野坂の「天皇制残置知論」は、ジョン・エマーソンの意向を挺したものか、野坂のオリジナルなものかは分からない。云える事は、野坂が表明した「天皇制残置知論」をエマーソン下敷きにして「延安報告」を記し、これがОSS提案として国務省内の政策決定機関である極東小委員会で検討され、親委員会の極東委員会(SWNCC)に於いて若干修正されたうえで正式の政策となった。この政策がマッカーサー率いるGHQに送られ、象徴天皇制が生み出されることになった、ということである。
野坂の「天皇制残置知論」の是非論議に興味があるが、ここでは問わない。問うのは、野坂がОSS要員ないしは協力者であったのではないのか、ということである。れんだいこは然りと推定している。ちなみに、エマーソンの「日本軍国主義者に対する心理作戦」は次のように記している。これは国務省に提出されたものである。
概要「日本では、法と秩序を立て直すためには、全ての勢力が協力することが重要である。我々は戦後出現するであろう占領協力者、ないし『穏健派』のみに依存すべきではない。共産主義者野坂参三を戦後改革に協力させるべきである」。 |
2006.10.5日 れんだいこ拝
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