22年テーゼ |
関連サイト「日本共産党の創立考(創立時の動き)」
【結党時の綱領討議の状況について】 | ||||||||||||
1922(大正11)年7.15日に第一次日本共産党が創立された際に、党綱領は継続審議となり採択されなかった。いやしくもというべきか、マルクス主義政党が綱領抜きに設立されるのは退廃であろう。が、逆にいえば、ロシア10月革命の驚天動地の衝撃、米騒動での大衆的革命機運の上昇という熱気の中で、革命的情熱の赴くところまずは党創立自体を自己目的に追求し、それには成功した、というのが真相のように思える。 ところで、党綱領を廻って何が紛糾したのかというと、主として「君主制の廃止」スローガンを入れるべきか入れざるべきかを廻ってであった。これが問題になる背景に1910(明治43)年の「大逆事件」(幸徳秋水らが検挙され翌年刑死の憂き目に遭った)の影響があった。「君主制の廃止」スローガンは、当局の弾圧激化を徒に招くだけとの配慮から結局は採択されなかった。今日、日共党中央は、「創立時から、天皇制に一貫して反対してきた輝かしい伝統を持つ党」と称しているが、厳密な意味では問題がある。以下、この時の理論的諸課題を明記しておく。
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【「22年テーゼ」について】 | |||||||||||||||||||||
1922(大正11)年11.5日よりコミンテルン第4回大会がモスクワで開催された。コミンテルン第4回大会は、日本共産党の創立を正式に承認し、これによって日本共産党はコミンテルンの一支部としての公認資格を得ることになった。
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日本共産党綱領草案(1922年ブハーリン起草テーゼ) 日本共産党は万国共産党の一般的要求から出発して、日本資本主義の特殊性を考慮しなければならぬ。戦争の破壊作用に他国の如く影響されなかったが故に、戦時中特別の繁栄に成功した日本資本主義は、だが同時に甚だ著しく旧封建的関係の特徴を示している。土地所有の著しい部分が今日に於いてもなお半封建的大地主の手中にある。しかしこの大地主の最大のものは日本政府の首長たる天皇である。 それと共に大農の所有する広大な土地を自己の農具を持つ農民が地代(小作料)を払って耕作するのを見る。しかしこの地代は農民の土地滅失の増大する結果絶えず騰貴し、いわゆる飢餓地代となっているのである。かかる封建的関係の残存物は大地主と一定部分の商工資本家とのブロックの手中にあるところの国家権力の構成に一層鋭く表現されている。 国家権力の半封建的性質は貴族の大きな重要性とその指導的役割並びに日本国家の全憲法の性質の中にあらわれている。かかる事態に於いては単に労働者階級、。農民及び小ブルジョアジーが国家機能処理の可能性を奪われているのみならず、現政府の反対派たるいわゆる自由主義的ブルジョアジーの著しい部分もまたこれを奪われている。 資本主義の発展に伴って自由主義ブルジョア的反対派の要求もまた高まっている。この要求は普通選挙と国家権力の民主化との要求に集中される。他方、資本主義の強力な発展はブルジョア革命の進展に附して、労働者階級並びに広汎な農民層を闘争場裡に出現せしめる。かくてこの民衆層はこの国の生活における能動的な政治的素因となる。軍需工業の荒廃の結果として戦後に於いて現われた猛烈な経済恐慌は階級闘争と一般に政治的危機とを極度に先鋭化せしめた。 かかる条件の下に於いて最もありそうなのは社会的発展の行程が、現在政治制度、種々の社会的勢力と階級がこれに反対し合流しているところの現存政治制度の徹底的破壊に向うであろうということであるとはいえ、強固な労働階級と地代の窮迫を追及する革命的農民大衆とが既に存在している時期にブルジョア革命の完成がもたらせるのであるから、ブルジョア革命の完成はプロレタリア革命の直接的序曲に転化するであろう。しかしてこのプロレタリア革命の目的はブルジョア支配の打倒とプロレタリア独裁の実現とである。 プロレタリアートの独裁の為の闘争を目的とする日本共産党は、現存政府に対する闘争を真に遂行し得る一切の社会的勢力を糾合するという活動を持っている。けだし現在の政府の打倒は独裁の為の労働者階級の闘争の不可避的一段階を形成するからである。 日本共産党はブルジョアデモクラシーの敵であるとはいえ、過渡的合言葉として日本政府の打倒と君主制の廃止というスローガンを自己のものとし、普通選挙の執行のために闘わねばならぬ。党は共産主義運動の発展段階に於いて左右し得る勢力を徹底的に糾合し、その指導を確保し、日本プロレタリアートのソビエト権力のため一層広汎な闘争のために道を開くということをしなければならぬ。 不可避的に大農政府に対する強暴な反対派に移って行くに違いないところの広汎な農民層を利用することが特に主要である。自由主義的及び急進的ブルジョアの種々なる集団は、それで又常に農民大衆を獲得することに努力するであろう。それ故に共産党は大地主に対する一切の行動に於いて農民を支持し、この運動を一切の手段を尽くして促進、発展せしめ自由主義的ブルジョア的改良主義者の中途半端と不徹底を暴露する活動を持っている。 労働者階級の党は天皇の政府に対する闘争に際して、よしこの闘争が民主主義的合言葉の下に遂行されるにせよ、如何なる場合にあっても傍観するを許されない。党の活動は一般的運動の不断の深化、一切の合言葉の先鋭化、並びに現存政府に対する闘争の経過中における最重要な地位の獲得である。 この第一の直接的任務が解決され、次に以前の同盟者の一部が打撃を加えられた階級や層の側に移行し始めるや否や、日本共産党は革命を前進せしめこれを深化し、労働者農民ソビエトによる権力の獲得を実現するよう努力しなければならないであろう。党は又、プロレタリアートと農民の階級組織を創造、確立拡大し、プロレタリアートの武装を促進することによってこれを為さなければならぬ。それ故に民主主義的合言葉は日本共産党にとっては取りも直さず天皇政府に対する臨時的闘争手段を意味する。即ち、この闘争の過程に於いて現存政治制度の打倒という最も直接的任務が達成せらるるや否や直ちに無条件に放棄しなければならぬ手段を意味する。 かかる考えから出発して日本共産党は次の如き最も緊要な要求を掲げる。 A 政治敵領域に於いて 1、君主制の廃止 2、貴族院の廃止 3、18歳以上の一切の男女に対する普通選挙権 4、一切の労働者同盟、労働者党、労働者クラブその他の労働者組織に対する完全な結社の自由 5、労働者階級に対する完全な出版の自由 6、屋内、屋外における労働者集会に対する完全な集会の自由 7、示威運動の自由 8、自由罷業権 9、現在の軍隊、警察、憲兵、秘密警察等の禁止 B 経済敵領域に於いて 1、労働者に対する8時間労働制 2、無所得保険を含む労働者保護 3、市価による労賃額の規定、最低賃金の確保 4、工場委員会に対する生産管理、企業家及び国家に対する労働階級の公的機関として労働組合の承認 C 農業の領域に於いて 1、天皇、大地主、教会の土地の没収即ち無償没収とこれが国家への移管 2、貧農な村の為の国家的土地基金の制定、特に以前自己の農具を持った小作人として耕作していた一切の土地を私有財産としてではないが農民に渡すこと 3、累進所得税即ち所得による課税の規定を全ての一層高い所得段階が著しく高率な私税負担を負う如くする 4、特別奢侈税の設定 D 対外策の領域に於いて 1、あらゆる侵略経過の中止 2、朝鮮、支那、台湾、及びサガレンより全ての軍隊を撤退すること 3、ソビエトロシアの承認 日本の労働者階級は現政府打倒の途上に於けるプロレタリア独裁の建設のための闘争に於いて、それが一の統一的な集中化された指導をもつ時に於いてのみ勝利を占めることができる。ある革命的分子(無政府主義者、サンジカリスト)がかかる指導に対して叫ぶ抗議は、この分子が闘争の決定的瞬間に於いて不可避的に発生する全情勢を思い浮かべることを理解していないという事情に結びついている。遅かれ早かれこの闘争は、強固な集中的機関を左右している国家権力との直接的衝突にまで立ち至るに違いない。この機関の権力は意思の統一と組織された勢力の統一によってのみ達成されるところの革命的プロレタリアートの行動の最大の計画性を要求する。それ故に日本共産党の最も緊切な活動は労働組合を獲得し、この組織に党の影響をしかと植え付けることにある。 このことは先ず何よりも、労働組合に於ける黄色、愛国主義的、社会改良主義的指導者のなお存在する全ての影響の除去と、労働組合に組織された広汎な大衆の間における共産党の権威の昂揚とを要求する。党は、企業家並びに国家に対して向けられた労働者の全ての行動を支持し未だなお微々たる労働者の全ての運動における指導を確保する義務がある。党は全力を尽くして労働者との強き結合を追及し労働者からの隔離を招来し得る全てのことを避けねばならぬ。 日本の労働組合に於いて無政府主義者やサンジカリストがなお影響を持っている限り党はこれと固きブロックを結び、共同闘争の遂行の為に結合しなければならぬ。同時に党は闘争の正常を阻止せんとする彼の側に存在する偏見を克服するようにこの労働者階級の革命的分子を援助しなければならぬ。 党は又なかんづく貧農の広汎な層を自己の影響下にきたらす手段を採用する義務がある。ブルジョア的反対派的運動に関しては党はこの運動を利用するが、同時にその不徹底を無慈悲に批判し又労働階級の運動の増大に驚いたり、リベラル。ブルジョアジーが確かに犯すに違いない裏切り的行為を暴露する義務がある。 共産インタナショナルの支部としての日本共産党は、労働者の世界同盟の旗の下に国際プロレタリアートの最後の勝利と世界独裁に向って進軍する革命的プロレタリアートの強力な軍隊の一闘争部隊としてその義務を果たすであろう。 |
1923.3月、臨時党大会が開かれ、「22年テーゼ」の採択を期したが又も「君主制の廃止」スローガンを廻って議論が紛糾、継続審議となった。結局、第一次共産党時代においては「君主制の廃止」スローガンは日の目を見ることなく潰(つい)えている。 |
【「26.2月コミンテルン執行委員会幹事会指針」について】 |
1926.2月、コミンテルン執行委員会幹事会は、「日本問題の決議」(以下、「26.2月指針」と云う)をしている。これが先駆となってこれから述べる「27年テーゼ」の作成に向かうことになる。「26.2月指針」は、1924年から25年の護憲三派内閣の成立に続いて憲政会単独内閣が成立したことを評価して、「世界戦争の間に日本の資本主義は急激な発展を遂げ、爾来地主のヘゲモニーのもとにあった資本家・地主のブロック政権は、今や完全にブルジョアジーがそのヘゲモニーを握るに至った」と規定し直していた。「27年テーゼ」は「26.2月指針」のこの点に関する規定を継承し、更にこれを明白にしていくことになる。 |
(私論.私見)