宮本の過去のソ連や北朝鮮など共産主義国の美化論について
宮本顕治は、「ソ連邦共産党第二十一回臨時大会の意義と兄弟諸党との連帯の強化について」(「前衛」一九五九年五月号掲載論文)で、次のようにソ連や北朝鮮を美化した。
(ソ連邦発展の趨勢について)
「社会主義はソ連邦で完全な最後の勝利をおさめた。今日、ソ連邦では国内的に資本主義を復活させる力がないだけでなく、世界的にソ連邦及び社会主義陣営をうちやぶれるような力は存在しない。このことは、今日、共産主義建設の偉大な不滅のとりでが地球の上に確固としてきずかれた人類の新しい勝利を意味する。また、それは世界平和と反植民地のための人類の闘争の不滅の偉大なとりでを、現在の世紀がもっていることを意味する」。
宮本顕治氏の「共産主義国=平和のとりで」理論
(北朝鮮賛美について)
「朝鮮民主主義人民共和国は、アメリカ帝国主義の侵略戦争によって国土に大きな破壊と犠牲をうけたにかかわらず、朝鮮労働党の指導のもとに団結をつよめ、『千里の駒』運動の標語が示すように、すばらしい速度で復興から新しい社会主義建設の発展にむかってまい進しつつある」
当時の宮本氏は、書記長として日本共産党の「理論」と活動を担う中心であった。この論文とほぼ同じ趣旨の中央委員会幹部会声明「世界の平和と共産主義への偉大な前進―ソ連邦共産党第二十一回大会の意義―」がこの年の二月に発表されている。ソ連や中国、北朝鮮などの共産主義国は「共産主義建設の偉大な不滅のとりで」、「世界平和と反植民地のための人類の闘争の不滅の偉大なとりで」である、と大宣伝している。
(北朝鮮帰国事業の支援について)
この声明や宮本氏の論文が発表された昭和三十四年の暮れに、北朝鮮への帰国第一船が出発している。朝鮮労働党と朝鮮総連は、昭和三十四年より在日朝鮮人による北朝鮮への集団的帰還事業を開始し、約九万三千人(日本国籍所有者約七千名を含む)が北朝鮮に帰国した。
当時の北朝鮮は「『千里の駒』運動の標語が示すように、すばらしい速度で復興から新しい社会主義建設の発展にむかってまい進しつつある」ことになっていた。現実の千里馬運動とは、過大なノルマを労働者に課す「重労働運動」でしかなかったことは、当時訪朝した関貴星氏の手記「楽園の夢破れて」(亜紀書房より平成九年に再刊)や、宮崎俊輔氏の手記「北朝鮮大脱出地獄からの生還」(新潮OH!文庫)などからも明らかであるが、日本共産党は北朝鮮への帰国運動に全面的に協力し、宮本も「北朝鮮が新しい社会主義建設の発展にむかってまい進しつつある」として、これを宣伝している。
当時の日本共産党は在日朝鮮人の中で大きな思想的影響力を持っていた。昭和三十年まで在日朝鮮人の共産主義者は日本共産党員だったから、日本共産党中央委員会の機関紙「アカハタ」記事や理論誌「前衛」掲載論文は在日朝鮮人に一定の影響を持っていたのである。北朝鮮を全面的に美化した「三十八度線の北」(新日本出版社刊)を読んで北朝鮮への帰国を決意した在日朝鮮人は少なくなかった。
有名な在日朝鮮人の共産主義者だった金天海氏、朴恩哲氏、金斗鎔氏、宋性徹氏らは日本共産党中央委員会の幹部でもあった。この人達は帰国事業の前に北朝鮮に渡り、その後行方不明になっている。金天海氏については、強制収容所で亡くなったという情報がある(金天海氏の生涯については、宮崎学氏の著作「不逞者」〈幻冬舎アウトロー文庫〉が詳しい)。このように在日朝鮮人の運動と日本共産党は密接な関係にあったのだが、これは「日本共産党の七十年」ではほぼ完全に隠蔽されている。この点については、在日朝鮮人運動の歴史研究者からも厳しい批判があることを指摘しておこう(例えば、西成田豊氏の著作「在日朝鮮人の『世界』と『帝国国家』三四六頁 東京大学出版会」)。
「千里馬の勢いで社会主義を建設する共和国」へ希望に胸をふくらませて帰国した彼らを待っていたのは、金日成に対する不平不満を少しでも漏らせば家族もろとも山奥に追放されてしまうような「内心の自由」が一切ない徹底した抑圧体制と極度の窮乏生活であった。強制収容所が帰国事業の頃から存在していたことは、亡命者からの聞き取り調査などにより判明している。
約九万三千人の在日朝鮮人らが北朝鮮という地獄のような国への帰国を決意してしまった一つの背景には、日本共産党がこのようにソ連や北朝鮮などの共産主義国を美化し、共産主義国についてあり得ぬ幻想を在日朝鮮人に与えたという史実があることを指摘しておきたい。「日本共産党が北朝鮮を美化すると、在日朝鮮人がそれを簡単に受け入れると言えるのか」と言う人がいるかもしれない。
(萩原遼氏の党民主化論)
「自由に思ったことをいう。それに対し迫害は加えない。少数意見は尊重され、全党に公開されるべきである。党大会に少数意見者も出席させ、発言させるおおらかさと自信がなぜもてないのか。内部の反対意見に極度におびえる小心翼々たる日本共産党の体質は、民主主義で育った戦後世代には合わない」(「朝鮮と私 旅のノート」文春文庫二二一頁より)
(黒坂真氏の共産党批判)
黒坂真氏(1961(昭和36)年、川崎市生まれ。早稲田大学政治経済学部経済学科卒業。神戸大学大学院経済学研究科博士課程単位修得退学。平成五年より大阪経済大学専任講師。翌年同助教授。マクロ経済学担当。マクロ経済の長期的動向を把握するためには、制度とイデオロギーの分析が不可欠との視点から、共産主義の理論と歴史研究を課題としている)は、スターリニズムの「敵理論」は、マルクスの革命理論の影響にあるものである。マルクスの革命理論をより鮮明に定式化したのがスターリンなのである。非民主的体質の根源は、共産主義者が共通の思想的基盤としている革命理論なのだ、という。
スターリンは以下のように述べている。
「ありとあらゆるグループ、潮流、党を区別する。そして、それらの革命性や反革命性を点検する一つの問題がある。この問題とは、今日では、ソ同盟の防衛の問題、つまり帝国主義からの攻撃にたいしてソ同盟を絶対的、無条件に擁護する問題である。なんの留保もなしに、無条件に、公然と、そして誠実に、軍事上の秘密なしに、ソ同盟を擁護し、防衛する用意のあるもの、それこそ革命家である。なぜならソ同盟は世界で最初の、社会主義を建設しつつあるプロレタリア的、革命国家だからである。留保なしに、動揺することなく、無条件にソ同盟を擁護する覚悟のあるもの、それこそ国際主義者である。なぜならソ同盟は世界革命運動の根拠地であり、ソ同盟を擁護することなしには、この革命運動を前進させることはできないからである。なぜならソ同盟を考慮せずに、ソ同盟に反対して世界の革命運動をまもろうとおもうものは、革命に逆行するものであり、かならず革命の敵の陣営に転落するからである」(スターリン「ソ同盟共産党〈ボ〉中央委員会・中央統制委員会合同総会 国際情勢とソ同盟の防衛」 スターリン全集第十巻六四頁 大月書店一九五四年刊より)
スターリンがソ連の絶対的擁護を「革命家」の基準と定義していることに注目されたい。またソ連が「世界革命運動の根拠地」と規定されているのも興味深い。ソ連をこのように規定すれば、ソ連共産党の最高指導者であるスターリンは各国の共産党員により神格化され、トロツキーやブハーリンの粛清が「ソ同盟の敵対者だ」ということで合理化されることになる。
スターリンの規定「なんの留保もなしに、無条件に、公然と、そして誠実に、軍事上の秘密なしに、ソ同盟を擁護し、防衛する用意のあるもの、それこそ革命家である」の思想的影響。
日本共産党における非人間的な査問も、「日本革命の根拠地である日本共産党を混乱させようとしたのだから、彼らは人民の敵である」ということで合理化される。「赤旗」が、党員からの率直な批判に一切答えず、「さざ波通信」のように異見を持つ党員を敵対視することも、スターリンの規定「なんの留保もなしに、無条件に、公然と、そして誠実に、軍事上の秘密なしに、ソ同盟を擁護し、防衛する用意のあるもの、それこそ革命家である」の思想的影響下にあるからだ。勿論、こうした「敵理論」は、マルクスの革命理論の影響にあるものである。マルクスの革命理論をより鮮明に定式化したのがスターリンなのである。非民主的体質の根源は、共産主義者が共通の思想的基盤としている革命理論なのだ。
先に引用した宮本顕治氏の「共産主義国=平和のとりで」理論は、以下のようにスターリン及び当時のソ連共産党の思想的影響を強く受けたものである。戦後の我が国では、自国の軍事力を敵視し、自衛のための軍事力と自衛権を行使するための法整備を「侵略戦争への道」「軍国主義復活」などと罵倒する奇妙な「平和運動」「平和理論」が繁栄してきた。こうした「平和運動」「平和理論」もスターリン主義の呪縛の産物である。冒頭に引用した「井上ひさしさんへの手紙」では、日本共産党の組織原則がスターリン主義の悪しき遺産であることを指摘していたが、「平和理論」「平和運動」も同様なのだ。
スターリンは、平和運動の役割について次のように規定している。
「もっともありそうなことは、平和を維持するための運動としての現在の平和運動が成功したばあいには、この運動は、この当面の戦争を未然にふせぎ、それを一時的ながらもっとさきにのばし、この当面の平和を一時的に維持し、好戦的な政府をしりぞけて、それをば平和を一時的にも維持しようとかまえている他の政府にとってかえることになろう、ということである。これは、もちろんよいことである。非常によいことでさえある。しかし、一般に資本主義国間の戦争の不可避性を絶滅してしまうためには、これだけではやはり不十分である。不十分だというのは、平和擁護運動がこのようなあらゆる成功をおさめたとしても、帝国主義はやはり維持され、依然として力をもっており、したがって、戦争の不可避性もまた依然として力をもっているからである。戦争の不可避性をとりのぞいてしまうためには帝国主義を絶滅してしまうことが必要である」(スターリン「ソ同盟における社会主義の経済的諸問題」 一九五三年国民文庫 四六頁より)
スターリンとソ連共産党は、自らが東欧や朝鮮半島の北半部を侵略したこと、朝鮮戦争が北朝鮮によりはじめられたことを隠蔽し、「平和陣営」を自称した。スターリンとソ連共産党が東欧への侵略を「人民民主主義革命」と称して行ってきたこと、ソ連や中国、北朝鮮による核軍拡の史実を考慮すれば、市場経済体制を保持している国家の一方的軍備削減を主張する「平和運動」は、「平和運動家」の主観的意図はどうあれ、市場経済体制の国々に対しソ連や中国、北朝鮮の圧倒的軍事的優位を確立するための運動である。これでは事実上、「平和運動」は平和と民主主義を脅かす運動でしかない。日本共産党と「平和団体」「民主団体」が中国や北朝鮮の核や生物兵器、化学兵器を問題視できないのは、このような意味においてスターリン主義の呪縛に囚われているからなのだ。
黒坂真氏は云う。二十世紀の歴史から人類が学ぶべき最大の教訓は「革命は幻想にすぎない」ということだ。「革命理論」は要約すると、「革命を行い、生産手段を社会化すれば貧富の格差、恐慌、資源の浪費などの社会問題は全て解決する。革命を行うのは労働者階級であるが、労働者階級を指導するのは前衛党である。前衛党の最高指導者は支配階級との階級闘争により鍛えぬかれ、真理を体得した偉人であり、指導者のいうことを聞いて闘争すれば革命が達成できる。革命の指導部の一員である前衛党員は、自覚と誇りを持ち、規約により自由が制限されることを甘受せねばならない」というものである。
これが幻想でしかないことは、ソ連や中国、東欧、北朝鮮、そして日本共産党の歴史を学べば明らかだ。日本共産党の独善的、非民主的体質と朝鮮労働党の「殺人体質」「テロ体質」は、根源的にはこうした革命理論、革命幻想に依拠している。
不破哲三氏が党員からの批判にまともに答えられない根源的理由は革命幻想である。不破氏が日本共産党の党首である限り、党員からの批判にまともに答えることはないであろう。「人民の敵」の「疑問」に「最高指導者」が答える必要などないということだ。
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