| 不破の野坂論考 |

(最新見直し2009.5.19日)
| (れんだいこのショートメッセージ1) |
2002.10.26日、2009.5.19日再編集 れんだいこ拝 |
| 【不破の野坂に対する友好的理解】 | |
2002.10.14日付け赤旗に、「北京の五日間(中央委員会議長 不破哲三 李鉄映さんとの三時間」に興味深い記事が載っている。これを抜粋、要約する。
|
|
不破(当時、幹部会委員長)は、2000.7.20日、日共創立78周年記念講話「日本共産党の歴史と綱領を語る 戦後の党の歴史から―1950年代のソ連・中国の干渉と『軍事方針』」()で次のように述べている。
|
|
|
| 不破は、上述の如く、野坂除名理由を、1・スターリンの粛清下での山本懸蔵その他同志の密告、2・戦後の帰国に当たっての赤軍情報総局工作員の二点において説明している。しかし、野坂のスパイ性は、1・戦前の特高警察スパイ性、2・米国特務機関と関わりを持つスパイ性、3・フリーメーソン容疑、4・モスクワ赤軍情報総局工作員等々の観点から詮索されねばならない。このうちの4・モスクワ赤軍情報総局工作員としての野坂のスパイ性にのみ論うとは全く馬鹿げていよう。 不破は、重要な史実について頬かむりしている。袴田除名騒動の一連の過程で、袴田は、2・米国特務機関と関わりを持つスパイとして野坂のスパイ性を指摘していた。この時、宮顕−不破党中央は、「野坂スパイ説をデッチ挙げ、党の団結と規律に正面から挑戦し、許すことの出来ない党破壊行為を行った」として袴田を断罪したのではなかったか。不破は、これにつき釈明せずに4・モスクワ赤軍情報総局工作員としての野坂のスパイ性に関わる野坂批判で事を済ましている。これも全く馬鹿げていよう。 |
![]()
(私論.私見)