、プロレタリアートに指導されない限り、農民運動は常に失敗すペく運命づけられていることが分かる。他方に於いて、日本の如く、その人口の過半数が農民である国に於いては、プロレタリアートが農民より孤立する事は最大の危険を孕んでおり、それはブルジョアジーの手に最も有力なる武器を提供する事となる。プロレタリアートと農民との同盟は何れの階級の利益から見ても絶対に不可欠である。然しながら、この同盟は労働者階級が主導権を握る時にのみ、革命的となり、勝利を得ることが出来る。労働者階級にとっては、ブルジョア民主主義革命は、社会主義革命への過程に於ける一段階に過ぎない。ブルジョア民主主義革命を指導する事によってプロレタリアートは決してその階級的展望を見失うものではない。反対に正しくこれを社会主義革命に転化させるという展望こそが、闘争のあらゆる段階に於いて、プロレタリアートにとって決定的意義を有するのである。

 プロレタリアートこそは唯一の一貫した革命的な階級、徹底的に革命的な階級である。労働者及び農民の同盟に於けるプロレタリアートの主導権は又、農民の欠乏、躊躇、予想さるべきその逡巡と動揺とを克服する為にも必要である。労働者階級とその指導者は常にこの事を心掛けておらねばならぬ。日本のブルジョアジーは常にこの「動揺する力」を利用せんと務めて来たが、又疑いもなく今後も努力するであろう。これらの動揺は発展のある段階に於いては革命にとって極めて危険なるものとなる恐れがある。殊にそれが社会主義革命に転化せんとする段階に於いてそうである。何故ならばその時ブルジョアジーは、農民に固有なる小所有者的本能と偏見とに極力訴えようとするであろうから。唯鍛えられた、階級意識のある、革命的プロレタリアートの指導の下に於いてのみ、共産党の指導の下に於いてのみ、これらの動揺は中和され、克服されうる。然らずんばそれは恐るべき危険を齎すであろう。

 プロレタリアートと農民との同盟は勿論農村貧農との同盟を意味する。貧農の支持の下に、又貧農を通じてプロレタリアートは農村の大衆との連絡を樹立し之を指導する。

 日本に於ける労働者階級と農民との革命的同盟に対するすべての客観的前提条件は疑いも無く存在している。然しながらこれらの客観的前提条件は組織的に実現されなければならぬ。日本の農民は最大の窮乏に悩んでおり、苛税と不当地代の為に押しつぶされている。革命的運動は農村プロレタリアと半プロレタリアの間に驚くべき速度を以って成長している。既に農民の約1割2分は農民組合に組織されている。日本共産党は全力を挙げて革命的労働者農民の指導の下にこれらの組合を労働者と農民の政党に結びつけなければならぬ。地主と資本家との反動的同盟は労働者農民の革命的同盟によって対抗せしめられなければならぬ。
 四、共産党とその役割

 労働者階級は、その最も前進的、革命的意識的、組織的部分たる共産党の指導下に於いてのみ勝利を確保することができる。ドイツ、特にパヴァリアに於ける、又ハンガリア及びイタリーに於ける経験は、堅固に組織せられた。且つ理論的に純化した大衆的共産党なくんば、プロレタリア革命の勝利は不可能である。というレーニンの思想の絶対に正しい事を証明している。

 どこに於いても労働者階級は絶対に同質的な大衆を形成するものではない。日本に於いても亦そうである。ここには種々様々なる層があり、それぞれその生活程度、その政治的、文化的、その他の発達の状態を異にしている。そのそれぞれが独自の利害を有ちうるのであり、又現実に有っている、それは政治的に遅れたそして階級意識の希薄な労働者に対しては、プロレタリアートの一般的利害をくらます事が有り、又しばしば実際にくらましている。唯ねばり強い大衆的闘争によってのみこれらの職業上の差異に打ち勝つ事が可能である。英国の如き国に於いてさえ、プロレタリアートの職業的分裂は、思想的にも組織的にも未だ中々打ち消されるに至っていない。ブルジョアジーは、その社会民主主義的代理人と労働組合の代理人の助力によって、自己の利益の為にこれらの職業的差異を助長し培養する。

 又、この職業的分裂と密接に結びつき、部分的にはその結果たるも一つの危険がある。即ち、「経済主義」と云われるものがこれである。労働者階級の政治的に遅れた部分に対して、日常的闘争と経済的衝突過程に提出される具体的要求と、資本主義それ自体に対する闘争、資本主義的搾取よりの完全なる終局的解放の為の闘争ーそれは唯革命によってのみ、プロレタリアートによる国家権力の獲得によってのみ、プロレタリア独裁の樹立によってのみ可能であるーをくらませる。「経済主義」は労働運動の小児病であるが、それは同時に、最悪の日和見主義が、即ちプロレタリアートを革命的闘争に激発させる代わりに之を資本家的生産様式に適応せしめる所の思想が、成長する地番である。

 共産党は、全体としての労働者階級の根本的歴史的利益の為に闘争するプロレタリアートの前衛である。共産党なくして職業的分裂も「経済主義」も之を克服する事は不可能である。共産党なくしてプロレタリア革命の為の闘争は有り得ない。日常的闘争に於いて提出される部分的要求の中にプロレタリアートの主要任務たる政治の樹立を見失う事が許されないと同じ程度に於いて、闘争のあらゆる段階に於いて主要なる革命的展望を維持し、他の一切のものに対してこの展望を尊重する事が必要であり、又同じ程度に於いて共産党が積極的に日常闘争に参加し、之を指導し、又積極的に大衆組織の内部に於いて活動し、之を指導ししかも同時にその思想的組織的独立性を保持し、それ自身の同一性即ち労働者階級の革命的前衛としての同一性を維持する事が必要である。この方向より少しでも外れる事は、実際には日和見主義への屈服を意味し、結局に於いて資本主義に対する政治闘争、資本主義打倒の闘争の放棄を結果する。

 日本共産党指導部の主要なる誤謬の一は、共産党の役割の過小評価、それに対する無理解、並びに労働運動に於けるその特殊なる重要性の過小評価にあった。共産党が多少なりとも左翼労働組合フラクション、並びに大衆的労働者農民の政党によって、代表され得るという考えは、徹底的に誤謬であり、日和見主義的である。独立なる思想的に健全なる、規律ある集中的な大衆的共産党なくんば、革命運動の勝利は決して有り得ないろ。清算主義的傾向のあらゆる形態、就中同志ホシの政策に表れているそれに対する闘争は、それ故に日本共産主義者の第一の任務である。すべての勤労者の闘争に対してその一般的利益の為に、その最も進歩的な革命的部分、即ち労働者階級がその指導を行う事が必要であると同じく、労働者階級の闘争の利益の為に、その革命的前衛たる共産党が之を指導する事が必要である。

 それ故に今日日本に於ける主要なる任務は共産党の量的質的改良を遂行する事である。党はその思想的政治的水準を高める為に強烈なる活動を行うと同時に、又その党員を拡大しなければならぬ。日本のプロレタリアートのすべての進歩的革命的要素をその陣営内に包含し、組織しなければならぬ。そして一歩一歩日本労働運動に於けるその指導的地位を強固にし、獲得しなければならぬ。
 五、共産党と社会民主主義
 (略)
 六、共産党と労働組合、共産党と大衆的労働者組織、統一戦線の問題

 既に指摘した如く、独立組織としての共産党の発展こそは、日本の革命的運動に於ける決定的要素である。この点に於いて共産党指導者の従来の誤謬、就中同志ホシによって代表されている誤りの急速なる決定的な清算の必要が強調せられた。然るに最近、他の之と正反対の一誤謬が党内に於いて勢力を占めた。この傾向の指導者は同志クロキである。

 共産党は大衆党としてのみその歴史的任務を解決することが出来る。勿論日本共産党がその思想的水準を高める為に全力を尽くさねばならない事は云うまでも無い。それは「革命的理論なくしては革命的運動は有り得ない」という事を徹底的に体得しなければならない。然しながら、それは同時に又次のことを、即ち革命的大衆闘争なくば、大衆との現実的なる結合がなければ、理論は何にもならないという事を体得しなければならぬ。日本共産党は、唯目的に於いて労働者の党となるばかりではなく、又その構成に於いても労働者の党とならなければならぬ。そのプロレタリア的核心が何よりも先ず強められねばならぬ。

 共産党を労働組合運動の左翼に解消せしめる事が誤謬であり、不詳なる事であるとすれば、プロレタリアートの大衆的組織から遊離することも亦同様に誤謬である。同志クロキの提唱した「分離結合の理論」はかかる政策の表現にほかならない。そしてそれはレーニン主義と根本的に異なっている。日本共産党に当面する具体的な任務と歴史によって与えられたその解決の方法とを分析する代わりに、同志クロキは勝手に作り上げられた抽象から出発し、現実の関係を理解すべく努力する代わりに論理的法則の発展と適用に没頭している。

 
大衆組織は第一方に於いては共産党が新しい力を汲み取る貯水池であり、他方に於いては前衛とその階級、全労働者の大衆とを結びつける伝道のベルトである。プロレタリア大衆組織が大なる程、共産党の貯水池の包容力は大であり、従って共産党が訴うべき聴手も亦広汎である。大衆組織を分裂せしめる政策は、それ故に貯水池を破壊し、その活動の範囲を制限し大衆との結合を初め、大衆から遊離する政策である。かかる政策がボルシェヴィズムと共通なる何ものをも有しない事は、殆ど云うまでも無い事だ。

 同時に亦大衆組織分裂の政策は、社会民主的労働者獲得の闘争の放棄、中央派的労働者獲得の放棄、右翼の公然たる改良主義と「左翼」社会民主主義的言辞によって隠蔽された暗黙の改良主義の暴露の放棄以外の何ものをも意味しない。かかる放棄は疑いも無く社会民主主義者には役立つであろう。然しボルシェヴィズムとは所詮縁が無いものである。

 日本プロレタリアートの最も前進的部分は思想的に急速に発展し、純粋サンジカリズム及び労働組合主義の状態から、最近日本のプロレタリアートの前衛が採用しつつある如き、政治的階級闘争の採用にまで至ったにも拘わらず日本の労働運動はなお若く且つ、その組織も貧弱である。日本のプロレタリアートには何ら革命的伝統が無い。それは又何より階級闘争に於ける偉大な経験を有しない。450万の工場及び運輸労働者の中、労働組合及び政党に組織されている者は僅か30万に過ぎない。しかもそれも数個の相闘う組織に分裂しているのである。

 かかる状態と戦い日本プロレタリアートの大衆的組織の設立の為に努力することは、共産党の任務である。それ故に労働総同盟、農民組合等の如き組織を分裂させた日本共産党の政策は根本的に誤謬であった。大衆的プロレタリアートのの組織の存在は、日本共産党の正常的な健全なる発展の為に絶対に必要なる前提である。日和見主義的改良主義的指導者に対する闘争は、労働組合及び大衆的政党の左翼的分子を疎遠にしないような仕方で、即ちこれらの組織の内部で、指導者を暴露し、指導者から大衆を闘いとるという仕方で、行われなければならぬ。然らずんば日本共産党は大衆的労働運動から孤立する危険に陥る。日本共産党は労働者階級の日常的闘争に積極的に参加し、かくしてこれらの闘争に於いて指導を握らねばならぬ。彼らは労働者に向って、彼らこそが労働者の利益の為の唯一の忠実なる、又断乎たる闘士である事を証明しなければならぬ。

 広汎なるプロレタリアートの大衆的組織こそは共産党の唯一の地番である。これを理解しないことは、若い日本共産主義運動に対する最も危険なる誤謬である。

 同志クロキが主張する様に労働組合を機械的に政治化する政策は、それ故に絶対に間違いであると言わなければならぬ。それは政党の労働組合との差異の絶対的無理解、一を以って他に代えんとする態度に基づいている。実際に於いてこれは、大衆運動からの自己遊離、大衆的プロレタリア組織の為の改良主義者に対する闘争の放棄を結果する。必要な事は労働組合を機械的に政治化する事ではない。否、その内部に於ける左翼的フラクションを強力にする事、そこに評議会の勢力を強力にする事、そして又又評議会それ自身の結束をかたくし、之を組織的に強力にする事である。

 労働組合を強力ににし堅固にし、以って之を内から闘いとる所の政策は、労働者農民の大衆的政党にも押し広められなければならぬ。共産党は就中当然の事として、著しくその勢力下にある労働者農民の政党ー即ち労農党と、今日中央派の勢力下にある日労党とを融合せしめる事に努力しなければならぬ。かかる統一に対する後者の必死の反対は労働者によって粉砕されなければならぬ。これ日本共産主義者の切迫せる任務のひとつである。

 党と大衆との戦術上の遊離を出すべき同志クロキの見地は又、大衆党としての労農党の現実の瓦解を生ぜしむ。この「分離結合の理論」が、純粋は意識的な方面だけを過度に不相応に強調し、経済的、政治的、組織的方針を完全に無視したのは偶然ではない。これは又インテリゲンチャの許すべからざる過重評価、労働大衆よりの遊離、宗派主義、党は「マルクス主義的に思想する人々」ー従って勿論第一に知識階級の集団であって、労働階級の闘争的組織ではないという考えを生み出すに至った。共産党は同志クロキも既に放棄したこのレーニン主義の漫画と断乎として手を切らねばならぬ。

 社会民主的中央派的労働者を闘い取る事、統一戦線の戦術の働き掛けによって労働組合及び大衆党を内部から占領する事には、勿論、色々な困難が伴う。この点に於いて特に、革命的階級闘争の経験を充分に有しない若い党によって大なる誤謬のおかされる可能性がある。この見地から見て日本の共産主義者は、特に支那の共産党が国民党に於いておかした誤謬を研究しなければならぬ。勿論支那に於ける条件と日本のそれとの差異が考慮に入れられなければならないのは言うまでもない事である。共産党は統一戦線の戦術の採用に際して決してその同一性を喪失してはならぬ。又それは決して、それが闘いつつある分子の勢力に屈服してはならぬ。それは思想的にも組織的にもその絶対的独立性を維持しなければならぬ。ここに統一戦線というのは、少数の非合法的な共産党と労農党、統一同盟の如き合法的な大衆組織との統一戦線の事を意味するばかりではなく、又共産党の影響下にある大衆組織(例えば労農党)と、大衆的な社会民主的乃至中央派的組織との統一戦線をも意味すべき事は、いうまでも無い事である。

 又統一戦線が厳密に労働者階級の問題の上に行われ、階級的方向に於いて闘はるべきであり、且つ思想的な如何なる譲歩もなさるべきではないという事も言うを待たない。

 資本主義に対する闘争に向って労働者階級を組織する場合に共産党は同時に、腕を拱(こまね)いていてはならぬ。それは革命的労働者農民のブロックの形成の為に、そしてこのブロックに於ける主導権を労働者階級に確保する為に努力しなければならぬ。共産党は、租税の軽減、地代(小作料)減額の農民の闘争を支持し、組織しなければならぬ。それは又戦争の脅威に対する闘争に於いて農民の革命的活動力を利用しなければならぬ。それは日本国家の民主化、封建的要素の撤廃を目的とする日本の全労働者の闘争を指導しなければならぬ。しかも同時に、ブルジョア民主主義革命の社会主義革命への転化の一般的展望を忘れてはならぬ。共産党は日本の植民地の解放運動と密接なる連絡を有ち、これにあらゆる思想的組織的支持を与えねばならぬ。

 共産党は従来の指導に於ける最大の不幸たり、欠陥たりしその宗派的精神を克服しなければならぬ。大衆に近づけというスローガンは、日本に於いて今日最も緊切なるものである。

 この点に於いて、就中、青年に対する働きかけが完全に欠けている事は、即時克服さるべき最大の誤謬として認めなければならぬ。この仕事は、切迫せる戦争の危険と関連して異常なる重要性を有するであろう。

 最後に共産党は、国際的共産党としての今日に於ける最高の義務を全力あげて果たさねばならぬ。即ちそれは、支那に於ける革命の干渉と、ソビエト連邦に対する戦争の準備に対して闘争しなければならぬ。

 以上の基礎の上に、日本共産党は次の如き行動綱領を提出し、次の如きスローガンを発しなければならぬ。
 一、帝国主義戦争の危機に対する闘争。
 二、支那革命から手を引け。
 三、ソビエト連邦を擁護せよ。
 四、植民地の絶対的解放。
 五、国会の解散。
 
 (略)

【「22年テーゼと27年テーゼの違い」について】
 ところで、「22年テーゼ」と「27年テーゼ」の違いはどこに認められるか。この査定が難しい。なぜ「27年テーゼ」が生み出される必要があったのかの解析に入る。

 最重要なところは、日本の国家権力の質規定に当たって、「22年テーゼ」が概要「日本資本主義のヘゲモニーが、商工ブルジョアジーと大地主とのブロックに掌握されているとみなしつつも、前近代的封建的諸関係の方が国家の機構において優位を占めている」としていたのに対し、「27年テーゼ」は概要「日本の国家権力は、資本家と地主のブロックの手中にあるとしつつも、その指導権(ヘゲモニー)は資本家が握っている」と変更を加えていることにある。

 (原文を読んでいないので、この解説が正しいのかどうか分からない。福本の「革命回想」に拠れば、概要「このテーゼは、日本を半封建社会と位置づけ、天皇制と結びついた封建社会残存物を一掃する民主主義革命からはじめなければならないとし、ブルジョア民主主義革命から適時、社会主義革命へと転化していくことが必要である」との従前規定を踏襲している、との観点が示されている。よって、32年テーゼの関連が不明のまま記す)

 国家権力の規定問題がなぜ重要かというと、その主体が誰であるかによって革命戦略・戦術が変更されることにある。「22年テーゼ」の規定に拠れば、未だ国家権力の過半は封建的諸勢力に握られている訳だから、プロレタリアートの闘争は第一義的に「反封建主義=民主主義革命闘争」を志向せんとすることになる。「日本におけるブルジョア民主主義革命の完成はブルジョア支配の転覆及びプロレタリア独裁の実現を目標とするプロレタリア革命の直接の序幕となりうるであろう」という位置付けであった。れんだいこは、これを仮に「順序式二段階革命論」と名づける。

 しかし、党創立以降の実践から、このような規定では社会主義闘争が担えないという批判が生まれ始め、コミンテルンは「22年テーゼ」の手直しに着手することになった。「26.2月テーゼ」はこの点に関して、「日本ではブルジョア民主主義革命がプロレタリアートのヘゲモニーのもとに労働者と農民とによって遂行されなければならぬ、すなわちブルジョア民主主義革命はプロレタリア社会主義革命に急速に転化する基礎を持っているのであるから、共産党は労働者・農民などのあらゆる進歩的民主的要求の先頭に立って最も積極的に犠牲的に活動しなければならぬ」としていた。

 これを受けて「27年テーゼ」規定が創造されることになった。「27年テーゼ」は、概要「日本資本主義の世界大戦中における発展の結果、日本の国家権力は資本家と地主との反動的ブロックの手にあって、従来はそのヘゲモニーが地主的勢力のもとにあったが、今や完全にブルジョアジーの手に移り、そのヘゲモニーのもとに反動的ブロック政権が運用されるに至ったことを強く示している」として、「日本の国家権力は、資本家と地主のブロックの手中にあるとしつつも、その指導権(ヘゲモニー)は資本家が握っている」と規定し直すことにより、日本マルクス主義運動に社会主義革命のプログラムを提起することになった。概要「日本のブルジョアジーは、全国家機構を、そのあらゆる封建的付加物と残存物のままに、資本主義搾取の組織と擁護のために利用して、第一級の帝国主義勢力となっている」。

 しかし、いきなり社会主義革命に向かうのではなく、概要「当面の革命は天皇制の打倒を中心とした封建制度の一掃を目指すブルジョア民主主義革命を完成し、強行的速度をもって直ちに資本主義制度を打倒するための社会主義革命へ突き進まなければならない」、概要「天皇制と結びついた封建社会残存物を一掃する民主主義革命からはじめなければならない。この為に労働者を主力に、労働者と農民、特に貧農との同盟を造り、その周囲に都市の零細商工業者までも含めた勤労市民大衆を結集して革命を推進する」。

 「共産党を前衛として指導の中心に立てるとともに、統一戦線戦術によって、労働組合および大衆政党を内部から扇動していかねばならない。かくしてブルジョア民主主義革命から適時、社会主義革命へと転化していくことが必要である」と指針し直していた。れんだいこは、これを仮に「強行転化式二段階革命論」と名づける。「順序式二段階革命論」から「強行転化式二段階革命論」への転換、ここに、「27年テーゼ」の意義且つ限界が認められる。

 こうして、「27年テーゼ」は、22年テーゼ以来の理論的発展を獲得していた。なおこのテーゼにおいても、概要「特に現代の日本においては、革命の客観的条件が非常に成熟しているにも拘わらず、一方においてレーニンが革命の主観的条件と名づけたものが非常に未熟である。テーゼは、この主観的条件の成熟の為の闘争、すなわち共産党の拡大強化、その指導的役割の高度化、大衆の間における政治的指導の重要さを非常に強調」していた。

 この規定に対し、「市川正一の血涙の公判弁明録」は次のように評している。概要「『22年テーゼ』は日本国家の半封建的な性質を地主勢力のヘゲモニーという点に帰して日本の現政府は地主勢力であると規定していたが、『27年テーゼ』はこの見解より一歩進んでいる」。概要「27年テーゼは、日本の資本主義の歴史的発展と世界資本主義における位置づけがおこなわれ、国家権力の構成と階級関係が分析され、党は明治維新とともに成立した君主制の廃止を宣言し、労働者・農民の政府にとってかえる決意を表明したことは、日本にはじめて革命的立場の基準を設定したのであった」(飛田1981)。
 第二に、「君主制廃止」スローガンが公然明記されたのは、「27年テーゼ」によってであり、このことも注目される。「しかし、一方で、その天皇制の分析は、単にロシアのツアーリズムとの類推からなされているだけであるなどの限界も存在した」という欠陥を持っていた。

労農派が行動開始する
 福本イズムはコミンテルンの批判を浴びて鎮静化した。同時に再建共産党の綱領となる「27年テーゼ」がコミンテルンから示され、共産党の路線転換が始まった。これを尻目にしながら、1927(昭和2).11月、日共から離党していた山川、堺、荒畑、猪俣津南雄、大森義太郎、向坂逸郎らが、雑誌「労農」を創刊、共産党に対抗する社会主義者の団体いわゆる労農グループを形成した。党中央は、山川等の労農グループを反党活動の咎によって除名処分に附している。ここから日本マルクス主義運動に労農派という流れが生まれることになる。

 労農派は、「27年テーゼ」を廻って共産党の見解を是認せず、無産政党内で合法的な活動を目指していった。為に両派の論争が続いていくことになった。両派は、国家権力規定、目指すべき日本革命の性格、戦略目標等々について激しく且つ重要な論争を展開した。これにより、その後のマルクス主義的日本左派運動は、労農派、共産党中央、福本イズムの対立を見せつつ独自に発展していくことになった。

【「27年テーゼを廻る第二次日共派と労農派の論争

 「1927年頃、華やかに展開された戦略論争はその後も永く両派の系統を受け継いだ新聞、雑誌、著書などを通じて現在まで継続されている。そしてこの論争の主題の重要性、内容の深化、論争当事者の多彩などはこの国の共産主義運動史に実際運動に与えた影響とともに、見逃すべからざる存在である。この論争はその時期に応じ、日本共産党の27年テーゼ、あるいはテーゼ草案、次いで32年テーゼなどに結晶し、後年、日本資本主義封建論争に深化発展され、この国の共産主義政党や労働組合、農民組合文化運動の栄枯盛衰に反映しつつ現在に至るまで至大な影響を与えてきた」(山本勝之助・有田満穂「日本共産主義運動史」)。

 この頃、27年テーゼを廻って党と労農派の間に革命論論争が展開される。論争は革命戦略の問題に発展した。労農派は、日本はすでに不完全ながらブルジョアジ−に権力が渡った資本主義国であるとして、社会主義革命を主張したが、その実践手法は反対的に合法主義運動を目指すというものであった。共産党は、日本は天皇制絶対主義」との見方からブルジョア民主主義革命−社会主義革命の2段階革命論を主張した。天皇制打倒を見据えた非合法主義的暴力革命論に拠っていた。福本イズムは、労農派のブルジョア権力説を受けつつも絶対主義的天皇制と規定し、ブルジョア民主主義革命−社会主義革命の急速転化式2段階革命論を主張した。この論争は理論的には明治維新をどう位置づけるかという点に集中し、「日本資本主義論争」へと発展する。

 山川は「労農」創刊号に論文「政治的統一戦線へ!――無産政党合同論の根拠」を発表した。これは労農グループの綱領的な立場を明らかにしたものであった。山川の「無産政党合同論」は、従前の「方向転換論」にもまして山川イズムの骨格を明らかにしていた。雑誌「太陽」所載の猪俣津南雄の「日本ブルジヨアジーの政治的地位」とともに「労農」派の理論的基礎をしめした。

 論文はまず「わが国には、ブルジョアジーの政権が完全に確立せられている」、「我々の政治闘争の対象は、帝国主義ブルジョアジーである」と強調、当面する革命の性格を社会主義革命と規定して、天皇制絶対主義を打倒するブルジョア民主主義革命とする共産党系の戦略規定を退ける。それでは当然、直接に社会主義の実現をめざす革命的な闘いが課題になるのかと思えば、そうではない。その前に「プロレタリアートとその他の一切の被抑圧民」によるブルジョア民主主義闘争の展開によって社会主義革命に向けての「根本的条件」を準備していくことが直接の課題であるとされるのだ。

 かくして、それを戦略的な課題と位置づけるか、戦術的な課題として位置づけるかの違いはあるが、労農派の提起する闘いも共産党の提起するものと何ら変わりはないもの(ブルジョア民主主義の実現)になるのである。そして、労働者、農民、都市の小ブルジョア下層など一切の要素を「反ブルジョア政治勢力」に結合する「共同戦線の特殊な一形態」としての『共同戦線党』のために闘うことが「プロレタリア前衛の具体的な任務」とされるのである。


【「28年コミンテルン第6回世界大会指針」について】
 28.7月から9月の初めにかけてコミンテルン第6回世界大会がモスクワで開催された。この大会は1924年の第5回大会以来の4年間における国際革命運動の経験を集積した上に開かれた大会であって、又最初のプロレタリア世界綱領たるコミンテルン綱領を討議決定すべき重大な大会であった。

 この大会では、第一にコミンテルンの綱領、第二に国際情勢とコミンテルンの任務に関するテーゼ、第三に国際情勢の中心である帝国主義戦争の危機に関するテーゼ、第四に植民地革命運動に関するテーゼ、最後にソビエト連邦の情勢に関する決議が議題にのぼった。こういう重大な諸決議に対して、全世界の隅々から集まった代議員は長時間の熱烈な討議を行い、これら全ての画時代的意義のある綱領やテーゼが決定された。日本の代議員団はもとより全世界の同志達に伍して積極的にこの討議に参加して、これらの綱領ないしテーゼの作成に力を尽くしたのであった。

 大会は日本の革命運動の発展に対して注意を払い、その国際情勢に関するテーゼの中で「日本問題に関する決議」(「28年コミンテルン第6回世界大会指針」、以下、「28年指針」と云う)が為され、日本共産党の大衆化、労働組合・農民組合への指導強化指針を示していた。その他方で、合法的労農政党と共産党の峻別を為し、「労農党及びいわゆる左翼政党に対して、共産党はその根本的な大衆的性質を明らかにし、共産党のみがプロレタリアの党であり、労働者・農民の唯一の味方であることを強調しなければならぬ」と述べている。




(私論.私見)