著書「風雪の歩み」の詐術考

 (最新見直し2009.5.19日)

 (れんだいこのショートメッセージ1)


 2002.10.26日、2009.5.19日再編集 れんだいこ拝



 「野坂は晩年の自伝『風雪のあゆみ』で、満州事変勃発に際して片山・山本懸蔵・野坂の三人の連名で『インプレコール』に発表された「日本帝国主義に反対する日本プロレタリアート」という論文は、「原案はわたしが起草し、これに片山、山本、さらにウォルクやマジャール、クーシネンなどの意見を加えて」作成した「新たな路線への転換を示唆するもの」としているが(四九頁)、野坂参三の除名のきっかけとなった山本懸蔵を告発する一九三九年のディミトロフ宛手紙で、山本懸蔵がウラジオストックからモスクワに戻るのは「一九三一年末」と書いているから、病後復帰した片山潜はともかく、ウラジオストックの山本懸蔵の関与は、ほとんど考えられない。電報で名前を借りると伝えられた程度であろう。また野坂参三の原案執筆も疑わしい。コミンテルン東洋部員の作文に、「トロイカ」三人の名前が使われただけであった可能性が高い」。




(私論.私見)